謹言、尊敬するアンブローズ=ビアス先生。

アンタが―――貴方がご存命で私と同じ体験をされたらどのように表現されたでしょう。

 

超リアリストでニヒリストである貴方ならば、きっとふさわしい表現を頂けると信じております。

 

畏。

 

 

文法的に駄目な現時逃避をかましながら、朧は口元に茶を運んで啜る。

途端に内臓から引き攣るような痛みが走る。それを顔に出さず卓へ茶碗を置く。

 

(気息を整えて六割か・・・・・久しぶりに使い過ぎた)

 

全身にある氣脈と氣穴を繋げて流れを作り出される力を内力と呼ぶ。流れの作り出し方を内功と呼び、時折内力と同一視される。本来の“独孤九剣”はこの内力を最小限で最大限の効果を発揮させる。しかし、多くの教えが失伝した不完全な“独孤九剣”はそれが完全にできない。

 

呪いのごとく脆弱さを負った朧の肉体は過度の内力の使用に耐えられない。本来の“独孤九剣”ならばその危険性も大幅に下がるのだが。

戦えなくなる限界という意味だけではない。過度の使用により死亡するのだ。

 

今の朧は、慣らし運転もせずに内力を使用したため、慣れていない身体の内に損傷を負っている。

気息を整え、氣脈と氣穴の流れを制御すれば徐々に治るが休息は必要になる。

 

 

「さて・・・・・・・・・」

 

気息を整えつつ今後の方針について考えを巡らせる。

 

トンデモナイ成り行きになってしまったが、ここはパラレルっぽい三国志。ここに来た原因は泥棒野郎であり、更に言うなら寸剄で割った鏡だと考えられる。

 

あの鏡が何で、どういう作用でこうなったのかが解からなければ戻る算段もつかない。

まずはその部分についての精査をすべきなのだろうが、無理だ。科学的な方法は不可能。あの鏡と同じような作用を起こすものを探すのも、おそらく不可能。

 

つまり、否応なくこの世界で生きなくてはならない。

 

方針とは“どう?”生きるか。三国志の世界は群雄割拠の乱世。

極論すれば奪う者と奪われる者の世界。

今は郭嘉が俺を拾ってくれている。それも何時までか保証はない。

 

ならばどうするのか?―――答えは決まっている。

乱世に乗れ。あまりに単純で絶望的な命題。

一騎当千の兵が、神算鬼謀の文士が、犇き鎬を削る世界で未来の知識と中途半端な武術しか持たない餓鬼が何をできる。

 

それでも生きたいなら挑戦しなくてはならない。何もせず野垂れ死にするか、挑んで無残に死ぬか。

 

疎んじられ、忘却されるように努めなければ消されてしまうほど卑小な生き方をしてきた朧にとって、この世の全てはリアリズムに立脚して構築されている。希望的観測は死と同義

最大限の絶望を想像し続けて生きる。生きることが生きる目的という自己矛盾を常に自覚している。

 

――生きろ。

 

少なくともこの世界には、自分を標的する者はいない。才能を一欠片も使うことを許さぬ監獄の世界からは解き放たれている。兄も、父も、衆目もない。

歓喜が身を伝い、脳髄に鮮烈な刺激をもたらす。歯牙にもかけられない才能かもしれない。だが、挑む権利はあるのだ。ならば何も躊躇うことはないだろう。

 

 

茶碗の中身は空になっている。茶は茶でも、電気ポッドのない時代だから簡単にお代わりはできない。

朧は茶碗を手慰みに弄びながら、今後の方針を更に練る。女の準備は長いと分かっている。一時間、二時間は―――腕時計はあるがまったくアテにならない―――覚悟している。むしろ好都合。ノットウェルカム。

 

朧の基本方針――つまるところ、この世界で生きていくために成り上がりたいのだ。

 

しかし、この時代は成り上がることが非常に難しい。それを説明するには中国の宗族制から始まるが、簡単に言えば拠って立つ基盤がないのだ。

一介の貧民上がりである劉備が蜀皇帝まで上り詰めたのははっきり言って運である。中国風に言えばそれだけの天命を背負って生まれたとも言えるが。

 

劉備は自分を“中山靖王・劉勝の子孫”と自称していた。まず嘘である。ただ、当時の人がそれを信じたのにはそれなりの理由がある。劉勝は好色多淫な男で、五十人以上の子を成したと言われている。劉備がその庶子の血を引いている可能性は零ではない。ただ、数多いる血縁の薄い子孫の一人程度しかないが。

 

結局のところ、劉備は漢王朝の血統――の可能性が僅少――という役割を求められ、果たした。それを更に儒学道徳に沿った形に話を流せば英雄・劉備の出来上がりである。如何に劉備本人が無能であっても、周りがフォローして担がれてさえいれば良いのだ。

 

朧にとって、劉備の話は一顧する価値もない与太話である。法家の怪物である曹操を相手に、儒家が勝てるわけがないのだ。孔子ですら管仲の成功を妬んでその功績を抹消するべく偽弁学を創始したほどなのだ。

 

やるからには生ぬるい方法では駄目だ。

家柄も、金もない。あるのは頭脳一つ。

それで這い上がる方法は一つ。

 

黄巾賊を倒して成り上がる。これしかない。

黄巾賊に加わって漢王朝を倒すのは却下。別に正道とか関係ない。中国史上、この手の農民反乱が王朝を打倒したとしても体制を維持できた試しがないからだ。

 

だからと言って一兵卒は厳しい。そも脆弱な肉体に過酷な兵卒は無理だろう。付け加えるならこの見るからに怪しい服装も駄目だ。

考え得るのは、何とかして官軍側の指揮官クラスと繋ぎをつけて参謀役にでも納まることだが・・・・これも割りと不可能。

 

 

「いや・・・参った。いきなり手詰まりだ」

 

くどいようだが、儒学マンセーの時代で普通の栄達を望むためには儒学的名声を挙げなくてはならない。

儒学はあくまで道徳であり、政治にまで応用するから腐ると考えている朧にとって儒学的名声を挙げるなど苦痛以外の何者でもない。しかも時間が掛かる。却下、却下。

 

残った方法は、“独孤九剣”を駆使して戦闘における功績を立ててそれなりの地位を獲得することだ。

うわっ、物凄くアバウトだよとセルフ突っ込みを入れているがそれしか方法がない。注意すべき点は、罷り間違ってモロに官軍側で功績を立てないこと。下手をすると董卓の洛陽占拠で粛清されかねない。

 

朧は不甲斐無さに溜息一つ。いかに帝王学を徹底して叩き込まれたところで、時代が違えば常識も違う。

立て掛けておいた黄巾賊から奪った剣を鞘から抜く。鉄製の剣で、矛を剣にしたものではない。鞘がついているということは、剣としての使用を前提にしている。おそらくどこかの士族から巻き上げたものだろう。

質の良い剣とは言えないが、丈夫さだけは中々のものだ。しばらくはこれが相棒になる。丁寧に扱うべきだろう。

 

 

「・・・・何を百面相しているのだか・・・」

「おわっ!?」

 

気付けば目の前に郭嘉。

 

「随分早かったな」

「・・・既に一刻は経ってる」

「なぬっ!?」

 

時計を確認。正確な時間を表示しなくとも、どれだけ経過したかはわかる。

確かに二時間弱経ってる。

 

「ふっふっふっ・・・・・」

「何笑ってるんだか・・・」

「見て驚くなっ!」

「わーびっくり・・・・」

 

 

――スパコンッ!!

 

覇璃扇(?)で頭を叩かれた。

 

 

「・・・・何をする」

 

というか、その手に持っている謎のハリセンもどきは何だ?とツッコまなくて何を突っ込む。

 

 

「これか?」

「そう、それだ」

「・・・・拾った?」

「疑問系!?」

 

しかも拾ったって!?

拾うな。むしろ、誰が落としたんだ、それ。

 

 

「まぁ、細かいことはどうでも良い」

「あんまり良くないと思うが・・・」

 

 

郭嘉は小声を軽く無視して、指を鳴らす。

呼び鈴があるのにわざわざ指を鳴らすのは芝居がかかりすぎている。

 

それに付き合うのも粋だろうと考えた朧は黙っていたが、扉を開けて入ってきた女の子を見て絶句した。

 

 

金よりも美しい金髪は気品に溢れる光沢を放つ。

その髪をセミロングで揃え、左右に一房ずつ胸元まで垂らしている。

泥と垢を念入りに落とされ、本来の色を取り戻した肌は乳白色を取り戻している。

服も襤褸切れから――肩が露出し、フリルをあしらった黒いワンピースと、赤いストッキングに着替えている。

 

角らしき突起は小さなファッション帽で見事に隠されている。

 

 

「・・・・・・・・・」

 

 

言葉が出ない俺に、郭嘉は中々豊かな胸をふふんと張る。

 

 

(どんなものだ?)

(最高だ!)

 

向こうの世界でもここまでの美少女に、ここまで似合う服を選べるスタイリストはいないだろうと、どうでも良いことを考える。

 

 

「あの・・・・」

「おっと、悪い・・・つい、君があんまり綺麗だから見惚れてた」

「えう!?」

 

可愛いに反応し過ぎて女の子は奇声を上げる。

俺と郭嘉はそれが可笑しくて、込み上げる笑いを堪える。

 

「歯が浮くような台詞だが、自信を持っていい。君は美しい。美しいものはそれを磨き、誇りなさい」

「郭嘉の持論もさておいてだが、俺は綺麗なものは綺麗だと言う――――っと、そう言えばまだ名前を聞いてなかったな。俺は緋皇乃宮 朧」

「私は郭嘉。郭嘉奉孝だ。一応、この家の主で、阿呆なのか賢人なのか今ひとつ解からない朧の保護者でもある」

 

阿呆は余計だ、とチョップ。

 

「わ、私は、姓は典、名は韋・・・字はありません・・・」

「字がない?」

「捨て子でしたので・・・産着にそれだけ書いてあったそうです」

「ふむ、そうか・・・ならば典韋と呼ぶぞ?」

 

などと、郭嘉は捨て子であるという話を気にも留めず話を続ける。

このご時世、口減らしに殺されないだけでもマシということか。

 

しかし、典韋ね・・・。

三国志において呂布に匹敵する武将の一人に数えられる猛者が、こんなに綺麗な子とは。

くそ・・・この世界に来て良かったとか思ってる自分が居やがる。

 

 

「あの・・・朧様」

「ん?」

 

くいくぃっ、裾を引かれてそちらを見る。

典韋が下から魔性を漂わせる紫色の瞳で見上げている。

 

「・・・・・・」

 

正直言って、理性に厳しい。

 

「助けて・・くださって・・・ありがとうございます」

 

そう言って、典韋は見よう見まねと丸分りの礼をとる。

きっと、この子は身なりを整えるときに郭嘉から聞いて練習したんだろう。

 

身を屈めて目線を合わせる。

 

「君に気付いたのは郭嘉だ・・・俺はただ連中を追い払う手伝いをしただけだからな、そこまでしてもらう資格はない」

「でも・・・それでも、私は・・・嬉しかったんです・・・だって・・・あの・・・」

 

たどたどしく言葉を出そうとする典韋の頭に手を乗せて、笑みをかける。

その先を言わせないために。俺もそこまで言わせるほど野暮ではない。

 

「・・・・・・」

 

ちょっと分りにくいが、嬉しそうにしているのを確認しながら郭嘉へ目線を送る。

郭嘉は肩を軽く竦め、“君の好きなようにするが良い”と目線を返してきた。

目線で分かり合える付き合いになるのが早すぎるという感じもするが、さてどうしたものかな。

 

 

 

 

場所は変わって離れの東屋。

どういうわけか典韋は俺の服の裾をはしっと掴んだまま隣の席に座っている。

郭嘉はその様子を面白そうに見ながら、何やら盤を用意していた。

 

「で・・・何をしてるんだ?」

「待たせている間に色々あってな・・・・一人、客人が来ている。その人物は、まぁ、私とお前の意見を聞きたいそうだ」

「客人?」

 

「右中郎将様がお越しです」

 

俺の質問に答える間もなく、家人がその客人とやらを案内してくる。

その人物は一言で言うと、将だった。

郭嘉のような貴人というよりも、武人めいた雰囲気を放っている。それでいて泥臭くなく、下品にならない程度の品性を感じさせる。人の上に立つのが似合うタイプだ。

当然というか、女性であるが、

 

郭嘉が礼節に則って出迎え、客人もそれに応える。

口を差し挟めるような様子ではないので、不安がる典韋を落ち着かせながら成り行きを見守る。

 

 

「朧、こちらの御仁を紹介しよう―――右中郎将であらされる朱将軍だ。将軍、こちらが私の食客となった朧と申します」

「そうか、君が郭殿のお気に入りか・・・面白い格好をしている」

「それはどうも・・・」

 

相手も貴人と分っているが、俺はあえて素っ気無く返した。

それを気にするような相手ではないと分っているし、実際気にするどころか面白いと笑って許している。

 

「これは失礼した。私は、姓は朱、名は儁、字は公偉。陛下からは右中郎将を預かる身だ」

「こちらも失礼な態度を取り、お許しを。生憎と遠方よりも参りましたもので、呼びにくい名前でございますので、朧とだけお呼びください」

 

改めて自己紹介をする右中郎将―――朱儁に俺も礼を返す。

黄巾賊討伐の立役者もようやくお出ましか・・・。

 

朱儁は空いていた席――ちゃんと上座――へ座ると、堅苦しい話し方をやめてざっくばらんに話すよう求めてきた。流石は平民の出自で、名将として遠征を繰り返してきただけはある。

 

「さて、さっそくだが郭殿の意見を聞きたいと思ってな―――黄巾賊の対処について、どう思う?」

 

大したものだ。

仕官もしていない一介の隠者に対処の方法を求めるとは。

郭嘉はそれに対して物怖じすることなく、盤上へ駒を配置していく。

 

「具体的な内容へ入る前に、簡単に状況を整理しましょう」

 

黄巾の乱は光和七年―――具体的に言えば184年に起きた。つまり、今年だ。

三月を挙兵と考えていた張角は大幹部である馬元義を洛陽へ派遣し、中常侍を二人まで抱きこんで内と外からの蜂起を可能にした。しかし、これを幹部の一人が密告して露見。

張角は予定より早く二月に一斉蜂起。馬元義共々、洛陽に潜入していた戦力は粛清されてしまったためわざわざ洛陽を攻め落とす羽目になった。

ところが、一斉蜂起から一月が過ぎようとしても中央は動かない。洛陽周辺の守りを固めるだけ固めて、後は知らん顔を通そうとしていた。これは流石に拙いと感じた者達の働きかけでようやく重い腰を上げた皇帝と宦官により、軍資金と軍馬の下賜によって討伐の目処が立ち始めた。

 

それが現状らしい。

これまで各地の反乱を討伐してきた朱儁と皇甫嵩、盧植を将軍職につけて派遣。

ここに居る朱儁は豫州・潁川という激戦地へ投入されることとなった。

 

「この状況を踏まえて、朱殿に確認したいのは官軍の兵数です」

「十万・・・と嘯いてはいるが、数字の上では五万・・・が、これも当てにならぬ。実際のところは三万というところだろうな」

 

凄まじい鯖の読みかただが、十万を嘯けば敵も多少は警戒しくれる。

ハッタリで何とかなるなら、やるべきだろう。

しかし、三万か。俺と同じことぐらい考えているだろう郭嘉と同様に、朱儁も難しい顔をしている。

 

「正確な数は分りませんが、豫州・潁川の黄巾党は十五万から二十万。まともに戦力として数えるならば十万強は居るでしょうから、正面から戦ってもまず勝てません」

「それはこちらも承知している」

 

三万の官軍と十万の黄巾党。あまりと言えばあまりな差だ。

 

「連中には失うものなどありはしないからな。後の評判や名声よりも、とにかく突っ込んでくることしか考えていない。豪商や豪農の蔵・屋敷を襲っては財宝や食糧を確保している。持久戦に持ち込みたくとも、こちらの糧秣が尽きるのが先だろうし、何より中央がアレではな」

 

最後はぼやきだった。持久戦で膠着すればまた違う展開も望めるが、あまり遅々として進まなければ中央からあらぬ疑いを掛けられて、更迭されるか、下手をすれば死罪にされる。

言外にそう匂わせる朱儁のぼやきには、疲れが混じっている。

 

「潁川の黄巾賊をまとめているのは波才という男らしいが、これも曲者だ。裏社会に顔が利くらしく、こちらの情報もかなり掴んでいる。斥候によれば、向こうから仕掛けるために戦力を集中させているようだ」

「ここで官軍の本格的な戦力を叩けば士気も高まるでしょうし、陛下の威光も地に堕ちるでしょう」

「それが分っているからな。私と皇甫嵩は一旦、長社の城に籠城しようかと考えている」

 

いかに黄巾党の数多くても、城攻めは簡単ではない。

波才がどれほどの人物かは知らないが、一度集めた戦力を無駄に返す度胸があるか。おそらくは城攻めにこだわるはずだ。郭嘉が言うようにここで正規の官軍を撃破する意味は大きいし、野心家ならば発言力を増す契機になる。

そうなれば必ず攻囲し、城を落城させようとする。皇甫嵩と朱儁は中央からの危険よりも、正面からの戦いを避ける方を選ぶつもりだ。十万の兵を攻城戦で疲弊させたところを叩くつもりなんだろう。

 

「だが、この策の危険は大きい。できることならば他の方法を取りたいと思うのだが・・・郭殿には何か名案があるのか窺いたい」

 

朱儁は将軍でありながら、一介の隠者へ尋ねる。

それほど切羽詰っているからでもあるが、この懐の広さ、流石は将軍というところだろう。

 

意外なことに、郭嘉は沈思黙考を―――しなかった。

何事かに気付いたように俺の方を見ている。猛烈に嫌な予感をさせる眼で。

 

 

「策はありますが・・・その前に幾つか聞いておきたい点が」

「おお、策があるのか。ならば、幾らでも答えよう」

「斥候からの情報をできるだけ精確に教えてください。特に、波才の主力へ合流しようとしている戦力の数と、発見したときの位置を」

「そうだな・・・」

 

斥候からの情報を暗記している朱儁は盤上へ新たに駒を置きながら、兵数と分っている限りの説明を加えていく。

官軍の良いところは優秀な斥候がいることだ。これは官軍というよりも、重要性を分っている朱儁が自分のお抱えにしている斥候なのだが。

 

 

主力の波才。

豫州・潁川で最精鋭である五千を中核とした約二万。

これが合流のために少しゆっくりとだが、真っ直ぐ長社へ向かっている。

波才率いる本体の二万と合流するために十五の支隊が進軍している。

支隊はそれぞれが約五千ずつ。全てを足せば八万で、合計が十万になる。

 

これだけで十二分に絶望的なんだが。

この十万の後ろにはまだ同じ数だけの戦力がいるわけだから、気が滅入る。

 

だが、郭嘉は嫌な予感をさせる眼をやめない。

 

「朧、幾ら必要と思う?」

 

――――考えることは一緒か。

 

「三千・・・いや、千か千五百だ」

「ふむ。私は二千と見たが・・・」

「官軍側の練度による。練度が高いなら三千だ、そこそこなら二千。頼りにならないならそれぐらいだと見積もっただけだ」

「そうだな。そこは朱殿次第として、騎兵も要るな。後は輜重隊についても練らなければ・・・」

 

「待ってくれ二人とも。私にも分るように説明してもらえるか?」

「ああ、これは失礼・・・私の悪い癖です」

 

郭嘉は謝りながら、盤上へまた駒を置く。

 

「簡単に言えば、各個撃破ということになります」

「・・・それは我々も考えた」

「いいえ、おそらく朱殿の考えは各個撃破による殲滅でしょうが、我々が考えるのは殲滅ではありません」

「殲滅ではない?」

 

朱儁は分らないという顔をする。

 

「十万に三万では勝てませんが、五千に三千は勝てます・・・我々が行うのは行軍の邪魔をすることです」

「そういうことか・・・しかしできるのか?」

 

後漢王朝の誇る名将はそれだけで察したが、同時に策の根幹に触れてくる。

 

「無論、困難の多い策となります。運の強いもので、一つ誤れば三千は全滅することさえあります」

「それを承知の上で、何故なのだ?策を求めておいて何だが、籠城もそれなりに合理性がある。わざわざそのような博打を打って、むざむざ三千の兵と物資を失う危険を冒してまで得られるもの何だ?」

「時間です」

「時間だと?」

 

時間・・・これが最大の曲者となる。

郭嘉も気付いているのか。

 

「朧は分っているようだな?」

「一応な・・・朱殿、黄巾賊の総数はご存知ですか?」

「正規の人数は分らぬが四十万は居る・・・それが私と左中郎将、北中郎将の三者でした合意だ。それぞれお抱えの斥候と情報網だからな。風聞よりは遥かに確度が高い」

 

史書によれば、黄巾賊は数十万の信徒を一万で“一方”という単位に分けて全部で三十六方とした。

つまり、三十六万は居たわけだ。誤差を大きめに見る四十万というのは間違いではない。

 

「黄巾賊は三箇所で蜂起しました。ここ豫州・潁川、冀州、南陽の三点。かつて同じことを高祖や楚の項籍が咸陽攻めで行っています」

「!――つまり、一箇所で釘付けにされている間に残りの二つが洛陽を落とすやもしれん、と。そう言うのか?」

「むしろ、黄巾賊の狙いはそこにあるかと。三点に十万ずつとして、残りの十万はどこに居るのかも合わせて考えれば、位置的に潁川か冀州でしょう。どちらにしても、籠城をしている間に二十万が冀州の官軍を破るか、二十万の大軍を長社で押し留める激戦となるのかは必定」

「そうか・・・どちらにしても我々は目前の十万へ積極的に挑まなければならないということか」

「御意」

 

朱儁の顔色が途端に難しいものとなる。当然だ、これまでの反乱軍とは訳が違う。

そう、訳が違うのだ。地方で王だの、皇帝だのと自称するのはまだ可愛げがある。

しかし、黄巾賊は違う。連中の狙いは漢王朝そのものの転覆。ひいては劉一族を滅ぼす、世直しでもある。

 

都である洛陽を落とすという明確な目的がある。皇帝さえ無事ならと言うが、賊に追われて遷都を行えば王朝の求心力は消滅する。遷都するにしても関中は長安以外荒れ果てている上に、異民族や賊徒が跋扈する地で、反撃に出ることは難しい。

洛陽は何としても落とされるわけにはいかない。俺と郭嘉はそれを承知しているから、朱儁へ積極的な攻撃を進言している。籠城は戦術的に正しいだろうが、戦略的には誤りだ。例え手持ちの三万が全滅しようとも、洛陽を落城させなければ官軍の“勝ち”なのだ。

 

郭嘉は考えて込んでしまった朱儁へ、策の続きを話そうとしている。

どの道、現状からできることは限られている。

 

「三千の戦力でどこまでできるかは正直分かりませんが、上手くすれば合流する戦力を五万に抑えることも不可能ではありません」

 

二万七千と五万。

これならばまだ現実味が出てくる。野戦で覆せない戦力差ではなくなってくる。

 

実のところ、手段がもう一つないわけではない。

要するに、三万の戦力を全て二万の本隊へぶつけるのだ。本隊の行軍速度を鑑みるに、他の支隊から合流する前に戦えるかが微妙であるため、選ばないが。下手をすると延々と増援が続いて、三万は全滅してしまうことになる。

これはあまりにリスクが高すぎる。朱儁と皇甫嵩の三万は虎の子だ。むしろ、この二将が率いているからこそ生きるのであって、洛陽に残った何進や袁紹では駄目だ。討死になんて持っての外だろう。

 

別に俺は官軍や漢王朝がどうなると知ったことではないが、この場で求められた意見としてはこの二人を死なせるわけにはいかないというのが結論になる。

俺と郭嘉の策はそれを踏まえた上で、最大限活かすための策。これを選ばないというのは、かなりの博打でもある。

 

さて、朱儁はどうするかな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で・・・・どうしてこうなる?」

「知らぬ。私もこうなるとは思いもよらなんだが・・・考えてみればこうなる可能性はあったわけだ」

 

隣で轡を並べて馬を歩かせる郭嘉はそう嘯いた。

くそっ・・・こいつは絶対に疫病神だ。朱儁との会談なんかに付き合うんじゃなかった。

 

何でかなんて考えるまでもない。

俺達を中心にぐるりと周りを固める三千の将兵が気を滅入らせてくれるからだ。

 

簡単に言えば、俺と郭嘉は朱儁から別働隊三千へ付いてくれるように頼まれた。

半ば脅迫ではあったが、奴さんも王朝へ仕える清流派の士大夫として正しい選択ではある。自分がやられるとこれほどムカつくとは思わなかったが。

確かに明確な策を理解しているのは俺と郭嘉だけだから、こうなるのは必然的な流れだったんだろうが。

 

「まぁ、そうぼやくな。主とて、こういう展開はある程度望んでいたのであろう?」

「それはな・・・だからと言って、もう少し楽なポジションをっていうのは高望みか?」

「高望みだな。主の場合はもっと危険を冒して得ようとする気概を持たねば」

 

まったく仰せの通りだ。

俺もまだどこかげで、ビビッてるんだろうな。

 

「見ろ、あの孫一族を。戦功一番という言質を取り付けて自ら危険な戦いへ乗り込んでいくのだ。無茶と無謀は、勇気と紙一重だが朧の場合は少し見習うべきだな」

「あー・・・まぁな。まさか、江東の虎と同列に扱われるとは思いもしなかったけど

「何か言ったか?」

「いや・・・ぼやきはあるが、面白い戦力と思ってな・・・」

「?」

 

郭嘉はよく分っていないが、当然だ。

何せ、この三千には面白いほど凄い面子が揃っている。それも黄巾党以降にこそ、その本領を発揮する者達が。その筆頭が、俺の目の前にいる左軍司馬だ。

 

姓は孫、名は堅、字は文台――――後に江東の虎と名を馳せる、孫文台その人だ。

この当時は自分で募兵した兵を集めて朱儁率いる官軍へ属していたが、まさかこの別働隊で一緒になるとは夢にも思わなかった。その左右には程普、韓当の二枚看板つき。

流石にまだ子供だった孫策や孫権は残してきているが、孫家の総力がここにいるわけだ。嫌な別働ではるが心強い。後に一千で旗揚げをし、江南を席巻した孫家の礎が揃っているのだから。

 

 

加えて・・・・まぁ、何と言うか、あれから色々あったわけだ。

 

俺と同じ馬に乗っている典韋とか、郭嘉と反対側の隣で馬に乗っているベリーショートの女とか。

 

 

 

 

 

 

朱儁は俺達の策を聞き終えると、長社――俺達のいる都城――の府へ戻っていった。

これから皇甫嵩と相談して決めるそうだ。ここで諸将など言い出さない当たり助かる。

返事は遅くとも明日の早朝までに返すということだったので、深夜にでも来る可能性あった。

 

勧められるままに湯へ浸かり、膳を食べてからのんびりしたかったが家主様に捕まって話し込む羽目になったのは仕方ない。湯殿へ向かうときに、どうしても俺を放そうとしない典韋――真名は桃と言うのでそう呼んで欲しいとのこと―――を宥め透かしてもらった借りもある。

 

「・・・・・・」

 

で、湯殿から戻ったら座敷童みたいな桃に掴まったままなのは変わらず、郭嘉は何巻かの竹巻を持って俺の対面に座った。

 

「それで、何の話だ?」

 

油なんていう高級品で明かりを取っている部屋でも、やや薄暗く、陰翳に縁取られた郭嘉はぞっとするほど綺麗だ。だが、そんなことは絶対に本人へ言ってはいけない。

こいつ自身が一番自分の美貌を理解しているから、その手の褒め言葉が褒め言葉にならないからだ。

だから、余計なことは言わずズバッと聞いたほうがいい。

 

「朧よ、旗揚げしてみる気はないか?」

「・・・・・・は?」

 

今、自分が人生で五指に入るほど間抜け面している自覚がある。

 

「・・・その顔はあまり美しくないな」

「放っておけ!」

 

自分でも分ってるんだから、一々突っ込むな。

 

「お前も分っているかもしれないが、黄巾賊の動きは大きい」

「まぁな」

 

張角とそのブレーンは頭が切れる。

連中はこれまでの場当たり的な造反をしているわけではない。

 

いくら中央が愚かでも、地方の官吏には清廉で有能な奴は多い。そういう連中は必ず、黄巾党の動きをある程度掴んでいたはずだ。

数十万の信徒を抱える宗教団体が、“方”という単位に“天地人”という各人の役割を定め、一定の軍事訓練までさせていたのだ。気付かないほうがおかしい。

 

だが、黄巾党はそれでも中央が動かないと踏んでいた。

中央がそれだけ腐敗し、即効性のある動きを取れないと知り尽くしていたから。

宦官の中でも朝廷を牛耳る中常待まで取り込むのは、事前の入念な調略あればこそできた。

洛陽での蜂起にこそ失敗したが、官軍派兵までの一ヶ月で黄巾党は悠々と準備を整えて進発してきた。

 

それに・・まぁ、あまり関係ないからこれはいいか。

とにかく、一年や二年ではないかなり以前からの計画が遂に動き出しているということだ。

 

「右中郎将の手前、はっきりと言うわけにはいかなったが王朝の命脈はこの乱で断たれる。乱の鎮圧の成否に関わらずな」

「はっきりと言い過ぎているというか、お前もその王朝の下で暮らす一人だろう?他人事じゃないと思うが」

「無論だとも」

 

俺の指摘にも動じることなく、郭嘉は自分の胸に軽く手を当てて反らせる。

どーでもいいが、こいつは着痩せるタイプか。

 

「南陽から南や益州、涼州には統制が届きにくかったが、今回の乱によって国力が低下した王朝は益々統制を弱めるだろう。それだけではない。黄巾賊を撃ち滅ぼしたとして、一兵に至るまでは不可能だ。彼らは盗賊、山賊として跋扈し、各地でそれらから身を護るための自衛能力が出てくる―――私はこの自衛能力を持った連中を軍閥と呼んでいるが、必ずこの軍閥が台頭してくる。そして―――」

 

漢王朝は滅びる。

 

「そうなれば、やってくるのは乱世だ。王朝という楔から解き放たれた数多の伏龍が天へ昇ろうとする。私の予定よりも早く訪れたが、乱世となれば私も世に出るつもりだった。だが、暗愚な君主は絶対に駄目だ」

「・・・そう思うなら、右中郎将に言い出せばすぐにでも仕官できただろう?」

 

と言うか、向こうはそれを言い出すことを期待していたはずだ。

朱儁本人は後に侯の位にまで上り詰めるのだ。出世の足がかりには最適だろう。

 

「私に並の君主に仕えろと?莫迦を言うでない」

「どんだけ贅沢な・・・しかも、並扱いするし」

「確かにあれほど聞き分けの良い御仁も珍しかろうが、この私を活かせるほどの器がない。重用されるだけでは意味がないのだ。私の軍略を絞り尽くせる・・・いや、絞り尽くしたところでもっと出せと言えるぐらいでなければ足りん」

「・・・・・・」

 

そうか・・・こいつは、俺と同じなのか。

 

俺が親父と兄貴達に封じ込められ、むざむざ飼い殺しのまま才能を発揮できないで居たのと同じ。

あり余るほどの才を持ちながら、それを活かせるだけの君主が存在しない。それを許せるほどの土壌がない。色物として扱われるわけにはいかないのだ。

朱儁とて苦学した知識人だが、それでも俺と郭嘉のレベルにはついてこれなかった。

郭嘉の望む主とは、俺のように同じ次元で思考し、その上で軍略を理解し、才能の底を浚うほどの策を求めてくるような奴だ。

 

「・・・俺のような?」

「ふむ、理解が早い。流石は私の選んだ男だけはあるな」

「待て待て待てー!」

「なんだ?不服なのか?」

「不服かどうかよりも、その既に決めたから反論は許さん、みたいな態度はなんだ・・・」

「何と言う奴だ・・・この私が仕えてやると言っているというのに・・・」

 

うわっ、無茶苦茶偉そうだ。

何を言っても無駄そうだが、何かを言わないとなし崩しになりそうな気がする。

それでいいはずがない。打開しないと・・・。

 

打開?

 

何を打開する?

 

俺は何をするために打開しようとしている。

勘違いをするな、俺。ここで生きていくのだろう。

誰も知り合いが居ない。誰も救ってくれるはずのない世界。

そこで生きていくと決めた。親父も、兄貴も、衆目も居ない世界ならば自由に生きられるから。

 

腐り果てていくだけの世界から解き放たれて、俺は何をやっている。

今、目の前にあるチャンスにくだらない感情でしり込みしている場合ではないだろう?

俺一人ではどうにもならないが、ここには俺に仕える意思を示している天才がいる。

一兵卒なんて面倒なことをやらずに、最速で成り上がる。生き残るための術があるのだ。

 

それを掴め。

 

俺が不服だと言うので、不機嫌そうにしている郭嘉を見据える。

自分で眼がギラつくのが分かる。スイッチが入った。野心を灯すスイッチが。

 

「なぁ・・・」

「なんだ?まだ文句があるのか?」

 

刺々しい雰囲気だが、気にしてなどいられない。

 

「俺に仕えるとして、どこまで覚悟がある?」

「どういう意味だ?」

「俺は儒教道徳など邪魔だと思ってる。最初の内はそれなりに従うが、成り上がれば破壊するぐらいのつもりでいる。それは王朝も同じだ。天子など力が無ければ意味もないものを仰ぎ続けるほど莫迦ではない。俺はこの国の破壊者となるかもしれない―――それでもなお、俺に仕える気はあるか?」

 

思っていたよりも冷静に言い終えた。

郭嘉は険のある態度を霧散させ、軽く身震いをする。その瞳にはどんな感情の色かまでは読み取れないが、俺と似たような光を奥に忍ばせている。まるで、懐に忍ばせた短刀の刀身が光を反射するかのように。

 

「お前は・・・魔王になろうと、そう言うのか?」

「必要ならな。俺の戦いはあくまで俺のためだけのものだ。民草や大義や天命、そんなものに縛られて戦ったりはしない」

 

きっと、俺の顔は禍々しさとは無縁の清々しいものだと思う。

これが俺にとっての正道だ。誰かのための戦いなんていうのは何れ無理が来る。

俺はそんな戦いに飽きた。

 

「――――!」

 

気付けば、俺の裾を掴む典韋の手が震えていた。

話の流れはよく分っていないのだろうが、緊迫感を感じ取っている証拠だ。

 

「桃はよく考えろ。俺はお前を助けたが、偶然だ。あの男達が気に食わなかったから殺したし、桃を気に入ったから助けた。善意ではなく、全てが俺の都合に過ぎない。だから、俺は桃を側に来るなとは言わないが、逆にお前にとって俺が側にいるべき人間かはよく考えろ」

 

懐かれて悪い気はしないが、それとこれとは別だ。

俺は、俺のルールでやりたい。ここで桃を意思の確認もせず連れ回すことはしたくない。

この美しい娘を手放すのは男としてあまりに惜しいが、それはそれだ。選ばれないというのなら俺の魅力が不足していたというだけのことだ。

 

だが、この子にとって今の保護者は俺と郭嘉しかない。

どんな気まぐれであっても、助けてくれたのは俺たちだけだ。この子がこれまでどんな目にあってきたかは想像するのもおこがましいほどで、俺たちから離れるという選択肢がない上で聞いた。

やっと掴んだ俺達の―――俺の手を、この子が離せるはずがないのに。

 

けったいなやり方だ。やり口は新興宗教と大して変わらない。

 

 

桃は、ふるふると眼に涙を溜めながらできる限り頭を振って否定する。

 

「いっ・・一緒に・・います・・・居たい、です・・・居させてください・・・」

 

そう言って、服の裾をぎゅっと今まで以上に強く握り締める。

 

「役に立ちます・・・だから・・・」

「そうか・・・ありがとうな」

 

軽く、金よりも美しい金髪を撫で、梳りながら撫でてやる。

この子が典韋だとか、凄まじい才能の持ち主であるとか、この際はどうでもいい。

不純ではあるが、この子だけは俺がどんなに無様であっても味方で居てくれるだろうから。

 

 

「ふふふふふっ・・・・ふふふふっ・・・あははははっ!!」

 

突然、郭嘉が大笑いを始めた。

上品に口元を隠しているが、心底可笑しいというような様子で身体を動かしながら笑っている。

 

「何が可笑しい?―――俺のことを夢想家とでも思うか?」

「ふふふふっ・・・・いいや、反対だ」

「反対?」

「私はな、ずっと待っていた。仕えるべき主を」

 

笑いながらだった郭嘉も、少しずつ笑いを収めると飾り窓から見える狭い空を見上げる。

夜の空だが、曇り気味の空はどんよりとしている。

 

「孝廉に選ばなければ士大夫になれぬ。地方で儒教道徳的な名声を上げねば役人にはなれぬ。そのどこかに才能を活かす場がある・・・その大元である王朝など、私にとってはどうでもいいのだ。分かるか?持って生まれ才能も、才能を磨くための努力も、ただ儒家の理屈に封じ込められ、押し殺さなければならない無念を・・・」

 

「五経を覚えて、それが何の役に立つ?たった一字に秀才ずらした莫迦どもが何千と群がり、日がな一日理屈にもならない無駄な言葉を泥のように重ね、空疎な注釈とやらを何万も加えていく・・・あまりの愚かしさに涙が出そうだった。どの私塾へ行っても、その有様だ。そんなことで国家百年の大計が立てられるというのか・・・」

 

「連中の好きな故実はどれも儒家など役に立っていないではないか。商の伊尹は料理人だった。周の姜子牙は出自が北方の異民族だったかもしれん。呉の孫武は自称士大夫、呉起は儒家を破門された身。韓信は貧乏人の乞食・・・これまで、国を動かしてきた者達のいかほどが儒家であったというのだ・・・」

 

 

それが天才故の、天才しか持ちようのない郭嘉の苦悩か。

栄達するのは才能ではなく、儒家としての名声ただそれだけ。

それに従うことを天才は良しとしない。従うことを強要されるのならば、この世界を壊してしまいたい。

 

「朧よ、お主が覇道を進むなら私は“王佐の才”としてお前を覇者にしてみせよう。今は二人・・・いや、三人だが、必ずや百万の軍勢を率いる覇者の中の覇者にしてみせよう」

 

誓いだ。

今、この場で誓いが成された。

 

俺は覇者となる。

桃は俺の側へ居続ける。

郭嘉は俺を覇者として世界を変える。

 

たった三人だけの誓いだが、世界を変えるための誓い。

誰にも理解されないだろう。

異界から来た脆弱な男と、異端の天才と、妖怪として慰みものとされた少女という歪な三人。

 

だが、俺はやると決めた。決めたのならばやり通すだけだ。

 

 

 

 

 

―――翌日

 

あの誓いから、郭嘉―――主従となった以上は真名と呼べということで―――燐火と遅くまで話し込んでから、ようやく寝たのは丑三つ時。実りのある話で充実したし、慣れない世界で疲れていた俺はぐっすりと寝ることができた。

 

あまりにぐっすり過ぎて日の出と共に起きてしまって・・・何故か桃が俺の寝台へ潜り込んでいてびっくり。まさか、まさか、もう“やってしまった”のかと焦ったがそんな記憶は全然ない。

幾ら俺でも夢現で“やってしまう”のは無理がある。

 

まぁ、何と言うか実に惚けた会話の後に、こうして中庭へ連れ出されている。

 

 

「それで、見せたいものっていうのは何だ?」

「あの・・・本当は好きじゃないんですけど、見てて・・・ください」

 

そう言いながら、俺が貸した剣を持った桃は家の端で倒れていた石灯籠へ歩み寄ると、

 

ゴッ!

 

「なっ!?」

「これが、私の力です」

 

う、嘘だろう?

桃は石灯籠の端っこをガラス細工のような小さな手で掴んで、そのまま片手で軽々と持ち上げていた。

80kgはありそうなそれを、片手。しかも端っこという一番重量の掛かる持ち方で軽々って・・・。

 

いや、典韋本人であればできるかもしれない。

典韋は200kg以上あるはずの牙門旗を片手で持ち上げていた。それを思えば、これぐらいは当然かもしれない。

 

「もう一つ・・・見逃さないでください」

「何を――――――」

 

するのか聞く前に、桃は動いていた。

石灯籠を片手で宙へ浮かせると、腕から先が消えたと錯覚するほどの速度で鉄剣を抜剣。

 

 

ゴトッ!

 

 

硬い地面とぶつかる音が三つ。そう三つ。

二度の斬撃を受けた石灯籠は見事に三つへ切り分けられていた。

 

油断していたとは言え、その手際は俺でさえはっきりと見えなかった。

―――電光石火

この言葉が相応しい斬撃・・・いや、動きだった。

 

「どこで・・・その技を?」

 

桃はふるふると首を振ってから、

 

「できるんです・・・誰かから習わなくても、人がやっているのを見て・・・自分で考えた通りに身体が動いて・・・くれるから」

「・・・ははっ・・・マジか・・・」

「(コクコク)」

 

何てこった・・・まさか、本物の天才に会うとは思いもしなかった。

見たものを信じないのは俺の主義に反するが、これはちょっとな。

 

昨日投げられたときに分っているつもりだった。油断していてもあそこまで簡単に投げられるはずがないし、投げの技術は完璧過ぎた。才能はあるだろうし、実際に強いだろと思っていたがここまでとは。

上手く言葉が見つからない。天才なんて陳腐な表現じゃ足りない。

これが英傑。悪来以来と謳われた力なのか。

 

「・・・あの・・・」

 

近づいてきて剣を返そうとする桃の頭を撫でてやる。

不安そうにしていた眼が、嬉しそうな色を帯びて気持ちよそうにする。

 

でも、桃はその力を、自分を襲う男達へ使わなかった。

抵抗するときに使えば一撃で頭蓋を砕くのも容易く、どこを掴んでも握り潰せたはずなのに。

 

―――本当は好きじゃない

 

あの境遇に居ても、桃は好きじゃないから人を傷つけなかった。

そのせいで純潔を汚され、日々をただ慰みものとして使い捨てられて迫害されても使わない。

誰に真似ができる?―――桃は自分で一番分かっている。傷つけられて痛いことを。

理屈はそうでも、それが実践できるはずがない。

 

くそっ・・・この子は何て、美しいんだ。

好きじゃないから、したくないから。ただそれだけの理由でここまで貫き通せる。

聖女なんて飾りめいた言葉なんていらない。迫害されるこの子が誰よりも一番美しい。

 

 

「桃・・・本当はその力を使うのは好きじゃないんだろう?」

「・・・はい・・・」

 

やや怯えながら答える桃の頭を撫でて落ち着かせながら続ける。

 

「それでも、その力を見せたのはどうしてだ?」

 

答えは知っていても、俺は桃の口から聞かなければならない。

 

「・・・昨日、約束・・・しました。役に立ちます・・・でも、私にできることなんて・・・この身体と・・・力だけしかない・・・でも、朧様・・私なんかの身体・・・欲しがらないから・・・こんな汚らわしい私じゃ・・きっと相応しくないから・・・だから、役に立つために・・・」

「もう・・・いい。お前の想いは、分かった」

 

たどたどしいが、言いたいことを伝えた桃を俺はそっと抱きしめた。

小さい身体だ。俺の世界の中学生ぐらいしかない。それであの膂力と技術を秘めている。

 

分かっていて聞いたが、桃の想いはもっとずっと深かった。

 

「桃、俺は覇王になる。それは俺が成りたいからだ。そして、桃はその第一の家臣だ。だからお前だけはずっと側に置いてやる。俺が死ぬまでだ。もし桃が嫌だと言ってもだ―――そのために、俺はお前を迫害する世界を変えてやる。側へ置くことに文句を言う奴が居たら潰すだけだが、それよりも誰にも文句を言わせない世界を作ってやる・・・」

「うっく・・・えっく・・・・はい・・・・」

 

桃は泣いていた。理由なんて知らない。知っていていいのは桃だけだ。

 

「だから、お前も俺の家臣に相応しくなれ」

「ひっく・・・っく・・・相応し・・ぃく・・ですか・・・?」

「そうだ。俺の家臣であるお前は汚らわしくなどない。お前は、俺の知る誰よりも美しい。それを誇れ。お前の誇りは、主である俺の誇りだ。臣が輝けば輝くほど、主も輝く。それに、俺が選んだお前が穢れているはずがない」

「っく・・・でも・・・」

「余計なことを考えるな。俺の言うことが信じられないか?」

「(ふるふる)」

「だったらそれで良い。お前は穢れてなどいない、例えそうであっても俺の臣となったお前とは関係のないことだ。いいな?」

 

我ながら無茶なことを言っている。

どうやったらこんなことがスラスラ言えるのか自分で聞きたいぐらいだ。

 

だが、良いんだ、これで。

 

「・・・っっく・・・ひっく・・・えっぐ・・・はい・・・」

 

桃が泣きながらでも納得してくれているのだから。

俺は泣きじゃくり続ける桃が落ち着くまで背中をポンポンと叩いたり、頭を撫でたりしながら待つことにした。

 

 

 

「お見事にございますな」

「!?」

 

―――疾ッ

 

知覚と同時。

 

今の今まで泣いていた桃が――今も泣いているが――返しそびれた鉄剣を瞬時に抜剣して、俺を庇うようにして立ちはだかる。知覚は同時でも、その後の反応は桃の方が神憑り的に速い。

 

「・・・誰、ですか・・・」

 

できるだけ威圧感を与えてるつもりだろうが、今ひとつ迫力に欠ける桃。

鋩は、燐火が連れて来たと思われる女へと向けられている。

 

不思議な女だった。

明らかにファッションセンスが中原のものと異なる。

 

アシンメトリーの髪は左がベリーショート、右がセミロング。右の髪には翡翠のビーズを髪に通していて派手なようだが、これが狐目で鋭さと茫洋を兼ね備えた顔立ちに似合っている。

うなじは刈り上げているのかと思ったが、マレットで伸ばした髪を紐で縛って背まで伸ばしている。

 

燐火や桃が優雅なら、こっちは優美というのが似合う。

居るだけで只者ではないと感じさせる。

というか・・・ヤバイ。

 

こいつも天才だ。桃とは正反対の、本能の天才ではなく理合の天才。

しかも、現時点だと桃より強いかもしれない。

これは桃も俺の前に立ちはだかるだろう。

 

「燐火」

「ああ・・・何でも、昨日の顛末を目撃していたそうでな、お前に用があるそうだ」

「俺に?」

 

用向きがそれで納得するなよ。昨日の阿呆どもが仕返しに送り込んできたのかもしれないだろう。

まぁ・・・燐火のことだから、それぐらいは考えた上で通したんだろうが。

 

女は一歩、二歩と進み出る。安堵すべきか、剣を佩いていない。

嫌な感じはしないが・・・仕方ない。

 

「桃、横に」

「・・・でも・・・」

「良い。そんな小細工をするほど卑しくもなさそうだしな」

「・・・はい」

 

渋々と言った感じで、場所を譲る桃。涙を見られないようにとごしごしと目元を擦っている。

俺も一歩進み出て、一足一刀の間合いで互い止まる。

 

何をするつもりなのか、と考える前に女は俺の前で抱手する。

 

「拙者は姓を周、名を泰、字を幼平と申します。此度は貴殿へ仕官したいと思い、参上仕った」

 

・・・・・・?

仕官?何それ、美味しいの?

じゃなくて!

 

女―――周泰の後ろにいる燐火へ何の悪戯かと目線を向ける。

だが、燐火も呆れたように驚きながら周泰の後姿を見ている。というか、お前も予想外の出来事なのか?

てっきり燐火が知り合いを連れて来て俺へ仕官させようとしているとばかり思っていたが。

 

「周殿・・・待ってくれ。いきなりそう言われても、こちらも事情が呑み込めない。良ければ説明してくれないか?」

 

理由がない、理由が。

俺はまだ異世界から来たばかりの若造で、見ず知らずの周泰から仕官を希望されるような奴ではない。

 

「これは失礼を。拙者は昨日、腐れた男達が少女を追い掛け回していると聞いて成敗するつもりでしたが、これを先に成敗し、少女を救う男女を目撃しました」

「ああ、俺と燐火のことか」

 

しかし、成敗って・・・どこの剣豪小説だよ。

 

「拙者は、貴殿のように迫害されている者をも救おうとする心意気に感服しました。仕官先を定めず、廻国修行に務め、相応しき主を求めていた拙者にとってこれぞ正しく天命に相違ないと思い参上した次第です」

「・・・・・・な、なるほど」

 

意訳すると、桃を助けていた俺を見てピンと来たから仕官したいと・・・。

でも、その壮絶な勘違いはどうなんだ?どんだけ俺を美化してるんだか・・・っていうか、今は俺が旗揚げを決めたが、旗揚げとかそういう野心がなければどうするつもりだったんだよ。

 

「・・・別に仕官を拒むつもりはないが、俺など無位無官。実質はその辺のほら吹きと変わらない。それでもいいのか?」

「拙者は自分の眼力を信じています。貴殿は必ずや、強き天命をお持ちでしょう。今は無位無官なれども、これから起こるであろう乱世へ乗り出され、治めていくお方に違いありません」

「そ、そうか・・・」

 

何だ、このべた褒めは。

いかん、痒い。半端ではなく、痒いぞ!

落ち着け俺!こんなに世辞に弱かったのか!?

阿諛追従には慣れているのに、何でこんなにこそばゆいんだ?

 

「ふふふっ・・・・」

「(コクコク)」

「こら、笑うな燐火!桃も頷いて同意してるのか!?」

「良いではないか、朧―――おっと、主よ。来る者を拒むほど我々もケチではなかろう?」

「そうだが・・・・はぁっ」

 

なんだか、溜息。

こめかみを軽く揉み解しておこう。

 

「周殿―――」

「玲瓏、と。真名でお呼びください」

「・・・では、玲瓏。分かっているだろうが、俺は無位無官でお前に禄も払ってはやれない。まだ旗揚げの計画段階で、着手してもいない。それでもなお、俺に仕えるのか?」

 

栄耀栄華を与えてやれる保証もない。

周泰―――玲瓏ほどの実力なら、黄巾討伐の今は厚遇が約束されている。高禄だって望める。

そんな好条件を蹴ってまで俺に仕えられるのか。

 

「無論です。拙者は仕えるべき主を求めていたのであって、高禄や官位が欲しくて主を求めていたわけではありません」

 

なんて、ストイックな奴だよ。

答えは分かっていたがいざ聞くと凄いものだ。俺には真似できそうにもない。

だが、最後の質問の答え次第かな・・・

 

「玲瓏の志は分かった・・・が、先に言っておくことがまだある」

「何でしょうか?」

「俺は漢王朝に忠義を尽くすつもりはない。服も見ての通り、俺は漢の者ではないから。だが、俺はこの漢で俺の望むことをやる。その結果として漢王朝を残すかどうかは分からん」

 

―――場合によっては、この手で漢王朝へ引導を渡すかもしれない。

 

「高祖、武帝、光武帝と続く漢王朝の作り上げた旧弊も破壊するだろう。そして、多くの民草も将兵も死ぬだろう・・・俺はそれを知った上でやる。それでも、俺はお前の仕えるべき主ならば礼を取れ。違うのであれば去るが良い」

 

現代なら目的なんて隠すが、ここは現代ではない。

旗揚げ前の仲間にさえ目的を隠しているようでは大望を果たせない。

俺達三人に加わるということは、旗揚げ後の中心人物として働いてもらわなければならない。俺の野心も呑み込めないようでは、資格が無い。

 

強い緊迫感が漂う。朝の鮮やかな空気がそれをよく伝えてくる。

不思議と、緊張はしていない。どんな返事だろうと素直に受け容れられそうだ。

きっと、俺も玲瓏の気に当てられたのだろう。

 

時間はほとんど経っていなかった。

玲瓏は拝跪した。

 

「今一度申し上げます。私は仕えるべき主を探していただけです。私が仕えるべきと決めたお方こそが、理想の主であり、主の志こそが私の志にございます」

 

そうか・・・そういう奴か。

燐火や桃とは違うタイプだが、俺に仕えるに相応しいタイプが来たものだ。

 

「ならば好し。お前の仕えるべき主は、この俺―――緋皇乃宮 朧だ。その身と心にしかと刻めよ」

「はっ!」

 

芝居が掛かっていても、これも自然にできた。

俺にそんな才能があるとは思えないが、できるならできるでいい。

そんなことを一々考えている場合でもないからな。

 

―――ギュッ

 

「どうした、桃」

「(ふるふる)」

 

ひしっ、と裾を掴んで何でもないはないだろう。

しかも何か少し寂しそうというか、残念そうというか、怒っているというか、理解不能な感じだ。

 

「ふむ、話もまとまったことだ。右中郎将殿からの使いが来るまでは、朝餉としようか」

 

こら、妙な含み笑いをしながらまとめるな燐火。

 

「朝餉とな」

「無論、玲瓏―――おお、私のことは燐火と真名で呼ぶが良い。私も真名で呼ばせてもらうからな。で、玲瓏の膳も用意させている。粗食やもしれんが、許して欲しい」

「いやいや、早朝の来訪でこの待遇とはありがたきこと」

「そう言ってもらえると助かるな」

 

・・・なんであの二人なそんなに打ち解けているのか謎だ。

やっぱり、俺は担がれたのか?まさか、そういうわけでもあるまいが。

 

「なぁ、桃」

「?」

「玲瓏とは仲良くやれそうか?」

「・・・(クイッ?)」

「・・・そうか」

 

ライバル心というか、そんな感じなのかね?

 

そんなことをつらつらと考えながら、俺は先で待っている二人へ追いつくべく、桃と手を繋いで歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな早朝の出来事は二日前。

朝餉が終わった頃に朱儁からの使いが来て、俺たちは府へ召し出された。

そこで告げられたのは俺と郭嘉の策の採用であり、三千の遊兵の将に孫堅が名乗りを上げた。

そして、俺達に軍師として孫堅と行動を共にして欲しいとのことだった。

 

その場の勢いで引き受けて、今に至るわけだ。

まぁ、博打の要素は強いがこれからの旗揚げを視野に入れれば順当なところだろう。

と、思ってないと気持ちが沈んでくる。

 

それに、どうも俺と郭嘉は左中郎将―――皇甫嵩に好かれていない。

海のものとも山のものともつかない俺らを信用ならんというのも分かるんだが・・・あの人、人物広いから露骨には嫌わないものだから分かりにくい。

冷静に考えたら朱儁の方が俺たちを買いすぎている面もあるんだが。

それに、俺は外国人―――異民族だからな。良い感じを持たれなくても仕方ないか。

 

 

「・・・さて、軍師殿」

「ん?」

 

ゆるゆると馬の足を緩めて俺と並ぶ形になった孫堅が声をかけてきた。

玲瓏は心得たもので、孫堅の動きに気付いて場所を譲ってる。それでも万が一にでも孫堅が動けばすぐに対処できる距離を保っている。

 

「最初は?陵からの五千ということだが・・・正面からぶつかっていいのか?」

 

南の太陽を一杯に浴びた麦色の肌をした孫堅は、姉御肌に見えて中々に渋い女だ。

なおかつ、鷹揚に見えて恐ろしく頭が切れる。それが俺――と郭嘉の――人物評。

面白半分に海賊を追い返した武勇伝は伊達ではない。

 

「ぶつかりたいか?」

「おや、聞いているのはこちらだが?」

 

質問―――地位を考えたら下問か――に質問で返されたのが意外だったらしく、少し驚いた顔をする。

それはそうだ。軍師は聞かれたら答えるのが仕事であって、俺みたいな態度は取らない。

俺だって相手が孫堅でなければこんな態度は取らない。気さくにしろという言質もあることだし、ここは俺の好きなやり方にしよう。

 

「他の将なら、正面からやり合わないようにしただろうが、孫文台ならばそれもありかと思っている」

「まるで私のことを知っているような言い草だな?」

「・・・会稽郡での活躍はそれなりにな。実戦経験に乏しい官軍で当てにできそうな将兵は少ないが、貴女なら頼りにできると思っている」

「そうか・・・異国の者にしては随分と詳しいようだが・・・」

 

孫堅の眼がほんの僅かに細められる。

理屈ぬきでぞっとするな。これが勇猛で知られる董卓率いる涼州兵と騎馬軍さえも撃破した人物か。

朱儁には悪いが、孫堅のほうが将器は上だな。

 

「異国には、異国なりに風聞を知る術があるということだ・・・忘れてもらっては困るが、この三千の将は貴女だ。右中郎将殿からお墨付きをいただいても、俺は軍師に過ぎない。それに、俺が命令したところでこの兵達が俺に従うわけがないだろう?」

「それもそうだな。というよりも、軍師殿に従われてしまったら私の立場がない」

 

言って孫堅はカラッと笑う。その笑いは自信の笑いでもある。

孫堅の兵士は自分で集めてきた私兵だ。孫文台という人間を信じさせ、はるばる揚州から豫州まで来ている。その間に培った信頼に俺なんかが入り込む余地などない。

 

「陵から二手に別れて進む五千ずつの内、まずはどちらを叩く?」

「北の五千だ」

「やけに強気だが、理由は?」

「この五千は合流されるよりも、後方に回り込まれる方が厄介だからだ」

 

俺は昨日までに作っておいた、板とチョークを取り出すと長社と陵の位置を書き込む。

そして、件の五千の予想進路を書き込む。

 

 

「渠帥の波才は曲者だ。各個撃破できるほど余裕がないことも知った上で、十六に分進させた。それから長社に籠もった官軍を包囲するつもりだ」

「なるほどな。連中は長社の包囲よりも先に、他との遮断を優先するつもりか。そして、その戦力がこの五千というわけだな」

「理解が早くて助かる」

 

孫堅も頭が切れる。

準備が整うまでの間にどうやって孫堅に策を採用させるかも考えておいたが、無駄になりそうだ。

だが、まぁ、油断はできない。こうやって上手く行っているときに限って問題は起こる。

 

本音を言えば、孫堅だけに活躍してもらっても困る。

気の早い話になるが、献策ばかりで実質的な功績がないようでは利益がない。

この戦いも含めて黄巾の乱が終息するまでに旗揚げに必要な人材や、軍資金、本拠地に目処をつけたい。

そのためにも俺らは形ある功績を挙げなくてはならない。

建前はそうだが、今回だけは孫堅に奮闘してもらうために献策するしかない。

 

「後は言えることがあるなら、初戦らしい弾みをつけたものして欲しいということだな」

「はははっ、それは任せておいてくれ」

 

その自信は本当に見習いたいぐらいだ。

 

「他の細かなことは、軍議において話す」

「ああ、分かった」

 

大きく頷いて、孫堅は二将の下へ戻っていった。

 

代わりに燐火と玲瓏が寄って来て俺の両脇を固める。

 

「・・・正面からか。士気を考えればそれもありだろうが、被害の予測がつかなくなるぞ?」

「それは俺も考えた。被害の予測も考えたが、今回だけは後方のことも含めて勝たせたい」

「籠城させるつもりなのか?」

 

燐火は怪訝な顔をする。

俺達の策では、この戦闘で渠帥・波才を討つために別働の二万を翻弄したところで長社から打って出させるつもりだったから当然だ。

 

「籠城させるか否かは、この戦い次第だ」

「・・・あの・・どういうこと、ですか・・・?」

「・・・単純にここだけの勝利にするつもりはない、ということですか?」

 

高速計算機のように凄まじい勢いで俺の意図を探る燐火は聞いていない。

 

「挟撃か・・・」

「気付いたか?」

「ああ・・・だが、それでは我々の存在が邪魔になる・・・いや、そうか。曹騎都尉と王州刺史の独立戦力がいたな」

 

流石は燐火だ。俺の思惑もすぐに察してくれた。

 

「燐火、お前が俺の考えを察してくれるときの顔、好きだぞ?」

「ふっ・・・家臣を口説いてどうする?」

 

別に口説いたつもりはないんだが。

 

「私にそういう言葉を掛けるなら、文台殿でも口説いてこい」

「・・・あの女丈夫をか?」

 

つうか、既婚者だろう。

 

「あれ?」

 

性別が逆転して子供が居るってことは・・・孫策と孫権は自分で生んだのか?

ってことは、配偶者は男。確か、呉夫人だったはずだが、この場合どうなるんだ?

 

顔から血の気が引いてきた。

おそらく、他の多くの群雄も女性だろう。

だったら、多くの登場人物はどうなる?

三国鼎立に至るかは分からないが、その時代になれば群雄の子供が少しずつ出てくる時代だ。

呉や蜀はまだ良い。だが、魏は違う。三男の曹丕は次の魏王にして、魏皇帝となる。弟の曹植は後代へ絶大な影響を残す文化人。曹操の子は確実に時代を担う。このままではそいつらは生まれない公算が大きい。

 

だが、群雄が出産だからと言って政務を滞らせるわけにはいかない。

それに配偶者の問題もある。そういう趣味ならまだしも、美男で後宮を作るのか?

生むのが本人である以上、そんなに多産であるわけにもいかない。現在の医療水準を考えれば、そんなことをしたら早死にの可能性が高まるだけだ。

燐火の話によれば漢王朝も代々女帝であるならば、一体それはいつから始まった。高祖劉邦もまた女だったのか?

多産なわけにもいかないから、こうやって長寿かつ肉体の最盛期が非常に長いというわけの分からない状態になってると考えるべきだ。

 

おかしい。どこかで歯車が狂ってる。俺は今、何かに気づきかけてる。

絶対にそれはこの世界の根幹に関わることだ。

何故、俺はこの世界に来たのか。

この世界は一体何なのか。

そんな問いの答えが出掛かってる。

 

「何だ・・・一体どこがおかしいんだ・・・」

 

この世界は存在の前提が違うのか?

 

 

 

「・・・朧様?」

「あ?」

 

酷く、乾いた、殺伐とした声が出て自分でも驚いた。

俺の懐に抱かれている桃がビクッと大きく震えるのがはっきり分かった。

 

「あ、いや・・・すまない。少し考え事をしていた」

「ご、ごめんなさい・・・邪魔をして・・・でも、とても怖がって・・・見えたから」

「俺が、か?」

「(コクコク)」

 

怖がる?俺が?―――何を?

分かりきってる。この世界の根幹だ。

何となく掴めたが、そんなことは結局のところ無駄なんだと自分に言い聞かせる。

 

「本気で文台殿を口説く気にでもなったのか?」

「冗談はそれぐらいにしてけ・・・どうも、程公は地獄耳のようだ・・・」

 

ええっ、めっさ睨んでますとも。

眼が口ほどにものを言ってる。

―――「殿へ手を出して見ろ?貴様、八つ裂きにして長江の魚の餌にするからな?分かってんだろうな、ゴラァ!?」

きっと、そんな感じに違いない。

 

韓当だって無関心そうにしてるかもしれないが、

―――「徳謀がこうやって威嚇してるから私は何もしないが!が!がっ!―――文台に手ぇ出したら、微塵切りにして食糧にするぞ、ァアン!?」

きっと、そんな感じに違いない。

 

くわばら、くわばら・・・。

この世界で女を口説くのって命がけなのか。

いや、だからって口説くつもりはないんだが・・・。

 

「何を考えてるのか・・・まあ、分からんでもないが・・・・・・意外に天然なのか?」

「何のことだ?」

「知らぬ。自分で考えろ」

「?」

 

分からん。燐火のこの反応は何なんだ?

 

 

 

 

 

 

 

 

乱菊(ランユー)・・・そんなに見つめたら、睨んでると勘違いされるぞ?」

「そ、そうか?・・・目配せのつもりなんだが・・・」

「まぁ、何とも・・・乱菊も意外に純情というか・・・でも、中々良い子よね・・・ふふっ」

「ま、待てっ!瑞希(ルイシ)、奴は私が先に―――」

「こういうことは、どちらが先に目をつけたではなく、上手く気を引けたかの勝負よ?」

水蓮(シィレン)様、何とか言ってやってください!」

 

 

「二人とも、軍師殿を干からびさせない程度にしておくように」

 

 

 

 


あとがき(?)

 

気分転換にちょくちょく書いていた恋姫無双の二次創作・・・なのかな?

既に原型は基本設定だけです。登場人物も正史に倣ってますしね。

そういうわけで序盤の黄巾討伐はかなりの部分が史書を基に書いています。演義ではなく、正史で。

 

ここで軽く歴史的背景の補足をしておきます。

 

三国志前半の舞台となる後漢王朝。王奔の簒奪により前漢は一時的に昨日停止に陥りますが光武帝がこれを治め、洛陽へ都を移したことから始まります。

光武帝は基本的には法家で、戦乱で三分の一まで激減した人口を増やすことに腐心し、流通や外交にも気を遣うことで後漢王朝を隆盛させました、問題も残りました。

民衆叛乱の怖さを知っていた彼は、とかく民衆が叛乱を起こさないよう気を遣い、税率を三十分の一まで軽減。その穴埋めのために極端な軍縮で財政再建を図ったことで、軍事力、特に地方の治安能力が著しく悪化します。これが、後々の黄巾賊討伐で兵数を揃えられない原因になります。

更に、光武帝自身が優れた政治家だったために極端な中央集権化を図った結果、皇帝が阿呆だとどうしようもない制度を残してしまいます。三代目以降の全ての皇帝は20歳未満という若年で即位したため、ここで皇帝の親戚が政治を握り、建国から50年を待たずに後漢は躓きました。

本作における先代皇帝・恒帝は親戚(外戚)を宦官の力で追い出し、代わりに宦官から乗っ取られてしまう始末。この間150年以上に渡って、親戚と宦官が権力闘争を行い、権力闘争の資金源として極端な賄賂政治になります。

この賄賂の出所は民衆であり、徹底した搾取によって成り立ちます。今でも税制は問題になるところを、食っていけないほどの税を課せば不満は募り、その最大の爆発が黄巾の乱でした。

 

早い話が、光武帝という一人の天才を基本に作ってしまったために滅びたと言えます。

まぁ、中国の王朝というのは実に学ばない王朝なので毎度同じパターンで滅ぶのはお約束ですが。

日本の大奥みたいに女同士の陰湿な虐めなんて可愛いものです。外戚として権力を握るためにライバルを拷問にかけて、殺さないように散々痛めつけてから全て蹴落とし、影のフィクサーとなる女が一杯いたんですから。逆に、そういうことをしない妃を見つる方が難しいくらいですし。

 

いや、そういう所はこの話には出てこないので。

明るく、元気な、スプラッタ戦略物語の予定ですから。

 

それと、あくまでこれは気分転換なので更新は期待しないでください。悪しからず。

 

PS:そう言えば、これも気分転換で書いたアリスマティックがありますけど、読みたい人って居ます?





うーん、早くも朧の家臣になった桃と燐火。
美姫 「曹操側の人よね」
多分。俺に歴史を聞くなー!
美姫 「はいはい、バカは放っておいて。これからどうなっていくのかしらね」
とりあえずは立ち上がることを決意したみたいだけれど。
美姫 「どうなるのか楽しみね」
次回も待ってます。
美姫 「それじゃ〜ね〜」



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