――ラダトーム王国北西の森
   ミリィの家 1F リビング――
  * * * side ウンディーネ * * *

「――暇ですわ……」
 思わず漏らしたわたくしのその呟きに、ソファの上で毛繕いをしていたうさぎの魔物が顔を上げた。
 確かアルミラージといいましたか。ユリエル様たちはアルと呼んでいましたわね。
 そのアルさんが小首を傾げながらつぶらな瞳でわたくしのことを見てきています。もしかして、サボタージュしているとでも思われたのでしょうか。
 わたくしとしては既に割り振られた場所の探索も終わり、今はノーム姉様と二人で警戒待機の最中なのですけれど、少々手持ち無沙汰なものでして、そのことについてつい愚痴をこぼしてしまったに過ぎませんのに。
 暇といえば、この子もそうなのでしょうか。うさぎは寂しいと死んでしまうと言われるくらいですし、構ってもらいたいのかもしれませんわね。
「いえ、何でもありませんのよ。どうぞ、お続けになってくださいな」
 今はわたくしのほうが小さい手を伸ばして顎の辺りを撫でてやると、アルさんは気持ち良さそうに目を細めて一鳴き。それから毛繕いを再開しました。
 魔法を使える程の知能があるのです。おそらくはこちらの言葉もある程度理解しているのでしょう。
 それにしても、本当に愛らしいですわ。毛並みも美しいですし、人を怖がらないところを見るに、誰かに飼われていたのかもしれませんわ。
 ユリエル様は別れが辛くなるからと動物を飼われませんけれど、こんなに愛らしいのであれば、……いえ、だからこそですわね。
 ――お別れする悲しさも、それを何時か忘れてしまう寂しさも避け得ないものなら、なるべく感じずに済めば良い。そう思っても、我慢出来なくなっちゃうのは、きっと、わたしが弱いからね……。
 いつか、自嘲するような笑みを浮かべてそう仰られたユリエル様は、一体どれ程の出会いと別れを繰り返してこられたのでしょうか。
 魂を重ねていても悟り得ない主の内心に、不意に疎外感のようなものを感じて溜息が漏れる。もっとお傍に、そう願うのは従者の身では過ぎた望みなのでしょうか。

  * * * side out * * *

  堕天使ユリエルの異世界奮闘記
  第7章 強襲、カースナイト

「ミリィ、避けなさい!」
 わたしがそう警告を発したのと、気づいたミリィが横に転がったのはほぼ同時のこと。
 それに一瞬遅れて、リータちゃんの放ったファイアボルトの魔法によって僅かに軌道を逸らされた戦斧が床を叩いた。
 だが、振り下ろされた重量武器が石材を粉砕することはなく、代わりに魔力場同士が接触した時特有の燐光が辺りに飛び散る。
 跳ねるように身を起こしたミリィに追撃を浴びせるべく、弾かれた戦斧を引き戻す襲撃者。
 その動作からは生物的な躍動感はおろか、物体が移動する際の大気の乱れすら感じられず、その事実からわたしはこの敵をゴースト系のアンデットだと判断した。
「こいつ、怨念の集合体だわ」
「うん。それも、こっちに攻撃する時だけ実体化するタイプの奴。だから、タイミングを合わせないと打撃は全部すり抜けちゃうよ!」
 嫌そうに顔を顰めるリータちゃんに、ようやく踊る宝石の袋から抜け出したシルフちゃんが追随する。怨念なんてものには大抵ろくでもないエピソードが付いて回るから、わたしも出来ることなら相手をしたくはないものだ。
「それでも、あたしの武器なら少しはダメージを与えられるはずだよ。ユリエル、援護して。あ、でも、なるべく物は壊さないでね」
 ミスリル銀の淡い輝きを放つダガーを手に、今度は横薙ぎに振るわれた戦斧を掻い潜って敵の懐へと飛び込むミリィ。まったく、無茶な注文をつけてくれるわ。
「はぁっ!」
 気合一閃、鎧の右足の膝から下を切り飛ばし、ミリィはそのまま反対側へと駆け抜ける。
 堪らず傾いだ鎧の足元を目掛けてわたしとリータちゃんの放った魔力の矢が降り注ぎ、シルフちゃんの巻き起こした突風と合わせて彼女を追撃しようと振り返りかけた敵の動きをその場に拘束する。
 その隙を逃さずターンし、今度は左の足を狙ってダガーを振り抜くミリィ。だけど、相手もそう何度も食らってはくれないようで、鎧は自分から足を分離すると、ゴーストらしく宙に浮き上がって彼女の攻撃を避けて見せた。
「……ちっ、さすがにそう簡単にはいかないか」
「来るわ!」
攻撃を避けられたことに舌打ちするミリィへと短く注意し、わたしは彼女を庇うべく前に出る。直後、再び横薙ぎに振るわれた戦斧の軌跡を追うように放たれた衝撃波が、わたしの展開した魔力障壁を打ち据えた。
「くっ……、思った以上に重い……」
 衝撃を受け止めたまま障壁、ヲールから盾、シールドへと移行して受け流す。面積を減らした分だけ厚みの増したシールドは格段に強度を増したけれど、それでも片手で支えるには少々厳しかった。
「ミリィ、行きなさい!」
 攻撃を放った直後の硬直を逃すわけにはいかない。わたしは苦痛に表情を歪めながらもミリィに攻撃を指示し、彼女もそれに頷くと再び駆け出す。
 姿勢は限りなく低く、右の大振りな一撃を囮に、左手は本命を放つべく懐へと偲ばせる。人間とは思えない程の瞬発力に、彼我の距離は一瞬にして詰められた。
 だけど、ミリィの攻撃が届くより僅かに速く、鎧のアンデットは戦斧を腰溜めになるよう引き寄せると、それを手の中で回転させながら鋭い突きを放ってきた。戦斧の先端から放たれた衝撃波が螺旋を描きながら直進し、先の一撃の上からシールドごとわたしを突き飛ばす。
「ユリエルっ!?」
「ダメ、戦闘に集中しなさい!」
「えっ、きゃぁっ!?」
 攻撃を受けて弾き飛ばされたわたしに気を取られ、ミリィの注意が敵から反れる。その僅かな隙を逃すまいと、いつの間にか再生されていた鎧の足が彼女の華奢な身体を蹴り上げた。
「マスター、ミリィさん!?」
「この、風よ、切り刻んじゃえ! 逆鱗真空‐ウインドブレス‐!」
 壁に叩きつけられたミリィは意識を失ったらしく、そのままぴくりとも動かない。防御よりも回避に重点を置いている彼女のこと、今の一撃は相当堪えているはずだ。
 それを見て顔を蒼くするリータちゃんをミリィの下に行かせ、わたしはシルフちゃんを見る。一瞬にして昂ぶった感情と、それに引きずられるようにごっそりと魔力を持っていかれる。
 ――風竜の息吹。逆鱗真空‐ウインドブレス‐。わたしの使うことの出来る精霊魔法の中でも上位に君臨する風属性最強の攻撃呪文だ。
「あ、バカ、そんな大技使ったら……」
 風がうねり、幾つもの極小の竜巻が生まれては鎧へと殺到して行く様を目の当たりにして、ミリィの安否を確認しようとしていたリータちゃんが悲鳴を上げた。
 屋内で使う魔法じゃない。それに、これは今のシルフちゃんの1/6の身体で制御出来る限界を大きく超えてしまっている。
 吹き荒れる圧倒的な暴力に魔力抵抗を高められているはずの地下室が軋み、天井からパラパラと小さな破片が降ってきていた。
「……はぁ、はぁ、はぁ、……や、やったの……」
 暴風が収まり、激しく肩で息をしながら地下室の床へと降り立つシルフちゃん。既に飛んでいられるだけの余裕もないのか、震える足でどうにか立っているという様子だ。
 それはウインドブレスの発動と制御に魔力を持っていかれたわたしも同じで、壁に手を着いて支えていなければへたり込んでしまいそうだった。まったく、とんでもない無茶をしてくれたものね。
 とりあえず、おしおきをどうするかは後で考えるとして、今は目の前の敵に集中しなければ……。
「……っ!?」
 驚愕が表情に出るよりも先にシルフちゃんの顕現を解除させ、同時にミリィの前へと転移してもう一度障壁を展開する。
 直後、立ち昇る粉塵を突き破って植物の蔓のような黒い何かが連続して障壁を叩き、魔力場の干渉光を辺りに撒き散らした。
 先の衝撃波のような重さこそないものの、こうも暴れられては押さえつけるのにも一苦労だ。だからって、通すわけにもいかない。後ろにはミリィがいるのだから。
「このぉっ!」
 壁を盾に圧縮、気合を込めてそのまま押し出すと、わたしは魔力の盾を内側から爆発させた。
 所謂バリアバーストと呼ばれる、防御から攻撃に転じる魔力運用技術の一つ。呪文を唱え、奇跡を起こすだけが魔法じゃないのだ。
 衝撃で吹き飛ぶ何か。粉塵が晴れ、明らかになったそれは黒い蔓の塊だった。
「……ウインドブレスを受けて鎧の形態を保っていられなくなったようね」
「マスター、ミリィさんは大丈夫。気絶してるだけで、命に別状はないわ」
「そう。でも、出来るなら早く終わらせて、ちゃんとベッドで寝かせてあげたいわ」
 痛みにもがくようにのた打ち回る黒い塊を見据えてそう漏らすわたしの耳に、リータちゃんからの報告が届く。わたしはそれに頷くと、最後の一撃を放つべく魔力を練り上げる。
 ミリィから渡されてからずっと左手に握ったままだった吸血剣ドラキュリーナを支えに立ち、呼吸で外気から取り込んだ自然魔力と血流に乗って循環させている内在魔力を混ぜ合わせる。
 生体が気で行っている生理的合成を意識して魔力でも行うことで、瞬間的に自己の自然回復量を大きく超えて魔力を生み出すオーバーブースト。身体への負担が大きく、多用出来るものではないけれど、現状を打破するには躊躇ってなどいられなかった。
 ――詠唱はこっちでするわ。だから、マスターは魔力の制御に集中して。
 魂の繋がり、ソウルリンクを介して届けられたリータちゃんの声に頷き、わたしは自分の中で練り上げた魔力を圧縮、精錬し、これから発動させる魔法に最適の形へと持っていく。
「炎は光に、迷えるものには一筋の光明を。今、我と我が主の御名に於いて、汝が囚われし闇を祓わん。聖地への道標、シグナルサンクシアル……」
 リータちゃんの声で小さくも厳かに告げられる祝詞。高まる魔力と聖波動に、脅威を感じたらしい黒い塊がこちらに向かって再度身体を伸ばすがもう遅い。
 術の完成と共に、わたしは支えにしていた剣の柄から右手を離して振り上げると、こちらに突っ込んでくる黒い塊に向けて振り下ろした。
 救済を意味する詠唱とは裏腹に、そこには一片の容赦も慈悲もなく、後にはただ、災害に見舞われたような惨状を曝す地下室だけが残されていた。
「……先に行くわよ」
 敵の消滅を確認して振り返ったわたしに、リータちゃんは臨戦態勢のままそう言って地下室を飛び出していった。
 そう、まだ終わりじゃない。こちらの戦いが始まったすぐ後くらいから地上で警戒待機させていたノームお姉さんとディーネちゃんに流れる魔力の量が戦闘レベルにまで増えていたのだ。
 あの二人に限って、一応は静養中の身であるわたしを省みないなんてあり得ないから、必要に迫られるような何かがあったのだろう。そして、それは今も続いている。
 供給魔力量が平常値に戻りつつあることから既に事態は終息に向かっていると思われるけれど、相手は本気の分霊二人を足止めしていたのだ。
 ソウルリンクで状態を確認出来るとはいえ、ちゃんとこの目で無事な姿を見たかったわたしは、気を失ったままのミリィを抱きかかえると、足早に地下室を後にするのだった。

「……ん……」
 小さな呻き声と共に、閉じられていたミリィの目が開く。ぼやけていた焦点がこちらに合わせられたのを感じて、わたしは知らず止めていた呼吸を再開した。
「よかった。目が覚めたのね」
「ユリエル……。あ、あたし、あいつにやられて……」
「大丈夫。敵は倒したし、ミリィもわたしも怪我はちゃんと痕が残らないように治療したから」
 慌てて起き上がろうとするミリィをやんわりと押し留めながら、まずは安心してもらうためにそれだけ伝える。ベッドに押し戻されたミリィは急に動いたのがいけなかったらしく、腹部を押さえて痛みに表情を顰めている。
 まったく、目覚めてすぐに状況把握に努めようとするのは、有事の際の対応としてはとても正しいのだけど、気絶するような攻撃を受けたのだし、少しは自分の身体も省みてほしかった。
 そこに生殖器官があるからか、女性の腹部への打撃は受けた者に本能的な恐怖を呼び起こす。一撃で意識を刈り取るような衝撃を受けて無事だったとはいえ、彼女も列記とした女の子なのだ。
「ごめん、あたしが余所見したばっかりに、ユリエルや分霊の皆にも無理をさせちゃったんだよね」
 横になったミリィは改めて気を失った際の状況を思い出したのか、申し訳なさそうな顔をして謝ってきた。
「まあ、戦闘中に余所見をするなんて言語道断と言いたいところだけど、あの程度の攻撃を捌ききれなかったわたしも不甲斐ないわけだし、今回はお相子ってことにしましょう」
「そんな、ユリエルはまだ全然本調子じゃなかったわけだし。それなのに、あたしの治療にまで魔法使わせちゃって……」
 何かに怯えるように涙に潤んだ瞳で、それでも視線を逸らさないのは自分に否があることを事実として受け止めているからだろうか。まったく、こんな表情をさせたくて頑張ったわけじゃないのに。
「わたしは、ミリィが無事ならそれで良いの。もちろん、笑顔でいてくれるにこしたことはないし、わたしのために泣いてくれるならそれはそれで嬉しいのだけど」
 悔しさに噛み締められた少女の唇にそっと人差し指を添えて、わたしはただ心にあるがままを言の葉に乗せる。彼女の表情から力が抜け、吐息するように開かれたその唇に素早くキスを落とす。
「自分から率先して痛い思いをしたいわけじゃないから、次にわたしが危なくなったらミリィが守って」
 早口にそう捲くし立てると、わたしはミリィに背を向けて横になった。赤くなった顔を見られるのは恥ずかしかったし、体力的にもそろそろ限界だったのだ。
「……ユリエル、ありがと……」
 意識が眠りに落ちる直前、ミリィのそんな声が聞こえたような気がした。

  * * * 続く * * *



  〜〜〜 オリジナルモンスター紹介 〜〜〜
 ・名称:カースナイト
 ・LV:43
 ・HP:650
 ・MP:  0
 ・攻撃:158
 ・守備:135
 ・敏捷:91
 ・使用特技:薙ぎ払い・螺旋衝・自己再生(一定感覚でHPの10パーセントを回復)
 ・解説 : 怨念の集合体。見た目はさまよう鎧のような全身鎧だが、実体を持たず、攻撃する時のみ存在の密度を高めることで実体化する。
  強力な打撃系特技を二つ持ち、僅かだが自己再生能力もあるため、積極的に攻めていかなければ倒し切ることは難しいだろう。
  また、ある程度弱らせると、植物の蔓が絡まったような黒い塊に変化し、無差別に暴れ出すため、被害を抑えたければ変化後は一気に仕留めよう。

  〜〜〜 オリジナル呪文解説 〜〜〜
 ・名称:逆鱗真空‐ウインドブレス‐
 ・消費MP:20
 ・属性:風・精神(精神集中の阻害、魔力結合の破壊/悪魔・アンデット系にダメージ)
 ・主な使用者:ユリエル・シルフィード
 ・解説 : 魔力で生成した極小の竜巻を対象にぶつける風属性最上級攻撃呪文。別名、風竜の息吹。
  生成する竜巻の数によっては広範囲を攻撃可能で、術者の制御次第でその破壊力を一点集中させることも可能な極めて強力な魔法。威力はバギマ二発分からバギクロス程度。
  強力な分制御が難しく、魔力の消費も多いため、1/6スケールのシルフィードでは小さな竜巻を二つ制御するのが精一杯である。

  〜〜〜 オリジナル特技解説 〜〜〜
 ・名称:バリアバースト
 ・消費MP:使用中の障壁の消費MPの10パーセント
 ・属性:物理・拡散(扇状に衝撃波が広がる)
 ・主な使用者:ユリエル・他
 ・解説 : 展開中の魔法障壁に魔力を送り込み、外側に向けて爆散させる技術。
  相手にダメージを与えるだけでなく、距離を稼いだり目くらましにしたりとその応用範囲は広い。特にアレフガルドでは同系の魔法が存在しないため、奇襲性も高く大変危険である。
  〜〜〜 * * * * * 〜〜〜

 今回は初の強敵との戦闘ということで、苦戦する様子を演出しようとしてみたのですが、いかがだったでしょうか。
 作者です。
 前回に続いて新規書き下ろしとなりました今回。相手は中ボス的な何かのつもりですが、応酬が少ないせいか、イマイチ締まらない感じです。
 三次元的な描写の不足は、作者が盲目のため、リアリティを出すに足るだけの情報を得られていないせいもあるかと思います。おかしなところがあれば、ご指摘いただけると助かります。
 では、また次回で。ここまでお読みいただき、ありがとうございました。



いきなりの強敵出現にミリィは倒れたけれど。
美姫 「どうにか倒す事が出来たみたいね」
精霊も小さいながらに頑張ったし、思ったよりも力があったな。
美姫 「今回は出番のなかった子たちの力も楽しみね」
うんうん。次回はどんな話になるのかな。
美姫 「次回も待っていますね」
ではでは。



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