――夜が、明ける……。
 月が西の空に姿を消し、東から新しい太陽が昇る。
 そして、古い夜と新しい朝の境界……。
 朝焼けと呼ばれるその一瞬の自然現象の中に、わたしは夜を越えられなかったものたちの断末魔を確かに聞いたような気がしていた。
   * * * * *
  Maika Kanonical〜奇跡の翼〜
  エピローグ〜see you again〜いつか、また……
   * * * * *
「お世話になりました」
 そう言って頭を下げるわたしに、秋子さんはにこやかに笑って、またいつでも来てくださいねと言ってくれた。
「時々メールとかしますね」
 たった今交換したばかりのアドレスを確かめつつ、そう言ってくれた名雪は少し寂しそうだ。
「こちらのことは、わたしたちに任せてください」
 そう言ってチラリと視線を向ける天野に、真琴も任せなさいとばかりに、軽く胸を叩いてみせる。うん、この二人なら、きっと上手くやっていけるだろう。
「舞歌さん、その、ごめんなさい……」
 申し訳なさそうにそう言って、頭を下げる香里。彼女はまだ、彼に話してしまったことを気にしているのだろう。わたしはもう気にしていないというのに、意外と頑固な子だ。
 あるいは、あちらにいた時、自分と心中を図った名雪を止められなかったことを悔いての言葉だったのか。
 あちらの名雪を送り出した後、わたしが香里に聞いた話によると、あちらで事故に遭った秋子さんは、そのまま帰らぬ人となってしまったのだという。
 その頃には既に“俺”も行方不明になっており、一人になった名雪は、迷わず母親の後を追おうとした。だが、それに香里を巻き込んだのは、一人で逝くのが寂しかったからなのだろうか。
 ――閑話休題……。
 卒業式を三日後に控えた週末の朝だった。無事、と言って良いのかどうかは微妙なところではあるけれど、交換留学の日程を終了したわたしは、その日、たまもと一緒に海鳴へと戻ることになっていた。
 ここの人たちともそれぞれに新しい関係を築き、たまもという頼もしいパートナーを得ることも出来た。悲劇を回避させるという本来の目的も概ね果たせたと思うし、ここから先はわたしにも本当にどうなるか分からないので、今はどうしようもない。
 ただ、助けが必要な時には馳せ参じようと思う。友人として、あるいは家族として、それは当たり前のことだから。
 乗るのは正午の電車にして、その前にわたしはあゆの入院している病院へと寄っていた。栞の定期健診の付き添いだとかで、これまでにも何度か訪れてはいたけれど、彼女本人をお見舞いするのは、多分、これが最初で最後になるだろう。
 七年間も昏睡していたあゆが、意識を取り戻したからと言って、すぐに退院出来るはずもなく、日常生活に必要な筋力を取り戻すために、リハビリに励む日々が続いている。
 そんなあゆに励ましの言葉の一つでも掛けようと思って、彼女の病室を訪ねたわたしは、そこで先に来ていたらしい祐一と鉢合わせてしまった。
 あの異界で相対してから、わたしは事務的なこと以外で彼と言葉を交わしてはいない。正体を知られたことで、わたしは彼にどのように接すれば良いか分からなくなってしまったのだ。
 それは祐一のほうも同じだったようで、彼のほうからもわたしに話し掛けてくることはなかった。
 お互いがお互いを避けている様子は、周囲にはどう映っていたのだろう。真琴や名雪は、喧嘩でもしたのかと心配そうにしていたけれど、わたしは悪いのは自分だからと言って、やんわりと彼女たちの追及を遮った。
「さすがに、ここはまだ寒いですね」
 話があるからと祐一を誘って、病院の屋上へと出たわたしは、吹き荒ぶ風の冷たさに思わず肩を竦めた。
「そりゃ、まだ雪も残ってるくらいだからな。話なら、喫茶スペースとかでも良かったんじゃないのか」
「そこだと、他の人に聞かれてしまうかもしれませんからね。大丈夫、そんなに時間は取らせませんから」
 同じように寒さに顔を顰める祐一に、わたしはそう言って笑い掛けると、この七年の間にわたしの身に起きたこと、わたしがしてきたことについて語った。
 もちろん、すべてを話したわけではない。裏に関わる事や、家族や友人のプライバシーに関することなど、それこそ話せないことは山ほどあった。
 ただ、わたしがこちらの世界に来ることになった経緯と、そこから現在に至るまで、わたしがこの町で起きるはずだった悲劇を回避させるためにしてきたことは、全部話した。
 所詮はただの自己満足。今こうして祐一に話しているのだって、きっとそれ以外の何物でもないのだろう。それに関しては、弁明するつもりもない。
 だから、どうして今更そんな話をするのかという祐一の質問に対しても、わたしは素直に自分が聞いてほしかったからだと答えた。
「あなたは、わたし自身もですけど、いろいろと一人で抱え込んでしまう癖があるでしょ。だから、なるべく知らせないようにしていたんです。でも、もうその必要もありませんから」
 そう言って微笑むわたしに、祐一は苦いものでも食べたような顔をする。さすが自分だとでも思っているのだろう。けれど、残念ながらそれは少し違う。今のわたしはもう、相沢祐一ではないのだから。
「さて、話はこれで終わりです。身体も冷えてきましたし、戻りましょうか」
「待てよ」
 踵を返したわたしに、祐一が待ったを掛ける。
「あんたが俺に話さなかった理由は分かった。確かに、俺も自分の悪い癖は少しは自覚してるからな。たぶん、それで正しかったんだと思うよ」
「納得していただけたようで何よりです。それと、自覚があるのなら、少しは自重してくださいね」
「ああ、けど、それはあんたにも言えることなんじゃないのか」
 頷きつつもそう切り返してくる祐一に、わたしは思わず苦笑する。確かに、その通りではあるのだ。
「それと、あんまりからかわないでくれないか。その、本気にしちまうから」
「えっ?」
「し、仕方ないだろ。俺はあんたの正体を知らなかったんだから」
 そう言って視線を逸らす祐一に、わたしは思わず噴き出してしまった。
 それからわたしたちは病院内の喫茶スペースに移動して、しばらく他愛の無い話で時間を潰した。ちなみに、冷えてしまった身体を暖めるために買った飲み物は、祐一の奢りだったりする。
 わたしから強請ったわけじゃなくて、彼のほうがまるでそうするのが当たり前みたいに奢ってくれたのだ。曰く、名雪や栞たちに奢らされるのに比べれば、これくらいは何でもないのだとか。
「それに、自分から奢るんだから、恰好も付くだろ」
「確かに無理矢理奢らされるのは恰好悪いですもんね」
 二人して顔を見合わせて苦笑する。同じ経験をしたもの同士、その苦労は痛いほどよく分かる。しかし、あの子たちはまだ祐一に集るのを止めてなかったんですね。
「では、わたしはそろそろ行きますね」
 腕時計に目をやって、たまもとの待ち合わせの時間が迫っていることを知ったわたしは、飲み終えた紙コップをゴミ箱に放って立ち上がった。
「駅まで送るよ」
 そう言って祐一も席を立つ。検診の終わった栞とロビーで合流して、わたしたちは三人で駅へと向かった。
 道中、わたしに対する祐一の喋り方が砕けたものになっていることに、栞が気づいて、あれこれと詮索されたり、からかわれたりしたけれど、今日くらいはそれも良いかと大目に見ることにした。
 栞とも今度はいつ会えるか分からないのだから。
 わたしたちが駅に着くと、そこには見送りに来てくれたらしい秋子さんたちの姿が。この町を離れる前に、もう一度見ておきたい場所があるからと言って、別行動していたたまもも既に来ており、一人一人と丁寧に別れの挨拶を交わしている。
 わたしも彼女に習って、一人ずつ握手を交わし、最後に再会を約束する言葉を残すと、たまもと二人で電車へと乗り込んだ。
「では、いつか、また……」
 ドア越しに小さく手を振り、それに答えてくれる人たちを見て、思わず笑みを零す。皆が皆、笑顔で送り出してくれていることに、大きな安堵と、それ以上の喜びを感じている自分がいる。
 わたしが護っただなんて、そんな大それたことを言うつもりは無い。ただ、知り合いが困っていて、その人のために何かしたいと思ったから、手を差し伸べた。わたしのしたことは、そんな、誰もが出来る、ごく当たり前のことだ。
 そして、彼女たちはわたしの差し伸べた手を掴んでくれた。少し引っ張られながらも、自分から立ち上がって、もう一度自分の足で歩いていこうという気概を見せてくれたのだ。
 大丈夫。転んで擦りむいた傷は痛いだろうけど、そこで歩くのを止めてしまわなければ、きっと、いつかは目指す場所に辿り着けるはずだから。
「お疲れ様でした」
 走り出した電車の中、席へと移動したわたしに、隣に座ったたまもが労いの言葉を掛けてくれる。
「ありがとう。でも、戻ったら戻ったで、きっといろいろ大変だと思いますよ」
 そう言いつつ思いを馳せるのは、久しぶりに帰る我が家のこと。海鳴の人外魔境とまで言われるあの場所は、北の町以上に騒動に事欠かない場所なのだ。
「そんなふうにおっしゃる割には、嬉しそうですね」
「ええ、久しぶりの我が家ですもの。たまものことも、ちゃんと皆に紹介しますから、覚悟しておいてくださいね」
 そう言って笑うわたしに、たまもの頬を一筋の汗が伝う。彼女もきっと、家の人たちのテンションには圧倒されるに違いない。そう思うと、楽しみやら申し訳ないやら。
「お、お手柔らかにお願いします」
 わたしの思念を読み取ったのか、たまもは早くも及び腰だ。
「うふふ、わたしもこれまで以上に頑張りますから、これからもよろしくお願いしますね」
 そう言ってたまもの腕を取ると、わたしはそっと彼女に寄り添った。身体から力を抜いた途端、張り詰めていた間は気づかなかった疲労感が一気に押し寄せてきて、わたしの意識を眠りの淵へと押し流す。
 やり遂げたという達成感から、気の緩んだ今のわたしに、それに抗うだけの気力はもう残ってはいなかった。
 ――戻ったら大変なのでしょ。なら、今はお休み下さい。
 遠く、たまもの思念がわたしにそう語り掛けてくる。声は優しく、穏やかな彼女の温もりに、わたしは安心して意識を手放すことが出来た。
 そう、花音市の皆と別れるのは少し寂しかったけれど、海鳴に戻ればまた、騒がしくも楽しい毎日が始まるのだ。そして、それを護るためのわたしの戦いも……。
 なら、今は休もう。
 この疲れを残したまま戻ったりしたら、あの人たちの中では数日と持たないだろうから。それはそれで、楽しいことになりそうだけど、あまり余計な心配を掛けるのも悪いだろうし、ここは大人しく休養しておくとしよう。
 ――good night.……良い夢を……。
 優しい視線を向けてくるたまもに、そう思念を送ると、わたしは深い眠りの世界へと落ちていった。
   * * * おわり * * *



  あとがき
 どうも、安藤龍一です。
 いろいろと消化不良な感は否めませんが、Maika Kanonical〜奇跡の翼〜、ここに完結です。
 このお話は、7年前というキーワードが切欠となって思いついたものでした。
 祐一が北の町を離れることになったのが七年前のことなら、仁村姉妹がさざなみに来たのも七年前。この一致に着目し、kanonととらハのクロスオーバーとなりました。
 ただの逆行では無く、融合TSとでも言うべき状態にしたのは、普通の逆行では原作とそんなに変らないように思えたからです。
 明確な描写はありませんが、祐一は原作の舞編でも過去に飛んでいるように感じられましたので。
 さて、内容ですが、今回は逆行物の定番である史実改変を目的としながらも、可能な限り裏方に徹するというコンセプトの下に構成を組み立ててきました。
 kanon原作を見るに、彼ら彼女らの悲劇は、周囲に支えてくれる大人がいなかったことではないかと考えました。そこで、舞歌という精神的には大人なキャラを登場させ、要所要所でアドバイスをさせるようにしました。
 彼女たちの問題は、結局は自分で立ち向かわなければならないものですし、奇跡云々を別にすれば、何も特別なことではないと作者は思うわけです。
 まあ、ここで言うほど大したものになっていないのは、偏に作者の実力不足によるものですが。本当、済みません。
 こんなお話でも楽しんで読んでいただけたなら、幸いです。そして、最後まで読んでくださった方々、作品掲載の場を提供してくださった浩さんに、この場をお借りして最大級の感謝を。
 ありがとうございました。
   * * * * *





完結おめでとうございます。
美姫 「おめでとうございま〜す」
とうとう完結してしまいましたか。
逆行だけじゃなく、融合した上にTSという凄い設定には本当に楽しませてもらいました。
美姫 「舞歌が主役だから、裏方に徹していても話は彼女を中心に」
その分、祐一側は大きな問題もなく過ぎていったと。
北の地での舞歌の活躍はこれでお仕舞い。
美姫 「海鳴に戻ったら戻ったで、騒がしい日々が待っているんでしょうね」
ともあれ、もう一度、完結おめでとうございます。
美姫 「投稿ありがとうございました」



▲頂きものの部屋へ

▲SSのトップへ



▲Home          ▲戻る