第三章 少女たちの想い

 

「おかえり!」

 くたくたになって帰宅したまことたちをエプロン姿の咲耶が出迎えた。

 昼間の疲れなど微塵も感じさせない明るい笑顔だ。

 帰宅後の入浴でそんなものはどこかへ吹き飛んでしまったのだろう。

 少なくとも彼女自身はそう思っていた。

 ――夕食後。

 リビングで寛ぐ咲耶に、まことは何気ない調子で尋ねた。

「ところで、咲耶はあの子には会えたのか?」

「え?」

「ほら、あの赤い髪の子だよ。おまえ、今日はずっと探してたんだろ?」

「うん。でも、会えなかった。結構あちこち捜したんだけど」

「そうか。それは残念だったな……」

 言葉の終わりが欠伸とともに噛み殺される。

 傍目にもわかるほどまことは眠そうだった。

「どうしたの?」

「んー、ちょっと、な。俺、もう寝るから後のことはよろしくな」

 もう一つあくびをしながらそう言うと、まことはふらふらとリビングを出ていった。

「ふわぁ……、わたしも寝よ」

 咲耶は口元に手を当ててあくびを噛み殺すと、自分もソファーから立ち上がった。

 もう一度風呂に入ろうかとも思ったが、止めた。珍しく体が入浴よりも休眠を求めている。疲労はそれほど深いということか。

「先に休ませてもらいますね。家の中のものは好きに使っていただいて構いませんから」

 入浴中のユリナに一声掛けてから、咲耶は自室のある二階へと上がった。

 電気はつけず、手探りで窓際まで行ってカーテンを閉める。

 そのままベッドに入ろうとして、咲耶はふと枕元に一冊の本があることに気づいた。

 本は学園の図書館から借りていたものだった。

 返す前にもう一度読もうと思って忘れていたらしい。

 ……そういえば、返却日明日だったっけ。遅れるとうるさいしな……。

 少し考えた末、咲耶は明日その本を返しに行くことにした。

 ―――――――

「……ってわけで、これから出掛けようと思ってるんだけど」

 翌日、出掛ける間際になって掛かってきた電話を咲耶は玄関先で受けていた。

 相手は美鈴だった。何でも話したいことがあるとかで、これから来るという。

 咲耶が出掛けることを告げると、彼女は僅かに声をひそめてそれを制した。

「少し慎重になったほうがいいんじゃない。昨日あんなことがあったばかりなんだから」

「でも、今日返さないとしばらく借りられなくなっちゃうし」

「だったら、わたしも一緒に行くわ」

「いいの?」

「学園の図書館でしょ。わたしもあそこには用があるからちょうどいいわ」

「わかった。それじゃ、後でね」

 こうして二人は一緒に出掛けることになったのだった。

 本当はあまり迷惑をかけたくないのだが、好意を受け取らないのは後が怖い。

 図書館に着くととりあえず借りていた本を返してから、咲耶は図書委員の少女に尋ねた。

「あの、これの続きってありますか?」

「少々お待ち下さい」

 事務的な口調でそう答えると、少女は手元のパソコンを手早く操作する。

 咲耶が借りていたのはその分やでは有名な著者の綴った異世界冒険記のシリーズである。

 人気が高く、書店でもなかなか手に入らない貴重な品なのだが……。

「……お待たせしました。かの708の棚にありますよ。お持ちいたしましょうか?」

「お願いします」

 咲耶がそう言うと、少女はすぐにカウンターを出て行った。

 一方、美鈴は館内に設置されたパソコンの一つを使って調べ物をしていた。

 昨日、咲耶たちを追撃してきた何者かの起こした騒ぎについてである。

 派手な事件だったにも関らず、新聞でもテレビのニュースでも取り扱われなかった。

 当然、当事者の一人である美鈴は不審に思った。

 これだけ異常なことが溢れているのだ。今更隠蔽工作など必要ない。

 それでも情報を隠すということは、何かあるに違いない。

 旺盛な好奇心も手伝って、彼女はすぐに調査を開始した。

 そして、同じような扱いを受けた事件がもう一つあることに気づいたのだ。

 それが咲耶の遭遇したあの事件でなければ、美鈴もまだ手段を選んだかもしれない。

 彼女は今、ある巨大組織のコンピュータをハッキングしていた。

 もちろん、そのことは咲耶には内緒である。

 言えばそれは犯罪だとここが図書館であることも忘れて騒ぎ出すに決まっている。

 ときどき変に生真面目なところがあるのだ。

 それを悪いとは言わないが、場所を弁えない友人の行動でとばっちりを食うのはご免だった。

 そんなこととは知らない咲耶は読書スペースで椅子に座って借りたばかりの本を開いていた。それにしても、よくもまあこれだけの本がそろえられたものだ。

 周囲を見渡しつつ、改めて感心する。

 この図書館には実に百万冊以上の本が置かれているのだ。

 学園創始者が生徒たちに少しでも多くの文献に触れてもらいたいと頑張った結果だった。

 市立の図書館では手に入らない貴重な資料などもあり、外部の人間が利用することも多い。

 自然と図書委員の対応も丁寧になるというものだ。

 咲耶がぼんやりと待っていると、奥のほうから出て来た一人の少女と目が合った。

 六、七歳くらいだろうか。夏らしい白いワンピース姿のかわいらしい少女だ。

 少女は一冊の本を大事そうに抱え、きょろきょろとあたりを見まわしている。

 本を借りたいけど、どうしたらいいのかわからない。そんな様子である。

 咲耶は椅子から立ち上がると、少女に近づいて声を掛けた。

「どうしたの?」

「あ、うんとね、この本を借りたいんだけど……」

 少女はそう言って腕に抱えていた本を軽く持ち上げてみせた。

「本を借りるにはそこのカウンターで言えばいいんだけど……」

 少し古ぼけたハードカバーの真っ赤な背中には『禁退室』の印が押されていた。

 咲耶が言いにくそうにそれを告げると、途端に少女は困った顔になった。

「そっか、この本は借りられないんだ」

 残念そうに呟く少女。

「ここで読んでいけば。それだったら大丈夫だよ」

「わたし、もう行かなくちゃいけないの。おねえちゃん、この本返しておいてくれる?」

「いいよ。

 咲耶は軽い気持ちで少女からその本を受け取った。

「じゃあね」

 明るくさよならすると、少女は図書館の扉を開けて出て行った。

 咲耶は何気なく受け取った本へと視線を落とし、そして……。

 ―――――――

「ダメだわ」

 美鈴は苛立たしげに机を叩いた。

 目の前のディスプレイにはパスワードを求めるメッセージ。

 何とか突破しようと考えられる方法はすべて試したのだが、ダメだった。

 数えきれない程のセキュリティーを突破し、ようやく中枢までたどり着いたというのに……。

 ……これ以上は危険だ。そう判断した美鈴は已む無く回線を切断した。

 こうなったら本人に直接聞くしかない。会うのは嫌だが情報のためだ。

 決意を胸に美鈴が読書スペースの方に戻ってきたときだった。

 彼女は机に突っ伏している咲耶を見つけて駆け寄った。

 眠っているのかとも思ったが、どうも様子がおかしい。

「ちょっと、咲耶。どうしたの?」

「んー、……美鈴……」

 緩慢な動きで身を起こすと、咲耶はぼんやりとした瞳で美鈴を見た。

「……わたし……どう、しちゃったのかな……」

「大丈夫? 顔色悪いわよ」

「ちょっと、気分悪いかも……。医務室で休んでくる」

 そう言って立ち上がった途端、咲耶はよろめき倒れそうになる。

 慌てて肩を貸す美鈴。

「医務室まで一緒に行ってあげる。あなた一人で行かせるのは心配だから」

「大丈夫、だって。そんな、心配しなくても……。わたしは平気だよ」

「やせ我慢するんじゃないの。ほら、行くわよ」

 美鈴に半ば強引に付き添われ、咲耶は医務室へと向かった。

 二人が立ち去った後には古ぼけた一冊の赤い本だけが残された。

 ―――――――

「まさか、こんなものがまだあったとはね……」

 置き去りにされた本を手に取りつつ、藤宮あかねは呆然と呟いた。

 厚さのわりに重量感のあるその本の表紙には『転界伝』と書かれていた。

 それは失われた旧世界の存在を今に伝える唯一の書物。

 現代の秩序を乱す恐れのある危険文書としてどこかの組織がそのすべてを抹消したと聞いていたのだが……。

 古びた本を小脇に抱えてあかねは図書館を後にした。そのまま学園内のある場所へと向かう。そこでかずみからの定時連絡を受けることになっていた。

 長い廊下を歩きながら、彼女は一人考えていた。

 先日の京都での件。なぜあれだけの魔物が何の前触れもなく一度に現れたのか。

 そして、東京でのヘルメース崩壊事件。

 調査の結果、二つの事件はほぼ同時刻に発生していたことが明らかになった。

 しかも、それぞれの現場からはごく微量だがまったく同じ性質の魔力が検出されたのだ。

 こんな真似の出来る輩は世界広しと言えどもそうはいない。

 今日のかずみの報告次第では彼女は最悪の決断を下さなければならなくなりそうだった。

 ……出来れば避けたいものね。異世界との全面戦争なんて。

 そんなことを考えつつ、角を曲がったときだった。

 前方、廊下の突き当たりに一人の少女が立っていた。

 少女はこの学園の制服姿。切れ長の瞳を軽く細め、じっとあかねのほうを見据えている。

「何をしているの。ここは関係者以外立入禁止のはずよ」

 あかねは僅かに厳しい口調でそう言った。

 だが、少女はまったく動じることなく言葉を返してきた。

「元ガーディアンフォースのメンバーは関係者じゃないって言うの?」

 少女の言葉にあかねは思わずハッとした。

「あなた、まさか……!?

 ―――――――

 ――嵐が近づいていた。

 青い空を黒雲が覆い、雷鳴が低く唸りを上げている。

 咲耶はベッドの上に上体を起こし、医務室の窓からそんな空を見上げていた。

 まるで自分の心をそのまま表したような天気だと思った。

 少し眠ったおかげでだいぶ楽になったものの、気分はまだまだ晴れなかった。

 あの赤い本を開いた瞬間、頭の中に強いイメージのようなものが流れ込んできて……。

 ……いろいろなものが見えた。

 灰色の空。赤茶けた大地。そして、干上がり渇いた海……。

 たくさんの人が死んでいた。

 そして、死体を囲むように散乱する無数の白と黒の羽根……。

 あまりに不気味なその光景をなぜか咲耶は忘れることが出来ない。

 彼女に異世界の史実に関する知識があったなら、それが天魔戦争と呼ばれる壮絶な戦いの果てに生み出された光景であるとわかったかもしれない。

 ……嫌な予感がした。

 胸の奥がざわざわと騒ぎ、本能が警鐘を鳴らしている。

 ―――――――

 ――同時刻。

 屋上では目の覚めるような紫の長髪美少女と能面のように無表情な二枚目男が対峙していた。

 紫藤かずみと神代まことである。

 身も溶けるような暑さの中、二人はもう三十分以上も睨み合いを続けている。

「頑張るな。しかし、この暑さじゃ辛いだろ。そろそろ諦めたらどうだ?」

「いいえ、あなたがわたしたちに協力するとおっしゃって下さるまではここを動きません」

「そうとう強情なんだな」

「それはお互いさまです」

 かずみはにこりともせずにそう言った。

 そんな彼女の様子に、まことは内心で溜息を漏らす。

 何を企んでいるのかは知らないが、まことに協力する気は皆無だった。

 これ以上面倒事に巻き込まれるのはご免だ。

 とはいえ、彼女をこのまま放置するわけにもいかず、しかたなく付き合っているのだった。

 やがて、青かった空に黒雲が掛かり、生温い嫌な風が吹き出す。

 まことは大気が妙にざわついていることに気づいた。

 ややあって、かずみも異変に気づいたらしく、眉をひそめてあたりの様子を窺っている。

 轟く雷鳴。

 そして、それが一際大きく響いたとき、二人は校庭に降り立つ二つの影を見た。

 ―――――――

 咲耶は外に佇む人影に気づいて窓を開けた。

「あなた、さっきの……」

 そこにいるのは確かに図書館で出会った少女だった。

 だが、どこか雰囲気が違う。……これは、危険だ。

 そう思った瞬間、咲耶は転がるようにしてその場から退いていた。

 刹那、たった今まで咲耶のいたベッドが爆発する。

「外れちゃった。せっかく苦しまずに済むように一撃で殺してあげようとしたのに」

 幼い外見に似合わず、物騒なことを言う。

「ま、もう一度やればいいだけだけどね」

 少女が軽く右手を持ち上げ、振り下ろす。

 と、床に片手をついて上体を起こしかけていた咲耶のすぐ脇を何かが鋭く通り抜けた。

 背後の壁に音を立てて亀裂が走る。

「運がいいね。でも、そう何度も上手くはいかないよ」

 少女が再び腕を振り上げた。

 このままではやられる。

 だが、咲耶は怖気づいてしまったのか、逃げることも反撃することも出来なかった。

「ばいばい。親切なおねえちゃん」

 放たれる衝撃波。今度ははっきりと見える。

 それはスローモーションのようにゆっくりと咲耶の眼前に迫り、そして……。

 ―――――――

「そんな!?

 愕然と呟く少女の声が聞こえる。

 咲耶が恐る恐る目を開けるとそこには信じられない光景が広がっていた。

 無数の淡い燐光が咲耶の周りを囲むように浮遊している。

 それはまるで彼女を守る盾のようだった。

 何をしているんですか。そんなことではすぐに殺されてしまいますよ。

 声が聞こえた。

 聞き覚えのある声。そう、それはあの少女の声だった。

 美雪、ちゃん?

 わたしの名前……。思い出してくれたんですね。

 嬉しそうにそう言う少女の声に、咲耶の中で疑問が確信へと変わる。

 初めて魔法を使ったときからずっと不思議な懐かしさに囚われていた。

 その理由が残りの記憶とともに今、はっきりと形になった。

 ……また会えて嬉しいよ。でも、再会を喜び合うのはもう少し後になりそうだね。

 ――ええ、今は目の前の脅威を退けないと。

 自身の内に親友の存在を感じつつ、咲耶は頷いて立ち上がる。

 ―――――――

 ……夢を見ていた。

 日溜まりのように暖かい微笑を持つ優しい少女の夢を。

 少女は天使だった。

 そして、わたしに希望をくれた大切な親友……。

 この体は少女の翼。わたしがこの世で生きるために貸してくれた魂の器だ。

 わたしはこの体で五年の時を生きた。

 再び出会うそのときだけを夢見て。

 二人は離れ離れになってしまったけれど、間際に交わした再会の約束は忘れない。

 ……そして、今。翼は天使の元に帰った。

 ―――――――

「結界、張れるんだ。これは思ってたより楽しめるかも」

 少女は嬉しそうに口元を歪めると、さらなる魔力を解放すべく力を巡らせていく。

 ――一方、校庭ではまこととかずみが2体の魔物を相手に戦っていた。

「この学園のセキュリティーは完璧じゃなかったのか?」

 赤い悪魔の放った光弾を迎撃しつつ、まことがかずみに向かってそう叫ぶ。

「そのはずです。しかし……」

 黒いライオンの爪を剣で受け流しつつ、答えるかずみ。

 一体どこから現れたのか、そいつらは手当たり次第に学園の施設を破壊し始めたのだ。

 幸い、敵はさほど強い魔物ではなかった。

 まことが炎で悪魔を焼き払い、かずみがライオンを一刀両断してそれで終わりである。だが、問題はなぜこの程度の魔物がこの学園に侵入して来られたのかということだ。

 この学園は全体が強力な結界で守られており、邪な者が入り込む隙などないはずなのだ。

 ……送り込んだ者が別にいるのか?

 まことがその可能性に気づいたとき、学園内のどこかで爆音が上がった。

「ちっ、そっちが本命か」

 小さく舌打ちすると、まことは音のした方角へと駆け出した。

 ―――――――

 少女の放った赤い火球が咲耶の足元で炸裂する。

 続けて光の槍が火柱を突き破り、衝撃波が黒煙を吹き飛ばす。

 だが、咲耶は無傷で燐光に囲まれたまま微動だにしない。

「守ってばかりじゃわたしは倒せないよ。真面目にやらないと死んじゃうんだからね」

 威力を見せつけるように少女はでたらめに衝撃波を放つ。

 花瓶が割れ、蛍光灯が吹き飛び、残っていたベッドがすべて爆砕された。

 しかし、それでも咲耶は無傷だった。

 美雪の展開する天使の防御結界が彼女たちの体を守っているのだ。

「この結界、邪魔だ。消えろ!」

 忌々しげに叫んだ少女の周囲に無数の光の球が出現する。

 少女は本気だった。余計な時間を掛けている場合ではないのだ。

 ……この一撃でやってみせる。そして、わたしはあの日の居場所に帰るのだ。

 少女は滞空させていた光球の群れを一気に解き放った。

 殺到する光球群。

 咲耶に回避行動を取る様子はなく、また取ったとしてもこの距離では間に合わない。

 だが、少女はまだ油断するわけにはいかなかった。

 今とまったく同じ構図が以前にもあったことを少女は仲間から聞かされていたのだ。

 そして、その結末も……。

 案の定、突風は巻き起こった。

 風は命中寸前の光球をすべて飲み込み、跡形もなく消滅させる。

 女が立っていた。

 目の覚めるような黒髪の美少女だった。

 だが、それだけではない。

 深淵の闇を思わせる圧倒的な存在感が彼女の纏う雰囲気にはあるのだ。

 その異様な存在感に少女は思わずたじろいだ。

「力を収めて去りなさい。今なら見逃してあげるわ」

「い、いやよ。わたしはその子を……」

「どうするっていうの。事と次第によっては子供でも許さないわよ」

 女の声に怒気がこもる。

 少女はそれ以上言うことが出来ない。

「あくまで敵対するというのね。残念だわ。わたしは無益な争いはしたくないのに」

 女――如月ユリナは言葉とともに隠していた気配を一気に解放した。

 途端に密度を増した大気が少女の全身に襲い掛かる。

 凄まじいプレッシャーだ。とても人間のものとは思えない。

 そう、これはまるで……。

「う、わぁ、くっ……」

 少女はたまらず空間を飛び越えて退いた。

「……な、なんて女なの……」

 顔を顰めて呟く少女。

 学園の上空、十分に距離を取ったはずなのに、まだプレッシャーが伝わってくる。

「失敗したみたいだね」

 すぐ側で少年の声がした。

 少女は正面を向いたまま答えない。

「まあ、いいや。こっちの用は済んだことだしね」

「見つけたの?」

「ああ、本格的な対応をするには少し準備がいるけど」

「どれくらい掛かりそう」

「十日はいるだろうな。それまで連中には好きにさせてやればいいさ」

 そう言って少年は楽しげに笑った。

 なぜだか少女にはそのときの少年の言葉がひどく残酷なもののように聞こえていた。

 そう、まるで罪人に死刑執行の日を告げるかのような……。

 ―――――――

「……どうやら、退いてくれたみたいね」

 壁に開けられた穴から外を窺いつつ、ユリナはホッと安堵の息を漏らした。

 戦いは好きではないし、得意でもなかった。

 彼と出会ってから少し魔法の勉強をしたけれど、それも自分自身を制御するためだった。

 実戦経験は皆無に等しい。あのまま戦って守りきる自信もなかった。

 ともあれ、危機は去った。

 ユリナは咲耶のほうに向き直って声を掛ける。

「咲耶ちゃん。大丈夫……」

 言いかけた言葉が途中で止まる。

 ユリナがその姿を見たとき、咲耶の髪は銀から真紅へと変わっていた。

 ―――――――

 銀色の刃が圧倒的な熱量を伴って大気を薙ぎ払う。

 新たに出現した三体の魔物に対してまことが放った剣と魔法の合わせ技である。

 炎に焼かれた傷はいかなる再生能力を持ってしても癒えることはない。

 必殺の魔法剣は見事に敵をまとめて寸断・爆砕した。

 どうやらこれで終わりらしい。

 まことは軽く息を吐くと、かずみから借りた剣を鞘に収めた。

 後は任せたと言って、どこかへ消えた彼女も今頃はあかねのところで状況報告をさせられていることだろう。

「まこと!」

 ユリナが呼んでいた。

 まことが声のした方へ顔を向けると、二番後者の入り口に彼女が立っていた。

 そして、その後ろには見慣れない赤毛の少女の姿。いや、それは咲耶だった。

 ただその髪は見慣れた銀髪ではなく、鮮やかな真紅の色をしている。

 まことはその様子を見るなり、すぐに何か気づいたようだった。

「とりあえず、場所を変えよう。話はそれからだ」

 そう言うと、まことは二人を連れてその場を後にするのだった。

「ユリナ」

 隣に並んで歩きながら、まことは小声で彼女に話し掛ける。

「何があったんだ?」

「わからない。わたしが見たときにはもうああなってたから」

「そのことじゃないよ。おまえ、さっき解放しただろう」

 少しきつい口調で指摘され、ユリナはびくりと体を震わせた。

「わかってるのか。その体であれをやったらどうなるか……」

「だって、他に方法を思いつかなかったんだもの!」

 まことの言葉を遮り、ユリナは思わず大きな声を上げていた。

 少し先を歩いていた赤毛の少女が驚いて振り返る。

「見殺しになんて出来なかった。だって、あなたの大切な妹さんなんだもの」

「ユリナ……」

「あなたの大切なものを守れるなら、わたしは、わたしは……」

 彼女は息を詰まらせながらも必死に言葉を紡ごうとする。

 しかし、まことはそれを許さなかった。

 素早く自分の唇を彼女のそれに押し当て、離す。

 軽い口づけだった。だが、彼女は雷にでも打たれたかのように硬直している。

「その先は言っちゃいけない。たとえ、それほどまでに思っていてくれたとしても」

 まことは諭すような口調でそう言った。その表情は優しくもどこか悲しそうだ。

「俺にとって君は誰よりも大切な人で、家族だ。そんな君に辛い思いはさせたくない」

「……ごめんなさい」

 ユリナはまことに抱きつき、その胸に顔を埋めた。

 彼女は泣いていた。まるで幼い少女のように声を上げて涙を流していた。

 まことはそんな彼女を抱きしめ、優しく頭を撫でてやる。

 そんな二人の様子を咲耶は少し複雑な気分で見ていた。

 悔しかったのかもしれない。

 今まではずっと自分が兄の側にいた。

 兄はいつも自分だけを見ていてくれて、わたしにはそれが何よりも嬉しかった。

 そんな関係がいつまでも続くものだと思っていた。そうであって欲しいと願っていた。

 それが身勝手な願望であることも咲耶は十分に理解しているつもりだった。

 けれど、今はまだ愛し合う二人を心から祝福することが出来ない。

 ―――――――

「例の写真の件についてなのですが……、はい。……そうですか。では」

 必要なことだけを伝えてかずみは受話器を置いた。

 あの男が探していた赤い髪の少女。それを彼女は学園内で見つけたのだ。

 別にどうでもよかったのだが、とりあえず連絡してやった。

 この間は失礼な態度を取ってしまったのでその詫びもつもりもあった。

 もっとも、男の方でも姿を確認したようで、連絡はあまり意味がなかったのだが……。

「ほう、わたしへの報告もせずに男と電話だなんて、あなたもやるようになったわね」

 振り向くと暗がりの中にあかねが立っていた。

「会長、どうなさったのですか!?

 全身ズタボロのあかねを見て、思わず声を上げるかずみ。

 その唇に人差し指を当て、あかねはぐっとかずみの顔を覗き込む。

「な、何を……」

「二人だけのときは名前で呼んでって言ったでしょ。忘れたのかしら?」

「は、はぁ……」

 妖しい笑みを浮かべてそう言うあかねに、かずみは思わず顔を赤くしてしまう。

 ……な、何を意識しているのですわたしは!?これではまるで、そういう趣味があるようではないですか。

「そ、それで、どうなさったのですか?」

 内心激しく動揺しつつ、表面上は何とか冷静を装って尋ねる。

「キャッツアイガンナーに襲われたのよ。おかげで貴重なサンプルを灰にしてしまったわ」

 服についた煤を払いながら、あかねは苦い顔でそう言った。

「キャッツアイガンナー、一条蓮のことですか」

「今は違う名前を名乗っているんじゃないかしら。顔も少し変わっていたし」

「彼女があかね様を襲ったのですか?」

 信じられないといったふうにかずみは眉を顰めた。

「まるで容赦のない攻撃だったわ。下手をすれば殺されていたかもしれない」

「そんな……」

「残念だけど、今の彼女は敵よ。今後は警戒を怠らないよう、他の皆にもそう伝えて」

「……畏まりました」

 かずみは辛そうにしていたが、すぐにいつもの無表情に戻って頷いた。

 信じたくはないが、これが現実だ。受け入れるより外ない。

 そうしなければ、次は自分が殺されるかもしれないのだ。

 かずみは迷いを振り払うようにもう一度頷くと、今日の報告を始めるのだった。

 ―――――――

 ――天井から吊り下げられた豪華なシャンデリア。

 窓の外に広がる夜景はただで観賞するにはあまりに美しい。

 まことが二人を連れていったのは都内の高級レストランだった。

 いつの間に着替えたのか、三人ともその場に相応しい、整った衣服を身に着けている。

 実は幻だった。

 ユリナの操る幻想魔法で外見だけそれっぽく見せているのだ。

 そのことに気づいた美雪はこの場所自体が幻ではないのかと疑った。

 ユリナは笑って否定したが、本当のところはどうだろう。

 兄一人妹一人の生活は決して裕福なものではないはずだ。

 彼女もそれは気になったらしく、真面目な表情で尋ねた。

「本当によかったの。こんな高い店に入ったりして」

「金のことなら心配いらないよ。何でも好きなものを頼んでくれ」

 まことはそう言って二人にメニューを勧めた。

 ユリナがそれを受け取り、横から美雪が覗き込む。途端に二人は顔を見合わせた。

「読めます?」

「うーん、なんとかね」

 メニューはすべて筆記体のアルファベットで書かれていた。

 まことは慣れているのかさっさと注文を済ませてしまう。

 女性二人もウェイターに説明してもらいながら何とかオーダーを済ませた。

「さて、まずはお礼を言わなきゃいけないな」

 注文を取りに来たウェイターが去ると、まことは美雪に向かってそう言った。

 言われた美雪はおおいに戸惑った。

「あ、あの、わたしお礼を言われるようなことなんて……」

「謙遜なんてしなくていい。君のおかげで俺は大切な妹を死なせずに済んだんだ」

 まことは優しい笑みを浮かべてそう言った。

 ――何者かに襲撃された一昨日の夕方。

 まことが迎撃し損ねた一発の弾丸は本当なら咲耶の心臓を貫通していたはずなのだ。

 ぎりぎりでその軌道を逸らせたのは美雪の力だった。

 結果として彼女は被弾し、実体化もままならないほどの深手を負ってしまったのだが。

「最初から気づいていたんですね」

「まあな」

 まことはバツが悪そうに人差し指でポリポリと頬を掻いた。

 それからふと真顔になる。

「本当に君には感謝してるんだ。あの日の償いも兼ねて何かお礼をさせてほしい」

「そんな、いいですよ。わたしはわたしのしたいことをしただけなんですから」

「それじゃ俺の気が済まないよ。何か望みがあれば言ってくれないか」

「望み、ですか……」

 美雪はしばし思案するような素振りをみせてから、おずおずと口を開いた。

「じゃあ、よければもう少しだけ咲耶さんの側にいさせてもらえませんか」

「それは……」

「わたしにはもう自力で実体化するだけの力は残されていないんです。それに……」

 彼女はそこで一度言葉を切った。何かを確かめるように俯き、そして顔を上げる。

「彼女は……咲耶は親友だから、けじめはきちんとつけておきたいんです」

 美雪はまっすぐにまことの目を見てそう言った。

 すべてを受け入れ、覚悟を決めたものだけが持つことの出来る光がその瞳には宿っていた。

 まことは頷くしかなかった。

「強いんだな、君は」

「そんなこと、ないです……」

 美雪は微かに頬を染めてうつむいた。

 結末は残酷かもしれない。だから、彼女は今でも迷っているのだ。

 はるかな昔、神は永遠に続く破壊と再生の核として二つのシステムを世に残した。

 そのうちの一つ、ラグナロクの片割れはわたしたちの中にある。

 そして、もう一つの力もまた……。

 太古の時より魂の内に封印され続けてきたその力が今、再び目覚めようとしている。

 それはとりもなおさずこの世界が混沌の海に沈むかもしれないということを意味していた。

 わたしたちはこの世界にとっての脅威であると同時に残された最後の希望でもあるのだ。

 しかし、彼女はそのことをまだ知らない……。

 このまま黙っているべきなのだろうか。

 何も知らないふりをして、ただ時間の過ぎるのを待っていればあるいは彼女を苦しめずに済むかもしれない。

 わたしは神の遺産とともに永遠に消滅してしまうことになるのだろうけれど、それでも……。

 ―――――――

 ……どうしたの?

 どこか心配そうな咲耶の声に美雪はハッと我に返った。

 目の前ではまことが緋色の液体の入ったグラスを傾けている。

 隣ではユリナが切り分けたステーキを口に運んでいるところだった。

 咲耶の姿はどこにもない。彼女の体は今自分が借りて使っているのだから当然だ。

 声は音ではなく、意識の共鳴によって伝えられたのだろう。

 テレパシーのようなもので、同じ体を共有している二人の間では鮮明にその意志を伝えることが出来る。

 少し疲れているみたいです。

 わたしの体、相性悪かった?

 そんなことないです。

 美雪は慌てて否定した。相性は悪いどころか抜群によかった。

 疲れているのは単に慣れていないからなのだろう。

 あの後、二人は少しだけ話をした。

 美雪は自分が咲耶の中にいる訳を話し、勝手に入り込んだことを詫びた。

 咲耶は驚いていたが、訳を聞くと笑ってそれを許した。

 二人の間には協定が結ばれ、ここに共存体勢が確立されたのだった。

 ……でも、何か不思議。わたしの中に美雪ちゃんがいるなんて。

 わたしもです。翼を頂いたときにはまさかこんなことになるなんて思いもしなかった。

 そう言って美雪は出会った頃のことを思い出す。

 当時、彼女は心臓に病を患って病院に入院していた。

 親も兄弟も友達もなく、それを寂しいと思ったこともない。

 助からないと知っていたから誰に縋ることもしなかった。

 哀れみも励ましもいらない。そんなものは鬱陶しいだけだ。

 彼女は物心ついたときからずっとたった一人で生きてきた。だから死ぬときも一人でいい。

 主治医にそれを宣告された夜、美雪はこっそり病院を抜け出した。

 冷たい雨の中を死に場所を求めてさまよった。

 何時間も雨に打たれ続けて、彼女はとうとう倒れた。

 どことも知れない路上に仰向けになったまま動けない。

 徐々に霞んでいく視界に灰色の空を映しつつ、彼女はただ命の灯火が消えるのを待っていた。

 どれくらいそうしていただろうか。不意に顔に雨が掛からなくなった。

 止んだのかと思ったが、体のほうはまだ雨粒に打たれているらしく、微かに冷たさを感じる。

 地を叩く水の音もまだ聞こえていた。

 重い瞼を押し上げて目を開くと、ぼんやりと人の姿が見えた。

 サラサラの銀髪と抜けるような青い瞳の天使。

 ――それが咲耶だった。

 美雪は初め迎えが来たのかと思った。

 この世に未練はない。ただ、次に生まれてくるときは幸せな家庭に生まれたいと思った。

 しかし、天使は言う。幸せは与えられるものではなく、自らの手で掴むものだと。

 ――その気があるのなら、わたしの翼をあげる。これを器にして生きたいだけ生きて。

 でも、そんなことをしたら……。

 いいの。わたしにはもう必要ないものだから。

 美雪の体は病に蝕まれてもう使えなくなっていた。

 しかし、目の前には新しい器をくれるという天使がいる。希望は手を伸ばせば届くのだ。

 彼女の言うように本当に手を伸ばして掴める幸せがあるというのなら、わたしも生きてこの手で掴みたい。

 気がつくと、朝になっていた。

 意識ははっきりしていて、手足にもちゃんと力が入る。

 美雪はまだ死んでいなかった。それどころか、前の晩よりも元気になっているような気さえする。

 天使の姿はどこにもなかった。夢を見ていたのかとも思ったが、考えてもわからない。

 立ち上がって歩き出そうとして何かにつまずいた。それは傘だった。

 周囲の目をごまかすために病院から持ってきた自分のものである。

 そして、その側には数枚の羽根が落ちていた。

 白鳥のものにしては少し大きすぎる。

 しかも、それは日の光の中でもはっきりとわかるほど白く眩しく輝いていた。

 ―――――――

 それからしばらくして、再び出会った彼女はもう天使ではなくなっていた。

 美雪のことは覚えていないのか、それとも単にこれが最初の出会いだと思っていたのか。

 とにかく、そこにいたのは神代咲耶というごく普通の明るい人間の少女だった。

 二人はそれから何度か会っていた。

 咲耶はよく、誰も悲しまずに済む世界を作るんだと言っていた。

 美雪はそれを少し複雑な気分で聞いていた。

 やがて、二人の仲が親友と呼べるほどに深まった頃、その事件は起きた。

 それは初めて魔物というものを目にした瞬間だった。

 咲耶は美雪を庇って大怪我をしてしまい、治療のために遠くの病院に行くことになった。

 出発の日、再び会うことを約束して二人は別れた。

 約束は五年の時を経て果たされたけれど、美雪はそれを素直に喜ぶ気にはなれなかった。

 彼女の翼が言っているのだ。これは最期の始まりなのだと。

 そして、この世界に忍び寄る不吉な闇の気配を美雪は確かに感じていた。

 ―――――――

 夕食を済ませた三人が帰路につくころにはあたりはすっかり暗くなっていた。

 まことは未成年のくせにワインなど飲んでいたが、それを咎める者はいなかった。

 時折吹き抜ける夜風が酔いの回って火照った体に心地よい。

「今日はごちそうさまでした」

 美雪が言った。

「料理は本物だったでしょ?」

「はい。とてもおいしかったです。咲耶にも食べさせてあげたかったな」

「仕方ないさ。眠ってたんだろう?」

「それは、そうなんですけど……」

 咲耶は昼間の疲れがまだ残っているのか、食事も摂らずに精神を休めていた。

 肉体よりもそちらのほうを消耗しているのだろう。

 体を借りている美雪も少しだるさを感じてはいたが、こちらはそれほど辛くはなかった。

「また皆で行こう。咲耶にはそのときにおごってやればいい」

「はい」

 まことが優しくそう言うと、美雪は素直に頷いた。

「ずいぶんと優しいのね」

「妬いてるのか?」

「……知らない」

 ユリナはわざとらしくそっぽを向いた。

 慌てて仲裁に入る美雪。だが、彼女もすぐに気づいたようだ。

「お二人はとても仲がいいんですね」

「まあ、恋人同士だからな」

 まことは視線をそらしつつ答えた。

「人を好きになるってどんな感じですか?」

「うーん、そうだな……」

 興味津々というふうに聞いてくる美雪に、まことは返答に窮した。

「人を好きになるっていうのはね、その人を自分だけのものにしたいって思うことなのよ」

「そうなんですか?」

「まあ、恋愛の場合はそうかもしれないな」

 曖昧な答えを返すまこと。

 そのとき不意に頭上から声が降ってきた。

「それってようするに独占欲だよね」

 三人は驚いて上を見た。

 どうやって登ったのか、街灯の上に六、七歳くらいの少女が腰掛けていた。

「愛なんて所詮は欲望から発せられた衝動でしかないんだよね」

 少女は嘲りとも哀れみとも取れる視線を三人に向けてそう言った。

「それ、意味を分かって言っているのか?」

「当然。こんな姿だからって子供扱いしないでよね」

 少女は少しムッとした調子でそう答えた。

「まこと。気をつけて。その子、昼間学園で咲耶ちゃんを襲った子よ」

「何だって!?

 緊迫したユリナの声にまことは思わず二人の少女を見比べた。

「本当なのか?」

「本当だよ」

 魔族の少女はこともなげにそう言うと、ふわりと地上に舞い降りた。

「さ、今度こそ死んでもらうよ」

「勝手なことを言わないで。あなたに他人の命を奪う権利なんてないのよ」

 そう言ったのはユリナだった。静かな口調とは裏腹に、その体からは怒気が滲み出ている。

「ユリナ」

 再び力を解放しようとする彼女をまことは静かに制した。

「君は美雪を連れて逃げろ。こいつの相手は俺がする」

「カッコつけてんじゃないわよ!」

 怒声とともに少女の姿が掻き消えた。

 一瞬で間合いを詰めたかと思うと、いきなりまことに殴り掛かる。

 まことはとっさに両の掌を重ねてそれを受け止めたが、驚異的な加速から繰り出された拳には思いの外パワーがあり、受けきることは出来なかった。

「まこと!」

「まことさん!」

「人の心配なんてしてる場合じゃないよ」

 まことを殴り飛ばした少女は今度は同じ勢いでユリナに飛び掛った。

 その小柄な体が不意に横に転がる。体勢を立て直したまことが放った衝撃波に煽られたのだ。

「何をしてる。早く行け!」

「で、でも……」

「君には君の役目があるだろう。それを忘れるな!」

 鋭い口調でそう言われて、咲耶の姿をした少女はハッとしたようだった。

「……わかりました。この場はお任せします」

「ああ」

 まことは力強く頷いてみせる。

「ユリナ、俺の妹たちを頼んだぞ」

「任せて。……さ、行きましょう」

 ユリナも頷き、二人はその場を後にした。

「逃がさないよ!」

 立ち去る二人の背中に追い縋ろうとする少女。

 それを阻むべく、まことは再び不可視の衝撃波を放つ。

「邪魔しないでよ。わたしが用があるのはあの赤毛のおねえちゃんだけなんだから」

「邪魔してるのはそっちだろう。せっかく人がいい気分で酔いに浸ってたっていうのに」

 少女の放った火球を迎撃しつつ、まことは不機嫌な調子でそう言った。

 アルコールが回っているらしく、目が据わっているのが恐ろしい。

「そんなの知らない。お願いだからわたしの邪魔をしないでよ」

 少女が再び火球を放つ。だが、それはまことの眼前で不意に音もなく消滅した。

「嘘!?

 少女は思わず目を疑った。

 火球は迎撃されたのではない。意志の干渉によって完全に無力化されたのだ。

 理論上、魔法の無力化はそれを行使するものが魔法使用者の精神的干渉能力を上回るか、または魔法そのものの構成手順を逆に辿ることで可能だが、それには高い技術と専門的な知識が必要となる。

 つまり、ただの人間に出来るはずがないのだ。

「あなた、何者?」

 少女は思わず攻撃の手を止めて尋ねていた。隙が出来たが、まことはそれを突かなかった。

「俺が何者かはこの際どうでもいいだろう」

「よくないよ。こんな真似の出来る人間なんているはずがないんだから」

「現実は違っていたということだ。そして、君は俺には勝てない。これも現実だな」

 まことはこともなげにそう言った。

「そんなこと、やってみなきゃわからないじゃない」

「いいのか、結界も張らずにこんなところで暴れて。れっきとした協定違反だぞ」

 言われて少女は愕然とした。

 天使族も魔族も自分たちの領域以外での活動は協定によって厳しく規制されており、破れば重罪に処される。

 まことは時空管理委員会の一員であるため、そのあたりのことも知っているのだ。

 しかし、少女の方はまことを知らないらしく、心底驚いているようだった。

「なぜ咲耶を狙う。あいつに何か恨みでもあるのか?」

「そんなのないよ」

「だったら……」

「わたしだって好きでやってるわけじゃないんだよ!」

 突然少女が叫んだ。

 その小さな体からは想像もつかないほど大きな声にまことは思わずたじろいだ。

「……命令だから、従うしかないの」

 そう言った少女は本当に辛そうで、今にも泣き出してしまいそうだった。

 神代咲耶を危険に曝せといわれたが、本当に追い詰められていたのは少女のほうだった。

 彼女と対峙することが、力を向けることが怖い。

「わたしはただの人形。心なんてない。……ないはずなんです……」

 少女の頬を涙が伝う。

 ずっと我慢していたけれど、一度溢れてしまった感情はもう自分でも止めることが出来ない。

 まことはそれ以上見ていることが出来なかった。

 無意識に手を伸ばし、少女の肩を掴んで抱き寄せる。

 どうしてそんなことをしたのかは自分でもよくわからない。

 肩を震わせて嗚咽を漏らす小柄な少女の姿に、幼い日の妹がかぶって見えたのかもしれない。

「誰が人形なものか。傷つき涙を流すのは心があるからだ。心のない奴は泣いたりしない」

 少女を抱きしめ、そっと髪を撫でてやる。

 幼い妹にそうしたように、彼は少女が泣き止むまでずっと頭を撫で続けていた。




 ―――あとがき。

龍一「や、やっと終わった……」

美雪「お疲れ様でした」

龍一「ああ、加筆修正ってこんなに大変だったんだな」

咲耶「何を今更分かりきったことを」

龍一「一度完成してしまっているからな。無闇にいじると全体のバランスを崩壊させかねない」

美雪「それは単にあなたの技量不足ではないかと」

龍一「そ、そんな、はっきり言わなくても」

――泣きながら走り去る。

咲耶「あーあ、いっちゃった」

美雪「すぐに復活するんでしょ。大丈夫ですって」

咲耶「それもそうね。それじゃ、今回はこのあたりで」

美雪「また次回でお会いしましょう」

ではでは。

 




様々な事件が起こる中、色々と分かってきた事や新たなる謎も。
美姫 「アンタの頭では、これ以上は覚えられないんじゃない?」
お前、さり気に俺を馬鹿にしてるだろう。
美姫 「ううん、そんな事はないわよ。ただ、馬鹿だとは思ってるけれどね」
何だ、そうだったのか。あははは、疑って悪かった、って、何で謝らんといかんねん!
美姫 「はいはい、いい子でちゅから、大人しくしましょうね〜」
は〜い、って、何やらすんじゃ!
美姫 「はいはい、ほら、ハウス!」
バウッ! ハッハッハ……、お前、俺の事を何だと思ってるんだ。
美姫 「そんな恥ずかしい事をここで言わせる気?」
うっ! …って、そんな手に乗るか!
美姫 「ちぃっ! 馬鹿なくせに鋭いわね」
馬鹿は余計じゃ! って、そうじゃなくて、こんな事をしてる場合じゃないだろう。
美姫 「そうだったわね。咲耶を狙う少女!」
でも、それは命令で従うしかなかったから。
美姫 「涙を流す少女」
次回も目が離せません!
美姫 「次回も待ってま〜す」



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