第28話 遭遇戦
「ごめんね蓉子。あたしたちの家の買い物につき合わせちゃって」
「いいって。先に言い出したのあたしの方だし」
そう言って蓉子はひらひらと手を振ってみせる。
……それにしても、あの甲斐性なしはあれからちゃんと上手くやっているのだろうか。
電話の向こうで情けない声を上げていた奴のことを思い出して、蓉子はまた溜息を吐いた。
「大丈夫だよ。優斗も男なんだし、いざってときに何も出来ないほどダメダメでもないから」
「あたしもそう思いたいんだけどね」
蓉子はそう言って苦笑したが、内心では既に別のことを考えていた。
……何となくもやもやする。体の中で陰陽のバランスが崩れたような、そんな不快感。
蓉子のそれは災禍の前兆のようなもので、こういうときは大抵ろくなことにならない。
……お払いでもしてもらおうかな。
自分が妖怪であることも忘れて、蓉子は半ば本気でそんなことを考えてしまう。
それほどまでにこの感覚が彼女に見舞う不幸は凄絶なのだ。
「きゃぁぁぁぁっ!」
突然聞こえた少女の悲鳴に、蓉子と美里は同時に足を止めた。
「今のって」
「裏通りの方だよ」
二人は顔を見合わせ、次いで悲鳴の聞こえた方へと駆け出す。彼女たちの動物的感覚はその悲鳴の発生位置をほぼ正確に捉えている。
通りでは何人かが驚いて足を止めていたが、そんなことに構ってなどいられなかった。
――感じる。人でないものの気配。そして、それを彩る思念は純粋な殺意……。
後にして思えばそれが蓉子にとって今回の災禍の始まりだった。
生きるための本能は確かに警鐘を鳴らしていた。
自分の中のどこか冷静な部分が、行ってはいけないと制止していたようにも思う。
だが、このときの彼女はそれらすべてを無視して現場へと急いでいた。
彼女の中の世話焼きの血が、お節介の本能が見捨てることを許さなかったのだ。
美里の行動原理はもっと単純で、彼女はそこに助けを呼ぶ誰かがいるから行くのである。
――自分に何が出来るかとか、行っても無駄だとか、そんなことは全く考えない。
ただ何もしないままに手遅れになって、それで後悔するなんて馬鹿げているから。
優斗は赤の他人のために自分がそこまでする必要はないと言うけれど。
……あたしはあたしがそうしたいと思ったからそうするんだよ。
―――――――
幾つか角をまがって狭い路地裏へと出る。
そこで二人が目にしたのは、十数人の人型に囲まれて後退る一人の少女の姿だった。
「あんた、昨日の」
蓉子が驚愕の声を上げる。
そこにいたのは昨日草薙家を来訪した客の一人、ファミリア・レインハルトだった。
「な、何なのこいつら……」
美里が引き攣った顔で迫り来る人型を指差す。
「泥人形!?」
「な、何でそんなものが動いてるの?」
「誰かが妖術で操ってるんでしょ。でも、なんでこんなところに」
冷静に状況を分析する蓉子に、ファミリアが再び悲鳴を上げる。
「た、助けてください!」
見れば三体の泥人形が逃げ場を失ったファミリアへと迫っていた。
「ええぃ、しょうがない!」
蓉子はとっさに持っていたスーパーの袋から大根を引き抜くと、それを思いきり投げた。
信じられないような速さで放たれた大根が、三対の泥人形を捕らえてこれを粉砕する。
砕かれた泥人形はそのまま崩れて土に還り、それを見た他のものたちの動きが一瞬止まる。
優奈が見たら悲鳴を上げそうだが、幸い草薙家の若奥様は旦那とデート中でここにはいない。
いや、それ以前に硬質化した泥の塊を大根で砕けるのかという問題もあるにはあるのだが。
「食べ物を粗末にしちゃいけないんだよ!」
「他に武器がないんだからしょうがないでしょ!」
そう叫び返すと、蓉子は美里を引っ張ってファミリアの元へと走った。
手っ取り早く妖術で片付けてしまいたいところだが、それをするにはここは狭すぎる。
「逃げるわよ。こんなとこじゃ戦えない」
呆然と立ち尽くすファミリアの手を取って、蓉子は走る。
「た、戦うって……きゃあ!?」
すぐ脇を貫いた泥の礫にファミリアが小さく悲鳴を上げる。
「こんなのを人目に曝すわけにもいかないでしょ。全滅させるわよ!」
「そ、そんな、どうやって!」
「適当な場所まで引きつけてあたしが纏めて吹っ飛ばす。分かった。はい、分かったら走る!」
無茶苦茶言ってくれる蓉子に二人はもちろん抗議したが、それで方針を変える彼女でもない。
こうなったらもうやるしかないのだ。
遅れてのろのろと追ってくる敵を牽制、あるいは粉砕しつつ、三人は路地の奥を走り抜けた。
―――――――
蓉子たちが逃げている頃、優斗と優奈は某有名ホテルのレストランで食事をしていた。
少し前に優奈が商店街の福引でここの食事券を当てていたのを思い出してのことだった。
そうでもなければ、こんな店には絶対入れない。それほど高級な料理店なのである。
幾つかの幸運に感謝しつつ、二人はしばし幸福な時間を過ごした。
「しかし、正直驚いたよ。まさか、君の方から告白してくるなんて」
赤い液体の満たされたグラスを傾けつつ、のんびりした口調で話す優斗はいつに無く饒舌だ。
「そんなに意外でしたか?」
「いや、初デートでいきなりプロポーズなんてされたら驚くぞ普通は」
「それだけわたしの優斗さんへの想いが強いってことですよ」
そう言って優奈もグラスに口を付ける。高揚しているせいか、そんなことまで言えてしまう。
「で、そんな君の想いに気づけなかった俺は犯罪的な鈍感野郎ってわけだ」
「そんなことはないですよ。わたしだって自覚したのはつい最近のことなんですから」
「それで今日の告白か。しかし、あれは幾ら何でも不意打ち過ぎないか?」
「……やっぱりこういうシチュエーションでの方がよかったかしら」
窓の外に広がる夜景を見ながら、優奈がぽつりと言った。
「それにしたって、プロポーズはないだろ。俺の方からならともかく」
「あら、それは女性に対する偏見というものでは?」
「いや、ただの願望だよ。男として、かっこよくエスコートしてみたかっただけさ」
そう言って優斗は苦笑した。照れ隠しのように手にしたグラスを一気に呷る。
「うふふ。それじゃあ、今度はそうしてくださいね」
合わせて飲み干したグラスをテーブルの上に置いて、優奈はゆっくりと席を立った。
彼は気づかない。自分の不用意な一言が、彼女をすっかりその気にさせてしまったことに。
―――――――
――所戻ってどこかの路地裏である。
幾つかの角を曲がり、蓉子はその都度牽制の野菜を放っては敵を誘導していた。
……数は確実に減ってきている。
だが、こちらの武器も残り僅かだ。ここらで決着を着けないとまずいだろう。
蓉子は敵が全員こちらを追ってきている事を確かめると、袋からコショウの敏を取り出した。
「……はぁ、はぁ、……そ、それ、どうするんですか?」
息を切らせながら、今更のようにファミリアが尋ねる。
「こうするのよっ!」
敵を十分に引きつけたところで、蓉子は掛けられるだけの圧縮を掛けて瓶を放り投げた。
最小限の力で最大限のことを成す。そのための妖術であり、妖術師だ。その技は時に自然現象をも意図して操ることを可能にする。蓉子のそれはその域に遠く及ばないが、科学の一端を助けとすることで望む結果を得ていた。極限まで密集したコショウは派手な粉塵爆発を引き起こし、集まっていた敵の大群を纏めて吹き飛ばしたのだ。
同時にあるはずの至近での猛烈な轟音と閃光も続けて発動させたもう一つの妖術で完全に押し殺しているので周囲に気づかれることはないだろう。それにしても……。
「……我ながらもの凄い威力だね。こりゃ、ダイナマイトよりすごいかも」
肩で息をしながら、感心したように蓉子が言う。
その蓉子に、ショックから立ち直ったファミリアがこれまたもの凄い勢いで噛みついてきた。
「あ、ああ、あなたという人はご自分が何をなさったか分かっているのですか!?」
「コショウ瓶一つでまさかここまで凄いことになるなんてちょっと想像つかなかった、かな」
「効果の分からないことをしないで下さいっ!」
「ちゃんと防御壁も張ったし。上手くいったんだからそれでいいじゃない」
何やら開き直っている蓉子。だが、その言葉を聞いてファミリアはぎょっとした。
「それってつまり、失敗するかもとか思ってたってことですか?」
「え、っと……」
「こ、こんなところで下手をすればわたしたち全員ああなっていたかもしれないんですね」
ほとんど残っていない敵の残骸を指差して、ファミリアは全身をぷるぷると振るわせた。
「ま、まあ、とりあえず助かったんだし」
美里がやんわりとフォローを入れる。
この状況でそんなことが出来るのは事態が飲み込めていない者の特権である。
不幸にもそれを知っているファミリアは、脱力してがっくりとその場に膝を着いてしまった。
それを見た美里が慌てて彼女の傍らに駆け寄っている。
事の元凶である蓉子はそんな二人の様子を見ながら、内心ではまた別のことを考えていた。
彼女の術が発動する直前、それまで動いていた泥人形の動きが止まった。
それこそ糸が切れた人形のように、すべての敵が動かなくなったのだ。
――故障。それとも術者の方で何か問題でも起きたのだろうか。
「とにかくこれでもう大丈夫でしょ。さ、いつまでもこんなとこにいないで帰るよ」
そう言って二人を促すと、蓉子はとりあえず明りを求めて近くの通りに出た。
気になりはしたものの、危険を承知で突っ込む程彼女は自分の首を軽んじてはいない。
これが仕事ならまた話は別だが、今はプライベートで連れもいる。
何より日はもうとっくに暮れているのだ。
こんな暗い路地にいつまでもいるのはそれだけで十分危険だった。
だが、危険の方にはまだ彼女たちを解放する気はないらしい。
表通りに出た途端、蓉子の耳を轟音が打った。
「きゃっ!?」
「な、何!?」
遅れて出てきた二人が驚いて足を止める。
「爆発……じゃないわね。何か、重いものが倒れたような感じだったけど」
そう言って蓉子はあたりを見回した。
通りのそこかしこで通行人達が何事かと足を止めている。
そんな中の一人を捕まえて蓉子は聞いた。
「ねえ、何があったの?」
「さあ、よくわからないな。神社の方みたいだけど」
「そう」
通行人に礼を言って別れると、蓉子は二人のところに戻った。
「さて、これからどうする?」
「あの、わたしの家ってその神社の向こうなんですけど……」
ファミリアが困ったように二人を見る。
「いいよ。送ってってあげる」
「本当ですか?」
「こんな時間に女の子一人でほっぽり出すわけにもいかないでしょ」
任せておけとばかりに胸を張ってみせる。
「それにまた襲われないとも限らないし」
「そうだよ。あたしたちと別れた途端にやられちゃったなんてことになったら嫌だからね」
美里に言われて想像したのか、ファミリアは自分の肩を抱いて小さく震えた。
―――あとがき。
龍一「野菜も力を込めればれっきとした兇器に」
蓉子「あたしは牛蒡とか大根とかで戦いたくなかった」
龍一「あの場合は仕方ないだろう。って、どうしたんだ?」
蓉子「…………」
――がたがた震えている。
優奈「食べ物を粗末にしちゃいけませんよ」
――笑顔で佇む優奈。その手には鈍く光る包丁が。
龍一「ま、待て。それは料理を作る道具だろう。お、俺は食糧じゃないぞ」
優奈「料理されるものという意味では同じです」
龍一「うわあぁぁぁ!」
――ザクザクザクザク。
優奈「はい。作者のお刺身です」
蓉子「いや、そんなの食べられないって」
優奈「仕方ありませんね。これは生ゴミで出しておきましょう」
蓉子「そ、それじゃ、あたしはこれで」
優奈「それでは、また次回で」
ふ〜。無事に逃げれたかな。
美姫 「所が、そういう訳にもいかないのよね」
な、何でここに!?
美姫 「いや、よく考えてみたんだけれど、話数飛ばしって、次の話のあとがき、もしくは感想に逃げる術なんでしょう」
うん、そうだよ。(自慢げ〜)
美姫 「でも、次のあとがき、感想では、当然の如く私がいる訳で…」
あっ!
美姫 「それで、私は浩が逃げた事を忘れるはずがないでしょう」
う、うん……(汗)
美姫 「となると、どうなると思う?」
え、えっと〜。
美姫 「浩が次話へと逃げる − (逃げた先には私がいる + 浩が前回逃げた事をしっかりと覚えている) = さて、何だと思う?」
解、前回の分まで、お仕置きされる俺……。
美姫 「せいかい〜。正解者には、いつもの三倍のお仕置きです〜」
の、のぉぉぉぉぉぉぉ!
美姫 「離空紅流、覇斬我紅」
ろぺしぃぃ!
美姫 「宙に舞った所を、喰らいなさい! 離空紅流、覇斬紅時雨!」
にょぎょわぁぁぁぁ〜〜。
美姫 「粉みじんと化すが良いわ。そして、止め! 離空紅流、天鳴鳳雷!!」
#%≠ξ□Å■◇$#&(最早、声にすらならない悲鳴)
美姫 「お仕置き、完了」
チン(刀を鞘へと戻す)
美姫 「さて、それじゃあ、また次回を待ってますね〜」
因みに、この秘儀が封印された事は記すまでもない……。