第12話 もう一つの日常

 

 重くなった気分を引きずって優斗が帰宅すると、蓉子はまだリビングにいた。

 ソファの上に寝転がって一人でマンガを読んでいる。

 優奈は昼食の用意をしているらしく、狭いキッチンの中をてきぱきと動き回っていた。

「おかえりなさい。お昼ご飯すぐに出来ますから座って待っていてくださいね」

「あ、ああ……」

 言われるまま優斗はソファに腰を下ろした。

「おかえり」

 読み終わったマンガをテーブルの上に置きながら蓉子が言った。

「美里は?」

「シャワー浴びてる。優斗なら覗いてもいいってさ」

「あのバカ」

「顔が赤いよ」

「うるさい」

 優斗は軽く蓉子の額を小突いた。

 彼女はおおげさに手で額を押さえていたが、優斗が取り合わないのですぐに止めた。

 互いに空腹のためか他に何かする気にもならない。

 優斗はバスルームから聞こえてくるシャワーの水音が気になっていた。

 美里はどうしてこんな時間にシャワーを浴びているのだろう。

 夏の暑い時期ではあるが、室内はエアコンが効いていて汗をかくということはない。

 何か汗をかくような運動でもすれば話は別だが、美里に限ってそんなこともないだろう。

 水音が止んだ。

 すぐにバスルームの扉が開く音がして、バスタオル姿の美里がリビングに現れる。

「あ、おかえり優斗!」

 彼女は優斗の姿を見つけるといきなり抱き着いてきた。

 まったく無遠慮にシャワーを浴びて火照った身体を押し付けてくる。

「うわっ!?

 たまらず優斗は悲鳴を上げた。

 そのときキッチンから優奈が顔を出した。

「お昼ご飯出来ましたよ」

 美里の動きがぴたりと止まった。

 蓉子がソファから立ち上がり、美里も後に続こうとする。

「あなたは先に服を着てらっしゃい」

「えー、暑いからもうしばらくこのままでいるぅ」

「ダメ。蓉子さんが来てるんですから」

「んー、あたしは別にいいけど?」

 蓉子が口をもごもごさせながらそう言った。

 彼女は早くも席につき、今日の昼食であるスパゲッティーナポリタンに箸をつけている。

「蓉子さん、あまりこの子を甘えさせないで下さい。自立の妨げになります」

「ちょっとくらいいいじゃない。美少女の裸ってのも結構いい眺めだよ。ねえ、優斗?」

「俺に振るな」

「とにかく服を着てきなさい。それまでご飯はお預けですからね」

 優奈に本気でそう言われてしまっては従うしかない。

 美里はしぶしぶ服を取りに行き、その間に蓉子は無遠慮に山盛りのパスタを平らげた。

 ―――――――

 午後から再開された勉強会は夕方まで続き、蓉子は夕飯までたかって帰っていった。

 課題は順調に消化されており、このままのペースで行けば海へ行く日までには完了しそうだ。

 ――そして、夜。

 優斗はいつもの見回りに行くと言って家を出た。

 それ自体は嘘でも何でもなく、実際に彼は自分が縄張りを主張する地域を巡回している。

 半妖としての彼の人望は厚く、猫族をはじめとする多くのものたちの支持と信頼を得ている。

 種族を問わず分け隔てなく接する反面、悪意を持って他を害する者には容赦しない。

 俗物に汚されない強く真っ直ぐなその姿が彼を取り巻くものたちの目には眩しく映っている。

 ……俺はただ、守りたい人たちのために出来ることをしているだけなんだけどな。

 今もあちこちから向けられている尊敬と羨望の入り混じった視線に優斗は溜息を漏らした。

 これが草薙優斗のもう一つの日常だ。

 共にあり続けることを願うものたちのために、その平穏な日々を支える手伝いをする。

 そのためにはこの手を邪なものどもの返り血に染めることも厭わない。

 彼自身はそれが自分たちの日常を守ることにもなると考えて始めたことだ。後悔はない。

 だが、あの娘は……。

 かおりは例の路地の手前で待っていた。

「来たわね」

「そういう約束だったからな」

 抑揚の少ない声でそう言うと、優斗はかおりの隣に並んで路地の奥を見た。

 ……そこにあったのは吸い込まれそうなほどに深い漆黒の空間。

 差し込む光はほとんどなく、蟠る闇は夜のそれよりもはるかに暗い。

 あのどす黒い邪気は今はないが、水を打ったような静寂はそれだけで不気味なものだった。

「本当にここなのか?」

「そのはずなんだけど……」

 かおりは自信なげに路地の奥へと視線を向けた。

 懐中電灯で照らしてみるが、その光はまっすぐに闇へと吸い込まれるだけで何も捉えない。

「何もいないじゃないか」

「そんなはずないわ」

「元々、根拠のない噂だったんだろ。そういうことだってあるさ」

「でも、何人も同じことを言ってるのよ?」

 かおりは諦めきれないという調子で食い下がる。

「そいつらが言ってることだって、正しいって根拠はないんだろう?」

「だから、それを確かめに来てるんじゃない。何、もしかして怖いの?」

「まさか」

「そう、ならいいんだけどね」

 かおりは安心したようにそう言うと、再び懐中電灯を路地の奥へと照らす。

「もう勝手にしてくれ」

 そう言うと、優斗は近くの壁に凭れて目を閉じた。

 幽霊なんてここにはいない。いるとすれば、もっと危険で恐ろしい存在だろう。

 気になるのはあの邪気だ。あの強さ、あれは半端な奴じゃない。

 優斗はこれまでに千近い妖魔を狩ってきたが、あれ程のものを見たのははじめてだった。

 かおりはやはり諦めさせたほうがいいだろう。ここにい続けるのは危険すぎる。

 優斗が考えを巡らせていると、不意に彼女が口を開いた。

「聞かないのね」

「何を?」

「わたしが幽霊を捕まえようとしてる理由」

「昼間聞いただろう」

「じゃあ、どうしてあなたを選んだのかって理由は?」

「聞けば教えてくれるのか?」

 優斗は怪訝な顔をしつつ逆に問い返した。

 確かに疑問には思っていたが、尋ねたところで素直に答えてもらえるとも思えない。

 実際、彼女はにこにこ笑っているだけで何も答えなかった。

 まったく、どこにわざわざ弱みを握って無理矢理協力させる必要があるというのだろう。

 クラスメイトなのだから、頼み事くらい普通にしてくればいいものを。

「……何となく、かな」

 かおりは独り言のようにぽつりと言った。

「たまたま君の不審な行動を目撃して、調べてみたらあんなことになってた」

「それとこれとどんな関係があるって言うんだ」

「あら、弱みを握っていたほうが交渉は有利に進められるじゃない」

 さも当然といったかおりの言葉に優斗はただただ呆れるばかりだった。

「迷惑だった?」

「そりゃ、まあな」

「ごめんなさい。一人じゃ心細かったもんだから……」

 かおりは少しだけ申し訳なさそうにそう言った。

「誰でもよかったんだろ?」

「頼りになりそうな人ならね」

「じゃあ、俺は君の目に叶ったわけだ」

「どうかしら」

「宛てにならないって言うんなら帰るぞ俺は」

「待って、そういう意味じゃないの」

 かおりは慌てて優斗の腕を捕まえた。縋りつくようにして引き止める。

「あなたのこと、実はよく知らないの。あまり話したこともなかったしね」

「まあ、そうだな」

 優斗は何となく頷いた。

「でもね。あの写真を見て少しだけ大丈夫かなって思ったわ」

「どういうことだよ」

「写真の中のあの子、すごく幸せそうだった」

 かおりは呟くようにそう言った。

「人の心を満たせる人が悪い人なわけないもの」

「そんな大層なものじゃないよ」

「謙遜しないで。わたし、本気で羨ましいと思ってるんだから」

「羨ましい?」

「だって、理想的じゃない。そんなカップル今時なかなかいないわよ」

「ちょっと待ってくれ。俺とあいつは別にそんな関係じゃ……」

 言いかけたそのとき、不意に路地の奥に固い音が響いた。

 かおりはハッとして音のした方を向いた。

「ライトだ」

「あ、はい」

 かおりは慌てて懐中電灯を路地の奥へと向けた。手前から徐々に奥の方へと照らしていき、そして……。




 ―――あとがき。

龍一「第3章スタート。いよいよ事件が」

蓉子「ちょっと、あたしそんなに大食いじゃないわよ!」

龍一「ま、待て待て。まだ予告の途中……って、ぎゃぁぁぁぁっ!」

蓉子「燃えたよ。燃え尽きた……。真っ白にな」

龍一「……ネタが古い気が、っていうか、燃えたの俺…………ばたん」

蓉子「ったく、仮にもフェミニストを名乗るなら女性のタブーに触れるような真似しないでよね」

蓉子:作者の残骸を片付けつつ退場。

龍一「ふぅ、こんなこともあろうかとアストラルサイドへの逃走経路を構築しておいたが、それがこんなに早く役に立つとは。

さて、蓉子が気づかないうちに逃げないと。そういうわけで、今回はここまで。またすぐに次を投稿しますんで、楽しみにしていてくださいね」

 

 

 




や、やるな安藤さん。
逃走経路の構築か…。
美姫 「無駄だから、止めておきなさいよ」
……頼むから、人の考えを読まないでくれ。
美姫 「流石に私もそんな事できないって。ただ、分かり易すぎるのよアンタの思考が」
うぅ、確かに、地面にでかいクレーター作るような奴の手に掛かれば、逃走経路ごと壊しそうだしな……。
美姫 「はいはい。それよりも、いよいよ噂の幽霊が現われるのかしらね」
ドキドキ、ワクワク。
美姫 「果たして、その奥に待つものとは」
次回を震えながら待て!
美姫 「じゃ〜ね〜」



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