* * * * *
 積もった雪を踏む足音は二人分。
 冬の日は短くて、早くも暗くなりはじめた空の下をわたしは栞と二人で彼女の家に向かって歩いている。
 出歩いていたことを見咎められた栞は少し気まずそうではあったけれど、ややもすればいつもの調子で百貨屋でのおしゃべりの続きをしようと、わたしに声を掛けてきた。
 話題は専ら今放送されているドラマのことで、その手の話題に疎いわたしは苦笑しつつ適当に相槌を打つより他ない。
 栞はそんなわたしの態度を見て、不満そうにしていたけれど、わたしにしてみれば、毎日が物語の中にいるようなものなので、今更ブラウン管の中に目を向ける気にはなれないのだ。
 事実は小説より奇なり、とはよく言ったもので、あの寮での生活に比べれば、半端な作り物なんて、霞んでしまう。伊達に“人外魔境”などと呼ばれているわけではないのだ。
 ……わたしも人のことは言えないか。
 元々ハイスペックだった身体を日門草薙流の鍛錬を参考に鍛え上げ、異能を併せれば達人クラスとも渡り合える武術を僅か七年で自分のものにした。
 下手をするとこちらの舞と戦うことになるかもしれないと思って、始めたことだったのだけど、これが案外面白くて、気がつけば、すっかり規格外判定の仲間入りだ。
 わたしも来るべくしてさざなみに来たということなのかしらね。
   * * * * *
  Maika Kanonical〜奇跡の翼〜
  第7章 逆襲のみかん箱
   * * * * *
 栞と話しながら、そんな思考に意識を割いていたのがいけなかったのだろう。不意に頭上から降ってきた雪の塊を、わたしは避けることが出来なかった。
「きゃっ!?」
 どさりという音に続いて、わたしの口から何とも女の子らしい悲鳴が迸る。初めて上げた時にはそれが自分のものであることにこそ驚いた、そんな悲鳴だ。
 雪の冷たさが体温を奪い、寒気が身体を駆け抜ける。これは早く帰って着替えないと、風邪を引いてしまうわね。
 冷静に自分の身体の状態を分析しながら立ち上がると、わたしはその元凶となった人物を見た。
「……またあなたですか」
 思わず口を付いて出た言葉は、呆れを多分に含んだもの。同じ色を含んだ視線の先にあるのは木にぶつけたのだろう、赤くなった鼻を摩りながら涙目で祐一を非難するあゆの姿だった。
 一部の男性には喜ばれるドジッ娘も、直接その被害を受ける人にとっては迷惑以外の何物でもない。
 前方不注意という点ではわたしにも非はあるのだろうけれど、でも、ここにいるということは、あゆはまた食い逃げをして、それに祐一を巻き込んだということだ。
 悲鳴に気づいてこちらを向いたあゆは、わたしと目が合った途端に顔を蒼くして祐一の後ろに隠れる。けれど、それは今のわたしに対しては完全に逆効果だった。
「ま、舞歌さん……」
 服に着いた雪を払いながらにっこりと笑顔を浮かべるわたしに、栞が怯えたような声で話し掛けてくる。
 ええ、怖いでしょうね。だって、わたしは今本気で怒っているんだもの。
 比喩ではなく、全身から立ち上らせた黒いオーラを一点に集約して、ピンポイントであゆにぶつけてやる。その内容は、殺気とか、そういう一般人には縁遠い恐ろしいものだ。
「う、うぐぅぅぅっ!?」
 そんなものをぶつけられたあゆは、断末魔とも取れる謎の奇声を上げて目を回してしまった。
「あら、どうしてしまったのかしらね」
 口元を手で覆って、さも驚いたというような表情を浮かべるわたしに、その場に居合わせた祐一は、さっきので打ち所が悪かったんじゃないかと言って首を傾げる。
 うん、予想通りの反応をありがとう。
 ただ、栞だけはわたしが一瞬放出したオーラに当てられたらしく、蒼い顔でわたしのことを見ていたけれど。
   * * *
 その後、雪で服が濡れてしまったわたしは一刻も早く着替えないとまずいということで、一足先に帰らせてもらうことにした。
「じゃあ、また」
 道が分からないという祐一に商店街までの道順を教え、一人で帰れるという栞に寄り道しないよう釘を刺してから、わたしは二人にそう軽く挨拶をしてその場を離れた。
 本当はあゆが起きるまで待って小言の一つも言ってやりたかったのだけど、そうするとわたしは風邪を引くことが決定してしまいそうなので、今回は諦めた。
 アデノウィルス程度にやられるとは思わないけれど、どさくさに紛れてインフルエンザにでも入り込まれた日には目も当てられない。そんなわけで、わたしは帰路を急いでいたのだけれど……。
「…………」
 足早に商店街を抜けようとするわたしの後ろをぴったりと着いてくる気配が一つ。小動物のようなそれは、覚えのあるものだ。
 何となく、この後の展開が分かったわたしは、通行人の邪魔にならないよう道の脇に寄ると、徐に足を止めた。振り返ると案の定、こちらに向かって急速に迫る大きなダンボール箱。
 祐一の時にはあっさり接近を許してしまったけれど、今のわたしは意味も無く剥き出しの敵意を懐に入らせるほど甘くはない。それにしても、何故わたしなのだろう。
 一瞬で相手との距離を測り、タイミングを合わせてカウンターを狙いながら思考するわたしの目の前に、ダンボールを突き破って敵が姿を現す。
「覚悟!」
 そう叫びながら振り上げられた少女の拳を左の手のひらで受け止め、逆に右の手のひらで彼女の鳩尾に掌底打を放つ。打撃において、手のひらは拳よりも衝撃を浸透させやすく、威力も大きくなることがある。
 もちろん、そんなものを手加減なしで放てば、受けたほうは確実に意識を失う。相手が飛び出してきた勢いも相俟って、その威力は成人男性であっても一撃KO間違いなしだ。
 わたしがやったのは軽く触れる程度の接触。先に拳を受け止めたことで相手の勢いも幾らか殺した上でのそれは、突っ込んできた少女を押し留める程度のものだった。
「って、あれ?」
 殴り掛かった相手が自分の予想していた人物とは似ても似つかない姿、つまり別人だったことに、少女は大いに戸惑っているようだった。
「危ないじゃないですか。いきなり人に殴り掛かったりして、怪我でもしたらどうするつもりだったんですか?」
「あぅ、ごめんなさい」
 受け止めた拳を両手で包んで優しく解いてやりながら、わたしは少女と目線の高さを合わせてそう言った。何も説教をしようというつもりじゃない。
 彼女にしてみれば、“俺”のしたことは正しく裏切りであり、憎しみの対象とされても仕方の無いことだったから。今は、少しだけどその気持ちも理解出来る。
 ただ、それを向けるべき相手はわたしではないし、その方法にも少し問題があると思った。
 謝ったのと同時に力尽きた少女、真琴の背中と膝裏に腕を通して抱き上げながら、わたしは止めていた歩みを再開する。
 とりあえずこのままじゃ、話も出来ないので、連れて帰ることにしたのだけど、さて、今夜の夕食は何だったかしらね。
   * * *
「舞歌さん、人攫いだったんですか?」
 真琴を連れて帰宅したわたしに対する秋子さんの第一声がこれだった。
「身代金は幾ら取るの?」
 名雪、あなたもですか。
「はぁ、二人ともわたしを一体何だと、いえ、この際それは良いです。この子を寝かせてあげたいので、お布団を敷いてもらえますか?」
「了承。名雪、手伝って」
「うん、分かったよ」
 いろいろと言いたいことはあったけれど、一先ず置いておくことにする。とにかく今は真琴を休ませてあげるのが先決だ。
 秋子さんもそれを分かってくれたようで、本来なら家主として先に事情を聞かなければいけないところを曲げて、わたしの進言を受け入れてくれた。
 名雪と二人で客間に敷いてもらった布団の上に真琴を下ろし、掛け布団を掛けてやる。空腹で力尽きたのだということは分かっているので、今のうちに何か暖かいものでも作っておいてあげようかしら。
「それで、この子はどうしたんですか?」
「行き倒れです。放っておくわけにもいかなかったので、こうして連れて帰ってきました」
「そうですか」
「済みません。居候の身で勝手なことして」
「構いませんよ。寧ろ見捨ててきていたりしたら、わたしはそのほうが怒りますから」
 頭を下げるわたしに、秋子さんは何処か嬉しそうに笑ってそう言ってくれた。いえ、分かってはいたのだけれど、そう言ってもらえると心情的にホッとする。
「可愛い寝顔だよね。舞歌さん、本当に攫ってきたんじゃないの?」
 真琴の寝顔を見ながらそんなことを聞いてくる名雪に、わたしはニヤリと音がしそうな笑みを浮かべて反撃する。
「あら、名雪さんはそういう子が好みなんですか?わたしはてっきりノーマルな人だとばかり思っていたんですけど」
「わわっ、べ、別にそういう意味で言ったんじゃないですってば」
 わたしの指摘に、顔を真っ赤にして慌てる名雪。うん、面白いわ。
「名雪、お夕飯の用意をするから手伝って」
「う、うん。分かったよ」
 更に追撃を掛けようとしたところに秋子さんからお呼びが掛かり、名雪はそれに返事をすると、わたしから逃げるようにキッチンのほうへ行ってしまった。
 ……まあ、まだまだ機会はあることだし、じっくりと楽しませてもらうことにしましょう。
 真雪姉さんの悪癖が遷ったのか、わたしが少し意地の悪い笑みを浮かべてそんなことを考えていると、祐一が帰ってきた。
「くしゅん……」
 と、これはわたしのくしゃみ。そう言えば、制服濡れたままだったわね。
 自分で拾ってきておいて、人任せにするのもどうかと思うけれど、ここは丁度良いタイミングで帰ってきた祐一に任せることにする。
「秋子さん。申し訳ないのですけど、先にシャワー浴びさせていただいても構いませんか?帰りにちょっと雪を被ってしまって」
「祐一さんから聞いてますよ。お風呂沸かしておきましたから、ゆっくり身体を暖めてきてください」
「祐一から。……では、お言葉に甘えさせていただきます」
 驚きを笑顔に変えて一礼すると、わたしは着替えを取りに自分の部屋へと向かった。
 わたしの中で密かに彼に対する好感度が上がった瞬間だった。
「このっ、覚悟!」
「おわっ、な、何だ!?」
 お風呂から上がってバスタオルで身体を拭いていると、わたしの耳にそんな叫び声とともにドタバタという足音が聞こえてきた。どうやら目を覚ました真琴が祐一を見つけて襲い掛かったようだ。
 でも、真琴はまだ倒れた原因が解消されていないから、このままではきっとまたすぐに倒れてしまうことだろう。
 とりあえず、もう夜だし、近所迷惑になるので一言言っておこう。
 そう思って客間へと足を向けたわたしは、自分がまだバスタオル一枚巻いただけの格好であることに気づいていなかった。
「で、おまえ、誰なんだ?」
 湯飲みで冷えた手を温めながら、祐一は対面に座る真琴へとそう尋ねる。わたしが行ったことで度合いの増した混沌を納め、今は全員でテーブルを囲んでの尋問会の最中だ。
「おまえじゃない。あたしには沢渡真琴って名前があるんだから」
 祐一の質問に対して一応答える真琴。出会いが最悪だったこともあって、二人の間に流れる空気は酷く剣呑なものになっている。
 これは前の時と同じだ。真琴の祐一に対する感情を思うと仕方のないことではあるのだけれど、もちろんわたしはこのままの流れで進ませる気はない。
 この後、真琴が記憶喪失であることが判明し、秋子さんの判断で身元が分かるまで彼女を水瀬家で預かることになった。
 そこで、わたしはその間の面倒を自分が見ると申し出た。拾ってきたのはわたしだし、同性のほうが何かと都合も良いだろうという理由を建前にすると、秋子さんはそれをあっさりと了承してくれた。
 祐一と積極的に関わることで真琴が記憶を取り戻せば、それだけ彼女が顕現していられる時間が短くなってしまうかもしれない。これは、そうした事態を避けるための処置でもある。
 真琴は不満だろうけれど、少なくとも彼女が今の姿で世界に定着するまでは、我慢してもらうしかない。
 ――我流式神術、早く完成させないといけないわね……。

   * * * つづく * * *




栞に続いて真琴も登場。
美姫 「今度は彼女を救えるのか」
最後の独白部分が気になる所だな。
美姫 「さてさて、着々と昔の状況になりつつあるけれど……」
今後どうなっていくのか。
美姫 「次回も待ってますね」
待っています!



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