第26話 絆
二人がやってきたのは海の見える高台だった。
そこは優奈と美里が今は亡き母と最後に過ごした思い出の場所。
――そして、優斗と姉妹とが出会った始まりの場所でもある。
「ここにはよく来るのか?」
「子供の頃からときどき。母にはあまり遠出してはいけないって言われてたんですけどね」
当時を懐かしむかのように、優奈は遠い空へとその目を向ける。
「優奈は悪い子だったんだ。母親の言いつけも守らないでこんなところまで遊びに来たりして」
「でも、そのおかげであなたと出会うことが出来ました。覚えてますか、あの日のこと」
あれはちょうど今日のようなよく晴れた日の午後のことだった。蓉子と二人で遊びにいった帰りにこの高台に寄った優斗は一匹の仔猫に襲われた。
気が立っていたのか、何度払いのけてもその仔は執拗に食い下がってくる。立てられる爪も牙もそれほど痛いとは思わなかったが、何か大きなものに反発しようとしているようなその姿に優斗は耐え難い痛みを感じたのを覚えている。
何となく相手をしてやっていると、どこからかそっくりの仔猫がもう一匹現れて、先の仔を止めに入った。兄弟か、姉妹か、とにかく後から現れた方が年長らしく、先の仔はしぶしぶといったふうに大人しくなる。蓉子はしばし二匹の様子を微笑ましげに眺めていたが、優斗の腕を伝う血に気づくとそっと治癒の手をかざしてくれた。
「あれから、もう半年か。月日が過ぎるのってこんなにも早いものなんだな」
「いろいろなことがあったから。きっと、ゆっくり振り返っている暇なんてなかったんですよ」
「……後悔、してないか?」
「してません」
躊躇いがちに尋ねる優斗に、優奈は笑顔でそう断言する。
「辛いことや悲しいことはあったけれど、それ以上に嬉しいことも楽しいこともあったから」
「強いんだな、君は」
「強くなんかありませんよ。ただ、支えてくれる人が側にいてくれたから笑っていられただけ」
そう言って優奈は少し目を伏せた。
「お母さんが死んで、わたしと美里はその亡骸に縋ってただ泣くことしか出来なかった」
「大切な人を失ったときなんて最初は誰でもそんなものだよ」
「あなたが手を差し伸べてくれなかったら、きっとあのまま飢えて死んでいました」
「あのときの君たちには生きようとする意志があった。だから、俺も手を貸そうと思ったんだ」
……命を救ったなんて思っちゃいない。そんなことが出来るのは神様くらいのものだ。
懸命に生きようとするその姿が愛しくて、共にこの世界で生きていきたいと願った。
ただ、それだけ……。
結果として二人は家に居ついてそのまま家族になったけれど、優斗は後悔なんてしていない。
――天涯孤独の身になってただがむしゃらに生きているだけだった。
そんな自分にも守るべきものが出来たのだ。それは大きな救いだった。
「だから、それを恩義に思って尽くすのはもう止めてくれないか」
「優斗さん!」
その後に続く言葉を聞きたくなくて、優奈は思わず叫んでいた。
「ダメなんです。……もう、それじゃダメなんです……」
「優奈?」
泣きそうな声で訴える優奈に、優斗は当惑した。
「あなたはそうやって優しくしてくれるけれど、わたしたち親子でも兄妹でもないんですよ」
「それは……」
「本当の家族でもないのに、その上そんなことまで言われたら、わたしは泣いてしまいます」
「わわっ、ちょ、ちょっと待って!」
優斗は慌てた。
女の子、それも優奈を泣かせたなんてことが蓉子に知られたら、自分は間違いなく殺される。
いや、下手をすれば、魂まで燃やし尽くされて二度と生まれてこれなくなるかもしれない。
「そ、そうだ。いつかの約束を果たそう」
「約束?」
「願い事、どんなことでも一つ、今ここで叶えるから。だから、泣かないで」
優しくもどこか必死な優斗のその様子に、優奈は思わずくすりと笑ってしまった。
「どんなことでもいいんですか?」
「あ、ああ。俺に出来ることなら」
「それじゃあ……」
優奈はそっと目を閉じた。
覚悟は出来ている。そのためにわざわざこんなところまで来たのだから。
脆い自分は臆病で、きっと一人では立っていられないけれど……。
こぼれかけた涙を指で拭って、それから何度か深呼吸をして、優奈はやっとそれを言った。
……それでも、これが今のわたしの素直な気持ちだから。
「わたしと、結婚してください」
―――――――
頭の中が真っ白になった。思考が混乱して、一瞬何を言われたのか分からなくなる。
「血を繋ぐことは出来ないけれど、縁を結ぶことは出来ます。
呪縛のような一言から優斗が解放されるのを待って、優奈はさらりとそう言った。
「そ、それは確かにそうだけど。でも、ええーっ!」
「わたしは優斗さんと本当の家族になりたい。あなたのパートナーとしていつまでもあなたの側にいさせてほしいんです。好きです、この世界の誰よりもあなたが」
一気に告白して、優奈はほーっ、と長い息を吐いた。
「……まいったな」
優斗は少し困ったような、バツの悪そうな顔でぽりぽりと自分の頬を掻いた。
「……ダメ、ですか?」
「いや、そうじゃなくて。なんていうか、その……」
優斗がますます困った顔になっていると、不意に彼の後頭部をスリッパが直撃した。
「ぬわっ!?」
「きゃっ!?」
優斗は堪らず悲鳴を上げた。
プロ野球選手顔負けの剛速球(?)だ。
こんな真似が出来てしかも自分にやる奴といえば優斗の知る限り一人しかいない。
「あんた、女の子にそこまで言わせといて何ボケっとしてんのよ!?」
「返事しようとしたのを邪魔した奴の言うことかよ」
「ふーん、そんなふうには全然まったく見えなかったけど。ねえ、美里」
「なに、美里もいるのか?」
「あー、うん。ここに」
かなり気まずそうな声とともに美里が木の陰から顔を出す。
「おまえら、一体いつから」
「うーんと、実は結構最初の方から……」
ごめんなさいの意味も込めて、素直に白状する美里。
「いいよ。どうせ、主犯は蓉子なんだろうから」
「何よ。大切な幼馴染と親友の恋の行方を暖かく見守っててあげようとしただけじゃない」
「よく言うよ。単におもしろがってただけのくせに」
「いいからさっさと返事しちゃいなさいよ。どうせ、答えは決まってるんでしょ?」
言われて優斗は優奈に向き直った。
直撃を受けた後頭部がずきずきと痛むが、幸い意識や記憶に障害が出るほどではないようだ。
……この報いは後できっちり受けさせてやるとしよう。
「あー、優奈。俺はまだ学生だし、十六だから今すぐ君と結婚することは出来ないんだ」
「知ってますよ。でも、大丈夫。優斗さん、絶対十六には見えませんから」
「何気にひどいこと言ってくれるな。って言うか、戸籍上のデータはごまかせないだろう」
「そんなものは書き換えてしまえばいいんです」
「お、優奈。いいこと言うね」
「茶化すな蓉子。ったく、話が拗れたじゃないか」
「あたしのせいじゃないよ」
「いいから黙って聞いてろ」
そう言うと、優斗は一つ咳払いをして話を続けた。
「来年の十二月二十四日、俺は十八になる。今すぐには無理だけど、それからでよければ」
「そ、それじゃあ……」
「結婚しよう。一緒になろう、二人で」
「優斗さん……」
優奈は思わず優斗に抱きついた。
「というわけで、婚約成立だね」
「おめでとう。お姉ちゃん、優斗!」
二人の観衆からパチパチと拍手が送られる。
「さてと、これ以上ヤボな真似するのもあれだし。あたしはそろそろお暇させてもらうね」
「あ、こら蓉子。ちょっと待て」
「さ、さよなら!」
そう言って蓉子は逃げるように駆け足で坂を下っていった。
「あ、蓉子。ずるいよ一人だけ逃げるなんて!」
美里も慌ててその後を追っていく。
「ったく、しょうがないな」
「いいじゃありませんか。あの二人だって別に悪気があったわけじゃないんですし」
逃げ去った二人を呆れ顔で見送る優斗に、優奈は優しい微笑を浮かべてそう言った。
「けど、本当に俺なんかでよかったのか?」
「はい」
「俺、あんまりいい男じゃないぜ。不器用だし、君みたいに強くもない」
「でも、だからいつも一生懸命にがんばっているんでしょ?わたし、ちゃんと見てましたよ」
そう言って微笑む優奈の笑顔は何だかまぶしくて、優斗は思わず目を細めた。
「それに、わたしはそんなに強くありません。優斗さんの方がずっと強くてカッコいいですよ」
「煽てても抱きしめてやることくらいしか出来ないぞ」
「それでいいです。あと、よければ口付けも……」
優奈は優斗の腕の中で目を閉じた。その顔に優斗は自分の顔をそっと近づけて……。
「優奈は欲張りだな。それに、ずいぶんと素直だ」
「女の子ですから」
唇を離して二人は小さく笑い合った。
――日が傾き、ゆっくりと西の空へと降りていく。
その陽射しを受けて、世界が茜色に染まる中で、二人はしばらく無言で見つめ合っていた。
―――あとがき。
龍一「想いを遂げた優奈を優しく受け入れる優斗」
蓉子「ようやく結ばれたわね」
龍一「これで終わったわけじゃないさ。きっとこれからもいろいろなことがあるだろう」
蓉子「でも、あの二人ならきっと大丈夫だって」
龍一「そうだな。さて、熱が冷めないうちに次の作品へと」
蓉子「って、ちょっと待ちなさい。まだ終わってないでしょ!?」
龍一「そうだっけ。……思考中」
蓉子「事件の方はまだ解決してないんだからね」
龍一「おお!」
蓉子「本気で忘れてんじゃないわよ。くらえ、狐流複合妖術・煉獄火炎凍結天昇!
龍一「うぎゃぁぁぁぁぁっ!」
――燃えて凍って砕け散る。
蓉子「というわけで、物語はまだ続きます。ここからは少しペースを上げさせて一気に行きますのでよければお付き合い下さい」
うんうん。良かったね、優奈。
美姫 「でも、蓉子ちゃんの言う通り、まだ事件は未解決なのよね」
それはそうだけどな。
美姫 「さて、これからどんな展開を見せるのか、とても楽しみです」
特に、かおりのメイ……、いえ、ナンデモアリマセン。
美姫 「ああ〜、次回が待ち遠しいわ」
次回を楽しみにしてますね。
美姫 「じゃ〜ね〜」