医科棟からの解散後、またもや何時の間にか居なくなった伊織や自分のチームの研究のある圭を除いた全員で中庭を抜ける。コンビニへ行くにしても、寮へ戻るにしてもここを通らないわけにはいかない。

 

 

「・・・しかし、現実で化け物と格闘なんて、ホントに良かったのか?みんな。」

 

「あんまり良くはないんでしょうけど、闘えるのがわたし達だけって言うなら、仕方がないですよね・・・お手当ても出るし☆」

 

「私は私に出来ることを致します・・・それだけですわ。」

 

「ま、まあわたしは、怪物になんて負ける予定はないし?」

 

「が、がんばり・・ます・・・。」

 

 

銘々思うところがあってなんだろう。りっちゃんだってお手当てとか口にしても、内心はおそらく自分しかいないからという思いが強いはずだ。

 

 

「そういや、疋田だったか・・・あいつ、文句は言ってたのに反対はしやがらなかったな・・・妙なヤツだ。」

 

「・・・その気持ちも解からんでもないがな。今回の一件から明らかなように、観影さんの研究だって口先では絶対と言っているが、実状はこの有様だ・・・この調子だと、事故発生率2%と言うのも、「20%の間違いだった済まない」とか言われそうな気がしてきたがな・・・。」

 

「ちょ、ちょっと・・・それって本気で冗談に聞こえないんだけど・・・。」

 

「麒麟さんの仰る通りかも知れませんが、私たちはそのことでとやかく言うのは信頼関係を損なうと思いますけれど。」

 

「ははっ・・・小夜音は大人だな。」

 

「・・・褒められたような気がしませんわ。」

 

 

当たり前だ。褒めるどころか、貶している。

利巧に立ち回れなければ、自分どころか他人まで巻き込むのだから。

 

 

「じゃあ、麒麟さんは、あんまり乗り気じゃないの?」

 

「そうだな。さっきも言ったが、俺は実家の都合で拒否権がない・・・・それに、まあ、観影さん達もなんか俺らに隠し事を色々してる雰囲気だからな・・・正直面白くないと思ってる。」

 

「ま、良いんじゃねーか・・・人それぞれなんだからよ。」

 

「蔵人の言う通りだな・・文句を言う俺だって、伊織だって、結局はやらんにゃならんのだ・・・。」

 

「そうそう。今は飯・・・・んで、しっかり寝ておかないと・・下手すると六時間ぶっ続けで闘うことになりかねないし・・・。」

 

「そうですわね。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コンビニで買って食べるという蔵人達と別れると、その足で食堂へ行くことにした。

朝から何となく余裕のない状況だっただけに、がっつりと食べたい気分だ。

 

 

「おや・・・?」

 

 

財布の中身を確認してから顔を上げると、遠目に何時の間にやら居なくなっていた伊織の姿が見えた。

 

 

「・・・・ふむ。」

 

 

我ながら難儀なことに悪戯心が湧いた。

別段普段の行動に興味はないが、どれぐらいで俺に気付くのか尾けてみる。

 

この手の悪戯は、バレなければ良いというものでもない。

要は、バレるかバレないかの瀬戸際、ギリギリの緊張感を弄ぶゲームなのだ。

 

気配を気付かれるかどうかまで出しながら、尾行すると学園内の通路で伊織はつと立ち止まった。

 

 

・・・・・角での動作が大きかったか。バレたかな?

 

 

「・・・・・・・・・。」

 

 

暫くするともう一度歩き出す・・・こっちを見なかったことから察するに、どうやら尾行はバレたな。

 

だからと言って潔く諦めたり、出て行くのもつまらん。伊織にはぜひ、もっと面白いリアクションを希望する。

 

 

「・・・・・・・・。」

 

 

階段前で立ち止まると、暫し何事かを思案する素振りを見せると・・・伊織は、消えた

 

 

「・・・ように、見えるだけなんだが・・・。」

 

 

実際に消えたわけじゃない。そんなこと俺や信綱にも出来やしない。

単純に消えたように見える動作をしただけだ。

 

 

「!」

 

 

風と気配の流れを感じて、間合いから外れる。直前まで俺が居た位置の後ろ、そこに伊織の姿があった。

 

 

「・・・・流石に、気付かれたな、麒麟。」

 

「面白いリアクションを希望したが・・・ここまで気付かれるとはね。」

 

 

俺としたことが、背後を取られ掛けるとは・・・こいつは負けだな。

 

 

「おあいこだな・・・悟られないように背後に回ったつもりだったが。それで、私に何か用があるのか?」

 

「いや、用ははない。悪戯心が湧いてな・・・・伊織が尾行に気付いて、どういう反応をするのか見たかっただけだ。」

 

「それだけの為に後を尾けたのか・・・暇な男だな。」

 

「・・・なに、これはこれで人生の楽しみ方だ。暇の楽しみ方を知るのが、人生の達人への道らしいからな。」

 

「・・・・・よく、解からないんだが・・・。」

 

「難しく考えるな・・・・ってことだ。本当にそれがつまらないのか面白いのか、やってみなきゃ判らんことは多い。それをやらずして、本当の楽しいことを逃すこともあるだろう。小賢しく断定する前に、な。」

 

「・・・・なるほど。」

 

「・・・と、偉そうに言う俺も、これは人からの受け売りだ。暇な男というのも否定できない・・・・それじゃ、ちょっとは有意義にするために昼飯でも一緒にどうだ?食べてないのはお互い様だと思うが。」

 

「・・・・何か面白いことがあるとは思えないな。」

 

「言ったばかりだろう、やってみなきゃ判らん、とな。何時も独りで食べてもつまらんなら、誰かと食べたら変わるかも知れん・・・。」

 

 

あー・・・何だか、やたらと説教くさいな、俺。本来こういうキャラじゃないはずなのに。

伊織はちょっと驚いてから、少しだけからかうような調子で口を開いた。

 

 

「物好きだな・・・・そうだな、奢ってくれるのなら付き合っても良いぞ?男に奢られるのは良い女の証明らしいからな。」

 

「・・・・ぷっ・・・あははははっ!」

 

「・・・・・・そんなに可笑しいか・・・?」

 

 

本人も自覚していないほど僅かだが、憮然とした表情になるのがまた可愛らしい。

伊織の性格からして、冗談というよりも割りと本気で言っているのだろう。勿論、遠まわしに断っているわけでもなさそうだ。

 

 

「いや、可笑しいというよりも、莫迦に可愛らしく思えてな・・・・・。」

 

「・・・・・・・・。」

 

 

可愛らしいという言葉にムッとしながら、困った顔をする伊織。

俺の負けだな。可愛らしくて、こんなに面白い女なら、十分に良い女だ。

 

 

「では、良い女の伊織には、悪い小父さんの俺が奢りましょう。」

 

「・・・・・・・・・・。」

 

「ん?どうした?」

 

「・・・いや、一瞬麒麟の審美眼を疑った。」

 

「・・・くくっ・・・・あはははははっ・・・・!!」

 

 

やばい、笑いが止まらない・・・・。

さ、最高だ・・・ここまで素敵な反応を返されるとは思いも寄らなかったぞ。

 

 

「・・・良いんだよ、俺がそう思えれば。俺の審美眼が伊織を良い女って認めたんだ。伊織が自分にどういう判断を下していようが、俺は自分の価値観に従って良い女として扱う。」

 

 

まあ、俺だけじゃなくて、他のヤツらも伊織のことを美人と認めるだろうが。

肌も白く、綺麗だ。少し彫りの浅い感じもするが、全体のパーツがそれに合わせた所謂、和風の美しさを構成している。

 

 

「意外な発言だが・・・・まあ良い。約束だからな・・・どこで食べるんだ?」

 

 

どうにも、ちょっと照れているらしい。

これがウチの妹なら撫で回してやるところだが・・・卑猥な意味ではなく。

 

 

「学食にしようと思っていたが・・・コンビニで買う方が良いか?」

 

「いや、学食にしよう。今日は人も居ないだろうから。」

 

「了解・・・お供させていただきますよ。」

 

「・・・なんだ、その言い回しは?」

 

「・・・観影さん曰く、昨今はフェミニストが喜ばれるらしい。」

 

「そうなのか?」

 

「さあ?取り敢えず、俺の周りは未だに古めかしい因習が息づいているもんで、実感はない。」

 

 

ついでに言うのなら、今は突っ込み待ちのボケなんだがな。

 

 

 

着いてみると、確かに学生食堂には生徒が居なかった。

全く居ないというわけでもないが、午前で終わりながら台場や自宅で食べる生徒が多いんだろう。

 

 

「人が居るのは、嫌いか?」

 

「好きではないな。」

 

「俺も似たようなものだが・・・入り口で人間観察してる割には意外だ。」

 

「趣味、だからな。」

 

「なるほど、趣味なら納得だ・・・・で、何を食べる?」

 

 

券売機横のメニューケースを見る。

 

 

「・・・和食のBランチでいい。」

 

 

・・・他のメニューは碌に顧みられることなく、即決だったな。

 

 

「わかった。俺はカツ丼と月見蕎麦だな・・・・ほら、食券。」

 

「・・・・そんなに食べるのか?」

 

 

食券を受け取りながら、伊織の目線は俺の持つ大盛りカツ丼と大盛り月見蕎麦の食券へ注がれている。

 

 

「・・・色々あって、朝からまともに食べてない上に、無駄な運動もしたからな。実は、完全な空きっ腹だ。」

 

「・・・・なら、私を尾行せずに食堂へ直行すれば良かったと思うが。」

 

「・・・・まあ、それもそうだが、そうだと伊織に奢ることもなかったろうな。」

 

「おかげで、私は得した、と。」

 

「別に諸手を挙げて喜べとは言わんが、できれば一連の流れを否定するような発言は慎んでくれ・・・・どうにも頭がおかしくなりそうだ。」

 

「そうか。」

 

 

伊織は殊更に俺の発言を反芻することなく、カウンターへ歩いていった。

解かっていたことだが、実にマイペースなヤツだ。

 

 

料理の載ったトレイを受け取り、伊織と差し向かいで食べ始める。

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・。」

 

「・・・・・・・・・・・・・・。」

 

 

ちなみに今日のB定食は、銀鱈の塩焼きと茄子の肉味噌はさみ揚げ、蒸し鶏とほうれん草の芥子和えに、豆腐とワカメの味噌汁、ご飯・・・名前に違わぬ和食っぷりだな。

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・。」

 

 

何かを期待したわけではないが、ここ数日の賑やかな昼飯を考えると静かだ。

伊織は喋る気配なんて微塵もなく、黙々と食べている。

 

 

「・・・・伊織は、和食が好きなのか?」

 

「別にそう言うわけじゃない。単に洋食が嫌いなだけだ・・・。」

 

「・・・・まるでウチの親みたいなことを言うな。」

 

「・・・・そう、なのか。」

 

「ああ・・・おかげで家の食事はほとんど和食だった・・・ただ、子供は洋食が好きだからな、弟や妹にはこっそり食べさせてやっていた。」

 

「何故、こっそりなのだ。」

 

「父親は筋金入りの洋食嫌いだったからな・・・食べることも許さなかった。」

 

「随分厳しい親なんだな。」

 

「まあ、な・・・・・・それより、伊織はあんまり楽しそうに食べないな。」

 

「・・・・・・・。」

 

 

そこでふと、伊織は食べる手を止めて箸を置いた。

 

 

「気に障ったのなら悪いが・・・それとも、俺と食べるのはつまらんか?」

 

「・・・食事は楽しいか?」

 

 

これまた予想の斜め上を行く質問だな。

 

 

「・・・美味いものを食べれば、楽しいだろうな。それに、食欲を満たされれば快楽を感じるように人間はできている・・・・満たされた結果ではなく、その過程でもな。」

 

「そうか・・・・。」

 

「伊織は楽しくないのか?」

 

「腹が減ったら食べるものだとは思っている・・・・それが楽しいかどうかは、気にしたことがない。」

 

「その気持ち、解からんでもないが食べることにも楽しみはあるものさ。りっちゃんなんて生涯を食べることに掛けてるんじゃないか、ってぐらいに楽しんでる。」

 

 

りっちゃんはりっちゃんで、楽しみ過ぎて身を持ち崩す可能性があるだけに笑ってみている場合でもないが。

 

 

「楽しみは・・・必要か。」

 

 

伊織は独り言も言えるような・・・・曖昧なイントネーションで呟く。

どうも、こういう根本的な問いに答えるのはやはり難しいな。

 

 

「必要かどうかは本人次第だが・・・・楽しみというのはあって困るものでもない。」

 

「・・・哲学的だな。」

 

 

そう言うと、伊織は食事を忘れて考え込んでしまう。

 

 

「・・・・サロンの茶会ならまだしも、ただの昼飯時に哲学まで昇華された楽しみの話は勘弁してくれ・・・飯の味が解からなくなりそうだ。」

 

 

カツ丼を半分まで食べたところで、伸びそうになっていた月見蕎麦を掻き込んで空にする。

 

 

「食事は・・・会話の内容で味が変わるか?」

 

「そうだな。もっと言うのなら、『食事』は目の前の食べ物だけじゃない。食べている相手の有無、食べている相手が誰か、食べている周囲の状況、そんな諸々の要素でも変わるな・・・例えば、人の多いことが苦手な伊織は、そこで食事をしたいとは思わないだろう?」

 

「・・・確かに。会話についての具体例はないのか?」

 

「・・・・例えば、過去の嫌な記憶を掘り返されるようなことや・・・後は食べてるもので嫌なことを連想させられるような・・・・・・。」

 

 

色々あるが・・・・ちと、行儀が悪いかも知れんがより具体的な話をしてみるか。

 

 

「白米が実は活き良く蠢く蛆虫で、口に入れて噛むと蛆の中身が・・・・・。」

 

「・・・・もう良い。わかった・・・・確かに飯が不味くなる。」

 

 

伊織は自分の茶碗の白米にちらりと目をやる。俺はカツ丼だから色が違う。

 

 

「まあ、伊織も会話の重要性が解かったろう。」

 

「・・・・しかし、麒麟は何時もそんなことを考えているのか?」

 

「そんなわけないだろう・・・・伊織の期待に答えただけだ。希望とあれば他の不味くなる話もするぞ。そうだな・・・・その焼き魚の話なら・・・・・。」

 

「いや、良い・・・・流石にこれ以上目の前にあるものが不味くなるのは、甚だ不本意だ。」

 

「くっくっくっくっくっ・・・・まあ、そうだろうな。ここの料理は美味い・・・わざわざ不味くするのは無粋だな。」

 

「麒麟・・・では逆に、料理が美味くなる話題はないか?」

 

「逆?それはまた難題だな・・・・・。」

 

「・・・ないか?」

 

「ないわけでもないが、話題っていうのは自分と相手の関係が大きく左右するからな・・・・・伊織は、日向ぼっこは好きか?」

 

「あ、ああ。それなりに好きだが・・・・・。」

 

「静かで暖かい日差しの中、ゆったりとした気持ちで食べる・・・というのは美味くならないか?」

 

 

困った。言っている自分が今からでもそうしたくなってきた・・・・まあ、今は夏だから少し厳しいが。

 

 

「他にも・・・そうだな、今食べている料理の作り手の思いを感じることか?」

 

「作り手の・・思い・・・。」

 

「自分の大切な人が、自分のことも大切に思いながら、微笑みながら精魂込めて作ってくれたのならその料理はきっと美味しいと思う・・・・恥ずかしい言い方すれば、愛情のスパイスだな。」

 

 

うわっ・・・・言う前も恥ずかしかったが、言ったらもっと恥ずかしいぞ、これ。

伊織だから良いようなものだが、蔵人達には絶対に聞かせられん。

 

 

「他では駄目か?」

 

「駄目・・・だろうな。意外とその手の想いっていうのに、人間は敏感だ。銜えタバコしながら、汚い格好のヤツが、やる気なさそうな手つきと顔でやっていたら・・・・間違いなく不味くなる。」

 

「なるほど・・・・だが、それは試せないな。作ってくれる人間が居ない。」

 

 

ああ・・・こいつは失言かも。伊織の父親は・・・斬殺されたんだったか。

 

 

「・・・悪い話題だったな。」

 

「なんだ、どうした急に。」

 

「伊織には、作ってくれる相手が居なくなったことを失念していた。済まない。」

 

「・・・・ああ。それなら問題ない。生きていたとしても父は料理などしなかった。」

 

「・・・・・そうか。」

 

 

墓穴掘りっぱなしだな。

 

 

「もともとそんな人間が居なかったからな・・・残念だが、それを試みるのは不可能だ。」

 

 

この子はどうして・・・こんなに未来へ目を向けないんだろう。

ただの認識の違いなら良いんだが。

 

 

「・・・それでも、だ。悪い話題だったな。」

 

「話したのは私で、麒麟は聞いただけだろう・・・何故謝る。」

 

「ははっ・・・それは哲学的だぞ、伊織。」

 

「哲学的、なのか?」

 

「そう・・・・理屈は伊織の言う通りかも知れないが、人は理屈だけで生きることもできないし、理屈だけの世界はきっと平和で・・・・限りなくつまらんものだろう。」

 

「そうか。」

 

 

伊織はあくまで自然体だ。そして、あまりに自然体過ぎて危なっかしい。まるで、何にでも興味を持って恐れを知らない幼児のようだ。

 

打てば響くような人間じゃないのは、打てば響く感受性を育んで来なかったから。

本当にアンバランスで、ハラハラさせられるような子だよ。

 

 

「麒麟は、変わっているな。」

 

 

そんなことを考えていると、とんでもないことを言われた。

 

 

「ひ、否定はせんが・・・・同じく変わっている伊織に言われると、少なくないショックだよ。」

 

「大抵の場合、私が返事をしないと皆逃げていなくなるのだが・・・麒麟は違う。」

 

「・・・あんまり釈然としないな。意外なのは、伊織ほど美人なら頼んでもないのに男が群がってきそうだが?」

 

 

キョトン、としてから怪訝な顔をしてから考え込みだす。

考え込むなとは言わないが、自分が美人ではないと否定をする伊織の審美眼に俺は興味がある。その審美眼の美人の位置付けは奈辺にあるのか。

 

 

「時折あるようだが、相手の話を黙って聞いていると、皆いそいそと逃げていなくなる。」

 

「あー・・・もしかして、他人と話すより独りの方が好きか?」

 

「好きだな。」

 

 

単純に会話のキャッチボールに不器用なだけかと思ったが・・・・これは意外な展開だ。

孤独を愛する以上、実りのない話は邪魔なだけで・・・・俺も邪魔をしている可能性があるわけか。

 

 

「・・・何か、問題があるのか?」

 

「・・・・まあ、俺が伊織の好きな独りの時間を邪魔しているのではなかろうか、と思って、な。」

 

 

そうであれば、既に食べ終わっている身としては退散するのが礼儀だろう。

 

 

「邪魔ではない。」

 

「・・・本心で?」

 

「本心だ。麒麟は実のないことを話さないし、私が解からないことにも答えようとする・・・それは悪くない。」

 

「・・そうか?」

 

 

俺としては至極当然のことを話しただけで、充実した内容とは言い難いんだが・・・伊織が満足ならそれは結構なことか。

 

 

「・・・・実りある会話が良いのなら、セッションが終わったらすぐに居なくなるのは?」

 

「・・何かおかしいか?実験が終わったらそれで解散だろう。」

 

「・・・・理屈、ではな。」

 

 

ああもう・・・・。

何て難儀なヤツだ。

 

クールなわけでも、人嫌いでも、理屈人間でも、ない。

人との繋がりを持ったことがないから、どうやったら人との繋がりを持てるかも知らない。人と繋がりを持たない生活をしてきたらから、その必要性を実感することもできていない。

 

―――それが伊織だ。

 

 

 

 

話の切れ目で伊織もちょうど食べ終わったので、トレイを下げて食堂を出る。

 

 

「・・・・そこそこ食べたな。」

 

 

この後、仮眠を取って六時間予定の戦闘が待っている。満腹では、支障があるからこれでも抑えている。

 

 

「・・・・・・・。」

 

「どうした、伊織。」

 

「・・・・不思議だ。」

 

「・・何がだ?」

 

 

できれば、主語をくれ。

 

 

「なんだか・・・今の食事が、少しいつもより美味しかった気がした。」

 

「それは重畳。奢った甲斐があったというものですよ、伊織姫。」

 

「なんだその、姫というのは。」

 

「黙って笑うところなんだが・・・・まあいい。誰かと会話しながら食べるのも、悪くはないだろう。」

 

「そう、だな・・・じゃ。」

 

「ああ・・・・。」

 

 

スタスタとそのまま歩き去る伊織の背は、一番手の掛かった下から二番目の妹を思い出させてくれる。

その背が不意に止まって、振り返る。

 

 

「・・・ごちそうさま。」

 

「・・・どういたしまして・・・そうだ、伊織。」

 

「なんだ。」

 

「いずれ、俺が試させてやろう。」

 

「?何を、だ。」

 

「食べる人間を想う料理人の想いというヤツを、さ。」

 

 

ああ・・・だから、言っているほうがすごい恥ずかしい。くそっ、誰も聞いてないよな。

 

案の定、伊織は面食らって返事ができない。

これは珍しい顔を見られた。それだけでも収穫だが・・・・。

 

 

「ま、期待しないで待ってろ。」

 

 

もっと恥ずかしい俺は、逃げるように先に姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一頻り睡眠をとった後、医科棟に再集合。

 

 

「皆ご苦労だったな。準備は良いのか?」

 

「済んでるみたいだぜ?」

 

 

観影さんが軽く周囲を見渡すと、皆一様に肯いて返した。

 

 

「では手短に行こう。デミウルゴスを防護するグループと、こちらで出現を探知した場所に出向いて遊撃を行うグループ・・・その二つに分かれてもらおうと思う。」

 

「システム防護班に丸目、勸興寺、疋田、刀伎直、上泉。遊撃班は月瀬、中条姉妹、小鳥遊、靜峯。」

 

 

おや・・・意外かもな。

遊撃班に信綱と小夜音を固めてくると思ったが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて・・・・そろそろだな。」

 

 

蔵人がなんとはなしに呟く。

時計の針は作戦開始時間まで後2分を指し示している。

 

わざわざ担いできたクーラーボックスを邪魔にならない位置へ動かす。

 

 

「・・・あの、スイッチを切った途端に敵だらけ・・・なんてことにはならないですよね・・・?」

 

「さあな・・・可能性としてはないことも無いだろうな。薄そうではあるが。」

 

「ふ、不安になるようなこと言わないでよ。」

 

 

その辺は心配する必要などない。

そうなったらなったで全滅するだけだ。

 

 

「相手の動きは速くない・・・ということで、一度に40体程度なら、ここに居るメンバーであれば何とかなりますでしょう。」

 

「ひ、ひとり7体・・・ですか。」

 

 

概算でも250は出るらしいが、観影さんによると一気に出てくることはない・・・らしい。

あんまり信用ならんよな・・・・・これまでのことを考えると。

 

 

「小夜音。」

 

「なんでしょう?」

 

「お兄さんからの忠告だ・・・限界を口にすると、それを超えた状況でショックを受けるぞ。」

 

「・・・ご忠告、痛み入りますわ。ですが、どのような敵であっても現れれば斬り伏せるのみですわ。」

 

「勇ましくて結構だ。」

 

 

余裕の笑みで応える小夜音に、俺もニヤリと笑い返す。

 

 

「防護波発生装置停止まであと1分だ・・・皆システムの周囲に集まってくれ。」

 

 

思い思いの場所にいた面々が、システムの周りに集まって輪を作る。

 

 

「なんだか、ロールプレイングゲームみたいですね。」

 

「なんの、役割演技って意味じゃ、ごっこなんぞ目じゃないぜ?ゲームオーバーになっても生き返らないからな。」

 

「き、緊張・・・してきました・・・。」

 

「大丈夫、これだけ腕の立つ人間がいるのです・・・負けはしません。」

 

「大丈夫よ・・・お姉ちゃんは私が護るもん・・・!」

 

 

 

「それでは、防護波発生装置を停止する・・・・!」

 

 

 

「・・・・・・・・。」

 

 

この感覚だ。

細胞の一つ一つが、眠りから目覚めたように活性化される。

 

脳の奥に眠る獣性が染み入ってくる。

 

 

――――無音

 

違うな。微かに海風の音が唸っているのが聞こえる。

そして、都心の醜く穢れた雑音。

裏庭の薔薇の香気。

10人分の心音。

 

 

「・・・・ちょっと、何も出てこないわよ?」

 

「なんだ・・・観影センセの予測はハズレか・・・?」

 

「そうなら、良いのですが・・・・。」

 

「いや・・・・・来た。」

 

 

 

 

ドォン・・・・・・ッ!!!!

 

 

 

 

『・・・・・・・・!?』

 

 

突如響き渡る爆音に、全員が身体を硬直させて、それぞれの前方へと視線を走らせる。

 

 

「・・・・・うそ。」

 

「・・・・・そんな。」

 

「冬芽さん、圭さん・・・チェーンの内側に!」

 

「は、はい・・・・っ!」

 

「・・・いいかみんな、周囲に気をつけろ。他の人間の間合いに入るんじゃないぞ。」

 

「・・・・覚悟、足りなかったかも。」

 

「んなモン後から付いてくるさ・・・ついでにお釣りも貰えるだろうぜ・・・!」

 

 

眼前には、中庭を埋め尽くす『残滓』の群れ、群れ、群れ。

ある意味で予想通りで、別の意味で予想を超える展開で「『残滓』殲滅戦」は幕を開けた。

 

 

「ェヤァァ―――ッ!」

 

「セヤ・・・ッ!」

 

「ッエェィ・・・ッ!」

 

 

先陣を切ったのは、蔵人、小夜音、りっちゃんの三人。

 

 

「冬芽ちゃん!奴らの動きを止めます、良いですね・・・っ!?」

 

「はい・・・・・っ!」

 

 

魔術師と巫覡のバックアップ付きというのが、この場合ありがたい。

 

さて、俺も見ているだけじゃな。

 

 

「フッ・・・・!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中庭もモニターしていた管制室は、騒然となる。

 

 

「なんだあの数は!?急いで防護波発生装置の再起動を掛けろ!」

 

「主任!防護波発生装置再起動まであと2分を要します。」

 

「急げっ!起動チェックのクラスB部分までを省略して、再起動時間の短縮を図れ!」

 

「『残滓』の個体数が70体を超えました、秒間8体のペースで増加していきます!」

 

「起動チェックの省略完了!再起動まであと12秒!」

 

「個体数が100を超えました!重力波歪曲率の上昇が、LISAUの検出範囲に到達します!」

 

「何と言う速度だ!これでは『残滓』の出現が欧州宇宙機関の知るところとなってしまう・・・・。」

 

「防護波発生装置の再起動を確認しました!」

 

「歪曲率はどうなっている!?」

 

「・・・・LISAUの重力波検出システムに捕捉されました。完全収束までにはあと17秒を要します。」

 

「くそっ・・・・彼らの状態は!?」

 

 

観影は、部下の前でありながら悪態を吐きつつ、中庭の状況を確認する。

 

 

「全員の生存マーカーを確認。交戦が続いています・・・『残滓』の総数が220体を超えましたが、半数は建物内に顕在化しており、現在彼らと直接戦闘が可能な『残滓』の数は100体前後の模様です。」

 

「頼む・・・皆無事で居てくれ・・・!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハッ・・・・!」

 

 

自在に飛翔する燕の軌跡が一瞬で二体の『残滓』を断ち斬る。

体感時間は10分少々だが、実際はどうか。既に21体目だが、まだ100体弱はいる。

 

“燕返し”を使える体力がある限り、俺がやられることはないが・・・他の面子は解からない。

白衣と黒衣、伊織、小夜音はサポートの範囲内だが、信綱、りっちゃん、蔵人は遠すぎて手が回らない。迂闊に持ち場を離れれば、今度は詠唱中の圭と冬芽を無防備に晒す。

 

乱戦の経験者が少ないのは、やっぱり痛いな。

 

 

「『我が前にはラファエル、我が後ろにはガブリエル、我が右手にはミカエル、我が左手にはウリエル・・・我が周りにて五芒星は燃え、柱の裡には六芒星在り』」

 

「『此く宣らば、罪という罪、咎という咎は在らじ物をと、祓い賜い清め賜うと白す事の由を諸々~等に左男鹿の八つ耳を振り立てて、聞こし食せと白す』」

 

 

「はあ・・・・ッ!」

 

「や―――――っ!」

 

 

100体と口で言うのは簡単だが、恐れも、怯みもせず、前後から殺到する『残滓』は正しく悪夢だ。端から見れば、出来の悪いゾンビホラー映画だな。

 

倒しても、倒しても一向に数を減らない様子は、焦りと恐れを生み、精神的にも肉体的にも追い詰めてくる。

危ないのはそれだけじゃない。乱戦に慣れていないがために、味方の巻き添えを食わないように気をつけてしまい、無意識に動きが萎縮してしまう。その緊張感は疲労として肉体を蝕んでいく。

 

真夏の酷暑の中で闘えば消耗は加速度的に増す。

そして、現実世界における初の本格的戦闘。実戦の緊張感に慣れない者は昂揚し過ぎて限界が来るまで疲労を忘れ、唐突に訪れる限界に、潰される。

 

 

人数的にギリギリだ・・・・一人でも脱落すれば、その穴から第二、第三の脱落者が出る。

 

 

「ぬう・・・ッ!まだか、たっきー、冬芽・・・っ!」

 

 

もっとも受け持ちを大きくした信綱が、大分余裕のない声で二人の術師へ呼びかけるが、精神集中の只中で聞こえていない。

 

 

「『残り滓を早く引止め賜え道反大~!逃ぐるとも逃がしはせじな道反の珠の光の在らむ限りは・・・!』」

 

『我は汝を召還す!汝〈質量〉よ(マー・バライオ)讃えよ汝、存在する者よ・・・父たる者が汝を欲する(イオエル・コーテア・アトール・エ・バル・オ・エイブラフト)!』」

 

 

二人の詠唱がほぼ同時に終了する。

次の瞬間、水を打ったようにざわめきが止み、『残滓』たちの動きが急激に鈍くなり始める・・・。

 

 

「ごめん・・・・待たせたね、信綱・・連中の足は止めたからね!」

 

「皆さん、今です・・・今の内に・・・・っ!」

 

「了解・・そいつを待ってた!」

 

「よっしゃぁ・・・いっくぞぉらあぁぁっ!」

 

「莫迦ッ!二人で100体も止めなくて良い・・・っ!」

 

 

そんなことをすれば、完成された術者ではない二人は・・・それこそ逆凪で自滅する。

精々前衛の30体を足止めすればそれで十分だったというのに、莫迦が。

 

 

蔵人と信綱が先陣を切って、動きの止まった『残滓』を薙ぎ払っていく。その後を小夜音と伊織の二人が楔となった男二人の空けた穴へ殺到する。

 

 

「はぁ・・・・っ!」

 

「つえぇぁ・・・っ!」

 

 

小夜音は信綱と並ぶと、神速の太刀筋で群がる『残滓』を斬り捨てて行く。

 

 

「さすがに、ちっとばかりヤバかったか・・・・?」

 

「そうですわね・・・少々予想外の数でしたから。」

 

 

伊織は蔵人の隣に並び、その手に持った剛剣を一閃。その刹那、3体の『残滓』が瞬時に消え失せた。

 

 

「伊織先輩・・・なんだ、その莫迦デカイのは・・・。」

 

「これが私の得物・・・『処刑刀』」

 

「マジかよ・・・・。」

 

 

俺も蔵人と同じことを言いたいが・・・・ツヴァイハンダーを片手で振り回せるヤツを知ってる身としてはな。

 

伊織が使っているのは、長さはともかく二倍の厚み、三倍の幅はあろうかという洋物の大段平。

 

 

「はああ・・・っ!」

 

 

剣術遣いにとって、それは剣術ではない・・・。

力の限り剛剣を振り回し、片っ端から敵を振り回し、もしくは袈裟に薙いでいく。

 

ローマ時代から、囚人の処刑を執行する為だけに開発された剛剣。それが『処刑刀(エグゼキューター)』。

 

鉈のようにすっぱりと落とされた平坦な剣先は、それが戦闘用ではなく、まさに処刑の為だけに存在することを物語る。この剣には突きが存在しない。そして、鋭利な刃も必要ない。

 

ペーパーナイフよりも鈍い刃は、通常の剣と違い先端を鋭く研ぎ澄ますことはない。

鍛造したままの愚鈍な鉄塊を刀匠は剣とは認めないだろう。

 

処刑のために求められる、重量による振り下ろす圧倒的な速度―――囚人の首根を折り、頚椎を砕き、腱を千切り、圧し切るための・・・単純で、圧倒的な破壊力の実現。

 

だから処刑刀に望まれるのは、破壊力・・・つまり遠心力を増すため、そしてそれ自体が凶器と成りえる圧倒的な先端重量。それを実現するため、この剣は根元より鋩の方が太く、幅も広い。

 

 

「滅茶苦茶じゃねえか・・・。」

 

 

蔵人の言うとおり、処刑刀が振るわれる様は凶悪の一言に尽きる。

 

先端に重量が掛かる為、まず持ち上げる為に尋常ではない膂力が必要とされる。その上、一度振り下ろしたが最後、その後は長大な遠心力に支配され、剣を止めることもままならない。

 

俺や蔵人ならまだしも、女としては大柄だがそれでも少女と言える伊織が振るうさまは非現実的だろう。

 

だが、思い違いをしてはいけない。処刑刀の取り扱いは、ただの力自慢が振るったところで頚骨が砕けるだけで断ち切ることはできない。

英国チャールズ2世の統治下で処刑されたモンマス公は、何度やっても切断することできず最後はナイフで切り離すハメになった。

 

一見、ただの力技だが、その実は振り抜く動作に精緻さが求められる。遠心力に振り回されながらそれをやってのける伊織の能力は、想像以上に高い。

 

 

「・・・人の戦いばかり見ている場合では、ないな・・・。」

 

 

暑いのを我慢して羽織ってきたジャケットの裏側から、括りつけておいた小太刀を抜刀。

右手に野太刀、左手に小太刀の二刀流の構えを取る。

 

 

遠心力に任せて、三体を纏めて薙ぎ払い、突進してきた『残滓』の肩を遠心力に振り回される体を利用して小太刀で貫通させる。

 

 

「ッァァァ・・・ッ!」

 

 

親指の付け根から力を跳ねさせ、足腰で方向性を定める。

その力で貫通させた状態から貫通した小太刀で袈裟に両断する。

 

 

「なんか・・・どいつもこいつも、とんでもない莫迦力じゃねえか・・・。」

 

 

大太刀をぶん回すお前に言われたくねえよ、蔵人。

 

 

「喋ってる余裕があるなら、きりきり働けぇっ!」

 

「・・・・麒麟、って人格変わってない?」

 

「・・・ハイに成り過ぎて、頭の螺子が取れちゃったの、かな?」

 

「・・・六花、何だか私、この後の貴女が麒麟さんの報復を受けないか、心配ですわ。」

 

「うっ・・・・前言撤回・・・・してもいい?」

 

「・・・俺の脳細胞の閻魔帳にりっちゃんの発言を記録した。」

 

 

ええいっ、緊張感のない奴らめ!

 

 

 

 

 

 

 

「これが、あの子達の力なのか・・実際に見なければ、とても信じられるものではない。」

 

 

人ですらない者を自らの精神波動の内に閉じ込め、相手の足を止める・・・観影にとっては、既に科学的な常識の埒外の力だった。

 

 

「主任、走査信号の減衰率の計算結果が出ました・・・ですが。」

 

「・・・なんだ、この数値は?」

 

「走査信号の減衰率から割り出した・・・『残滓』の残存個体数の予測です・・・検算もしましたし、『冬寂』を使って、式自体のチェックも行いました・・・ですが。」

 

「答えはこれ・・か。だが最初の『残滓』を倒した時、信号の減衰率はもっと高かった筈だ。」

 

「勿論、それは私も承知しています。その数値を基準にして作戦を立案したのですから・・・でが今回の再計算の結果は・・・っ!」

 

 

研究員の発言を手で遮ると、観影が言葉を継いだ。

 

 

「解かっている。それはつまり我々の『負け』を意味している・・・そう言うことだ。だが、可能な範囲でこの誤差は修正せねばならん。」

 

「・・・はい。取り敢えず、もっと精確な算出方法を見つけなくては・・・『冬寂』のマトリクスを使用する許可を頂けませんか?」

 

「・・・良いだろう。但し現行の監視業務に対する作業領域確保のために第4レギオンまでを残す。第5から第8レギオンまでの使用を許可する。解析を急いでくれ。」

 

「ありがとうございます。」

 

「頼むぞ・・・地上の方はどうなっている?」

 

「はい。『残滓』は活動を再開していますが、先ほどまでに直接戦闘の可能性がある個体の約80%の消滅に成功したようです。」

 

「・・・・そうか。」

 

 

僅かだが、疑念が過ぎった。観影はそれを振り払い、通信のスイッチへ指を伸ばす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前達、無事か?」

 

 

各人に渡されている通信機から観影さんの声が聞こえる。

 

 

「生きているって意味ならな。」

 

「観影さんか!こちらは取り敢えず負傷者とかは出てない・・・けど、あんなに湧いて出るとは聞いてなかったな。」

 

 

俺の簡素な返答へ、蔵人が被せるように言葉を出す。

 

圭と冬芽の術は切れているが、残り20体まで減れば後はじっくり殲滅するだけだ。当面の危機は去ったと言える。

 

 

「済まなかった。こちらとしても全くの想定外だった・・・良く持ち堪えてくれたな。」

 

 

数値をあんまり信用してたわけじゃないが、現実こうやって相手にするのとは違う。

世の中、本当に厄介にできてやがる。

 

 

「ちょっと先生!そんな暢気なこと言ってる場合じゃなかったわよ!?いくら動きが鈍い連中だからって、あんなに一杯湧き出てくるなんて聞いてないわよ!」

 

「そうですよ〜!いくらお手当てが出ても、あれじゃ、命が幾つあっても足りないじゃないですか〜!」

 

 

黒衣とりっちゃんの不平不満は正しくその通りだ。

不確定な情報で殺されては堪ったものじゃない。

 

 

「まさか、本当はこうなることを知っていて、事実を言えば俺たちが退治を引き受けないから黙っていた、とか勘繰りたくなるなるんだが・・・っ!」

 

「それは誤解だ・・・っ!」

 

「ああそうかいっ!だったら、次は低出力で『残滓』の発生数を減らすなり、工夫してくれよっ!」

 

 

俺も途中で気付いたが、防護波発生装置に出力があるのなら、一定まで出力を下げることで少数の『残滓』だけを発生させることができるはずだ。要するに、蛇口を壊せば水は噴出するが、軽く蛇口を捻れば少量の水が出てくることと同じ理屈だ。

 

 

「なっ!?初めから解かっていたのか、そのことを・・っ!」

 

「いや、さっき思いついたばかりだが、不可能ではないだろう!・・・せっ!」

 

 

小夜音の死角に迫っていた『残滓』へ、小太刀を投擲して首を飛ばした。

礼はないが、そんなもの貰うくらいなら一体でも倒して欲しいし、小夜音もそれで報いようとしている。

 

信綱、伊織、小夜音の三人と、俺を含めた四人が誰かの死角を補助し、近くの味方への負担を減らすために優先的の近づく敵を斬ってみせていた。

ただ、それでも実戦経験の差か・・・・小夜音や伊織にはさっきのように若干の隙がある。

 

 

 

 

 

 

「・・・・取り敢えず、見えている分はこれで終わり・・・・でしょうか?」

 

 

信綱が切り倒した一体を最後に、襲ってくる『残滓』の姿は途絶えた。

見渡しても姿はなく、移動の際に発する気配や音もない。

 

 

「そうだな。中庭の掃討はこれで完了だ。」

 

 

俺から出た一応の戦闘停止と同様の発言で、漲っていた緊張が弛み、みんな構えを崩す。

 

 

「はぁ、はぁっ・・・大丈夫、冬芽ちゃん?」

 

「はぁっ・・・はぁっ・・・だ、大丈夫です・・・。」

 

 

膨大な精神力を消費して足止めしてくれていた二人は、大きく肩を上下させている。

 

 

「助かったぜ二人とも・・・あそこで敵の足が遅くならなかったら、間違いなく死人か怪我人が出てたな。」

 

「でも、圭さんが居らっしゃいませんでしたら・・・きっと冬芽だけでは、こんなに長い間術を続けられませんでした。」

 

「それは僕も一緒ですよ・・・互いが居たことの偶然を神様に感謝しなくてはね。」

 

「そうですね・・・・はぁ・・・はぁ・・・。」

 

「だが・・・無茶のし過ぎだ。100体の『残滓』を足止めした逆凪を防ぐ自信もないくせに、あんなことはするな。次は廃人になるぞ。」

 

 

厳しい言葉をあえて掛けたが、圭は何も言わず、笑みを返すだけだ。この死にたがりが。

冬芽はと言うと、少し落ち込んだがすぐに顔を上げて俺をまっすぐに見る。

 

 

「解かっています・・・でも、ユメは決めたんです。自分に出来る、精一杯のことをすると・・・そのために私は、ここに来たと思うのです。」

 

「・・・・はぁ・・・そんな顔と眼をされたら、俺からは何も言えんだろう。自滅だけは、するなよ。」

 

「はい。」

 

 

ここまで力強く返されると、俺が莫迦みたじゃないか。

 

 

「さて・・・と。斬りも斬った・・・ってところだな。観影センセ、次はどうする?」

 

「・・・・怪我人はいなんだな?もし居るなら、システムを護る員数だけを残して医科棟に戻って貰っても構わないんだが。」

 

「いや・・・奇跡的に大丈夫なようだぜ?外見はみんなボロボロ・・・って、何でお前だけ服が無事なんだよ麒麟。」

 

「ああ、気にするな。」

 

 

“燕返し”の斬撃結界を越えさせるほど、甘くはないだけだ。

みんな、当然ながら軽い擦り傷、切り傷はあるが大した外傷はない。

 

 

「と言うことは、医科棟にも『残滓』が発生しているのですか?」

 

「ああ。一部は防護範囲外に建っているのでな・・・そいつ等を一掃出来ないと医療班を出すことができない。」

 

「マジかよ・・・怪我人が出たらどうするつもりだったんだよ・・・?まあ良い。次はどうすればいい?」

 

「先ほど敷地内をこちらで走査したが、今ので出現した半分を倒したことになる。残りは施設内に出現し、建造物に阻まれて動けていない連中だ。」

 

「半分・・・・おいおい、まだ半分居るのかよ・・・。」

 

 

ここで倒したのは150体弱だから、多く見積もって半分だろう。

当初の予定なんてあってないようなもんだが・・・律儀なことに出現させた総数は外れていなかったわけか。

 

 

「残念ながらな・・・取り敢えず、その場を動かなければ敵も動き出すまい。警戒しつつ休息を取って、遊撃班は校舎へ向かってくれ。」

 

「・・・・了解だ。」

 

 

そこで通信は一旦切れた。どうせカメラでモニターされているのだから、会話がなければ殊更に使う必要もない。

 

 

 

「さて・・・・休憩だな。」

 

 

休憩に入ると、各々の得物は煙のように消えてしまった。

蔵人やりっちゃんは地面に直接へたり込むが、小夜音はドレスの都合上それもできず、またするような性格でもないので『統治者』の台座に腰掛ける。他の面子も似たり寄ったりで、身体を休めようとしている。

 

駄目だ・・・・やっぱ、何の準備もしてやがらない。

 

 

仕方ないので端っこに置いていたクーラーボックスを開ける。

 

 

「・・・さっきから気になってたんだけど、そいつは何が入ってるんだ?」

 

「・・・ほら。」

 

 

尋ねる蔵人へ、中身を投げて寄越す。

 

 

「おわっ・・・・とっとと・・・冷てぇっ!これ、冷やしたタオルか?」

 

「ああ。取り敢えず、それで汗と身体を拭っておけ。それだけで疲労の取れ方が違う・・・小夜音、全員分あるから配るのを手伝ってくれ。」

 

「解かりましたわ。」

 

「・・・わたしも・・手伝い、ます・・・。」

 

「お姉ちゃんがやるなら私も・・・。」

 

「それなら、白衣と黒衣は全員分のスポーツドリンクとミネラルウォーター、後は簡単にカロリー補給のできるゼリー飲料を頼む。」

 

 

次々にボックスの中から取り出すと、全員目を丸くして見ている。

 

 

「・・・・麒麟さん・・・あの、それってさ、全部自分で用意・・・したの?」

 

「当然だ。真夏の酷暑で、6時間も作戦行動を取るならこういう準備は必須だからな。特に水分補給をしなかったら、敵にやられる前に脱水症状や熱中症で戦線を離脱することになる。」

 

「・・・・ううっ・・・オヤツもって行こうか悩んだわたしがとってもお莫迦な気が・・・・。」

 

「・・・こら蔵人。妹の躾はちゃんとしておけ。」

 

「俺のせいかよ・・・・けど、こいつはマジでありがたいぜ。生き返った気がする。」

 

「本当ですわ・・・・。」

 

「ふぅー・・・・確かに、あるとないとでは大違いみたいだね。」

 

「冷たくて気持ちいいです・・・・。」

 

「・・・・・。」

 

「伊織・・・ゼリー飲料を無理して飲めとは言わんから、睨めっこするな。」

 

「・・・・・解かった。」

 

 

伊織はゼリー飲料を傍らに置くと、無言でスポーツドリンクを飲み始めた。何でそれを飲めて、ゼリー飲料は駄目なのか謎だ。

 

 

「いやっ、さすがは麒麟・・・お父さんは感激だよっ!」

 

「俺は蔵人と兄弟かよ・・・・せめて5000歳なら5000歳らしく、年寄りにしとけ。」

 

「ですが、ここまでは私も思い至りませんでした・・・まだまだ修行不足のようです。」

 

「道場で一対一にいくら強かろうが、状況の変化についていけんようなヤツは真っ先に戦場で命を落とす。今回はこうして俺が用意しておいたが・・・・次回からは各々、考えておいてくれよ?」

 

 

それが実戦だ。剣を振るう力や早さが幾らあっても、神業のような体捌きが出来ても、疲労困憊した人間は素人にも負ける。命を掛けた遣り取りで命を落とすときは、常に自分で責任を負わなくてはならない。

 

どんな状況でも、自分の責任で自分を追い込んでいるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

30分ちょっとの休憩の後、小夜音が最初に立ち上がった。

 

 

「では、そろそろ私達は行きましょうか。」

 

「了解。行こうぜ、白衣、黒衣・・・あとは圭だったな。」

 

「はいはい。」

 

「こうして、楽しい靜峯一家はお父さんに引き連れられて校舎へ向かうのだった・・・。」

 

「誰が、お父さんだ。誰が。」

 

「・・・・麒麟とその愛人軍団の方が良かったか?」

 

「・・・女性陣からドン引きされそうだから、返答は避ける。」

 

「・・・・え、あの・・・それは・・・・。」

 

「ちょ・・・お姉ちゃん、あんなの真に受けないでよ。」

 

「僕は愛人4号で良いよ。」

 

 

面白がるな、圭。ややこしくなるだろうが。

 

 

「私は・・・・。」

 

「・・・ああ、小夜音は蔵人にべったりかも知れないが・・・それを寝取るのは一興かもな。」

 

「ねっ・・・・・!」

 

 

予想通り、小夜音は顔を真っ赤にしてどもる。

 

 

「き、麒麟さん・・・そ、そのような発言は如何なものかと思われますが・・・・。」

 

「ん?そのような、ってのはどの発言のことだ?」

 

「い、いえ・・・・その・・・・ね、ね、ねとっ、ねとっ・・・・。」

 

「小夜音さん、どもり過ぎて言葉になってませんよ☆」

 

 

何故にそんなに嬉しそうなんだ、りっちゃん。別にどうこうというわけでもないが、この子本当にオヤジは入ってるよな。

 

 

「ちょっとさ、こいつと一緒にいたら『残滓』より先に襲われるんじゃないの?」

 

「く、黒衣ちゃん・・・・っ!」

 

「・・・襲ったら最後、可愛らしい叫び声と共に膾にされかねんな。」

 

「うっ・・・確かに・・ってか、何で他人事なんだよ。」

 

「襲うのも文字通り命がけかよ。燃えるだろう、麒麟。」

 

「まあ・・・それはそれで、な。」

 

「頭湧いてんじゃないの?」

 

「失礼な、それは蔵人だ。」

 

「だから、俺は腐ってるだけだっての・・・・。」

 

「えと、ですから・・それは駄目だとユメは思うのですが。」

 

 

昨日と同じボケをかましやがった。腐ってるのは事実か?

楽しい談話になったのは良いが・・・・目的を忘れそうになる。

 

 

「はいはい・・・みんな妄想を逞しくするのは俺らが行った後にしてくれ。」

 

「えーっ!」

 

「それじゃ、行ってくる。」

 

「おう、気をつけろよ。」

 

 

不満そうなりっちゃんを無視して、校舎内へ足を踏み入れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しかし、気をつけろと言ってもな・・・・100対5でどう気をつけろって言うのかね。」

 

「あら、簡単ですわ・・・負けなければ良いのです。」

 

 

はい、その通りなんですけどね。

えー・・・小夜音嬢、もしかしてさっきからかったのを根に持ってるか?

 

 

「・・・そうなんだがな。」

 

「さらっと言うわね・・・一度そのご機嫌な頭の中を覗いてみたいものね。」

 

「く、黒衣ちゃん・・・・。」

 

 

・・・・基本的に、男も女も扱いは一緒か黒衣。素晴らしきかな男女平等。

飛び蹴りがないだけ、女の方の扱いが良いと言えなくもないが。

 

 

「残念ながら、頭の中身を開いて見せて差し上げることは出来ませんわね・・・ただ、現実問題として100体総てを退治するには、こちらは負けるわけには行かない・・・それだけですわ。」

 

「・・・100体なんてどうするのよ。」

 

「黒衣さん、ここは狭い校舎の中です・・・別に100体同時に襲ってきたとしても、遮蔽物を巧く使えば一度に相手にするのは精々2体程度・・・要は焦らずに、一体一体倒していけば良いのです。時間はかなり有りますからね。」

 

「・・・・・・・・・・・。」

 

 

完全に理詰めで返されて反論を封じられた黒衣は、噛み付きそうな勢いで小夜音を睨みつける。

理詰めで返されるような言葉は、黒衣の不安と弱気の裏返しだ。それを小夜音も見透かし、黒衣も見透かされたと感じている。

 

 

「取り敢えず、管制室かに敵の位置を分析して貰うところから始めましょう・・・観影先生。」

 

「聞こえている・・・・今走査結果を解析している。紹介しよう、オペレータの鴻上だ・・・彼女がこれから君達のサポートに回る。」

 

「初めまして、管制室オペレータの鴻上良子です。よろしくお願いしますね。」

 

「よろしく・・・さて、それでまずはどの辺りから始めようか。」

 

 

ざっと脳裏に各階に別けた校舎の俯瞰図を描く。

 

 

「ま、サポートと言っても、現実的に居そうな位置を示す事が出来るだけなんです・・・端から総当りがこの場合セオリーでしょうか。屋上から始めて、図書館棟までを上から順番に回ると言うことどうでしょう?」

 

「・・・了解。医科棟の掃討も同じ要領で?」

 

「はい。基本的な造りは同じものですから、それで問題ないと思います。」

 

 

『残滓』に高度な知能はない。

待ち伏せや気配を消しての奇襲もない。俺たちの得物から発せられる『デミウルゴス』の波動を感知すれば、勝手に襲ってくるのだから念入りに調べずとも近づくだけでいい。

 

問題があるとすれば、明かりが少ない分、暗がりに溶け込んだ『残滓』を発見しづらいということぐらいだろう。

 

 

「・・こちらの校舎に何体程度の『残滓』が存在しているのですか?」

 

「数だけで言うのなら、こちらで確認したのは64体・・・と言うところでしょうか。」

 

「・・・それは校舎内に点在?」

 

「そうですね。こちらは上空からの走査データを利用して検索しているだけなので、位置は解かりますがその対象がどの階に存在しているかまでは解からないのです。」

 

「なるほど・・・それで、くまなく歩いて調べる必要があるのですね。」

 

 

役に立っているのか、たっていないのか、微妙なところだ。

無いよりはマシと考えるべきか。

 

 

「・・・・観影。」

 

 

そのとき、無線から別の声・・・伊織の声がする。

 

 

「ん・・・・疋田か、なんだ?」

 

「『残滓』はこれで全部か?今まで何体出現した。」

 

「・・・・・200体だ。」

 

 

予定よりも少ない、な。

 

中途でかなり無理矢理、防護波発生装置を作動させていたようだし・・・予定数を下回ったのか、それとも予定を遥かに上回る数になりそうだったから・・・・・。

 

ま、今考えても仕方ないか。

 

 

「どうした・・・・これで全部なのか?」

 

 

通信にノイズのようなものが混じる・・・・わざと周波数を少しずらして声が聞こえないようにしているらしい・・・これは、嫌な予感が当りのようだな。

 

 

「まだだ・・・まだ全ての歪みを呼び込めたわけではない。」

 

「「少ない・・とは思っていたが。」」

 

 

俺と伊織の声が綺麗に重なった。

 

 

「二人とも・・・・・。」

 

「麒麟さん・・・それはどういう意味です?」

 

「どう・・・と言ってもな。伊織も同じだろうが、言葉通りの意味だ。」

 

「ああ。」

 

「まだ実体化していない『残滓』が存在する・・・二人はそう仰るのですか?」

 

「宇宙規模の時空間の歪み・・・そこから発生する『残滓』が200体。まあ、少ないとは思った。俺が1万といったのは戯言じゃない・・・で、どうなんだ、観影さん。」

 

「・・・・・そうだ。今、改めて総数がどれくらいになるのか再計算中だ。」

 

 

ありがたくて涙が出そうだ。

いくら俺らでも、本当に1万でも複数回に別けたところで到底討ち尽くすことは出来ない。

 

 

「ということは・・・今は防護波発生装置とやらが動いている状態。そう言うことだな。」

 

「ああ。」

 

 

観影さんは苦々しそうにそれだけ答えた。

 

 

「では、私たちは医科棟の方に出現した『残滓』を叩きに行く・・・新たな個体が出現する確率は低いんだろう?」

 

「た、確かにそうだが、システムを護らなければ・・・・。」

 

「防護波発生装置とやらが『残滓』の出現を抑えられるのは実証済みだ。」

 

「・・・・わかった。医科棟内に出現した『残滓』の処理は、そこにいる5人で行ってくれ。」

 

 

そこで観影さんからの通信は切れた。

システムを危険に晒すのは避けたいのだろう。

 

 

「・・・・と、言うわけだ。月瀬、麒麟・・・医科棟は俺たちのほうで処理するんで、そっちは頼んだぜ?」

 

 

最後に、やたらと愉快そうな信綱の声と、そのテンションについていけない蔵人のぼやきらしきものを交えながら、向こうの通信も切れた。

 

 

「承知致しましたわ・・・そちらもお気をつけて。」

 

「・・・こちらは校舎を回るだけで良い、っていうことになったみたいね。」

 

 

おそらく近くに観影さんがいるのだろう。良子さんの声は抑え気味になっている。

 

 

「・・・それにしても、伊織さんは一体どう言った根拠であんな推測を出来たんでしょうね・・・?」

 

「多分、音だろうな。」

 

「音・・・ですか?」

 

「そう、音だ。」

 

「・・・・なんで音なんかで解かるのよ?」

 

 

黒衣の疑問に、もっともだとその場の全員が俺に説明を求める。

 

 

「防護波発生装置は膨大な電力を消費する。すなわち、それは膨大な電力を送電される。静粛性の向上を図ったところで、人気のない夜間に諸々の機械の音がすれば、可聴域が広く、耳の良いヤツなら大体気付く。それに、電磁波も波の一種だ。防護波にどの電磁波を使っているかは知らないが、波である以上は物質に衝突するし、その物質を振動させる。一種の共鳴だな・・・防護波発生装置が作動したときに、それまでとは違うノイズのような音がした。」

 

「・・・・って、それじゃあんたもその音が聞こえたわけ?」

 

「一応な・・・それらしき音がし始めてから、『残滓』の増加が止まったからそうだと予想しただけだが。」

 

「あの剣戟と怒号の中で、よく聞こえたものですね。」

 

「魔術師の僕が言うのも何だけど・・・超人的な聴覚だよ、麒麟。」

 

「ありがとうよ。褒め言葉として受け取っておく。」

 

「勿論、僕もそのつもりだよ。」

 

「・・・・そうか。」

 

 

褒められた気がしないんだが。仕方ないか。

 

 

「ねえ・・・取り敢えず、あたし達がやっつける敵の数は半分になったって考えて良いの?」

 

「そうなるのかな?」

 

「そうだといいけどな・・・。」

 

 

実はこっちに八割いましたとか言うオチがありそうだが。

 

 

「では、そろそろ始めましょうか。まずは・・・屋上から。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「結構・・・居るようですわね。」

 

 

屋上の扉をそっと開け、外の様子を探る。

 

 

「どうですか?こちらでは40体のマーカーを確認していますが?」

 

「40体全部・・・ではないが、27体いる。」

 

「行けそうですか・・・そこが終われば、後は全部小規模な集団しか残らない筈ですが。」

 

「こっちは4人だから、一人につき7,8体の計算だな。

 

「向こうは動きも遅いみたいだからね・・・大丈夫なんじゃないの?」

 

「そうだな・・・じゃ行くか。」

 

 

多かろうが、少なかろうが、結局のところ倒してしまわなければならないことに変わりはない。

 

 

「行こう、お姉ちゃん。」

 

「・・・・うん。」

 

「俺が突っ込んで注意を引くから、二人は左右から切り込んでくれるか?」

 

「よろしいのですか?二人の連携で死角のない白衣さんと黒衣さんの方が、真ん中は適任と思いますが。」

 

「問題ない。打通なら、俺の野太刀が適任だ・・・それに、俺の剣はあの程度の敵に死角を晒すほど、甘くは無い。」

 

 

それに、今の白衣と黒衣の連携も、必ずしも死角がないわけではない。昼の闘いで実証されたように。

 

 

「大層な自信ですこと・・・承知しました。では、私が左から、お二人は右からお願いしますね。」

 

「わかった・・・・。」

 

「わかりました・・・。」

 

「どうします・・・足止めは必要ですか?」

 

「このメンバーなら必要ないでしょう・・・もし危ないと思ったら、そのときはお願いします。」

 

「了解。」

 

「では、参りましょうか・・・皆さん。」

 

 

扉を開けると、至近の『残滓』が一斉にこちらを向いた。

 

 

「・・・襲って・・・きませんね。」

 

「そうですね。」

 

「多分なんだろうけど・・・・さっきのは僕たちじゃなくて、システムに向かって襲い掛かってきたんだと思うよ。」

 

「なるほど、それなら納得がいきますわね。」

 

「納得しところで・・・・行くか。」

 

 

言葉の終わりと同時に、正面から切り込む。

 

 

「ハッ・・・・!」

 

 

先頭の一体を神速で斬り伏せ、その突進の勢いを殺さず背後にいた『残滓』を前蹴りで吹っ飛ばす。吹っ飛ばされた『残滓』は2,3体を巻き込んで倒れ、包囲されるはずだった俺に空間を与えてくれる。

 

その空間を使い、蹴り足を地面につけてさらに軸足をその前に出してから、全力の横薙ぎで4体をまとめて両断する。人間ならこうはいかないが、斬りやすい『残滓』にはこれで良い。

 

 

「や・・・・っ!」

 

「てや・・・っ!」

 

「は・・・っ!」

 

 

予定通り、俺へ注意が集まり、三人が両翼から切り崩していく。

さっきと違って積極性がないので組し易いこともある。

 

俺は最初の5体を倒したことで、役割の半分は終わっている。後は“燕返し”で悠々と襲ってくる敵を斬る。

 

 

「っ・・・これなら・・・っ、結構簡単に・・・終わるんじゃないの・・・・っ!」

 

「それなら・・・っ・・・楽で良いんだが・・・・。」

 

 

再計算の結果次第では、もっと酷いことになりかねん。

 

 

「流石・・・これなら僕のサポートは必要有りませんね。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ・・・はぁ・・・・これで、全部・・・・。」

 

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ・・・・・・。」

 

「・・・みんな、怪我はないな。」

 

 

これしきで怪我をするような連中ではないが、黒衣と白衣の呼吸がやや荒いので念のため尋ねておく。

 

 

「・・・・大丈夫のようですわ。」

 

 

闘い方の性質上、多対一をあまり想定していない中条姉妹が体力的に劣っていることは解かっているが、小夜音も平然とし過ぎている。やはり、相応の実力をお持ちのようだ。

 

 

「どうかなさいまして?」

 

「いや・・・もう少しへばってくれないと押し倒せないと思ってな。」

 

「それは残念ですが・・・あまりそういう冗談はどうかと思います。」

 

「そうだな。レディに掛ける言葉じゃない・・・・訂正しよう。それでこそ、倒しがいがある。」

 

「光栄ですわ。」

 

 

さて、こんなことを話している場合でもない。

無線のスイッチをオンにする。

 

 

「良子さん、屋上は片付いた。後は虱潰しで良いんだな?」

 

「はい。そうですね・・・階段を下りたら連絡してください。敵マーカーの位置を確認しますから。」

 

「了解だ・・・・白衣と黒衣は、少し休むか?」

 

 

巧く調息できないらしい二人の呼吸はまだ荒い。

 

 

「大丈夫・・・歩きながら、回復できますから。」

 

「そうか・・・では、下の階へ下りるか。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「結局、屋上が一番凄かったんですね。」

 

「そうだな。」

 

 

屋上から下りたあと、良子さんの指示に従ってマーカーのある位置で『残滓』を潰していった。

まとめて6体ということもあったが、大抵は廊下に1,2体点在して彷徨っていた。

 

ラクで良いが、少々拍子抜けだ。

 

 

「・・・いつも授業を受けてる学校で怪物退治なんて・・・なんだか変な気分。」

 

「ふふっ、そうですね・・・・少々現実味が薄い気がしてしまいますわ。」

 

「学校、学校と口にするが・・・そんなのは隠れ身ので、実際は世界を救う研究のために日夜、思惑が交錯し、欲望が渦巻く伏魔殿でもあるからな、ここは。だからこそ、俺らがこんな命懸けのことをやらなければならない。」

 

「・・・麒麟さん、それでも平常心で居ることは大事ですわ。」

 

 

平常心・・・ね。

 

 

「実は、有事ではなかったとしても・・・私たちが命を懸けていることには変わりがない。どんなときでも平常心を持つことですわ。」

 

「・・・なるほど、それが小夜音の心がけか・・・いや、立派だ。」

 

「・・・・日常生活にせよ、死の危険は何処にでも潜んでいます。私たちは何時如何なる時にも・・・命懸けで生きているんですよ。」

 

「・・・・嫌な考え方だね、それ。」

 

 

俺の脳裏を過ぎった言葉を、黒衣が口に出した。

 

 

「そうですか?」

 

「そうだよ。確かにどんな時だって人間は死ぬ可能性があるよ・・・でも、『闘わないと助からない』時と『何もしなくても生きていける』時っていうのは違うと思う・・・同じ可能性でも、10%と90%は違うわ。」

 

「ですが、こうは思いませんか?貴女が10%の可能性で安らいでいる時に、世界のどこかで90%の死と闘っている人が居る・・・とは。」

 

「そんなの詭弁でしょ・・・争ってばかりのヤツもいれば、一生闘いとは無縁のヤツもいるよ。人の一生に平等なんて言葉は有り得ない。」

 

「黒衣さん・・・・。」

 

「あたし、綺麗事は信じないことにしてるの。」

 

「・・・・そうですか。」

 

 

小夜音の言葉がひどく優しく聞こえる。

黙っていようかと思ったが・・・・・。

 

 

「・・・二人とも、危ういな。」

 

『え?』

 

「俺に言わせれば、黒衣も、小夜音も・・・・危うい均衡の上に成り立っているに過ぎない。老婆心から忠告させてもらうなら、僅かな衝撃で二人とも均衡を崩して破滅するぞ。」

 

「・・・それこそ、この女の言う10%の危険じゃない。そんなの誰だってあるわよ。」

 

「・・・意味が解からんなら、それでも良い。むしろ解からんほうが幸せだ・・・・解かったら、そこで破滅へ一直線なんだからな。」

 

 

何故か、腹が立ってきたので話を打ち切るため次のマーカーの位置へ足早に歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これで最後・・・この図書館棟で終わりだろう、良子さん。」

 

「はい。中には9体のマーカーが確認されています。十分に気をつけてください。」

 

「了解しました・・・では、皆さん参りましょう。」

 

「ああ。」

 

 

延焼防止用の重い扉を開き、俺たちは図書館の中へ足を踏み入れた。

 

 

「・・・・広いな。」

 

 

初めてきたが、学校図書の割りには広い。ただ、広いのは空間だけであって、棚と棚のスペースは十分とは言えず、野太刀を振るなど論外だ。

 

俺が指揮官なら、前後挟み撃ちにした上でもう一人投入することで仕留めにかかるような場所だ。

『残滓』にそこまで高度な知能はないが、太刀筋が制限されるのは厳しい。

 

 

「居ますわ・・・・分散しています。本棚の隙間では、逆に狭すぎて闘えませんわね。」

 

「一体一体はばらけてるし・・・一人ずつで行動して、広い場所まで引きずり出して倒すのが良いんじゃない?」

 

「学習コーナーまで誘き出せれば・・・・確かに。では、その作戦で参りましょうか。」

 

「・・・・2階に3体いるようだな。」

 

「では、2階は私が引き受けますわ・・・・フロアの『残滓』は皆さんにお任せします。」

 

「わかりました・・・・。」

 

「ああ・・・・作戦開始だ。」

 

 

さっきからこの部屋の内部に何らかの重圧を感じるが・・・・何の仕掛けか。『残滓』がそこまで出来るとは思えないが。それに、どうも一体だけ格の違いそうなヤツがいる気配だ。

 

三人が散るので、俺も動いて四方に散る。

無人の図書館に足音がやけに響く、最後の掃討が始まる。

 

 

黒衣は右端の通路、白衣は左端の通路から、そして俺は中央の通路を進む。

何となく決まったようだが、俺の野太刀を最大限活かすには中央の大きな通路を進むしかない。

 

 

「・・・みんな、気をつけて。ここの連中は、今まではちょっと違うかも知れない。」

 

 

突然、耳の側に圭の声が響く。

 

 

「魔法か・・・・さっきから、何らかの魔術的な力場を感じるが、それのことか?」

 

「気付いていたのは流石だね・・・・どうやら、ここに居る『残滓』たちは何者かによって統制されている。」

 

「・・・統制・・・・。」

 

「『残滓』たちの間に感応の糸が張られている・・・どうやってかは解からないけど、何かが『残滓』たちを操っている。指揮官が居る戦闘集団だと思ったほうが良い。」

 

「そいつは拙いな・・・・。」

 

 

言い出した時には、身体が動いていた。

 

 

「きゃあ・・・!」

 

「白衣・・・・ッ!」

 

「お姉ちゃん・・・っ!」

 

 

罠とは小賢しい真似を・・・。

 

 

白衣の下に駆け寄ろうとするが、ご丁寧に『残滓』が二体立ち塞がる。黒衣も大きな舌打ちしていることから、俺と同じ状況らしい・・・連携攻撃を主体にする二人を別行動させたのはミスだったか。

 

 

「ほぅ・・・。」

 

 

動きが妙だと思っていたが・・俺の初太刀を腕一本犠牲にして避けたか。

他の人間ならそれで後ろへ回りこめるだろうが。

 

俺は甘くないッ!

 

 

野太刀を空中に置いてくる感じで放し、背の小太刀を逆手で抜刀―――抜き打ちの逆切り上げで斬り倒す。

その動きで捻った身体を独楽のように回転運動させながら、宙に浮いたまま自由落下を始めていた野太刀を掴んでから右手一本で腹に引き付けつつ振り抜く。

 

 

輪切りにした『残滓』に構わず、白衣よりも近い黒衣へ先に向かう。

 

 

「黒衣・・・ッ!」

 

 

やはり前後を挟まされていた。

 

 

「麒麟・・・っ!」

 

「ハッ・・・・。」

 

 

黒衣の前を塞ぐ『残滓』を後ろから斬り捨てる。

 

 

「行くぞ・・・ッ!」

 

「ありがと・・・お姉ちゃんっ!」

 

 

白衣は既に地面に尻を着いてしまっている。すぐに起き上がれるはずだが、動きから見て足を挫いているのかも知れない・・・・前後を挟んでいる『残滓』に今にもトドメ刺されそうだ。

 

 

「黒衣、俺の背中を使え。」

 

「えっ・・あ、わかった!」

 

 

察しが早くて助かる。

 

 

「よし・・・征くぞっ!」

 

 

前方の『残滓』脳幹部分へ突きを入れる。

その一瞬の静止を狙って、俺の背中を黒衣が駆け上がり、宙を舞った。

 

俺も黒衣の重量と跳躍時の踏み切りを利用して、股まで真っ二つに裂く。同時に頭上を飛び越えた黒衣も向こうの敵の首を刎ねていた。

 

 

「ぎゃ・・・っ!」

 

「無事か・・二人とも。」

 

 

あの軽い身体で首を刎ねるほどの勢いだけであって、勢いのつきすぎた黒衣は奥の本棚に体当たりしている。姉妹共に本に埋もれている足だけ見えているのは、シュールだ。

 

 

「麒麟さん・・あ、ありがと・・・・。」

 

「・・礼なら、あそこで埋まってる黒衣に言うことだ。」

 

「い、痛たた・・・だいじょうぶ?お姉ちゃん・・・。」

 

 

少し目を回しながら、それでも我がこと以上に心配しながら黒衣は駆け寄ってくる。

 

 

「うん・・ありがと・・・・黒衣ちゃん。」

 

 

とまあ・・・感動の状況も良いが・・・。

 

 

振り向きざま、さっき黒衣を挟んでいた一体を逆切り上げから半身になりつつ斬る。

 

 

「流石ですわね・・・・警告より先に気付いていらっしゃるなんて。」

 

「油断大敵、だからな。」

 

「・・・上の階には2体しか居ませんでしたわ・・・麒麟さんは3体と仰っていましたし、良子さんの話ですと、全部で9体・・・・。

 

 

一体足りない・・・か。

 

 

「・・・・ッ!!」

 

「みんな、上だ・・っ!」

 

 

圭の言葉よりも先に、本棚へ足を掛けて跳躍して上がり、一番上まで上がると本棚の天板に亀裂は入るほど踏み締めてから空中へ飛び上がる。

 

 

天井・・・おそらくシャンデリア風の照明に潜んでいた黒い影が空から襲い掛かってくる。

 

 

「刀・・ッ!?」

 

 

襲ってきた『残滓』の外見はこれまでとは違う。しかも、その手には一体化した太刀まで握られている。

 

 

「小賢しいっ!」

 

 

空中で大上段から振り下ろす『残滓』。

 

 

「はあぁぁぁ・・っ!!」

 

俺は飛んだときの体勢から背筋を引き絞り、一気に解放。

『残滓』の太刀もろとも、胴体を真っ二つに切断する。

 

 

―――ドスン!

 

 

こんなときだけ嫌な音をたてて、『残滓』は地面に二つに別たれて落下激突した。

こっちも無理な姿勢だったが、かろうじて着地に成功している。

 

 

「麒麟さん・・・っ!」

 

「大丈夫ですか、麒麟さん。」

 

「ああ・・鈍ってるせいか、着地がうまくいかなったが・・・・それより、見たか?今の『残滓』。」

 

「・・・刀を、使っていましたわね。しかもそれすらも身体の一部でしたわ。」

 

「進化してる・・・ってことか?」

 

「・・・あまり、考えたくはありませんわね・・・・っ、麒麟さん、貴方怪我を・・・っ!」

 

「ん?ああ・・・。」

 

 

相手の刀ごと斬ったまで良かったが、残った部分で左肩を少し裂かれた。

 

 

「な、なに落ち着いてんのよっ!」

 

「そ、そうですわ・・・血が出ているではありませんかっ!」

 

「・・・今は筋肉を締めて血管を圧迫してるから出血は止まってる。それに、消毒してガーゼでも当てておけばその内治る。」

 

「嘘っ!・・・・ほ、ホントに止まってる・・・・。」

 

 

全員から呆れた目で見られる。何故だ?

 

 

「麒麟さん・・・取り敢えず、その消毒をするために戻ることにいたしましょう・・・。」

 

「そうだな・・・ほら、白衣。挫いてるなら、負ぶってやるぞ?」

 

「・・・い、いいです・・。」

 

「あのね麒麟・・・君はあんまり驚いてないけど、傍目から見ると立派な怪我人なんだから大人しくしなよ。白衣ちゃんは僕と黒衣ちゃんが連れていくから。」

 

「そうか。」

 

 

別にこの程度の怪我なら騒ぐほどでもないんだが。

 

 

「良子さん、麒麟さんが負傷しましたわ。」

 

「大丈夫!?状態は?」

 

「ああ。肩をちょっと斬られただけだ。」

 

「・・・・いつもの医務室まで戻ってください・・伊集院主任が治療へ戻りますから。」

 

 

斬られた、という単語が拙かったか。

 

 

「・・・・解かった・・ところで、医科棟の『残滓』は片付いたのか?」

 

「おおよっ!全部ぶっ潰しておいたからな!」

 

「・・・・お疲れさん。」

 

 

どうも信綱のテンションについてけない・・・・。りっちゃん、信綱、蔵人、伊織に冬芽の面子だと絶対に話がおかしくなりそうだし、俺こっちで良かった。

 

 

「麒麟さん・・・その、ごめんなさい・・・。」

 

「・・・なんで、白衣が謝るんだ?」

 

「だ、だって・・・・。」

 

「・・・昼間も言っただろう。無事ならそれで良い、ってな。」

 

「・・・麒麟。」

 

「・・・この程度、怪我のうちには入らんよ。心配し過ぎだな、二人とも・・・じゃ、戻ろうか。」

 

「そうですわね・・・それにあの敵については少々気になる所もありますし。」

 

「あのさ、麒麟に怪我を負わせたあの『残滓』は・・・ゾルダの残留思念を使ったものなんじゃないかな。」

 

 

今度は姿を現してから、圭がそう言った。

 

 

「ゾルダ・・・・軍人(ゾルダ)、と言うことですか?」

 

「・・・・・・・・。」

 

 

だとすると、拙いな。

昭和からならまだ良いが・・・藩校時代から鍛え込んだ明治時代の連中なんて出てこられたら分が悪すぎる。

 

 

「麒麟さん・・・取り合えず、行こう?」

 

「ああ・・そうだな。」

 

 

白衣に促されて、俺は思考を振り払う。

 

時代の悪化は俺たちの想像を上回り始めている。ここで考えるより、もっとちゃんとした場所と時間で考えるべきか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「主任・・・・・・。」

 

「解かっている。」

 

「辛いですね・・・あんな良い子を危険な目に遭わせるのは。」

 

「・・・それに報いるためにも、我々は全力を尽くさなくてはならないんだ・・・そうだろう?」

 

「・・・・・はい。」

 

「主任、今の『残滓』についてですが・・・・これを。」

 

 

解析作業に当たっていたオペレータが、麒麟対軍人『残滓』のデータを提示する。

 

 

「これ・・は・・・。」

 

「もしこれが、あの『残滓』のせいだとすると・・・。」

 

「・・・解からない。それが良いことなのか、それとも取り返しのつかないことになるのか・・・私にも。」

 

「主任・・・・。」

 

「とにかく、『残滓』にも様々な条件があることが判ったのだ・・・それだけでもかなりの謎を解明出来るようになるはずだ・・・引き続き解析を。」

 

「・・・・了解しました。」

 

「外にはまだ、数体『残滓』が残って居るんだったな?」

 

「はい。あと6体場所を特定できません・・・・本当に大丈夫なんですか?」

 

「大丈夫だ・・・では、私は医務室に出向いてくる。分析と観測を続行してくれ。」

 

『了解しました。』

 

 

 

「・・・・『残滓』の挙動だと・・・莫迦な。」

 

 

管制室を出た観影は、部下の前では出すわけにはいかなかった感情を吐露する。

確かに不自然な要素は多すぎる・・・・観影もそれを否定するつもりはない。それも織り込み済みで強行した実験でもある。

 

 

「解からない・・・一体、そこにどんな作為が入り込む可能性があると言うのだ!?」

 

 

観影らしくなく声を荒げると、壁に拳を叩きつけた。

 

 

「作為・・・・つまり、そこには影響を与えようとする『意志』がどこかに存在しているということだ・・・だが。」

 

第Zの要素(セブンスエレメント)・・・以前圭に言われたその言葉が、重々しく観影の肩に圧し掛かっていた。

 

 

「そんな筈がない!あるわけがない・・・そんな・・・・!」

 

 

観影は目を見張った・・・そこには、黒い影が立っている。

 

 

「・・・どう言うことだ?なぜ地下に貴様は存在している。システムは地表面に存在するのに・・・なぜだ?」

 

 

次の瞬間、観影の脳裏に浮かんだのはただ二文字『作為』・・・その言葉だけだった。

 

 

「作為・・・か。わかった・・・誰の悪戯かは知らんが・・・ィャヤア―――ッ!」

 

 

観影の手が一閃すると、『残滓』はその場で一瞬にして両断された。その手には蒼く光る一振りの日本刀が握られている。

 

 

「・・・・『貴様』らの真意、必ず突き止めてやる・・・!」

 

 

観影は手にした信国重包を鞘に戻すと、何事もなかったかのように歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・傷は浅いが、こうなると治療のし甲斐があまりないな。」

 

「・・・ってか、筋肉締めて止血するなんて漫画の世界の話だと思ってたぜ。」

 

「蔵人も、観影さんも、ちっとはけが人を労わる言葉を掛けてくれよ。」

 

 

俺と同じく肩をやられた蔵人を先に治療させて、俺は後回しにしてもらった。心拍を意識的に抑制し、傷口からの出血も止まっているので大した怪我でもなかったらだ。

 

 

「・・・丈夫だけが取り柄の蔵人と違って、俺は繊細なんだから。」

 

「妙に引っかかる言い方だな・・・・。」

 

 

揶揄ってるんだよ。

 

 

「丸目ほど酷くはないから、ガーゼを当ててきつめに包帯を巻いておいた・・・しかし、もう治り始めてるとは、呆れた回復力だよ。」

 

「怪我には慣れてるからな、回復力も自然と高くなる。」

 

 

もっとも、そのおかげで通常の皮膚の色と違うが。

 

 

「すまない・・・・怪我をさせるような真似は、本意ではないんだが・・・。」

 

 

珍しく、観影さんが肩を落としている。

この人なりに子供をこんなことに駆り出しているのに、責任を感じているのか。

 

 

「しょーがない。観影さんのせいじゃないさ・・・大体世界が滅ぶかも知んねーってのに、こんな怪我くらいでウダウダ言ってらんないって・・・・だろ?」

 

「それに、観影さんは拒否する道も残してくれている。俺にしても、俺の家の事情でしかない・・・みんな、それぞれこうなることのリスクを承知で引き受けたんだ。誰の責任かと言われれば、俺たち自身の責任だ。」

 

「丸目・・・靜峯・・・・。」

 

 

話しながら、俺はシャツを着てソードホルダーに小太刀を鞘ごと嵌めて、ジャケットを羽織る。

 

 

「行こうぜ・・・・みんな待ってる。」

 

「ああ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

「蔵人さん!大丈夫!?」

 

「大丈夫ですかっ!」

 

 

隣の部屋に戻ると、みんなが待っていた。ついでに僻ませてもらうと、第一声がみんな蔵人の心配か・・・・く、悔しくないぞっ!

 

 

「ま、なんとかな。」

 

「はぁ、本当に良かったです・・・。」

 

「も〜、蔵人さん死んじゃうのかと思ったよ〜。」

 

「・・・あんまり簡単に人を殺さないでくれまいか、りっちゃん?」

 

 

一緒に行動していたのに・・・・死ぬような怪我じゃないだろう、あれ。

 

 

「麒麟さん、良かった・・・です。」

 

「俺が死ななくてか?」

 

「えっ!あっ・・!?いえ、あの・・・そ、そうじゃなくて・・・っ!!」

 

 

割りと本気でそう思ったし、白衣に言われたことが追い討ちをかけてたんだが・・・・良かった、違うのか。黒衣ならあんまり気にならんが、白衣に言われると倍はショックだ。

 

 

「・・・良かった。白衣にそう言われたら、しばらく立ち直れなくなるところだった・・・。」

 

「麒麟さん・・もう・・・莫迦。」

 

「ちょぉっと、お姉ちゃんをあんまり虐めないでよね。」

 

「虐めたわけではなく、割りと本気でそう思ったんだが・・・・・。」

 

 

というか、「あんまり」じゃない程度なら虐めていいのか?

 

 

「どうだか・・・ふんっ!」

 

「モテて結構なことだな、二人とも・・・んん?」

 

「だから、モテてない・・・・。」

 

「俺も含めるのか・・・俺もモテてるのか?」

 

「多分・・・。」

 

 

りっちゃん、自信なさげならいっそのこと否定してくれよ。

 

 

「ま、とにかく無事で何よりです。ここで死なれては、この後の私の生き甲斐がなくなるところです。」

 

「・・・・蔵人の調教か?」

 

「ちょ、調教という言葉はやめていただけませんか?・・・その、あまり聞こえが良くありませんし・・・。」

 

「方向性は否定しないのか・・・・。」

 

「ある意味、大物だな・・・月瀬は。」

 

「モテる男は辛いね、蔵人。」

 

「あのな・・・・。」

 

「・・・・蔵人はモテるのか」

 

「ま、待て先輩!変に納得した上に、説明するまもなく居なくなるなっ!」

 

 

説明って・・・説明の余地なんてないだろう、この場合。

 

 

「ふふっ・・・まあ、その辺にしておけ。」

 

 

観影さんがくすくすと愉快そうに笑っている。

蔵人はからかいのネタにされたと不機嫌になるが、戦闘後の殺伐とした雰囲気を和らげるためだ、許せ。

 

 

「さて・・・取り敢えず、皆ご苦労だった。心からの礼と・・・そして謝罪させてもらう。すまなかった。」

 

 

その場にいる人間は何も言わなかった・・・何も言えなかった、のほうが正しい。

 

 

「ま、その辺はしょうがないだろう・・・現実的に、世界が救えなきゃ怪我だのどうだの言ってられねーモンな。」

 

 

蔵人と同じことを言ってやがる。こいつら、本当に根っこでは似たもの同士だな。

覗き仲間だし。

 

 

「・・・今必要なことは過去を悔やむことではなく、これを活かした未来に対する対策ですわね。」

 

「確かにそうだね。」

 

「無論そこについては了解している。だから、今夜と明日の夜に関しては、これ以上『残滓』の掃討を行わない方針だ。」

 

 

実数は今日潰したヤツよりも、まだ多いということか。

 

 

「当てが・・・あるのですか?解決の糸口になるような。」

 

「ある程度はな・・・。だがそれを明確にするには検証が必要だし、私以外の専門家の意見も要る・・・少し時間を貸して欲しい。」

 

「じゃ、今日のところは解散・・・ってことで構わないのか?」

 

「そうだな。今日は本当にご苦労だった・・・みんな休んでくれ。そうそう、最後に一つ。」

 

「・・・なんだ?」

 

 

信綱の顔が、「ロクでもないことが飛び出しそうだな〜」という嫌な予感の顔になる。

 

 

「期末考査へ免除するが、その場合は夏休み前半が午前中短縮授業の補習になる。これはうちの学園のシステム上、止むを得ないらしい。」

 

『え――――!!』

 

 

「ちょ、ちょっと!それじゃ意味無いじゃないのっ!」

 

「そうだよ〜、それ免除でも何でもないですよ〜。」

 

「えと・・・あは、あはは・・・・。」

 

「何を言っている・・・最悪落第は免れるんだぞ?0点取るよりはマシだ・・・それにお前達のほとんどは前の学校での授業内容が追いついてないだろう・・・いずれにせよ補習は必要だ。」

 

「そ、そんなぁ・・・・。」

 

 

まあ、試験免除の報酬に釣られた面子には悪いが・・・・理詰めでこう来られると反論のしようがない。

 

 

「と言うことで、お前たちは試験を免除されているから、月曜と火曜は学園を休んでも構わない・・・但し、水曜の夜には二回目の実験を行うからな。覚えておいてくれ・・・では、解散。」

 

 

体よく騙されたと見ることもできるが・・・観影さんも、世界を救って莫迦を量産しましたとは言えないだろう。これでも、プロジェクトの責任者として親御さんから子供を預かっている身もあるだろうし。

 

 

「・・・どうにもならんことで思い悩まず、今日は早く帰ろうぜ。」

 

 

とほほ、な雰囲気のみんなを見回すと、まだ足を引き摺っている白衣が目に付いた。軽い捻挫ということで湿布はしているんだろうが・・・・。

 

 

「白衣、まだ辛いなら負ぶって部屋まで連れて行くが?」

 

「で、でも・・・・。」

 

「捻挫も無理すれば筋肉を傷める・・・遠慮するな。」

 

「まあ、良いんじゃない?麒麟がそう言うのなら・・・・本当は私が負ぶっていきたい所なんだけど。」

 

「く、黒衣ちゃん・・・・。」

 

「どうする?」

 

「・・・お、お願い・・します・・・。」

 

 

おずおずと俺の後ろから手が伸びてくると、ぎゅっと服にしがみつく。

 

 

「あ、あの・・・か、硬いものが当たって・・ます。」

 

『え?』

 

「こら、待て。背中だ、背中。」

 

 

微妙に誤解を招きそうな展開なので、早めに止めておく。

忘れていたが、ソードホルダーで背中に小太刀を固定したままだった。ホルダーから抜いて仕方ないのでベルトに差す。

 

 

「軽いな、白衣は・・・・。」

 

「・・・・お姉ちゃんのお尻とか触ったらぶっ殺すからね。」

 

「・・・・・・そうか。」

 

 

意外にボリュームのある胸が既に当たっているというのは、黙っていた方が良いだろう。うん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もうっ!先生なんて人種、絶対信じないんだからっ!」

 

「観影のヤツ、信じらんないっ!」

 

「あは、あははは・・・・・。」

 

 

帰り道、りっちゃんと黒衣はまだ荒れていた。

 

 

「そうは言ってもな・・・クラスの連中に勉強の内容が追いつかないと、二学期の授業もまともに受けられないから。ま、仕方がないんじゃねーのか?」

 

「仕方なくないもんっ!何のための国家権力だと思ってるんですかっ!」

 

 

もう笑うしかないな。

いくら国家権力でも勉強を詰め込むのは無理だろうよ。

 

 

「り、六花・・・・国家権力と言っても、先生は地方公務員ですからそれ程権力があるわけでは・・・。」

 

「・・・・小夜音、それもピントがぼけてる。」

 

「そんないこと無いですっ!学校の中では先生が法律ですっ!」

 

「・・・そんなに六花は勉強するのが嫌なのかしら・・・・?」

 

「まあ、そうなんじゃないか?なにしろあんなに暴れるくらいだからな。」

 

 

なんと言うか、猿回しの猿状態のりっちゃん・・・・・これじゃ、乙女の道は程遠いな。

 

 

「・・・・六花。」

 

 

珍しく一緒に歩いていた――というか、冬芽が誘った――伊織が、暴れているりっちゃんを眺めて呟いた。

 

 

「・・・な、なんですか?」

 

「勉強を・・・しないと・・・・。」

 

「し、しないと・・・?」

 

「・・・・・・・・・・・・・・・縮む。」

 

「な・・・何がです?」

 

「・・・・・・・・・・・・・・身長が。」

 

 

――――ガァーンッ!!!

 

 

いやいやいやいや・・・・それはどう考えても、あり得んだろう!

 

 

 

「ま・・・・マジか!?そんな話は初耳だぞ・・・・?」

 

―――ひそひそひそひそひそひそ・・・・・・

 

「そ、それは・・・本当ならば大変です・・・。」

 

―――ひそひそひそひそひそひそ・・・・・・

 

「そんな莫迦なことは・・・嘘です。それは絶対に嘘ですわ・・・。」

 

―――ひそひそひそひそひそひそ・・・・・・

 

「嘘だろう。現に、蔵人はちょっとどころではなく御莫迦さんだが・・・こんなに背が高いぞ?」

 

―――ひそひそひそひそひそひそ・・・・・・

 

「・・・・・なるほど、確かにそうよね。」

「く、黒衣ちゃん・・・・。」

 

―――ひそひそひそひそひそひそ・・・・・・

 

「・・・・一言も言い返せねぇ・・・。」

 

―――ひそひそひそひそひそひそ・・・・・・

 

 

 

「や、やですぅっ、これ以上背が低くなるのはイヤですぅぅぅぅーーーーっ!」

 

 

夜の学園敷地内に響く、りっちゃんの涙声の絶叫。

 

 

「し、信じてますわ・・・・。」

 

―――ひそひそひそひそひそひそ・・・・・・

 

「りっちゃん・・・・・。」

 

―――ひそひそひそひそひそひそ・・・・・・

 

「六花さん・・・・。」

 

―――ひそひそひそひそひそひそ・・・・・・

 

「じゅ・・・純真・・なんですね・・・。」

「というより、この場合はただの莫迦でしょ・・・?」

 

―――ひそひそひそひそひそひそ・・・・・・

 

「フォローの入れようがないな・・・りっちゃん。」

 

―――ひそひそひそひそひそひそ・・・・・・

 

 

 

「・・・・・しかも、勉強しないで背が縮むと。」

 

「ま・・・まだ、何かあるんですか・・・?」

 

 

聞かなきゃ良いものを・・・哀れ。

 

 

「・・・・・元に戻らない。」

 

 

―――ドッシャァァーーーンッ!!!

 

 

「・・・・・・・・・・・!?」

 

 

・・・・なんか、りっちゃんがぷるぷる震えだした。

 

 

「・・・・あれは、間違いなく信じている目ですわね。」

 

「う〜ん・・・・・・。」

 

「待て、伊織の言葉は終わりじゃないぞ。」

 

 

「・・・・・大丈夫。」

 

「えっ・・・・・!?」

 

「・・・・もうきっと伸びない。」

 

 

――――ドッカァァァーーンッ!!

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・・!!」

 

 

『(ふ、フォローになってないっ!)』

 

 

全員、おそらく心の中でそうハモった。

 

 

「ぁ・・・ぁ・・・ぁぁ・・・ぁ・・・・・。」

 

「・・・・ど、どうフォローしたら良いのか・・・。」

 

「そうだな・・・縮む話だけなら、嘘を証明すれば良いが・・・・これ以上伸びる保証までは・・・な。」

 

 

そんなもの、できるはずがない。

 

 

「・・・・ところで、伊織。」

 

「なんだ?」

 

「・・・・それ、本当に信じてるのか?」

 

「私は・・・・・。」

 

 

私は・・・・・?

 

 

「・・・・・一生懸命勉強したから、こんなに背が伸びた。」

 

『(信じてるのかっ!!?)』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ショックからまるで立ち直れていないりっちゃんを慰めるが、一向に効果はない。俺は早々に諦めることにした・・・・どうせりっちゃんのことだから、30分もすれば頭の中はご飯色になるだろうし。

 

 

「はぁっ・・・・。」

 

 

黒衣は黒衣で、まだ独り言のように文句を続けている。

 

 

「・・・・黒衣ちゃん、試験を受ければ良いんだと・・・思うの。」

 

「え〜〜〜。」

 

 

俺の背中の白衣からの一言に、黒衣はあからさまに不満の声を上げる。

 

 

「なんだ?りっちゃんや蔵人と違って、授業進度の違いがあるから試験を受けたくないってわけじゃないのか?」

 

「ええ、一応・・・・。」

 

 

まぁ、一年の一学期でそうそう違いがあるとも思えんし、そういうことか。

 

 

「試験をパスすれば、夏休みを満喫できるわけか・・・そこの二人より希望はありそうだな。」

 

「麒麟さん・・は?」

 

「俺か?」

 

「どうせ、あんたも蔵人たちと同じなんでしょ?」

 

 

何故に、そんなに嬉しそうに言うのかな、黒衣ちゃんよ。

 

 

「別に・・・・高卒認定と国際バカロレア持ってるから、高校生の範囲ならとっくに履修してる。」

 

『えーーーーっ!!?』

 

「な、なんだ・・・・?」

 

「お前、高校は中退したって言ってなかったかっ!?」

 

「だから、高卒認定資格試験を受けて、高卒資格は取ったし、大学に行ける準備のために国際バカロレアも取ったんだよ。」

 

「その・・・国際バカ・・・なんとか、って・・・・なに?」

 

 

バカで区切るなよ・・・・酷い莫迦みたいだろうが。

 

 

「国際バカロレア・・・・スイスのバカロレア財団が行っている資格認定で、この資格を持っていれさえすれば、参加している大学の国の教育システムに関係なく、入学試験が受けられます。」

 

「じゃあ・・・麒麟って、実は学校に来る意味がないんじゃ・・・・・。」

 

「それも言っただろう・・・・学校には青春しに来てるんだってよ。」

 

「つまり、麒麟さんは期末考査をクリアできる、ということになりますわね。」

 

「一応な。」

 

 

高校生の問題など多寡が知れている。

 

 

「そういうわけだ、試験にチャレンジしてぜひ補習から免れてくれ。」

 

「ぐっ・・・・なぜかしら。試験を受けるのは同じはずなのに、負けたような気がする・・・。」

 

 

『あはっ・・あははははっ・・・。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

白衣を部屋の前で降ろして部屋に帰し、俺たちは自分の部屋のある階へと移動する。

ま・・・・途中、蔵人が小夜音に拉致られたのは忘れよう。

 

 

「う、うう・・うぅう・・・勉強はいやぁぁ・・・でも、背が伸びなくなるのもいやぁぁ・・・。」

 

 

ま、まだ言ってるのか・・・。

フォローの入れようがないし。

 

 

「身長が低くても、強く生きるんだな・・・・。」

 

「う、うぅ・・・うぅぅ・・・・。」

 

 

駄目だ、これは。

 

 

「では皆さん、お休みなさい。」

 

「う・・ぅう・・・おやすみ・・・ユメちゃん、麒麟さん・・・・せんぱいも。」

 

「ああ・・・・。」

 

「・・・強く生きるのよ、六花。」

 

「いやいや、待て・・・・どん底に突き落とした張本人の台詞じゃないから。」

 

「私が?」

 

「自覚なしなのか・・・・。」

 

 

本人があの話を信じてるから有り得るだろうが。

 

 

「・・・・っていうか、なんでここに伊織が居るんだ?」

 

 

伊織は研究員用のエリアに住んでいるはずだろう。

 

 

「六花を慰めていたのだけれど。」

 

「そうか・・・・。」

 

 

やはり悪気なしだな。それだけに始末に終えぬ面もあるが・・・・仕方ない。

 

 

「それじゃ、お休み。」

 

 

ぎゅるるぅぅ〜〜っ!

 

 

そのとき丁度、腹の音が鳴った・・・腹は減っているが、これは俺じゃないぞ。

 

 

「・・・・鳴ったのは私のお腹じゃない。」

 

「誰も伊織のとは言ってない。」

 

「その・・・申し訳ありません。今のは冬芽のお腹です・・・・。」

 

「冬芽?部屋に戻ったと思ったが・・・・。」

 

「・・・・お腹が空いてしまいまして・・・あの、よろしければお二人とも、コンビニエンスストアまで一緒に行っていただけませんか?」

 

「構わないが。」

 

「ああ、俺も腹が減っていたから丁度良かった・・・・じゃ、行くか。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

巫術や魔術というのは、行使すると基本的に疲労して栄養の補給を身体が求める、

つまるところ、腹が減るわけで・・・初の本格的実戦で巫術を行使した冬芽は大層お腹が空いたそうな。

 

 

「さて、冬芽はおにぎりか?」

 

「えへ・・・えとその・・・はい。」

 

「・・・それは、残念だ。」

 

「えっ?どうしてでしょうか?」

 

「・・・おにぎりがない。」

 

「ええっ、ないんですっ!」

 

 

冬芽が心底驚いたリアクションを取る。

コンビニの商品はいつでも品揃えがきちんとしてあると思ってたようだから、仕方ないだろうが。

 

 

「コンビニの弁当や惣菜は一定時間毎にトラックが配送するし、賞味期限が切れたら廃棄するから、品切れの時間帯もある。」

 

「なるほど、ここのお店で作っているわけではないんですね・・・頭の中がおにぎり一色になっていましたから、少々残念です。」

 

「それにしても・・・そうなると、何を食べるか・・・。」

 

 

無いのはおにぎりばかりではない。

ほとんどの弁当や惣菜は棚が空になってしまっている。

 

 

「・・・・思い出した。」

 

「・・・・何をだ?」

 

「麒麟が私に料理を作ってくれる、という話だ。」

 

「・・・・まさか、今から作れというわけでもあるまいな?」

 

「・・・・・作ってくれ。」

 

「なっ!?」

 

 

ほ、本当に言いやがったっ!

 

 

「料理を作って、食べさせてくれ・・・約束のはずだ。」

 

「いや・・確かに約束はしたが・・・。」

 

「わあ・・・麒麟さんって、お料理できるんですか?」」

 

「出来るには、出来るが・・・・野郎の手料理だぞ?」

 

 

ああもうっ!そんな期待の篭った眼差しで俺を見るな!

 

 

「・・・大丈夫だ。食べるから。」

 

「その、あからさまに最初から期待していないような態度も、それでむかつくな・・・。」

 

「えと、冬芽も・・・ちょっと食べてみたいです・・・。」

 

「・・・・・マジで作るのか?」

 

 

とほほ・・・・この時間からおさんどんかよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとうございました〜。」

 

 

店員の挨拶に見送られながら、コンビニを出る。

 

 

「麒麟さんの晩御飯・・・・。」

 

「楽しみね。」

 

「解からん・・・野郎の料理にそこまで興味を持てるか?」

 

「はい!」

 

 

いや・・・だから、そうにっこり笑顔で返されると、俺も困るから。

 

 

「だが、俺の部屋には食器類は一人分しかないぞ?」

 

「あ、ではそれぞれ自分の部屋から、自分の食器を持ってくれば良いのではないでしょうか。」

 

「そうだな・・・・では、二人とも。マイお箸、マイ茶碗、マイ御椀を持って俺の部屋に集合。遅れた場合はご飯抜きです。」

 

「はい!」

 

「マイお箸・・・・。」

 

「どうした伊織・・まさか、箸がないとか言わないよな?」

 

「・・・・可愛い響き。」

 

 

・・・・・左様ですか。

感性が独特すぎてついていけんよ。

 

 

「解かった・・・・じゃ、一時解散だ。」

 

「はいっ!

 

「ああ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・しかし、夜中に料理を作るとは・・・。」

 

 

弟妹のミルクを作るのとはまた別だからな・・・・・甚だ理不尽な気がする。

 

 

「・・・・愚痴りつつ、しっかり作ってる俺も俺だが・・・・。」

 

 

―――コンコン

 

 

「・・・・開いてる。」

 

 

一瞬、合言葉で遊んでみるかと思ったが、面子が面子だ・・・・「山」と言っても解からないまま、時間を凄く無駄にしそうなのでやめた。

 

 

「お邪魔いたします・・・わぁ、良い匂い・・・。」

 

「もう少し時間が掛かるが・・・・ま、適当に寛いでくれ。」

 

 

冬芽なら荒らすこともないから安心だ。これがりっちゃんなら、エロ本探しでもしそうだが。

 

 

「はい。解かりました・・・・あ、これ、お茶碗と御碗です。」

 

「預かる。」

 

 

・・・・・なんだ、この雅な碗は・・・・黒漆の重ね塗りかよ。

小夜音といい、冬芽といい・・・・侮れんな。

 

 

―――コンコン

 

 

「伊織か、開いてるから入れ。」

 

「お邪魔する・・・。」

 

 

そう言って入ってきたのだが・・・・ドアを閉めてから動きが止まる。

 

 

「・・・・どうした?」

 

「いや・・・なにか、良い匂いがするから・・・・。」

 

「・・・・料理から鼻が曲がりそうな匂いを期待しているわけじゃないだろうな・・・・。」

 

「・・・・それはそれでエキサイティングだな。」

 

「料理にそんなもんは要らん・・・・っていうか、料理をなんだと思ってる。」

 

 

そもそも、エキサイティングってこういう場合に使う言葉じゃない。

 

 

「まあいい・・・食器を預かるから、奥で待つように。」

 

「・・・・ではこれを。」

 

 

そう言って食器を置くと、伊織は食卓の方へ行く。

 

 

「・・・・う、うさちゃん?」

 

 

伊織のご飯茶碗には、USACHANのロゴと、デフォルメされた可愛いうさぎの絵が添えられている。

似合わんように見えるが・・・・これはこれで、伊織らしいかもしれない。

 

さっきは高級茶碗に驚いたが・・・なんと言うか、この統一性のない三人三様の茶碗は驚きを通り越すな。

 

 

「麒麟さん、台布巾はありますか?」

 

「ああ・・・・ほら。」

 

 

一旦水気を与えてから、冬芽に渡す。

 

 

「・・・意外に片付いてるな。」

 

「・・・何を期待してるか知らんが・・・・散らかっているよりは良いだろう。」

 

「・・・そうか?」

 

「いや、だから、なんでそこに疑問符が入る。それともなにか・・・伊織の部屋は足の踏み場もないほどに散らかってるとか?」

 

「・・・・・さあ、解からない。」

 

「自分の部屋だろうがっ!」

 

 

いかん・・・何故会話がかみ合わないんだ。おかしいのは断じて俺ではないはずだ。

 

 

「麒麟さんのお部屋は良い氣を感じます・・・・どれも言われのあるものなのでしょうね。」

 

「・・・・黒漆と朱塗りの重ね塗りされた碗を使う冬芽に言われると・・・納得できん・・・。」

 

「そ、そう・・・なのですか?冬芽はその、どういう美しさなのか見えないものですから・・・・。」

 

「・・・・まあ、その美しさにつく値段で表現すれば、冬芽が持ってきた食器一式でサラリーマンのボーナスが軽く吹っ飛ぶことは間違いない。」

 

「ええっ!?」

 

 

金銭感覚に疎そうな冬芽にこの例えが通じたのが不思議でならん・・・・。

単純によく解からないが、勢いで驚いた可能性も捨て切れないが。

 

 

「・・・冬芽の家はお金持ちなのか。」

 

「い、いえ・・・そういうわけではないと思うのですが・・・・。」

 

「だろうな・・・。」

 

 

わざわざ金をぼったくらなくても、相手のほうからご機嫌窺いの寄進が来る。

おそらく、冬芽の食器にしてもお中元かお歳暮みたいな季節の進物の一つを使わないのが勿体無いないとか・・・そんな理由で使わせてるんだろうが・・・・。

 

 

「そう言う麒麟はどうなんだ?」

 

「俺?俺のは人からの貰い物と後は自分で作った備前だが・・・・?」

 

「自分でお作りになられたんですか・・・凄いですっ!」

 

「・・・そ、そうか・・・・。」

 

 

冬芽・・・備前って言われて、本当に理解できてるのかどうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

出来上がった料理を碗に載せてから、食卓に並べる。

 

 

「有り合わせの材料で作ったから、見栄えも良くないし、大したものでもないが・・・。」

 

「・・・美味しそうな匂いがします。」

 

「ああ・・・美味しそうだな。意外に。」

 

「意外は余計だ、意外は・・・・。」

 

「・・・・素直な感想なのだが。」

 

「・・・それは美徳だが、口に出すな。まあ、味について食べてから文句を聞くから、とりあえず食べようか。」

 

「はい!いただきますっ!」

 

「いただきます。」

 

「・・・いただきます。」

 

 

夏の真夜中、もうすぐ日付も変わろうかという時間に何故か女の子二人と食卓を囲むのは・・・傍から見れば奇妙だろう。況や、俺はもっとそれを感じている。

 

 

「・・・これは、お魚だと思うのですが・・・一体なんでしょう。生姜とネギがあるのは判るのですが。」

 

「鰹の叩きだ。細く切って生姜と三つ葉、ネギと合わせてから叩いたヤツだ。鰹以外にも、大きい叩きを鳥のササミで作ってあるから食べ比べてくれ。」

 

「本当ですっ・・・冬芽、こんなの初めて食べますっ!」

 

「・・・麒麟、これは山芋か?」

 

「そうだ。山芋を短冊状に切って、海苔と合わせてある。醤油とポン酢の好みで食べてくれ。」

 

「では、ポン酢で・・・。」

 

「ほら。」

 

「うん、ありがとう。」

 

「わあ、ご飯も美味しいです・・・あの、これお焦げですか?香ばしい・・・・。」

 

「鍋炊きだからな。底の方はどうしても焦げる。」

 

「・・・・鍋?」

 

「最近の炊飯ジャーは、性能は良いんだが・・・一人暮らしには向かない。本当は釜で炊いた方が美味しい。」

 

「そうなのか・・・・。」

 

「すごいですね。麒麟さん、お料理上手です・・・。」

 

「・・・家では割と作るほうだったからな。もう少しまともな材料があれば良かったんだが。」

 

 

実は、材料のほとんどは酒のツマミ用の買い置きだったりするのは秘密にしておこう。

冬芽の感激に水を差すのもあれだしな。

 

 

「麒麟・・・嫁に来ないか?」

 

「ははっ・・・・だったら、子供はたくさん産むことになるぞ?」

 

「うっ・・・考えさせてくれ。」

 

「ふふっ・・・・。」

 

 

むっ、ちょっとセクハラだったか?

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ、ご馳走様でした。とても美味しかったです。」

 

「お粗末さまでした。」

 

 

ここしばらく誰かに作ってやることもなかったので、新鮮に感じられる。

 

 

「お茶を淹れましょう・・・少しでもご飯の恩返しをしませんと。」

 

「ん、頼むな。」

 

 

実に奇妙な食卓風景だが、悪くはない。

悪くはなく、部屋に他の人間がいるだけでどこか心休まる自分がいる。

 

 

「どうぞ、麒麟さん・・・伊織さんも。」

 

「ああ、ありがとう・・・・。」

 

「ありがとう、冬芽・・・。」

 

 

無言の時間の中で、食後の穏やかな一時をみんなで楽しむ。

 

 

「・・・美味しかった。」

 

「・・・俺の料理が、というわけでもなさそうだな。」

 

 

味については、食べてるときに散々良い評価をもらった。

 

 

「・・・不思議だ。みんなで食べる食事というのは・・・美味しいものだな。」

 

「ああ、そうだな。」

 

「麒麟が一緒にいると、色々と不思議なことが起こる。」

 

「別に、意図したわけではないが・・・・。」

 

「そうか・・・では、私が一般常識に欠けているのだろう。どうもそう言うことがあるらしいな。」

 

「一般常識か・・・・。」

 

 

伊織自身、自覚があるのだろう。

 

 

「・・・誰も、教えてくれなかったんだな。」

 

「・・・伊織さんのお父様やお母様は、教えてくださらなかったのですか?」

 

「あの人達は・・・何もしなかった。」

 

「伊織さん・・・・。」

 

「あの人達は、本当に『親』というだけだった。最近まで何の疑問も抱かなかったのだが・・・失ってから、少し考えるようになったよ。」

 

「産んだら、産んだまま、ということか・・・。」

 

「そうだ・・・あの人たちは、私に『人間らしくする方法』というものを教える義務を負っていたんだ・・・そして、その義務は果たされなかった。果たす気がなかったのだろう。」

 

「『義務』か。そうだな。人は、産まれさえすれば『人間』になれるわけじゃないからな・・・狼に育てられれば狼になる。親は、人として産んだ子供を一人前の『人間』にしてやる、『義務』があるのかも知れない。」

 

「・・・だから、きっと私は人としての何かを欠いている。私の前を通り過ぎる人達を眺めていて・・・最近やっと気付いた。人は、他の誰かから何かを受け取って・・・初めて『人間』なんだって言うことに。」

 

 

そのための人間観察か・・・。

何か欠けている自分に、何が欠けているのかを知るための。

 

 

「私は・・・いつか、通り過ぎる人達を眺めているだけじゃない・・・そんな存在になれるだろうか。」

 

 

伊織の声色には、欲求とか願望が感じられない。

 

 

「なれますよ。いいえ、もうなっているはずです。それに、きっと気付いていないだけなんですよ。」

 

「冬芽・・・。」

 

「・・・そうなんだろうか。」

 

「冬芽は目が見えませんから・・・ずっと、子供の頃からそう思い続けていました。冬芽は、人として生きてゆくための大切な何かが欠けている・・と。だけど・・・だけど、それは違ったんですよ・・・世界とは、必ず繋がっているんです。自分がそれに気づくかどうかなんです。」

 

「必ず・・・繋がっている。」

 

「現に、伊織さんはもう一人じゃありませんよ。麒麟さんもいますし・・・・僭越ですが、冬芽だって伊織さんの世界の一つなんですから。」

 

「冬芽・・・・。」

 

「陽が射さないと嘆く日々の中で、ある日気付くんです・・・自分が、ずっと望んでも得られなかった陽の光を実は既に与えられていたことを。周りには本当は暖かい空気が溢れているんだ・・・ということを。だから、大丈夫です。」

 

「ありがとう・・・・。」

 

 

感謝の言葉を口にする伊織の表情は変わらないが・・・それでも、感謝の意は俺にも感じ取れた。

 

 

盲目の巫覡と自分を欠落しているとする剣士。

肉体的であれ、精神的であれ、二人とも共に何かが欠けているという思いを抱いていた。

 

 

「伊織・・・・お前は、昔の俺によく似てる。」

 

「・・・私が、麒麟に?」

 

「俺の父親は、俺に剣しか教えなかった・・・ただ生かすためだけに衣食住を用意させた・・・本当はな、俺が学校に行ったのは国際バカロレアを取るための2年間だけだ。」

 

「・・・義務教育はどうしたんだ。」

 

「必要な知識は自宅で叩き込まれた。卒業証明も違法な手段で正規の証明書を発行させてる・・・・学校で無駄な時間を費やすぐらいならば、靜峯の剣を継ぐ者として剣を究めろ・・・・とな。」

 

 

幼児虐待というのだろうが・・・当時はあまり深く考えたことはなかった。

俺にとって、生きることは剣を究めることと同じだと思っていたから。

 

 

「そんな俺に・・・陽の光をくれたのは、姉上だった。人としての生き方、今の『人間』が享受していて、俺に与えられていないモノを、たくさんくれた・・・それからだ。俺が、弟や妹達の兄になったのは。」

 

 

俺が与えてもらったものを、弟や妹達にも与えなくてはならない。

誰も与えてやれないのならば、誰でもない俺が与える。

 

 

「だから、伊織・・・・俺や、冬芽はお前の世界の一つとして、俺達の世界の一つでもあるお前に、少しずつだが与えてやれるんだと思う・・・少しずつだが、きっと。伊織が気付いていないだけで、本当は心の底から渇望している何かを・・・な。」

 

 

伊織を見ていると、そう思える。

姉上も多分、俺と同じ気持ちだったのだろう。今なら解かる。

 

 

「私も・・・いつか、麒麟や冬芽のように、自分に陽の当たることを気付いてみたい。」

 

「ああ、必ず気付ける。」

 

陽の当たる自分に気付ける人は、誰かの世界の一部であればその誰かにも陽の光を与えてやれるから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「遅くなっちゃった。もう、主任の仕事を押し付けられるなんて、ついてない。」

 

 

―――深夜

 

 

一人の女が歩いている。最終電車も行ってしまった上にタクシーも通らない。

タクシーを呼ぼうかとも考えたが、彼女の家はオフィス街区から二駅先の駅前にある。

月の頭に奮発して新しい服を買ってしまったこともあり、彼女はその魅惑的な提案を頭を振って忘れ、現実的な方法―――徒歩を選択した。

 

 

「・・・・・はあ。」

 

 

深夜のビル街、聞こえてくるのは甲高い自分のヒールの音だけ。

 

視界に入る慰みと言えば、空に上っている月くらいのもの・・・あとは巨大な墓標のような複合型のオフィスビルが、厭味のような冷徹さで、延々と並んでいる。

 

 

「・・・・・・・・・・・・・。」

 

 

ひょっとしたら、こいつらは自分を家に真っ直ぐ帰すのを妨害するために、わざとこんな風に莫迦長いのではないか・・・そんな風に考えると、最早自分に味方してくれる者は無機物すら居ないのではないか・・・そんな嫌な考えすら湧き始めてくる。

 

ただ黙々と、彼女は歩く・・・・降ろしたばかりでまだ少し爪先の硬いヒールが、一歩歩くたびに足を締め付けて痛む。

その痛みが、水を打ったような静寂と相まって、彼女の心をじわじわと荒ませていく。

 

 

「帰れなくなるって判っていたら、もっと履き慣れてるのにすれば良かったのに・・・・。」

 

 

出掛けにはあんなに心弾ませてくれていたその新しいパンプスも、今ではもう拷問用の足枷と変わらない扱いになってしまっている。

 

 

「・・・・・・・・・・・・。」

 

 

歩く・・・・ただ、歩く・・・・・。

 

疲れが彼女の心に少しずつ染み込んで、まるで遅効性の毒のように僅かずつ拡がって行く。

重くなってゆく足とは裏腹に、無人の夜の街を一人歩く恐怖が、密やかに背筋の裏側から這い上がってくる。

 

 

――――ズッ

 

 

「・・・・・・・・・・・!?」

 

 

萎えかけていた彼女の聴覚に、何か、超常的な異音が響いてくる。

 

 

「な・・・に・・・・・?」

 

 

いや、萎えかけていた故に、それはただの空耳だったのかもしれない・・・そう考えて彼女は歩みを再開する。

だが、そんな中で彼女の心は恐れ逸っていた。言い様のない不安が、彼女の心を鷲?みにしていた。

 

 

「・・・・・・・・・・・。」

 

 

様々な予測が、彼女の脳裏を駆け巡っていく。それは、悪い方へ、悪い方へと彼女の思考を傾けていく。

 

 

―――ズッ・・・・ズズッ・・・・

 

 

「・・・・・・・・・・・ヒッ・・・!」

 

 

そんな中、再び聴覚が異音を捉える。その正体を確かめることもせず、彼女は走り出す。

その全身を痺れるような恐怖が支配してしまっている。

 

 

「はっ、はっ、はっ、はっ・・・・・!」

 

 

走る・・・ただがむしゃらに、ただ一心に・・・・心の中の恐怖から逃れるために、彼女は走り続けた。

 

 

「っ・・・・あぁ・・・っ・・・・!」

 

 

 

・・・・・・終焉

 

 

その終焉はあまりに呆気なく、そしてあまりにも突然に訪れていた・・・・。

 

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ・・・・ぁ・・は・・・はは・・・・。」

 

 

・・・喘ぎ。

・・・・・・吐息。

・・・・・・・・・笑い。

・・・・・・・・・・・・狂い。

 

 

這い上がってくる。身体の中を、細胞を伝わり、血管を走り・・・・それが這い上がってくる。

 

 

「は・・・ははっ・・・は・・・・・はははっ・・・はは・・・は・・は・・・・・・・・あはっ!」

 

 

達した・・・・それは、彼女の脳まで、ついに達したのだ。

 

 

「あっはははははははははははははははははははは・・・・・・・・・・・・・・・!!」

 

 

無人のオフィス街に、狂ったような女の笑い声が谺する。だが、それに気付く者も、それを咎めようとする者もいない。

 

 

――――彼女は自由だった

 

 

「あはっ・・・・あは、あははっ・・・・あははははははっ・・・・・・・・。」

 

 

彼女は囚われた。故に、自由。

 

 

「あはははっ・・・・あは、あははははははっ・・・・っく・・・・ぅあ、あははははっ・・・・・・・・!」

 

 

自由とは何かなのか、彼女は今、初めて知ったのだ・・・!

 

 

「はぁっ・・・はぁっ・・・素敵、やっと・・わかったの・・・。」

 

「そうなのね・・・そう・・・。」

 

 

身体中に脂汗を浮かべたまま、冷ややかな表情に黒髪をへばりつけたままで彼女は嗤う。

 

 

「わかったわ・・・言うこと、一つだけ聞いてあげるわ・・・でも、ひとつだけだからね?ひとつだ?く、くく・・・。」

 

 

そして彼女は嗤う・・・なぜなら、彼女は自由だ。

 

けれど彼女は気付いていただろうか・・・そこから見える月が微かに。

 

―――微かに歪んでいたことに

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・・。」

 

「――――――――――――――――。」

 

 

誰かが、何かを喋っている。

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・。」

 

「―――――――――――――――。」

 

 

こいつは誰だ?

俺を褒めているらしいが。

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・。」

 

「――――――――――――――――。」

 

 

何故、俺はこの男の言葉にこれほど苛立ちを感じるのか。

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・。」

 

「――――――――――だが、良くぞ討ち果たした。」

 

 

ああ、こいつは・・・・。

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

 

「何だ、言いたいことがあるのならば、申してみよ。」

 

「なれば、一つだけお許し願いたい。」

 

「良いぞ。」

 

 

これは、俺の夢なんだ。

この夢を見るのも随分と久しいな。

 

 

「何ゆえ――に加勢を求めなかったのか、お教え願いたい。」

 

「ふんっ・・・・そんなことか。我等が何故、夷狄に頭を下げて頼まねばならん。あのような者達の加勢など無用だ・・・二度そのようなことを、口にするでない。」

 

 

駄目だ。

頭の中に、夢だと解かっているのにタールのような感情が満たされていく。

 

 

「しかし・・・――は犠牲となりました。」

 

「だからなんだ?私の判断に誤りなど、あろうはずがない・・・あれも、夷狄に頭を下げるぐらいならば犠牲になったほうが本望であったろう・・・それにあれの力も弱っておったからな。丁度良い適役だったのだ。」

 

「――も貴方の――ではないのですか・・・・。」

 

 

握った拳が、力を増す。

 

 

「代わりはおる・・・――も年頃になっておるからな。存分に役立ってもらわねばならん。あれも、もう少し使えるかと思うたが・・・存外長持ちせなんだな。」

 

「・・・・・・・・・・・・・。」

 

 

頭の中が、急に軽くなった。

 

悩む必要などなかった。始めからこうすれば良かったのだ・・・・。

 

手元に置いていた太刀を握り―――抜刀した

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「来たか・・・・。」

 

「あのな・・・・こんなところまで呼びつけておいて、相変わらず偉そうなのは何でだ、輝?」

 

「何を言う・・・妾があそこへ行けば、問題になろう?お主を慮ってわざわざ呼びつけたのだ。」

 

 

そう言えば、こいつはこういうヤツだったな・・・・。

しかも、『メリディアン』に宿泊って・・・・金持ちの考えることは解からん。

 

 

「聞いたぞ、伊部を締め上げたそうだな。」

 

 

輝――西山 輝は小気味良い笑いを浮かべながら、臨海副都心と東京湾を一望する窓際の豪華な椅子に座る。

 

 

「あんまり鬱陶しいので、な・・・・・。」

 

「それは結構なことだ。妾も忌部本家に慮って手出しを控えておったが、あの男は余計なことを喋り過ぎる。」

 

「そうだな・・・・で、西山のお嬢様―――おっと、もう当主か――が俺の連絡役を仰せ付かりでもしたのか?」

 

「ふむ・・・何やら複雑なことになっておるようだからな。」

 

「複雑どころの話じゃない・・・人が蟄居して飯綱の図書館守をしていたのを無理矢理呼び出して・・・。」

 

 

そこまで言って、輝の表情が他のものには解からないほどだが、嫌な感じの笑いを含んでいることに気付いた。

 

 

「まさか・・・犯人はお前か。」

 

「犯人とは心外だな、麒麟。適任者が他にいなかっただけだ。」

 

「暁や結衣那が居るだろう・・・まったく・・・。」

 

「そう言うな・・・今回の一件は独自に海外とも太いパイプを持つお主が適任なのだ。」

 

 

やれやれ・・・厄介ごとを押し付けられるこっちの身にもなれっていうの。

 

 

「台場の一件が意外に拙かった。」

 

「何故だ?あれは内閣調査室ルートで緘口令が敷かれているはずだ。」

 

「・・・警視庁公安部が動き出した。連中は、独自のルートで交喙機関を捜査していたらしい。そこで以前から進められていた新東雲のプロジェクトを調査し、交喙機関についてかなり核心に迫ったところまで来ておる。」

 

「解からん・・・何故、公安部が交喙機関相手に動く?不審な点は多々あるが、交喙機関は研究機関の一つに過ぎん。」

 

「・・・加賀の雲頭だ。」

 

「それこそ、まさかの世界だ。あそこの信仰は地下に潜った。今更、警視庁の公安部が点数稼ぎに触手を伸ばすような組織ではなくなってる。」

 

「九蔓祷水会という宗教法人を知っておるか?」

 

「いや、寡聞にして初耳だ。」

 

「宗教法人の規模としては中の下というところだ。古来からの九頭龍信仰を統合した宗教で、それらしい兆候はあったので第三種で監視対象にしておったのだが・・・・。」

 

「何か、問題が起きたか・・・・。」

 

 

輝は肯定するように肯く。

 

 

「基本が在家信者で、秘密結社めいたところがあったので信者の把握が難しかったのだが・・・ここ数年に九蔓祷水会の信者がかなりの人数、行方不明になっておる。勿論、表向きは交通事故によって海に飛び込んだり、海難事故とされていたりするが・・・それ以外の行方不明者も含めれば不審さは隠しようもない。」

 

「ああ、それで公安部が・・・・。」

 

「そうだ。公安調査庁からの情報でいち早く知れたのだが、公安部に情報が漏れたらしい・・・無駄なところで優秀なおかげで、九蔓祷水会と交喙機関の繋がり、そして新東雲のプロジェクトまで辿り着きおったわ。」

 

「そして、お膝元である台場で謎の怪物が現れ、それの原因は新東雲にあるのではと考えているわけか・・・。」

 

「そういうことになる。」

 

 

参ったな。あながち外れていないどころか、間違いなく『残滓』の発生原因は新東雲にある。

どう弁解することもできない・・・公安部も久々の大手柄と逸っているだろうし・・厄介だ。

 

 

「・・・この辺の政治的駆け引きは任せるぞ。」

 

「任せてくれ・・・と言いたいが、お前の要求した期日が精一杯だと思え。今日付けでNGAの人工衛星が常時監視体制に入ったと報告もある。今のところ諸外国も原理を解かっていなから大きな声でのバッシングはできずにおるが、最悪日本の核兵器開発と叩かれれば国連査察を受け入れざるを得ん。」

 

「・・・それは、遠まわしに俺を急かしてるのか?」

 

「まあ、そういう顔をするな・・・我々とて、手を拱いて待つわけにはいかん。今回のプロジェクトに纏わる全容を解明すれば、後は我々で解決を図る。『博士』の了解も得ておる。」

 

「今更だよな・・・証拠集めなんぞ。」

 

「仕方なかろう。現状、イスやユゴスの客人の協力を仰いでこちらでも制御可能な代物を開発中だが・・・散花蝕の作用は予想以上のペースで進んでいる。いつなんどき、致命的な損害を被るのか判らぬのであれば新東雲にある、あれに頼らねばならんのだ。」

 

「因果な話だよ、まったく。」

 

「ああ、同感だ。」

 

 

俺の意見に同調する輝の表情はとても晴れやかとは言えない。

 

この系統の事件に関るたびに人類の小ささというヤツに嫌気が差す。

 

 

「・・・必要な情報は、システムの全容で良いのか?」

 

「そうなるな。安全・・・・妙な表現だが、致命的な損害を被らない程度の安全性が確保されているのならば良い。どの道、時空間の歪みを何時までも抱え込めるわけがないのだから、時間的制約も丁度良い・・・だが、そもそももっと別な目的――裏がある危険性が高い。」

 

「それを調べるのか。簡単に言ってくれるが・・・・あれで、この研究をここまで暈かして来たんだ。簡単に尻尾を掴ませてくれはしないだろう。それに、肝心の疋田泳堂とアビゲイル=マーシュは殺されている。死人の墓暴きは好きじゃないんだが・・・・。」

 

 

俺がこんな調べごとをしていると観影さんにバレたら、ぶっ殺されそうだ。

あの人は、大義名分と同時に別の目的を持って動いている節があるし・・・・。

 

 

「言ったであろう、だからお主を任命したのだと。」

 

「あのな・・・これでも成人式に出れない歳だぞ、俺は。それを学園へ放り込むのは十分不審だが。」

 

「それを言えば、月瀬の総帥はドレス姿で生活しているそうではないか。比べればお主にいかほどの不審さがある?」

 

「・・・・そもそも比較するな。」

 

 

小夜音には悪いが、注目度が段違いだ。

 

 

「そのことは置くとして・・・今回の一件はお主次第だ。靜峯の宗主殿。」

 

「了解したよ・・・・将軍。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ホテルから出て、台場で買い物と昼飯を済ませて帰ってきたが・・・ちょっと中途半端な時間になった。

 

ハンドクリッパーをニギニギしながら、教科書をめくる。

一応テストは受けるつもりなので範囲のチェックぐらいはしておく。

 

 

―――コンコン

 

・・・・誰だ?

 

蔵人やりっちゃん、冬芽は出掛けていないはずだが。

 

 

「・・・誰だ?」

 

 

「ぁの・・・わたし、です・・・。」

 

 

この消え入りそうな声は、白衣か。

 

 

「よう、何か用か?」

 

 

ドアを開くと、やはりそこには白衣がいた。

 

 

「あ、はい・・・あの、麒麟さんに・・お願いが・・・。」

 

「お願い?」

 

「は、はい・・・あの・・そ、その・・・べ、べんきょうを・・教えて、ください・・・。」

 

「べんきょう・・・ああ、勉強か・・・けど、俺にか?」

 

「・・・・だめ、ですか・・・?」

 

「いや・・・駄目というわけでもないんだが・・・。」

 

 

まさか俺に教わりに来るとは・・・教えるには吝かではないが、よく黒衣が了承したものだ。

・・・・・当の黒衣の姿が見えんな、そう言えば。

 

 

「解かった・・・部屋の戸締りするから、ちょっと待ってくれ。」

 

「・・・・・・はい。」

 

 

 

 

 

 

 

「お姉ちゃん、おかえ・・り・・・・って、何で麒麟が一緒なのよっ!」

 

 

あ、やっぱり黒衣には話してないのか・・・。

 

 

「助っ人だ、助っ人。」

 

「はあ?・・・・まさか、教えてくれそうな人って、麒麟のことだったの!?」

 

「そうだよ・・・麒麟さん、高校生の範囲なら・・・大丈夫って、言ってたから・・・。」

 

「だ、だからってよりにもよって何で麒麟なのよ・・・っ!」

 

「白衣・・・・なんか、黒衣が物凄く嫌がってるんだが・・・・。」

 

「・・・黒衣ちゃん・・・麒麟さんのこと、嫌い・・・?」

 

「・・・そ、そういうわけじゃないけど・・・・。」

 

 

ぼそぼそ、と口ごもって視線を下へ向ける。

・・・これは、もしかして照れてる・・・のか?

 

やばっ・・・可愛いぞ、黒衣。

 

 

「ふむっ・・・黒衣が嫌というのなら、無理強いするのも理屈に合わん・・・・ということで、白衣だけに教えるか・・・。」

 

「な・・・っ!」

 

「・・・き、麒麟さん・・・。」

 

「だ、だ、だ、駄目に決まってるでしょ・・・っ!」

 

「さて、白衣。解からないところはどこだ?」

 

「なにいきなり寛いでお姉ちゃんに聞いてるのよっ!」

 

「ああ、俺のことは空気のように無視してくれ、黒衣。」

 

「できるわけないじゃない・・・っ!」

 

「そうか・・・ま、頑張れ。」

 

―――ブチッ

 

「・・・・・てえぇりゃぁーーーっ!!」

 

 

堪忍袋らしきものが切れる音がして、黒衣が飛び上がって蹴りを放つ。

いや・・・俺は良いが、ご飯抜きはどうしたんだ?

 

 

「よっと・・・。」

 

「あれ・・・?」

 

 

蹴り足を掴んで引き寄せ、慣性を殺しながら座らせた。

座捕物の応用だが、黒衣は何をされたのか解からないという顔をしている。

 

 

「お前にも教えんとは言ってないだろう・・・それに、白衣だけには教えて、黒衣が試験に落ちて補習になったら後味が悪くなる・・・それは黒衣も嫌だろう?」

 

「うっ・・・そうだけど・・・・。」

 

「ならば良し・・・ほら、取り敢えず解からなくなるまでやってみて、解からないところを聞くと良い。」

 

「・・・・なんでそんなに偉そうなのよ・・・。」

 

「ふふっ・・・・・。」

 

 

 

 

 

 

 

「ところで、二人はこの調子だと補習を免れそうなのか?」

 

 

2時間ほどみっちりやってから、小休止のために白衣が入れてくれたお茶を飲む。

惜しくも冬芽には及ばないが、中々の腕前である。

 

 

「えー・・どうだろう、わかんない・・・。」

 

「・・・正直だな、黒衣。」

 

 

あんまり正直すぎると教えている俺の立つ瀬がないんだが・・・・。

 

 

「例えば、補習がなかったとしても・・・夏休みにすることもありませんし・・・多分、毎日薔薇の世話をしているような気がしますけど。」

 

「どこか遊びに行く予定とか・・なしか?」

 

「どっか行くにしてもさー・・・東京ってお金懸かるのよねー。電車でぐるぐる回らなきゃならないし?」

 

「まあ、そうだろうな・・・。」

 

 

東京というのは娯楽に溢れすぎて逆に面白くない。点在するスポットを巡ろうとすればそれなりの交通費もかかる。人間の娯楽に限りがあるという典型的な例だな。

 

 

「それも良いんだろうな。」

 

「麒麟?」

 

「俺もあんまり東京には幻想がないし、できるなら晴耕雨読の暮らしが理想ってこと。若者が都会で散財するのが普通とか、そういうことを言うつもりは更々ない」

 

「何か、爺むさいわね・・・」

 

「悪かったな・・・・それに、俺も剣術の家に生まれたからには、似たような境遇だったしな」

 

「麒麟・・さん・・・・」

 

「あのクソ親父が修行以外の自由な時間なんてくれるわけなかったわよ・・・」

 

 

そうだ。俺達の剣術はそれだけの犠牲の上に成り立っている。

 

同時にどれだけ嫌っていても誇れるものはそれだけしかない。

だから、負ければ悔しくなるのも当然。しかし、全てが納得づくであってもこういったときに自分の失った時間というものを嫌というほど思い知らされることになる。

 

 

「ま、それはそれ、これはこれだ・・・幸いここにはそのクソ親父は居ないわけだし、今は時間に制約はあるがこれから幾らでも遊ぶチャンスはあるんだからな。」

 

「麒麟・・・・」

 

「麒麟さん・・・・」

 

「さてと、それじゃあせめて遊ぶ時間を作るためには補習をクリアしないとな・・・・勉強再開だ」

 

「・・・・はい」

 

「ええっ〜〜〜、まだやるの?

 

「はははははっ!ま、補習で夏休みの前半を棒に振るのならば俺は全然構わんぞ?」

 

 

心底やりたくなさそうな黒衣に笑いを我慢できず、吹き出した。

そんなに嫌か、勉強が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――深夜

 

 

世の中で調べ物をするときに簡単な方法は知っている人間に聞くこと。

資料を調べるのも手だが、生憎と資料は質問しても答えてはくれない。

 

ただ、今回は少し特殊だ。何せ知っている人間は墓場まで知識を持っていった。死人の首を引っ掴んで締め上げたら喋ってくれる・・・・わけがない。

 

 

で、死んだものは仕方がない。残った資料を調べる次善策になるが・・・・これも困ったことに普通だと手の届かない場所にある。

 

 

何が言いたいかと言えば、手が届かないなら足を伸ばす。

つまり、資料のある場所へ行くのだ。無許可で、無断で、忍び込んで。

 

 

 

潜入―――だが、格好は普段着のまま。

物陰でPDAのマップを見ながら、どうするかを考える。

 

マップはこの学園施設を含めた研究棟の建設を請け負った建築会社の設計図を元に作られている。

忘れてはならないが、このプロジェクトは文部科学省が進めている。表向きだろうが、裏向きだろうが関係なく。交喙機関が一枚噛んでいるとしても、あくまで省庁が絡んでいる以上は文部科学省にもデータがあるのだ。

 

無論、文部科学省へ提出した設計図を改竄した可能性も捨てきれない。だがその可能性は低い。

立ち入り禁止区域以外の建物は提出された設計図に基づいているし、算出された予算と会計士がチェックした材料費諸々の建築費用に怪しいと言える差額は発見されなかった。

 

 

「さてはて・・・・一番手っ取り早いのはメインバンクに直接アクセスすることなんだがなぁ」

 

 

それができれば苦労はない。研究員は各自が昨日の『残滓』から得られたデータ解析でそれぞれ篭り切りになっているとは言え、メインバンクへ誰にも発見されず物理的に到達するのは不可能だ。

 

極力怪しまれず、俺の素性を嗅ぎ付けられず、欲しい情報が最も手に入る方法。

 

 

「はぁっ・・・やっぱり墓暴きか」

 

 

『デミウルゴス』の開発を行った人物―――疋田泳堂とアビゲイル=マーシュの部屋だ。

 

 

上級研究職用には個別の研究室が与えられている。研究室と言っても、個人用の部屋というだけで大掛かりな装置はない。上級とつくだけあってセキュリティレベルは高いが。

 

疋田泳堂の部屋の前まで来たが。

さて、どう開けたものか。

カード式であるため、これを開けるためにはカードキーが要る。

その鍵は二つだけ。疋田泳堂の持っていたカードキーと施設の全ての鍵を明けられるマスターキー。

 

世の中にはその二つを使わずにドアを開く裏技もあるが・・・。

 

 

カシュッ

 

 

カードを通し認証コードを入力するとロックを示す赤ランプから、解除を示す緑ランプが灯る。

センサーが反応し、ドアが自動的にスライドする。

 

「これはまた何とも・・・」

 

新東雲の研究員はみんなこんな怪しい部屋で研究してるのか?

金属質な壁に、備え付けの高性能PC。本棚もスチール製で、何とも暖かみにかける。

上と下での落差が激しい。ここまで予算が回らなかったのか。それとも、これも目的があったからか。

 

「それは関係ないとして・・・」

 

備え付けの高性能PCを見る。欲しいデータはここか。

肝心なことだが、俺自身には超高度なハッキングテクニックがない。

しょぼい県警本部のホストぐらいなら侵入できるんだが・・・交喙機関のような裏でヤバイ仕事をしていて、最先端のテクノロジーを扱う連中相手には分が悪すぎる。

 

ポケットの中から将軍―――輝から渡されたクリップバンドを取り出す。

それからしゃがみ込んで配線を塞いでいる金属のカバーを取り払う。これをファイバーケーブルに取り付ければ、今回の俺の仕事の第一段階は終了。カバーを戻す。

 

「気になると言えば気になるが・・・」

 

時計を確認する。

まだ時間はあるか・・・。

 

棚にあるディスクを総当りする時間はないが、端末で何をしていたかを調べるぐらいの時間はある。

PADではなく、スマートフォンを取り出す。UWBで結線。

端末を立ち上げる。これで後は俺専属のバックアップがやってくれる。

 

UWBからネットワークに侵入。ネットワークと接続され、ログインする前までに基幹部分を乗っ取る。

さもなければ、ログインと作業記録が残ってしまう。そうならないように急いで掌握し、改竄しなければならない。

 

やがて、侵入と掌握成功を示すドット欠けが表示され、認証画面も自動入力でクリア。

 

 

「お待たせしました、麒麟様」

 

耳に嵌めているスマートフォンの音声を拾うイヤフォンから勤勉そのものの声がする。

 

「いや、相変わらず早い仕事だ。風間」

 

「そう言っていだけると幸いです。それと、私のことはどうか西湖と呼び捨てに」

 

「考えておく。情報は取れるか?」

 

「・・・行っています」

 

もう一度時計を確認。どれだけ情報を浚えるか分からんが、こっちでもやってみるか。

検索目録を片っ端から上げて、関係なさそうなものから片付けていく。双方向通信で西湖も怪しい部分を集中して引っ張っている。

欲しいのは核心部分の情報であるが、実のところ同様のシステム開発を進めている俺達は『財団』と違って、研究内容全てが有益なものとなりえる。おそらく西湖のほうでは研究データを全てコピーして持ち出している。

 

 

―――カシュ

 

 

 

「っ・・・・西湖、人だ」

「撤収します」

 

ちっ、良いところで。

グリッド監視網の巡回までまだ40秒もあったのに。

 

手早く片付ける。端末の電源が落ち、ペンライトもスイッチを切る。

外では部屋に入ろうとしている兆候がある。都合よく映画のようなダクトがあるけでもなし。

まぁ、俺がここまで何の苦労もなく入って来れたことにはちゃんと理由があるわけだが。

 

懐のスイッチを入れる。

 

 

 

 

タイミングとしてはほぼ同時。

ドアがスライドし、通路のほの暗い照明でシルエットを浮かび上がらせた人影―――いや、一目で誰か分かる人物が入ってきた。

 

―――月瀬小夜音

 

律儀というか、信念貫いているというか。

目にも鮮やかなドレス姿というおよそ潜入には向かない服装のままだ。

手にはロックを解除に使ったと思しきバスターカード。

偶然が重なった迷子の小夜音ちゃんが、これも偶然疋田泳堂の研究室に入った・・・わけじゃなさそうだ。

 

鉄則どおり、ドアを閉めてセキュリティをロックする。

俺と違い擬似信号なので、内部に人が入った痕跡は残らない。かく言う俺もカードには細工を施したので痕跡は残らないんだが。

 

 

「問題は無いようね」

 

監視カメラの有無をチェックして、小夜音は最低限の照明を点灯する。

 

「一部の書籍を除いては、全てデジタルデータ・・・かしら」

 

およそ一日がかりでなければ中身の確認が終わりそうにない量のディスクが収まっている本棚。

そこには一部だけ、紙媒体の書籍が収納してある。

・・・・書籍?

 

何故そんなものをここに置く?

学術書なら疑問点にならない・・・というわけでもない。

今時、学術書もデジタル化が当たり前だ。一々、目的のページを探さずとも検索をかけたほうが早く、場所も取らない。研究者にとって紙媒体の学術書というのは、部屋に飾って虚栄心を満たすためのアイテムでしかない。

 

疋田泳堂のここでの研究は『デミウルゴス』のシステム開発。

ならば、腑に落ちる。疋田泳堂がここでの研究に必要なもので、なおかつ紙媒体でなければ手に入らない学術書――――オカルトの専門書だ。それも極め付きのヤバイ代物。

 

やってくれる・・・連中と繋がりがあると分かってはいたが、初歩の魔術で注意を逸らしにかかるとは。

となると、疋田泳堂が連中の仲間だったことは確実・・・実験そのものも最初から連中の手の内だった。

なるほど、なるほど。点が線で繋がり始めた。

 

これは友清家の協力を仰ぐことになるな・・・星辰は流石に専門外だ。

 

 

「いやーお嬢、お待たせしましたわ〜☆」

 

突然響いた調子外れな声に、危うく心を揺らしかける。

物理的に見えないようにしているとは言え、小夜音クラスの相手だと気配を読みそうだってのに。

 

「相変わらず緊迫感がないわね、藤林の」

 

幸い、小夜音は気付かなかったらしい。

藤林・・・藤林・・・いかん。誰か分からん。最近は風間の同業もかなり増えたからなぁ。

 

「またまたぁ、他人行儀なんですからっ!ちゃんとあたしにはオ・ユ・キって名前があるんですからね」

 

「於雪さん、残念ながらお喋りをしている暇はありませんわ・・・サポートをお願いしますね」

 

「了解〜!久々に最新鋭のシステム相手で腕が鳴りますわ〜」

 

どうやら、俺と風間がやった双方向通信のハッキングをかけているらしい。

小夜音は俺以上にこの手の情報収集が得意らしく、キーボードの上を優雅な指捌きで走らせ、確実に必要な検索をこなしていく。

ただ、やっていることの基本は俺と風間がやったこととやはり変わらない。向こうとこっちで検索を分担し、可能性の低いものから消去していく消去法。時代は変わってもこの基本だけは変えようがない。

 

 

「探している研究結果の内容は見てもどうせ解からない代物、となればタイトルで引っ掛けていくしかないですわねぇ・・・」

 

「於雪さん・・・何か、生前の疋田博士が不正規なソフトウェアで外部に接続した痕跡は見つけられないかしら」

 

「待ってくださいな・・・そう言われると思って、今ストレージ内のファイルシステムからゴミを浚っているところですわ・・・」

 

 

・・・まさか、小夜音の方はまだ疋田泳堂の裏側について全容を掴めていないのか?

莫迦な。如何な体質が漫然としかかっていたとは言え、『財団』の動きがそこまで遅いのか?

ここは、どうする。向こうの進捗状況次第では共闘もありかもしれないが・・・向こうの手札が少ない状況で持ちかけても余計な足枷になりかねないぞ。

 

 

「・・・目に見える部分には、目録らしきデータは存在しないようですわね」

 

本当にないのかどうかは、風間からの結果待ちだが・・・。

可能性としては、御影さんが持ち出したか。その割には魔術的な部分には疎かったが・・・。

 

「目録は無理でも、研究内容の一部は救出できるかもしれませんわ。研究所の管理システムに登録されていないポートから定期的に外部へ向けて発信していた痕跡を見つけましたの

 

「・・・受信元は判らない?実はウィルスだったりしないでしょうね」

 

「それは後で辿ってみないことには何とも言えませんわね・・・ですが、残留するキャッシュの一部は復元できそうですわ」

 

「では、それを復元して私の携帯メモリに転送してください」

 

「了解。少々お待ちになってね・・・そろそろ時間切れみたいですわね。転送終了と同時にログアウトしますわ」

 

「ここまでね・・・」

 

端末が落ちる独特の音と共に部屋の照明が消え、小夜音は悠然と部屋を出て行く。

 

実に優雅なもので、泥臭い俺は大違いだ。

だが、最後まで俺に気付くことはなかったが。

スイッチをオフにする。

 

熱光学迷彩による偽装が解かれ、元の姿が肉眼で確認できるようになる。

まだ米帝もMITも実用段階どころの話ではない、最新テクノロジー。

氣殺と合わせればかなり使い物になるな。

 

 

「さぁて、舞台も大分整ってきた・・・・これでこちらからも動ければ良いが」

 

 

今回、もしかしたら事は今まで以上かもしれないな。





麒麟と伊織の会話は中々に面白いな〜。
美姫 「ええ。ともあれ、残滓の方は何とかなったわね」
裏でこそこそと動く麒麟と小夜音。
美姫 「うーん、益々次の展開が楽しみね」
ああ。一体、どうなっていくんだろうか。
美姫 「次回も待ってますね」
待ってます。



▲頂きものの部屋へ

▲SSのトップへ



▲Home          ▲戻る