第22話 幻影の闇

   *

 ――暗い路地に立ち尽くす二つの影。

 うち一つは赤い髪にメイド服姿の少女、ファミリアだ。

 そして、もう一つは彼女を襲った赤いローブ姿の女のもの。

 二人はお互いに背中を向けたまま、一撃を放った姿勢で固まっている。

 そこに吹き抜ける一陣の風……。

 やがて硬直が解け、膝を折ったのはファミリアのほうだった。

「ファミリアさん!」

 弾かれたようにそう声を上げて彼女へと駆け寄ったのは浩だった。

 路地へと入っていくファミリアの後を追った彼は、そこで一部始終を見ていたのだ。

 胸を押さえて蹲るファミリア。その手が、服が、見る見る赤黒い血で染まっていく。

「……浩様……、いえ、今は勤務時間外なので浩さんでしたね……」

「そんなことは良いから、早く手当てしないと」

「……い、いえ、浅く切られただけですから。それよりも……」

 言ってファミリアはチラリと背後に目を向ける。

 見ると自分に傷を負わせた相手がナイフを手にこちらに振り返るところだった。

 その手に握られた刃が血に塗れているのを見て、浩の目がすっと細められた。

「……あんたがやったのか。いや、あんたがやったんだよな」

「浩さん。わたしのことは良いですから、早く逃げてください。この人は……」

「いや、さすがにそれは人としてダメだろう」

 苦笑しつつ相手へと向き直る浩。その目は真剣で、普段のダメダメさを微塵も感じさせない。

「それに、君はうちのメイドだ。それを傷つけられて黙っていられるわけないじゃないか」

 彼は本気だった。本気で怒っている。

「ただの人間がわたしに楯突こうというの?それも高が使用人一人のために」

「あんたには分からないだろうな」

 そう言って目を閉じると、浩は懐へと手を入れる。

「ええ、分からないわ。そして、目障りなのよ。だから、消えなさい!」

 女は僅かに表情を歪めると、伸ばした右手の人差し指を浩へと向けた。

 浩は徐に懐から手を引き抜くと、それを女に向かって投げる。

 女の放った紅線がそれを貫いた瞬間、あたりを強烈な閃光が染め上げた。

「なっ!?

 女の口から驚きの声が漏れ、とっさに腕で目を庇うが遅かった。

 閃光に目を焼かれ、ふらつく女。

 その隙に浩はファミリアの腕を取ると、表通りに向かって駆け出した。

 混乱が起きるかもしれないが、それならそれで逃げるのには都合が良い。

 相手も他に人がいる中ではうかつなことは出来ないだろう。

 そして、女が視界を取り戻したときにはそこに二人の姿はなかった。

「逃げられた、か……」

 小さく舌打ちして、女は獲物が逃げたであろう方向へと視線を向ける。

 その先は人通りのあるメインストリートだ。

 状況を考えるとここで無理に追いかけて騒ぎを起こすのは得策ではないだろう。

 ……嘆息。それにしても……。

「どうしてただの一般人が閃光弾なんて持ってたのかしら」

 何となく疑問を口にしてみる。が、それで答えが分かるわけもない。

 女は軽く腕を振ってナイフに付いた血を落とすと、再び闇の中へと消えていった。

   *

「ふぅ……、ここまでくれば大丈夫だろう」

 そう言って浩が足を止めたのは街の一角にある小さな空き地だった。

 近くに殺気の類を感じないことから、どうやら上手くまいたようである。

 一通り確認して一息吐くと、浩は後ろにいるファミリアへと振り返った。

「とりあえず、もう大丈夫みたいですよ」

「え、あ、は、はい……」

 胸を押さえて深呼吸を繰り返していたファミリアはそう言われて何とか頷きを返した。

「傷、やっぱり痛みますか?」

「少し。でも、大丈夫ですから」

 ぎこちなく笑みを浮かべてそう言うと、彼女は浩の見ている前でいきなり服を脱ぎ出した。

「わわっ、な、何をしてるんですか!?

「傷を手当てするんです。そのためには服を脱がないと」

 慌てて止めようとする浩に、ファミリアは何でもないというふうにそう答える。

 浩はもう一度あたりを見回すと、それを見ないように後ろを向いた。

「どうかなさいましたか?」

「い、いや、別に……」

 本当に分からないというふうに不思議そうに聞いてくるファミリアに、浩は首を横に振った。

「その、君は男の俺に見られて恥ずかしくないのか」

「何をです?」

「だから、その、裸……」

 ぼそりと言った浩の言葉にファミリアはああ、と頷いた。

「メイドというのは主に対して身も心も捧げるものではないのですか?」

「いや、そんなことないから。っていうか、それどこで聞いたんだ」

「聞いたと申しますか、以前浩さんのお部屋を掃除させていただいた折に見た本にそのように書かれていたのですけれど」

「あ、あははは……」

 違うのですか?と首を傾げるファミリアに、浩はただ渇いた笑みを浮かべるだけだった。

 その間にも彼女は服を脱ぎ、とうとう下着だけになってしまった。

 うっかり見てしまった浩はその肌の白さに思わずクラッ、ときた。

 赤く染まったブラを外し、その下の傷口に直接手を触れるファミリア。

 痛みに微かに眉を顰めつつ、彼女は目を閉じてその手に意識を集中する。

 次の瞬間、浩は信じられないものを見た。

 傷口へと当てられたファミリアの手が淡い光を放っていた。

 それは傷を癒す霊力の光。

 浩は知らなかったが、どこか優しく暖かなその光に自然と心が休まるのを感じていた。

「もう、そんなにじっと見ないで下さい。……恥ずかしいですから」

 見られていることに気づいた彼女は微かに頬を染めて浩を睨む。

「あ、いや、悪い……」

「本当ですよ。それとも浩さんは野外でのがお好みなんですか?」

「わわっ、そんな誤解を招くようなことは言わんでくれ。頼むから」

 いつどこで美姫が聞いているとも限らないのだ。

 それを考えて一瞬身震いすると、急いでファミリアに服を着てもらう浩だった。

   *

「では、今回はこれくらいで」

「あ、うん。それじゃあ、また何かあったらお互い連絡するってことで」

 雪那の言葉に美姫も頷き、二人はバーのカウンター席から腰を上げた。

 喫茶店での話を終えた二人はそのままバーへと行き、そこで昔話に花を咲かせていたのだった。

「あまり作家先生を虐めるものではありませんよ」

「大丈夫。あれは一種のスキンシップ。あたしとあいつなりのコミュニケーションなんだから」

 そう言って釘を刺す雪那にだが、美姫はにっこりと笑顔でそんなことを言う。

 それにそっと溜息を漏らす雪那だったが、あえてそれ以上は何も言わないでおくのだった。

 駅前で美姫と別れ、雪那が草薙家に戻るとそれを少し真剣な顔で李沙が出迎えた。

「……何かあったのですね」

「うん……」

 確信を持ってそう言う雪那に、李沙もそれを端的に肯定する。

 そして、リビングで彼女の話を聞いた雪那は難しい顔で顎に手を当てて考えていた。

 まず、気になったのは風の精霊力を媒体なしで自在に操るという少年のことだった。

 そんなことが出来るのはよほど強い力を持つ精霊使いか、でなければ精霊そのものだけだ。

 そして、何かに吸い寄せられるように集まってきた大量のミタマクライ。

 これについては一緒に話を聞いていた蓉子も疑問を挿んでいる。

 基本的に知性を持たないミタマクライが集団行動をするとは考え難い。

 このところ動きが活発になってきてはいたが、それと何か関係があるのだろうか。

「とりあえず、このことは保安局に言って調べてもらいましょう」

「ええ、あたしたちで調べないの?」

「わざわざ自分から進んで危険に首を突っ込むこともないだろう」

 不服そうに頬を膨らませる李沙に、優斗はそう言うと自分の飲んだ紅茶のカップを手に席を立つ。

「優斗の言う通りだよ。あたしたちはあくまで民間人なんだから」

「そういうことです」

「で、でも……」

「それに、不用意に首を突っ込んで李沙に何かあればわたくしは悲しいですよ」

 蓉子と雪那の二人にもそう言われて、李沙は思わず唸ってしまう。

「まあ、そういうのは専門家に任せて、とりあえず今日はもう寝ようよ。時間も遅いことだし」

「そうですわね。わたくしも少し疲れましたし、李沙もそうではないのですか?」

「うん。そうだね。あんなふうに戦ったのも久しぶりだし……」

 そう言ってあくびを噛み殺すと、李沙はソファから腰を上げた。

 三人でカップを片付けて廊下に出ると、優斗と優奈が連れ立って部屋へと入っていくところだった。

「まったく、あいつらは毎晩毎晩……」

 顔を赤くしながら蓉子が呆れたようにそう漏らす。

 二人が同じ部屋で寝起きしていることは三人ともが知っていることだった。

 李沙はそういうことに対する人間的倫理観というのを知らないせいか、特に何も言わない。

「良いではありませんか。お二人ともまだ若いのですから」

「そういう問題でもないと思いますけど」

 何故かにこにこと笑みを浮かべている雪那を見て、蓉子ははぁ、と溜息を漏らす。

「李沙は今日は雪那さんと一緒?」

「うん。美里はもう眠っちゃってるから」

「そう。じゃあ、また明日ね」

「おやすみなさい」

「おやすみなさい」

 それぞれに挨拶を交わし、三人はそれぞれの部屋へと入って床に就いた。

   *

 美里は夢を見ていた。

 雪原と、その向こうに広がる黒い森……。

 銀色の月の光をその身に浴びて、佇む少女がそこにいる。

「こんばんは。また会えたね」

 そう言って笑う少女に、美里も笑みを浮かべて返す。

「じゃあ、行こうか」

「うん」

 少女の差し出した手を美里が取り、二人は雪原を疾走する。

 銀の月が見下ろす中、それはまるで吹き抜ける風のように。

 森を抜け、川を飛び越えて、また森の中を駆ける。

 そうしてまた雪原へと出た二人は息を弾ませながら、お互いの顔を見て笑みを浮かべた。

「あたしは夢魔。そして、これがあたしの力。夢の中で夢を見せるの。どう?気に入った」

「最高だよ」

 極上の笑みを浮かべる美里に、少女の顔にも笑みが深まる。

「望むなら、幾らでもみさせてあげるよ。でも、忘れないで」

 少女はそう言うと、少しだけ寂しそうに目を伏せて美里を見た。

「これは夢。あたしと、あなたが望んだ一夜の幻だってことを」

「……うん」

 美里は逡巡し、しかし、はっきりと頷いてみせる。

「でも、こうして出会えたことは素直に嬉しいよ。だから、教えて。あなたの名前……」

 美里は相変わらずの笑顔でそう言った。

 少女はしばらくきょとんとしていたが、やがてこちらも笑顔を浮かべると嬉しそうにそれに答える。

「あたし。あたしの名前は……」




   *

  あとがき

龍一「学園祭まで後10日」

美里「いろいろな思惑を持った人たちが動いている中、果たして作者はそれらを描ききれるのか」

龍一「あ、あははは……」

美里「今回はあたしとファミリアさん、浩さんのお話で良いのかな」

龍一「それで合ってると思うよ」

美里「浩さんはどうして閃光弾なんて持ってたの?」

龍一「それは、ほら、美姫さん対策ってことで」

美里「それはそうと、またお姉ちゃんの出番なかったね」

龍一「いや、ちらっと出てたかと」

美里「あれを出番って言うのかな」

龍一「さ、さて、次回も頑張りますか」

美里「あたしは知らないよ」

龍一「え、えっと、ここまで読んでくださった方ありがとうございました」

美里「次回もお楽しみに」

二人「ではでは」

   *

 





おお、珍しくまともな出番が!
美姫 「その前に、閃光弾ってどういう事かしら?」
あ、あははは。ほら、それは備えあればってやつで…。
美姫 「何に対する備えなわけ?」
あ、あははは〜。なんだろうね〜。
ほら、でも、今回は役に立ったじゃないか。
美姫 「たまたまね。でも、アンタが活躍すなんて信じられないことが起こるわね〜」
そ、そこまで言わんでも。
美姫 「それはそうと…。ファミリアちゃんに何をしてたのかしらね〜」
ち、ちがっ、ごかっ、って、読んだんだから分かっているだろう。
っていうか、あっちの俺と実際の俺は無関係で……。
美姫 「くすくす」
い、いやぁぁぁ!
美姫 「さて、冗談はこのぐらいにして、また次回が楽しみね」
……(びくびく)
だ、だな。美里の夢に出てくる少女。
彼女は一体…。
美姫 「ってな感じで次回も楽しみにしてますね〜」
楽しみに待っています。
美姫 「それじゃ〜ね〜」
ではでは。



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