*

 ――黒い森。

 雪に覆われた足元は日中であれば目が痛くなるほどに白い。

 見上げれば、紺碧の夜の闇に抱かれるように、煌々と輝く蒼い月がこちらを見返してくる。

 そんなハイコントラストな世界で、あたしはあいつと出会ったんだ。

   *

  第19話 出会いは幻想の中で

   *

 出し物が決まった次の日、優斗たちのクラスでは早速準備が始められていた。

 学園祭まで残り2週間、とにかく時間がないのだ。

 この時期になると授業はすべて返上され、学園祭の準備に当てられることになる。

 そのおかげで生徒たちはそれぞれのクラスや部活動での準備に専念することが出来るのだが。

「これは、死ぬ気でやらないと間に合わないかもしれないな……」

 渡されたデザインを見た優斗は思わず顔を引き攣らせながらそう漏らした。

 内装はとにかく本格的で、テーブル席が6つにバーカウンターまである。

 それらすべてを製作するとなると、優斗の漏らした言葉も強ち大げさではないのだろう。

 とはいえ、今更デザインを変更することは担当者が許さない。

 やってやれない作業ではないのだ。

 優斗は意を決すると、クラスの男子を集めて指示を出し始めた。

 一方、家庭科実習室ではかおりとファミリアの試作したケーキが焼き上がるところだった。

 こちらは料理の得意なものを中心に数人が担当することになっている。

 用意することになったケーキはシホンとチョコレート、フルーツタルトの3種類。

 二人が試作したのはそのうちのシホンケーキとチョコレートケーキで、かおりがシホンを、ファミリアがチョコレートを担当したのだが……。

「ちょっと、これ甘すぎじゃない?」

 シホンケーキを試食した女子の一人がクリームの甘さに顔を顰めてそう言った。

「どれどれ。……あ、本当だ。これじゃ、紅茶に砂糖はいらないね」

「っていうか、こってりしすぎてて全部食べられないわよこれは」

「チョコレートのほうは何だか舌触りにむらがある感じ。チョコが上手く溶けてないみたい」

「うーん、もう少しスポンジのほうの砂糖を控えたほうがいいんじゃない?」

 口々に品評を述べるクラスメイト達に、かおりとファミリアは思わず顔を見合わせた。

「おかしいわね。ちゃんと、そこの本に書いてある通りに作ったはずなんだけど」

「わたしもケーキを作るのは初めてだったものですから、教本に従ったのですけれど」

 そう言って首を捻る二人に、一人の少女が苦笑しつつ声を掛けた。

「二人とも砂糖を目分量で量ってたでしょ。だからだよ」

「あ」

「言われてみればそうですね。普段、量りなんて使わないものですから、つい」

 指摘されてかおりが小さく声を上げ、ファミリアが少し恥ずかしそうにそう言った。

「まあ、材料はまだまだあるんだし、気を取り直していってみようか」

「ちなみに、フルーツタルトのほうはどうなの?」

「うん。ばっちりだよ。フルーツの酸味とクリームの甘さが上手くマッチしてていい感じ」

 フルーツタルトを担当していた少女はそう言って、2個目の試食品へと手を伸ばす。

「あ、こら。どさくさに紛れて何やってんのよ」

「ちぇ、バレたか」

 かおりに目敏く見つけられてしまい、その少女は小さく舌を出すと手を引っ込めた。

「えっと、後はシュークリームとクッキーだけど」

「シューはともかく、クッキーのほうはもう前日に作り置きってことにしようよ」

「飲み物だけ頼んだ人にサービスで出す奴でしょ?だったらそれでいいんじゃないかしら」

「それもそうね。じゃあ次、飲み物だけど……」

   *

 ――聖流の生徒たちが学園祭に向けて準備を進めている頃、綾香商店街ではこちらも来月に行なわれる秋祭りに向けて各商店ごとに準備が始められていた。

 祭りの当日に披露するのだろう。

 側を通りかかった優奈は、公民館の中から聞こえてくる太鼓の音に足を止めていた。

「わたしも、参加したほうがいいのかしらね」

 そういえば今朝の放送で町内会で練習をすると言っていたのを思い出し、優奈はふとそんなことを考える。

 今年人間になった彼女は言ってみれば土地に引っ越してきたばかりの余所者のようなものだ。

 近所付き合いなども特にしていない。

 果たして、そんな自分がこのような場所に入っていっても良いものなのか。

「あら」

 優奈が公民館の建物を見つめて立ち往生していると、不意に背後から声を掛けられた。

 振り返るとそこには主婦らしい三十代前半の女性が立っていた。

「あなた、草薙さんのところの若奥様よね。どうしたのこんなところで」

「え、あ、あの……」

 突然知らない人に声を掛けられ、優奈は少々戸惑っていた。

 とりあえず、気になったことを聞いてみる。

「あの、その若奥様って何ですか?」

「あら、ご近所では結構うわさになってるのよ。ラブラブの新婚カップルだってね」

 女性は少し意地悪な笑みを浮かべてそう言った。

「そ、そんな。わたしと彼はまだ結婚なんてしてませんから」

「そうなの?毎朝亭主を送り出してる姿なんて、結婚したての若奥様にしか見えないけれど」

 顔を赤くして否定する優奈に、女性は少し意外そうにそんなことを言う。

「彼はまだ学生ですし、その結婚出来る年齢ではないんです」

「じゃあ、同棲してるんだ。若いのにやるじゃない」

「あの、それって世間一般ではあまりほめられたことではないのでは?」

「まあね。でも、あたしもしてたから」

 あっけらかんとそう言う女性に、優奈は目を丸くした。

「そういうことはあまり他人には言わないほうがいいんじゃないですか?」

「普通はね。でも、あなたは同類みたいだから。よかったら少し話し聞かせてよ」

 そう言って表情を輝かせる女性は、まるで十代の少女のようにはしゃいでいた。

 その姿に何か感じるものがあったのか、優奈は少し躊躇った後に小さく首を縦に振った。

「どうぞ」

 先に玄関に上がると、優奈は来客用のスリッパを揃えて差し出した。

「いいの?初対面の人間を旦那の留守中に勝手に家に上げたりして怒られたりしない」

「お招きしたのはわたしです。どうぞお気になさらずに上がってください」

 そう言うと優奈は奥へと行ってしまった。

   *

 所変わって、ここは草薙家の美里の部屋である。

 ペンを置いた部屋の主は数時間ぶりにチェアーの背凭れを軋ませると、大きく伸びをした。

「う〜ん、すっかり没頭しちゃったよ〜」

 すっかり凝ってしまった肩を回しながら立ち上がってそう言った美里は実に満足そうだった。

 彼女の机の上には今しがた書き上げたばかりのコミックの原稿が広げられている。

 即売会から帰ってからの彼女はずっとそれに掛かりきりだった。

 会場で幾つかの作品を手に取った美里は同人マンガ家たちの情熱あふれる絵にすっかり感動してしまい、自分もいつかこんな絵を描きたいと強く願うようになっていたのだ。

「でも、こんなに捗ったのっていつ以来だろ。これもあの子のおかげかな」

 美里はかなりの頻度で自分の見た夢を覚えている。

 彼女のスケッチはそんな夢の中で最も鮮やかに残ったものを切り取ったものがほとんどだ。

 近頃、そんな美里の夢に紛れ込んでくる存在があった。

 自分のことを夢魔だと言うその少女は、時折彼女の夢の中に現れては謎めいた言葉を残して去っていくのだ。

 おかげで物語のインスピレーションには事欠かず、こうして一気に書き上げることが出来た。

 ……今度は、そのお礼も言わないとね。

 今、もう一度眠ったらまたあの子に会えるかな……。

   *

「意外と普通の家なのね」

 リビングへと通された女性は室内を見渡してそう言った。

「座っててくださいね。今、お茶をお入れしますから」

 ぶしつけな感想を気にするでもなく、優奈はキッチンへ入ると湯を沸かしてティーポットに注いだ。

 ほどなくして立ち上りはじめた紅茶の香りに、女性は他人の家だというのにリラックスした気分になる。

「どうぞ」

「ありがとう」

 差し出されたカップを受け取り、少し香りを楽しんでから口をつける。

「期待外れだったようですね」

「え?」

 不意にそう言った優奈の声に、女性は思わず顔を上げた。

「もっと雑然とした部屋を想像していたんですよね」

「え、ええ、わたしのときがそうだったからってのもあるんだけど」

「わたしはほとんど一日中家にいますから、整頓する時間には事欠かないんです」

「ああ。って、一日家にいるって学校とかは行ってないの?」

 優奈の説明に一瞬納得しかけた女性だったが、すぐに少し驚いたようにそう聞き返した。

 この娘、大人しそうに見えて実は既に親に勘当されているのではなかろうか。

 あるいは妊娠を理由に退学したか。いずれにしろ平穏な事情ではあるまい。

「本当は彼と一緒に通いたいとも思うんですけど、学費のことを考えるとちょっと」

「そっか、親とは絶縁状態なんだね」

 苦笑しながらそう言った優奈に、女性は前者だと判断したのかそんなことを言う。

 言われた優奈は少しきょとんとしていたが、すぐに合点がいったようで首を横に振った。

「わたしに親はいませんよ」

「え」

「母は今年の春に亡くなりまして、それから妹と二人でこの家にお世話になっているんです」

 言葉を失くした女性に、優奈はそう言って席を立つと窓の側まで歩いた。

「元々、あまり体が丈夫ではなかったんです。それなのにわたしたちのためにと無理を重ねて」

 そう言った優奈の顔には少しの影が降りていた。

 数奇な運命を辿り、姉妹は人間としての生を得た。

 だが、もしもあのとき彼と出会わなければ、自分たちも母のように死んでいたかもしれないのだ。

 そのことを考えると、幸せな今の時間を大切にしないといけないと思うし、自分たちを育て生かしてくれた母に感謝の気持ちを忘れてはいけないと思うのだった。

 無論、今の幸せを教えてくれた優斗たちにも……。

 思い出すことは悲しいけれど、決して一人ではないから、強く生きていこうと優奈は思う。

「わたしは、聞いちゃいけないことを聞いたのかな」

「いいえ」

 申し訳なさそうにそう言う女性に、優奈は振り返ってゆっくりと首を横に振った。

 すっきりとした表情の中にも確かな決意を秘めた、そんな眩しい微笑みがそこにはあった。

 ……何て素敵な、いい笑顔なんだろう。

 刺激を求めて首を突っ込んだ女性にとって、そんな彼女の姿は退屈な日々の中に輝く一個の宝石のようだった。

「最初に同類だって言ったこと、取り消させてくれる?」

 気づくとそんな言葉が自然と口をついて出ていた。

「わたしね。毎日が退屈で退屈で堪らなかったんだ。若い頃は男と同棲とか、いろいろ無茶もやってそれなりに楽しかったんだけど、それが今じゃ全然。ほんと、淡白な時間しか送れない自分に嫌気が差してるわ」

 女性はそう言うと、カップに残っていた紅茶を一息に飲み干した。

「楽しいことが何もないって言うんですか?」

「ただ冷めてるだけよ。だから、あなたみたいな娘を見ると眩しくてしょうがないわ」

 そう言って女性は本当に眩しそうに目を細める。

 茶色がかったその瞳の奥に、優奈は一瞬銀色の光が過ぎったのを見たような気がした。




   *

  あとがき

龍一「ども、安藤龍一です」

美里「草薙美里で〜す」

龍一「さて、今回は学園祭準備風景と久しぶりの優奈あんど美里の登場」

美里「あたしの夢に出てくる夢魔って誰?」

龍一「おいおい、それをここで言ったら楽しみがなくなるだろう」

美里「既にバレバレな気もするんだけど」

龍一「そ、それは……どうかな?」

美里「いや、わたしに聞かれても困るんだけど」

龍一「と、とりあえず、新キャラも出たことだし今回はこのあたりで」

美里「あ、ちょっと待ってよ〜」

龍一「ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。では、また次回で〜」

   *




学園祭も着々と進む中、新たな人物が。
美姫 「美里の夢に出てくる夢魔も気になる所」
平穏な日常が流れる中、事態はどう移ろい行くのか!?
美姫 「次回も楽しみに待ってますね〜」
待ってます。



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