堕天使ユリエルの異世界奮闘記
  第5章 家族

 サソリのような長い尾の先に人間の身体など一突きで貫けそうな針を備えた巨大な昆虫型モンスター。
 異変を察知して外へと飛び出したわたしたちが見たのは、そんな魔物が十数匹掛かりでこの家に張られた結界を突破しようとしている光景だった。
 鋭い針を何度も虚空に付き立てながら、愚直なまでに前へと進もうとするその様子には鬼気迫るものを感じる。
「ポイズンテイル!? しかも、あんなにたくさん……」
 特徴から魔物の正体を判別したらしいミリィが顔を蒼褪めさせながらそう言葉を漏らす。どうやら相当危険なモンスターのようだ。
「まずいよ。あれに刺されたら、ドラゴンだって物の数分で死んじゃうんだ。早く何とかしないと」
「まあ、普通の蜂でも人間があの数に刺されれば余裕で死ねるわね」
「落ち着いてる場合じゃないんだってば。ええーい、こうなったら近づかれる前に大火力で一気に焼き払うよ。炎の霊よ、閃光と成りて敵を焼き尽くせ。ベギラマ!」
 そう言って早口に呪文を唱えると、ミリィは結界に群がる巨大な蜂たちに向けて魔力を解放した。
「しょうがないわね。我が魔力は閃光に、閃光は矢と成りて射貫け。スプラッシュアロー!」
 ミリィの手から彼女の胴回り程もある熱線が放たれ、それを追ってわたしが放った十数発の光の矢が弾幕を形成する。
 これにポイズンテイルたちは慌てて散開するも、数匹がベギラマの閃光に呑まれて蒸発し、更に初動が遅れた数匹が光の矢の弾幕に絡め取られて地に落ちた。
 だけど、喜んでいる暇もない。敵はまだ半数以上残っているし、結界だって今の魔法の干渉を受けて幾らか揺らいだことだろう。
「ミリィ。相手はまだ結界を越えられないみたいだわ。落ち着いて、今のうちに確実に仕留めていきましょう」
「わ、分かったよ」
「大丈夫。あなたの結界がある限り、わたしたちの勝ちは揺るがないわ」
 幾らか落ち着いた様子のミリィにそう声を掛けると、わたしは続け様に三度、同じ呪文を唱えて矢の弾幕を形成する。
 それにしても、精度が甘い。放たれた矢の数は三桁に迫ろうかというのに、どうしても数匹の回避を許してしまっている。
 普段であれば複数の対象に同時に当てるのも難しくないというのに、この無様はどうしたことか。
「炎の霊、イフリータ。四代が一角を担いし汝が輝きを我が前に示せ。誓約の下、ユリエルが命じる。焼き払え!」
 そうこうしているうちに、段々とイライラしてきたわたしが今度はミリィの細い光線の連発で出来た隙を衝いて大威力魔法を叩き込んでいた。
 ある時、大きすぎる力の運用に難儀していたわたしは、自分の魂の一部に自我を与え、一つの属性に特価させた上で術式を肩代わりさせることで魔法の運用効率を飛躍的に高めることに成功した。
 イフリータはその中の一体。召喚に応じて魂の内より現世に顕現し、教えた術式に従ってわたしの魔力で魔法を行使してくれる四人の分霊のうちの一人だ。
「精霊召喚!?」
 わたしの背後に浮かび上がったオレンジ色の炎を纏う少女の姿に、ミリィが素っ頓狂な声を上げる。だけど、驚いたのはわたしも同じだった。
「これは、この世界の精霊と干渉し合っているの。でも、それなら!」
 戸惑いは一瞬。すぐに気を取り直すと、わたしは普段よりも多くイフリータへと魔力を送ることで彼女の力を上乗せした。
「行きなさい」
 わたしの言葉に少女は頷いて上昇すると、何処からともなく増え続けるポイズンテイルたちの頭上に無数の火の玉を降らせる。
 一匹に一発ずつ。一つ一つはピンポン玉くらいの大きさしかないけれど、そこに込められた熱量は毒虫一匹焼き殺すには十分だった。
 だけど、わたしのイフリータが爆撃火炎、ファイアファランクスの魔法でポイズンテイルの群れを一掃したのも束の間、立ち昇る黒煙を掻き分けるようにして、今度はその向こうから体長三メートルを超える巨大な熊が姿を現した。
「くっ、戻って!」
 熊がその鋭い爪をイフリータ目掛けて振り上げる。魔法を使った直後の硬直状態を狙われた彼女は辛うじてその攻撃を避けると、急いでわたしの傍らまで後退した。
「なんて腕力。あれじゃ、近づくのは危険ね」
 振り下ろされた熊の腕が地面を陥没させたのを見て、わたしは冷たい汗を頬に伝わせながらそう呟く。しかも、鈍重そうな見た目に反して体勢を起こす動作も俊敏だ。
「ユリエル。あたしが踏み込むから援護して!」
「大丈夫なの!?」
「狩には慣れてるんだ。行くよ、マヌーサ、ピオリム!」
 幻惑の霧が熊野頭部を包み込み、弾かれたように飛び出すミリィの背中を敏捷性を高める風の魔力が後押しする。
 その瞬発力は魔法で強化されているにしても驚異的で、彼女は一気に熊の頭上まで飛び上がると、振り上げられた巨腕を掻い潜って手にしたダガーを一閃。
 補助呪文の効果で動きの鈍った熊にそれを避けられるはずもなく、熊はあっさり首を落とされて絶命した。
「ミリィ、離れて!」
 叫ぶと同時にわたしはスプラッシュアローを放ち、ミリィが反射的に熊野胴体に蹴りを入れる。
 直後、傾いだ熊の死体を貫いて伸びた閃光と、わたしの閃光の矢がミリィの目の前で衝突して弾け飛んだ。
 それに驚きながらも、蹴りの反動で距離を取って着地した彼女の足を、突然地面から生えた土色の手が掴む。
「きゃっ!?」
 バランスを崩して悲鳴を上げるミリィの脇を、一条の閃光が走った。まさか、魔物同士が連携しているとでも言うの。
 彼女は自分の足を捕まえている手首から先だけの魔物にダガーを突き立てて拘束から逃れると、急いでわたしの隣まで下がる。
 わたしは護身用にミリィから借りた短剣を油断なく構えながら、閃光の飛来した方向へと目を向けた。
「ハンターフライに、マドハンド……」
 新たに出現した魔物たちを見据えてミリィがそう言葉を漏らす。
 ハンターフライはポイズンテイルと同系の蜂型モンスターらしく、身体や羽根の色が違う以外はほぼ同じ姿をしている。
 マドハンドは魔術師が使役するゴーレムのようなものか。魔力を擬似的な生命として与えられた無機物が動いているように見える。
 ということは、この土塊を差し向けた何者かがいるということになるわけだけど……。
 いや、それよりも今はミリィだ。今の攻撃が掠っていたのか、彼女は右手で左の二の腕あたりを押さえて回復呪文を唱えている。
「平気、ちょっと掠っただけだから。それよりも、問題なのは今の一撃で結界に穴が空けられたってことだよ」
 そう言ってミリィが指差した先を見てみれば、なるほど、ほんの小さなものではあるけれど、確かにそこには穴が開いている。
 その事実が示すのは、敵に結界を貫通出来る威力の攻撃手段があるということだ。正直、これはまずい。
 時間を掛ければ集中照射で結界を完全破壊されかねないし、そうでなくても先のミリィのようにマドハンドに捕まったところを狙われれば避けるのも難しくなるからだ。
「ハンターフライに毒はないけど、この数にギラの一斉掃射でもされたらさすがに持たないかも」
「相手の魔法を封じる呪文とかはないの?」
「あるけど、完全じゃないから何処まで効くかは未知数だよ」
 そう言いながらも呪文の詠唱に入るミリィに、わたしも近づいてくるマドハンドを閃光の矢で牽制しつつイフリータへと魂の繋がりを通して指示を送る。
 もう一度ファイアファランクスを使えれば楽なのだけど、絶えずこの世界の精霊から干渉を受けている今の彼女にそれをさせるのは酷というものだろう。
 案の定、イフリータは首を横に振ると、代わりに閃光の矢に炎を纏わせてハンターフライの迎撃に加わった。
 こちらの魔力残量も心許ないし、ここは出来るだけ素早く各個撃破していくしかないか。そう結論し、わたしが再び魔法を発動させようとした時だった。
 不意にそれまで遠巻きに様子を伺っていたハンターフライたちの動きが鈍くなり、そのうちの何匹かが地面に落ちた。
「これは、ラリホー」
 ミリィが驚いたように声を上げ、その拍子に詠唱途中だった魔封じの呪文を破棄してしまう。
 魔力の高まりを感じてそちらに視線を向けると、そこにはわたしに付いてきたあのアルミラージが身体を光らせながらこちらを見ていた。
 なるほど、これがミリィの言っていた催眠の魔法なのね。あの子が手を貸してくれたんだわ。
「ミリィ、今のうちに一気に片付けるわ。風の霊‐シルフィード‐。真空と成りて、大気に満ちよ!」
「うん。炎の霊よ、閃光と成りて敵を焼き尽くせ。ベギラマ!」
 わたしの放った真空波が眠りに落ちたハンターフライたちを切り裂き、それに慌てて仲間を呼び集め出したマドハンドをミリィの閃光呪文が薙ぎ払う。
 倒されたマドハンドは土に還り、後には最初に倒したポイズンテイルと巨大熊、ハンターフライの死体だけが残された。
 ポイズンテイルやハンターフライの死骸にはすぐに何処からか巨大な蟻のモンスターが群がってきて、数匹掛かりで何処かへ運んで行ってしまったけれど、熊のほうは、さて、どうしようか。
 わたしが頭の無くなった巨大熊を見て考えていると、ミリィがその死体に近づいて何やらごそごそとし出した。
 近づいてみると、何と彼女は熊の死体から毛皮を剥ぎ取っていた。
「大型の肉食獣の毛皮は結構良い値段で売れるからね。後、肉は昼ご飯のおかずにしようよ」
 驚くわたしにそう言うと、ミリィはダガー一本で手際良く熊の巨体を解体していった。いや、森の中で生活していれば、仕留めた獲物をその場で処理することなんて珍しくもないのだろうか。
 何にしても、この場でわたしに手伝えることはなさそうだった。知識はあっても、それを活かせるだけの経験が現世のわたしにはまだなかったからだ。
 うちは猟師じゃなかったし、幾ら家の食事を担っていたとはいえ、現代日本で普通に生活していて捌く機会があるのは魚くらいのものだろう。
 無論、だからといって、何もしないわけじゃない。
 働かざるもの食うべからずと言うし、今のうちに土塊に戻ったマドハンドから魔力の発生源を辿っておけば、次は奇襲されることもないだろう。
 その後はミリィと二人できれいに解体された熊肉と毛皮を運び込み、警戒も兼ねて外で昼食を摂ることとなった。メニューはその熊肉と新鮮な野菜を使ってのバーベキューだ。
 結界の修繕にはそれなりに時間が掛かるらしく、機材も必要になるとのことなので、二人で相談して先に食事と休憩をしてからじっくりと掛かることにしたのだ。
 ちなみに、昼食ではアルちゃん、わたしに懐いているアルミラージもしっかり熊肉を食べていた。
 ウサギは雑食だから別段不思議でもないのだけれど、あまり食べさせると凶暴になるらしいから、今後は控えさせたほうが良いかもしれないわね。

 石材の上に置かれた金網の隙間から脂が滴り落ち、その下で燃える焚き火を小さく爆ぜさせる。
 辺りには白い煙と共に肉の焼ける芳ばしい匂いが立ち込め、戦闘で消耗したわたしたちの食欲を絶えず刺激し続けていた。
 火加減を調節しているのはリータちゃんこと、炎属性担当のわたしの分霊イフリータ。
 先の戦闘で頑張ってくれたお礼も兼ねて一緒にお昼を食べようと呼び出したところ、彼女のほうから手伝いを申し出てくれたのだ。
 ただ、魔力消費を抑えるために1/6スケールで顕現させたため、その作業は本人が思っていたよりも聊か大変なものになってしまっているようだった。
 小さな身体で必死に釜戸の周りを飛び回りながら火力調節をしているリータちゃんの姿はとても微笑ましいのだけど、これは追加でご褒美をあげないといけないかしら。
 キッチンのほうでは同じく1/6スケールで呼び出したディーネちゃんこと、水の精霊ウンディーネとシルフちゃんこと、風の精霊シルフィードの二人が協力して食材の下拵えをしてくれている。
 この二人、同時に生み出したからか双子の姉妹のように仲が良く、呼び出している時は大抵一緒だ。属性的にも相性がよく、協力してよくわたしの要求に応えてくれる。
 そして、最後の一人、ノームお姉さんこと、大地の精霊ノームは、ミリィについて魔除けの効果を持つ聖水を撒きにいっていた。
 お姉さんの呼称から分かるように、彼女は分霊たちの纏め役だ。性格的にも穏やかで気配り上手。
 今も一人だけ呼ばないのはどうかと思って召喚したら、逆にこちらの負担になるのではないかと心配されてしまった。
 こうして召喚してみて気づいたけれど、わたしはまだ本当の意味で独りになったわけじゃなかったのだ。そう、この子たちがいる。
 少し気が短くて熱くなりやすいリータちゃんに、クールぶっているけれどおっちょこちょいなところのあるディーネちゃん。
 属性的にも反発しやすい二人の間で右往左往するシルフちゃんもそれ以外の時には風の子らしく天真爛漫だ。
 そんな三人の様子を、わたしはノームお姉さんと一緒に姉のような、あるいは母のような気持ちで見守っている。
 兄や義姉たちに会えないのは寂しいし、ミリィとの時間も心地よくあるけれど、それと同じくらい、彼女たちもわたしにとっては大切なのだ。
「嬉しそうだね」
 手を滑らせて野菜をぶちまけたディーネちゃんにリータちゃんが文句を言っているのを微笑ましく眺めていると、聖水を撒き終えて戻ってきたらしいミリィがわたしに話し掛けてきた。
「ひょっとして、嫉妬してくれてるの?」
「ううん。ただ、あたしにもあんな子たちがいてくれたらなって」
 そう言って、彼女たちを見るミリィの表情には強い羨望の色が浮かんでいた。
 仲裁に入ったシルフちゃんも含めてキャイキャイと騒いでいる三人の間には、確かに絆と呼べるものがあるのを見て取れる。
 それは、わたしやノームお姉さんとの間にも言えることで、ずっと独りだったというミリィにはそれが羨ましくて堪らないのだろう。
「ミリィにはわたしがいるわ。それに、あの子たちとだって、きっとすぐに仲良くなれる」
 寂しげに笑う彼女の肩を抱き寄せながら、そっと耳元に囁く。暗い顔なんて、ミリィには似合わないもの。
 だからって、ずっと笑顔でいろなんて無茶を言うつもりもない。ただ、彼女を笑顔にするのがわたしで、その笑顔を守るのもわたしというだけのことだ。
「うん。ありがと……」
 わたしの肩に頭を預けながら、そう言って微笑むミリィの顔は少し赤い。きっと、まるで恋人同士のようなこのやり取りに気恥ずかしさを感じているのだろう。
 自分でも我ながら気障な真似をしたものだと思うし、そう思うと途端に身体が熱くなるのを感じて、わたしはなるべく自然な動作を心掛けながら彼女から離れる。
 いや、離れようとしたのだけど……。
「えへへ、せっかくだからもう少しだけこのままで」
 気づけば、ミリィがわたしの腰に両腕を回して抱きついていた。
 しかも、感触を味わうかのように全身で摺り寄ってくるものだから、離れるに離れられなかったのだ。
 その後、気づいて寄ってきた分霊たちにいろいろ言われたりしたけれど、まあ、偶にはそんなのも良いということにしておこう、うん。

   * * * 続く * * *



  〜〜〜 オリジナルモンスター紹介 〜〜〜
 ・名称:ポイズンテイル
 ・LV:38
 ・HP:128
 ・MP:  0
 ・攻撃:118
 ・守備: 78
 ・敏捷:68
 ・使用特技:連続攻撃・猛毒攻撃・仲間を呼ぶ
 ・解説 : サソリ蜂系最強のモンスター。ハンターフライの上位種に当たり、長い尾の先に生えた鋭い針にはドラゴンでさえも数分で死に至らせる程の猛毒を備えている。
 ただし、昆虫系の例に漏れず炎に弱く、更にヒャド系等で低温に曝されると途端に動きが鈍くなる。遭遇した場合は近づかせず、遠距離から魔法で倒すようにしたい。

  〜〜〜 オリジナル呪文解説 〜〜〜
 ・名称:閃光の矢‐スプラッシュアロー‐
 ・消費MP:2〜15
 ・属性:無属性・物理
 ・主な使用者:ユリエル
 ・解説 : 使用者の魔力で精製した矢を目標に向けて撃ち出す物理系統の無属性攻撃呪文。
 ユリエルの世界でも最も初歩的な魔法の一つで、威力は込める魔力によって左右される。構成が単純故に拡張性が高く、術者の技量次第で様々な属性や効果を賦与することも出来る。

  〜〜〜 オリジナル設定解説 〜〜〜
 ・ユリエルの分霊たち
 今回登場したイフリータ、シルフィード、ウンディーネ、ノームの四人は、ユリエルが彼女自身の魂の一部を用いて生み出した使い魔のような存在である。
 名前から分かるように四代精霊をモチーフとしており、それぞれの属性の魔法を専門に運用する役目を持つ。
 また、ユリエル本人が行う精霊魔法行使に於いては、大気中に満ちる本物の精霊への取り次ぎを担うが、アレフガルドの精霊にとっては主人共々異物なためか上手くいっていない模様。
 各自の詳細については、おいおい説明していくこととする。
  〜〜〜 * * * 〜〜〜

 リメイク版第5章、いかがでしたでしょうか。
 作者です。
 初めての大きな変更です。ドラクエ世界にも四代精霊は存在しますし、省エネモードの1/6スケールも妖精のいる世界なのでさほど違和感はないかと思うのですが。



突然のモンスター襲撃だったけれど、何とかなったみたいだな。
美姫 「加えて分霊というものも出てきたわね」
彼女たちにも今後の出番があるのだろうか。
美姫 「その辺りも期待しつつ、次回も待っていますね」
ではでは。



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