第19話 揺れる心

 

 皆で海へ行ったその日の夜、蓉子は優斗の家に電話を掛けている。

 昼間の一件について、彼女はまだきちんと謝罪していなかった。

 優斗は気にするなと言ってくれたけれど、そういうわけにはいかない。

 そもそも自分が勝手な行動をしなければ、優奈が危険な目に遭うこともなかったのだから。

 ――あれは本当に軽率だった。

 よくよく考えてみれば、何もあのとき自分が追わなくてもよかったのだ。

 それを勝手に一人で暴走して、心配して来てくれた優斗にもあんなふうに怒鳴ってしまった。

 ……怒ってるだろうな。あいつ、あの子たちのことになると途端に真剣になるから。

 暗澹とした気分で受話器を握り、蓉子はアドレス帳から草薙家の番号を呼び出す。

 七回目のコールの後、電話に出たのは優奈だった。

 蓉子が用件を告げると、彼女は笑って許してくれた。

『いいんですよ、そんなの。わたしは全然気にしてませんから』

「でも、優斗はきっと怒ってるよ。あいつ、あんたのことすごく大事にしてるから」

『そう、ですね……』

「元気ないね。やっぱ、昼間のことが堪えてる?」

『いえ、そうじゃないんです』

 優奈は少し迷った後、思い切って蓉子に胸の内を打ち明けた。

『……苦しいんです』

「だろうね。あたしはまだそういう経験ないけど、きっとそんなものだと思う」

『蓉子さん。わたし、もうどうしたらいいかわからなくて……』

「落ち着いて、ってのも無理か。初めてのことだもんね」

 小さな子供に言い聞かせるように、努めて優しい口調で蓉子は言う。

「とりあえず、あんたはどこもおかしくなんかないよ。むしろ、自然の成り行きって感じ」

『そうでしょうか……』

「不安なら、本人に言っちゃえば?そういう気持ちは相手にぶつけちゃうのが一番なんだから」

『そんな』

「しっかりやんなさい。大丈夫、優奈なら出来るよ」

 励ますようにそう言って蓉子は受話器を置いた。

 ……これで、よかったんだよね。

 あたしにとって、あいつは幼馴染で、ずっと昔から一緒にいる弟のようなものだったから。

 ……優奈は、いい子だと思う。

 聡明で、優しくて、料理上手で。細かな気遣いも出来るし、おまけにとびきりの美少女だ。

 あの子ならきっと、あいつのこと上手く支えていける。

 ……さて、と。

 軽く伸びをして、蓉子はソファから立ち上がった。

 深夜放送のアニメが始まるまでまだ時間がある。シャワーでも浴びてこようかな。

 そう思ってバスルームに向かいかけたとき、蓉子は不意にその音を聞いた。

 硬くて鋭い金属同士がぶつかりあうような、とても無機質な音……。

 それは異能者だけが聞くことの出来る切り取られた世界の悲鳴だった。

 場所はここからそう遠くない。規模からしてかなり強力な術者によるものと考えられる。

 ……まさか、こんな街の中で戦闘をするバカがいるっていうの?

 状況を察して蓉子は僅かに眉を顰めた。

 強力な結界は主に戦闘空間を隔離するためのものだ。

 それが使われているということは戦っているのはまあ良識あるものなのだろう。

 少なくともどちらか一方はその戦いで無用な被害を出すことを良しとしていない。

 とはいえ、そんな戦いが市街で行われているのが蓉子には面白くない。

 保安局は何をしてるのよ。あたしたちのしたことを無駄にするつもりじゃないでしょうね。

 ぶつぶつと文句を言いながら蓉子は再び受話器を握る。

 ――だが、このとき既に市街での戦いには決着がついていた。

 それによる被害は特になく、また誰と誰が戦っていたのかもまったく分からないという。

 ただ、現場には僅かに赤い毛髪が残っており、関係者の間に波紋を広げている。

 ―――――――

 翌日の草薙家はちょっとした騒動になった。

 二日酔いで痛む頭を押さえて身を起こした優斗に、臨戦態勢の美里が襲い掛かる。

 体調が万全でない優斗はたちまちベッドに押し倒され……と、ここまではいつも通りだった。

 ――問題はここから。

 嬉々として優斗の服を脱がせた美里は彼の体についた真新しい傷を見つけて悲鳴を上げた。

 すぐにその声を聞きつけた優奈が救急箱を持って現れる。

 彼女にお叱りと手当てを受けながら、優斗はその怪我の原因となった昨夜の出来事を話した。

「それは、災難でしたね」

 消毒を終えた傷口にガーゼを当てながら、優奈が言った。

「それはそうと、どうしてそんな真夜中に出歩いたりしたんですか」

「気分転換だよ。その、俺も眠れなかったから」

 昨夜のことを思い出して優斗は顔が熱くなるのを覚えた。

 慣れた手付きで包帯を巻いていく彼女。その様子は、いつもと何ら変わらない。

 なぜ、こうも平然としていられるのだろう。自分はこんなにも意識してしまっているのに。

「はい、これでお終い」

 最後に包帯の両端を縛ると、優奈はそっと優斗の体から離れた。

「とりあえず傷は塞がってるみたいですけど、あまり無茶はしないでくださいね」

「あ、ああ……」

 笑顔でそう言われては優斗は頷くしかなかった。

 彼女の手当てはとにかく丁寧で無駄がない。

 一見オーバーに見えるこの包帯も強引に止血しただけの彼の傷には必要な措置なのだろう。

 優斗はそこまでしなくてもいいと言ったのだが、彼女は最後まで許してくれなかった。

 ――そして、数分後。

 少し遅くなってしまった朝食の席で、またもや美里が声を上げた。

 ちょうど例の通り魔事件の続報をやっていて、画面に注目しているところだった。

 優斗は一瞬箸を止め、それから何事もなかったかのように食事を再開した。

「ねえ、優斗。今の人って……」

「ん、ああ。たぶん、そうだろうな」

「どうしてあんなところにいたのかな」

「さあ」

 さも無関心といったふうにそう言うと、優斗は味噌汁の残りを飲み干して席を立った。

「ごちそうさま。今日の味噌汁なかなかいい出汁出てたよ」

「本当ですか?」

「ああ。おふくろの味っていうか、懐かしい感じだった」

「よかった……」

 優奈はホッと胸を撫で下ろす。

「実はわたし今朝少し寝過ごしてしまって」

「起きられなかったのか?」

「はい……。それで、慌てて作ったものだからちゃんと出来たか心配だったんです」

「大丈夫。どれもちゃんと美味しく出来てたよ。この調子でこれからも頼むな」

 そう言って優斗は彼女の頭にぽんと手を置いた。

 その手と彼の顔を順に見上げて、優奈は嬉しそうに目を細めた。

 時間は昨日までと同じに流れている。まるで昨夜のことなんてなかったかのように。

 そのことが少しだけ優斗を安堵させた。

 変わってしまうことが怖かった。

 優奈と美里とそして、自分。当たり前のような三人での暮らしが楽しくて、嬉しくて……。

 ずっと変わらずに、守っていきたいと願っていた。けれど、それは……。

 ……あの子、すごく幸せそうだった。

 不意にいつかのかおりの言葉が脳裏を過ぎる。

 ――理想的じゃない。今時そんなカップルなかなかいないわよ。

 かおりはどちらのことを言っていたのだろう。

 そして、俺は……。

 そういえば、優斗は彼女が握っているものについて、何一つ確かめてはいなかった。

 ――ちょっとした心理トリック。

 その言葉が事実を言い当てているだけで、優斗は完全に踊らされていたのかもしれないのだ。

 冷静になって考えてみれば、佐藤かおりという少女には不審な点が多い。

 そもそも、表向き素行の地味な自分になぜただの女学生であるところの彼女が注目したのか。

 ……いや、彼女は巫女だと言っていた。

 本職ではないらしいが、それでも高い霊力を持っていることに変わりはないのだ。

 それで、もし彼女が自分のもう一つの秘密、半妖としての正体に気づいているのだとしたら。

 ……確かめてみるか。

 優斗は徐に立ち上がると、机の上のパソコンを起動させた。

 データベースから、アドレス帳のバックアップメモリーを呼び出して開く。

 携帯電話は昨日海で落として壊してしまったが、番号はこちらにも記録されているはずだ。

 目当ての番号はすぐに見つかった。090で始まる11桁、携帯電話か。

 優斗は手帳を開いて番号を控えると、軽く身支度を整えて部屋を出た。




 ―――あとがき。

龍一「何気ない日常の朝。けれど、それを囲うものたちの心はどこかすれ違っている感じ」

蓉子「結局、あたしってなんだったんだろうな……」

龍一「まあまあ、おまえがメインだった場合のIFもそのうち書いてやるからそんなに気を落とすなって」

蓉子「本当?」

龍一「た、たぶん」

蓉子「はぁ、これだもんね」

龍一「そ、そんな顔するなって。そのうちリクエストがあれば本当に書くから」

蓉子「出来ないことは言わない方が良いわよ。ただでさえ、別の長編書き始めたばかりでひーひー言ってるんだから」

龍一「うっ、あ、あれはほら、初めて書くジャンルだし」

蓉子「言い訳なんて聞きたくないわ。消えなさい」

龍一「ひ、酷いよ」

蓉子「久しぶりの狐流妖術だから特別に新しいのを試してあげるわ」

龍一「そ、そんな、待て。話せば分かる!」

蓉子「狐流妖殺剣・斬式奥義之極・幻夢昇竜斬!」

――無数の分身が剣を手に作者へと切りかかる。

龍一「な、なぜ、幻の刃に切られるんだ!?

蓉子「それはね、この世には霊主体従の法則っていうのがあって」

龍一「1,2,3、……だ、ダメだ。捌ききれない。ぐはっ!」

蓉子「ふむ。思ったより傷が浅いわね。やっぱり見よう見真似の剣じゃダメか。美姫さんのところに行って基礎から指導してもらおっと」

龍一「た、頼むからやめ…………ばたん、きゅう」

 




……そして、今回もまた一人。
今日はまた、違うお客さんが……。
朝から、何か訓練室で特訓だー、とか叫んでたけど。
美姫の剣術を身に付けれるはずはないと思うんだが。
美姫 「そうよ! そこでもっと踏み込んで! 私の剣術は教えられないけれど、剣の腕を上げる特訓をたっぷりとしてあげるからね」
?? 「はい、お願いします」
……ああ〜、お、俺は知らないよ〜。
この前に続き、今回も。
あ、安藤さん、俺から言える事はただ一つ。
二人に見つかる前に、逃げて〜〜!!



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