* * * * *
 もし、彼が一人ではなかったなら、あるいは助けようとした相手の苦しみがもっと小さなものだったら、助けられたかもしれない。
 そんな本来であれば意味のないIFも、今のこの時間、この世界でなら成立させられるかもしれないのだ。
 だけど、何かがわたしの邪魔をする。
 それは歴史の修正力か、この町に働く奇跡のシナリオがそうさせるのか。
 はるか向こう、視線の先で激突するあゆと祐一の姿を見て、わたしは思わずそんなことを考えずにはいられなかった。
 ……って、あゆが懲りてないだけじゃないか。
   * * * * *
  Maika Kanonical〜奇跡の翼〜
  第6章 出会いと再会、その違いは
   * * * * *
 祐一を巻き込んで逃亡を再開したあゆの姿を視線の先で捉えつつも、わたしはすぐにその後を追おうとはしなかった。
 成人男性(たい焼き屋のおじさん)からも逃げ切るあゆの脚力は、逃げることに関して言えば一級品だ。わたしも足は速いほうだけど、ここからでは距離があるので、追いつくのは難しいと判断。だけど、諦めたわけじゃないわ。
 捕獲対象のこの後の行動を知っているわたしにとって、先回りすることは造作も無い。でも、出来れば祐一にはまだ知られたくないから事は慎重に運ばないと。
 祐一とあゆが逃げ込んだ喫茶店にわたしも入り、二人からは死角になっている席へと腰を下ろす。どうでも良いけれど、飲食店に外から食べ物を持ち込むのって問題じゃないのかしら。
 コーヒーを飲みながら二人が別れるのを待ち、祐一が先に店を出たのを見計らって席を立つと、わたしは幸せそうにたい焼きを頬張っているあゆに背後から近づいて声を掛けた。
「こらっ!」
「うぐっ!?」
 いきなり背後から声を掛けられて、驚いたように奇声を上げるあゆ。それに構わず正面へと回ると、わたしは少しきつい視線で彼女を見据えた。
「う、うぐっ、ま、舞歌さん……」
「見てましたよ」
「え、えっと、何をかな」
「ほう、この期に及んで白を切りますか」
「う、うぐぅ……」
 たい焼きの袋を背中に隠しつつ視線を逸らすあゆに、わたしは面白そうに目を細める。あゆのくせに中々良い度胸をしているじゃない。さすが、わたしの警告を無視しただけのことはあるわ。
「わたし、言いましたよね。二度はないって」
 わたしは怒っていた。計画が最初から躓いたからとか、そんな理由ではない。そもそも、これは予定外だ。では何故怒っているのかといえば、それはわたしが大人で、あゆが子供だから。子供が悪いことをしたらそれを叱るのが大人の役目だ。ただわたしにもそれほど余裕があるわけではないようで、よろしくない感情が少し混じってしまっている。叱るではなく怒るになってしまっているのはそのせいだ。
 お節介、そんなことは分かっている。本来であれば父親か母親がその役目を果たすべきなのだろうけれど、残念なことにあゆにはそのどちらもが既にこの世の人では無くなっていた。なら、関わった一人の大人として、代わりにその役目を担おう。今のわたしにはあゆのためにそれくらいしか出来ないから。
「さて、一応理由を聞きましょうか。どうして逃げたんです?」
 二杯目のコーヒーに口を付けながら、わたしはあゆの尋問を開始する。さすがに警察に突き出したりはしないけれど、だからと言ってただで返すつもりもない。
「う、うぐっ、それは……」
 わたしに問い詰められたあゆは、少し怯えた様子でその訳を話してくれた。まず、そのたい焼きはきちんとお金を払って買ったものであること。昨日の今日だけに、あゆも同じ過ちを繰り返すことはなかったようだ。では、何故逃げたかというと、その理由は正直言って呆れるしかないものだった。
「はぁ、子供ですかあなたは」
「うぐぅ、ごめんなさい」
 そう言ってしゅんと項垂れるあゆに、わたしは呆れたように溜息を漏らす。
 いわく、たい焼きを買ったのは良いが、今度はわたしに返す分のお金が無くなってしまい、また怒られるのではないかと思ったあゆは、わたしの姿を見るなり怖くなって逃げてしまったのだとか。
 わたしは闇金の借金取りですか。
「あ、あの、怒ってるよね……」
「それは怒りもします。あなたはお金を返してくれるという約束を破った上、それを悪いと分かっていながら逃げたんですから」
 恐る恐るこちらを伺うあゆに、わたしは声を荒げるでもなく、ただ淡々とそう答える。落胆した。あゆに言ったように腹立たしくもある。そして、それ以上に何故か悲しかった。
 約束を破られたことか。それとも怖がられて、逃げられてしまったことにショックを受けているのだろうか。いえ、きっとそのどちらでもあるのでしょうね。
 誰だって他人から怖がられたり露骨に逃げられたりすれば傷つく。それに、約束というものはあゆにとって特別な意味を持つもののはずだった。それが祐一とのものでないとはいえ、破られたことにわたしは思いの外心を乱されている。
「過ぎてしまったことを言っても仕方ないです。ですけど、次からは約束を守れなかったとしても逃げないでください。誰かに怖がられたり、それで逃げられたりするのは正直、辛いです」
 わたしだって鬼ではない。きちんと訳を話して謝ってくれさえすれば、場合によっては咎めないことだってあるのだから。まあ、あゆの今回の場合はお説教の一つもしていたでしょうけれど。
   * * *
 翌日の放課後、わたしはまたしても商店街を歩いていた。その格好も昨日と同じ制服姿。あまり寄り道をしていると、生徒指導員に見咎められそうだけど、今回ばかりは非常事態なので見逃してもらいたい。
 何しろ女の子一人の生命が懸かっているのだ。いえ、今すぐ誰彼が死ぬということではないのだけれど、少なくともその子にとって今日という日がその後の運命を決定付けることにはなるだろう。
 だというのに、わたしは……。
 一昨日にわたしが多めに食料を買い込んでおいたことで、今日の夕方に祐一が買い出しに出掛ける必要は無くなっていた。結果として本格的なあゆとの再会が今日に成されることも無くなったわけだけど、それによって同時に本来起こるはずのもう一つの出会いを潰してしまったことにもなるのだということをわたしはすっかり見落としてしまっていたのだ。
 それに思い至ったのは、わたしが昼休みの廊下で香里とすれ違ったときのこと。何となく朝から何か忘れているような気がしていて、それが彼女の顔を見たことでようやく何だったか思い出すことが出来たという体たらくである。
 でも、まだ間に合う。祐一だった頃に最期に見た彼女の顔はとてもハッピーエンドに向かっているようには見えなかった。次の誕生日まで。医師からはそんな絶望的な宣告すらされていたという。“俺”に出来たのは、そんな彼女のささやかなお願いを聞いてあげることくらいだった。
 だけど、今回は違う。わたしの、舞のこの力は本来癒すためのものだから。そのための輝石も既に打っている。そう、それは七年前、わたしがまだ草薙家にお世話になっていた頃のことだった。
 記憶を取り戻したことによって精神的に不安定になっていたわたしは、そのことが原因で体調を崩すことも少なくなく、一度病院で診てもらおうということになった。受診したのは県立の総合病院。そこでわたしを待っていたのは、ある姉妹との出会いだった。
 確か、待合室で順番を待っていたわたしに好奇心旺盛そうな妹のほうが声を掛けてきて、わたしがそれに応えたのがきっかけだったと思う。長い待ち時間によほど退屈していたのか、その子は次から次へとわたしに質問をぶつけてきて、それをお姉さんに窘められていた。
 何でも病気がちなせいで、あまり同年代の子と話したことがないのだとか。わたしはといえば、それに特に不快感を示すでもなく、寧ろ姉妹のそんな姿を微笑ましく思って見ていたものだ。
 その日からわたしが真雪姉さんにくっついて草薙家を出ることになるまでの間、わたしたちは何度か会って一緒に遊んだ。病院での待ち時間に出来ることはそう多くはなかったけれど、それでもわたしと姉妹たちにとってそれは確かに楽しい時間だった。
 そんな中、回復が思わしくない妹にわたしはおまじないだと言ってこっそり力を使ったことがあった。それは人であれば誰もが持っているささやかな奇跡を起こす力、こうありたいという願いを夢想し、そこへと近づこうとする意志力を後押しするものだった。
 元気になったら三人で雪だるまを作って、雪合戦をするのだと楽しそうに語る彼女なら、きっと、それだけで得体の知れない病魔なんて、振り払ってしまえると思ったから。実際、彼女はその日から少しずつではあるけれど、元気になりはじめていたのだ。
 その後の彼女がどうなったのかをわたしは知らない。真雪姉さんの件は本当に唐突で、連絡をしている暇なんて無かった。
 さざなみに着いて落ち着いてから電話をしようと思っていたら番号が変ったのか繋がらず、住所を聞いていなかったわたしはそのまま音信普通となってしまったのだった。
 あれから7年。姉のほうはわたしのことを覚えていなかったみたいだけど、さて、妹のほうはどうだろう。期待と不安を半分ずつ胸に抱えて、わたしは雑踏の中に見つけたストールの後ろ姿へと声を掛けた。
「……栞ちゃん」
 呼び止められて振り返った彼女は、何だか酷く驚いたような表情でわたしのことを見てくる。知らない人にいきなり後ろから声を掛けられたから、というだけではなさそうだ。もしかして、これは……。
「ひょっとして、舞歌さんですか?」
「良かった。覚えていてくれたのね」
 恐る恐るそう聞いてくる栞に、わたしは思わず安堵の息を漏らす。登校初日に校門のところで香里から知らない人を見るような目で見られた時には正直、胸が潰れそうな想いだった。
 誰かに忘れられるということがこれほど辛いのかと痛感すると同時に、積極的に思い出そうとしなかったかつての自分を嫌悪した。ああ、“俺”は何て残酷なことをしてしまっていたのだろう。
 とはいえ、過ぎてしまったことは幾ら悔やんでも戻りはしない。だから、今はその痛みを知ることが出来た幸運に感謝し、繰り返さないように心掛けていこうと思う。そして、覚えていてくれた栞には最大級の感謝を。
「あ、あの……」
「ありがとう、覚えていてくれて。それと、今まで連絡取れなくてごめんなさい」
 戸惑ったように再び声を掛けようとした栞を遮ってそう言うと、わたしは彼女に頭を下げた。長い髪が表情を隠すけれど、それが今のわたしには却って好都合。
「わっ、わっ、その、えっと、あの……」
 目尻に浮かんだ涙を素早く拭って顔を上げると、そこには何やら困った様子であたふたしている栞の姿があった。ふむ、困らせているのはわたしですか。
「ごめんなさい。困らせてしまったわね」
「えぅ、舞歌さん、酷いです。せっかくようやく再会出来たっていうのに、わたしのことからかうなんて」
 かわいらしく頬を膨らませて睨んでくる栞に、わたしは苦笑しつつ顔の前で拝むように手を合わせる。ここは百貨屋。あたふたする栞がかわいくて、ついいつもの癖でからかってしまい、そのことで怒られたわたしは7年前の埋め合わせも兼ねて彼女にご馳走することにしたのだ。
「でも、本当にまた会えて良かったです。わたし、ずっと心配してたんですよ」
 一転して本当に嬉しそうな笑顔でそう言ってくれる栞に、わたしも自然と笑みが零れる。会ったのは数える程だったというのに、栞の中にはもうわたしがいて、それが七年間ずっと気に掛けてもらえる程大きなものだったことが嬉しい。
「それで、今はどうしているんですか?」
 運ばれてきた甘味を口へと運びながらそう聞いてくる栞に、わたしはこの町に来た表向きの事情を説明した。女子学園からの交換生徒として来たと言うと、栞は何故か目を輝かせてわたしに地元での学生生活について聞いてくる。
「言っておきますけど、ドラマみたいなイベントなんてありませんからね」
「えー、そうなんですか?」
「そうなの。というか、あったら堪らないわ」
 つまらなそうに頬を膨らませる栞をあっさりと流し、わたしは紅茶のカップを傾ける。ええ、うちの妹分の佐伯のご令嬢との噂なんて知らないわ。
「それより、そっちはどうなの?見たところ、元気そうだけど」
「……あ、うん。元気ですよ。って言っても最近はちょっと体調を崩してしまっていて、学校には行けてないんですけど」
 バニラアイスのいちご添えをスプーンで崩しながら言葉を濁す。ほう、病人なのに出歩いていると。
「あ、えと、その……」
 わたしの雰囲気が変わったことに気づいたのか、あたふたと言い訳をしようとする栞の目を、わたしは何も言わずにただ見つめる。疚しいことがある人には何か言葉を掛けるよりも、こうして無言の圧力を掛けるほうが効果的なのだ。
「送っていくわ。だから、これを食べたらまっすぐ家に帰りましょうね」
「えぅ……」
 にっこり笑顔でそう言うわたしに、栞は小さく呻くとがっくりと肩を落とすのだった。
   * * * つづく * * *






栞の登場。
美姫 「彼女とは過去に面識があるのね」
あゆと祐一は出会ってしまったけれど、まだ修正できる範囲なのかな。
美姫 「これからどう流れていくのかしら」
ああ、続きが気になる〜。
美姫 「次回も待ってますね」
ではでは。



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