「【レイボウ】!!」

 

長杖型デバイス[ヘルハンマー]がコマンドに応える。

バスケットボールほどの大きさの七つのスフィアからレーザーのような魔力線が蛇神ククルカンへ迸る。

最早、その威力は射撃魔法ではなく砲撃魔法に分類されるべきもの。

 

ククルカンの腕の一本が動くと、つめ先にミッド式の魔法陣が展開。

バスケットボールほどの大きさのスフィアが七つ。

 

―――【レイボウ】

 

 

「・・・悪夢だな・・・」

 

間一髪、回避できたグランドチーフは冷たい汗を拭う余裕もない。

全く同じ魔法を、より高出力で撃ち返して来る。

ミッド空軍のナインブレイカーでもあるまいし、使った魔法をそっくりそのままコピーして使ってくるとは思いたくない。

 

だが、それよりも問題なのは・・・

 

 

「【ドンナァシュナイデン】!!」

 

ノクターンの大剣型デバイス[ザイン]が雷を纏いながら振り落とされ、魔力斬撃と雷撃魔法の二重攻撃が炸裂。

 

ククルカンの腕の一本が動くミッド式の魔法陣が展開。

指先を中心に広大な面積を有するシールドが広がり、

 

―――【ラウンドシールド】

 

二重攻撃も強靭な魔力盾の前に、牙を突き立てられずに弾かれる。

 

(隊長・・・これは、埒が明きません)

(分かっている・・・ワルキューレ、どうだ?)

(悪い情報と、絶望する情報のどっちから聞きたいですか?)

 

どっちも聞きたくない。そう思いながら、悪い情報から聞くことにする。

その間に爆炎と旋風の波状攻撃を回避し、防ぎ、凌ぐ。

 

(あれは、古代魔法の一種と思われます。魔力の具現化を高め、擬似的な人造生命体を構築するものです)

(すると、あれは一応生きているわけか?)

(どちらかと言うと、レイヤード式の魔像兵鬼に近いものです。コマンドを出さずとも学習によって自律行動を飛躍的に高めていくという点ではこちらが圧倒的に優秀ですが)

(・・・管理局の技術者が涎垂らしそうな魔法だな)

 

皮肉っぽく言ってみるが、事態は好転しない。

 

(絶望する情報は、あの十四の腕の一本ずつがそれぞれ個別に魔法を使用可能という点にあります)

(おいおい・・・十四も同時に使われたらヤバイぜ?)

(それはない。最大でも同時行使は二つまでだ。だが、連続するためのコマンド待機はどれほどか分からないが)

(つまり、こっちが五人掛かりの波状攻撃を仕掛けても、向こうは切れ目無く魔法を撃ち続けられるということか・・・)

 

魔力の枯渇が起きれば撃てなくなるだろうが、それまでこちらが保つか怪しい。

それよりも全員が口に出さなくとも分かっていることがある。

 

化け物の防御をぶち抜くだけの火力が必要だということ。

 

 

(行けるか、ヨハネ?)

(SS+で・・・今の出力でやれるかどうかは五分五分ですが?)

(お前、リミッターを全部解除したら逃げるだろう?)

(当然です)

 

旋風に逆らわず傷つかないように流されながら、余裕で応える。

魔力の温存も兼ねているが、防御せずにバリアジャケットの防御力だけで防ぎきっている制御能力の妙技。

 

―――“B−24715”

それがヨハネというTACネームの本名。

 

ハイメロートはちらりと余裕を保つヨハネを見る。

オヴニル最強の魔導士。その称号はハイメロートではなく、ヨハネにある。

元聖王教会騎士にして、懲役一億年の死刑囚に。

 

(やれ、時間は稼いでやる)

(・・・分かりました)

 

溜息と共に吐き出される諦め。

ヨハネは流れる身体を制御し、距離を取る。

それでもククルカンの巨体は少しも小さく見えることはない。

 

これが古代魔法文明の力。かつて、自分もこの力を封ずるために駆けずり回った日々もあったのだ。

はて、どうして自分はそんなことをしていて、辞める羽目になったのだろうか?と考えてしまう。

きっとのっぴきならない理由があったはずだというのに。

考えても仕方ない、そう切り替えて集中力を高める。

 

 

「我が身は巨人の手―――」

 

四方戟型デバイスの中心の刃が杖の内部へ潜り、四方の支えだけが残る。

 

呼応するように、ククルカンの腕が動く。

それも十四本全てが動いて組み合わせられていく。

一撃で次元航行艦をも破砕する腕の動きは、天を行く雲の流れに似ている。

人の手でその運行を妨げることなどできはしない。

 

―――見よ、人の子

―――脆弱なる汝らに神たる腕を止められるか?

 

そう挑戦されている気がする。

逆だ。挑戦を待っている。脆弱な人の子に勝てぬという絶対の自信の下に。

 

 

――壱に智拳印

「オン・アボキャ―――」

 

――弐に外五鈷印

「―――ベイロシャノウ―――」

 

――参に五色光印

「―――マカボダラ―――」

 

――肆に外縛二中寶印

「―――マニ―――」

 

――伍に外縛二中蓮華印

「―――ハンドマ―――」

 

――陸に智拳印

「―――ジンバラ―――」

 

――漆に八葉印

「――――――ハラバリタヤ・ウン」

 

 

巨人の腕が印を組み、それぞれの腕に十個の円を繋ぐ魔法陣が展開される。

印が魔力を凝縮。桁の違う魔力塊は存在だけで空間を圧し、生物の本能へ氷の刃を突き立てる。

あまりに速い。愚鈍などという言葉を踏みつけるような速さで構築されていく。

化け物は理論も超越するのかと見る者に思わせずにはおかない。

 

 

「―――巨人の一拳は一握を成し、時も、空も、宇宙も掴む―――」

 

ヨハネは極度の詠唱集中で意識が乖離する。

詠唱を続け、魔力を循環させ、世界の法則を覆し、理を従える。

四方戟の先には剣十字の魔法陣が二重に展開される。手前は小さく、奥は大きい。

延髄の辺りがチリチリと焼ける感覚。

かつては良く感じていた。魔力を全開で回している時に感じる独特の歓喜の痛み。

 

乖離したもう一つの意識は、確実に自分の魔法の完成が遅いことを自覚している。

逃げても無駄だとも。向こうの魔法は強大で、逃げる間など与えない。

それでいいのだ。最初から勝ち目があって魔法を詠唱するわけではないのだ。

 

ただ、唱え―――撃ちたい。

本能とも言えないようなくだらない執着がそうさせているだけ。

騎士号を剥奪され、血に穢れ、死刑に怯える愚者には魔法を行使するだけしかないのだから。

 

ククルカンの魔法は詠唱の結を唱えるだけ。

ヨハネにはまだ一節残っている。

 

(さぁ、あと少し、楽しませてくれ・・・)

 

ヨハネの心の呟きの直後。

 

ククルカンの口が、カーマインの口の動きに合わせて動いた。

 

 

「――――【ノヴァサイザー】」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――この子達は何のために戦っているのか

 

ククルカンの火焔と旋風の波状攻撃が天上を覆いつくし、まるで火星。

吹き荒れる紅い風はその実、緻密な制御を受け、時の庭園を灼いていない。

落日よりもなお赤きその空を見上げることもなくガルムは己に問うていた。

 

答えなど出るはずがないと分かっている。

彼らは彼らで、自分は自分だ。

 

彼という字の「皮」の部分には、波という意味がある。

海岸に打ち寄せる波は遥か遠いところからやってくる。

だから、「彼」という字には「波のように遠方に行った所」、転じて一字で「かなた」という意味がある。

 

どんなに足掻いても、自と他は遠い存在だ。

だから人は自を理解するよりも先に、他を求めてしまうのかもしれない。

例え、自分が棘だらけで触れることもできない存在であっても気付かずに。

 

そこまで考えて―――自嘲。

こう考えている自分もまた、自を解せずに他を求めた。

故にこの結末だ。

 

許せ、“俺”よ。

“俺”は、“俺”になれん。

 

 

外の暴力の渦とは別次元の静謐。

何か成さねばならない者達と、何かを成させなければ良い者。

その均衡が破られる。

 

「いつまでも睨み合っているわけにもいかん・・・早く決めろ」

 

腕組みから仁王立ちを解いたガルムは、腕をだらりと垂らした。

その様は獅子。幾多の闘争を栄光のみで彩った荒獅子。

小煩い青二才を無視していた王者が、立ち上がり狩りに入った姿を彷彿とさせる。

 

「後少しもすれば、アルハザードへのゲートが開く。その時はここも一緒に葬ることになっている・・・その前にククルカンが破壊してしまうかもしれんがな。どの道、ここへ居続ければ資格のない者は虚数空間に呑まれて存在を消されるぞ」

 

淡々と喋るガルム。

聞いていた四人はなんとなく違和を感じる。

 

「まさか、僕らを心配してるつもりか?」

 

もしそうだとしたら、クロノは鼻先で笑いたかった。

だが、それをできるほど器用でもないと分かっている。今もその余裕に腸が煮えくり返りそうだ。

 

ガルムはその負けん気に近い反発を見て取り、仮面の奥で小さく笑う。

 

「アルハザードを否定しているようだが、アレは確かに存在する」

「またか・・・戯言は聞き飽きた」

「待って、クロノ」

「ユーノ?」

「ユーノ君?」

 

ガルムやプレシアの言葉を全て妄言と斬って捨てるクロノは、舌打ちしながら聞き流す。

 

が、違う反応をユーノが示した。

好奇心か、それともロストロギアに携わる者としての直感なのか。

本人にも良く分かっていない。

漠然と感じるのだ。

自分達は何か根本的なところで思い違いをしているのではないか、と。

何の根本的なところが、どう思い違っているのかまでは分からないが。

 

 

「アルハザードが実在するなら、アルハザードって何のことなんですか?」

 

まずは一番最初から。

誰もが知っているようで、本当は知らないことを聞く。

古代魔法文明の世界というが、いつの魔法文明なのか。それを言うのならばレイヤード世界はかなり古代魔法文明の技術が残っている。古代魔法文明が続いていると言えなくもないのだ。

 

本当のことを話してもらえるかという心配は杞憂だった。

ガルムは今更、隠す必要もないことだと思っている。

 

「正確には、アルハザードという名前の世界ではない」

「え?」

 

世界ではない。

いきなり根底を覆されて、誰もが驚く。

 

「アルハザードというのは作戦名のことだ」

「作戦名?何の?」

「大破壊で世界を灰燼に帰した者達を一つの世界に封印するための作戦。それが崩壊していく世界群を救うための方法として人工的に作り出された地獄。作戦名を取って封印の要として使用された世界のことをアルハザードと呼んでいたに過ぎない」

「え?え?え?――――」

 

理解が追いつかない。

知らない単語が出てきた。

無意識に片手で頭をゴンゴンと叩いてしまう。しっかりしろ、僕の脳と言いながら。

 

「大破壊―――500年前の文明崩壊のことか!?」

 

先にピンと来たのはクロノ。

それにユーノも触発されてインスピレーションが湧き出した。

 

「世界を灰燼に帰した者達が“巨神兵”!―――じゃあ、アルハザードを開いたら“巨神兵”が復活する!?」

 

湧き出したインスピレーションが一度止まる。

恐ろしい想像にぶち当たった。

ユーノは自分の顔色が絶対に蒼褪めていると自覚する。

その想像は最悪に過ぎる。

 

「ガルム、貴方が巨神兵なんですか?」

「「!!??」」

 

クロノと、話についていけなかったなのはもユーノの色を失った顔へ視線を向ける。

アルフだけが何かを言いたそうに顔を俯かせていた。

 

「それは買い被り過ぎだ。何か誤解しているようだが、アルハザードと呼ばれている世界そのものに巨神兵が封印されているわけではない。言っただろう、封印の要がアルハザードだと。御伽噺にあるアルハザードのような古代魔法文明の世界を重石に使い、封印している。管理局が気付かないのは万が一のために世界そのものへのアクセスを断っているだからだ」

 

スラスラと台本を読むようにガルムは語るが、クロノは相変わらず胡散臭そうという考えを変えていない顔をしていた。

 

「そこまで分かっているのなら、何故ジュエルシードを狙った?座標が分かっているのなら勝手に飛べばいいだろう」

「鍵だからだ」

「鍵?」

「アルハザードには外部からのアクセスを遮断するための高度な結界が張られている。強引に入ることはできるが、その後に障害については不足の事態が許されない。そのために、正規の鍵として製造されたジュエルシード――本当はこの名前ではないが――が必要になる」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 

ユーノは頭痛を抑えるように頭に手を当てている

話の展開に脳の処理速度が追いつきそうにない。

 

「アルハザードへ行くための正規の鍵ってことは・・・」

 

その予想をガルムは肯定するように遮った。

 

「そうだ。次元の歪は発生するが、それも後に補正される。ジュエルシードを使うことでアルハザードへは周囲の空間に影響を与えることなく、安全に行くことができる」

「「「!?」」」

 

だったら、わざわざ時の庭園まで乗り込んだ意味はなかった。

とんだ無駄足を踏まされたことになる。

 

ユーノはその考えが正しいように思える。

ジュエルシードを見つけた遺跡では、この高エネルギー結晶が「何かを叶えるため」ということしか用途は判明しなかった

“アルハザード行きを叶えるもの”と考えれば得心がいく。

それにジュエルシードほどのエネルギーならば空間を開き、それが災害にならないように抑え込むこともできる。

 

ガルムの言っていることは一定の合理性がある。

それに、この人は今まで嘘を言っていないような気がする。

 

それをユーノが言い出す前に、ガルムは一歩前に出た。間合いの内側に踏み込んだのだ。

 

 

「・・・当然のことだが、俺の言っていることの真贋を見極めるのはそちら次第だ。嘘ならば大規模な次元震による災害が起こる。本当ならばこの時の庭園が崩壊するだけで終わる」

 

嘘ならば災害を食い止めるために、目前のガルムとこの先にいるはずのプレシアを倒さなければならない。

本当ならば――――どうすれば良いのだろう?

 

「待っているだけでは埒が明かん。もし、信じるのならばここから去れ。嘘だと思うのならば押し通れ。要はそれだけのことだ」

 

 

 

 

 

「あの・・・貴方は戦いたくないんですか?」

 

何気なく胸の内に浮かんだことをそのまま言葉に出した。

なのははにとって、意図は何もないその言葉は、けれどもガルムの泰然たる気配に揺らぎを起こした。

 

「・・・何故、そう思う?」

「だって、プレシアさんの願いを叶えるためだけなら、すぐに私たちを倒せばいいだけなのに・・・」

「それをしないから、か?」

 

言ったガルムに、なのははぎこちなく頷く。

 

「・・・最初から俺達は誰も傷つけないつもりだった。その予定が狂い、こうなっただけだ」

「勝手なことを・・・」

 

クロノが唾棄する。

ガルムやプレシアのエゴイストぶりには辟易する。

自分のことしか考えない。それでは秩序も何もない。

世の中には自分を捨ててまで懸命に戦い、命を散らす者だっているのにこいつらの傲慢さは何だ。

 

「そうだ、勝手なことだ・・・クロノ=ハラオウン」

「なんだ」

「お前は、管理局の体現者だ」

「・・・褒めたつもりか?」

 

虫唾が走ると言おうとして、ガルムがそれを見越したように吐き捨てた。

 

「貶しているだけだ」

「なっ!?」

 

反応を気にすることなく、ガルムは二振りのデバイスを握る。

 

「もういい・・・問答もいらん。意味のない戦いというものを教えてやる」

 

戦意が膨張して空間を押し潰した。

 

 

 

 

 

(あの形は・・・!)

 

なのはに戦慄が走る。

ガルムの持つデバイス。

その形にははっきり見覚えがある。

 

恭也や美由希が使う小太刀。

見間違えと思いたい。機械的な部分も多い。

けれども、兄と姉を象徴する物を間違えるわけがない。

 

 

―――やはり、ガルムは・・・

 

 

「なのは!」

「っ!?」

 

ユーノに呼びかけられて意識を引き戻し、

 

「戦闘中だぞ」

 

目前に立つ、十歩の距離を一瞬で詰めたガルムに眼を見開く。

駄目だ。砲撃に特化し過ぎた自分はこの距離から手も足も出ない。

柄尻を払うだけの簡単な動きにも対処できない。

 

〔【Protection】〕

 

「【サークルプロテクション】!」

 

[レイジングハート]とユーノは防御魔法が同時に発動。

円筒状に広がるライトグリーンの魔力光が払いを受け止め、桃色の壁がそれを強化。

打ち払いきれないガルムの動きが、僅かに鈍る。

 

チャンス。

考えるよりも早く、クロノは魔法を組み上げて[S2U]へコマンドを飛ばす。

 

「【スティンガーレイ】!」

「小賢しい・・・」

 

狙撃用のライフル弾よりも早い魔力弾を、右のデバイスで両断。

圧縮されていた魔法が炸裂し、僅かな光による死角が生じる。

 

(これでいい)

 

クロノの頭の中は凄まじい勢いで戦闘の予測を立てていく。

【スティンガーレイ】で仕留めきれないことは分かっていた。既にインターセプトから一度防がれている。

布石の布石――いや、初歩の段階だから布石にもなりえない布石だ。

 

情報が欲しい。イカレ集団の一人であるが、戦闘者としてのガルムは強い。

この男はバリアジャケットの基本防御以外、防御魔法を一度も見せたことがない。

攻撃をさせない。攻撃できたとしても払うか切り落とす。

どんな高位魔導士でも防御にはワンアクションある。だからガルムは防御しないことで時間を消費しない。

それは魔導士の戦い方ではない。クロノは直接見たことがない、聖王教会騎士の戦い方だ。

 

魔導士ではないなら、魔導士相手の戦い方は通じない。

けれども共通することはある。防御を打ち抜いてダメージを与える点だけは変えようがない。

そのためにも防御技術ではない、防御魔法を知りたい。

自分の砲撃魔法が通じるのか。駄目ならなのはの砲撃魔法に頼るしかない。

前者か後者によって戦術も大きく変わる。前者の方は選択肢がかなり増える。

 

ユーノのサポートを受けたなのはも距離を稼ぎ、【ディバインシューター】のスフィア形成を始めている。

 

なのはとユーノには念話で簡単な作戦の概要を伝える。細かく言っても意味がないし、二人とも概要で分かってくれる。

ランクが違うことなど分かっているが、それでも今は戦って勝つしかない。

ガルムが自分達を生かして返すとは思えない。生きて返す心積もりがなくなったからこうしている。

 

ユーノの防御となのはの砲撃。

後は自分とアルフが波状攻撃で抑え込めば活路は・・・。

 

(アルフ?)

 

待て、と思考にノイズが走る。

戦力に数えるのは虫が良い・・・ではなく、動きの中に彼女の姿が見えないのは何故だ。

何故、そのままの位置にいる。ガルムが危害を加えないと思っているからかもしれない。

元仲間だ。そういうこともあるかもしれないが・・・引っ掛かった。

 

彼女の目的は自分たちとは違う。

単純だ。フェイトを傷つけたプレシアを許さない。つまり、ガルムの塞ぐここを押し通る必要がある。

なのに、何故そんなに消極的なんだ。

 

(余計なことを考えるな・・・ランクは上がっても抑え込むぐらいはできる。多少のダメージを覚悟の上で・・・)

 

視界に捕捉しているガルムを見て違和感。

 

(動いていない!?)

 

ガルムは間合いを詰めた位置から動いていない。

前回の高速戦闘とはまるで正反対。ランクが上がったから戦術を変えた?

何か大技がある?

 

 

―――思考した直後、

 

剣閃が風のように三方へ広がった。

 

 

 

 

―――御神流・裏 奥義之陸弐式“薙旋月虹”

 

―――【アルヴィト】

 

 

 

 

 

 

「・・・ごほっ、ごほごほごほっ!!」

 

 

衝撃。

と理解した時には叩きつけられた壁から落下するところだった。

衝撃に全身が硬直し、筋肉にまで及んだそれは気管までを塞ぎ、横隔膜を押し上げ、呼吸を完全に止められた。

 

瞬間的な脳の酸素欠乏に視界がグルグルと回るばかり。

急激な酸素の摂取は脳圧の変化を引き起こし、めった刺しにされるような頭痛が襲う。

戻った呼吸は酸素を求めすぎて詰まり、激しく咳き込む。

 

今が戦闘中だということ思い返してすぐに、それを忘却させられた。

苦しい。戦闘への集中力は根源的なその感情によって呆気なく散った。

 

見えない、分からない、理解できない。

僅かに戻った思考力は恐怖に支配される。好奇心よりも恐怖が勝ってしまった未知への感情。

 

なのはの聖祥の制服をモデルにした白いバリアジャケットは横隔膜の部分に真一文字の破壊が残っている。

そこを中心にバリアジャケットの胴体部分はボロボロになっている。

明らかに防御能力はない。もしも、バリアジャケットがなかったら。もう少しバリアジャケットの防御力が弱ければ。

 

呼吸困難で―――いや、殺傷設定なら胴体から真っ二つに切断されていた。

 

怖い。

怖い。

怖い。

怖い。

怖い。

 

だって、この人は自分を殺せる。

 

兄の顔と、声と、武器を手にするこの人が自分を殺しに掛かっている。

 

ただ殺されるだけよりも、何倍も、何十倍も恐ろしい。

 

 

恐怖に震え、視線が定まってくれない。

強張った体は自分のものとは思えないほど言うことを聞いてくれない。

 

ユーノはうつ伏せに倒れている。

悶え苦しみたくとも、それさえできないほどダメージを受けている。

ただ苦悶の声を漏らし、脂汗を流しながらなのはと同じように腹部からの鈍痛を耐えるしかない。

 

クロノは腹部を押さえながらデバイスを支えにしてかろうじて立っている。

反応できたのではなく、14歳の肉体と防御能力の高さで凌げただけ。

その証拠にバリアジャケットは同じようにボロボロだ。

強がって立ってはいるが、さっきまでの一割も力を発揮できない.

 

魔導士ランクとか、戦闘者の経験値とか、犬に食わせたくなる。

分かっていたはずだった。獅子であると。

子羊が獅子に挑んで勝てるはずがない。

 

 

「立つか・・・」

 

なのに、どうして立ち上がってしまうのだろう。

 

「・・・何故立つ?お前の望むフェイトを救うことは達した。この先、俺を越えていくことに何の意味がある?」

 

ガルムのデバイスを握る手が物語る。

その返答如何によってはそっ首を刎ね飛ばされることも覚悟しろ、と。

本気なのだ。正邪の前に、ガルムはプレシアの願いを護ろうとしている。

 

(・・・どうして、そんなところもお兄ちゃんみたいなんだろう・・・)

 

 

「そんなこと、分からない・・・でも、私はあの人に一言・・・言ってあげたい・・・」

 

お腹から疼痛が湧き起こる。ダメージと呼吸の苦しさはあっという間に体力を奪っていた。

全身が気だるく、自分の体ではないほど重く感じる。

頭の片隅では立ち上がるなんて莫迦なことをしてる、と冷ややかな眼で見る自分が居た。

 

「どうしてフェイトちゃんを認めてあげられないの?どうして今そこにある幸せを大切にできないの?」

 

―――青い鳥はすぐ側にあるのに、遠い異世界まで探しに行こうとするの?

 

その人生が不幸だったことも認める。彼女のせいではなかったことも認める。

クロノの言うように“誰だって抱えているこんなはずじゃなかった”ことにフェイトを巻き込んでしまったのは仕方がないとは言わないが、理解できないこともない。

けれども、そうやって巻き込んだフェイトを。悪いことだと分かっていて、自分の苦しさに折れてしまいそうでも歯を食いしばって耐えてきたフェイトを認めてあげられないのは何故。

 

プレシアの行いが犯罪であるとか、例え被害の出ない方法であるかとか、そんなことはどうだっていい。

拙く、幼く、縋るようにその愛情を求めてきたフェイトを突き放したその所業が他の何より許せない。

 

「だから、言いたいの・・・フェイトちゃんを大事にできなかった人が、例えアリシアさんを生き返らせても大事にできるはずがないよって!」

 

自分の行いが、心を砕かれたフェイトのためにならないと分かっていても言わずにはおれなかった。

そして、もしかしたら兄かも知れないガルムにも問いたかった。

もし、高町恭也ならばこんなことになるまで見過ごしたのは何故なの、と。

 

 

「それは・・・誰よりも一番プレシアが分かっているさ・・・」

 

「え?」

 

 

本当に小さな呟きだったのに、風の悪戯か何となくなのはには聞き取れた。

 

 

「立つというのであれば、容赦すまい」

 

一歩ずつゆっくりとした足取りでガルムが近づいてくる。

まるで一歩ずつ近づくごとに身体が一回り大きくなっていくような錯覚。

デフォルトの死神のようにすら見える。

 

「命までは取らんが、二度と魔法を使えん体にさせてもらおう」

 

「な・・のは・・・」

「早く、逃げろ!」

 

ユーノの苦悶の声と、クロノの警告が飛ぶものの動けない。

なのはも立っているだけで精一杯だ。元々運動神経だってそんなに良くない。

 

それに、【スティンガーレイ】を見切る動体視力を前に【フラッシュムーヴ】でも逃げ切れない。

 

でも抵抗はする。

恭也がそんなことをするはずがないと思う気持ち。

恭也にそんなことをさせてはいけないと思う気持ち。

両者が鬩ぎ合いながら。

 

「明星」

「了解」

 

マスターとデバイスは短いやり取りで互いを察する。

それまで魔力をまるで帯びていなかった[CARIBURN]に始めて、黒い魔力光が宿る。

その光は禍々しい、闇を思わせて体が震えそうになる。

 

「許せとは言わん、俺を憎むが良い・・・」

 

全て読まれているとなのはは思い知らされた。

どんな手も叩き潰される。ガルムは最後の仕留め終わるその時まで少しも油断していないから。

 

一足一刀を更に踏み込んだ一刀の間合い。

ここに来てもなのはは抵抗できない。凍りついたように身体が固まって動いてくれない。

ガルムがどんな手段を用いるか分からないが、魔法の力を失うと分かっていても動けない。

 

「嫌・・・私は、私は手に入れたの・・・護られてるだけじゃない、護れる力を!」

「力か・・・持たぬほうが幸せな力もある・・・それでは、な」

 

これ見よがしに、右のデバイスが掲げられ頂点に達する。

 

―――後は力に沿って振り下ろすだけ

 

ぎゅっ、と目を瞑ってやり過ごしてしまいそうなところをなのはは目をしっかりと開いて見据えた。

恐怖もある、無力への憤りもある、けれども絶望によって光は失われていない目で。

 

その光の失われぬ目に、さっと影が落ちた。

 

 

「ガルム、もうやめよう!」

「「アルフ!?」」

 

奇しくもなのはとガルムの声が重なる。

これまで傍観するだけだったアルフが二人の小さな間に割り込み、なのはを庇うように立ちふさがる。

ガルムのデバイスは振り下ろされ、アルフの前髪を数本切り落としたところでギリギリ止まっていた。

 

「なにを―――」

 

と言いかけたガルムを

 

「莫迦!莫迦!莫迦!」

 

アルフの涙混じりの罵声が遮った。

 

「こんな結末は嫌だ!誰も幸せになってない!それに、ガルムが一番不幸じゃないか!?」

 

ガルムのバリアジャケットを掴み、前後に揺さぶりながら訴えかけるアルフの姿になのはは呆然とするしかない。

 

「・・・フェイトを日の当たる世界へ行かせるためにはこうするしかないんだ」

「そうだけど!そうだけど!こんなやり方間違ってる!ガルムが不幸じゃ意味がない!」

「約束しただろう・・・これでいい。俺が不幸になって物語が締めくくられるなら良い。俺は所詮、極刑ものの犯罪者だ。今更罪状の一つや、二つ気にならん」

 

ガルムの自嘲にアルフは大きく頭を振り、朱色の髪を散らす。

 

「違うだろう!どうして皆―――カーマインも、プレシアも、ガルムも莫迦なんだ!辛いのは心じゃないか!フェイトが無罪になって日の当たる場所に出ても、そこにはアタシしか一緒に居てやれない!三人とも居なくなるじゃないか!」

 

 

ガルムへの怒りもある。でも、それと同じくらいアルフは自分への怒りがあった。

 

リニスから話を打ち明けられたとき、どうして反対しなかった。

自分は知らされてしまったのに。

フェイトがアリシアのクローンだと。

プレシアは自分の葛藤のせいでフェイトを愛憎半ばの態度しか取れないことも。

愛してやれないなら、他の幸せの道を用意するために全部仕組んだことも。

フェイトの罪はガルムが洗脳を施したことで処理する筋書きが描かれていたことも。

 

全部知っていたのに。何で自分は反対できなかったのか。

反対すればこんなことにはならなかったのに。

本当に短い間だったけれど、幸せだった三人の生活をまだ続けることができたかもしれない。

 

それら全部が怒りの対象だった、

だから、口走ってはいけないことを、

 

 

「それに今だってガルムは傷つこうとしてるじゃないか!高町なのはは妹なのに斬っていいはずがないだろう!?」

 

 

口走った。

 

 

 

 

 

誰も声を出すことができなかった。

 

「!」

 

つい口走ってしまったアルフさえ自分の口を押さえて、しまったという顔をする。

 

高町なのはが妹。つまり、ガルムはなのはの兄。

そして、なのはにとっての兄とはこの世に一人しかいない。

 

 

「おにー・・ちゃん?」

 

高町恭也、その人しか。

 

「・・・・・・ふぅっ」

 

ガルムの気配に満たされていたはずの空間に、吐いた溜息が満ちるように響いた。

 

 

「俺は・・・お前の兄では―――」

「やっぱり・・おにーちゃんなの・・・」

「・・・・・・」

 

自分の心の中の答えが正解だったが、嬉しくも悲しくもない、ただぼんやりとした感情だけ。

 

 

「―――本当、なんですか?」

 

 

喉元まで競り上がりながら出すことのできなかった一言が、この場に居なかった人物から発せられた。

全力でここまで移動し、ツインテールの金髪は乱れ、肩で息をする少女―――フェイトから。

 

「ガルムさんは本当に――――」

 

もう一度尋ねかけて、フェイトは俯き、胸元の拳をぎゅっと握る。

肯定が返ってきたら自分はどうするのだろう。

その答えが見つからない。見つけたくない。

 

プレシアにもう一度会って話をしに来たのに。

アリシアとの日々をもう一度という想いは痛いほど分かった。

きっと自分は出来損ないとして見捨てられた。

けれども、それを承知の上でお互いの関係を清算したい。

今まで待っているだけだったから。全部知った今は違うから。

確かに自分は死んだ。でも、カーマインは言ってくれた。

 

―――死んで新しい自分になったと思えないか、と。

 

怖いけれども、そのための一歩を踏み出しに来た。

 

だけど、今はガルムの正体と心を知りたかった。

姿は立体映像でも、声は記録を合成音で再構築したものでも、生きて欲しいという言葉は本物だから。

無愛想、無口という印象が逆に言葉の重みを増やす。

その口からの言葉に嘘はないと思える。

 

出来損ないと言われても、偽者だと分かってもガルムは自分だからと言ってくれたのなら正体を明かして欲しかった。

大切な人だから知りたい。ガルムならその気持ちを受け止めてくれるはず。

だから聞きたい。高町なのはの兄なのか。

もし、そうなら自分のためにガルムは妹を傷つけていることになる。

そんなことをして欲しくない。本当にそうならガルムは絶対に辛い。

大切な人に辛い思いをして欲しくない。その気持ちはまだある。

 

 

「―――本当に、その子のお兄さんなんですか?」

 

 

フェイトがもう一度尋ねなおし、顔を上げて視線を向ける。

答えを聞くのは怖いけれど、応えてくれると信じて。

 

「・・・・・・・」

 

なのはも見詰める。

 

 

「ガルム・・・・・・」

 

 

答えを知るアルフは、名前を呼ぶだけで辛そうな顔をして見上げてくる。

 

蹲っていたユーノや、[S2U]を支えにかろうじて立っているクロノも苦悶に顔を歪めながら成り行きを見ている。

 

その場の全員がガルムに注目している。

誰もが答えを知りたがっている。

 

 

「・・・・・・・」

 

 

ガルムは無言でクローズドヘルムの首の部分へ手を伸ばす。

 

 

 

《みんな急いでそこから逃げて!!》

 

 

アースラからの遠隔拡声魔法で飛んできたエイミィの声に動きが止まる。

 

 

《回廊が繋がる余波でそこは―――》

 

 

エイミィの声は最後まで言い終えることなく、途切れた。

 

太陽が落ちた強烈な灼熱閃光によって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――――【ノヴァサイザー】」

 

七つの印から発せられた魔法の詠唱と魔法陣は空間の天上にあるはずのないものを創造した。

 

中心気圧は2000億気圧以上。

最大温度は1000万度以上。

表面温度すら6000度を超える球体。

 

人の子は、その存在を――――太陽と呼ぶ。

 

 

「ま、マジかよ・・・・・・」

「何と常軌を逸した・・・・・・・」

 

ノクターンとグランドチーフは全力で防御魔法を展開しながら、そう呟くしかなかった。

 

「本物の・・・魔法使いだな」

 

魔法文明の魔法とは、魔力という対価を通して一種の論理構築の末に結果を生み出すもの。

一種の科学と言って良い。

しかし、これは違い過ぎる。人間の科学力で太陽など作れはしない。

否。それ以前に、あれほどの物を創造するために必要な魔力はどこから出している。

何かの法則を超越して、具現化してしまう正真正銘の魔法使いと呼ぶに相応しい。

 

「感心している場合ではないですよ、隊長」

「・・・・・・そうだな」

 

五人で固まって防御魔法を全力展開してもなお、熱による圧力に潰されそうなほど。

 

 

 

だが、周囲の驚嘆も、熱による圧力も、ヨハネの集中を妨げることはない。

一心不乱に己の魔法構築へ心血を注ぎ、魂を込め、我が子を慈しむように詠唱を続けていた。

 

四方戟の中心には光さえ閉じ込めるような黒い球体が渦巻いている。

熱を発しているわけでもないのに空間が揺らめき、陽炎が立ち昇る。

使ってはならない魔法。管理局の方針に反するとして、聖王教会から禁呪とされた。

 

 

「その御手を以って、悉く砕けよ狂乱の時空―――――【ダムドネシオン】!!」

 

 

四方戟の中心から離れた黒い球体は魔法陣を抜けると、急激な加速で一瞬にして最高速に達する。

黒い球体は宇宙へ向かうシャトルのように直走る。

放ったヨハネの視線は超音速の黒い球体を追い続け、一つの執念を込める。

 

「行けっ!超えろっ!!」

 

人とは傲慢で不遜な存在だとヨハネは思う。

聖王教会に属し、禁呪に手を染めれば騎士号を剥奪され、追放になると分かっていても止められなかった。

それが人の業なのだ。未来という光に手を伸ばしたくなる。羽虫ように誘われて近づいてしまう。

ギリシャ神話のイカロスは蝋の翼で空を飛び、太陽に近づきすぎて堕ちた。

同じくベレロフォンは増長して神になろうと天へ上りかけたところを振り落とされた。

人間はそうして、業によって身を滅ぼす。多くの先例を見ながらも諦められない。

 

だから、ヨハネにはプレシアの願いを叶えるために手段を選ばない気持ちが理解できる。

職務上、止める側に居るがその行いを非難する気持ちは微塵も湧かない。人とはそんなものなのだ。

 

ヨハネにとって、【ダムドネシオン】は自らが神に挑む業の象徴。

魔法を扱う魔導士と成った時からこの業を背負った。

気付いたら背負ったのではなく、望んで背負うことにした。

 

この一撃は―――神を倒すために。

 

 

熱の断層を超え、放射する電磁波によって光の塊にしか見えない太陽と激突。

 

瞬間、空間が破裂した。

比喩ではなく、真実破裂した。

破裂に空間が歪み、撓んだ。

 

撓みは大気断層を音速衝撃波が駆け抜けるように伝播し、爆轟の如く拡散。

温度も、圧力も、質量も関係なく、平等に蹂躙し、蹴散らし、

 

小型太陽をも打ち崩さんと空間歪曲による破壊を及ぼす。

 

しかし――――

 

 

「莫迦め・・・・・・」

 

 

カーマインは口元を歪め、人の子の挑戦を嘲る。

巨人の腕が抱える小型の太陽は神の御業なのだ。

ただ打ち破られるだけの脆弱なものとは違う。

 

太陽の8倍以上で生じるそれへ至るために必要なのは質量。

空間を歪曲させて生じる爆圧による破壊―――【ダムドネシオン】のエネルギーによって完成する。

 

太陽の最後。爆発によってポテンシャルエネルギーを四散させる。

 

 

「―――【スーパーノヴァ】」

 

――人の子よ、神とは超えられぬからこそ神と呼ぶのだぞ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

がっくりと膝をつく。床の硬さが骨に響き、思わず顔を顰めるが立ち上がる気力が残っていない。

 

「クロノ!」

 

クロノは名前を呼ばれて顔を上げる。

億劫でも反射の領域で動けた。

そこには、見慣れたはずなのに妙な懐かしさの伴うリンディがいた。

 

「え・・・?」

 

周りをよく見る。

舞踏会を開けそうなほどの『時の庭園』の広間ではなく、ここは『アースラ』のブリッジ。

 

「ど、どうして!?何故だ!?」

 

誰かにではなく、自身へ向ける自問。

一体何が起きたのか全く把握できない。

 

「座標特定できました!97管理外世界の近辺です!」

「そんなには飛ばされていないのね」

 

立ち上がれないクロノに肩を貸して椅子に座らせたリンディは、医療スタッフを呼びながらエイミィからの報告を聞いていた。

 

「飛んだ?空間跳躍させられたのか・・・」

 

「そうだ・・・」

 

「!―――ハイメロート!」

 

クロノの独り言に応えたのは、居るはずのないハイメロートだった。

だが、その姿は常日頃の飄然としたものではなく、満身創痍。

全身が焼け焦げ、特に左目はぐちゃぐちゃ。

左腕は骨折し、右手で折れた肋骨を押さえている。

 

「すまん・・・空間跳躍が少し遅れた・・・大質量は難易度が高くてな・・・」

 

言いながら、ハイメロートはずるずるとへたり込む。

 

「貴方がやったの!?」

 

リンディが急いで応急手当の回復魔法を掛けるが、気休めにしかならない。

蛋白質の焼ける異臭がエイミィまで届いてる。

 

「ああ・・・流石にあの規模の魔法を行使されたら空間の方が耐えられんし、その前にこっちがお陀仏だったからな。座標はかなり大雑把にやったが、飛ばした連中は全員艦内のどっかにいるはずだ・・・くそったれ、イテェ・・・」

 

最後に悪態を吐きながら、ハイメロートは大きく息を吸う。

 

「ごめんなさい、もう喋らなくていいわ・・・」

 

折れた肋骨が僅かであるが肋骨へ刺さっている。

喋るだけで激痛が走るはずだ。情報は欲しいがこれ以上消耗させるわけにはいかなかった。

 

「無事か、ボス!」

 

ドアがスライドするのを待てないとばかりに身体を捻じ込みながら、ノクターンが入ってくる。

足に熱傷を負って引き摺ってはいるが、ハイメロートに比べれば軽傷だ。

引き続いて同じように軽傷のグランドチーフ、ワルキューレが入ってきて、最後にヨハネが何かを抱えて来た。

 

成り行きに混乱していたクロノは眉間を揉み解していた手を止め、ヨハネが抱えているものを凝視する。

 

 

「ユーノ!?」

「・・・悪いが、静かに。意識を失っているだけだ」

 

酷い頭痛に苛まれているようなヨハネは、上着を脱いで床へ敷くとそこへユーノを横たえる。

その手からは毛細血管が破裂して血が流れ出ている。

 

「何がどうなってるんですか・・・?」

 

ヨハネに代わってエイミィと一緒にユーノを見ようとしたクロノがオヴニルへ向けて尋ねる。

タイミングが悪すぎる。ガルムの正体が分かる寸前だっただけに。

 

「回廊の構築を爆発的に加速させやがったんだよ」

 

ノクターンがリンディに代わって治療を始めたワルキューレの側でタバコを咥えながら言った。

 

「えーっと・・・」

「時空へ干渉するために必要なエネルギーはジュエルシードで供給できるが、その後回廊を維持し、構築に必要な速度を得るためのエネルギーは別個に容易しなければならない。連中はそれを何らかの方法で用意していたのだろうが、土壇場で高エネルギーを爆散させることで必要なエネルギーを確保したということだ」

 

ノクターンのタバコを握りつぶしたグランドチーフが補足する。

 

「そんなことをしたら次元震で断層が―――!」

「それは発生していないはずだ」

 

視線を向けられたエイミィが頷く。

観測データに起こるはずの大規模な次元震は観測されていない。

それどころか次元震そのものさえ観測されていないのだ。

 

「『時の庭園』を維持するための高出力の魔力駆動炉が空間を保持するフィールドを構築していた。これが内部で起こした次元震を内側に封じ込め、最終的に発生するはずの虚数空間と相殺できるようになっていた」

「それは・・・」

「・・・俺達はまだしも、そっちの次元震を止めるっていう任務は無駄足だったつーことだな」

「莫迦な!」

 

そう叫ぶしかなかった。

プレシアは被害を出さないやり方を取っていた。それを認めろと言うのか。

 

―――最初から俺達は誰も傷つけないつもりだった。その予定が狂い、こうなっただけだ

 

ガルムの言葉が真実だったと。

 

 

「艦長!」

 

下層のオペレーターが慌てた様子で割り込む。

 

「どうしたの・・・?」

 

悪い予感が、誰にも過ぎった。

 

 

「高町なのは、フェイト=テスタロッサ、アルフの三名が艦内で確認できません・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くちゅん!」

 

春風にそよいだ草が鼻孔を擽り、なのはは可愛らしいくしゃみをした。

寝起きの悪いなのははそれでももぞもぞと少し冷たい春風から暖を取ろうと丸くなろうとする。

少し寒くはあるが、日差しは暖かく草木も緑が薫り、とても気持ちよかった。

誰かが頭を撫でてくれている。右手がその人の服の裾を掴み、我知らず温もりを求めて擦り寄っていく。

 

ずっとこうして居たい。心地よさが胸に沁み渡り、満たす。

他に何も要らないと思えるほど、それはとても甘美なものに感じられる。

 

けれども、何故だろう。この心地良さに覚えがあるのは。

ゴツゴツとしていても、撫でられるだけで身も心も癒されるような感触。

寝ている時に擦り寄るだけでどんな不安も消えてしまうような安心感。

この世でたった一人だけ、その心地良さをくれる人は誰だったか・・・。

 

 

「おにー・・・ちゃん・・・」

 

 

いつも自分のことよりも優先してくれた恭也。

今よりも小さい頃から寂しくて眠れないときは恭也の所で一緒に寝ていた。

仕事と士郎の介護で忙しい桃子が寝ているのは邪魔できないからと我慢してだったが、何時しか潜り込むのは恭也のところと決まっていた。

嫌な顔一つしない恭也は表情こそ動かさないが、優しく寝付くまであやしてくれていた。

時には今されているように頭を撫でながら・・・。

 

 

「あ・・・」

 

―――今されているように。

鳩時計の仕組みが時報へ合わさったときのような、合致。

劇的に。時間が逆戻るように出来事がフラッシュバックしていく。

 

 

「おにーちゃん!」「ガルムさん!」

 

なのはと、そして同じようにフェイトの声が重なる。

 

「「え!?」」

 

跳ね起きた二人は反射的に顔を見合わせる。

きっと眼に映る驚いた顔を自分もしているんだと、訳の分からないことを思い浮かべながら。

 

「起きたか・・・」

 

掠れて痛んだ声のする方を向く。

そこには、二人に胸を貸すようにして木立へ背中を預けるガルムが居た。

 

その身体は血に塗れている。

左肩から右腰部に掛けての切創と、右肩から首筋まで大きく抉られる裂傷。

他にも無数の切創や裂傷を全身に受け、傷によって血が止まりきっていないものもある。

特に首筋からの出血は呼吸のリズムに合わせて血を溢れさせている。

 

「あ・・・あぁ・・・」

「・・・そ・・・んな・・・」

 

考えるまでもなく、致命傷だった。

魔法も万能ではない。簡単な切り傷や擦り傷なら傷口を癒すこともできるし、打撲なども簡単だ。

けれども、ここまでの重傷を治すことはできない。特に魔法は出血を無かったことにはできないのだ。

 

「・・・アルフも、来ると良い」

 

致命傷と思い知らされ愕然とする二人の頭を撫でていたガルムが、そう声を掛けた。

手を伸ばした先には獣の姿を取ったアルフが所在無さげに佇んでいた。

 

「でも・・・」

 

そこには行けない。

ガルムの秘密を漏らしてしまった自分には、と。

その態度にガルムは穏やかな面に少しだけ笑みを浮かべて頭を小さく振る。

 

「誰も・・・責められない。これは俺が自分で招いたことだ」

 

誰も悪くない。ガルムはその意味を込めて手を差し伸べる。

獣の姿でも、瞳を潤ませ、涙を浮かべながらアルフはその手へ向かっていく。

 

すっと伸ばされた手は優しい手つきでアルフの頭を撫でた。

涙が零れる。手袋越しでも、硬い感触でも、ガルムの手は暖かかった。

約束を破ってしまったのに、ガルムは何も言わない。責めるべき相手を自分にしか求めないから。

そのことが、今だけは辛かった。

 

なのはとフェイトは、その様子をすぐ側で見ていても何も言えなかった。

二人にも何となく真相が察せられた。何故なら―――

 

 

 

「正体が・・・知れてしまったのね―――恭也」

 

 

紺色のフレアスカートにフリルのついた白いブラウス姿。

金髪がキラキラと陽光に反射させているのは、紛れも無くプレシア=テスタロッサだった。

いつもの魔女のような服装ではないだけに、その姿から溢れる清らかな雰囲気はフェイトさえ戸惑う。

 

もう一度、会って話をしたいと思っていたプレシアがいざ目の前に現れると何を言って良いのか惑う。

差し伸べられる手を待つのではなく、今度は自分から手を差し伸べるために来たはずなのに。

少し、沈黙が流れる。苦痛のない、心の準備のための沈黙が。

 

「ああ・・・イレギュラーだったが、これも一つの結果だろう」

 

そう、苦笑とも取れる言葉をクローズドヘルムが砕け散ったガルム―――“高町恭也と同じ顔をした者”が発する。

ゴボッ、と何かが溢れ出すような咳をすると口から血の塊が血泡を共に流れ出た。

それを何でもないと言うように飲み下す。口に満ちる匂いや味、不快感、喉を下る痛みも見せずに。

 

仕草が、残り少ない命を削りながらの言葉と知らしめる。

 

 

「おにーちゃん・・・なんだよね?」

 

なのはが、意を決して尋ねる。フェイトの邪魔になると分かっていても。

全てを壊すかもしれない問い。でも、聞かなくてはならない。

愚かな運命が待ち受けているかもしれない使命感に突き動かされて。

 

“高町恭也と同じ顔をした者”は、少し困ったように見える顔をして、

 

 

「俺は・・・高町恭也であって、そうではない者だ。同時にガルムでもある」

 

まるで謎掛けのようなことを言う。

バリアジャケットの胸の布地をはしっと掴んでいるなのはの頭に手を置く。

 

「今現在、俺はこうしてここに居るが、なのはの知っている“高町恭也”はちゃんと高町家の道場で美由希や美沙斗さんと鍛錬をしているところだ」

「・・・じゃあ―――」

 

偽者なの、と口に出しかけて思いとどまる。

それが口に出してはいけないことなのだと直感的に分かった。

 

「言っただろう、高町恭也でもあると・・・俺はアバター(分身同位体)だ」

「「アバター・・・?」」

 

黙って聞いていたフェイトの声が、さっきのように重なる。

なのはがフェイトを見ると、邪魔をしてごめんなさいというように先を促された。

 

「アバターって・・・」

「・・・経験、知識、記憶、感情、判断、能力―――高町恭也という人間を構成する全ての要素が同一である存在」

 

喉の血に引っかかり声が掠れる。

 

「高町恭也がメインであり、俺達はサブだ。統括者である高町恭也によって俺達は支配されているからな」

「そんなことできるはずが―――」

 

内面に介在する要素を完全再現できるほど、魔法は万能ではない。

フェイトは否定しかけるが、“高町恭也と同じ顔をした者”が嘘ではないと語る瞳に口を噤む。

 

「それができる・・・古代魔法文明も含めた全ての次元世界でたった一人、高町恭也だけが行使できる魔法―――『幻月』によって」

「げんげつ?」

「“幻の月”と書いて『幻月』・・・原理は今も分からない。分かっていれば高町恭也以外にも使えるんだが」

 

何がその境地へ押し上げたのか。あまりに異形過ぎる能力。

 

「じゃあ・・・おにーちゃんなの?」

 

その問いに、“高町恭也と同じ顔をした者”は首を横にする。

 

「なのはの兄は高町恭也だけだ。俺は“高町恭也と同じ顔をした者”というだけ・・・」

 

―――そして、フェイトを日の当たる場所へ導くためだけの駒。

言ってはならない言葉を呑み込み、自己の存在を全否定した。

 

なのはとフェイトは自己否定の言葉に、ぞわっと肌が粟立ち震えた。

畏怖ではなく、悲哀から。

悲しかったのだ。“高町恭也と同じ顔をした者”が自分の存在を否定しても悲しまないことが。

フェイトは自分の存在が否定されることの辛さを味わったばかりだから、特に思ってしまう。

そうして自分で自分を否定することは辛いのに、どうして少しも悲しそうではないのかと。

 

二人の悲哀を、潤みを増した瞳から察して頭を揃って撫でてやる。

 

「いい・・・俺はこれでいい。俺がこうあることで高町恭也が成立するなら、満足だ。だから、兄と呼ぶのはあいつだけにするんだ」

 

謎掛けのような言葉を誤魔化すように言う。

 

「じゃあ、おにーちゃんも・・・」

「魔導士だ・・・今は魔法を隠匿して暮らしているがな」

「でも、どうしておにーちゃんは魔法を使えるようになったの?」

「・・・色々あった。今はそれだけしか教えてやれない」

 

知れば、きっと高町恭也は“不破”へ戻ってしまうから。

 

顔を少し上げて歩み寄ってくるカーマインの姿を捉える。

 

「・・・お互い、情けないな恭也」

「・・・そう言うな」

 

ヘッドギアで隠れていた顔が完全に露出したカーマインの朗らかな苦笑い。

その視線は死にかけの“高町恭也と同じ顔をした者”から、フェイトとなのはへ移される。

 

「二人とも、ここがどこだと思う?」

「「え・・・?」」

 

尋ねられて、始めてここがどこなのかという考えに至る。

怒涛の流れに翻弄されて忘れていた。

 

四歩先のさらさらと流れる透明な川には川魚が遊ぶ。

木立は優しい薫風にそよぎ、草花は柔らかに受け止めて春の芳香を広げる。

青々とした草原は、生命力に満ち溢れて雲で時折翳りながら満天の陽光を余すところなく受ける。

字で表すならば“春の世”。ユートピアのような光景だった。

 

その美しさを超えた、偉大ささえ喚起する景色に二人は目を奪われる。

 

荘厳ではあったが、どこか冷たい『時の庭園』とは明らかに異なった別世界。

まるで正反対。人工物の作り出す造形美が宿してしまった魂無き冷たい墓標とは違う。

魂魄満ちる生命の苗床。

 

「ここは・・・」

「・・・ここはな、俺達が初めて出会った場所。今から二十五年前の『時の庭園』だ」

「「!!?」」

 

景色に目を奪われ、呆然としていた二人の心が唐突に引き戻された。

その驚きを予測の範囲とするカーマイン。

 

「まぁ、まやかしだが、な。本当はアルハザードへ至るための回廊の中途に構築した空間で、この景色は過去の記憶を基に作り出した幻だ」

 

感覚にも作用する極めて本物に近い偽物だが。

 

「あの・・・」

「それでな―――」

 

二十五年前という意味を尋ねようとするなのはを、カーマインは意図的に遮った。

知る必要はないとカーマインは思う。彼女達の知るべきことでもない。

 

「俺とプレシアはこれからアルハザードへ向かう。フェイトはどうす―――」

 

フェイトはどうする、と言いかけてプレシアがカーマインの前へ手を伸ばして中断させる。

二人の視線は交わり、瞳の奥の光で会話が交わされる。

その最後に、カーマインの瞳は諦めと決意、僅かな失望が光り、プレシアの瞳にも決意と我慢、隠された大きな悲哀が宿っていた。

 

 

「―――フェイト」

 

 

プレシアが、自ら出来損ないと切り捨てた娘の名前を呼ぶ。

呼ばれたフェイトは恐る恐る、そして以前とは違う恐れを克服する意志を以って顔を上向かせる。

その手は無意識に“高町恭也と同じ顔をした者”の服をぎゅっと掴んでいた。

 

「何をしに来たの?」

 

その瞳にここまで来た娘を受け容れる色はなかった。

 

「私は・・・・・・」

 

言葉に詰まってしまう。

言わなければならない。

伝えたいことがあるからここに居る。

伝えたいことがあるなら、伝えなければ。

 

漠然と、フェイトはそれが自分達“母娘”を過たせたと思う。

 

向かいのなのはが微笑む。

それが小さいけれども、決定的な後押しとなった。

 

 

「私は・・・もう一度聞きたい。直接、演技のないお母さんの本音を・・・私は本当に要らない子なのか・・・」

 

「・・・・・・・・・」

 

勇気は振り絞った。振り絞っても足りない。

“高町恭也と同じ顔をした者”から、なのはから分けてもらい足りない部分を補った。

答えを聞くのはやはり怖い。心臓が冷たい拍動を早め、喉はカラカラだ。

頭に上った血はドクドクと鼓動を感じさせる。

 

 

「その答えは―――」

 

プレシアもまた勇気を振り絞るように喉を震わせる。

フェイトと違うのは、自分だけの勇気で賄ったこと。

 

「―――私にも、分からないわ・・・」

 

回想するように瞳を閉じるプレシア。

瞼の裏で巡る過去を、フェイトは想像することもできない。

でも、たった一つだけ分かった。

 

―――プレシアも深い苦悩の中でもがいている

 

 

「フェイト・・・貴女はアリシアではないわ。アリシアになれない。誰も誰かの代わりになんてなれない。代わりになんてなってはならない。だから、貴女はフェイトよ」

 

アリシアと過ごした五年間と、フェイトと過ごした九年間は違うように。

 

「私はそんな当たり前のことを気づくために、愚かしいほど時間を空費したわ・・・」

 

“高町恭也と同じ顔をした者”――恭也が言ったように、弱かったのだ。

頭で違うと理解しながら、心はその幻影を追い求めていたのに認めなかった。

ベクトルが未来ではなく、過去へ向けられた罪。

 

「―――過ぎ去りし麗しき日々は、再び我が下に戻らず」

 

「落し物の報告。昨日、日の出から日の入りの間のどこかで、それぞれ六十分のダイヤモンドを散りばめた貴重な時間を紛失。なお、拾い主に賞金なし。永遠に失われしゆえ――――」

 

プレシアに、カーマインが合わせる。

それが答えなのかもしれない。

 

二人の言葉の意味を図りかねるフェイトに、プレシアは平静を装った、けれども隠し切れない本音のこもった視線を送る。

視線に気付いたフェイト。二人の視線が絡む。

失われた時間を埋めるなんていう夢想主義的な時間ではなくとも。

 

 

「貴女は残りなさい・・・」

 

 

短く、それだけ。

プレシアは踵を返し、拒むように病で小さくなってしまった背中を向ける。

 

「待って!」

 

そのまま歩み去ろうとするプレシアを、フェイトが精一杯の声で引き止める。

手を伸ばすだけでは、足りない。

人はその手と共に掛けられる言葉、向けられる表情で判断するのだ。

 

待って、求めて、それで終わっていたのが過去。

現在は求めてから、引き出さなければ。

 

「もし、言えるなら言ってください。『愛していない』と。それを聞いたら、私は貴女の人生から出て行きます!」

 

言い終えて、涙が止まらない。

“高町恭也と同じ顔をした者”から離れ、貰った勇気を振り絞って立ち上がる足は震えている。

 

「愛して・・・あいして・・・あい・・して・・・」

 

喉が詰まって、言葉が出ない。

何て答えれば良いのだろう。

人生に正解がないのは理不尽だ。正しさを求めるのが人の性であるのに。

 

痛いほどに、かつての恭也とカーマインの気持ちが分かる。

 

 

「・・・貴女との、九年間はアリシアとの過去に悩まされる苦痛と共にあった。でも、そこには確かに光があったわ・・・」

 

言いたい。言えない。言ってはいけない。

たった一言が百万言よりも悩ましい。

 

「だけど、その光は私にとっての光であって、貴女の光ではないわ。アルハザードは停滞で、そこには貴女の光を見つけることもできない―――残りなさい。貴女には手を差し伸べてくれる人がそこにいるのだから・・・」

 

それが精一杯。

滂沱と涙を溢れさせるフェイトを横目にカーマインが声を掛ける。

 

 

「行くか?」

「・・・ええ」

 

プレシアは肩を借りながら、蜃気楼のように現れた回廊からアルハザードへ至るゲートを向かう。

 

 

「お母さん!!」

 

 

フェイトの叫びにも立ち止まらない。

幽玄へ足を踏み入れようとするプレシアは―――けれども、霞のように消える直前、

 

 

「―――ありがとう、フェイト。貴女のいた九年間は、それでも幸せだったわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・ぅ・・・ぅぅう・・・っぅ・・・」

 

フェイトの涕泣が木立に反響して、陰々と響く。

夢幻の去りし後は、海鳴の森林公園。初めて、なのはとフェイトが邂逅した場所。

 

「フェイトちゃん・・・」

「フェイト・・・」

 

静かに見守ることしかできないこと歯痒い。

 

「フェイト・・・二人を救えたのに、救えなかった俺達を恨め」

 

ガルムが唐突に口にした。

 

「臆病な大人たちが成したことだ・・・俺達にも、なのはほどの強さがあれば違っただろうに・・・」

「おにーちゃん・・・」

「俺を兄と呼んでは駄目だと言っただろう」

 

優しく、なのはを窘めてから“高町恭也と同じ顔をした者”はすまなそうな顔をする。

 

「もう少し保つかと思ったが・・・無理そうだな」

 

なのはも気付いて顔色が一気に青ざめる。

フェイトから貰泣きしていたアルフも同じことに気付く。

 

“高町恭也と同じ顔をした者”の体温がどんどん下がっている。

止血をしても止めきれない出血で、失血死の兆候が出始めた。

二人の反応に真っ赤に泣きはらした顔で振り返ったフェイトも、凍りついて泣き止む。

明らかに死相の浮かんだ顔は、その灯火が消え去りかけているのを如実に表している。

 

這うようにして寄り、縋る。

 

「駄目です!一緒に・・・一緒にいてくれるって言ったじゃないですか!」

 

みんな居なくなってしまう。

プレシアも、カーマインも、ガルムも。

 

「ああ・・・だが、今のフェイトは一人じゃない。アルフも居てくれる。なのはだって手を差し伸べてくれる。俺の手はもう―――」

「必要です!私には・・・まだガルムさんが必要だから待ってください!!」

「・・・・・・ある人に魚を一匹与えればその人は一日の食を得る。魚の取り方を教えれば、その人は一生を通して食を得る―――フェイトは友達の作り方を知った。俺の役目は終わったんだ」

「そんなことありません!ガルムさんだって言ってくれたじゃないですか!私に“生きて欲しい”って!私だって同じようにガルムさんに生きて欲しい・・・生きて・・・欲しいんです・・・」

 

どれほど懇願して、言葉を並べ立てても穏やかな死相は揺らがない。

 

「もう・・・耳がよく・・・聞こえない・・・」

 

最後の最後まで不細工なやり方だと、自嘲する気力もなくなった。

誰かを愛することは、その人に幸福になってもらいたいと願うこと。

自分が父親として、一人の人間として幸福になってもらいと願うようにフェイトも同じことを願っているとどうして思ってやれない。

 

失うばかりの、不幸に落とした少女の想いを踏み躙るばかり。

憎んだり、恨んだり、できれば楽なのにそれさえもできないほど心優しい少女を。

 

急速に色の失われていく視覚の中で、フェイトが、アルフが何事かを叫んでいる。

だが、一足早く死んでしまった聴覚はそれを届けてくれない。

読唇術で読み取りたいが、もう輪郭もぼんやりとぼけてきた。

 

「つ・・み・は・・・お・・が・・・せお・・・う・・・」

 

 

―――高町恭也(オリジナル)、後は頼んだ

 

 

 

 


あとがき(?)

 

うーむ・・・遅くなった。

いやいや、テストとか色々ありましてね。

それ以上に結末のプロットが二転三転してしまいました。

知ってます?一番最初のプロットだと恭也がプレシアを殺して、フェイトに怨まれる予定でしたよ?

 

色々と納得のいかない部分があるでしょうが、全て織り込み済みです。

ある意味でバットエンドとも言える展開。

詳しいことはエピローグのあとがきにて。

 

 

>カーマイン(ネロン)の魔力

何だか超無敵っぽいカーマインですが、これだけの遺失魔法を簡単にいつでも使えるわけではありません。

原作のカーマインにある特殊能力が備わっていることを利用しています。プレイしたことのない人のために明かしませんが、この特殊能力によって『時の庭園』限定で魔力を使い放題だったからできたことです。

通常の空間でできないことはありませんが、短時間で魔力が尽きてしまいます。

いかに古代魔法文明の遺失魔法でも万能ではないのでした。

 

>オヴニルの皆さん

分かったかたがいたので公開しますが、彼らは全員アーマードコアシリーズのアリーナランカーから名前とデバイスを貰っています。てっきり特別教導十二課《フライトナーズ》で気付くかと思ったのですが。

 

>ヨハネ

彼はキーパーソンでもあります。カリムやヴェロッサへの伏線ですから。ついでに言うとユーノも。

魔導士としての実力は意外にもプレシアよりも上ですが、広域破壊は不得手でダムドネシオンしか持っていません。しかも禁呪なので頻繁に使えません・・・というか、空間に致命的なダメージが入るので通常空間での使用はご法度です。

 

>ガルムの正体

以前、とある方から指摘を受けて「言われてみればそうだ」と気付きました。

別に浜口さんを意識したわけではないんですけどね。

リリカルコンバットで恭也が使った【幻月】が正体でした。あの分身全てが恭也と同じですが、ちゃんとメインとアバターの関係が成立しています。そうでなければ自我にダメージが入り、精神死してしまいます。

もしメインが死亡すると条件の一番良いアバターがオリジナルになることで、事実上恭也は不死身と言っても過言ではありません。現に、リリカルコンバットでは【ゲイアサイル】で最後の一人になりましたが、あれがオリジナルとは明言していませんし。ちゃんとあれが伏線になってるんですよ。

アバター達は決して自分が“高町恭也”だとは思っていません。アバター全てが“高町恭也”のために存在する“高町恭也と同じ顔をした誰か”であることを許容しているためです。

 

>500年前

ちらっと明かしました。この時点でStSの話はトレースしません。

むしろ、スカリー君が微妙に良い人っぽいし(ぇ

この五百年前の事件と、ヨートゥン事件、スース事件の三つが今後のリバースの核となっていきます。

 

 

リバース16は短いまとめになります。

五千字程度で、おそらくフェイトとなのはの核心部分の会話はなしになるかと。

なんだかんだと言っても、これは高町恭也の物語でもあるので。

 

それでは、次回にまたお会いしましょう。





ガルムの正体が遂に判明。
美姫 「恭也であって恭也でない」
ガルムの正体が判明したけれど、まだまだ謎だらけ。
美姫 「これからどうなっていくのかしら」
次回が楽しみです。
美姫 「次回も待ってますね」
待っています。



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