* * * * *
 ――真琴が熱を出した。
 昨日、猫を探して長時間、雪の中を彷徨っていたせいもあるのだろう。しかし、それだけではないことに、わたしはすぐに気づいてしまった。
 そんな、幾ら何でも早過ぎる。事態の進行速度が前と同じだとして、これが最初の発熱だとすれば、真琴は後一ヶ月もしないうちに、消えてしまうことになるのだ。
 自分で立てた予測に、目の前が真っ暗になる。蒼褪めたわたしを心配する家族の声が、何処か遠くに聞こえた。
 ――舞歌、しっかりして。まだ、間に合う。
 ――そうだよ。舞歌は皆を助けるために戻ってきたんでしょ。それなのに、肝心な時に何もしないでいてどうするの。こういう時のための用意、ちゃんとしてるんでしょ。
 わたしの中の舞とまいちゃんの二人に叱咤され、わたしは思わずハッとした。
 ――そう、だったわね。
 ショックで忘れた我を取り戻すと、わたしは二人にお礼を言って行動を開始する。まずは真琴が苦しくないように、わたしの力を使って代償の不足分を補った。
 それから、一緒に真琴の様子を見ていた祐一に声を掛ける。せっかく誘ってくれた彼には申し訳ないのだけれど、今のわたしにとっては、彼女を救うことこそが最優先事項だ。
「あの、祐一、申し訳ないんですけど」
「ああ、良いですよ」
「済みません……」
「まあ、舞歌さんとはいつでも出掛けられますし。その代わり、今日はなるべくこいつの側にいてやってくださいね」
 察して了承してくれた彼に、わたしは軽く頭を下げる。何だかんだと言っても、祐一も真琴のことが心配なのだろう。
 その優しさをもっと普段から態度に表わせば、真琴も少しは彼に対する態度を改めそうなものだけど、まあ、無理でしょうね。そういう性格なのだ。
 そんな過去の自分を見て、今の自分を顧みると、何だ、そんなに変ってないじゃないかと思う。安心すれば良いのか、それとも、成長していないことを嘆けば良いのか、微妙なところではあるのだけれど。
   * * * * *
  Maika Kanonical〜奇跡の翼〜
  第12章 新しい絆
   * * * * *
 祐一に言われたから、というわけではないのだけれど、わたしはその日、夕方までずっと真琴の側に付いていた。
 力を送ることで、彼女が存在するための代償の不足分を補えると言っても、それは簡単なことではない。外部からの急激な力の流入は、却って身体を傷つけてしまうからだ。
 消耗具合から不足分を推測しながら少しずつ、ゆっくりと力を送り込んでいく。同時に彼女の存在の中核を成す部分を特定し、そこへと至る道に印を付けることで、契約の下準備を整えた。
 幾ら真琴を助けるためとはいえ、その存在の本質に手を入れる以上、そこから先はきちんと説明し、彼女の同意を得てからでなければいけない。
 目が覚めた真琴を着替えさせる名目で祐一に部屋から出てもらい、名雪には真琴の食事を作るための材料を買いに行ってもらった。
 秋子さんは今日も仕事で、今は家にいない。
 それでも、念には念を入れて、部屋の入り口に人払いの呪符を貼ると、わたしは不思議そうにこちらを見上げてくる真琴へと向き直った。
「どうかしましたか?」
「……夢を見たの」
「夢、ですか?」
「うん。あたしと祐一の夢。夢の中のあたしは今よりずっと祐一のことが許せなくて、祐一にいろいろ酷いことをするんだけど、いつの間にかその許せない気持ちも小さくなっていって……」
 わたしを見上げたまま、たどたどしく話す真琴。それはわたしにとっては昔の、真琴にとっては起こり得たかもしれない未来の話。
 知らないうちに力と一緒に記憶の一部を送ってしまっていたのだろう。やがて話が彼女自身の過去のことに及ぶと、わたしは急いで真琴にそれ以上話すのを止めさせた。
 このまま代償として失ったはずの記憶まで思い起こしてしまえば、彼女の消滅への流れを加速してしまいかねなかった。それに、記憶が戻る際の強烈なフラッシュバックに真琴のまだ幼い精神が耐えられるとは思えない。
 だが、既に始まった記憶覚醒の流れを強引に止めようとすれば、真琴の精神に多大な負荷を掛けることになる。その結果、彼女の心が壊れてしまったのでは本末転倒だ。
 わたしが迷っている間にも事態は進み、間もなく真琴は求めていた記憶と共に、自分が何者であるかを理解することになるだろう。せめて、その時、真琴が壊れてしまわないように、わたしは先に付けた印を辿って彼女の中へと潜り込んだ。
 ――何て無茶をするの!?
 ――舞歌、下手をしたら、今ので消えてた。
 記憶のフラッシュバックによる衝撃を、自らの精神を盾にすることで逸らし、自分の身体へと戻ったわたしに、舞とまいちゃんの怒声が飛ぶ。声という空気の振動を介すことなく届けられたそれは、先の衝撃よりも激しくわたしの心を揺さぶった。
「抗議は後で聞きます。真琴も、時間がないから手短に説明するわね」
 そう言うと、わたしは契約に用いる陣を展開しながら、真琴にこれからしようとしていることを説明した。
 簡単に言うと、式神を構成する際に用いる霊核を、真琴自身の存在の核と融合させることで、彼女がわたしから力の供給を受けられるようにするのだ。
 足りないものは、他から補えば良い。本当は、完全に自立した状態にしてあげたかったのだけど、わたし程度の技術ではこれが限界だった。
「でも、そんなことして大丈夫なの?力があたしに流れるってことは、その分、舞歌の力が減っちゃうわけでしょ」
「そうね。でも、だからって、このまま真琴をいなくならせるわけにはいかないもの」
「あたしは……」
 何かを堪えるようにそう言う真琴の言葉を、頭を軽く叩いて遮る。
「子供が大人に気を遣ったりしない。それに、真琴はまだ、祐一に何も仕返し、出来てないじゃないの」
「祐一……」
「わたしとの契約が嫌だって言うのなら、そうね。これはわたしの我が侭として通させてもらうわ。わたしは真琴がいなくなるのは嫌だから、そんなことにならないようにわたしに繋いでしまうの。言っておくけど、その場合の真琴に拒否権は無いからそのつもりで」
 悪戯っぽく笑ってそう言うわたしに、真琴は諦めたように溜息を漏らすと、一度頷くように俯いてから顔を上げた。
「わかった。その代わり、舞歌に何かあったら、その時はあたしが舞歌を守るから」
「契約成立ですね」
「あ」
 決意に満ちた表情でそう言う真琴に、わたしは自然な笑みを浮かべて頷くと、彼女の額にキスを落とす。それを合図に、わたしと彼女との間にラインが結ばれ、ここに契約は成った。
「何処かおかしなところはないですか?」
 突然キスされて呆然とする真琴に、わたしは何事もなかったようにそう尋ねる。
「あ、うん。……じゃなくて、いきなり何するのよ!?」
「何って、契約ですよ。ほら、目を閉じてみてください。何か感じるでしょ?」
「あ、本当だ」
 言われるままに目を閉じて、真琴はすぐに気づいたようにそう言葉を漏らす。
「何をにやけてるんですか?」
「あぅ、だって、何だか舞歌にぎゅってされてるみたいで、気持ち良いんだもん」
 だらしなく緩ませている真琴の頬を軽く指先で突付きながらそう尋ねると、彼女は何とも嬉しそうな様子でそんなことを言ってくれた。
「嬉しいですけど、他に人がいるときは普段通りにしてなさい。祐一あたりに見られたら大変ですよ」
「あぅ、分かったわよ」
「それと、着替えましょうね。せっかく汗を掻いたのに、そのままではまた熱を出してしまいますから」
「はぁい」
 わたしの言葉に素直に頷くと、真琴はその場で着ていたものを脱ぎ出す。
 ――まずは一人……。
 霊核を融合させた影響がどうなるかは未知数だし、他の人のこともあるからまだまだ気を抜くわけにはいかないけれど、少なくとも今はこの心地よい疲労感と達成感に浸っていても良いだろう。
 こちらの視線なんて、まるで気にしたふうもない真琴の様子に、思わず苦笑しつつ、わたしは裸になった彼女の身体をバスタオルで拭いてあげた。
   * * * * *
 翌朝、わたしは珍しく寝坊した。昨日無茶をしたせいか、名雪の目覚まし大合唱が始まるまで起きることが出来なかったのだ。
 おかげでまた早朝鍛錬が出来なかったし、せっかく秋子さんが早起きして作ってくれた和食をゆっくり味わう暇もなかった。
 そして、今、わたしは名雪たちと一緒に通学路を走っている。消耗しているとはいえ、名雪と並んで表情を崩さない程度の余裕はまだあるのだ。
 それに引き換え、祐一は相変わらず着いてくるのがやっとの様子。今後のことを考えると、そろそろ本格的に鍛えてやったほうが良いかもしれない。
「おはようございます」
 教室に入ると、佐祐理さんがわたしに気づいて挨拶してきた。
「おはようございます」
 わたしはそれに微笑を浮かべて応えると、鞄を机の横に掛けて席に着いた。
「それで、昨日はどうでした?」
 一時間目の授業の用意をしようと鞄を開けたわたしに、佐祐理さんがそう尋ねてくる。はて、何のことだろう。
「デートですよ。昨日、祐一さんと出掛けたんでしょ?」
 軽く身を乗り出してそう言う彼女に、わたしはああ、そのことかと得心した。佐祐理さんも年頃の女の子だ。そういう話題には目が無いのだろう。
 しかし、残念ながら彼女の期待するような展開は何もなかった。それどころか、昨日は出掛けてすらいないのだ。
 わたしがそのあたりの事情を掻い摘まんで説明すると、佐祐理さんは少し残念そうに肩を落として席に座り直す。
「でも、ご家族の方に急病だなんて、大変でしたね。それで、その子、今は大丈夫なんですか?」
「はい。急病といっても風邪ですし、昨日の夕方には熱も下がりましたから。でも、今日は大事を取って、一日寝ているように言い聞かせてきました」
「風邪は万病の元って言いますもんね。舞歌さんも気をつけてくださいね」
「ありがとうございます」
 心配してくれる佐祐理さんにお礼を言うと、わたしは机の上に教科書を立てて、ノートを取るふりをするための用意を整える。
 今日の一時間目は古文だ。この教科はまたの名を睡眠誘導剤と言い、まったりとした老教師の声も相俟って、授業開始から五分と経たずにほとんどの生徒を夢の世界にご招待してしまうという、恐ろしい授業なのである。
 わたしはこの精神攻撃に抵抗出来る、数少ない生徒の一人だったのだけど、今の消耗具合を考えると、さすがに真っ向から立ち向かう気にはなれなかった。
 ――閑話休題。
 気が付くと、もう四時間目も半ばを過ぎてしまっていた。どうやら、また熟睡してしまったようだ。
 佐祐理さんも起こしてくれれば良いのに。そう思ってちらりと彼女のほうを見ると、何故か微笑ましそうにこちらを見ている佐祐理さんと目が合った。
 何事かと首を傾げ、ふと手元に目をやると、そこには今日の四時間目の科目である、英語のノートが広げられていた。
 わたしはノートに書き込みをする姿勢で固まっていて、そのことから舞かまいちゃんのどちらかが代わりにノートを取っておいてくれたのだろうと推察することが出来る。
 ――しかし……。
 どうせならちゃんと漢字を使って書いてほしかった。特に、舞は高校三年までの過程をほとんど終了していたのだから、もし、これを書いたのが彼女だとしたら少し情けなくはないだろうか。
 まあ、本当なら、後で佐祐理さんに頼んでノートを見せてもらわないといけなかったわけだし、助けてもらった立場では文句を言うことも出来ないのだけど。
 平仮名の目立つ和訳文を見て溜息を吐くと、わたしは残りの授業を自分で受けるべく、崩れかけていた姿勢を正した。
   * * *
 それから程無くして午前の授業も終わり、今日もお昼を一緒しようと誘ってくれた佐祐理さんに、さすがに手ぶらでは申し訳ないからと言って、先にあの場所に行っていてもらうと、わたしは今日の昼食を手に入れるべく購買へと向かった。
 目当ての物を入手しようと犇めき合う学生たちを押し退け、適当なパンを数個購入して戻る。
 その際、無謀にもわたしに痴漢行為を働こうとした男子がいたが、そういう輩は瞬く間に人並みに呑まれて潰れてしまったので、わたしが直接手を下すまでもなかった。
 自販機で飲み物を買って、例の階段の踊り場へと向かう。しかし、女子の身体であの荒波に立ち向かうのは案外疲れるもので、廊下を歩くわたしの足取りは幾分覚束ないものになってしまっていた。
 明日からはわたしもお弁当にしよう。作るのは大変だけど、そのほうが経済的だし、栄養のバランスも取りやすいはずだ。
 ついでに祐一や名雪の分も作ってあげよう。
 特に祐一は佐祐理さんのお弁当を分けてもらっているとはいえ、育ち盛りの男子には少し物足りないはず。それに、名雪の出費が抑えられれば彼女が祐一にいちごサンデーをたかることも少なくなるかもしれない。
 そんなことを考えながら廊下の過度を曲がった時だった。
 何やら校庭のほうが騒がしいと思って見てみれば、そこには野球のバットを手に野犬と対峙する舞の姿。状況を察したわたしは迷わず窓枠に足を掛けると、そこから外へと飛び出した。
「――待ちなさい!」
 おそらくは、一撃与えて抵抗の意志を失くさせようと考えたのだろう。バットを振りかぶる舞に、駆け寄りながらそう叫ぶと、わたしは彼女が振り下ろしたバットを片手で掴んで止めた。
「無闇に生き物を傷つけるものじゃないわ」
 周囲から悲鳴とも歓声とも付かないどよめきが巻き起こるのを無視しながら、わたしは舞の目を見て諭すようにそう言った。
「でも、この子は危険」
「それは、あなたたちのせいですよ。いきなり大勢に囲まれれば、誰だって怯えてしまいます。それに舞、あなたの持っているそれは凶器でしょ。攻撃の意志を向けられて、平然としていられる生き物はそう多くはありません」
 前半は皆に聞こえるように、そして、後半は舞にだけ聞こえるよう小声で言う。舞はまだ何か言いたそうにしていたけれど、わたしはそれには取り合わず、未だ怯えている野犬と目を合わせた。
「あなたも、食べ物が欲しいのなら次からはもう少し小さい群れと接触したほうが良いですよ」
 そう言って先程購買で買ったパンの中から一つを選んで差し出すと、野犬はそれを銜えて何処かへ走り去ってしまった。
「行きましょうか。佐祐理さんたち、待ってますよ」
 所在なげに立ち尽くしていた舞にそう声を掛け、わたしは彼女の手を取ると校舎に向かって歩き出す。その時、視界の隅に祐一に一礼して、去っていく栞の姿が見えた。
 そして、野次馬たちの間で囁かれる心無い言葉。
 わたしは彼らに向けて一瞬だけ殺気を解放して黙らせると、足早にその場を立ち去った。
 誤解されるような行動を取る舞も問題ではあるのだけれど、やはり、彼女のことを悪く言われるのは気分の良いものではない。
 舞自身のためにならないからと思って第2案としていたけれど、これ以上状況が悪化しないうちに、事態を収めてしまうのも一つの手かもしれない。

   * * * つづく * * *





真琴の方は何とかなったみたいだな。
美姫 「まだ確実ではないみたいだけれどね」
このまま何も起らないと良いな。
美姫 「で、舞の方は」
これからって感じかな。
どうなっていくんだろう。
美姫 「次回も楽しみね」
うんうん。次回も待ってます。



▲頂きものの部屋へ

▲SSのトップへ



▲Home          ▲戻る