* * * * *
「一ノ瀬舞歌です。よろしく」
 わたしはそう言って微笑むと、舞に左手を差し出した。
「左利き?」
「いえ、佐祐理さんにも言いましたけど、これはわたし的にこれからよろしくというときにする握手なんです」
「……よく、分からない」
「構いませんよ。ただ、わたしはあなたとお友達になりたいという、その気持ちだけ知っておいていただければ」
「分かった」
 きっと他人には意味の分からないだろう、わたしのそんな言葉にも、舞は特に追及することなく頷くと、わたしの差し出した手を取って握ってくれた。
「あ」
 握られた手に伝わる暖かさに、わたしは思わず声を漏らす。
「何?」
「いえ、舞の手は暖かいですね」
「舞歌の手は少し冷たい」
「済みません。体温を奪ってしまいましたね」
「……良い」
 申し訳なさそうにそう言って謝るわたしに、舞は照れたように頬を赤くしてそっぽを向いた。舞のこういう仕草は本当に可愛いと思う。
「さて、自己紹介も済んだことですし、お昼にしましょうか」
 そう言って弁当箱を開ける佐祐理さんの表情は笑顔。何処か作り物めいたいつもの微笑では無く、本当に嬉しそうな表情をしている。
 彼女のこんな表情をわたしはこのとき初めて見たような気がする。きっと、親友である舞に新しい友達が出来たことが嬉しいのだろう。
「それじゃ、いただきます」
「いただきます」
 それぞれに手を合わせてそう言うと、配られた割り箸を割っておかずの入った箱へと伸ばす。
「うーん、合格」
「何にですか?」
 牛肉の甘辛煮を食べた祐一の感想に、佐祐理さんが不思議そうに首を傾げる。
「俺の嫁」
「はぇ、これくらいで合格なら、誰でも祐一さんのお嫁さんになれますよ」
「そんなことない」
 謙遜とも取れる佐祐理さんのその言葉に、舞がすぐさま否定の声を上げる。
「そうですね。この味、そう簡単に出せるものじゃありませんよ。それに佐祐理さんなら他のところも文句ありませんし、祐一を任せても安心です」
「あはは、ありがとうございます」
 わたしの言葉に照れる佐祐理さん。
「佐祐理、祐一と結婚するの?」
「さあ、どうでしょう。佐祐理たちはまだ学生ですし、何より佐祐理は祐一さんのことをまだよく知りませんから」
 少し驚いたような舞のその問いに、佐祐理さんは意外にも真面目に答える。まあ、さすがにうろたえたりはしないか。
「佐祐理さんみたいな人なら、俺はいつでも歓迎するよ」
「そういうことは彼女に吊り合う男性に成長してから言うものですよ」
「舞歌さんは手厳しいな。そりゃ確かに俺と佐祐理さんとじゃ、吊り合わないだろうけど」
 そこまではっきり言わなくても良いじゃないか。そんな憮然とした様子でわたしを見る祐一。わたしとしては半端な覚悟で他人と深く関わって、痛い目を見てほしくないだけなのだけど。
「二人は仲が良い」
「そうだね。まるで兄弟みたい」
「そう見えます?」
 佐祐理さんの言葉にわたしは嬉しそうにそう聞き返し、逆に祐一はがっくりと肩を落とす。そのままぶつぶつと何か言っていたかと思うと、彼は唐突に顔を上げてわたしを見た。
「な、何ですか?」
「舞歌さん。明日は暇ですか?」
「え、ええ、特に予定はありませんけれど」
 真剣な表情でそう聞いてくる祐一に、わたしは少したじろぎながら頷いた。
「なら、少し付き合ってもらえませんか。俺が男として、ちゃんと女性をエスコート出来るってこと、あなたに証明したいんで」
「……はい?」
   * * * * *
  Maika Kanonical〜奇跡の翼〜
  第10章 イレギュラー
   * * * * *
 どうしよう……。
 祐一や舞と別れて自分の教室へと戻りながら、わたしはそっと溜息を漏らす。
 彼のそれはある意味直球な、デートのお誘いだった。といっても、学生の経済事情では休日に一緒に何処かに遊びに行く、という程度ではあるのだろうけれど、如何せんわたしは男の子とそういうことをした経験が無い。
 わたしの通っていた聖祥女子学園はその名の通り、女子高だ。ただでさえ、友人の退魔の仕事の手伝いや、日々の鍛錬に時間を費やす生活を送っていたわたしに男っ気などあるはずもなかった。
 そもそも、元が男なだけに、男に対する興味も同年代の他の女子たちに比べて希薄というか、皆無に近いのだ。友人として付き合うならともかく、男女の関係になるなどぞっとしない。
 そんなわたしの事情など知る由も無い祐一にしてみれば、自分を弟扱いする馴れ馴れしい女を見返してやろうというくらいの気持ちしかないのだろう。
 意外と負けず嫌いなところがあるのか。それとも単に男のプライドが許せないのかは分からないけれど、厄介なことになったものだ。
 ――はぁ、少しからかい過ぎたかしら。
 帰り支度をしながら内心でそう言ってまた溜息を漏らすわたしに、舞が嫌なら代わろうかと言ってくれたけれど、わたしはそれを丁寧に辞退した。残念ながら、わたしと彼女とでは性格が違い過ぎる。
 元々、わたし自身イレギュラーであることは自覚していたつもりではあったけれど、まさかこんな形で影響が現われるとは夢にも思わなかった。
 ――息抜きだと思えば良いんじゃないかな。大変なのは寧ろこれからなわけだし、休める時に休んでおくのも大切なことだよ。
 落ち込み悩むわたしに、まいちゃんが励ますようにそう声を掛けてくれる。なるほど、そういう考え方もあるのか。
 まあ、昔の自分と遊ぶなんて経験は普通出来ないだろうし、未だ共通する趣味もあるので退屈はしないとは思う。しかし、向こうはこちらを女性としてエスコートする気でいるだけに、やはり心中は複雑なものがある。
 ええい、うじうじ悩むなわたし。相手は七つも年下の昔の自分ではないか。それこそ年の離れた弟とちょっと遊びに出掛けるくらいに考えれば良いのだ。
 それに、既に承諾してしまった以上、今更くよくよしたところでどうしようもない。なら、まいちゃんの言うように、今のうちに楽しんでおこう。
 そう開き直ると、わたしは鞄を手に教室を後にした。
 靴を履き替えて昇降口から外に出る。と、祐一とあれは天野か。何やら話しているようだけど、この時期だと真琴関係だろうか。
 というか、それ以外であの二人に接点があるとも思えない。そう思って校門のほうに目をやれば案の定、そこには所在なげに立ち尽くす真琴の姿があった。
「天野さん」
 逃げるようにこちらへとやってきた天野へと声を掛ける。怯えたようなその表情を見てしまっては、さすがに放っておけなかったのだ。
「あ、一ノ瀬さん」
「大丈夫ですか?顔色が優れないようですけど」
 気遣うように天野の顔を見ると、彼女は何処か思い詰めたような表情でこちらを見返してきた。
「あなたは、あの子のこと、気づいているのですか?」
 ちらりと校門のほうを見てそう尋ねる天野に、わたしは無言で頷く。彼女のそれは質問というよりも寧ろ確認のニュアンスが強かった。
 きっと、警戒しているのだろう。以前初めて会った際にわたしは退魔剣士と名乗ったから、真琴をどうするつもりなのか気になっているに違いない。
 怖いのなら関わらなければ良いのに、それでも放っておけないのは、天野が根は優しい少女だからに他ならない。本人に言えば否定するだろうけれど、そういうところも含めてわたしは彼女を好ましいと思う。
「心配しなくてもあの子をどうこうするつもりはありませんよ。寧ろ、わたしは助けたいと思っているんです」
「助けるって、どうやって……」
「さあ、どうやってでしょう。詳しくは企業秘密なのでお教え出来ませんけれど、わたしは既にその方法を手にしています」
 わたしの言葉に、天野が息を呑む。それはそうだろう。かつて、自分自身も経験した悲しい別離。それを回避する方法があると聞かされて、黙っていられるはずもない。
「本当なんですか?」
「断言は出来ないけれど、理論上はそのはずです。成功するかどうかは、やってみないと分かりませんけれど」
「それもやっぱり……」
「ストップ。声が大きいですよ」
 往来の真ん中で退魔と口にしようとする天野を手で遮り、わたしは視線だけであたりを確認する。見たところ、誰かに聞かれたようなことはなさそうだ。
「気をつけなさい。一般人に知られると、大抵ろくなことにはならないから」
「済みません」
「良いわ。でも、覚えておいてくださいね。あなたに正体を明かしたのは、少なからずあなたがこちら側に関わりを持っているからだということを」
 わたしはそう言って天野に釘を刺すと、帰宅するために校門のほうへと向かって歩き出す。
「一ノ瀬さん、あなたは……」
 そんなわたしの背中に、思わずといったふうに声を掛ける天野。わたしはあえてそれを聞こえなかったことにすると、足早にその場を立ち去った。
 ――少し喋り過ぎたかしら。
 ――良いんじゃないかな。あの人、多分これからもこっち側に関わることになるだろうし、忠告ってことで。
 ――知らずにいるのは却って危険。
 少し反省するわたしに、舞やまいちゃんはあれで良かったと言う。確かにそれは一理あることで、わたしも一つ頷くと、この件は一先ず置いておくことにした。
 今はそれよりも先に何とかしなければいけないこともあるわけだし。それへの対処を考えつつ、わたしは校門を潜ったところで足を止める。
「遅かったわね」
 立ち止まったわたしに、横から香里がそう声を掛けてくる。ほら、来た。結局、今朝はろくに話せなかったから、放課後にまた来るとは思っていたのだ。
「待ち合わせをした覚えはありませんけれど」
「連れないわね。せっかく再会出来たんだし、少しくらい良いじゃない。それとも、これから何か予定でもあるのかしら」
「いいえ」
「なら、決まりね。こんなところで立ち話もなんだし、行きましょうか」
 あえて素っ気無く応対するわたしに、香里は構うことなくそう言うと、朝と同じようにわたしの手を取って歩き出す。
「何処に行くんですか?」
「わたしの家よ。朝は話せなかったこととかもあるし、それも含めてゆっくり話したいの。良いでしょ」
「はぁ、わたしは構いませんけれど」
 意外と強引な香里に、わたしは戸惑ったような表情を浮かべてそう答える。香里って、こんな性格だったかしら。
「上がって。今は他に誰もいないけど」
「おじゃまします」
 初めて訪れた美坂家は、一般家庭の住宅としてはそれなりに立派な一戸建だった。一階にリビングやキッチンなどがあり、香里たちの部屋は二階らしい。このあたり、造りは水瀬家とそんなに変らないようだ。
「適当に座ってて。今、お茶を淹れてくるから」
「お構いなく」
 何故かリビングではなく、いきなり香里の部屋へと通されたわたしは、薦められるままクッションの一つに腰を下ろすと、軽く室内を見回した。
 当たり前のことではあるのだけれど、一口に女の子の部屋といっても様々で、きちんと整理整頓されたこの部屋は香里の几帳面な性格をよく現していると思う。
 ちなみに、わたしも比較的整理はきちんとするほうだ。というか、ちゃんとやらないとすぐに何が何処にあったか分からなくなって大変なことになるのだ。
「お待たせ。って、なに、人の部屋をじろじろ見てるのよ」
「いえ、話のネタになりそうなものがないかと少し物色……じゃなくて、きちんと整理されてるんだなって」
「まあ、良いけれど」
 少し引き攣った笑みを浮かべてそう言うわたしに、香里は呆れたように溜息を漏らすと、持ってきたお盆をテーブルの上に置いた。
 お盆にはポットと二人分のティーカップ、それにクッキーの乗った皿。香里はそれらを手早く並べると、わたしの対面に腰を下ろす。
 まるで逃がさないわよとでも言うように、不敵な笑みを浮かべてこちらを見てくる香里。やはり、七年前に突然いなくなったきり、音信不通だったことを怒っているのだろう。
 ――まあ、それなりに親しくしていたわけだし、普通は怒るわよね。
 そう思うと、他の知り合いにも申し訳ないことをしたと改めて罪悪感に囚われる。祐一だった頃はあゆのことがあったとはいえ、随分と酷いこともいろいろしてしまっていた。
「……ごめんなさい」
 万感の想いで謝罪の言葉を口にするわたしに、香里は仕方が無いわねというふうに溜息を漏らす。
 当時はほとんど拉致同然に真雪姉さんに同行させられたことを思うと、わたしのせいばかりでもないのだけれど、先に連絡手段を確立していなかったのはこちらの落ち度なので、あえて弁解はしなかった。
 その後はお茶を飲みながらお互いの近況やこの七年の間にあった出来事などを話して過ごした。
 一見、クールな印象を受ける香里だが、話してみると意外に喋る。おそらくは栞の容態が安定していることもあって、彼女自身も心にゆとりが持てているのだろう。
 おかげで、わたしも話していて楽しかった。ちなみに、栞の病気は緩やかに回復に向かっているとのこと。それを聞けただけでも、今日ここに来て良かったと思える。
「でも、それなりに楽しそうにやっているようで良かったわ。いきなり会えなくなったもんだから、わたしも栞もずっと心配してたのよ」
「わたしもです。また会えて本当に良かった」
 紅茶を傾けながらそう言ってお互いに笑い合う。祐一だった時とはまた違う、同性同士の友人関係というのは不思議な気分ではあるけれど、でも、これはこれで悪い気はしない。
「それにしても……」
 カップをテーブルの上に戻し、香里はすっと目を細めてわたしを見る。あ、何か嫌な予感。
「随分と女の子らしくなったじゃない。昔は喋り方も何処か男の子みたいだったのに」
「そ、そうかしら」
「ええ。立ち振る舞いや仕草なんかもとっても女の子してるわよ。それこそ同一人物とは思えないくらいに」
「そ、そこまで言いますか」
 ニヤリ、と口元を歪ませる香里に、わたしの頬を冷や汗が流れる。彼女が何を言いたいのか、わたしには良く分からない。
「本当、可愛くなっちゃって。まあ、それはそれで楽しめそうだから良いんだけどね」
「楽しむって何をですか?」
「いろいろよ。うふふ、本当に楽しみね。まあ、せっかくまた会えたんだし、これからも仲良くしましょ。……ねぇ、相沢君」
   * * * つづく * * *





あれれ。
美姫 「香里は舞歌の正体を知っているのかしら」
うーん、回復に向かっていると言う栞と関係しているのかも。
美姫 「一体、過去に何があったのかしら」
続きがとっても気になる〜。
美姫 「次回も待っていますね」
待ってます。



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