本日最後の試験終了を知らせるチャイムの音が流れる。

落胆と希望が綯い交ぜになった吐息の者もいれば、それこそ青色吐息の者もいる。

ともかく、終わったものは仕方ないと任せてはいけない天に運を預け、答案用紙は回収されていく。

 

 

「ぬぁー・・・終わった・・・さよ〜なら〜・・・・俺の夏休み。美女とのアバンチュール」

 

優作が燃え尽きた。

初日から真っ白になってやがる。

 

「それはないない」

 

「特に美女ってところがねぇ〜」

 

「まぁ、でもあながち間違いでもないだろう。観影さんみたいな美女との補習授業があるわけだ」

 

「な、なるほど・・・って、全然嬉しくねぇー!!」

 

「『先生・・・俺、ここが解からないんだ』」

「『そう・・じゃあ、体でオ・シ・エ・テ・ア・ゲ・ル☆』」

 

「おおぅ!その展開があったぜ!」

 

「いや、ないない。もっと有り得ない」

 

 

どうでもいいがな、優作。

ものすっごい莫迦丸出しだぞ。

 

 

「でさ、キリンはどうだった?」

 

「そのイントネーションやめい・・・まぁ、余裕だな」

 

「流石は20歳越え高校生」

「伊達に経験値を積んでないな、お主」

「っきしょー!!未成年を嘲笑うなー!」

 

ええい、うるさい外野ども。

 

「明日の答案カンニング希望の奴は俺の机に貢物を入れておくようにな〜」

 

「「「「何ィッ!!!?」」」」

 

そこ、物凄い目で信じるな。これを信じられて貢物が入っていたら、俺が丸っきり悪者になるだろう。

いかん、話がマジになる前に逃げるべきだな。特にそこの真尋とか、優作とか、その他有象無象が特にヤバイ。

 

鞄を引っ掴んで逃げに入る。

 

「あれ〜、麒麟もう帰るの?」

 

「ああ」

 

「何か用事?」

 

「・・・何。蔵人から小夜音を略奪愛してくるだけだ」

 

取り合えず、有り得なさそうことを口先から出任せしておく。

まさか幾らなんでもこれを信じて本気にするはずが・・・。

 

 

「おおっ!何か面白そうだから、私ら応援するぞー!」

 

 

せんでいいっ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「眠い・・・」

 

試験が終わってから、昼食のために食堂に来たが壮絶に眠たい。

 

「随分とお疲れのご様子ですね、麒麟さん」

 

俺の眠気の壮絶さに負けないくらい壮絶なドレス姿の小夜音が後ろから声を掛けてくる。

今日も今日とて似ているようで、昨日とは違うドレス。一体何着持ってるんだか。

 

「おお・・・ロールパンが枕に見えるからな」

 

「それは・・・随分と重症ですわね」

 

それはお互い様だと言いたくなる。

どうせ明け方まで疋田泳堂の端末から引き出した情報を整理していた口だろうに。

 

「色々あって、結局テスト勉強は一夜漬けになったからな・・・」

 

「試験を受けられたのですか?」

 

「試験で拘束される時間と、補習で拘束される時間・・・どっちが長いと思う?」

 

「なるほど・・・そういう考え方もありますわね」

 

「・・・そう言う小夜音は受けなかったみたいだが?」

 

「折角免除していただけるということでしかたら、お休みさせていただきましたわ・・・それに、補習を受けてみるのも良いかもしれません」

 

本気とも冗談ともつかない小夜音は、小さく笑ってみせる。

きっと半々なんだろう。

 

「物好きだな・・・そういうのは好きだな」

 

「ありがとうございます。ですが、誉めるのはもっと別なところでお願いしますわ」

 

「考えておく・・・それで、小夜音姫。よろしければ、某と一緒に食事は如何でしょう」

 

「構いませんわ・・・・ただ、食事中に居眠りをしないようにお願いします」

 

「善処しよう」

 

 

今なら食べながら眠れる自信はあっても、起きておく自信は少ない。

空いている席に向かいあって座り、注文する。窓際なら気持ちよさそうだが、夏の日差しを受けてまで食べるのはちょっと勘弁。

 

「そう言えば、麒麟さんは量子科学について随分とお詳しいですね」

 

「ん?そうか?―――まぁ、暇だったから本を読んで学んだ・・・なんだ、その顔は」

 

「あ、いえ・・・その、意外だったものですから・・・・・」

 

心底意外だというように、小夜音は驚いている。

 

「小夜音が俺をどういう目で見てるかよく分かった・・・」

 

じーっ

 

「ですから・・・その・・・・申し訳ありません」

 

小夜音は誠心誠意、謝る。

きっと、小夜音にとって俺を見かけで判断したことは痛恨なんだろう。

 

「くくくっ・・・・良いさ、中々お目に掛かれそうにない小夜音も見られたしな」

 

「き、麒麟さん!私を担いだのですね!」

 

顔を紅くしてあたふたしながらも拗ねたように怒る小夜音は、これもまた可愛い。

もっとも・・・そうそう見られるようなものじゃないだろうが、

 

「そう言ってくれるな・・・傷ついたのは本当だしな」

 

「もうっ!・・・知りません!」

 

「ははははは・・・・小夜音の可愛い姿を見られたところで、話を戻すか」

 

注文の品はまだ少し掛かりそうだしな。

 

「本を読むか、畑を耕すか、剣を振るかしなかない生活をここしばらくしてたからな」

 

「そうですか・・・・まるで、世捨て人のようですわね」

 

「大して変わらないが、あれはあれで楽しいぞ。大地を耕すことで、剣を振るだけでは見えてこないことも見えてくるからな。よければ小夜音もどうだ?」

 

「私は遠慮しておきますわ・・・してみたいという気持ちはあるのですが、今の私にはまだ早すぎますから」

 

「小夜音みたいに若くて可愛い盛りの子にさせることもでないか」

 

「お褒めの言葉、ありがとうございます」

 

流石。若くて可愛いというところをまったく否定しないからな。

それだけ自信があり、自信の裏にはそのための努力があるのだろう。

うーむ・・・・思わず、惚れてしまいそうだ・・・。

 

「・・・麒麟さんは剣の修行を怠ってはおられないのですね」

 

「それは小夜音も同じだろう?」

 

俺達レベルになると、剣の鍛錬を欠かすほうが気持ち悪くなる。

剣を振るばかりが鍛錬でもない。古流剣術というのは、禅を精神修養に取り入れるだけではなく、日常の起居動作の中にあらゆる剣術の動作を仕込んでいる。

有名なのは正座で、武士の正座は基本的に爪先を立てていつでも立ち上がれるようにしていた。これにより、瞬時の抜刀で有事に対応できるようにしていた。

 

「勿論ですけれども、麒麟さんは早朝から鍛錬をされているようでしたから」

 

「何だ・・・見てたのか?」

 

「一度だけですが」

 

「剣を振るよりも、何もしていない時間の方が長い変な鍛錬だがな」

 

無空の境地へ至るために、基礎の剣を振るう以外、俺は剣を振らない。

後はただ脇に刀を置き、沈思黙考。瞑想し、三昧へ至るだけ。

 

「剣禅・・・なのでしょうか?」

 

「いや・・・何と言うか・・・現代風に言うならイメージトレーニングだな。色々な相手、獲物を想定して何度も繰り返している・・・相手が居ないから、こうするしかないんだが」

 

「イメージトレーニング・・・・」

 

「別に大したこともでないからな。拍子抜けしたろう?」

 

現代のスポーツ科学においては、実に当たり前のことだ。

ただ、その必要性をかつての武術家は連綿を続けてきている。

他に鍛錬と言えば歩くぐらいだ。型の稽古も重要だろうが、もうここまでくるとあまり意味を成さない。

 

「・・・しかし」

 

「?」

 

「何が悲しくて、昼食がくるまでの間に可愛い子と席を挟んでこんな色気のない話をせにゃならんのか・・・・」

 

「ふふっ・・・でしたら、もう少し色気のある話題をお願いしますね・・・」

 

それはもう、できることなら。

 

 

「そうだなぁ・・・・小夜音は、俺が悪魔だと言ったら信じるか?」

 

「随分と脈絡の無い内容ですわね・・・・・信じるか否かで聞かれれば否でしょう。私はそういった存在をあまり信じてはいませんから」

 

『偏倚立方体』のようなオーパーツや散花蝕のような現象そのものが異常な現象が連続して発生しようとも、小夜音は根底にあるものを揺るがされていない。

これがりっちゃんや蔵人なら、本当にそうかもしれないと信じ込ますのも楽なんだが。

 

「今度は、担がれるわけにいきませんわ・・・」

 

「そういうわけでもないんだが・・・例えばだ。俺がたった今気まぐれを起こす。この実験に真逆の意図を持ち込んだら一体どうなってしまうのか、とな」

 

「・・・・・・・」

 

「本当に『デミウルゴス』は世界の運命を改変する力があるのか?その改変結果は真実、精神昂揚能力者の望む方向性なのか?仮にそうだとして、願ったものは一体どこまで実現することができるのか?正直、俺はこの実験においてその辺の興味が尽きない

無論、俺は科学者ではないからデータなど必要ない。要は俺自身を納得させる答えがあればそれでいい。そのために、一つの意図としてやってみるのも一興ではないか、とな」

 

「・・・本気で仰っているのですか?」

 

「言ったろう。例えば、と・・・ただ、可能性は0じゃない。それは俺だけではなく、実験の当事者である俺達8人全員に言えることだ。魔がさした、自分を支えるものを失った・・・人間なんてものはどれほど修養を積もうが、心なんていう不完全なものを持ち続ける限りそんな危険を孕んでいる」

 

「それでも、それを止めるのもまた人なのでしょう。例えばの話が現実のものとなったときに何が起きるのかは、あえて聞きませんが・・・・私も可能性が0ではない身として気をつけましょう」

 

「そうだな。今のところ、俺にもそんな気はない・・・そんな気はないが、おそらく可能性として一番高いのは俺だ」

 

「麒麟さんが・・・・それが、悪魔ということ・・・?」

 

小夜音は困惑しているようだった。

悪魔というのが、まるで仏教の説法のような存在としてくるとは予想外だった・・・というわけではなく、俺からそれを切り出すことが不思議なのかもしれない。

俺もこんな話をするつもりじゃなかったんだが。

 

「そうだな・・・俺には、歯止めがない。畑を耕し、本を読み、剣を振るう・・・それだけの生活を送っていなければ、容易く均衡を失う。俺には白衣や黒衣のように互いに背中合わせの存在もなければ、蔵人やりっちゃん、冬芽のように純粋に何かをすることもない

別にこの世界で生きることが苦痛というわけでもないんだが、同時にそこまで執着があるわけでもないんだ。あまり今回みたいな実験に向いてない」

 

「でしたら、どうして・・・?」

 

「この実験に参加しているのか・・・か?」

 

小夜音は黙って頷く。

 

「さて、どうしてなんだろうな・・・引き受けはしたが、最初はそこまで乗り気でもなかった。あんまりこういうことに関わりたくなかったっていうのもある。ただ、今のここはそこそこ居心地が良い。強い奴も居る。成長が楽しみな奴ばかりで、それ以上にみんな良い奴だ・・・可愛い子も多いしな」

 

付き合いの良い小夜音は、最後のところで少しだけ笑ってくれる。

 

「その上で、何故と聞かれれば・・・・俺は探しているんだ。もう一度、俺という魔剣を振るう理由を。今の俺には、それが世界を救うことと同義になってる」

 

キリスト教で言うところの神の愛(アガペー)は事物に対する存在(エッセ)の付与によって表される。

だが、人はそれでも足りないのだ。今度は存在に理由を見出さなければ生きる力を持つことができない。

可笑しなことだ。人は、神の愛だけでは生きていけない。

 

複雑そうにして言葉を捜している小夜音。

何か言葉が欲しくて言ったわけではない。ただ、つらつらとくだらない胸の内を明かしただけだ。

俺の悩みは、誰の悩みにもならない。面白くもない。

それでも、考えている小夜音は俺には微笑ましい。俺には、そんなことをする時間も、相手もなかったから。

 

「そうだ・・・面白いことを思いついた」

 

「・・・なんだか、とても碌でもないことのような気が・・・」

 

最近一緒にいるせいか、小夜音が信綱に付き合わされるときの蔵人のような顔をする。

 

「なに、“月瀬の総帥”にとっては良い話だ」

「・・・それは、“そういう類の話”ということでしょうか?」

 

できた娘なものだ。顔色を変えずに話してくる。

 

「まぁな・・・俺の見立ててでヤバイのは、俺、小夜音、信綱、圭・・・・」

「順当なところですわね。その内、互いの素性を大凡分かっているのは私と麒麟さん・・・おそらく、麒麟さんであれば圭さんの正体にも勘付いていらっしゃるでしょう?」

「一応、な。剣士としては小夜音寄りだが、総合的に見ると圭寄りの人間だからな・・・今のところはそうでもないが、後は黒衣と冬芽ぐらいか」

 

この場合、伊織もバリバリのこっち側だが本人が意識していないからな。

黒衣は本人も気付いていない。冬芽にしてもそれは同じ。蔵人とりっちゃんはパンピーだ。

・・・パンピーは死語じゃないよな?

 

「黒衣さんも・・・ですか?」

「んー・・・黒衣はあまり気にするな。多分、害はない。本人も気付いてないし」

 

つうか、気付かれると困る。

 

「細かいことはさておいて。ここは素直に互いの手の内を晒す・・・・というわけにもいかないだろう?」

「そうですわね」

 

正直な話、俺と小夜音ではバックボーンが違うのだ。

冷戦下のCIAとKGBと言うわけではないが、仲良く手に手を取り合ってというわけにもいかない。

世界滅亡の危機にというが、逆に言えば世界滅亡を引き起こす敵が誰かということを考えてしまえばそれも無理からぬことだったりする。人間の敵は常に人間だ。

 

「俺は、プレロマでの戦いを存外気に入ってる」

「意外ですわね。私や信綱さんのように“滾る”ような人には思えませんでしたが・・・?」

「最初はな。それに、これはこれで俺にとってちゃんとメリットがあることだからだ」

 

俺という魔剣にとって、これは生きがいでもある。

『連中』を覆滅するために磨かれた業の数々。そして、それを磨いた理由のためにも。

 

「それで、それと今までの話の関係は奈辺にあるのでしょうか?」

「小夜音、俺と戦い敗北したら俺の女になれ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・は、はぁ?」

 

自分でも何を言っているんだか、と笑いがこみ上げてくる。

しかし、口にした言葉は取り消せず、続きを噤む気もない。

 

「な、何を言い出すのですか―――!」

「これは冗談じゃないぞ」

「冗談でなければ何だと言うのですか―――!」

 

憤慨極まれりながら、怒る姿もしっかり優雅だが・・・ずいぶん、微笑ましい。

 

「発破をかけただけ・・・とういのと、俺個人として小夜音と男女の仲という意味でのお付き合いをしたい願望からだ」

「っ――――!!!」

 

顔を赤くしたり、蒼くしたり、実に忙しい小夜音。

俺にとっては実に微笑ましい光景を、頼んだ料理を持ってきてくれたスタッフは怪訝そうにしつつ、礼を言うと大人しく下がってくれた。

 

ちょうど腹の減ったところに、美味そうな料理。

箸を持とうとしたところで、小夜音がようやく落ち着きを取り戻してきた。

 

 

「・・・麒麟さんの考えは全く読めませんが、私が勝てば問題はない。そういうことですわね?」

 

うん、おにーさんは頭の良い子は好きだぞ。

 

「おふこーす―――ここからが、小夜音にとってのメリットだ」

「私にとってのメリット?―――私が勝てば、麒麟さんが望みを何でも答えてくださるとでも仰るつもりですか?」

 

あれ?

 

「当たらずとも遠からず。小夜音が俺に勝てば、俺がどこの何者で、何を目的にしているか、聞かれれば全部答える―――望むなら、まぁ、恥ずかしいが女性遍歴からその日のパンツの色まで―――」

「冗談は結構です!」

「―――後半は冗談にしても、条件としては悪くないと思わないか?」

「・・・・・微妙なところですわ」

 

意外に博打はしないらしい。本当に意外だ。

要するに勝てば良いのだ。短い付き合いだが、小夜音ならそう言うと思っていた。

 

 

「何だか、私に分の悪い内容ではありませんか?」

「そうか?」

「女性を我が物にする条件に対しての見返りにしては、という意味ですわ」

「むっ・・・・」

 

言われてみればそうか・・・?

しかし、これ以上の条件は出しようがないんだが・・・。

 

「・・・小夜音がよければ、俺の体を自由にしても―――」

「そ、そ、そんな破廉恥なこと!―――私にはできません!!」

 

俺のフォークに刺さっているトマトと同じくらい真っ赤になった小夜音は見事に墓穴を掘った。

 

「ハ・レ・ン・チ〜?―――おやおや、一体何を想像しちゃったのかなぁ〜?」

「なぁっ―――!!?」

「まぁ、小夜音ちゃんもお年頃だからねぇ〜〜〜」

 

自分でも噴き出してしまいそうな、白々しさ。

他の女性陣なら軽く受け流すところを、反応してしまうのが小夜音の可愛いところか。

 

・・・あ、他の女性陣も反応は微妙か。

 

小夜音も反応は面白いが・・・・・・

 

 

「―――いいですわ」

 

敵中に孤立した武人のように、悲壮さよりも猛々しさを感じる所作。

小夜音からは、ひしひしと嫌な覚悟が伝わってくる。

 

「そこまで仰るようでしたら、お望みどおり麒麟さんを私の奴隷にして差し上げますわ・・・」

 

人、それをヤケクソと呼ぶ。

 

「それじゃあ、契約成立な」

「・・・・・・あぁ」

 

売り言葉に買い言葉。

後悔先に立たず。

色々負けてしまった感を漂わせている小夜音は、お疲れの様子で食事に箸を伸ばし始めた。

 

 

 

「うげっ―――麒麟・・・」

「こんにちは・・・・」

 

それが第一声か、黒衣。

お姉ちゃんを見習え。

 

「なんだ、二人もテストを受けなかったのか?」

「受けたわよ!何のためにアンタに教えてもらったと思うのよ・・・っ!」

「冗談に決まってるだろう。俺もあれだけ教えて試験を受けなかったら、流石に落ち込むぞ」

 

というか、最初に先生を務めた俺にお礼を言うのが筋じゃないのか?

 

「・・あの・・・・昨日は・・ありがとう・・ございました・・・・」

「ああ。何とかなりそうか?」

「まぁ・・ね・・・」

「・・ぇと・・・はい・・・」

 

そこで揃って目線を逸らすなよ・・・。

と、今度は女の子四人を侍らせ―――もとい、引き連れた(どちらにしてもあまり変わらない気はするが)蔵人が食堂に入ってきた。

小夜音が目立つせいか、五人はすぐにこっちへ来る。

慣れはしたが、下手をすると1km先に居ても判別できそうな小夜音のドレス姿。何も言うつもりはない。言ったところで、小夜音もどうこうするつもりはないだろうし。

 

 

「よう、みんな試験を受けに行ったのか?」

 

銘々、挨拶する中、今日のトピックスを早速聞いてくる蔵人。

 

「小夜音以外は、な」

「なんだ、小夜音は受けなかったのか?」

「ええ、折角免除していただけるとのことでしたから、お休みさせていただきましたわ。そういう蔵人さん達も受けなかったようですわね」

 

蔵人、冬芽、りっちゃん、遊、伊織を順番に見ると誰も否定しない。

しかし、こうして見ると珍妙な取り合わせだよな。

 

「「どうせ、受けても補習だし」」

「あははは・・・・・」

「この開き直りが蔵人と六花ちゃんらしいんだろうけどねぇ・・・ふふっ」

「・・・・・・・」

 

冬芽は乾いた笑い、圭は肩を竦め、伊織は何か言いたそうにしている。伊織は頼むからそのまま何も言うな。絶対にりっちゃんが落ち込むようなことを言うはずだから。

 

「それで、試験を受けずに大人数で何をやってたんだ?」

「ユメがお願いして、天壇を作っていただいていました」

「祭壇・・・・?」

 

眉間に皺が寄る。

 

「天壇というと、四方を鳥居で囲んだアレのことですか?」

「はい、よくご存知ですね。祭主様が送ってくだったのですが、ユメ一人では組み立てることができなかったものですから」

「ぷっ・・・・」

 

ヤバい。冬芽が一人で齷齪天壇を作っているのを想像したらツボに入った。

 

「こらこら、麒麟。何を想像したのか大体分かるが、笑ってはダメだよ」

「それは分かってるんだが・・・」

「え?え?え?―――ユメは何か面白いことを言いましたか?」

「あは☆きっとユメちゃんの可愛いところを想像してニヤニヤしてるんだよ!」

 

・・・・お前らはエスパーか!

 

「・・・で、この暑い中、天壇を作ってたのか?あんな大層なものを、というか、どこに作るスペースが?」

「ああ、それは思ったんだが・・・」

「それがですね・・・可愛いいサイズのなんですよ」

 

可愛い?

どんな天壇だよ。グルーピーみたいなキャピキャピ(死語)のピンクピンクした天壇か?

刀伎直の祭主様もやるな・・・・。

 

「可愛い・・・」

「何を想像したのか知らないけれど、組み立て式の簡単なものだよ」

「何か、すっごく有り難味がなくなるんだけど、それ」

「黒衣と同意見・・・なんだ、その通販みたいな天壇は」

「なんだ、と言われてもなぁ」

「うん」

 

やはり、刀伎直の祭主は侮り難い。本当に通販の商品じゃないだろうな。

 

「でも・・・その・・天壇は・・できたんです・・か・・・・?」

「いいえ、鳥居に塗った塗料が乾くまで待たなくてはいけないんです」

「そういうこと。時間も時間だからな、その間に昼飯でも食おうと思って来たんだよ」

「そうか」

 

 

―――くいっくいっ

 

 

「ん?どうした、白衣」

「あの・・天壇・・って・・・なんですか・・・・・?」

 

白衣に聞かれて、少し考える。

 

「ふむ、天壇というのはだな―――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

他の協力者と同じ部屋とは思えない調度品の数々が並ぶ小夜音の部屋。

リネンの真白なテーブルクロスに覆われたテーブルで差向いに座る小夜音と圭。

 

自分と“同じ側の人間”(財団のエージェント)である圭に、昨夜の潜入報告するため、部屋へ招いていた。

 

 

「さて、急なお招き・・・急ぎ働きでもなさいましたか?」

「・・・どこでそんな言葉を。大体、私は盗賊ではありませんわよ」

 

現代で言う押し込み強盗―――つまり、強盗殺人と言われ小夜音は怒るよりも、その語句に呆れ果てる。

 

「サムライに興味が出てきましてね。ちょっと時代劇小説というものを読んでいるのですが・・・どうやら現代の言葉じゃなかったようですね」

「はあ・・・とりあえず、座ってお待ちになってください。今、軽くお昼をご用意しますから」

 

食堂に来たばかりの圭を、食べ終わりかけていた小夜音が誘う。

食べ損ねた圭へ食事を用意するのが筋だった。

 

「ふふっ、すみませんね・・・おねだりしてしまって」

「構いませんわ。頭の中を少々整理したかったところですし、お誘いしたのは私ですから」

「おやおや・・・僕のお昼ごはんは片手間ですか。せめて、焦がさないでくれると嬉しいな」

「ふふっ、努力だけは致しますわ」

 

完璧主義者の小夜音に限ってそんな失敗はあるはずもなく、圭に諧謔に余裕で応える。

醜悪な権力闘争の世界に属する二人にとってこうしたテンポの会話は楽しむべきものだった。

 

 

 

「御馳走さまでした。流石・・・小夜音さんは何を作っても卒がないですね」

 

圭は小夜音の用意した中華風のチキンサンドを平らげると、ナプキンで軽く指先を拭い、紅茶のカップに手を伸ばす。

 

「手は抜いておりませんから」

「一応、歓待はされているようで・・・それを聞いてひと安心です」

 

先刻の麒麟と同様に、同じ側の人間で同じ組織の息が掛かっていても、小夜音と圭は絶対の信頼をおける仲間同士ではない。

事前の指示においては、報告を受けるまでは無用の接触は避けよとの指示まで受けている。

“財団”(ファウンデーション)という繋がりはあっても、二人の属する組織は異なるが故の不便。

 

 

―――聖竜騎士公(セント・ゲオルギウス)修道会・熟練者(アデプト)、圭=ブラッファルド=小鳥遊

 

キリスト教七騎士の一人にして、竜殺しの伝説を持つ聖人。

おそらくは表向き無名に近いながら、偉大な聖人の名を持つ―――魔術結社。

それが、圭の属する“組織”。

表面上はあくまで宗教団体でありながら、その中枢においては魔術結社であるという欧米の秘密結社の典型である。熟練者である圭はこの組織の中枢に位置する大幹部である。

 

小夜音は初めてそのことを明かされた時に、属する組織はともかく位階の高さに驚きつつも納得した。

圭の持つ魔力と技量、そして深い洞察力はその地位に相応しいが、若さと実力は妬みの感情にとって格好の標的となる。熟練者でありながら、僻地で諜報活動のエージェントさせられているのは組織内における政治的な駆け引きの結果だった。

 

 

―――第二十三代月瀬家総帥、月瀬小夜音

 

偉大な剣豪の血統―――おそらく、誰もが一度は耳にしたことのある新陰流の後継者。

ある時から、ぱったりと歴史の表舞台から姿を消してしまった一族。

その二十三代目の総帥が小夜音だった。勿論、総帥の地位は半ば飾りであり、今も健在である両親が院政を敷いているのが実情である。

残念というべきか、小夜音以外の子を成すことのできなかったため、女性でありながら総帥の地位にあるが、小夜音には新陰流の後継者としての才能は十二分に備わっていた。

 

 

「ええ・・・昨夜、亡くなった疋田博士の個人研究室(コンパートメント)へ潜入しました」

「流石に、行動が早いですね・・・それで、何か収穫はありましたか?」

「可能性のありそうなものを全て持ち出せればそれが一番楽ですが、まさかそんな訳にはいきませんからね。収穫は極僅かです」

 

そう云うと、小夜音は数枚のプリントアウトを出した。

 

「研究室内の写真、それと疋田博士の端末内・・・物理的にストレージの底を浚って得た実験データの残骸です。どうやら博士はこれを研究所とは無関係な第三者に対して横流しをしていたようです」

 

二人にとってはやはりという事実。

研究の主任自らがその実験データを横流ししていた。

 

「そう・・・少し焦臭くなってきましたね、受信元は判明しているのですか?」

「今、洗い出しを行っていますわ・・・恐らく、辿り着けるだろう、とは解析者の言ですが」

「『交喙機関』である可能性は?」

 

 

―――交喙人文科学振興協議会

 

名前の通りの社団法人。自然科学の研究者に対して人文科学に関するデータ・人材の橋渡しをする機関。

無論、そんな実効性があるのか疑問点が多く、組織として設立しようもなさそうな組織である。

小夜音の調べた限りでは、組織の内容に見合わないほどの政財界との強いパイプを持っている。この時点で疑われるに十分である。

公の研究機関の名を借りた、公にできない人物や団体の交流の場。所謂、公的に抹殺された国粋主義者や、公僕から監視対象となっている宗教―――そして、魔術団体。

 

そして、交喙機関は新東雲にも出資者として名を連ねている。

 

これらの意味することは一つ。

組織の理念は掲げた通りのものであったこと。現代の魔術と本来の魔術のデータと人材の橋渡し。

その結実が、現在二人が関わっている『デミウルゴス』。新東雲の設立に関わり、大規模な魔術を行使しようとする秘密結社―――それが交喙機関の正体。

事実、研究のトップだった疋田泳堂もアビゲイル=マーシュも交喙機関の重要人物だったとされている。

 

もう一つ、交喙機関の設立経緯は驚くほどに散花蝕と一致している。

二人の推測では、交喙機関は散花蝕の発生とその対策のために起こるであろう爆発的な科学進歩を独り占めにすること。そして、おそらく日本国内の有力者が出資しているのも国益のためだろう。

冷静に考えれば、この研究そのものがあり得ないのだ。それも文科省主導=国の認可を得たということが。

 

『超古代の遺物を使い、魔術を組み込んだ、散花蝕に対抗するために世界を改変するための装置の研究・開発』

 

散花蝕という現実。

何より、強い政治的な圧力がなければ到底認められない。

今ですら、理解を得られないだろうということで情報を知らない者のほうが圧倒的に多いのだ。

 

「その可能性は勿論あるでしょうが・・・ですが、それでは何のために出資しているのか解からなくなってしまいますわ」

「出資それ自体がカモフラージュという可能性もあるでしょうが・・・まあ、この場合は違いますかね。何しろ疋田博士は最高責任者だった・・・そこまで隠蔽が必要だったとは考えにくい」

 

最高責任者も一員ならばわざわざ隠蔽などする必要はない。ここまで息が掛かっているならば、逆に疋田泳堂の方が交喙機関以外に情報を流していると考えるべきだろう。

だが、その相手がどうかについても推測しても無駄だろう。情報が少なすぎる。

 

「データは如何ですか?こちらではそれが何らかの実験データであることは解かるのですが・・・内容はまったくと言っていいほど見当がつかないのです」

 

プリントアウトはデジタルデータに変換され一見すると奇妙な数字の羅列にしか見えない。

だが、それだけならば於雪が暗号を解読すれば事足りる。

 

「なるほど・・・こいつは確かに解からないでしょうね」

 

圭は眼を細めて、仔細を追うように見詰めている。

 

「・・・魔術絡みですか?ですがそれは―――」

 

デジタルデータである、と言いかけた小夜音を圭は目線で「わかっている」と制した。

 

「これは、デジタルな変換を行われる前に、魔術的な変換が行われているデータです。このままではカードの中から正解を引くことはできない・・・デジタルデータを頂けますか?僕から本部へ解析を依頼します」

 

流石の圭も仕組みは分かっても解析まではできない。圭はあくまで魔術師であって、科学者ではない。

 

「ではこちらを。コピーは存在しませんわ」

「承知しました。あんまり本部にはデータを漏らしたくないんですけどねぇ・・・一応コネは使ってみますが」

 

圭がプリントアウトを睨めつけると、突然紙の端から炎が上がり、程無く総て灰になる。五秒後には灰も残さず空気中に消えた。

 

「その力を使うと、随分と証拠隠滅も簡単そうですわね」

「そうでもないですよ、これ。結構精神力を使うんですよ・・・ちょっとした手品を使うにはリスクが高すぎる・・・そうそう。

次に潜入することがもしあるなら、本棚の書籍を調べてみて下さい・・・写真を見るところ、割りと興味の持てそうなものが置いてありそうだ」

「紙の書籍をですか?」

 

言われて写真を見れば、確かに本棚には書籍が並べられている。

優先順位が低いせいか、気にもかけなかった。

 

「この写真からだと書名は解かりませんが、恐らく今回の実験に使われている教理書もいくつか有るはずです」

「何ですって!?」

「これに関しては僕も独自に動いてみますよ・・・巧くすれば観影先生にお願いして拝見することができるかもしれませんし。そこに置かれたままになっているということは、研究員たちがそれが重要だと思っていない・・・もしくはもう一つの可能性でしょうからね」

 

失態に色めく小夜音を窘めるように圭が言う。

 

「そのまま置かれている・・・ということは、そこには重要な情報がない、という意味だと判断していたのですが・・・迂闊でしたわ。ですが、もう一つの可能性というのは何ですの?」

「小夜音さんは悪くありませんよ。恐らく、この書籍には幾ばくかの魔力が宿っている・・・その内容に触れようとする者を、書籍が選ぶのです。それがもう一つの可能性です」

「本が、人を選ぶのですか?」

 

魔術を目にしても、何となく納得がいかない小夜音。

 

「そう。本に選ばれなかった人間は、そこに本があることにすら気付かないのです・・・小夜音さんは気づいた。だが、他の研究者は気づかなかった。だから、重要な本であるにも関わらず、その本はそこに置かれているのです」

「そして私は、置かれているが故にその本を手に取らなかった・・・」

「そういうことです。キツネに摘ままれたような話かもしれませんが、まあ・・・それが真実ですから」

 

おそらくは、そこまで計算に入れていたのだろう。疋田泳堂は。

そうでもなければこれだけの綱渡りのプロジェクトを牽引してはいけなかっただろう。

 

「・・・とりあえず、そいのデータの解析をお願いしますわ」

「了解です・・・まだ冬芽ちゃん達に呼ばれるまでには少し時間がありそうだ。僕の勘が正しければこのデータは“当たり”だろうから、今から行ってきますよ」

「・・・いえ、時間があるならもう少しよろしいでしょうか?」

「ええ、構いませんが」

 

小夜音ならばデータ解析を優先するかと思っていた圭は意外さを感じる。

椅子に座りなおし、話を聞く体勢を整える。

 

「それで、小夜音さんの悩みは・・・・まさか、蔵人との恋の悩みじゃありませんよね?」

「もう、茶化さないでください・・・まったくの無関係とは言いませんが・・・・」

「おや・・・それは聞かないわけにはいかないかな」

 

慌てふためきながらも“仕事”の顔に戻ろうとする小夜音に、圭も“仕事”へ戻る。

 

「麒麟さん・・・・いえ、静峯麒麟の正体についてです」

「・・・麒麟の正体・・か?」

 

圭も気にかけていなかったわけではない。

そもそもが自分達とは年の離れた麒麟がこの学校へ入学するだけでもおかしすぎる。小夜音のドレス姿など瑣末なほどに。もはや、彼が入学するだけでも何らかの政治的圧力があったとしか思えない。

『残滓』との戦いで見せた実戦経験から来る準備や、高い技量に裏打ちされた剣技は剣豪と呼ぶに相応しい。そして、両立するように量子力学や魔術に関する豊富な知識。

 

ここまでくれば、麒麟が自分達と同じエージェントであることは間違いない。

だが、それとなく探っても彼が『財団』のエージェントである痕跡はなかった。

 

 

「小夜音さんは何か知っていることは・・・?」

「・・・圭さんは、神祇御留流という流派を・・・ご存知ありませんわね」

「サムライの世界は、ちょっとね」

 

圭の専門はあくまで魔術とその周辺について。

 

「神祇御留流というのは、剣術の流派なのですが正確には・・・現代で言うところの総合武術の流派です」

「総合武術?」

「剣に限らず、槍、長刀、弓、鎖鎌、小太刀などあらゆる武器を扱い、素手の技術も磨くことをそう呼びます。かつての流派のほとんどがこうした総合武術だったのですが、江戸時代に入り剣術がメインとなることでほとんどが廃れしまいました」

 

現代に残っていても、細分化されてしまい、教えのほとんどが失われてしまっている。

 

「神祇御留流は今も総合武術を、恐らく完全な形で残す流派の一つと言われています」

「小夜音さんにしては、随分と伝聞の多い内容ですね」

「仕方ありません。流派の名前についている“御留”というのは門外不出という意味があります」

「なるほど・・・つまり、その流派は、僕らの魔術のように自分達の技を隠匿している、と」

 

―――神祇御留流

神祇とは、日本の神である天津神と国津神を表す。

御留とは、門外不出を意味する。

 

「日本の神の秘技―――ですか。魔術師の僕が言うのも何ですが、随分と大それた名前だ・・・麒麟がその神祇御留流の遣い手だと、小夜音さんは思っているんですか?」

「ええ・・・麒麟さんは他の流派を名乗っているようですが、私の情報網からはそういう答えが導き出されています。一説によれば、あらゆる剣術流派の奥義を使う最強の戦闘集団とも」

「小夜音さんが言うと、実感がありますね」

 

月瀬一族も裏社会で最強の戦闘集団の一角として挙げられる。

かと言って、日本には日本なりの強さの序列があり、その中では神祇御留流が最強らしい。

 

「でも、小夜音さんがそこまで知っているなら、正体について考える必要はないと思いますけど?」

「御冗談はよしてください・・・」

「・・・すみません。今のは僕のほうが悪い答えでした」

 

日本最強の戦闘集団の一員が、何の目的で、どのような組織を背景としてこの実験に参加しているのか。

言い換えるならば、麒麟が敵である可能性が十分にある。

 

「靜峯家は元々秘密主義ですから、情報を得るのは困難ですし、麒麟さんは自分から話してくださらないでしょうし」

「まあ、僕のほうでも彼のことは調べてみましたけど・・・こちら側の人間であるということぐらいしか解かりませんでしたから」

「ですから――――」

 

やや恥じらいを含みながら、食堂でのやり取りを掻い摘んで話す。

 

「・・・・・・・」

「・・・あの、圭さん・・・?」

「はっ・・・・あ、あまりの話の展開に少し混乱してしまいました・・・正直言って、莫迦としか言いようがありません、ね」

「うっ・・・虎穴に入らずんば虎児を得ず、と思ったのですが、やはり早計だったようですわね・・・」

 

その実力を知る者は居ないに等しい伝説の神祇御留流の剣士。

小夜音も月瀬の総帥として負けるつもりはないが、片鱗を見せている麒麟の実力は信綱に比肩する、と思っている。

万が一を考えると、麒麟の術中に嵌ったと言えなくもない。

 

「要は勝てば良いのです、とは今回言わないんですね」

「意地悪ですわね・・・私も、そのつもりですわ。ただ、気にかかることがあります」

「・・・勝負とは別のことで、ですか?」

「関係の有無は解かりかねますわ・・・ただ、何故か麒麟さんは私たちの動きをどこかで掴んでいるような節がありました」

 

圭の表情が曇る。今にも舌打ちをしかねないほどに。

 

「僕らのどこからか、情報が漏れている?」

「お互い、結社の末端に居るものです。まさかとは思いますが・・・・」

「単純に、小夜音さんのストーカーをしているだけもしれませんけどね」

「そういう冗談はやめてくださいと何度言えば・・・・」

 

曇りを払うように冗談を言う圭は立ち上がる。

 

「僕から言えることは、信綱と同じように彼は敵にも味方にもなる相手だろう、ということぐらいですね―――それでは、そろそろ僕は行きますよ。ごちそうさまでした」

「ええ、お願いします」

 

パタン、とドアの閉まる音を聞いた小夜音は流しの皿を洗おうとして、ふと立ち止まる。

自分は、蔵人に惹かれている。間違いなく一目惚れだ。

蔵人は間違いなく強くなる。今現在では、紙一重でありながら隔絶した差はある。しかし、蔵人はその差を踏み越えてくると、小夜音は確信していた。

自分より強い男でなければ夫にしないという誓いを、一目惚れをした男なら叶えてくれる。

 

しかし、さっきの会話から麒麟の影が―――眼が脳裏にちらつく。

 

自分や信綱に匹敵する戦闘能力を持つだろう、麒麟。

信綱が何かの思惑を持ってはいるものの、純粋にプレロマの闘争を楽しんでいるのに対して、麒麟はデミウルゴスを用いた破滅すら想像し、期待さえ抱いている。

信綱が陽であれば、麒麟は陰。

 

―――俺は探しているんだ。もう一度、俺という魔剣を振るう理由を。

 

その言葉が悪魔めいた彼と、相反していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――これは夢だ。

 

 

「・・・のう、坊」

 

腫れ上がり、節くれ、捩じれてさえいる手が頭の上に置かれる。

 

「今、儂が産もうとしておる刀はの・・・インチキじゃ」

「インチキ?鍛冶部(かぬちべ)の爺の刀が?」

「おうよ・・・儂の刀には、連綿と続く技も、時間が作り上げた伝統も、古来より培われた美意識もありゃせん」

 

確かに、目の前の作刀過程にそれらはない。

炉の火を燃やすための火種、材木。

熱を閉じ籠める炉そのものの構造。

打ちつけるための鎚と鉄床。

ただの鉄を鍛えるために幾多にも及ぶ手順を配し、芸術的に刀を生み出す。

 

人はその匠を刀匠と呼び、名匠の生み出す刀を名刀と呼ぶ。

 

 

「儂はそんなものは要らん。地位も名誉も要らん。ましてや、刀に銘を刻むなど以ての外」

 

 

だが、爺と俺の前には、炉も鉄床も槌も、水受けも何もない。

刀を作るのに必要と思われる全ての道具が存在しない。

 

機械がある。

それも町工場の油染みのついた汚い工作機械ではない。

半導体製造工場と言えば誰もが信じるほどの最新鋭の精密工作機械が並ぶ。

それが、鍛冶部の爺の工房だった。

 

幾千、幾万の刀匠が試行錯誤を繰り返し、時には親兄弟を切り捨ててまで辿り着いた心魂の一振り。

磨き抜かれ、鍛え抜かれ、原石から零れ落ちたダイアモンドのように、長い年月を抱かれてたった一粒だけが存在を許される真珠のように、結実した技術の結晶。

 

人は結果ではなく、その過程にもまた強く惹かれ、神聖さを覚える。

匠が神域と呼ばれるに至るまでの修羅の道。

 

鍛冶部の爺はその美意識を、過程を、時間を嘲笑うようにそれらを“科学”で踏み躙った。

 

 

―――つまらん、自己陶酔は儂以外の全てでやっておればよい

 

 

刀の素材が鉄でなければならないと決めた者はいない。

必ず伝統的な技法が最高の傑作を生み出すわけがない。

 

虚飾に彩られた技法ではなく、真なる刀を創造する。

 

折れず、曲がらず。断てぬものはない。

物理的に有り得ない日本刀の神話。

その実、三人も斬れば血と脂で鈍刀に成り下がる、脆弱な武器。

 

 

「刀にはの、機能美があれば良い・・・斬って、斬って、斬って―――斬り尽す。剣客であれば、魅入られ、手に取り斬らずにおれん―――それが、儂の目指す刀」

 

 

爺にとって、己の()が妖刀と呼ばれることは無上の喜び。

 

「爺――俺の刀は、星を斬れるか?」

 

現代科学の粋を集めた玉鋼が精製されるのを見ながら、俺は訊ねた。

 

「ハァッ!ハーーーッハハハハ――――っ!」

 

爺は呵呵大笑。

 

「星か、坊っ!」

「ああ、俺の力と、爺の刀があれば星は斬れるか?」

「おうさっ!!爺に任せておけっ!―――そうか、そうか!坊は、星を斬る男になるかぁっ!」

 

子供だった俺なんか、比べものにならないほどガキのようにはしゃぐ老人。

爺の眼に宿る光は観たこともないほど純粋に輝いていた。

ビー玉を見た幼子のように。念願を果たした大人のように。

 

きっと、鍛冶部の爺は己と不可分である刀匠としての終着点を見つけた。

俺はこのときに気付けなかった。

姉上以外で、まともに話すことのできた爺が何をするつもりだったのか。

 

「坊が星を斬る男になるのならば、儂も共に斬りたいものじゃのぅ・・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時々思うことがないわけではない。

協力者である若人の中における、俺のポジションという奴だ。

 

「つまり、なんだ・・・俺と麒麟のポジションが実は被ってるんじゃねぇ、と言いたいわけか?」

「つまりも、何もそういうことだ」

「あー・・・まぁ、言われてみればそうかもなぁ・・・・」

 

いつも変らぬ見た目がまともではない(優作談)信綱は腕組・胡坐でうんうん唸る。

 

「基本的に俺らは年上っていうポジションは被ってるが、キャラがちげーだろ?」

「いや、俺がお前ほどド変態ではないことを除けば、割りとキャラが近いと思うぞ」

「ど、ド変態・・・お前は俺を何だと―――っ」

「だから、ドへんた―――」

「わーった!わーーったから、それ以上みなまで言うなっ!ったく!」

 

悪態をつきながら、それでもニヤニヤ笑いをやめない。

この辺がド変態たる由縁なんだが。

 

「・・・その、いかにもさっさと認めちまえよみたいな顔はやめてくれ」

「そんな顔を、してたか?」

「ああ、これぞベスト・オブ・ヘンタイって感じの顔だったぜ」

「莫迦を言うな、ムッツリを旨とする俺がそんな顔を晒すわけがない」

「そこで言い切るのかよっ!」

 

当たり前だ。

 

「谷崎潤一郎も言ってるだろう?」

「チラリズムのことか?」

「・・・もっと高尚に陰影礼讃と言えよ」

「同じことだろうが、男はもっと素直にストレートにだな・・・」

「莫迦者。そこを、秘するのが浪漫だと、観阿弥だって言ってる」

「おおう、確かに・・・」

 

言ってませんよ、本当は。

このペースだと幽玄もマズイ方向へ行きそうだ。

 

 

「・・・アンタ達、人の部屋で何莫迦なこと話してるのよ・・・っ!!」

 

ついに耐え切れず、部屋の主である黒衣が爆発した。

隣で俯いて、頭から煙を出している白衣。黒衣も心なしか顔が赤い。

 

「だから、ポジションが被ってるっていう話をだな・・・」

「途中からただのエロ話だったじゃないのよっ!!」

「これだから、お子様は・・・あれはエロじゃなくてだな、アートなんだよ、アート!」

 

いや、どの辺がアートなのかは俺も突っ込めないぞ、信綱。

 

「ああもう!アートか何だか知らないけど、そういう話をするなら余所でやりなさいよ!!私達は明日も試験があるんだから邪魔しないでよっ!!」

「いや、俺も明日は試験を受けるんだが・・・・」

「そんなの知らないわよっ!」

「・・・・強ぇっ」

 

まったくだ。

仁王立ちで吼える黒衣に、何故か納得してしまう。

ちょいちょいっ、と指で白衣へ合図。

 

「・・・・?」

 

「(そろそろ黒衣を宥めてやってくれ)」

 

 

と、そんな感じのジェスチャー。

白衣は・・・・何のことか、分ってない・・・仕方ないか。

 

 

「まぁ、落ち着け黒衣。そんなに興奮すると覚えた人名を忘れるぞ?」

「だ・れ・の・せ・い・よ・・っ!!」

「そう言うなって。地歴公民系のテストの正しい暗記方法を教えるから」

「・・・それは・・・ちょっと、聞きたいです・・・・」

「っう」

「そういうことだ、黒衣も座って大人しく聞くように・・・」

 

白衣が言うと素直に聞くのは、黒衣の美点なのか。微妙なところだな。

信綱にも、あまり黒衣をからかうなという意味を込めて小突いておく。

 

 

「・・・本来、地歴公民の暗記なんてものは対して難しいものじゃない。コツを掴めば、大体80点は取れるようにできてる」

「「「え〜〜〜!」」」

「信じてなさそうな声は禁止・・・とまぁ、黒衣と白衣がそう言いたくなる気持ちも解からないでもないが・・・」

 

一先ず、リアクションを無視されて拗ねる信綱はシカトする。

 

「なんでだよ・・っ!」

「別に可愛くもなんともないし」

「ぐはっ!」

 

付き合ってられるわけがないだろう。野郎の拗ねた姿になんぞ。

 

「何でかと言うとな、テストを作る教師も人間だってことだ・・・」

「「???」」

「テストと言っても、年に何回もあるわけで、しかも毎年ある。加えて研究員が兼任でやってるここみたいなところだと、いかに楽で簡単なテスト作りをするかが肝になる」

「・・・世知辛い話だよな」

「そう言うな・・・教師だって人間なんだ。仕事なんてしたくないし、遊びたいし、美味い物食いたいし、あわよくば女の子とデートしたいし・・・欲望の赴くまま生きてみたいだろう」

「・・・そ、それを否定するつもりはないけど、ストレート過ぎでしょう」

 

妙なところで潔癖な。

 

「教師の行動や思考はこの際うっちゃってだ・・・楽に問題を作ろうとするなら、必ずこの形式になる・・・」

 

白衣からシャーペンとノートを借りて書き込む。

基本の線を一本、縦に書く。その線へ均等な間隔で丸を入れる。

そして、その丸から線を一本伸ばし、更にその線から何本か伸ばしてその先にも丸を入れる。

これを幾つか書いて、終わり。

 

 

「はは〜ん、なるほどな」

 

信綱は解かったらしい。

 

「二人はどうだ?」

「よく意味が解からないんだけど・・・」

「・・私も・・です・・・」

「そうか。それも今から説明するから大丈夫だ」

 

ここで解かられたら俺、いらなくなるしな。

 

「簡単に言うとだ、中心の線が問題用紙だとする」

「ふんふん」

「で、丸の中身が問題になる・・・」

「・・・ぁの・・もしかして・・問題・・作るのを・・・毎回・・・・少しずつ動かして・・・決めてるんです・・か・・・?」

「お、鋭いな、白衣。その通り」

「え〜〜〜〜っ!!それってありなのーっ!」

 

不満そうだな。

だが、現実なんてものは得てしてそうだ。

おおよその試験は万事がこういう感じだ。特に、範囲が一定で重要なポイントが常に限られ、しかも文字や数字を変えても別の問題にすることができない地歴公民系は顕著になっている。

 

「実際、こんなもんじゃ学力は計れないし、それ以外の能力も計れない・・・だから、欧米の学校だと授業の内容に応じて生徒にレポートを課す」

 

かく言う海外でも、ヒトラーを実在の人物と思ってない子供が増えているらしいから学力問題はアレだな。

 

「それも微妙よね」

「でも・・・私は・・レポートのほうが・・・いいかも・・・・」

「うっ・・・そりゃ、お姉ちゃんみたいにコツコツやるならレポートのほうがいいだろうけどさ・・・」

「豆粒娘のくせに、狙いは万馬券か?」

「うっさいわねーっ!豆粒言うな・・っ!」

 

お前ら・・・人の話聞くつもりあるのか?

 

 

「話を戻すぞ・・・要は、この丸―――スロットに入る単語さえ暗記しておけば良い」

「・・・でも・・それでも・・・覚える量が・・・多いです・・・」

「実はそうでもない・・・スロットに入る単語は関連がある。というか、一つの文章にできるようになってる」

 

例えば、象形文字解読の鍵となったロゼッタストーンを解読したシャンポリオン。

範囲に入れば、この文章の鍵となる象形文字・ロゼッタストーン・シャンポリオンのどれか一つは出てくる。

 

「そしてだ、使われないスロットの単語と言うのは問題の文章に使われる。最終的に答えが分からなくても、スロットの使われていない単語を入れれば正解になるし、問題がどのスロットなのかを解く鍵になる」

「・・・でもさ、そのスロットの中身はどうするのよ?」

「それは自分で考えろ・・・」

「それじゃ意味ないじゃないっ!」

 

これぐらい自分で考えないなら、そもそもテスト勉強とは言わない。

 

「聞いて損した気分よ・・っ!」

「く、黒衣ちゃん・・・・」

「まぁまぁ、だが、今の麒麟の話もそう悪いことばかりじゃないだろう?」

「なーんでよ」

「世の中ってのはな、勉強がどれくらいできるとか、運動がどれくらいできるとか、っていうのより大事なことがある・・・どれだけ人より楽になれる方法を知ってるかだ」

 

割と真面目な顔をして、白衣の淹れてくれたお茶を啜りながら信綱は話を続ける。

二人も滅多に見れそうにもない信綱の真面目な顔に呑まれて耳を傾ける。

 

「人より楽して生きる・・・人間ってのは、そのために勉強してんだ。麒麟みたいに手っ取り早い方法ってのがあるなら、やるべきだと俺は思うがな」

「・・・それ・・・矛盾してない?」

「いや・・・そう思うところが浅はかなとこだな・・・楽ってのは時間の問題じゃない。感覚の問題だ。物事が上手く運べば気分が良いし、反対ならイライラするだろう?―――そういうことのための、楽だ」

 

なんか、良いこと言ってて信綱らしくない。

 

「お前らは、俺や麒麟とは違って四六時中剣のことを考えてわるわけじゃねぇ。だったら、そんなちょっと生活を豊かにするツールとして、考えてみるのも悪くないだろう・・・?」

「・・・はい・・・・」

「言いたいことは分かるけど・・・アンタに言われると、なーんか騙されてるような気がするのよねぇ」

「一言多いっての・・っ!」

 

文句を言いながら、信綱は笑う。黒衣も本気で言ってるわけでもない。

心地よい範囲での応酬。

思わず、頬が緩む。

 

 

「ま、今日は俺がスロットに入りそうなものは教えてやるから覚えるのは努力することだな」

「仕方無いか・・・・あ〜あ、どっかに見ただけで覚える凄い脳って落ちてないかなぁ・・・」

「・・・黒衣ちゃん・・・それはちょっと・・・」

「ってか、そんなの落ちてるほうが嫌だっつぅーの」

「確かに・・しかも、落ちてたとしてどうするつもりだよ」

 

脳みそだぞ、脳みそ。まさか取り換えるのか?

 

「そんなの決まってるじゃない・・・食べんのよ」

 

は?

 

「「「・・・・・・」」」

 

黒衣を除いた三人の心がシンクロした。

心持、黒衣から離れ強面のヤ●ザと視線がかちあったときのように目線を逸らす。

 

――ほ、本気か!?

 

と、そんな感じで。本気と書いて「マジ」と読む勢いで一つよろしく。

 

 

「じょ、冗談に決まってるじゃない!!そんな真に受けないでよ・・・っ!!」

「・・・わ、私は・・黒衣ちゃんをそんなことに育てた覚えは・・・ありませんっ!」

 

叫んだはずの黒衣よりも、意を決した白衣の声のほうがはっきりと伝わった。

この前黒衣を圧倒した威圧感が背後からゴゴゴゴゴと立ち上る。

 

「こえ〜っ・・・」

 

「いや、だから、お姉ちゃん・・・っ!?」

「・・・そこに・・・座ってちょうだい・・・」

「は、はい・・・って、そうじゃくて―――っ!」

 

恐るべし白衣のお姉ちゃんパワー・・・無意識に黒衣を従わせるとは・・・。

姉というものは、どこでも強いものというのは正しいな。

 

「ちょっ、そこの二人もニヤついてないで助けなさいよっ!」

「黒衣ちゃん聞いてるの・・・っ!」

「う、うん!聞いてるっ!聞いてるからっ!」

 

「ぷっ・・・」

「くっ・・・・」

 

笑うな、信綱。笑ったら負けだぞ!

吹きだしたのはセーフだ。黒に近いグレー。推定無罪だ。

だが、ここにはダブルジョパディーはない。二度でも、三度でも有罪にされることだってある。

 

だから、笑うのだけは、ダメだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜。

日が落ちた後。用事があると言って退散した信綱はいなくなったが、白衣の料理を御馳走になって部屋に戻った。明日の試験の対策は教えたので、後は自分で努力するだけだ。

 

あれで、双子の姉妹のくせに性格が違い、勉強に対する取り組みの姿勢も違う。

すぐに問題を投げる黒衣と、問題を抱え過ぎてドツボに嵌る白衣。頼むから足して二で割って欲しい。

 

外見はメーカーの大量生産品を装いながら、サイズに収まる最高レベルまでカリカリにチューンされたノートPCは衛星を介して転送されてくる情報と、内部協力者(スリーパー)から送られてきたフラッシュメモリ内の情報を暗号解析にかける。

 

 

「・・・・なるほど、ね」

 

サブモニターに表示されているのは、新東雲に在籍している全ての人間。

そのプロフィール。氏名、生年月日、家族構成、学歴―――ここまでは街の興信所で調べ挙げられる。

犯罪歴、人間関係、金の流れ、インターネットの履歴、メール内容、思想・信条、病歴、遺伝子情報etc

表に出ることのない、本人さえ把握していない情報が逐一チェックされている。

 

同じ、被験者の情報も当然含まれている。

 

 

「脆い・・・脆いな・・・」

 

 

これで人類を救おうというのだから。

しかし、不安定が故に爆発も起こりやすい。その善し悪しは別にして。

 

TRULLLL

TRULLLL

 

 

耳にセットしていたインカムからコール音が鳴る。

スイッチを入れると、相も変わらず勤勉そのものの声音が流れる。

 

『お待たせしました、麒麟様』

「いや、中々の早さだ、西湖・・・それで・・?」

『まず、一つ――――やはり、疋田泳堂は真黒でした』

 

返事はせず、沈黙で先を促す。

 

『システムのメインフレームにバックドアを設けていました』

「そこから情報を流出させていた、と?」

 

なるほど、メインフレームなら誰も気づかない。この場合なら誰もそこにあるなどと思いもしない。

仕掛けることが極めて困難であり、やろうと思えば見つかる確率のほうが遙かに高いからだ。それに、もし仕掛けることが可能とすれば、それは実験の全体を把握し、最も高いセキュリティクリアランスを持つ人間―――疋田泳堂その人になる。

わざわざ自分が全てを知っている内容を外部に流すのは、理屈に合わない。つまり、論理的に有り得ない容疑者が疋田泳堂ということになる。だから、誰もが疋田泳堂しか仕掛けることのできないメインフレームを無意識に除外する。

 

だが、現実にメインフレームへバックドアは仕掛けられた。

 

「流出先は・・・交喙か?」

 

半ばその答えは外れだろうと考えているが、一応確認をとる。

 

『いえ、それは正確性に欠ける解答です』

「・・・どういう意味だ?」

『一から、説明致します――――まず、疋田博士の残した足跡はダミーでした』

「・・・アビゲイル=マーシュが本命か・・・」

 

くそっ、裏をかかれたか。

 

「流石はデミウルゴスの設計者か・・・マーシュ博士の端末が不正アクセスを行い、その記録をそっくりそのまま疋田博士へ移したということか」

『はい。解析したところ、おそらくこれは“発覚しても問題ない”情報流出だったと考えられます』

「理由は?」

『不正アクセスの流出先・・・つまり、疋田博士の端末から流出した情報は交喙機関の本部でした。彼が交喙機関の者である限り、情報流出は予定のことだったと考えます』

 

いかにスポンサーであっても、国家主導のプロジェクトの情報を無断で独占することはできない。

予想の範疇のことだが、少々やり方が大掛かり過ぎる。むしろ、交喙の持つ政治力ならば記録媒体に収めて公然の秘密ということで持ち出すことも不可能ではない。

 

「裏があるんだな」

『・・・本命のデータ、マーシュ博士の端末から流出した情報については、一旦東京の大型IXへ送信され、そこからグアムを経由してシドニーへ。シドニーからニュージーランドを通り・・・チリまで送信されていました』

 

頭の中で太平洋の地図を思い浮かべ、名前の挙がった地名を線で結んでいく。

 

「・・・チリのどこが最終的に受信した?」

『チリ大学です』

「・・・やられたな。データパケットの盗み見」

 

もう、どこの誰かがやったかなど一目瞭然だ。

しかも、かなり拙い相手だ。

 

「マーシュ博士の端末からの情報流出は現在も続いているんだな?」

『はい、ほぼリアルタイムと言っても過言ではありません』

「そうか・・・・やれやれ・・・・・・」

 

溜息が出た。特大のやつが。

正直なところ、やってられない。今回ばかりは敵が一枚も二枚も上手だった。

敵さんにも運が向いてきたとでも言うべきか。

 

「西湖」

『なんでしょうか?』

「超一流の諜報員としてのお前の意見を聞きたい――――この場合、敵の目論見を完全に破壊し、“俺達”が最もメリットを得る方法はなんだ?」

 

既に、俺自身の中でこの問いに関する答えは出ている。

 

『“財団”のような政治的圧力では時間が掛かり過ぎます・・・私が推奨しますのは、横須賀の米海軍ルートで『偏倚立方体』の回収と、一切の消去を実行することです』

 

西湖の回答は俺とほぼ同じだった。

ここまで情報が流出してしまった以上、今更マーシュ博士の端末からの流出を止めて意味がない。

敵にも準備期間が要るだろうから次のセッションは大丈夫でも、その次のセッションは拙い。

 

であれば、だ。

 

実験をできなくしてしまうしかない。

システムの核であるデミウルゴスの『偏倚立方体』を奪う。

そして、実験の詳細を知るプロジェクトのスタッフ。協力者であるアプリフティワン。それらを全員殺害する―――もしくは、薬物と刷り込みによる記憶操作を施し、監視下に置く。どちらにしても、交喙機関を叩くための材料として大がかりな爆発事故を起こし、社会的に死んだことになってもらうが。

 

ハード・ソフトの両面から、実験を継続できなくしてしまうために。

 

交喙の設立から13年をかけた計画だ。再開するのも困難極まる。

これで敵の打てる手はしばらくなくなる。

 

蔵人や小夜音なんかは抵抗しそうだが、そのために軍隊を投入する。米海軍がダメでも、ドイツのゲルマン騎士団お抱えの戦闘部隊『人狼』を派遣してもらう手もある。

剣を持った相手は得意でも、重火器を装備したプロを相手にした経験はない。それでは、一人、二人は斬れても後が続かない。

 

 

 

「・・・・この情報は俺以外の誰かに伝えたか?」

『いいえ。私――ひいては風間一族の雇い主は、麒麟様だけです』

「ならいい・・・この情報はしばらく誰にも漏らすな。特に輝―――将軍には漏らすな・・・あれに知れたら、本気で東京湾を火の海にしかねん」

 

何せ、“あの”足利将軍家の末裔だ

 

『了解致しました―――ですが、実験データの解析については続行致します』

「ああ、頼んだ。それではな」

『はい』

 

返事を聞いて、すぐにインカムのスイッチを切った。

 

西湖の声は最後まで変わらなかったが、“甘い”選択をした俺をどう思ってることやら。

俺は人類とやらにとって、一番リスクの少ない選択肢を選ばなかった。人類と実験参加者の命を天秤に掛けた、と言っても過言ではない。

だが、そもそも人類を救うことにそんなに熱心ではない俺をこの任務に宛がった輝の責任でもある。言い逃れではなく。

 

 

少し鬱陶しいインカムを外し、サブモニターへもう一度眼をやる。

 

丸目蔵人。

觀興寺六花。

月瀬小夜音。

中条白衣と黒衣。

疋田伊織。

上泉信綱。

 

圭=ブラッファルド=小鳥遊

刀伎直冬芽。

伊集院観影。

 

 

今回、Nは当然として、水蛇の王、旧神も関わってきてる。

集められた人間は知ってか、知らずか、誰かの息が掛かっている。

 

まだ、俺達の知らないピースが一個、どこかに隠されている気がしてならない。

それは俺にとっての言い訳かもしれない。

俺という魔剣を振るうための理由が見つかりそうなこの場所をまだ失わないための。俺は、そのためなら人類を犠牲にするぐらい、やってのける。きっとそういう人間だ。

 

それでいい。

俺は、靜峯の宗主になると決めたときからそういう生き方をすると選んだのだから。

 

 

「なぁ、“全能にして白痴の王”―――アンタは、このゲームをどう感じてる?」

 

きっと、感じるという概念もないだろうが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「麒麟さん、ご飯食べよ〜!ご飯、ごっ飯〜〜〜っ!」

 

 

扉の向こうから・・・・無暗矢鱈と元気で威勢の良い声が聞こえる・・・。もう誰かを考えるまでもなくりっちゃんなわけだが・・・。

時計を見ると、確かにそんな時間だ。全員のプロフィールを見ている内に面白くなって完徹したらしい・・・まぁ、早朝鍛練も同時進行でやっていたので、いつもと変わらないと言えば変わらない。

 

ドアを開けると、そこには案の定いつもの三人―――りっちゃん、蔵人、冬芽の三人が居た。

 

「・・・おはよう、りっちゃん、蔵人、冬芽」

「おはよ、麒麟さん」

「お早うございます!」

「おはようさん・・・」

 

順に挨拶していると、蔵人と目が合った。

 

(お前もか・・・)

(ああ、俺も起こされた・・・)

 

と、アイコンタクト。

別に悪いことじゃないんだが、こう微妙に釈然としない。

 

「飯だな・・・着替えてくるからちょっと待っててくれ・・・」

 

箪笥を漁る・・・・困った。

長袖の服が、ない・・・しまった、ここの処慌ただしくて、まとめて洗濯するつもだったのを忘れてた。

 

「麒麟さーん・・・?」

「ん・・・ああ、すぐに行く」

 

仕方ない。あんまり気持ちの良いもんでもないが、長袖以外の服にするか・・・。

腕の傷ぐらいなら、そんなに目立たないだろうと期待して。

 

 

 

 

 

「じゃあ、いっただっきまーす☆」

 

トレイに載せられるだけ載せた朝食に、りっちゃんが嬉々として箸を伸ばす。

 

「りっちゃんは何時ものこととして、たまには自炊しないのか?」

「考えなくもないんだが・・・・なにしろ、美味すぎなんだよ。ここの朝飯は。これじゃ自分で作ろうなんて気が更々起こらなくなる」

 

その気持ちは分かるが、流されすぎじゃないか?

 

「あはっ、蔵人さん、それは贅沢過ぎる悩みだね」

「でも、本当に美味しいですからね」

 

そりゃ、プロの作る飯だからな。

別に俺も自炊を強要するつもりはないしな。

 

「あ、お早うございます・・みなさん・・・・」

「お、白衣。おはよう・・・何と言うか、食堂で二人を見るのは珍しいというか、初めてだな」

「そう言えば、二人は普段食堂に来ないよな」

 

白衣があれだけ作れれば、食堂に来る必要もないか。

 

「お米・・・切らしちゃいまして・・・・」

「それに、今日は試験だから・・・今朝の薔薇の世話はお休み」

「ああ、なるほどね」

 

食堂の開く前に薔薇の世話に行かなくて済むし、何より米が切れたのではどうしようもない。

 

「本当はお姉ちゃんの作るご飯のほうが美味しいんだけどね・・・」

「へえ・・・白衣ちゃんってお料理上手なんだ〜」

「いえ・・・それほどでも、ない・・・です」

「まあまあ、ご謙遜ですねっ」

「ぅぅ・・・」

 

白衣がテレテレしてる・・・。可愛いからいいけど

 

「ま、たまには私達と一緒にご飯食べようよ♪」

「え、まあ、良いけど・・・・」

 

そんなわけで朝から大所帯の朝食タイムが始まった。

 

 

 

「そう言えば麒麟さんもお料理がとてもお上手なんですよっ」

「ぃっ・・!?」

 

何故、そこで俺の話が出てくるんだ冬芽!?

 

「「「「ええっ・・・!?」」」」

 

しかも、何故そこで驚くんだお前ら!

 

「麒麟さんって、料理できたの!?」

「まぁ・・・人並みには、な」

「さらっと言いやがりましたね・・・それだと料理ができない私は人並み以下ってことですかっ!」

「そんなことは知らん・・・・りっちゃん、料理できないのか?」

「ほら、麒麟・・・そこは聞かないのが、優しさってやつじゃない・・・もう遅いだろうけど」

 

「良いんです、料理なんてできなくたって人は生きていけるんです、ほらこんなにここの料理は美味しいじゃないですか、コンビニにだってご飯はあるんです、そうです、良いんです、男の麒麟さんが料理ができて、しかも上手だからって私は全然負けてないんです、というか料理のできるできないなんて人生にとって小さないことで、私の言ってることは決して負け惜しみなんかじゃないもん!」

 

りっちゃん・・・痛々しいって、それは。

 

「・・・っていうか、冬芽はいつ食べたんだよ」

 

りっちゃんのお兄ちゃんは、厳しくも放置プレイ。

 

「一昨日の夜に、伊織さんと一緒にお願いして作っていただいたんですよ」

「先輩と?・・・意外の連続だな、何時の間に仲良くなったんだ?」

「自然とだ、自然と。飯を作る話だって、口約束を信じた伊織に押し切られただけだ」

 

まさか、『残滓』退治の後におさんどんするなんて思ってもみなかった。

しかも、あれはつまみ用の材料で拵えたもので料理というのは厳しいもんだが。

 

「でも・・・それで、作ってあげるなんて麒麟さんも優しいですよね」

 

あ、立ち直った。

 

「お願いされて、鼻の下でも伸ばしながら作ってたんじゃないの?」

「なんだ、麒麟に作ってもらった先輩と冬芽に妬いてるのか、黒衣?」

 

莫迦、蔵人・・・余計なことを。

 

「だ、だ、だ、誰が妬くのよっ!」

「とか言いながら、顔を赤くするところが怪しいにゃ〜〜☆」

 

立ち直ったどころか、急に活き活きし始めたなりっちゃん。

 

「うっ、うっさいわね!赤くなんてなってないわよっ!」

「いえ、でも、黒衣さんの顔は確かに・・・」

「ええいっ!冬芽まで・・・・私に味方はいないわけっ!?麒麟も黙ってないで、何とか言いなさいよ!」

「・・・何をだよ」

 

ここで俺が言えることなんて何もないと思うんだが。

 

「妬いてもらえると嬉しい・・・と?」

「えっ、ちょっ、ちょっと何言ってのよっ!」

「麒麟さん・・・・」

 

あ、なんか墓穴掘ったか?

 

「ひゅーひゅー!いよっ、朝から熱いねぇ☆」

「あー・・・俺はもう知らないからな・・・」

「えっと、えっと・・・・お幸せに・・・と言うんでしょうか、こういう場合は?」

 

冬芽、それは絶望的に違うぞ。

 

「まぁ、俺なんかじゃ、二人とは釣り合わんだろう?あんまりそういうことを言うもんじゃない」

「そ、そんなこと・・・ないと、思います・・・」

「・・・白衣・・・そう思ってもらえるのはありがたいんだがなぁ」

「うーん・・・青春ですね」

「だな」

 

そこで勝手に納得するな。

しかも、蔵人のような天然モテ系男に言われるとそこはかとなく腹が立つ。

 

「ですが、黒衣さんも白衣さんも麒麟さんのことをお嫌いというわけではないんですよね?」

「そりゃ、まぁ・・・嫌いだったら近づかないわよ」

「麒麟さん・・・優しい・・ですから・・・」

「そういうことは本人の居ないところでやってくれよ・・・」

 

俺の呟きは華麗に無視された。

 

「ま、こういうのは外野がアレコレ言うもんもでないか・・・」

「もう、蔵人さんはそうやってすぐに綺麗なまとめ方しようとするんだから!」

「いや、りっちゃんは混ぜっ返し過ぎだと思うんだが・・・」

 

まったくだ。

 

 

 

 

 

 

「あ、蔵人さんは今日何か予定ある?」

 

妙な方向に流れかけた話が打ち切られ、朝食が終わりかけた頃りっちゃんが口火を切った。

 

「俺?特にないかな・・・ちょい鍛練でもするかなってくらいか」

「じゃあ、買い物行こうよ!午後で良いから」

「ああ、別に構わないけど」

「じゃあ、ユメちゃんはOKだから、麒麟さんは?」

「俺?・・・・まぁ、いいか。別に問題ないな、試験が終わってからになるが」

 

プロフィールは既にざっと目を通した。

西湖の情報で俺の仕事というのは半ば終わったようなものだ。後は好きにするだけだしな。

 

「あ・・あの、午後だったら・・私も、行って・・・いいですか・・・・?」

「えっ・・・あ、わたしも行くわよっ・・・」

「もっちろん!テスト何時間目までだっけ?」

「四時間目だな」

「そっか。じゃ、四時間目終わったら校門まで迎えに行くよ」

「はい、ありがとうございます」

 

しかし、東京巡りに興味がないって言ってた割りには嫌に積極的だな。

どういう心境の変化なのか。単純に試験の憂さ晴らしに出かけるつもりか。

 

「ま、これを励みにバッチリ試験頑張って来い、黒衣」

「んなっ・・・なんで私だけに言うのよ・・・」

「そりゃお前・・・白衣が試験でコケとは思えないし・・・なあ?」

「えっ・・・いえっ、私も・・・そんなに、頭・・・良くないですから・・・」

 

というよりも、単純に二人とも要領が悪いだけなんだが。十分に頭の回転は良いんだから。

 

「ま、折角勉強を教えたんだ・・・それなりの結果が出ないと、俺も阿呆の仲間入りだな」

「ふふっ・・・麒麟さんに教わったのなら、きっと大丈夫ですよ」

 

その根拠はどこから?

 

「まったく、良いわよね・・・ユメは試験無くてさ・・・」

「えと、それでしたら今からでも試験をお受けになるのをおやめになれば良いんですよ・・・きっと夏休みの補習授業も楽しいですよ」

「・・・え、遠慮しておくわ」

 

補習を楽しいと言える冬芽に完敗だな、これは。

俺は、込み上げる失笑を抑えることができなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ、麒麟・・・何か、すっごく機嫌悪そうだけど、何かあったの?」

 

試験が終わり、合流した黒衣の第一声がそれだった。

ダメだな。顔に出して黒衣に読まれるようだと。

 

「試験・・・ダメだったんですか・・・?」

「いや・・・そうじゃなくてだな・・・人の話を聞こうとしない、莫迦な子を叱ってやりたくてな」

「何それ?」

「まぁ、すぐに解かる・・・ああ、腹が立つ・・・」

 

何がどうという理屈じゃない。俺が、絶対に許せないことに触れたからだ。

許せん、許せん、許せん、許せん、許せん、許せん、許せん、許せん、許せん。

何度繰り返しても足りない。

 

「ちょっ、麒麟っ!」

「麒麟さんっ!」

「あ・・・」

 

気付けば、俺は組んだ腕を爪で引っ掻いて皮膚を破っていた。

元々、古傷だからけで盛り上がった肉は簡単に新たな傷を作る。

 

「大丈夫だ・・・痛くはない」

「そうじゃなくて、血まで出てるじゃない・・・ああもうっ!」

「て、手当しないと・・・」

 

言いながら、白衣と黒衣は片腕ずつ自分のハンカチで血を拭ってくれる。

 

「あ、あれ・・・?もう、血が止まってる?」

「だから、大丈夫だって、言っただろう・・・」

 

二人のおかげで少し気持ちが落ち着いてきた。

血の止まった腕を上げて、二人の頭をワシワシと撫でてやる。

 

「ありがとう・・な・・・・」

 

俺は、有無を言わせない礼を口にした。ズルイと知りながら。

訝しみながら、二人は何も言えなくなった。俺が作った“壁”を二人がどう思うか・・・解からないでもないが、今の俺はこうするしかない。

 

 

「・・・おーいっ!」

 

 

迎えに来るはずが、待たせる格好になったりっちゃんが走ってくる。暑い中元気だ。

 

「ちょっと、遅いじゃない・・・」

「ごめん、ごめん・・・ちょっと色々あってさ」

「あの・・・ユメちゃんは・・・?」

「・・・天津甕星を喚起して、『残滓』を呼び出したな」

 

俺の苦り切った声に、りっちゃんがこれでもかというほど驚いた顔をしてこっちを向く。

 

「もしかして・・・麒麟さんも、圭さんやイセコちゃんみたいに感じたの?」

「ああ・・・あの莫迦娘は。自滅だけはするなと忠告しただろうに・・・」

「・・・だから、さっきから機嫌が悪かったんだ」

「でも・・・そんなに、危険なことなんですか・・・?」

「危険かどうかで言えば、魔術なんてものはどれも危険だが・・・・」

 

堪え切れず、頭をガシガシと掻く。

 

「剣術と同じだ。冬芽はわざと精神的な隙を作って敵を誘い込んだ・・・もし一歩でも間違えれば、その隙に乗じて冬芽の精神は天津甕星に乗っ取られて―――崩壊してた」

 

むしろ、崩壊で済めば良いほうだ。

三人には言えないが、最悪の場合崩壊した精神のまま傀儡となって敵に回っていた。そうなれば、もう手の施しようがない。殺さなくてはならない。

 

 

三人共一斉に息を飲む。

 

 

「それを、あの莫迦は・・・・」

「でも、ユメちゃんだって・・・・・」

「違うんだりっちゃん・・・相手は、天津甕星。星神の一柱・・・つまりは、“神”だ。冬芽がいくら優れた術者でも、桁が違う。よく考えなくても、最初から人間が魔術でどうこうできる相手ではないんだ」

「あ・・・・」

 

冬芽の巫覡としての才能は屈指だろうが、未熟の範疇であり、経験も浅い。

そんな冬芽がやるには無謀に過ぎる。失敗の確率が100%の儀式など、してはならない。

 

「・・・麒麟さんは・・ユメちゃんのことが・・・・心配なんですね・・・」

「むっ・・・・」

「・・・だったら、素直にそう言えばいいのに。素直じゃないんだから」

「誰も、心配してないとは言ってないだろう。それに・・・」

 

言いかけて口を噤む。ここから先は余計なことか。

 

「それに――――続きは何ですか・・・?」

「いや、何でもない・・・心配するから腹が立つ。俺にしても、りっちゃんにしても、何でも一人で抱え込んでやろうとする冬芽のこと、放っておけないだろう?」

「え、あ・・・うん、そうですね」

 

俺が続きを言いたくないことを察してくれたのかどうかは分からないが、りっちゃんは頷いた。

多分、前者だろう。この子だって、人の機微は分かって当然なのだから。

 

「今度会ったら・・・」

「「「会ったら?」」」」

 

・・・何故、そこでハモる。

 

「・・デコピンでもして、叱ってやるさ」

 

 

あの子を、姉上と同じような末路を辿らせないためにも。

 

 

 

 

 

 

「で、冬芽は外に出れそうにないのか?」

「うん、お買い物には行けそうにもないけど、寝てれば治るらしいから。なんか、悔しがってたよ」

 

悔しいというか、そういうものか?損な性分をしてるな、相変わらず。

 

「それは、自業自得よね」

 

激しく同意だ。

 

「あはは、まあね〜♪お買い物リストと財布を託されちゃった」

「・・・ネコばばするなよ、りっちゃん」

「し、失礼ですねぇーっ!そんなことするわけないじゃないですかっ!」

 

だったら、そこであからさまに明後日の方向を見るのはなぜ?

 

「りっちゃん、そういうことは俺の目を見て言おうな?」

「AHAHAHAHA,私ノ心ノ目デ麒麟サンノ目ヲ見テマスヨ?」

「いや、全力で怪しいからさ・・・」

「うぇーんっ!二人が私を虐めるよ、白衣ちゃーんっ!」

「あぁわわわわわ・・・・」

「こらっ!勝手にお姉ちゃんに抱きつくなぁーーっ!」

 

賑やかな。

女三人で姦しいという字は正しいな。うん。

 

「りっちゃんが、ネコばばするか、くすねるかはさておき―――」

「麒麟さん・・・それ・・・意味が、同じ・・です」

 

白衣に突っ込まれた・・・悔しくなんかないぞ。

 

「これに懲りて、自重してくれるといいんだがな」

「そうだね〜」

 

「んじゃまぁ、アタシ達だけでパーーッと行きますか!試験も終わったしね!」

「確かにな・・・補習を免れるかどうかはさておき」

「一言多いわよ・・・」

「俺が教えたんだ・・・そんなことがあるはずない」

 

あったら、証拠隠滅を図ってやる。

 

「まぁまぁ、良いじゃないですか。テストが終わった後の遊びは学生の醍醐味なんですから」

 

むっ、なるほどな。りっちゃんの言うことは真理だ。

 

「・・・・そう言えば、蔵人はどうした?」

「ぁ・・そう言えば・・・」

「居ない、わね・・・」

 

今の今までさっぱり気付かなかったが・・・二人もか。

本人に自覚ないだろうがアレだけキャラが濃いくせに、微妙な存在感だよなアイツ。

 

「麒麟さん、麒麟さん・・・それを思っちゃーっ、おしめぇですって」

「・・・そこ、人の心を勝手に読まない」

「イヤン☆読んじゃったっ♪」

 

何が嬉しいのか、教えてくれ・・・。

 

「蔵人さんは、ユメちゃんに付き添うからパスなんだって・・・ユメちゃんは遠慮してたけど」

「奴らしいな・・・・」

 

何だかんだで放っておけなくなるタイプ。

本人は全く気付かないが、モテル典型的なタイプだ。

 

 

 

 

「・・・麒麟、大所帯だな」

 

その時丁度、校舎の方から伊織がやってきた。

・・・できれば、所帯っていう表現はやめてほしいんだが。

 

 

「ん、伊織も帰りか?」

「ああ・・・昨日も午後から手伝っただけだ」

 

なるほど。

 

「だったら、試験明けだな・・・一緒に遊びに行かないか?」

「・・・遊びに?」

「ああ、それ良いね。伊織先輩とはあまりお話したことなかったし」

 

りっちゃんや蔵人だとあまり伊織と接点はないか。というよりも、行動原理が自己完結してしまっている伊織とでは何かしらのきっかけがないと話をする機会も作ることができない。

 

「別に構わないが・・・」

 

戸惑ってる、戸惑ってる。

それとなく、こういうときはどうしたら良いのかをアイコンタクトで求めてくる。だが、俺はあえてそれを気付いていても、相手にしないようにする。

 

 

「なら、行こうか・・・白衣と黒江も構わないな?」

「あ・・はい・・・」

「あたしは面白ければ何でも良いわ・・・」

 

黒衣は素直じゃないな・・・まぁ、素直な黒衣というのも想像し難くなりつつあるが、

 

「私、面白い・・・?」

 

自分を指差して、言った黒衣へ伊織は尋ねる。

 

「いや、そう聞かれると返答に困るわね・・・・っていうか、そういう意味で言ったんじゃないしね」

 

真面目に考えかけて、それは違うことに気付いた黒衣は疲れたように言った。

これは、伊織に軍配だな。ナチュラルな辺りがポイント高し。

 

 

新東雲と外部を結ぶほぼ唯一の手段である臨海線に揺られながら台場へ向かう。

いつも思うが、この臨海線は本当に採算が取れているのか。怪しいものだ。俺達協力者にしても、運賃は一応払っているが後払い式で清算され、最終的には国の税金で賄われている。

考えても仕方ないのだが、こうしてほぼ貸切状態の車両に乗っているとついつい考えてしまう。

 

 

「なぁ、二人や伊織は島の外に結構出かけるのか?」

「あれ?麒麟さんは何で私には聞かないの?」

「何でって・・・外へ行く時は大体一緒か、誰かと行くって俺や蔵人に報告してるだろう?」

「うっ・・・言われてみれば・・・」

 

何も言うことはナイデス、とりっちゃんはシオシオになる。

 

「私達は・・あまり・・・」

「私もあまり・・・ほとんどコンビニで用が足りてしまうし・・・・ただ、服を買う時だけは出かけるな」

「なるほど・・」

 

一々、外に出なくても普段の生活に不便を感じないようになってるか。

娯楽が少ないのは欠点だが、そこは創意工夫か。それに、俺らは遊び呆けている場合でもない。

 

「みんなどういう事情かは分からないけど、剣の稽古とか勉強ばっかりしてた人が多そうだし・・・そんなものじゃないかな」

「そうかもな・・・」

 

言わなくても、それがどんなものなのか知らない奴はこの場に居ない。

 

駅に降り立つと、生温く、炭酸の抜けたソーダのような空気が俺達を出迎えてくれた。

新東雲も暑いが、都心から離れているおかげでヒートアイランドに巻き込まれず、程よく海風も吹くからそれなりに涼をとることはできる。

 

だが、この東京の暑さは半端ではない。

こうなるとまだ海に近く人が少ない台場より先には行きたいなどとは思わない。

この前に黒衣が言っていたように、大して東京に憧れがないのも加わって台場のショッピングモールで手を打つ。

 

それでも、あれだ。

―――暑いものは、暑いのだ。

 

 

「あっついわね〜・・・あ、あそこのソフトクリームを食べようよ!ソフトクリーム!」

「あ、いいねっ!行くよクロちゃんっ!」

「その云い方は犬みたいだからやめれ〜っ!」

 

はしゃぎながら、りっちゃんと黒衣は張り出しになっているソフトクリームの店へ入っていく。

 

「元気だな、あいつらは・・・」

 

走ったら、余計暑いだろう。

 

 

「ふふっ、そうですね・・・私達も、いきましょ?」

 

こういうとき、白衣は黒衣のお姉ちゃんなんだなーと思う。

 

「ソフトクリーム・・・・」

「まさか、ソフトクリームは洋食だからダメとか言うなよ・・・?」

「・・・ソフトクリームはソフトクリームだから、大好きだ」

「・・・・行くか」

「ふふっ・・・」

 

伊織の自分ルールには、敵わんなぁ・・・。

 

「はぁ、おいし・・・・」

 

全員ソフトクリームを買って、近くの日陰のあるベンチに腰掛けた。

黒衣がうっとりするように、中々美味しいソフトクリームだ。

 

「ねぇ黒衣ちゃん・・・マーブルってなんか損した気にならない?」

 

りっちゃんは苺ソフト。言われた黒衣はチョコとバニラのマーブルソフト。

 

「へ?なんで・・・一度に三度美味しいじゃない。三つ味が楽しめるんだよ?」

「いやでも、こー、何と言うか、一種類を食べる量が1/3になるというか・・・」

「・・・そういうのは人生損しやすい考えかたなんじゃないかって、思うけど」

「ぬぬ・・・わたし、人生損してる?」

「まあ、六花は六花で・・・苺味をあたしの3倍味わってるんだから、それは一向に構わないんじゃない?」

 

つーか、この二人は何を真面目にそんなことを話してるんだ?

 

「ふーむ、黒衣ちゃんは年に似合わずクールじゃのう・・・」

「な、なにババ臭いこと言ってるのよ・・・一歳しか違わないでしょうが、あたしらは」

「・・・・俺は一歳じゃないんだが」

「私もだ・・・」

「いや、ここで言う二人はさ・・・あたしと六花なんだけど」

「む・・・そうか・・・・」

 

俺だって、年齢差を気にしないわけではない。実際、学年以上に離れているわけだしな。

 

「でも、黒衣ちゃんと一歳しか違わないのにそう感じるってことは、私が子供っぽいってことなのかな?」

 

体型が?―――と心に思ってもいけない。

 

「六花がそう思うんなら、そうなんじゃない?」

「じゃあ、そう思わなければ問題ないって事だね?なら、問題なしっ!」

「何故かしら・・・急に問題があるような気がしてきたわ・・・沸々と」

「えーーっ、どっちなのよぅ・・・」

「いや、そういうところが問題なんじゃないかって・・・」

「ふふっ・・・二人とも、そんなことで真剣に悩まなくても・・・」

 

あえて俺からは何も言うまい。

でも、りっちゃんにとっては子供っぽいってのはあまり褒め言葉じゃないらしいな。大人っていうのはそう価値のあるもんでもないが。

 

「・・・黒衣はクールなのか。覚えたわ」

「待って先輩!変な誤解だけはしないでっ・・・・てか、あたしは先輩にクールだって言われる覚えはないわよ!」

「・・・なぜ?」

 

伊織は、マジで聞き返す。

もぐもぐ。

 

「いや、何故っても、クールの見本みたいな先輩にそんなこと言われても、あたしが困るわよ」

「私は、クールか?」

「・・・自覚、無いんだ」

「無いが・・・クールと無口の違いは何だ?」

「え・・・さあ、でも先輩は無口て言うのとは違うわよね?」

「違うのか?」

「無口ってのは、もっとこう・・・・もっと・・・・ぁぁぁああ、そんな説明できるか〜〜!」

 

と、黒衣とばっちり、しっかり目が合った。

 

「面倒だかr―――」

「いや、俺は食べるのに忙しい・・・もぐもぐ」

「まだ何も言ってないじゃないっ!いや、実際そうだけど!」

「・・・っていうかっ!麒麟さん、そのソフトクリーム、さっきの巨峰味じゃないような気がするんですけどっ!?」

「そうだが?・・・ああ、ちなみにこれは西都マンゴー味だそうだ」

 

どーでもいい話でいやに盛り上がっていたので、食べるのに集中したんだが、ダメだったのか?

 

「・・・べ、別にあんたがソフトクリームを好きなのは分かったから、後はお願いしとくわ」

 

だから、食べるのに忙しいというのに。

 

「無口っていうのは、自分から発言しないとか、発言しても言葉が極端に少ないとかそういうのじゃないのか?」

「先輩は、自分から発言なさいますし・・・質問を聞き返したりなさいますから、一般的な無口とは・・・」

「むしろ無口っていうなら、白衣の方かもしれないな・・・」

 

基本的にコミュニケーションのきっかけは黒衣だし、最初に会った時のことを考えると。

 

「え・・・私、ですか・・・そう、でしょうか・・・・・」

 

白衣は顔を真っ赤にして俯いてしまう。いや、なんでだ?

リアクションとしてはかなり間違ってると思うんだが?無口が恥ずかしいとは思えないが。

 

「ちょっと、お姉ちゃんは別に無口じゃないわよ!?」

「そうか・・・そうなのか・・・・・・」

「・・・き、麒麟さん・・・・?」

「黒衣の前ではよく喋るということか・・・・つまり、白衣は俺が怖くて普通に喋れないということか・・・」

「えっ・・・!?い、いえ・・・そ、そんなことは、ない、です・・・・本当に・・・」

「そうか・・・信じたからな」

「は、はい・・・・」

 

今度は顔を赤くして口をパクパクしている。うん、やはり慌てている白衣も可愛い。

実に嗜虐心がそそられる・・・いかん、もっと虐めたい―――可愛がりたい。

 

「こら!お姉ちゃんを虐めるな〜〜!」

「虐めてない・・・可愛がってるだけだ」

「イヤ〜ン☆・・・痛ッ!」

 

デコピン一発。

りっちゃん、その先を言われるとお兄さんにも体面というものがあるんだよ。

 

「冗談はさておき、言えることがあるなら・・・黒衣はクールじゃないってことだな」

「・・・な、なんだか断定されるのもあんまり愉快じゃないわね・・・」

「なんだ、クールって呼んで欲しいなら呼ぶが?」

「ふふふっ・・・」

「もう、何でお姉ちゃんが笑うのよ・・・」

 

ついにはぼやき始めた黒衣に笑いが起こる。

 

「クールが褒め言葉か微妙だから、どっちにしても納得がいかないんだよ」

「クールが褒め言葉かどうかは、そろそろやめにしよう・・・ソフトクリームが溶ける」

「えっ、あっ・・・ぁぁぁぁああ!」

「ぁぁあ・・・」

 

中条姉妹、見事に溶けてるな。

 

「・・・・・・」

 

伊織はいつもの表情だが・・・一生懸命ペロペロ舐めて溶けたソフトクリームが垂れ落ちないようにしている。

がぶっっていかないところが伊織らしいが。

 

「実は私・・・ちょっと苦手で・・・」

「白衣は、口が小さいからな」

「えっ・・・あの・・・そ、そうですかっ・・・?」

 

しまった。白衣が顔を赤らめた。

 

「蔵人、お姉ちゃんをナンパ禁止だって言ったでしょう!?」

「今のは事故だ、事故」

「男はみんなそう言うのよっ・・・知らないけど」

「いや、知らないなら言うなよ」

「う、うっさいわねぇ・・・・」

 

照れるぐらいなら最初から言わなきゃいいのに。

 

「麒麟はナンパ師なのか」

「ナンパ師って・・・どこでそんな言葉を覚えたんだ、伊織・・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で・・・どうするんだ?」

 

冷房のガンガン効いたモール内はいやに涼しい。汗が冷えてちょっと気持ち悪いぐらいだ。

中央の吹き抜け当たりで、一旦止まる。

 

「あ、私はユメちゃんに頼まれた買い物があるから」

「ん?・・・すぐに買いに行くのか?」

「いえ、荷物になっちゃうから、最後にするつもり」

「そうか・・・だが、そうなると振り出しに戻ったな」

 

俺自身、別に用事はない。

・・・本当に、何も用事がない。

俺って・・・・もしかして、深刻なレベルの無趣味なんじゃ・・・。

 

「あ、私、ちょっと買わなきゃいけない物があるのを思い出しちゃった」

「・・・何?」

「その・・・服・・・というか、ですね・・・」

「そうか。では、私が付き合おう」

 

何を買うか分かってないのに・・・伊織も誘われたはいいが、することがないのは一緒か。

 

「あ、良いんですか?ありがとうございます!」

「それなら、私、ちょっと気になるお店があって・・・・」

「ああ、じゃあ時間決めて・・・なんだっけ?ユメに頼まれたお茶屋さんの前に集合しよ」

「あ、うん、それで良いんじゃない?―――麒麟さんはどうする?」

「んー・・・・」

 

本当に、悲しくなるぐらいすることはないが折角来たからには何かするか。

まぁ、強いてやるなら洗濯待ちでなくなった長袖を買い足すか・・・。

 

「・・・麒麟、良かったら一緒に付き合え」

「えっ!?」

「ああ、俺も服が要るみたいだから良いが・・・なんか、りっちゃんが「えっ!?」って言ったんだが・・・」

 

伊織と揃って視線を向けると、

 

「あ、ううん・・・・その、何でもないの・・・うん・・・・あは、あはははは・・・」

 

りっちゃんが精神的に追い詰められたような笑い方をした。

暗に何を言いたいのか分かったが、今更なぁ・・・。

 

「では、行こう。集合は?」

 

伊織の有無を言わせない勢いに、りっちゃんは心の中でさめざめと泣いている・・・ような気がする。

意外に押しに弱いなぁ、りっちゃん。

 

「そうね・・・4時ぐらいで良いんじゃない?」

「解った・・・では、後でな」

 

トントン拍子で話を決める伊織と黒衣は止まるということがない。この二人は結構気が合うんじゃないのか?

 

 

 

「それで、りっちゃんはどこに行くんだ?」

 

大体分かってるが、一応聞いておく。

 

「えっとですね・・その・・・し・・・」

「し・・・・?」

「下着・・・やさん・・・」

「そうか」

「えっ・・・何か、あっさり流されたんデスガ・・・」

 

知ってたしな。

 

「りっちゃんがどうしても恥ずかしいって言うなら、どこかで適当に時間を潰すが?」

 

主に売り場が真反対のメンズの売り場とかな。

 

「六花は恥ずかしいのか?」

「そりゃ・・・まぁ・・・私だって、女の子ですから・・・」

「女の子は・・・恥ずかしいものなのか・・・」

 

尋ねているのか、納得しているのか分かりにくい顔をする伊織。

 

「・・・まぁ、良っか・・行こうよ、麒麟さん」

「無理しなくても良いが?」

「でも、今更な感じが・・・」

 

それは俺だと恥ずかしさもそんなにないって意味か?

 

いざ下着屋―――ランジェリーショップと言うとヒジョーに卑猥な響きになるが―――に来ると、周囲とは色が明らかに違う。

華がある。問答無用で。オーラが生半可な男を拒む。

 

「・・・麒麟さん、想像してたより全然落ち着いてるよね」

「そうか?」

「う、うん・・・これが蔵人さんなら、きっとすっごく尻ごみしてるんだと思うけど・・・」

「それは、目に浮かぶな」

 

こういうところは基本ヘタレだからな、蔵人は。

入口の前で入るか入るまいか悩み、本当の挙動不審者になりそうだ。

 

「男だって、慣れだ、慣れ」

「いやぁ〜〜、それは間違ってるとぉ〜〜・・・私は思うんデスガ・・・?」

「・・・男も下着屋に慣れるのか。覚えたわ」

「「いや、それは覚えなくてもいいから」」

「むぅ・・・・」

 

ビシッ、と伊織には二人がかりで突っ込んでおく。

 

「りっちゃんは、何を買うんだ?」

「ブラだよ。いくつか撚れてきちゃって・・・・買い足さなくちゃって思ってたんだ」

「ふーん・・・」

 

下手なことを言うと地雷を踏みそうだから、当たり障りのない言葉で誤魔化しておこう。

俺はてっきり、蔵人攻略のためにセクシーランジェリーでも買うのかと思ったが・・・・りっちゃんのスタイルでそれが似合うかどうかはさておき。

 

「六花は・・・ブラが要るのか?」

 

 

 

――――ドンガラガッシャ〜〜ンッ!!!!

 

 

 

 

じ、地雷原に絨毯爆撃を仕掛けやがった!

慌ててりっちゃんを見ると・・・・

 

「わ、わわっ、わたしだって・・・っ・・・」

「・・・どうした?」

 

いや、どうしたもこうしたも、りっちゃんベソかいてるし。

 

「わたしだって一応女の子なんですよ・・・ブラだって、ブラだってぇ・・・う・・うぅ・・・先輩みたいにそんなボールのような胸はありませんけどぉ・・・」

 

泣くわな、今の一言は。しかし、伊織と比べるのは無謀を通り越して神風アタックだが。

 

「・・・ふむ」

 

――――ゴソゴソゴソ

 

「ひゃあ!?」

「なっ・・・・」

 

 

なんと伊織は、俺どころか公衆の面前でりっちゃんの服の中に手を入れた。

しかも、ただ手を入れただけではない。服を介してもはっきり分かる・・・伊織は揉みしだいている。

 

「わ、わわわっ・・・せ、先輩・・な、なにぉう・・・っ!」

「・・・確かに、六花にはブラジャーが必要なようだな」

「・・・それを確認するためだけにやったのか・・・」

 

油断していた。伊織が知識は大人でも、行動指針がお子様だということを。

伊織にとって、今のは腕白坊主がスカートめくりをするのと・・・いや、幼児が乳飲み子だったころを思い出して人の胸を揉むのと変わらない。

 

しかし、眼福と言えないのが残念だな・・・。

 

「六花・・・でも、少しカップが小さいかもしれない」

「えっ?そうですか?」

「これ、いくつ?」

「え・・・ごにょごにょ・・・・・」

 

俺をちらっ、と窺ってから伊織へ耳打ちしている。俺にサイズを聞かれたくないのは分かるんだが・・・。

 

「そうか、Aの・・・」

「わーっ!わーっ!わーっ!わーっ!秘密っ、秘密ぅ・・・っ!」

 

・・・伊織が口に出したので、りっちゃんが慌てて口を塞ぎにかかる・・・が、二人の身長差だとまともに口が塞ぐことができていない。南無。

 

「き、麒麟さん・・・聞いた!?今の聞いた・・・っ!」

「聞いて欲しかったのか?」

「いえいえいえいえ、謹んで聞かないでください・・・っ!」

 

ふむ。まぁ、『残滓』退治で俺の聴力を聞いてないから知らないのか。

聞こうと思えば耳打ちぐらい楽に聞ける。

そうか、そうか、りっちゃんは―――なのか。身体計測を嫌う理由も解からんでもないな。

 

「秘密なのか・・・解かった」

 

同じく俺の感度の高い聴力については知らない伊織が、力強く頷く。

 

「ぜぇっ、はぁっ・・・お、お願いします、伊織先輩・・・いや、もう、ホントに・・・」

 

そりゃ、死活問題だろうな。恥的に。

 

「まあ、取り合えずもう少し大きめのものを探そう」

「もう少しって・・・どれくらいですか?あ、小声でね!小声でっ!」

「小声・・・こしょこしょ・・・」

 

だから、うん、聞こえてるんだよな。

 

「ええっ!?ほ、ホントに・・・?」

「今、触った感じだと・・・多分」

「た、試すっ!ためします・・・・っ!」

 

女の子だよなぁ。

 

「でも、そのサイズはストラップレスは無謀・・・」

「ううっ・・そーゆーこと言わないくださ〜い、普通に傷つきますから」

 

実に、女の子だよなぁ。

・・・俺も下着売り場に馴染んでいるあたり、傍目からは変なんだろうが。

 

 

「じゃあ、頑張って試してきますっ!」

「「健闘を祈る」」

 

 

スキップしながら試着室へ入っていくりっちゃんを見届けると、丁度良いサイズを選んでやっていた伊織がこっちへ来る。そして、開口一番。

 

「麒麟・・・バストのサイズを他人に知られるのは恥ずかしいことなのか?」

「・・・・まぁ、な」

 

正直、返答に困るんだが。

 

「伊織は何かに劣等感を覚えることがあるだろう?」

「まぁ・・・一応。人より少ない自覚はあるが」

「自覚してるならいいさ・・・世の中、何が人の劣等感をかきたてるのか解からないものだ。特に、身体的特徴なんてものは主観に強く依存する。自分自身に強い自信があって、バストのサイズを知られることに喜びを覚える奴が居れば、りっちゃんのように劣等感を刺激されてしまう奴だっている」

「人それぞれ・・そういうことか?」

「だな・・・美の追求は女性にとって永遠の哲学らしいからな、特に敏感なんだろう。スリーサイズも含めてな」

「そうか・・・なら、六花には悪いことをした」

 

そういう自覚ができたなら良し。

 

「御褒美に頭を撫でてやろう」

「・・・・」

 

―――ナデナデー

 

流石は伊織。無言で頭を差し出してくる。

 

 

 

 

りっちゃんがウキウキしている間は、俺と伊織は取り留めのない話をする。

と、そこに見慣れ・・はしないが、いや、慣れつつある姿が入ってくる。

 

「・・・小夜音?」

「えっ・・・えぇ・・・っ!?」

 

声をかけて、俺と解かった途端、小夜音はらしくない驚きの声を上げる。

 

「き、麒麟さんっ!と、殿方が何故ここに・・・っ!?しかも、い、い、伊織さんまで一緒にぃっ!?」

 

面白いぐらいに小夜音が動揺しまくってる。ここまでテンパッてるとリアクションが難しいな・・・。

 

「何と言うか・・・りっちゃんの付き合い?」

「え・・・・あ・・・・そ、そういうことでしたか・・・」

 

事情が大筋呑み込めたらしい小夜音は、随分とわざとらしい咳払いを一つ。

でも、あれだけの言葉で解かるものか?それとも、りっちゃん=そういうこと、なのか?

小夜音も伊織ほどではないが、バストサイズの豊かな側としてりっちゃんへ思うところがあるらしい。多分。・・・ほんのちょっとだけ、りっちゃんの気持ちが解かったかも。

 

 

「そういう小夜音は・・・と、下着屋に女性が来てすることは決まってるか」

 

落ち着きを取り戻した小夜音は、肩を竦める動作にくすりと笑う。

 

「そういうことですわね・・・」

「月瀬も下着を買いに来たのか」

「え、ええ・・・ですが、あまり直裁な言い方をされますと・・・」

「ああ・・・なるほど、小夜音はまだ自信がないということか・・・」

「はっ?・・・一体、なんのことでしょう?」

 

目配せして薄ら笑う俺達に小夜音はキョトンとしていて、その顔がおかしくてまた笑いが深まる。

 

「なんですの・・・二人して、妙な笑いは。失礼じゃありませんか」

「失敬、失敬・・・小夜音が悪いわけじゃないんだが・・・間が悪かったと思って諦めてくれ」

「もう、お二人とも先ほどから・・・度が過ぎるのではありません?」

「すまなかった」

 

きっぱり謝罪の言葉を口にした伊織に、小夜音は驚いてから嘆息。

 

「解かりました・・・この件については深く追求しませんわ」

 

うん、実にできた女だ。

 

「・・・麒麟さん達、だけなのですか?」

「ああ、白衣と黒衣は別の店を回って見てる」

「あら・・・お二人もですか・・・・でしたら、私も誘ってくださればよかったのに」

「・・・言われてみれば」

 

そのことには全く気づかなった・・・と、言えば嘘になる。

誰も言い出さなかったし、疋田泳堂の端末から盗んできた情報の整理にまだ忙しいと思っていた。

これでも気を使ったほうなんだが。

 

 

「まぁ・・・私も蔵人さんに振られてしまったので、一人でこうして居るのですから人のことは言えませんわね」

 

冬芽の看病か・・・遊び歩くのは体に差し障るが、多少動く程度なら問題ないはずだが。

それで看病というのも、あれか。意外に蔵人の本命は・・・と、これは少し下世話か。そう思うと、ちょっと笑いが込み上げる。

 

「・・・何が可笑しいんだ・・・?」

「いや、何でもないさ・・・良かったら、俺が下着の一つでも選んでやろうか、小夜音?」

「えっ・・・あ・・・・け、結構ですわ」

「・・・半分は冗談なんだが、どうしてそんなに動揺してるんだ・・・?」

「・・・半分だけなのか」

 

そこはほら。俺も男だから・・・って、何を言わせる。

 

「冗談じゃなくなるのは・・・そうだな、小夜音が俺に負けてからだろう」

「・・・・何の話だ?」

「実はだな――――」

「き、麒麟さん、その話は・・・・」

 

小夜音が止めるのも無視して――――かくかくしかじか。

 

 

 

「なるほど・・・月瀬は負ければ麒麟の肉奴隷になるのか」

「なぁあ・・・っ!?」

 

明け透け過ぎる伊織に、小夜音は見る見るうちに顔を真っ赤にしていく。言えと言ったのは俺だが、改めて公衆の面前で聞くとトンデモナク卑猥だな、これは。実際、周囲の視線が若干痛い。

 

「に、に、に、に、に、に、に――――にく、にく、にく・・どれ・・い・・・・?」

 

小夜音が壊れた。それはもう、降幽術で呼んだ霊がラジオを介して喋るような感じで。

 

「ところで麒麟?」

「なんだ・・・伊織」

 

危ない、危ない、危うく痴女って言いそうになった。

 

「肉奴隷とは、何だ?」

「・・・・・・・・・」

 

許せ、小夜音。俺が悪かった。

 

 

 

 

 

 

白衣と黒江の二人と合流し、小夜音も加えて俺達は冬芽からの頼まれ物を買ってから帰途につく。

 

「白衣ちゃん・・・それ、持ってて暑くない?」

 

りっちゃんは、白衣が抱えている大きなパンダのヌイグルミをちょんちょん、と突く。その大きさは白衣が抱えているというより、ヌイグルミが伸し掛かっているようにも見えるほど。正面から見ると白衣の姿が見えない。

 

「少し・・・でも、麒麟さんが・・・くれたものですから・・・」

 

よいしょよいしょ、と擬音をつけたくなる白衣はそう言ってくれる。

時間が空いたので、モールのアミューズメントエリアにあるゲームセンターで遊んだが、そこのクレーンキャッチャーをやったとろこ、巨大パンダが手に入った。

893っぽいキツイ目付きで、頬には十字傷まである渋いパンダ。多分・・・可愛いんだろう。

 

「あんたねぇ・・・もう少し限度ってものがあるでしょう・・・?」

「そう言われても、取れたものは仕方ないだろう」

 

それに、最初にこれを取れとけしかけたのは黒衣だろうが。

 

「・・・・アヒル」

 

なお、伊織はこれも強いリクエストに応えて俺が取ったお風呂で遊ぶアヒル隊長をやった。

 

「・・・・アヒル」

 

気に言ってくれたかは一目瞭然だろう・・・・。無表情に風呂の中でアヒル隊長と遊ぶ伊織の姿が・・・・

 

「麒麟さん・・・今、ちょっとHなこと考えませんでした?」

「なにゆえ?」

「動揺してらっしゃいますわね・・・・麒麟さんも殿方ですから」

「だから、なにゆえそうなる?」

 

微笑ましい伊織の入浴姿を・・・あ、確かにまぁ、やらしいと言えばやらしいか。

だが、言わせっぱなしも面白くないな。

 

「ふむ・・・つまり、俺が考えたことを二人とも想像したわけか」

「「え・・っ」」

「妄想が逞しいな・・・そんなことまで想像するとは・・・・・・」

「ちょ・・っ・・・麒麟さん」

「わ、わたくし達は別に・・・」

 

 

・・・本当に、何を想像したんだ二人は。

 

 

 

「さて、帰りましょうか・・・今日は観影先生とのブリーフィングですし」

「そうなのか?」

 

俺はそんな話、記憶にないんだが。

 

「麒麟・・・・」

 

そこで憐れむなよ。

 

「・・・で、二日も掛ったけど、結局何が解かったのかしらね」

「どうだろうな。ただ、研究者も後がないだろうから、必死ではあると思う」

「後が・・・ない・・?」

 

小夜音だけが、やっぱりかという顔をして伊織の話を聞いていた。他の三人は頭に?が出ている。

 

「私の部屋には、父親用のネットワーク端末がある。私はそこから研究情報をチェックしている」

 

か、家族が閲覧できる研究情報ってどうなんだ。すごい、ザルな情報セキュリティだな。

 

「先日の殲滅戦のときに発生させてしまった異常重力波が、アメリカとヨーロッパ諸国が共同管理している監視システムに探知されてしまったらしい・・・・・NASAがアメリカ政府を経由して情報開示を要求しているという話だ」

 

LISAUのことか。

研究チームもそれぐらいのことは認識している。

 

「なんだか・・・随分と大事になってますね・・・・」

「どうやら日本政府は技術漏洩を恐れてか、それとも研究内容があまりに非現実的だったのか・・・対外的に極秘裏に進めていたプロジェクトらしくてな。予算を司っている上部機関では、今ちょっとした火事騒ぎになっている」

「難しい話はよくわかんないんだけど・・・それってどうなるの?」

「解からない。政府の対応次第じゃないかな・・・最悪、研究自体をなかったことにして打ち切り、という可能性もある」

「・・・実験が成功しなかったら・・・世界が、滅ぶのに・・・ですか・・・?」

 

白衣が、信じられないというように言う。その手は不安そうにヌイグルミをぎゅっと抱きしめていた。

 

「どんな状況でも国益を無視できないのが、国家の政治というものの最も愚かな側面だ・・・集団には個人の責任がないから、集団の名に個人の利益を求めようとする傾向がある。これは顕著な例じゃないかな」

 

そんな白衣に、伊織も同意しつつ仕方ないとどこか他人事として割り切っていた。

かつての丸之内プロジェクトのようにならなければいいが。

 

「打ち切られるとして、研究所内では残り挑戦出来る実験の回数は4回程度と考えているらしい。これは実験を行える条件として、潮汐の関係で満月、新月、上弦、下弦の位置に月がなければ出来ないという時間的制約と、研究計画が存続を許される時間から大凡算出されたものだ」

「つまり、4回・・・たった4回でわたくし達が世界を変えることができなければ・・・」

「散花蝕が推測通りのものであるならば、世界は週末を迎えることになる」

「4回か・・・・」

 

そんなところ・・・か。

“俺達”が潰すまでもなく、研究はそれだけで終わるのか。

 

皆の顔も不安の色を強め、翳が濃くなる。

自分達と関係のない愚かな争いで世界を救うチャンスは後4回となってしまい、たった4回で救わなければならない。今の実験が最も世界を救うための手段として適していることを、皆、肌で実感している。

 

4回という制限が、今更ながらに重圧を与えてくる。

 

「これは、研究ネットワーク内で取り沙汰されている話題であって、最悪のシチュエーションの仮定に過ぎない。そんなに深刻な顔をするな」

「先輩・・・」

「それに、もしこれが真実だったとしても、私達にはどうこうできる次元の話ではない・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

どうだろう。俺には、まだ実験の回数を増やすための方策を取る手段がある。

だが、それにどれほどの意味があるのだろうか?4回でダメだったものが、5回になってからと言って成功するかどうかは、確率論に過ぎない・・・実験を潰せる側でもある俺が考えることでもないか。

 

「・・・話さない方が良かっただろうか。お前たちの顔を見ていたら、急にそんな気がしてきた」

「あたしは・・・どっちでも良いかな。具体的にプレロマの中で何をしなきゃいけないって言う指示もないわけだし」

「・・・難しいです。知ってしまうこと・・・によって、心の中で『助かろう』とする気持ちで力が・・・弱くなってしまう、なら・・・知らなかったほうが良かったかも」

「そうだよね・・・でも、逆に私達の中で『助かりたい』って言う想いがもっと必至に産まれるようになれば・・・それは、その方が良いだよね・・・」

 

でもな、りっちゃん・・・それは―――

 

「結局は自分次第、もしくは状況次第、ということか・・・・」

「ちょっと、自覚が足りないんじゃないかなって・・・気もしますけど・・・・麒麟さん?」

 

りっちゃんが呼びかけるが、答えてやれなかった。

駅に直結する歩道橋の上。少なくない人並みの中に、一人の少年が立っている。おそらく年の頃は白衣や黒衣と同じか、一つ年下―――いや、実際は一つ年下だ。

この暑い中、ツナギのライダースーツを着ている。流石にファスナーを開いている。

 

「あの子、なんか・・・」

「・・・こっちを・・見て、ます・・・」

 

黒衣と白衣も気づいたらしい。そして、すぐに伊織が気付く。

 

「麒麟を・・・見てるのか?」

「知りあいなの・・・ですか?」

 

「隼人」

 

伊織と小夜音には答えず、少年の名前を呼ぶ。

 

「わざわざ、何をしに来た?」

「観光、と言ったら・・・アンタは信じるか?」

 

第一次変声期を終えたまだハイトーンの声が、挑発的に投げかけられる。安っぽ過ぎる挑発に、笑いがこみ上げてくる。

 

「ああ。まだ子供だからな、来たい気持ちは解かるさ・・・」

「・・・一々癇に障る言い方をする・・・」

「わざとだからな」

 

肩眉をヒクつかせながら、隼人は苛立ちを隠そうともしない。

仕掛けておいて、すぐに苛立つところはまだ若いな。

 

「そういうアンタこそ、こんなところで何をしてる・・・?」

「何を・・・と言われてもな。試験明けで、パーッと遊びに来てたんだが」

 

な、と後のりっちゃん達に同意を求める。当然かもしれないが、余計なことを言えずに頷くだけ。

普通はそうなるよな。俺と隼人の間の、友好的とは言えない雰囲気を察するなら。

 

「そうじゃないっ!―――飯綱に籠ってたはずのアンタが、どうして戻ってきたか聞いてるんだ・・・っ!」

「・・・・どうしてだろうな」

 

それは、俺も知りたいぐらいだ。

だが、俺の真意は隼人へは伝わらない。俺も解かっている。のらりくらりとかわしているようにしか見えないことも。

 

「ふ・・・ふざけるなっ!言ったはずだ、俺は絶対にアンタを認めないとっ!」

「覚えてる。だが、俺も言ったはず。『それでいい』と」

「それがふざけていると言っている・・っ!アンタが表に出れば人が不幸になる!人が死ぬ!―――アンタは生きてちゃいけないんだよっ!」

 

一気呵成に捲くし立てる隼人に、周囲の注目が集まり出す。不穏当な言葉に、ひそひそと囁きまで聞こえだす。

莫迦が、場所を考えるべきだろう。耳目が多い場所で死ぬだとか、生きてちゃいけないだとか、口走るのは思慮が足りない。

 

「好きなだけ言えばいい。だが、場所を考えろ・・・俺達は行くぞ」

 

付き合っていられない。これ以上は、伊織やりっちゃん達にも迷惑が掛かる・・・今更かもしれないが。

殺意さえ籠った眼光で俺を睨みつける隼人の横を通り過ぎて行こうとする。りっちゃん達も、状況が掴めずに困惑しながらついてくる。

 

「待て―――っ!」

「待たない・・・まずは、お前が追い付いて来い」

 

一度も隼人を見ることなく、駅へ下る階段へさしかかる。

隼人は、黒いスーツ姿の付き人―――秋光に止められ、追っては来なかった。

だが、その代わりに言葉を投げつけてきた。

 

「忘れるなっ!俺達はアンタを絶対に兄などと認めない―――父上と姉上を殺したアンタをなぁっ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――前回行われた殲滅戦から三日後の今日

 

再び俺達は集められた・・・観影さん達がどんな推論を立てたのか。その上でどんな対策を講じていくのか。それが決まったはずだ。

 

集められた俺達は、何となくあまり良い内容ではないことを察していた。

これまでもあまり良い話ではなかったということもあるが。補習を受けるという隠し玉を用意していたこともあるしな。

 

「それで結局・・・最終的に、どういうことになったんだ?この間倒した200体じゃまだ足りないのか?」

 

蔵人が口火を切った。

 

「・・・結論から言えば、足りない。だが、全く足りないというわけでもない」

 

観影さんも隠しても仕方ないと決めていたらしく、言葉を濁すこともない。

 

「最初から考慮して然るべきだった・・・『残滓』には個体差が存在する」

「個体差・・・」

 

ゾルダ―――俺がやった、刀を持った『残滓』か。

 

「当初出現していた少数の『残滓』は、前回大量出現したものより高い再生実現能力(ポテンシャル)を持っていたようだ。」

潜在能力(ポテンシャル)・・・この場合その言葉の示すのは、どんな意味になるのですか?」

「『残滓』は出現時に死者の残留思念を殻とすることで顕在化(マテリアライズ)し、その死者の生前の姿を再生する・・・この時再生される側の残留思念が持っているイメージは千差万別なんです」

 

観影さんと事前に打ち合わせてしていたらしい圭が説明を始める。

 

「地磁気に記録されていると言われているこれらは、恐らく対象の焼きつけられてからの『時間』・・・すなわち残留思念として存在した短ければ短い程、その記憶は鮮明となり、より正確に再生される可能性がある」

「つまり、最近の幽霊であればあるほど、『歪み』が簡単に人としての姿を取ることができる・・・」

「それが・・・再生実現能力・・・ということですの」

 

人としての形を成すことがどれだけ簡単か、ということか。

 

「そうだ。しかも、三日前に出現したものは皆不完全な『残滓』だった。最も簡単に再生できる残留思念を不完全に大量に発生された・・・つまり、質よりも量だったということだ」

「数で圧倒しようとした・・・ってわけか」

「そこで問題になるのが、最後に靜峯や丸目を負傷させたこの『残滓』だ」

 

いつものスクリーンに投影されたのは、俺と蔵人が相手にした刀を持った『残滓』。

帝国軍人の軍服に見えるような気がする。

 

「この一体だけ、他の『残滓』が持っている亜空間質量よりも数倍の密度が検出された・・・皆から収集した情報から鑑みるに、現代の人間よりも古い残留思念だったとの推測が成り立つ。

どうやら戦中の軍人の残留思念と考えられるのだが、更に問題なのはその能力の差にある」

「そう言えば、こいつ一人だけ脳みそがあるような動きだった」

「その通りだ・・・こいつは生前持っていた思考力の幾分かを備えていた。だが、それは戦闘本能のようなもので意志があるわけではない」

 

それだけでも戦う身としては十分に脅威なんだが。

 

「質量が数倍っていうのは・・・喚び出す為に必要な質量が数倍っていうことか?」

 

ようやく信綱が言葉を発した。

 

「ああ、そうだ。観測結果から算出した結果から言えば、この一体で他の『残滓』の30体分の亜空間質量が必要になる」

「30体分ですか・・・」

「君らに解かり易く言うなら、こいつはコンピューターゲームRPGで言うところのボスに相当する」

「高い戦闘能力、思考力・・・そして、他の『残滓』を統率する能力まで備えていた。周囲の『残滓』は、こいつの意思によって統一されていた動きを示していたね」

 

圭が俺に同意を求めるように視線を送ってくるので、頷いておく。

 

「待って下さい・・・それでは、他の『残滓』との能力に差がある過ぎるではありませんか?まるで・・・」

「・・・まるで、誰かが意図的に『残滓』を選別して創り出しているように見える・・・か?」

 

 

「「「「「「「!!」」」」」」

 

 

聞いていた者達は、水を打ったように静まり返る。

 

「つまり、それは・・恣意的に化け物を産み出している・・・人間以外の、なにかが・・・居る?」

「・・・そうなるな」

 

既にその結論に達し、驚愕と戸惑いを経たであろう観影さんはいやにあっさりと肯定した。

 

「そうなるなって!そんな一言で片づけられる問題じゃないじゃないのよ!」

「なんですか・・・それって、神様とか・・・そういう存在ってことですよね?」

「神など居ないさ」

 

反応は両極端でも途端にオカルトじみてきたことに不安を覚えた黒衣とりっちゃんに、観影さんはきっぱりと言い切った。事実を言うよりも、そうでなければならないという願望を断言するように。

 

「えっ・・・だって・・・」

「意志は存在する。だが、字義通りの『神』は存在しない。人間の想像するような強大な力を持って、理知的な存在など・・・この世界には存在しない」

「この世界そのものに意志があるという考えは、昔から色んな宗教や学問の間ではあったんだよ・・・宇宙意志論、惑星霊、普遍的無意識とかね・・・ただ、その振る舞いが明確に問題になったことがいままで一度もなかったんだ」

「世界の・・・意志」

「滅びろ・・と、そう世界に言われているのか、私達は」

 

伊織が、自嘲と迷いを綯い交ぜに呟く。

 

「それが本当に、世界の意志だというなら・・・そうなるな。だが現実的に私達が生き延びる道は、その意志に抗うより他にない。もしそれが神だというなら、私達にとっては打倒すべき邪神でしかない」

 

大胆だよな、観影さんは。そんなこと言うと、ほとんどの宗教の神は邪神なんだが。

 

「まあ、神かどうかってのはこの際どうでもいいや・・・どの道喧嘩に勝たなきゃいかんのなら、敵が何であれ撲ちのめすしかないだろう」

 

こっちはもっと大胆だった。

蔵人なんか、思いっきり同意して頷いてるし。

割り切ってるというか、単純明快というか。

 

「確かにな。それで、観影さん・・・この後は具体的にどうなるんだ?」

「今まで通りだ。但し、実験を終えた次の夜には、先日のような『残滓』の殲滅作業を行う・・・だが、前回のような大量発生させるような可能性を防がねばならん・・・危険な上に効率も悪い」

「ど、どうするの」

「これに関しては、前回の殲滅戦で靜峯が言ってくれた意見を採用する。つまり、防護波発生装置を切るのではなく、出力を絞ることによって、『残滓』の出現をコントロールする」

 

あ、本気でできるようになったのか。

 

「・・・そんなことができるのか?」

「可能なはずだ。いや、やってみせるさ・・・それに一度装置を切ってしまうと、再起動までに時間がかかってしまうからな・・・それだけは避けねばならん」

「ま、お手並み拝見ってところだな」

「前回の殲滅作業において、辛うじて装置を安定して再稼働させるだけの時空間修復には成功している。従って明日の実験は通常通り行われる」

 

辛うじてか・・・・伊織が言うように、最悪の事態に添ってチャンスを無駄にしないつもりなのか。

 

「良いか・・・『残滓』問題はあくまで二の次、大切なのは実験なんだ。これが成功すれば量子選択によって、時空の歪みも散花蝕も一気に解消する・・・それは、私達の実質的な勝利となる」

 

あまりにご都合主義過ぎるが・・・。

観影さんは、実験による量子選択を万能に想い過ぎている節がある・・・研究者としての気持ちも解からないでもないが。

 

「明日は充分気持ちを落ち着かせた上で臨んでくれ・・・以上で本日の説明は終わりだ」

 

俺達は誰も、デミウルゴスを望む形で起動させるトリガーを知らないというのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・それにしても、人類が『世界の敵』(ナチュラルエネミー)とは・・・参りましたわね」

 

落ち込んでなさそうに言われてもなぁ、小夜音。その迎え撃つぐらいの気概は頼もしいんだが。

 

「ん〜、小夜音さんは怖くないの?」

「怖いかどうかはさておき、人類は世界にとって邪魔・・・と決まってしまったのですから、ここはどうにかするしかありませんでしょう」

「でも・・・・」

「いいですか、六花。ことは私たちだけの問題ではありません・・・あなたのご家族や、友人総てが邪魔だと・・・そう言われているんですよ。自分の一人のことでも、私達だけのこともでないのです」

「あっ・・・・・」

 

そうか・・・そういう問題なのか。

まだ、その程度なのか。

世界にとって、俺達は要る要らない、必要か邪魔か。そうではなく、俺はずっと、世界にとって存在すら認識されていないのではないかと思ってきた。

今回のことにしても、人類がどうこうではなく、そういう仕組みの中で偶々人類が引っ掛かったに過ぎない。

 

どちらにしても、同じことなのかもしれないが。

 

「自分が死ねば助かるとか、そういうことではないのです。自分の居る世界全てを許さないと・・・そう言われているのですよ。何も・・・そう、何も残らない・・・」

「何も残らない・・・そうですよね、それで良い筈がないんですよね」

 

だが、世界にはそうあって欲しいと思うものも居る。

 

「もし、大切に想っている人が一人でも居るなら、人間の世界には救う価値があるのですわ」

「たせいつな、ひと・・・」

「・・・・・・・」

「ですから私達は、今、私達にできることを致しましょう」

 

小夜音の言葉に皆頷くと、宿舎までの道を黙って歩き始めた。

 

「大切な人か・・・・」

 

だったら、その大切な人が居ない俺にとって人間の世界とやらは救う価値がないことになってしまう。

できるなら、教えてほしい。俺にとってできることとは、何かを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う〜ん、なんだか学校も久しぶりですね・・・・」

 

冬芽は校舎に入ると、やたらと懐かしそうにする。そんなに日数は経ってないんだが。

 

「そうだな、四日ぶりだからな・・・」

「いや、それはお前らだけだから」

「あ、麒麟さんは試験をちゃんと受けられたんでしたね」

「で、結果はどうだったんですか?」

 

三人ともそんなに興味津津なのは何でだ?

 

「余裕」

「うわっ・・・聞きました、蔵人さん!」

「無性にすっげぇ、腹が立つよな・・・」

 

俺は何も悪くないんだが。二人とも頭の回転は悪くないんだから、勉強すればいいだろうに。

 

「白衣ちゃんも黒衣ちゃんも良い感じだったみたいだし、私も麒麟さんに教えてもらえばよかったかもなぁ・・・ふわぁっ・・・」

「六花さん、なんだか眠そうです」

「ん〜、ちょっと夜更かしが過ぎていたというか、気がついたら朝になっていたというか・・・にゃははは☆」

 

確か、昨日は小夜音に誘われていた蔵人からゲーム機を借りていたようだが・・・まさか、朝までやってたのか?

 

「まあ・・・ちゃんと寝ませんと、元気が出ませんよ?」

「うん。授業中に寝ることにするよ」

「えっ・・いえ、そうではなく、ですね・・・」

 

どう言っていいものか悩む冬芽に対して、完全に既定事項で授業中に寝るつもりのりっちゃん。大胆不敵とはこのことか。

 

「そろそろ教室ですね・・・では、蔵人さん、麒麟さん、六花さん・・・行ってきます!」

「うむ、行ってらっしゃい」

「ああ、行ってらっしゃい」

「行ってらっしゃ〜い」

 

パタパタと自分の教室へ向かう冬芽を見送ってから、俺達も自分の教室へ向かう。

教室へ入ると、見なれたメンツが揃っていた。

 

「おっはよーう!」

「よう三人・・・何だか、ここでは久しぶりだな」

「そうだな・・・何だか、登校初日を思い出した」

 

登校初日・・・・微妙に思い出したくない記憶だな。

 

「蔵人・・・何を言ってるんだ。お前はもう、クラスの一員なんだぜ」

「ああ、そうだね。なんというか、高杉よりキャラ立ってるし?」

「ぬぬぅ!なんだとぅ!」

「そうだよねぇ?優作って根っからの脇役体質〜みたいな」

「わっ・・・!き・・や・・く・・・・・」

 

がやがやと煩いぐらいに乗り込んできたはずの優作が、真尋と八千代に撃沈させられた。

俺もそう思うから何もフォローできない。

 

「お早う、武居、相模」

「おはよう」

「おはよう、丸目君と麒麟さん・・・試験免除だったんでしょう、丸目君は」

「いいよねー・・・羨ましいなぁ・・・」

 

そう言えば、こいつら本当に俺の机に貢物を入れようとしてたな・・・昨日。

しかも、物が自分達の下着で「存分に使ってね」とかメッセージつきだったのが信じられない。

 

「良かないだろ・・・夏休み補習なんだぜ?」

「いや〜ほら、あたらしらもどうせ補習だし」

「確定なのか・・・」

「まぁね☆」

 

言葉が出ない。でも、確か八千代は消しゴムでサイコロ作って転がしてたような・・・。運頼みでもダメだったんだから、諦めもつく・・か?

 

「あれ?ろーちゃんってそんなに頭悪いの?」

「六花・・・あまりにもダイレクトだと、その鼻面に一撃をお見舞いするわよ?」

「えー、だって私だけじゃないって思ったら安心しちゃってぇ、えへへへー☆」

「ろーちゃんだけじゃない!それなら私も補習だよっ!」

「わーい!やったぁ!」

 

喜び合って手を合わせるりっちゃんと八千代。

 

「蔵人・・・兄として、一言あるんじゃないのか?」

「・・・待てお前ら・・・それは堂々と胸を張って言うことじゃないだろう」

 

・・・真尋とりっちゃんには張る胸はないが。

 

「くらぁ蔵人てめぇ!俺様への挨拶はどーしたぁ!」

「ああはいはい、忘れてた。お早うお早う・・・しっかしテンション高いな優作。何か悪いもんでも食ったか・・・ってか、何で麒麟はスルーなんだよ」

「うわ、もーなんつーの?すっごいやっ気なさっそーな挨拶なんだけですどぉ・・・・」

「今度はやさぐれか・・・随分と多感な青春時代を送ってるようだな。結構なことだ・・・って、だから何で麒麟はスルーなんだ?」

「いや、そんな突き放されても・・・っていうか、構ってくれ」

 

あくまで俺を無視したことをスルーするつもりらしい。

多分、忘れただけなんだろうが・・・俺の報復が怖いのか?

 

「絡みづらいんだよ、優作は・・・そういや、優作は補習を免れたのか?」

「それが、聞いてくれ・・・蔵人・・・?」

「ああ、優作はダメだったぞ?」

「つあー!人のことを勝手にバラすんじゃなぇっ!蔵人には俺の期待するリアクションを取って欲しいんだから、邪魔すんなぁーーっ!」

「マジで・・・テンション高けぇな・・・・」

 

まぁ、優作が補習を免れるなんて万が一にも有り得ないが。蔵人だってそう思ってたはずさ。

 

 

 

「あ、そう言えば聞いた?今度は青海のオフィスビルで殺人事件だって」

「あー、今朝テレビで見たわ。なんか、どっかの会社員が自分のオフィスでボロボロの図太袋みたいになって発見されたって、アレか?」

「なにそれ・・・東京って、もしかして結構物騒?」

 

東京だからなぁ―――って、そんなわけあるか。

 

「えー?うーん・・・お台場じゃ珍しいかな。でもそれ、死因が不明っていう事件っしょ?東京が物騒なのとはあんまり関係ないんじゃない?」

「ああそうそう・・・人間の手じゃどうやってもできないような死に方で、現場凄かっただってねぇ」

 

皆、一斉に信綱を見る。

 

「最初に言っておくが、今度は俺じゃないからな」

「しまった、先手を打たれたか〜」

「そう毎度毎度、警察の世話になってられないからな・・・」

「いや、今度“は”ってことはだ・・・前回はお前だったのか?」

 

やったのは『残滓』っていうのは知ってるんだが・・・・。

 

「・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・言葉の綾ってやつだ」

「・・・・・・・・・・・・・・そうか」

 

触れないでくれと言わんばかりの信綱に、俺は優しくスルーしてやることにした。今回はあまり引っ張れそうにないしな。

 

「しかし、人の手じゃ無理って、一体どんなひどい死に方をしたんだ・・その会社員」

「ん〜、お父さんのスポーツ新聞だからどこまで信憑性があるか分からないんだけど・・・なんかばくんって胸郭が・・・胸郭って言うんだっけ、この辺のこと」

 

真尋が胸から鳩尾までのあたりを指で差してみせる。

 

「ああ、それは胸郭だな」

「でね、その胸郭の辺りが捻じれて、折れた肋骨とかかが一杯内臓に刺さったとかなんとか・・・う〜、自分で言ってて背筋寒くなってきちゃった。新聞では猟奇殺人か!?みたいなこと書いてあったよ」

「それ、猟奇殺人っていうより、エレベーターの隙間に挟まってミンチになっちゃいましたっていう感じじゃない?」

「お前ら、自分で言ってる意味解ってるか?しかし、聞くだにエライ事件だな、それ」

 

爽やかな朝に似合わない話題では、あるな。

だが、胸郭を捻じるか・・・・昔、似たような技を西湖がやってたか?

 

「それで・・・犯人はどうしたの?」

「確か、会社の同僚の女の子がその何日か前から行方不明になっててぇ・・・一応容疑者ってことになってるみたいだけど、状況から考えて女の手じゃ無理だろーって感じみたい」

 

・・・らしいぞ、西湖。

 

「それって、その女のほうももう死んじゃってるっていうパターンだよな」

「そうだよねー、なんか巻き込まれ型の犯罪って感じー」

「・・・そんなヤクザ映画みたいなことがホイホイ起きるモンなのか?」

「お前・・・ヤクザ映画を何だと思ってるんだ・・?」

「そりゃ、“命獲ったる”とか云いながらやってるイメージが・・・」

「いや、蔵人さん・・・今までの話と全然繋がらないと思うんですけどー・・・」

「・・・・・・・」

 

あ、ダンマリを決めこみやがった。

 

「・・・でもまぁ、ヤクザ映画はさておいても、普通の人間の仕業じゃなさそうだな」

 

そう、例えば『残滓』の怪力のような力であれば・・・。

 

 

「・・・おはよう、みんな席に着いてくれ。ホームルームを始める」

 

ガラガラッと引き戸を開けて、観影さんが入ってきた。

 

「おおっと、いけね・・・」

 

観影さんの一言で、蜘蛛の子を散らすように席へ戻っていく。

 

 

 

 

 

 

 

「さて・・と、今日は特に連絡事項はない。ただ試験結果に関連して、補習の可能性がある生徒にはおって連絡がある」

 

補習の言葉に、クラスが「え〜」と不満の声が上がる。

お、お前ら全員なのか!?

 

「補習の予定自体は既に職員室前に貼り出されているから、連絡を受けた生徒は日程と時間割を確認しておくこと、以上だ」

 

「起立、礼!」

 

「それから、私のプロジェクトの参加メンバーは、今日の夜八時に医科棟へ集合すること」

 

ホームルームなのに、それだけ伝えると観影さんは早々と教室を後にしてしまった。

合理的だが・・・こんなもんか。

 

 

「さーてと、いよいよ正念場かな・・・聞いてるか?残りの実験回数の話」

「ああ、聞いた・・・けど、本当なのかよ?

 

まだどこか信じられないらしい蔵人。

 

「らしいぜ、それとなく観影センセに聞いた。どうもこの間の殲滅戦でデカイ重力波を敵が出して、それが外国のレーダーに引っ掛かったらしい」

「国益優先で実験を停止するって話は?」

「ああ、どうもそうらしいな・・・上のほうじゃ、隠蔽工作とかで大忙しらしい」

「実験が成功してもいないのにか?」

「この間の実験で動くことだけは証明されたからな・・・あれで十分なんだろう」

「けど、結果は何も変わらなかったに・・・」

 

実験の結果はプロジェクトの目的としては失敗だ。

勿論、当初の予定通りに起動したという結果はあるが。りっちゃん的にはその辺の納得がいかないんだろう。

 

「・・・別に、運命改変―――世界の改変ができなくても、これまでの実験だけでこの国は科学的に二十年、いや軽く四十年以上は進歩した。それでも十分過ぎる成果を挙げている」

「そ、そんなにか・・・?」

「驚くことじゃない・・・考えてみろ、世界中のスパコンを集めても到底及びもつかない演算を可能とするデミウルゴス周辺の電子機器、量子学上の証明による新たな技術開発、そして今まで膨大なエネルギーを元にしなければ不可能だった重力波の発生についてシステムを介することで実現できた・・・ただ何気なく凄いものだと思っているこれらを持つだけで日本は金額に換算すれば数十兆円の利益を得たも同然だ」

 

「す、数十兆円・・・・く、蔵人さん・・今、数十兆円って聞こえた気がするのですが・・・」

「りっちゃん・・・気偶だな。俺もそう聞こえた」

「数十兆円か・・・まぁ、イマイチこーピンとこないが・・・・それだけの利益なら、これ以上余計なリスクを冒すこともねーか」

 

しまったな・・・残り回数の話に信憑性が増してしまった。

伊織が最悪のシチュエーションだとフォロー(?)を入れてくれたのが無駄になったな。

 

「しかし・・・あと4回か。奇跡を待つのは、ちょっと虫が良すぎる回数・・・って気がするな」

「まったくだな・・・」

 

奇跡ねぇ・・・・奇跡なんかに頼るようじゃ、末期のような気もするが。

みんな、顔が暗くなってんなぁ・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ろくなメールがないな・・・」

 

スマートフォンを閉じてから、目の前の書架に視線を転じる。

この前の殲滅戦に来た新東雲の図書館はこうして見ると、かなりの蔵書数がある。寄付もあるだろうが、ほとんどが新品同然になっている。

時代は2020年代。わざわざ調べ物に本を使うこともなくなっている。ほとんど趣味だよな・・・ただ、電子化されていない書籍はこういうところで調べなければ出てこない。

 

 

「あら、麒麟さん」

「小夜音か・・・どうした、こんなところっていうのも変だが」

 

蔵人やりっちゃんなら似合わないこと請け合いだが、小夜音ならそうでもないか。

 

「ええ・・・ちょっと、伊織先輩と一勝負しよう・・・という事になったものですから」

 

小夜音は市松模様の板を掲げてみせる。

 

「・・・チェス?」

「ええ、麒麟さんはおやりになるのですか?」

「あ、いや・・・昔、知り合いからコテンパンに負けて以来やってない」

 

トラウマが蘇ってきた・・・・思い出しただけで腹が立つ。

 

「あら、意外ですわね。麒麟さんは得意そうに思っていましたのに」

「相手が悪かった・・・実力的には世界ランカー一桁ぐらいだったからな」

 

肩を竦めて、どうしようもないと示す。

 

「しかし・・・伊織もチェスをやるのか」

 

伊織の場合、相手は画面の向こうにしか居ないような気がするが。

 

「ええ、しかもコンピュータを相手にしていらっしゃったそうだから・・・結構お強いようですわね」

「へぇー・・・・」

 

なんかもう、いろいろとごめん。

 

 

 

 

「すまない、伊織」

「・・・麒麟、どうした?」

 

開口一番に謝る俺を、伊織は実に困った表情で見つめる。

 

「・・・ちょっとな・・・小夜音とはそこで偶然会った」

 

この二人の対局がどんなものか気になったので見に来た。

 

小夜音が盤を広げ立派な箱に入った、出来の良い駒を出すと二人はそれぞれ自陣へ配していく。

コンピュータが基本の伊織は駒の感触を気に入ったのか、まじまじと見たり、撫でたりしていたせいで始まるまで時間が掛かった・・・何でそんなにビショップの駒を可愛がるのか謎なんだが。

 

「・・・(ビショップ)をC4へ。(ナイト)は頂きますよ」

 

序盤は二人とも、定石通りに手堅く守りを固めてからの探り合いになった。

チェスは基本的に将棋とルールが違わない。ルーツが同じなのだから当たり前かもしれないが。

歩兵(ポーン)に顕著な駒の動きや、駒の取り方、一度取られた駒は戦場に復帰しないことを除けば将棋とほぼ同じルール。であれば、チェスが解からずとも将棋が解かれば割と解かる。

 

「策略家なのね・・・無理でも私に攻撃させて、安い駒を犠牲にして私の兵隊を減らそうっていう腹か・・・」

「チェスは純然たる引き算ですから・・・より強い駒を減らしていかなくては」

 

伊織が褒めたのか―――皮肉ったのかもしれないが―――小夜音は、自軍の歩兵や桂馬(ナイト)などの機動力の低い駒を犠牲にして、伊織の高機動の駒を減らしていこうという作戦らしい。

 

「けれど、安い駒には安い駒なりの使い方があり、利用法があるものよ・・・NをF6へ」

 

今度は伊織が桂馬を使って飛車角(フォーク)取りの二択を迫る。良い勝負だが・・・ふむ。

 

「っ・・・フォークですか。しかも、ルークとビショップの二叉とは・・・手厳しいですわね」

 

二人の差し手はそれぞれの性格がよく出ている。

小夜音はある程度の罠を想定した上で手を伸ばしていく、大胆な差し手。

伊織は先の先まで想定し、最適な手を一手一手に込めていく、先読みタイプ。

 

 

「・・・参ったわね、殆どのマス目に(クイーン)が効いてるのね」

 

 

―――終盤。

 

長くなりそうな予感がしたので、手近な書架の本を読みながら見ていたがようやく終わりに近づいた。

序盤の防御合戦から一転、伊織が動いて中盤から壮絶な駒取りが始まった。双方の駒が三つか四つになったところで、伊織が小夜音に追い込まれる形で決着の様相となっている。

 

「いかがですか?次で王手ですわ」

 

自信満々に小夜音が宣言してみせる。

チェスは将棋と違い、最終的に駒の数が少なくなるため読み手を間違えることがない。

 

だが、小夜音は気付いていない。というよりも、小夜音の性格からしてこの手は想定外なのだろう。

 

「そうね・・・でも、これで引き分けだわ」

 

苦笑いをしつつ、伊織は自分の王将を突く。

 

「ドロー・・・?え・・・あっ!?」

 

その手を見た瞬間、小夜音は小さな悲鳴を上げ不覚を取ったことに溜息をつく。

 

「もう・・・喰えない方ですね、先輩は・・・これでは引き分け(スティルメイト)ですわ」

 

盤上では、伊織の王将は包囲されている。

そう、完璧な包囲だ。もう打てる手がない。そう、打てる手が存在しない

 

後一手で小夜音は王手だが、まだ王手ではない。現状、駒の位置から伊織の動かせる駒は王将しかない。

そして、伊織の王将はどこに動かしても自ら王手を招いてしまう。当然、自分から王手へ飛び込むなどできない。

こういう状況をチェスではスティルメイト、将棋では必至と呼ぶ。

 

「チェスだと・・・自分がスティルメイトを宣言するまで相手が気付かなければ、自動的に引き分けだったな」

「ええ・・・先輩は自分が負けると解かったために、私を誘導してスティルメイトの状態に持ち込んだようです・・・悔しいですわ!」

 

そう言えば、俺がコテンパンに負けた相手―――來珂はスティルメイトのことを『戦術において勝利が何かに気付かない愚か者が勝てる道理がない。スティルメイトは勝利の意味を知らぬ者への戒めだ』とか、カッコイイことを言ってたな。

 

「まあ・・・負けないのも、勝負のうちだから。言うでしょ、戦に負けて勝負に勝つって」

「・・・その飄々とした態度ですと、悔しいですけど一層清々しいですわ」

 

 

 

 

 

チェスが終わってから、全く人気のない図書館で談笑が始まる。

どうせ今日は夜から実験で、どこかに出かける時間もなく、三人とも時間を潰したかった。

 

 

「・・・そう言えば麒麟、昨日会った子は本当にお前の弟なのか?」

「い、伊織先輩・・・っ」

 

当事者の俺ではなく、小夜音が伊織の前触れのない踏み込んだ言葉に慌てる。

 

「ああ、すぐ下の弟だ。名前は隼人って言ってな・・・あんまり似てないだろう?」

 

家族の複雑なことに踏み込まないというのは人間関係の基本だが、伊織にその辺の間合いを計る経験はない。だから、直接聞いてくる。

俺も・・・別に隠し立てするようなことでもないか。聞いて気持ちの良い話でもないだろうが。

 

「そうだな・・・聞いても、良いのか?」

「今更」

 

実に今更な問いかけに俺は笑みを返す。

昨日の会話を聞いてしまった以上は、知らないままでいさせるのも悪い気もする。

小夜音も、少しバツが悪そうにしながらその場に残っている。

 

 

「どこから話したものかな・・・俺に弟や妹が居るのは話したか?」

「聞いたことはある」

「わたくしも、ありますわ・・・何人いらっしゃるのですか?」

「まぁ、弟が4人、妹が3人居てな・・・・」

「7人か・・・随分と、その・・・親は頑張ったんだな」

「伊織先輩・・・」

 

伊織の言い方に小夜音が顔を赤くして抗議するが、言った伊織も白い肌に朱が差している。

だったら、言わなければいいだろうに・・・。

 

「いや・・・俺達は父親こそ同じだが、母親が違う」

「えっ・・・それは、その・・・そういう意味でよろしいのでしょうか・・・?」

「小夜音がどういう意味を想像しているのか解からないが・・・まず俺と隼人は母親が違う」

 

ニヤリと笑ってやると、小夜音は一層顔を赤くしていた。

 

「別に父親が特別な女好きで手当たり次第だった、というわけでもない」

「・・・家の慣習か・・・?」

「・・・そういうことですの・・・」

 

複雑な家柄に生まれたという意味では近しい二人は、『家の慣習』という言葉にすぐさま納得を示した。

 

「早死にしやすい家系だったからな。血統を絶やさないために、子供を多く作るということだったらしい。それに現代的な解釈を加えると母親が複数いれば遺伝的な多様性が生まれ、感染症なんかで全滅しないようにするためでもあったんだろうな」

 

言い方は悪いが、より優れた子供を作るために交配を試してもいたんだろう。

 

「だからあまり似てないのか?」

「そういうことだ。まぁ、親が違うからああいう態度を取ってるわけでもないが・・・」

「こういう言い方をすると気分を悪くされるかもしれませんが・・・」

 

小夜音は僅かに迷いを見せ、視線を外してから言った。

 

「・・・いつもの麒麟さんらしくない言い方をされていましたし・・・その、まるで隼人さんをわざと突き放すような、そんな印象を受けました・・・」

「よく・・・見てるな」

「・・・・何故、そのようなことを・・・?」

「どうしてとか、何故とか聞かれると・・・・こうなることが必然だったんだろう。俺とアイツらにとってはな・・・」

「アイツら?」

「俺は、隼人以外の弟や妹達にも嫌われ―――いや、憎まれてる」

 

嫌われているでは足りないだろう。

俺が靜峯の宗主であり、隼人との間に超えられない技量の差があるから斬りかかってこなかっただけで、それらがなければアイツは躊躇なくあの場でも、斬りかかったはずだ。

こういうのを憎まれている、と呼ぶのだろう。

 

二人は、言葉を呑み込んでいる。何故と聞かずとも答えは隼人が余計にも口走っている。

 

 

―――父上と姉上を殺したアンタをなぁっ!!

 

 

否定はしないし、しても無駄だろう。事実なのだから。

聞けば、同時にそれは人殺しなのかと問うことにもなる。如何に二人が剣術を達人の域まで練磨し、現に仮想世界の中で殺し合いを演じ、その中で殺していたとしても・・・それは現実ではない。

奇妙な話だが、生き還ることが前提の殺人。

 

俺は違う。生き還ることなどない。

現実において殺人を犯した。何より、一般的には一番近しい家族をその手にかけている。

 

 

「アイツの怒りは、アレはアレで正しい・・・俺は現実の人殺しだ」

「・・・麒麟さん・・・その・・・」

「小夜音・・・お前の今の気持ちはありがたいが、まずは語った事実を受け止めてくれ・・・」

「・・・すみません・・・」

 

安易な言葉はいらない。

事情があったのかとか、仕方なかった理由があったのかとか、庇う方法はある。

しかし、俺達は剣士だ。

剣持ちて神魂の一振りに至らんとしながらも、矛先は人魂を絶つしかない。究めんとしたその日から剣士が背負う業なのだ。

 

事情があろうとも、理由があろうとも、俺は剣を以て肉親を殺害した人殺し。

 

 

「二人とも・・・世の中、弱くて悪いことばかりじゃない。弱ければ少なくとも誰かを殺すほどの力もないから、人殺しをせずに済むことだってある」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――夜

 

西暦2020年、7月20日、甲戌、午後11時18分

 

 

「今夜は、風が強いな・・・」

 

裏庭に出た俺達の中で、蔵人が開口一番にそう言った。

いよいよ、二回目の実験が行われようとしている。

 

「皆、二回目の実験だ・・・要領は解かっているな?」

「ああ、問題ないぜ」

「それでは、始める・・・管制室から指令が来るまで、少し待ってくれ」

 

俺達は前回と同様にそれぞれが登録した鏡の上に横たわり、俺はデミウルゴスの支柱に凭れ掛る。

戦いが再び始まる。しかし、それが何のための戦いなのか。

立ちながら眠りに入るという聊か奇妙な状態が影響しているのか、詮のない考えが出てくる。

 

この実験には致命的なものが一つ欠けている。

勿論、俺の知る限りのシステム的な欠陥や、裏口などは別としてだ。

 

 

「では、接続を開始する」

 

 

観影さんの声の導きと共にシステムが本格稼働を始める。軽い振動と共に体の末端から痺れがくる。

そして、感覚がプレロマへと浸っていく。

 

「その世界に於ける力は君達自身の地力を以て他に無く、君達が封ずる力は君達の持つ一振りの刃を以て他に無い」

 

振動も痺れも消え、感覚が二重になり、徐々に切り離されていく。

 

「君達の力が世界を変えるのだ。死を畏れず、また闘いを恐れるな・・・勝ち取るのは未来、そして希望!」

 

未来、希望―――俺が失ったもの。

苦笑いと自分に向けたつもりの嘲りを胸に、俺は二重になった意識の片方へ飛び込んだ。

 

 

「・・・没入!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて・・・・随分と、面白くない展開になったな」

 

満天の星空。

そして、朱に染まった大地。

プレロマは組み合わせとなった相手の心象風景を融合させるらしい。

 

「そう言うなって」

 

俺の前には、上泉信綱が居る。

それは俺達が普段接している信綱ではなく、“上泉信綱”。

 

 

「良いのか?早々と表舞台に干渉して」

「そりゃ、良かないさ・・・だが、俺にも色々事情ってもんがあってな」

 

大仰に肩を竦めてさも面倒臭そうにしている。

 

「・・・ってか、お前はいつから気付いてたんだよ」

「最初から怪しいと思っていて・・・次は冬芽にスサノオと呼ばれた時。後は疑ったところを当て嵌めていった結果だな」

「ったく、喰えねー野郎だぜ・・・自分の方こそこれ見よがしに怪しさ振り撒いてるくせによ・・・」

 

信綱のマネをして俺も肩を竦めると、信綱が笑い、俺も釣られて笑う。

お互い、人のことを言える立場でもない。

狐狸の化かし合いではあるが、この辺の機微は変わらない。

 

 

「・・・・お相手は何処にいるのかしらね」

 

 

ふと、聞き慣れた声が流れた。

 

「ここだ月瀬」

「信綱さん・・・それに、麒麟さんも・・・」

 

信綱が凭れていた柱の向こうから、小夜音が現れた。俺とは違い、いつもと違う上泉信綱としての信綱に違和を感じているらしい。

 

「本当に、信綱さんですの・・?」

「なんだ・・・随分な言われ様だな。整形手術も受けてないし、記憶喪失でもないつもりなんだが」

「この際、記憶喪失は関係ないだろう」

「そーゆー細かいことを突っ込むんじゃねー・・・っ!」

 

「ああ、いえ、そう言うことではなくてですね・・・・」

 

軽口を叩き合う俺と信綱を、それでも小夜音は違う“何か”を探るように見ている。

 

 

「・・・実は俺には妹が居てね。二人には紹介しておこうと思ってな」

「えっ・・・妹・・・さん?だって・・・ここは仮想世界で」

「ぶっ・・・・いや、小夜音。そこは真に受けるところじゃないだろう」

 

思わず噴き出してしまい、小夜音は頬を赤らめてドジを恥じる。

だが、今の信綱にはそれが冗談なのか判別をつけさせない雰囲気が確かにある。

 

「・・・また、お逢いしました。小夜音さん」

「ソフィアー!えっ、ですが、妹って・・・えっ、あの・・・どういう事ですの!?」

 

明敏たる小夜音もいきなりのソフィアーの登場と、信綱の妹発言にパニックをきたした。

 

 

「そうか・・・そういうことか・・・だから、そういうことなのか・・・糞ッ!」

 

最後のピースはこれか。

何故こんなに高いリスクを冒してまで、プロジェクトが動いてきたのかようやく理解できた。

 

 

「ま、妹ってのは冗談だから置くとして、・・・こいつが俺らに話があるらしいんでな。連れてきたんだ」

 

俺が感付いたことに感付いた信綱は、一瞥しただけだ。

これは小夜音を引き込むためであると同時に、俺へピースを明かす茶番でもあったわけか・・・。

 

「私たちに・・ですか?一体、何を・・・」

「この仮想世界は現在危機に晒されているの。ですから、私の妹を、護って欲しい」

「貴女の・・妹?貴女の妹が、一体この仮想世界とどんな関係があるというの・・・貴女の名前は?解からなければ妹の名前も解からない」

「光璃・・・伊集院光璃―――そうだろう?」

 

俺が口を挟むと、ソフィアーは肯いた。

 

「伊集院って・・・じゃあ、貴女の妹っていうのは・・・観影先生の事ですか?」

「そう、観影。あの子も妹。あの子はわたしと対になっていて・・・だから、人の身でありながら“第[要素”となってしまった」

「第[要素・・・それは何のことです・・・」

「『銀の回路』がこの仮想世界を産み出すためには、高い精神昂揚能力を持つ8人の人間が必要なの」

「8人・・・6人の誤りではないのですか?だって、鏡は6枚しか・・・」

 

言い掛けて、弾かれたように小夜音は俺を見る。

そうだ。鏡は6枚でも何故か俺はイレギュラーとして7人目になっている。

 

「・・・言っておくが、俺は女じゃないからな」

「ええ・・・貴女は私の妹では、ありません。正確には6人と、回路の中でみんなの心を受け止める『受け入れる者』そして、外の世界から仮想世界へ6人を送り届ける『送り出す者』・・・それで8人が必要なの」

「回路の中で受け止める・・・って、じゃあまさか、貴女をここへ閉じ込めた事故・・・と言うのは最初から・・・」

 

 

俺も今の今まで勘違いをしていた。

 

「事故、ということになっているのね。そう・・・それも含めて、観影をこの儀式に織り込むための作為だったの」

 

それまでプロジェクトの外縁に居た伊集院観影が突然の大抜擢を受けて、主任の座に就いたこと。

彼女自身が姉である伊集院光璃の事故死の真相を探ろうとすること。そのために研究へ全力を尽くすこと。

 

それらのための、作為としての“事故”だった。

 

「作為・・・誰が・・・・一体そんなことを・・・・」

「直接に手を下した・・・というなら疋田博士。でも、その博士を突き動かしていたのは・・・『集合』(レゴ)だよ」

「レゴ・・・?疋田博士を突き動かした・・・?それは一体・・・・」

「『集合』は地球、『集合』は人間達、『集合』は外の世界の意志」

「レゴはこの世界の意志・・・レゴ・・集団(レギオン)・・・集合的無意識が、人を殺す・・・まさか」

 

『世界』(レゴ)は変成を望んでいる。『彼方』(クム)には『罪』という名の『心の澱』(レゴ)が溜まり過ぎてしまった・・・このままでは『澱』(レゴ)によって世界は淀んでしまう。

『世界』(レゴ)が淀んでしまえば、それは『不浄なる者』(イムンダ)の餌となってしまう・・・それでは『世界』(レゴ)は変成できない・・・やり直すことができない」

 

 

常人のみならずとも、意味不明の言葉を連ねるソフィアーに小夜音は動揺し、瞳を揺らす。

 

「ねえ、待って・・意味が解からないわ!一体いま、世界はどうなっているの!?」

「護って・・・総ての要素が揃って居なければ『世界』を変成させることはできないの・・・お願い、護って・・・お願い・・・」

「待って・・・・」

 

小夜音の呼びかけも虚しく・・・・ソフィアーは目の前から消えてしまった。

 

 

「どういう・・ことなの・・・信綱さん」

「・・・言った通りって事じゃないのか?観影センセを護れってんじゃないのか?」

 

突き放すような信綱に、小夜音は興奮が収まらなくなっている。

 

「でも・・・それはおかしいわ。だって彼女『あの子も妹』って・・・そう言っていた」

「・・・あの子もか」

「信綱・・・・」

 

こいつでも、こんな顔をするのか。

いつもの道化めいた微苦笑ではなく、何とも言えない積年の想いの籠った微苦笑を信綱は浮かべていた。

 

「解からない・・・そもそもソフィアーの言葉は複雑過ぎる。一つの言葉に、あれは幾つもの意味がある!あれでは意味が捉えられない。

解からないわ・・・そもそも、観影先生を護るにしても、他の誰かを護るにしても、何から護るのですか?人?『残滓』?それとも精神的な何かなの?」

 

信綱は何も言わない。

俺も何も言わない。

信綱が俺の思っているような存在なら、とっくに答えを知っている。だが、それを口にするのはスレスレだったルールに反してしまう。今回のことだけでもレッドゾーンに足を踏み込んでいるとも言えなくない。

 

 

「駄目よ・・・これでは駄目・・・一体どうすれば・・・・」

 

ぶつぶつと思考の迷宮へ入っていく小夜音に溜息一つ。

信綱を見やると、頷きが返ってきた。ここには蔵人も圭も居ない・・・ということは、俺の役回りか。

 

「小夜音」

 

あーでもない、こーでもないとやっている小夜音の肩を掴んで振り向かせ。

 

「えっ?痛ッ・・・!」

 

デコピンを一発。痕が残らない程度に。

 

「き、麒麟さん・・っ!」

「解からんことは無理に考えるな・・・無理に考えても答えが出るものでもないだろう」

「ですが、時間が・・・」

「時間は有限だ・・・だからこそ、大事に使え。今この場で無理に時間を消費するよりも、解かる状況へ持ち込むにはどうしたら良いのかを考えるほうが先決だろう?」

「そう・・・そうですわね。私としたことが、我を失ってしまいました・・・申しわけありません」

「解かればよし・・・」

 

言って、小夜音の頭を綺麗に整った髪が乱れない程度に撫でてやる。

 

「あ、あの・・・麒麟さん、は、恥ずかしいのですが・・・」

「あー・・・すまんな・・・しかし、小夜音の髪は触り心地が実に良い」

 

昨日触った伊織の髪とはまた趣が違う。

 

「もう・・麒麟さんは女性に対して簡単にこういうことをし過ぎですよ。昨日だって伊織先輩と・・・」

「そうだな・・・だが、やめられないこともある」

 

仕方なく、手を離し数歩下がる。

用意の良いことに信綱は俺達から離れた位置の柱に、改めて凭れかかってこっちを見ていた。

今回は譲ってくれるらしい。アイツにとって、あくまで本命は蔵人ということか。

 

 

 

「さて、小夜音・・・思わぬ珍客のせいで忘れそうになったが、俺達がここに来た以上は・・・」

「そうですわね・・・刃を交え、どちらかがどちらかを殺す。それがここのルールでしたわね」

 

小夜音も数歩下がり、剣士としての佇まいを取り戻す。

 

「ソフィアー!俺に太刀を!」

「ソフィアー!私に太刀を!」

 

 

呼べば現れる自分の太刀を握り締め、俺は腰に佩いた。

小夜音は一々佩かずに抜刀すると鞘を地面へ落とした。

 

「信綱さんはよろしいのですか?」

「なんの気にするな・・・それに、麒麟はお前との勝負を所望らしいしな・・・」

「そういうことだ・・・件の約定もあるしな」

「はぁっ・・・・実に殿方らしい動機ですわ」

 

佩いた太刀を抜き、オーソドックスなどの流派にもありそうな正眼に構える。

 

「幻滅したか?」

「いいえ・・・それぐらいの気概を持って臨んでいただかなければ、面白くありませんもの」

 

 

 

 

 

 

 

何時の間にか、星空に満月が出ていた。

どこか朧な月は儚さを感じさせる。

小夜音と対峙しながら麒麟は、ふと新東雲に来てから月を愛でることがなくなったなと思いだす。

 

飯綱に居た頃は月を愛でながら、ゆるりとした時を過ごしていたはずが。

いや、あれはゆるりというよりも時間が死んでいたのだろう。

 

 

「白衣さん、黒衣さんを圧倒したという業―――ぜひ、お見せいただきたいものですわ」

「圧倒か・・・勝負は常に紙一重だと思っているが?」

「ご謙遜を・・それ以上は嫌味にもとられますわ」

 

小夜音の眼力が捉える麒麟は凄さまじく強い。

鍛練とは言え、蔵人を倒したとも聞く。確かに前回の実験で戦った蔵人が相手ならば、倒してのけると思えるほどの強さを感じる。

殲滅戦でも見せた豊富な実戦経験―――そして、決定的に違うのが彼は現実において人を殺した経験があるということ。

 

だが、小夜音はそれでも負けるつもりはない。

伝説の流派――巌流をも遣う、これも伝説の戦闘集団「靜峯の剣士」と当たる以上、勝ちたい。

 

 

「俺に、勝てると思うか・・?」

「本音を言えば・・・とても勝てるとは・・・ですが、だからと言って挑まないという選択肢は私に存在しません」

「良い気構えだ。俺も楽しめる・・・」

 

麒麟がくくっ、と楽しそうに喉の奥で笑いを囀る。

 

「大した自信ですわね・・・」

「俺は臆病者でね・・・勝てる勝負しか持ち掛けない」

「御冗談を。この場でそのような笑いを出せる人の言う言葉ではありませんわ」

 

恐怖よりも、歓喜が勝っている麒麟に小夜音は気遅れしないように自分を叱咤する。

威圧感で負けていては話にならない。

 

「さて・・・そろそろだな」

「ええ、そうですね」

 

二人の肩から抜け出るように力みが消える。

 

 

「新陰流が剣士、月瀬小夜音・・・お相手致しますわ」

 

期待していた。

麒麟が名乗る神祇御留流の名前に。

 

「面白い・・・ならば―――愛洲陰流、靜峯麒麟・・・一手受けよう」

 

何でもない正眼の構えが解かれ、構えを取らなくなった。

 

「私が相手でも、本来の流派を名乗られないおつもりですか」

「そう、いきり立つな・・・俺も、本気ではないわけではない。新陰流の剣士である月瀬小夜音には今の俺が最も適当だと思ったからこそ、愛洲陰流を名乗った」

「結構ですわ・・・そこまで仰せならば、引き出せば良いのですから」

 

泰然と麒麟は小夜音の言葉を受け流す。小夜音もこれ以上の言葉は無駄だろうと、正眼の構えを直す。

無構えの麒麟と、正眼の小夜音。懸待ちの二人は互いに、古流の持つ独特の歩法で間合いを微妙に動かしていく。

 

(本当に隙だらけですわね・・・)

 

麒麟の無構えは小夜音が思っていた無構えとは異なり、不細工なものだった。

無構えとは新陰流の真体である『無形の位』ではあるが、新陰流の血統を受け継ぐ小夜音でさえも見たことはない。ある種の絵空事ではないかとさえ思った時期もある。現にこうして麒麟の無構えを見ているとその思いは強くなる。

 

だが、それでいて懸りに移らないのは小夜音の師でもある父・弦一郎の言葉があるため。

―――斬れると思った瞬間には斬られる、それが無構えだ。

その言葉から警戒は怠っていない。同時に、小夜音には自信があった。型遣いである自分が、無構えの麒麟より絶対に早く動ける自信が。それに麒麟の得物は野太刀なのだから、無構えには些か以上に向かない。

 

ならば、待つだけは下策。

無構えの真髄を見せてもらおう、という強気が湧く。

 

 

「一手、仕掛けてみないか?」

「無論・・・そうさせていただきますわ」

 

安い挑発に乗るわけでもなく、小夜音は自分から仕掛けた。

様子見には程遠く初撃から仕留めに掛った。

 

「ふっ・・・・!?」

 

 

ギイィィィーーーン!!!

 

 

蔵人が膂力の限り振り回す野太刀より、更に速度で上回る小夜音の斬撃は・・・麒麟の無銘の野太刀に止められていた。

 

「なるほど・・・無構えを取るのは伊達や酔狂ではないということですか」

「失礼な奴だな。俺は小夜音を軽んじているわけではないぞ?」

 

鍔迫りは不利と、小夜音はすぐさま退く。麒麟もあえて退く小夜音に突っ掛けたりはしない。

 

「しかし、解せませんわね・・・明らかに、私のほうが速かったはずなのですが」

「ああ、そうだな。俺の方が遅かった。まぁ、それが無構えの利点だ」

「“この身動ぜず水と成せば、月影は水面に映えて冴え渡り”」

「石舟斎だな」

「ええ・・・今のは私の動きを動かないことで察知した、ということですか」

「いいや・・・その詩句は所詮、無構え―――陰流の真髄を技術的に、そして精神論で語っているに過ぎない。その点では、石舟斎もまた陰流を解かっていなかったかもしれないな」

 

麒麟の物言いはまるで、自分はその真髄を解していると言っているも同然だった。傲慢と言うには、麒麟の動きは理を体現しているように感じられる。本当に、『無形の位』を究めているのか?

 

「大言壮語の真贋も、当たれば解かることですもの・・・」

 

小夜音とて己の練磨した流派を虚仮にされたようで面白くない。

 

「やれるものならばな」

 

小夜音の心を見透かすかのように目を細める麒麟。

 

読まれているのかと小夜音は内心惑う。

新陰流は「後の先」を旨とする。現代風に言うならば、カウンター。

相手の懸りを待つ―――懸中待。

そのため、自ら積極果敢に仕掛けるには向かない。だが、小夜音に手がないわけではない。

 

 

「ほぅ・・・その年で、縮地を使うか」

「―――っ!?」

 

小夜音の氣が揺れた。

 

 

キィィィン!!

 

 

構えていない麒麟の野太刀が、神速の切上となりかろうじて受けに入った小夜音の三池典太を弾いた。

 

「くぅ・・・っ!!」

 

力が込めにくく、更に構えのない状態からの斬撃にも関わらず小夜音は力を殺し切れず両腕を痺れに支配される。

小夜音は痺れる腕にできるだけ力を入れつつ、下がらない。逆に体の裏へと踏み込み、麒麟の斬撃の死角へと一気に潜りこむ。

 

が――――

 

 

「そんn――――かはぁ・・っ!!」

 

小夜音は気づかぬ間に膝をつかされていた。

何故と言葉を発することもできずに呼吸が止まり、瞳孔が瞬間的に開く。意識が飛ぶ前兆。修行の間に幾度となく体験した、苦しさ。父の袋韜が胴を薙いだときが走馬灯のように流れる。

 

 

膝をつき、苦しげに喘ぐ小夜音を麒麟は三歩離れて無構えのまま眺めていた。

 

「・・・発勁。まさか、日本の剣士で使う奴が居るとはな」

 

観客と化していた信綱が口笛と共に、称賛ともつかない言葉を送る。

 

「肘からでも打てるのか?」

「関節から大体な・・・」

「・・・陰流に・・・中国拳法の・・・技は・・・・ないはず・・ですが・・・っ?」

 

懸命の調息でダメージを抑えようとする小夜音は、再び構えを取る。

 

「果たしてそうか?タイ捨流は、明からの中国拳法を取り入れた技があるだろう」

 

蔵人がよく使う足蹴はその一つ。

 

「それに、愛洲移香斎久忠は倭寇として八幡船に乗っていた海賊だった時期もある。中国拳法と接して学んでいても不思議はないだろう?」

「・・・・・・・・」

 

反論はなかった。

小夜音もまた骨指術を使う。

麒麟が浸透勁―――勁力を接した点や面ではなく自在に叩き込む業―――を使ったとしても不思議ではない。

 

「私の油断・・・それ以上のものではありませんわね」

「そういうことだな」

 

自戒を込めた言葉に、麒麟は苦笑で応える。

 

今の攻防そのものが麒麟なりの“教育”だったことに小夜音も気づいた。

言葉に惑わされたところから麒麟の術中に嵌っていた。惑わされまいと気を張らせた。

一つ、一つ、言葉や動作が小夜音も知らない内に攻め手を狭めていった。

 

「恐ろしい方ですわね・・・その若さで老獪と呼ぶに相応しい巧者とは」

「買い被ってもらっては困る。俺もまだまだ修行中の身でな・・・鬼には勝てん」

「鬼とは随分な大層な方を相手にされているようで・・・」

「まぁな・・・」

 

少しずつ、二人の間に戦意が漲り始める。

 

麒麟も小夜音と同じ車構えを取る。

もう、小夜音は何故という疑問を持たなかった。考えていては際限なく惑わされ、狂わされる。

まだたったの二合。それなのに、長く打ち合ったような錯覚がある。

 

「良い、覚悟だ・・・俺も、それに相応しい流派で迎え撃つべきだな」

 

軽く瞑目。

 

 

 

「愛洲陰流改め―――神祇御留流が剣士・国摩真人麒麟・・・お相手仕る!」

 

 

 

驚きよりも、戦闘本能が上回る。

名乗りと同時に麒麟は動いていた。

 

(疾ッ―――)

 

言葉に出す間もなく、麒麟は間合いを詰め終わっていた。

 

速度勝負であれば追随できる。

小夜音は逆袈裟を振り下ろそうとして、右の爪先で全力を振り絞ったブレーキをかける。

当然、体が崩れるが荷重移動で右へステップを踏む。

 

麒麟は追従する。間合いは変わらない。

今度は八相から胴薙ぎを仕掛ける。左半身の体勢から小柄な体格には似つかわしくない破壊力が引き放たれる。

その胴薙ぎをギリギリまで引き付けた麒麟の次の動きは、小夜音の驚きを誘う。

野太刀を左手に。腕を畳み、肩に鎬をぴたりとくっつけながら左膝が立つほど深く踏み込んでいた。小夜音からは背中が見えそうになっている。

胴薙ぎは止められるだろう。しかし、次の動きへ繋げられるような体勢ではない。既に体が崩れてしまっている。剣士であれば、麒麟の失態による小夜音の詰みと見る一面。

 

あるまじきことだが、小夜音の脳裏にも勝利の確信がちらついた。

 

 

ギャアーーーァァァン!!!

 

 

普通とは明らかに異なる剣戟が響く。

 

麒麟の野太刀が、小夜音の三池典太を宙へ飛ばしていた。

鋩は小夜音の心臓の上で止まっている。

刃を上にし、正当の構えではないフィクションじみた構え。けれども、全身の捻りを持ってすれば予備動作なしに小夜音の心臓を刺し貫くことができる構え。

 

 

「・・・私を、愚弄なさるおつもりですか!?」

 

ここに至っての手心に、小夜音の心が激した。

 

完全にしてやられた。

新陰流の後の先を取らせない、新陰流を知り尽くした動きだった。

間合いを詰められてしまい、転による理合を半ば封じられた。苦しい攻め手はしかし、予知されているとしか思えない動きの足捌きで射程外へ回られた。だから、仕切り直すためにもステップを踏んだ。

 

麒麟の受けは、奇異であっても理に適ってはいた。

三池典太を鎬で受けたと同時に空いた右の掌底で反対の鎬を打つことで、受けられた時の力しか入れていなかった小夜音は想定外の力を受けて、まんまと刀を宙へ飛ばした。

そして、余勢を駆って今の構えへ移っている。

 

攻め手よりも、結果こそが闘争。

どんな手であれ小夜音は殺されていた・・・はず。

麒麟はトドメを刺さなかった。

 

敗者になるつもりはないが、敗者としての覚悟は小夜音にもある。

剣士とはその両方の心構えが必須である。少なくとも小夜音はそう考える。

剣士としての心構えは同時に、誇りでもある。麒麟は間違いなく小夜音の誇りを汚した。

 

憤懣も当然である。

だが、麒麟はその小夜音の憤懣を超える、冷たい憤怒を以て応えた。

 

「愚弄・・・・・?」

 

冷笑が、襲いかかった。憤懣を凍りつかせる、非生物的な冷笑。

 

鋩を外し、構えを解き、しかし隙の誘いの一分のみ残した麒麟は歩き出す。

宙を舞い、地面に転がった三池典太を拾い上げる。

 

 

「俺に本気を出すよう迫りながら、鉛を仕込んだドレスを着こんだお前が――――それをほざくのか?」

 

「それは・・・・っ!?」

 

 

小夜音は二の句が継げない。

彼の言うことは正しい。誇りを語る前に、先に愚弄したのは自分の方だ。

全力を求めながら、こちらが全力を尽くさない。しかも、技量が上の者に対して。

 

今の一幕もドレスに仕込んだ鉛さえなければ、もっと他にやりようもあった。

 

 

「失望した―――失せろ」

 

 

言葉を合図に、三池典太が小夜音へ放物線を描いて投げられる。

瞬間的に小夜音がそれを取りに動く。麒麟も動く。受け止めた小夜音を狙うために。

 

「させません――っ!!」

「ふん・・・」

 

三池典太を受け止め、上段から神速の袈裟斬り。

気迫の籠る、天からの一刀。基本にして極意の袈裟斬りは、空間も斬り裂きかねない速度で麒麟へ振るい落されていく。

 

髪の毛が数本散る。伸ばしっ放しにしている麒麟の髪が袈裟斬りの餌食となる。麒麟の右足が退かれていた。

 

 

―――ぞわり

 

小夜音の肌が粟立ち、ざわつく。血の気が引くよりも先に訪れる一刀。

 

 

もしも、木刀であれば右拳を砕いた斬撃は真剣であるが故に吸い込まれるように肌へ挿し入り、肉を滑りカルシウムの間へ分け入り、また肌へ挿し入りを繰り返しながら小夜音の両手首を断った。

 

 

「――――っ!!!?」

 

 

麒麟の太刀行きは小夜音の虚脱を許さない。夢にも感じられる両手の切断に、忘我する小夜音の腹部を斬線が通った。

 

 

「がはぁっ―――!」

 

 

競り上がる血塊を、今度は咽喉骨を砕いた手刀が押し戻す。

膝裏を蹴られ膝をつかされる。両手をつくところだが、手はもうない。それに、零れ落ちようとする人肌より温いハラワタを抑えるために塞がっていた。

 

まだ死んでいないが、致死するだろう傷に小夜音は何も感じられなかった。

恐怖はない。克服するための勇気を振り絞ることもない。まるで解体される鮪のように、自分の身へ起こる事実を淡々と感じるしかなかった。

 

 

「死ね」

 

 

切腹した武士が介錯を受けるかのような構図を図った麒麟は、野太刀を頸椎の隙間へ向かって振り下ろした。

 

小夜音は見えない位置の斬撃よりも、一連の麒麟の動きを反芻していた。

 

 

(燕飛之太刀――――ご先祖が屈辱を味わった業を噛み締めろ、ということですわね)

 

 

意識は、首が落ちて、落ちた。

口の中に広がる濃密な血の味。

その味は、かつて味わった絶望の味に良く似ていた。




前半は日常というか、試験があったり買い物したりとほのぼのとした感じだったけれど。
美姫 「後半はシリアスよね」
合間、合間でも結構シリアスな場面もあったけれどな。
美姫 「で、小夜音は負けちゃったわね」
だな。さてさて、あの条件はどうなるのかな。
美姫 「次回も楽しみね」
ああ。次回も待ってます。



▲頂きものの部屋へ

▲SSのトップへ



▲Home          ▲戻る