――ラダトーム王国西部 港町ガイリア
   冒険者協会ラダトーム支部・ルイーダの店ガイリア支店1F 食堂兼酒場――
  * * * side アル * * *

 等間隔に配置された木製の丸テーブルの間を、同じ格好をした少女たちがトレイを手に忙しく動き回っている。
 出来上がった料理を厨房から客の下に運ぶものがいれば、メニュー表を置いて他のテーブルに注文を取りにいくもの、客の去った後のテーブルを片付けるものと様々だが、その動きは何れも流麗で淀みがない。
 中には不慣れなのか、他の少女やテーブルにぶつかりそうになって周囲に頭を下げているものもいないではなかったけれど、それもご愛嬌ということなのか、客から文句が出ることもなかった。
 ここは冒険者協会が経営する冒険者のための施設の一つ、名をルイーダの店という。
 ここでは協会が登録している冒険者にクエストと呼ばれる仕事を斡旋したり、逆にクエストを登録して冒険者に仕事をしてもらったりすることが出来るそうだ。
 また、冒険者が情報や仲間を自然な形で集められるよう、一階は食堂兼酒場となっている。
 そんなルイーダの店の一角、わたしとリータ、ミリィにユリエルの四人は少し早めの夕食を摂っていた。
 協会支部も兼ねているこの店では受験願書の受付もしているらしく、ユリエルの手続きを済ませるついでにここで食べていこうということになったのだ。
 酒場を兼ねているとはいえ、そこは多くの冒険者が集う場所。協会経営の店ということもあり、わざわざ率先して騒ぎを起こすバカもいないのだろう。
 おかげでそれなりの喧騒の中にあっても、落ち着いて食事を摂ることが出来ている。久しぶりに訪れた人間の町に、少々疲れを感じていたわたしにとってはありがたいことだ。
 港町ならではの新鮮な海の幸に、近くの森で採れた山菜や果物。森で猟をしたものもこちらに肉を下ろすらしく、食材の多くが良好な鮮度を保ったまま安価で手に入るそうだ。
 それらをふんだんに使った料理の数々はどれも美味でありながら値段も安く、収入の安定しない冒険者の懐に優しい店と言えた。
 だからだろう。まだ少し早い時間であるにも関わらず、たくさんあるテーブルのほぼすべてが満席になっている。そのほとんどが軽装だが武具を携えた冒険者だ。
 彼らの会話に耳を傾けていると、達成したクエストの内容や出向いた土地の情勢等について聞くことが出来た。これもわたしが本日彼女たちに同行した目的。
 ユリエルを始めとする彼女たちの人と成りを知るには今しばらくの時間が必要ではあるが、その間に情勢が悪化するようなことがあればそうも言っていられなくなる。
 シビアな判断を要求される以上、そのために必要な情報は少しでも多く得ておきたかったのだ。
 幸いと言えるのかどうかも定かではないけれど、話を聞く限りでは魔物にも人にも今のところ大きな動きはないという。
 強いて挙げるとすれば、冬支度をする魔物の動きが活発になってきているくらいだが、これも例年のことではあった。
 あれだけの大攻勢の後だ。奴らもすぐには動けないのだろう。
 安心など出来ないが、今出来ることもそう多くはない。後はここの掲示板に仲間へのサインを残しておくくらいだろうか。

  * * * side out * * *

  堕天使ユリエルの異世界奮闘記
  第13章 ルイーダの店

 注文した料理が届くまでの間を利用して、提出する願書に必要な書類の記入を済ませてしまうことにする。
 ここで役に立つのが自動書記の魔法だ。
 データベースにある文字体系の中から必要なものを選択し、書きたい内容を思い浮かべる。すると、魔法を掛けたペンがこちらの指定した場所に選択した文字体系でその通りの記述をしてくれる。
 自動翻訳とワープロを兼ね備えたような魔法だと言えば分かりやすいだろうか。
 実際にはまだ公用語の整備が十分ではなかった時代に用いられていた翻訳魔法に、巫女が神託を受ける際に用いる自動書記を組み合わせて利便性を高めたものだ。
 統合編集が完了した術式はさほど難しいものではなく、書類作成の手間を大きく省けるということで、事務系の職場を中心に爆発的に広まることとなった。
 そうなることを予想して早々に特許を取得していたわたしが纏まった額のお金を手にしたのは言うまでも無いことである。
 ――閑話休題……。
 最後の項目に記入し終えたのを確かめると、わたしは偽装のついでに文字の書き順を覚えるつもりで握っていたペンから手を離す。
 こちらの世界に同系の魔法かマジックアイテムがなかった場合、勝手に動いて字を書くペンというのは普通に超常現象だ。
 冒険者協会という組織の経営する店で騒ぎを起こすわけにもいかないし、そこまで行かなくても多くの視線を集めてしまうのは避けられないだろう。
 わたしやアルちゃんのことを考えるとそういうのは拙いし、下手を打ってミリィの協会内での立場が悪くなりでもすれば目も当てられない。そういうわけで、偽装である。
 ――尤も、近くで見ていて気づいたらしいミリィが別段何も言ってこないのを見ると、杞憂だったのかもしれないけれど……。
 書き終えた書類を提出用の封筒に納め、丁度運ばれてきた料理に手を付けながら、ミリィたちとの会話に花を咲かせる。
 店内には流行歌なのだろう音楽が流れ、人々の話し声や食器の触れ合う音と共に独特の喧騒を作り出している。
 前世も含めれば数十年ぶりになるだろうか。料理に合わせて頼んだ果実酒の注がれたグラスを傾けながらふと思う。
 付き合いもあって、いつの間にか嗜むようになっていたお酒も、今生ではまだノンアルコールのシャンパンくらいしか口にしたことがなかった。
 年齢的な問題もあったけれど、何より当時は目まぐるしく変化する状況に対応するのに精一杯で、とてもそんな余裕などなかったのだ。
「ユリエル、どうかしたの?」
 気づけば食事の手を止めてしまっていたわたしに、ミリィが心配そうにそう尋ねる。
「何でもないわ。ただ、久しぶりに出歩いたものだから、少し疲れただけ」
 軽く頭を振って意識を切り替えると、わたしはそう言って手元のグラスに口を付ける。
 あからさまだけど、全くの嘘というわけでもなかった。特にデパートでの着せ替えで。
 リータちゃんはさすがにわたしの心情を察したらしく、複雑そうな表情をしていたけれど……。
「そっか。ごめん、あたしも誰かと出掛けるなんてしばらくなかったから」
「はしゃぎすぎちゃった?」
「うん。これからの生活とか、考えながらいろいろ見てたら楽しくて」
 えへへ、と照れたように笑うミリィに、わたしも思わず口元を緩めた。
「わたしもよ。服屋で着せ替え人形にされたのは、さすがに恥ずかしかったけれど」
 そう言って横目で首謀者を見ると、リータちゃんは目を逸らしながら渇いた笑みを浮かべていた。反省はしていても、後悔はしていないのだろう。
 そして、機会があれば、彼女は必ずまた仕掛けてくる。最早一種の発作のようなその趣味に、わたしは何度羞恥心が振り切れそうになったことか。
 嘆息してグラスの中身をまた一口。
 家族の楽しみを奪うつもりはないけれど、一度くらいは立場を逆転させてやりたいとは思う。リータちゃんだって、そこらのモデルよりはずっと美人で可愛いのだから。
 わたしから向けられる視線に不穏なものを感じてか、自分の身体を抱きしめるようにしてこちらを見てくるリータちゃん。
「ま、まあ、結果的に良いものが買えたんだし」
「じゃあ、次はわたしがミリィの服を選んであげるわ。今日のお礼も兼ねて、じっくりとね」
「あ、あう……」
 自分も一緒になって楽しんでいたミリィがとっさにリータちゃんを庇おうとするけれど、それこそわたしの思う壺だった。
 即座に標的を本命に切り替え、勢いでそのまま約束を取り付けてしまう。
 そんなことをしなくてもミリィは普通に付き合ってくれるだろうけど、せっかくお酒が入っているのだし、こういうおふざけも偶には良いだろう。
 そう思えるくらいには、今のわたしは落ち着いていられている。戦争をして、ただ駆け抜けるしかなかった頃には望むべくもなかったことだ。
 着けるべき決着もまだの身では束の間の休息かもしれないけれど、それでもこうして誰かと笑い合っていられることが嬉しかった。
「はぁ、今度はあたしがユリエルに弄ばれる番か。でも、それってよく考えたらいつものことだよね」
「あなたが可愛い声で啼いてくれるからよ。おかげで新しい世界が開けそうだわ」
「それはこっちのセリフ。あたし、自分はタチだとばかり思ってたのに」
 意地悪っぽく目を細めて笑うわたしに、ミリィは半ば諦めたように大きく溜息を漏らす。活動的な印象を受ける彼女もベッドの上では可愛いネコになるのだ。
 そのことを知っているのはわたしだけ……でもないけれど、そんな彼女を可愛がれるのは少なくとも今はわたしだけのはず。これぞ恋人であることの特権だ。
 彼女も口では嘆いているようなことを言っているけれど、内心はまんざらでもないのだろう。その証拠に、潤んだ瞳の奥には期待しているような色が見える。
「ほら、落ち込んでいないで飲みましょう。お酒も料理もこんなに美味しいんだから、味わわないと損よ」
 向けられる視線に込められた熱にあえて気づかないふりをして、わたしは空になったミリィのグラスに果実酒を注ぐ。ちなみに、既に三杯目だ。
 カクテル等を飲んだことがある人なら分かるだろうけど、この手のお酒は甘くてとても飲みやすい。反面、アルコール度数は結構高めだったり。
 要するに、気をつけていないと飲みすぎてしまうのだ。久しぶりのお酒に気分をよくしたわたしは、そのことをすっかり失念してしまっていた。
「はぁ……」
 じんわりと身体に広がるアルコールに、自然と漏れ出た吐息も熱っぽいものになる。果実酒特有のすっきりとした喉越しも手伝って、わたしたちはすぐに一本空けてしまったのだった。
「ちょっと、二人とも飲みすぎよ。特にマスターはその身体で飲むのは初めてなんだから、少しは控えないと」
「大丈夫よ。いざとなればリフレシュアミストで全部浄化しちゃえば良いんだし、久しぶりなんだから大目に見なさい」
 顔を顰めながら注意してくるリータちゃんをそう言って宥め、わたしが新しいお酒を注文しようとしたその時だった。
「止めてください!」
 突然上がった悲鳴に、それまでとは違うざわめきが店内に広がる。何事かと声のしたほうを見てみれば、わたしたちと同年代と思しき少女が数人の男たちに絡まれていた。
 こういう場所では珍しくもないナンパだ。それだけに、誰も助けに入ろうとはしないし、そんな必要もないと考えているのだろう。何せ、ここは協会の支部でもあるのだ。
 だが、ナンパされている当の少女はそんなことも知らないのか、必死になって視線で周囲に助けを求めている。
 きっと、酒場という場所に来ること自体、今日が初めてなのだろう。如何にも育ちの良さそうな、お嬢様然とした少女だった。
 自分の身体を庇うように抱きしめながら、嫌悪と恐怖に表情を歪める少女。その姿に強い既視感を覚えたわたしは、気づけば席を立っていた。
「ちょっと行ってくるわ」
 急に立ち上がったことで、ミリィが少し驚いたような表情を見せたけれど、わたしがそう言って視線で現場を示すと、彼女は頷いて送り出してくれた。
「遅かったじゃない。ほら、皆待ってるんだから、早く席に着きなさい」
 ツカツカと少女に歩み寄ってそう言うと、わたしは彼女の手を取って自分たちのテーブルへと戻る。あくまで自然に、流れるように。ナンパ男どもなど最初からいないかのように振舞ってやる。
「お、おいおい、嬢ちゃん。俺ら、その娘とまだ話してる途中なんだが」
 あまりに自然に無視されたためか、呆気に取られた様子で固まっていた男たちの内の一人が我に返って慌てて呼び止めようとしてくる。
「話ね。とてもそんなふうには見えなかったけれど」
「うっ、こ、これから盛り上がるところだったんだ」
「そ、そうだぜ。なのに、嬢ちゃんが水を差すもんだから興醒めだ。どうしてくれんだよ」
 立ち止まって冷たい視線を向けてやれば、何やら喧しく絡んでくる。ナンパ師としては三流、嫌がる女の子に無理やりって時点で男としても論外だ。
「おい、おまえら。その辺にしとけ」
 これ以上、絡んでくるなら実力行使も止むなしか。酔いも手伝って、早々に思考が物騒な方向に傾きかけた時だった。横手から男たちに制止の声が掛けられた。
「嬢ちゃんたち。うちの舎弟どもが迷惑を掛けたみてぇだな。どれ、詫びと言っちゃ何だが、ここの支払いは俺が持つんで、一つ水に流しちゃくれねぇか」
 がっちりとした身体を鎧に納め、大剣を背負ったその男は、堀の深い顔に人好きのする笑みを浮かべてそんなことを言ってきた。
「お、ロ意の兄貴。上手いっすね。そうすりゃ、この二人にその連れって言う娘たちともよろしくやれるってもんだ」
「おまえは少し黙ってろ。で、どうだ」
 だらしない笑みを浮かべるナンパ男の一人を黙らせ、ロ意と呼ばれた男が改めてそう聞いてくる。わたしはそれにあえて少し考えるような素振りを見せると首を横に振った。
「せっかくだけど、お断りさせてもらうわ。ただ、今後わたしたちを見かけても関わらないでくれさえすれば」
「そうかい。おい、おまえら、行くぞ」
 わたしの返事にロイは軽く肩を竦めると、何か言いたそうにしているナンパ男どもを引き連れて去っていった。

  * * * side ロイ * * *

「兄貴、どうしてすんなり引き下がっちまったんですか」
「そうですよ。あんな上玉、滅多にいやしませんぜ」
 席に着くなり早速文句を言ってきやがった舎弟どもを視線で黙らせると、俺はウェイトレスのねーちゃんが持ってきた水を一気に飲み干した。
 正直、やばかった。こいつらの手前、何とか意地で耐えたが、仮に俺一人だったら目を合わせた瞬間に終わっていたことだろう。
 逃げようとすれば殺され、逃げなくても殺され、刃向かえば殺される。それは、そんな絶対的な死の具現のように俺には見えた。
 くそ、ドラゴン相手にも平然と勝ちに行けるこの俺が、対峙しているだけでがりがりと精神を削られるってのはどんなバケモンだ。
 九死に一生を得たとも知らず、暢気に愚痴を漏らしてやがる舎弟どもに聞こえないよう、小さく舌打ちする。こいつらみてぇに分からずにいられたら、どれだけ気が楽だったか。
「あー、もううっせえよ。奢ってやるから、おまえら少し静かにしやがれ!」
「マジっすか!?」
「よーし、今夜は飲むぞ」
 バカどもが。吐き捨てたい気持ちを何とか抑え、痛む胃に顔を顰めながら、俺は普段は飲まないような強い酒を注文した。
 こうなったら、もうさっさと酔い潰れちまうとしよう。明日の二日酔いが辛くなりそうだが、この恐怖を忘れちまえるんなら安いもんだ。
 ――幸いというか、向こうから係わり合いになりたがられてるわけでもねぇしな……。

  * * * side out * * *

  * * * 続く * * *



 酒場のシーンで丸々一話使ってしまった第13章でした(汗)。
 作者です。
 最後のは、軽い威圧のつもりが、存在の格差に気づけるものにとっては軽く死ねる程度の殺気を向けられたように感じてしまうというお話。
 しかし、今回は難産でした。作者自身は酒場とか行ったことないもので、他の創作物で描写されているのを参考にしたのですが。
 やはり、経験に勝るものはないということですね。では、次回もよろしくお願いします。



冒険者となる手続きをするはずが。
美姫 「また何か巻き込まれた感じよね」
まあ、困っている子を助けただけだが。
美姫 「このロイって人もそれなりの腕って事ね」
ユリエルとの実力差を感じ取ったようだしな。にしても、本当に知らない方が良かったかもな。
美姫 「ともあれ、後は冒険者になる為の試験ね」
どうなるのか、次回も待ってます。
美姫 「待ってますね」



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