愛憎のファミリア外伝〜afternoon〜
エピソード3 人妖……草薙優斗
――一言で言ってしまえば、それは一つの災難だった。
俺、草薙優斗は幼馴染の狐妖怪、城島蓉子から頼まれた仕事をこなすべく、とある森の中を歩き回っていた。
ちょっとした調査の割りに依頼料はかなり良い。
今後のこともあって資金を積み立てておきたかった俺は一も二もなくそれを引き受けた。
まさか、それで北海道まで来ることになろうとは思いもしなかったが。
それはさておき、見回りを終えた俺は宿泊先の宿へと戻る途中で少々珍しいものを見つけた。
――白い猫。いや、よく見るとそれは山猫だった。
何やら猟師の仕掛けた罠に掛かってもがいているようだ。
俺は徐にその山猫に近づくと、そいつの右の後ろ足を捉えている罠へと手を掛けた。
正直、俊敏でしなやかな野生の狩人が逆に狩られる側になっている様は見るに耐えない。
いよいよ年貢の納め時とでも思ったのか、山猫は怯えた目でこちらを見上げてくる。
俺は構わず罠を外すと、怪我の具合を確かめるべく、山猫へと手を伸ばす。
そのときだった。
不意に背後から向けられた殺気に、俺はとっさに山猫を抱き抱えてその場から飛び退いた。
その子を放しなさい。でないと次は当てるわよ!」
鋭い声。
見るとたった今まで俺がいた場所に数本の小刀が突き刺さっていた。
そして、その延長線上に視線を向けた俺は思わず固まってしまった。
そこには両手に数本の小刀を構えた一人の少女。
それはいい。
いや、よくはないのだが、日頃から邪妖や怨霊どもを相手にしている俺にとっては物騒でもそんなに驚くほどのことじゃない。
問題なのはその格好だ。
彼女、俺とそう変わらない年の娘はその身に何も着けていなかったのだ。
「聞こえなかったの?早くその子を放して。さもないと本当に痛いわよ」
「いや、聞こえてる。だが、その前に一つ聞きたいんだけど」
「何?」
「おまえ、露出狂か?」
俺がそう聞いた途端、すぐ脇を高速で何かが通り抜けた。
「訳わかんないこと言ってんじゃないわよ。さっさとその子を放しなさい!」
「そうか?その割には顔が赤いが」
……しゅ!
再び飛んできた小刀をひょいとかわして、俺は山猫を地面に下ろした。
「俺はただ、こいつを助けてやろうとしただけなんだけどな」
「嘘。捕まえて食べようとしてたくせに!」
そんなふうに見えるのか俺は。内心少しへこむ。
「って、ちょっと待て。俺は言う通りにしたぞ!?」
「だからって次もまた同じことをしないとは限らないでしょ。ここで成敗してあげる!」
言いながら立て続けに小刀を投げてくる。それもわざわざ避けにくい箇所を狙って。
「だから、別に捕って食べようとなんてしてないだろ!」
「信じられない。罠まで仕掛けておいて、この卑怯者!」
「いい加減にしろ!」
叫ぶと同時に俺は刀の力を解放した。飛んできた小刀を妖力を纏った腕で残らず叩き落す。
「誰がわざわざ北海道まで来てそんなことするか。少しは人の話を聞け!」
「え、あなた、地元の人じゃないの?」
「ああ、そうだよ。そもそも、捕まえるつもりなら俺は罠なんて使わない」
言うが早いか、俺は瞬時に彼女の背後へと回り込んだ。
「なっ!?」
愕然とする彼女に構わず俺は彼女の手から小刀を叩き落すと、その手を後ろで拘束した。
「は、放しなさいよっ!」
「悪いがそれは無理だ」
「な、何でよ!?」
「接着剤で固めたからな。一度こうすると当分は離れないんだ。諦めてくれ」
「そ、そんな……」
途端にへなへなとなる。まさか、本気で信じているのか。いや、信じているんだろうな。
「あ、いや、悪い。冗談だ」
さすがに罪悪感を感じて俺がそう言うと、そいつは心の底から安堵したようにへたりこんでしまった。
「うう……、ひっく、……ひどいよ。あ、あたし、本気で離れなくなっちゃったんじゃって、すごく怖かったんだから」
「悪かった。けど、こうでもしないと話を聞いてくれそうになかったから」
そう言いつつ頭を下げる俺。無論、その手はもう彼女を押さえてはいない。
「う、ううん……、いきなり襲ったあたしも悪いから」
バツが悪そうに目を逸らす。
そのとき不意に茂みの影で笑い声が上がった。
「くくくく、あはははは」
驚いて茂みを掻き分けると、さっき助けてやった山猫が実に愉快そうに笑っていた。
「なっ、何がおかしいのよ!?」
かっとなって怒鳴る少女。どうやら猫が笑っていることに関しては驚いていないらしい。
こんなところで小刀携帯して素っ裸でいるような奴だ。
今更猫が笑ったくらいじゃ驚かないだろう。
「とりあえず、近くに俺が泊まっている宿がある。話はそこでいいか?」
「え、っと……」
「つまらない誤解をさせて時間を取らせたんだ。飯くらいはおごってやるよ」
俺がそう言うと少女はごくりと唾を飲み込んだ。
「せっかくのご好意だ。ご招待にあずかるとしよう」
山猫の方は十分にその気らしく、少女を促して立ち上がろうとする。
「ああ、あんたは動かないほうがいい。ざっと見た感じだとかなり痛そうだったからな」
「うむ。李沙、済まないが運んでくれないか」
「……分かった」
李沙と呼ばれた少女は小さく頷くと、ひょいと山猫を抱き上げた。
「あー、おまえはこれ羽織ってくれ。そのままじゃいろいろとまずいだろうから」
なるべく彼女の方を見ないようにしながら俺は自分が着ていた上着を李沙に渡す。
渡された彼女は分からないといったふうに小首を傾げていたが、山猫が着るように言うと、素直にそれに従った。
――そして。
「うわぁ〜!」
夕食時、テーブルに並べられた料理の数々に李沙は感嘆の声を上げていた。
旅館に着いて早々に彼女には浴衣に着替えてもらっている。
さすがに身に着けているのが男物の上着一枚だけというのはいろんな意味でやばすぎたから。
宿のほうは何とかして彼女も一泊泊めてもらえることになった。
さすがにもう一部屋というわけにはいかず、俺と同じ部屋になるなど多少の問題はあったが。
更に言うと彼女は人間の常識をあまり知らない。
聞けばずっと山で暮らしていたというから、それは無理もないだろう。
しかし、ろくに箸の使い方も知らず、手で食べようとしたところを慌てて止めたら食べさせてくれと言われたのには本気で参った。
その上、お返しだとか言って、彼女に食べさせられたなんて優奈に知られたら……。
いや、それくらいならまだいい。
不幸だったのはこの旅館の風呂が混浴だったことだ。
当然、李沙は意味など知らない。それで問われて説明してやったら、この娘は一緒に入ろうなんて言ってきた。
彼女が悪い訳じゃない。
知らないものは仕方ないし、それで不安になるのも分からなくはない。
だが、李沙よ。
俺は男だ。彼女持ちで経験済みでもそれは理性の保証にはならないんだ。
……はぁ……。
優奈と美里が人間になったばかりの頃を思い出すようなハプニングの連発に、俺はすっかり疲れてしまった。
――そして、その夜。
李沙が眠ったのを確かめると、俺はそっと宿の部屋を抜け出した。
さすが北海道というか、夜風は我が家のある街よりずっと肌寒い。
……こんな厳しい環境の中であいつはずっと生きてきたんだな。
不意に気配を感じてそちらを向けば、あの白い山猫が縁側に座ってこちらを見ていた。
「怪我はもういいのか?」
「おかげさまでな」
そう答えつつ、山猫は俺の隣までやってくる。
「おぬし、草薙の倅だろう」
「親父を知っているのか?」
「ああ、知っているとも。おまえの父親とわたしは昔馴染みだったからな」
そう言って山猫はどこか遠い目をして空を見上げる。
「知りたいか。おぬしの父親のこと」
「いや、いい。それよりも、今はあの娘、李沙のことを話してくれないか?」
「知りたければあれに直接聞くがいい。それとも当人には聞けぬことかな」
すっと目を細めて俺を見上げてくる。何か意地の悪い表情だ。
「ちょっと気になっただけさ。あいつの目が昔の俺みたいだったから」
「ふむ」
「見ていられないんだよな。もどかしいって言うか。本当は寂しくてたまらないくせに」
独り言のように呟いて、俺も空を見上げる。
――星の、月の綺麗な夜だった。
空気が澄んでいるせいか、街のそれよりずっとキラキラしているように見える。
「……あの娘は捨て子だった。それをわたしと一族の者が拾って今日まで育ててきた」
山猫は語る。
「親を探さなかったのか?あいつは、会いたがっただろう」
「そうだな。少なくともあれはわたしの前ではそんな素振りは見せなかった」
「強がってたんだな。あんたたちに迷惑を掛けたくなかったんだろう」
「一族の者は皆言っていたよ。家族の元へ返そう。それが最善だと」
「でも、そうしなかった。いや、出来なかったのか」
「つくづく絶望したよ。人とはあそこまで酷薄になれるものなのかと」
悔しそうに奥歯を噛む山猫に俺は言わずにはいられなかった。
「そんな人間ばかりじゃないさ。俺は、俺の周りにいる奴らは少なくともそうじゃない」
「分かっている。おまえも、おまえの母上も優しい人だった」
「それだけが取り得だったからな、あの人は……」
言いつつ、既に過去形でしか語れないという事実に俺は一瞬、胸を詰まらせた。
山猫はそんな俺の横顔を見ながら、そっと息を吐くのだった。
――続く。
―――あとがき。
龍一「やってしまった前後編(汗)」
優奈「優斗さん……」
龍一「おわっ、な、何か暗いオーラが」
優奈「わたしは信じていますよ。ええ、信じていますとも」
龍一「えー、何かアシスタントが怖いので今回のあとがきはここまで」
ではまた次回で。
後編はどうなるのかな〜。
美姫 「優斗は、李沙に手を出してしまうのかしら」
もし、そうなった時、それを知った優奈はどうするだろうね。
美姫 「…とりあえず、安藤さんが危ないかな」
…確かに。
次回は、どんなお話が待っているのだろうか。
美姫 「次回も楽しみにしてますね」