Maika Kanonical〜奇跡の翼〜
第5章 表裏
* * * *
「倉田佐由理です。分からないこととかあれば、どうぞ遠慮なく聞いてくださいね」
そう言って微笑む彼女に、わたしは取り繕うように微笑み返すと左手を差し出した。
倉田、佐由理さん……。
舞の親友で、前の時は“俺”とも親しくしてくれていた一つ上の先輩。財閥のご令嬢でもあり、そのことで生徒会に利用されてしまったこともある人だ。
「ほぇ、舞歌さんは左利きなんですか?」
差し出されたわたしの手を見て、佐由理さんが不思議そうにそう聞いてくる。まあ、普通は利き手で握手をするものだからそう思われても不思議はないわよね。
「いえ、倉田さんはご存知でしょうけれど、利き手での握手は親愛の証明なんです。わたしはまだあなたのことを良く知りませんから」
「佐由理のような人は好きじゃないですか?」
「まさか。でも、ごめんなさい。これは、わたしの中でのけじめみたいなものなんです。無礼と受け取られることも承知していますし、お気に触ったのでしたら謝ります」
そう言って頭を下げるわたしに、佐由理さんは少し困ったような顔をしてわたしに頭を上げさせた。
「謝らないでください。誰にでも譲れないものはありますし、それに、今はダメだと言うのならこれから仲良くなれば良いじゃありませんか」
「……佐由理さん」
「はい。改めて、これからよろしくお願いしますね。舞歌さん」
顔を上げたわたしに、佐由理さんはにっこりと笑ってそう言ってくれた。
*
学校があるといっても学期始めは始業式とホームルームだけなので昼前には解放される。あゆとの待ち合わせ時間を昨日と同じにしたのもそれを見越してのことだった。
しかし、よくよく考えてみれば、生霊である可能性が高い彼女がいつも同じ時間帯に出現するとは限らないのよね。それどころか、一日の終わりに記憶がリセットされるというケースすらある。
……らしくないわね。いつもなら、こんな初歩的な失敗なんてしないのに。
懐かしい北の町に戻ってきたことで、知らないうちに気でも緩んでいたのかしら。いずれにしても、あゆのことは出来るだけ早く見つけるしかないわね。
そんなわけで迎えた放課後、わたしは終業の鐘が鳴るのとほぼ同時に席を立つと、足早に教室を後にする。佐由理さんが校内を案内してくれるって言ってくれたけれど、今日は先約があるからと言って丁寧にお断りさせてもらった。
だけど、何か一つ失敗して、それに気づいてしまうと、その日は大抵それだけでは済まないものだ。
早足に廊下を歩いていたわたしは、不意に視線を感じて立ち止まった。
二つ。
うん、一つは好奇心かな。でも、他の人たちが向けてくるのとも少し違うみたい。
わたしが心の中に浮かべた言葉に、まいちゃんが頷いて自分の考えを伝えてくる。
もう一つは敵意。これは、……わたし。
続く舞の言葉は何処か戸惑っているようだけど、こちらはすぐに分かった。
うふふ、佐由理さんに無礼を働いたのと、その後に親しそうにしていたのが気に食わないんでしょうね。舞らしいわ。
…………。
とりあえず、そっちは放置しておきましょう。そのうち向こうから接触してくるでしょうし。
問題は一つ目のほう。気配から察するに、昨日の朝に神社でわたしを見ていた人のようだけど、まさか、ここの関係者だったとは。
「……仕方ないか」
あゆのことは気になるけれど、こちらを放置しておいて後々いらぬトラブルを起こされても困る。
「それで、わたしにどんなご用かしら?」
昼食の載ったトレイをテーブルの上に置いて座ると、わたしは対面の席に座る少女へとそう尋ねた。
「まず、先に名乗らせてください。わたしは町外れの神社で巫女をしております天野美汐と申します」
「一ノ瀬舞歌です。巫女さんに目を付けられるようなことは……まあ、結構してるかもしれないけれど、証拠を残した覚えはないわよ」
「あの、何処から突っ込んで良いのか分からないのですけど……」
礼儀として名乗り返したわたしに、天野は冷や汗を浮かべながらそう言った。
いえ、わたしとしては本当にこの時点で、彼女が接触してくる理由が分からない。そもそも真琴のことがなければ、知り合うこともなかったはずなのだ。
鍛錬の一部始終を見られていて、興味が湧いたというのも、それが天野でなければ納得がいく。でも、わたしの記憶が確かなら、この頃の彼女は誰かと積極的に関わろうとはしていなかったはずだから、それくらいでわざわざ声を掛けてきたりはしないだろう。
それに、気になる言葉が彼女の自己紹介の中にもあった。
巫女さんというのも天野の落ち着いた雰囲気にはよく似合うと思う。だけど、それも神社なんかに普通にいる“表”の巫女さんならの話だ。
神主さんの補佐として参拝者に応対したり、境内を掃き清めたりする姿を想像してみると、実に絵になる。しかし、わたしたちの側で巫女さんと言えばそれだけではないのだ。
退魔の業界において、巫女といえば女性の祓い師か、またはその逆の呪術師を指す。天野からそれらに特有の気配を感じられるかといえば、微妙なところではあるのだけれど。
目を細めて、改めてじっくりと彼女の気配を視る。視られている天野は少し居心地が悪そうだ。
「あ、あの、何か……」
「いえ、巫女さんっていうから長刀(なぎなた)とか呪符(じゅふ)とかを隠し持ってるんじゃないかと思って」
「はぁ、何処の漫画の世界ですか、それは」
「あ、天野さんって漫画読まれるんですね。老成……おっと、失礼。落ち着いてらっしゃるからてっきり、そういうのとは縁遠いものとばかり」
「何気に今とても失礼なことを言いませんでした?」
口元を手で押さえて上品に驚いたような表情を作るわたしに、天野が鋭い視線を向けながらそう聞いてくる。
「鋭い。……じゃなくて、天野さんはわたしに何か用があったんですよね」
「いえ、用というほどのことではないのですけれど……」
「?」
「ただ、昨日お見かけしたときと随分と雰囲気が違っていたものですから、少し気になって。済みません、お時間を取らせてしまいました」
「それは別に構わないけれど、昨日って、あれは天野さんだったんですね」
頭を下げる天野に少し慌てながら、わたしは驚いたようにそう言った。これには本当に驚いた。彼女が巫女さんをやっているなんて知らなかったから、あんなところにいるなんて思いもしなかったのだ。
「気づいていたんですか!?」
天野は天野で、まさか気づかれていたとは思わなかったらしく、目を見開いてわたしのことを凝視してくる。
「これでも退魔剣士ですから。あなたもこっち側にいるのなら、もっと上手く気配を殺せないと長くは生きられませんよ」
「ちょ、ちょっと」
何やら慌てた様子の天野を残して席を立つと、わたしはカウンターに食器を返して食堂を出る。
さて、大分時間を食ってしまった。ちゃんとお昼を食べられたので、お腹は一杯になったけれど、その分の遅れが果たしてそれに見合う程度のものか。
わたしが腕時計で時間を確認しながら足を速めていると、まいちゃんが少し怒ったような声で話し掛けてきた。
どういうつもり?天野さんに正体を教えたりして。
質問。いえ、それは意味のないこと。だって、まいちゃんは分かっていて聞いてきているから。
必要な距離を保つための処置よ。言ったでしょ、わたしは今回、仕掛け人に徹するって。そのためには役者に過剰な影響を与えるわけにはいかないの。
だから、わざわざ正体を明かして、近寄らせないようにしたって言うの?
……ええ。
その質問に頷いた途端、まるで、耳元で大絶叫を上げられたかのような衝撃がわたしの脳を揺らした。
ふ、ざ、け、る、なっ!
堪らず立ち止まって頭を抱える。
ちょ、やめ、それは洒落にならないって……。
なら、そんなバカなことはもう二度と言わないで。
舞?
役目を果たすために自分を追い詰めるなんて、悧巧なバカのすること。舞歌はただのバカで良い。
ちょっと、それは酷くない?
舞の言う通りだよ。祐一なら、もっと何も考えずに目の前のことをどうにかしようとするはずだから。
まいちゃんまで……。
二人から責められて、さすがのわたしも少し凹んだ。特に舞は普段あまり出てこないだけに、今回はすごく怒っているのが分かる。
うう、そんなに怒らなくても良いじゃない。わたしはわたしで、これでも最善を尽くそうと精一杯努力してるのに。大体、祐一ならって、わたしはもう……。
そこまで考えて、わたしはハッとした。
それはわたしたちの中では決して口にしてはならないことだった。
例え姿や立ち振る舞いが変っても、その心の有様までは変らない。その一点だけは間違いなくわたしは相沢祐一なのだと。
今、こうしてここにいることこそが、何よりもそれが真実であることの証明だった。
……ごめんなさい。失言だったわ。
タブーに触れたわたしは二人にただ謝るしかない。
分かれば良い。
そうだよ。多少の無茶ならわたしたちがフォローしてあげられるし、だから、あなたはあなたらしく、もっと思い切って動いて。
それって、わたしが本当は考えなしで突っ走るバカみたいに聞こえるんだけど。
違うの?
計算で動く祐一なんて想像つかないよ。
ここぞとばかりに言いたい放題言ってくれる。この子たち、わたしに、っていうか、祐一だった頃のわたしに何か不満でもあったのかしら。
でも、事故とか未然に防げるものならともかく、既に起きてしまっていること、例えば心の傷なんかは本人が乗り越えるしかないと思うの。
わたしのその意見に、二人は神妙な顔をしながらも揃って頷いた。
とりあえずの支えが必要なら、手を差し伸べるのは吝かじゃないわ。でも、こればかりは最終的には本人が何とかしなければ意味がない。
それに、本音を言うと少し怖い。
ここはわたしのいたあの時間じゃないって頭では分かっていても、自分の知っている人が別人のように見えた時の孤独感を思うと、どうしても尻込みしてしまうのだ。
ダメね。強くなろうって決めたのに、これじゃ、却って弱くなってる気がする。
軽く頭を振って気持ちを切り替えると、止めていた歩みを再開させる。
しかし、外面を取り繕うことは出来ても、心の弱さまではごまかせないか。やっぱりわたしは役者には向いていないらしい。
ロールプレイングのキャラクターとしては、二流以下。とても主役にはなれない。精々、冒険者にダンジョン攻略のヒントを伝える村人Aが関の山でしょう。
まあ、それも大事な役目ではあるのだけれど、やっぱりわたしは裏方に専念したほうが上手くストーリーが進むような気がするわ。
イレギュラーとはそういうものだ。それに、あまり関わり過ぎて史実から大きく外れるようなことにでもなれば、それこそ何が起きるか分からない。
物見の丘の妖狐伝説に、黄金色の異界、他にも与太話程度のものまで数え上げればきりが無いほどに、花音市の怪奇に纏わる話は多い。それは一つの都市に存在するものとしては明らかに異状で、話に伝え聞く怪異の都を彷彿とさせた。
……ひょっとしてわたし、とんでもないところに来てしまっているんじゃないかしら。ま、まあ、すべての怪異が同時に発生するなんてまずないでしょうから、大丈夫よね。
*
わたしがあの屋台のある広場に着いたとき、そこにあゆの姿はなかった。
いえ、遠くに小さくなっていく羽付きリュックが見える。
状況はたぶん最悪。屋台でたい焼きを焼いているはずのおじさんの姿もないところを見るに、まず間違いないでしょう。
……こんなことなら昨日もっとちゃんと言い聞かせておくべきだったわ。
痛くなってきた頭を抱えたい衝動に耐えつつ、とりあえず逃げるあゆを追って走り出す。このままではせっかくのフラグブレイクのチャンスが台無しになりかねない。
わたしが立てた祐一救済プラン。それは、彼になるべくフラグを立てさせないこと。悲劇に繋がりそうなイベントを徹底的に潰し、回避出来ないものも可能な限り軽減、または他の誰かに代わってもらうというものだった。
そもそも、祐一は何でもかんでも一人で抱え込みすぎる。わたしがそうだったから断言出来るわ。
気持ちが分かるというのもおかしな言い方かもしれないけれど、それが悪いとは思わない。寧ろ目の前で知り合いが苦しんでいるのを見れば、助けたいと思うのは人として当然だ。
ただ、不運だったのは、その時彼が助けたかった知り合いが一人ではなかったということ。当然だけど、人が一人で出来ることには限界がある。そして、彼はその限界を超えて助けようとしたから誰も救えなかった。
もし、彼が一人ではなかったなら、あるいは助けようとした相手の苦しみがもっと小さなものだったら、助けられたかもしれない。
そんな本来であれば意味のないIFも、今のこの時間、この世界でなら成立させられるかもしれないのだ。
だけど、何かがわたしの邪魔をする。
それは歴史の修正力か、この町に働く奇跡のシナリオがそうさせるのか。
はるか向こう、視線の先で激突するあゆと祐一の姿を見て、わたしは思わずそんなことを考えずにはいられなかった。
* * * つづく * * *
佐祐理さんとも知り合い、天野とも顔見知りに。
美姫 「今後、天野がどう動くかはまだ分からないけれどね」
うーん、正体を明かした事が逆の結果になるかもしれないよな。
美姫 「どうなるのかは、今後の楽しみね」
うんうん。にしても、歴史の修正力というよりも……。
美姫 「単にあゆちゃんが反省していないだけのような気が」
さてさて、またしてもやってしまったあゆ。
美姫 「一体どうなるのかしらね」
次回を楽しみにしてます。
美姫 「待ってますね〜」
ではでは。