第20話 喰霊虫ミタマクライ

   *

 綾香市に旧くからある住宅街の西側の一角に、今は人の住んでいない古びたアパートがある。

 大方、この不況で買い手のつかない物件をどこかの不動産会社が放置しているのだろう。

 その会社も数年前に既に倒産しているという話を李沙は偶然、通りかかった付近の住人から聞いていた。

 幽霊が出るという噂もあって、まだ日が高い時間帯であるにも関わらず付近に人の姿はない。

 好都合とばかりに李沙は錆びの浮いた柵に手を掛けると、それを飛び越えて敷地内へと侵入した。

 前に優斗たちと出掛けた帰りにこのアパートの前を通ったとき、彼女は窓から見えた室内の様子に何か引っ掛かるものを感じていた。

 あれから数日が過ぎていたが、どうにも気になってしかたがない。

 そして、今日。

 ついに耐えられなくなった彼女は、こうしてその原因を突き止めるべく乗り込んだのだった。

 建物の正面へと周り、向かって一番左の部屋の扉の前へと立つ李沙。

 わざわざ玄関から上がろうとするのは夜中に明りが点いているのを見たという人もいるからである。

 本当に誰かが使っているのなら、ドアノブなどにその痕跡を見つけることが出来る。

 そう思って顔を近付けてみると案の定、錆び付いたドアノブに最近回したような後があった。

 それを見た李沙は張り詰めていた意識を一層研ぎ澄ませると、中の様子を伺う。

 野生の人間である彼女にとって、扉一枚隔てた先の気配を探ることなど造作もない。

 それによると、どうやら室内に何か生物がいるということはなさそうだ。

 だが、長年の勘を信じて彼女がノブを回そうとしたとき、不意に背後から声を掛けられた。

「何してるの?」

「きゃぁぁっ!?

 突然のことに、李沙は小さく悲鳴を上げると後ろに跳び退った。

「そんなに驚かなくてもいいじゃないか。声を掛けたこっちがびっくりしたよ」

 そのまま声のしたほうへと振り向き身構える彼女に、声の主らしき少年が憮然とした表情でそう言った。

「だ、だって、全然気配を感じなかったんだもん。幽霊かと思ったわよ」

「ふーん。お姉さん、気配とかそういうの分かる人なんだ」

 批難するような口調でそう言う李沙に、青髪の少年は興味ありげに聞き返す。

「これでもずっと野外で暮らしてるからね。あんたこそ、ただの子供じゃないでしょ」

「へぇ、どうしてそう思うんだい?」

「だって、あんたからは人とは違う匂いがするから」

 そう言うと、李沙は懐から数本の小刀を取り出して構える。

 それを見て、少年も自分の間合いで動けるよう距離を開ける。

「別に僕はお姉さんとケンカするつもりはないんだけどな」

「あたしの後ろに立った時点であんたは敵なのよ。覚悟!」

 言うが早いか、李沙は少年目掛けて手にした小刀を放った。

 それを余裕を持って避けた少年の顔面へと、李沙のもう片方の手に握られたナイフが迫る。

「くっ、ウインドシール!」

 少年はとっさに集めた風で盾を作ると、李沙のナイフを受け止めた。

 それに少しの驚きを見せたものの、李沙はすぐに後退すると再び少年へと切りかかる。

「良い反応をするじゃないか。でも、動きが単調すぎるよ!」

 牽制に投げてきた小刀を風の盾で叩き落すと、少年は空いているほうの手で衝撃波を放つ。

 本能でそれを悟った李沙は右手に握ったナイフを横一文字に振るって迎え撃つ。

 銀の刃と風の刃が激突し、李沙の動きが一瞬止まる。

 そこへ続けて少年が衝撃波を放つが、それは李沙の放った純白の刃によって止められた。

「……氷の結界陣。お姉さん、精霊の加護を受けてるね」

「そういうあんたのそれは風の精霊の力でしょ。媒体なしで使えるなんてどんな契約してるの」

 油断無く構えながらそう聞いてくる李沙に、少年は首を横に振った。

「契約なんてしてないよ。だって、僕は……」

 そこまで言ったとき、不意に少年が顔を顰めた。

 李沙も異変に気づいたのか、周囲の空間に気を配りつつ少年へと言葉を掛ける。

「ねぇ、何か変だよ。急に空気が変わったみたい。何か、すごくざわざわして嫌な感じ」

「どうやら陽気の減衰に乗じて有象無象が這い出してきたみたいだね」

 そう言った少年の視線の先で、不意にゆらりと姿を現す影。

「あれは、シャドーウィプス。ミタマクライの一種だね」

「どうするの?どんどん集まってきてるよ」

 二人が見ている先で、その黒い人魂のような物体はどんどんその数を増やしていた。

「うーん、悪いけどパス」

「どうして?」

「あんまりこの近くで騒ぎを起こされたくないんだよね。ま、こっちの都合なんだけど」

 頭の後ろで手を組んでそう言う少年に、李沙は少し考え込んだ。

 今のところ、シャドーウィプスの群れにこちらに向かってくる様子は見られない。

 だが、あれらは生物の霊体を食らうという性質上、いずれ獲物を求めて動き出すだろう。

 そうなったとき、この町の人間にどれだけの被害が出るか……。

 関係ないと言えないこともない。だが、李沙は精霊使いであり、雪那の娘だ。

 そうでなくてもここは世話になっている人たちの町だ。

 なら、自分はどうするべきか。考えるまでもない。

 李沙は残りの武器を確かめると、単身シャドーウィプスの群れへと突進していった。

 ただのナイフではほとんど霊体であるミタマクライを傷つけることは出来ない。

 だが、彼女のそれは雪那の雪の精霊力を付与された謂わば退魔のための武器だ。

 李沙が手近な一体へとナイフを突き立てると、それは断末魔のような奇怪な音を発して霧散する。

 それを合図にしたかのように、他のシャドーウィプスたちが一斉に彼女へと襲い掛かった。

 それに対して、李沙は右手を後ろに引くと投擲の要領で握っていた小刀を放った。

 同時に地を蹴って後ろへ跳び、着地と同時に今度は左の小刀を放つ。

 何本かがシャドーウィプスの体を捉えて霧散させる中、李沙は更に後ろに下がるとナイフを投げた。

 敵は確実に数を減らしている。

 だが、投げる度に後ろへ下がっていた李沙は直に壁際にまで追い詰められることになる。

 その頃には知性の無いシャドーウィプスたちのほうでも彼女を敵と認識したのか、大分包囲するように集まっていた。

 そう、正に李沙の狙った通りに……。

「吹き荒れよ、吹雪!」

 叫ぶと同時に、李沙は懐から取り出した精霊力の結晶を地面へと叩きつけた。

 刹那、真冬の雪山のような大吹雪が彼女の周囲に巻き起こり、集まっていたシャドーウィプスたちをすべて氷付けにしてしまった。

「ふぅ……、さすがにこのクラスの結晶だと数秒が限界だね。すごく、疲れるし」

 敵がいなくなったのを確かめると、李沙はその場にしゃがみこんでそう言った。

「まったく、大した精霊使いだよ。お姉さんは」

「ううん。あたしなんて、まだまだだよ。今のだって、あたし本人の力じゃないし」

 そう言って照れる李沙の顔を見て、少年は慌てて視線を逸らすとどこかへ行ってしまった。

「逃げられちゃった……。やっぱり、怖いのかな」

 ポツリと呟くようにそう言って立ち上がる李沙。その顔は少し悲しそうだった。

 やはり、問答無用で襲い掛かったのがいけなかったのだろう。

 ここは人間の街の中なのだから、あんな子供が脅威として存在するはずがないというのに。

 野生の勘というのはここではあまり役に立たないものだと改めて実感する李沙。

 精霊たちに育てられ、野に生きてきた彼女にとって、人間の形成する社会は全くの異世界だ。

 正直、住み慣れた北海道の森の中のほうが居心地が良いと思ったことも一度や二度ではない。

 それでも帰らないのは、李沙がまだ優斗にあの夜の恩を返していないからだった。

 彼女にとって、彼は初めて自分に優しくしてくれた人間の異性だったから。

 尤も具体的にどうすればいいのか、彼女自身よく分かっていないのだが。

 とりあえず、今は自分が相対した怪異について雪那に報告しておいたほうが良いだろう。

 ここで李沙が力を解放したことは彼女も感じているだろうから。

   *

 その頃、雪那はバイト先の店でお好み焼きを焼いていた。

 金髪碧眼の和服美人はここでも浮いた存在で、それ故に多くの客の視線を集めている。

 着物の上から着けている店のロゴ入りのエプロンというのもかなりアンバランスで目立つ。

 故に偶然、その店に立ち寄った紅美姫が彼女の存在に気づくのも当然というものだった。

 最初はおかしな格好の店員に興味を引かれたという程度の認識だった。

 そして、すぐにそれとは別の異質さに気づいて、その形の良い唇の端を吊り上げる。

 向こうも気づいたらしく、微かに眉を顰めつつこちらへと視線を向けてくる。

 二人は同じ、だが、全く対極に位置する力を従える存在……。

「時々気配を感じてたから、いるんだろうなとは思ってたけど。まさか、こんなところで会うなんてね」

 注文を取りに来た雪那に、カウンター席の一つへと腰掛けつつ美姫がそう声を掛ける。

「あなたこそ。下賎のものの食するものには興味がないのではなかったのですか?」

 向け合った顔は笑顔だが、交わされた言葉には微妙に刺が混じっている。

 そんな様子に、美姫についてきていた浩はこの二人が根本的な部分で合わないのだと悟った。

 巻き込まれないようにそーっと、怪しまれない程度に離れた席へと腰を下ろす。

「何あんたはそんな離れて座ってんのよ」

「え、いや、別に大した意味はないんだが」

 途端に見つかり、冷や汗だらだらで言い訳をする浩。

「まあ、いいわ。アカツキ。あんた、後で時間作れるわよね」

「ええ、少しで良ければ」

「じゃあ、終わったら声掛けて。それまでいるから」

 簡単に言葉を交わすと、雪那は仕事へと戻っていった。

「それにしても、まさかあいつがこんなところで働いてるなんて意外だったわ」

「知り合いなのか?」

「ん、まあね」

 恐る恐る尋ねる浩に適当にそう答えると、美姫は渇きを潤すためにグラスの水を一口飲む。

 雪原の女王と称される雪の精霊の長にして四天宝刀の一つ、アカツキを納める者。

 彼女が出てきたということは、それなりの意味があるということなのだろう。

 ……面白いじゃない。

 一ヶ月前の事件では自分が出るまでもなかったが、今回は果たしてどうなることやら……。

 嬉しげに唇を舐める美姫。

 その狂気の笑みに、浩が戦慄を覚えたのは言うまでもない。

   *

 ――そして。

 世界が黄昏の闇に食われ出す頃。

 聖流学園では未だ多くの生徒が残って学園祭の準備に励んでいた。

 下校時間などとうの昔に過ぎている。

 だが、生徒は誰もそんなことに構わず各々に割り当てられた作業を黙々とこなしていく。

 教師たちはそれを注意して回るが、半ば目の色を変えている生徒たちにはまるで効果がない。

 まあ、それでも時計の針が7時を回る頃にはさすがにほとんどのものが帰宅するのだが。

 十月も半ばを過ぎれば大分日も短くなってくる。

 かおりが生徒会室の鍵を返して外に出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。

「大分遅くなっちゃったわね……。坂上さん、大丈夫?」

 少し早足で歩きながら、かおりは一緒に作業をしていた一年の女子生徒へとそう声を掛ける。

「あ、はい。えっと、かおり先輩も帰る方向一緒ですよね」

「ええ。わたしは駅向こうにあるマンションだから、電車には乗らないけどね」

 それを聞いて、坂上と呼ばれた少女は少し安心したようだった。

「よかった……。正直、これだけ暗いと一人じゃ心細くて」

「ごめんなさいね。こんな時間までつき合わせちゃって」

「いえいえ。それはわたしが好きでやったことですから気にしないでください」

 そう言って笑う坂上に、かおりは思わず嬉しくなってきた。

「いい娘ね。よかったら、今晩うちに泊まってかない?」

「え、どうしたんですか急に」

「今から帰ってたら家着くの9時くらいでしょ。ほら、この頃は何かと物騒だし」

「で、でも、悪いですよ」

「手伝ってくれたお礼もしたいし、坂上さんが嫌じゃなかったら来てくれる?」

 渋る坂上に、かおりは押し付けにならない程度に食い下がる。

「お礼とかは別にいいですけど、先輩がそこまで言うんならお邪魔させていただきますね」

「よかった。それじゃ、行きましょうか」

「あ、ちょっと。先輩〜」

 嬉しそうにそう言うと、かおりは坂上の手を取っていきなり駆け出した。

 それに引っ張られるようになりながら、慌てて歩調を合わせる坂上。

 自分の顔が赤くなっていることにも気づかないままに……。




   *

  あとがき

龍一「今回はちょっとした戦闘と重要人物同士の顔合わせ」

美里「そして、またしても新キャラ登場」

龍一「坂上友子、通称ともちゃんだな」

美里「かおりは坂上さんって呼んでなかった?」

龍一「そのあたりはおいおいってことで」

美里「次回は?」

龍一「頻発するミタマクライと敵サイドの動きかな」

美里「また戦闘だね」

龍一「美里の夢に出てくる夢魔も」

美里「出てくるの?」

龍一「か、どうかは次回になってみないと分からない」

美里「……このダメ作者」

龍一「と、とにかく、次回はそんな感じです」

美里「ところで、あたしの描いたマンガってどうなるの?」

   *

 





久しぶりの出番なのに、お前怪しすぎ。
美姫 「それを言うのなら、アンタはびびりすぎ」
ふっ、それが俺のキャラ。
美姫 「それって威張れないから、全然、全く、これっぽっちも」
うぅぅぅ。
美姫 「さて、幾つかの顔見せが起こり、新キャラも登場」
果たして、これらが今後、どうなるのか!?
美姫 「あ〜、早くも続きが読みたいの〜」
次回も楽しみに待ってますね。
美姫 「待ってま〜す」



頂きものの部屋へ戻る

SSのトップへ