第1話 朝の風景
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――草薙優斗の朝は早い。
その主な理由として、彼が縄張りにしている自宅周辺の見回りを兼ねた走り込みが挙げられる。
町内を軽く一周してから、長いことで知られる氷上神社の石段を駆け上がるというコースは、人並み外れた体力を持つこの少年にとってちょうど良い運動になるのだった。
古流の剣術を納める優斗はその他にも木刀での素振り100本等、常人なら卒倒しそうな量の鍛錬を毎日こなしている。
それらが全く苦にならないということはなかったが、彼が自分の生活圏を守るためには必要なことなので、怠るわけにもいかなかった。
――妖怪と呼ばれる存在がある。
科学文明が発達するに従ってその個体数は激減し、今ではほとんど伝承でしかその存在を認知されなくなってはいるが、それは確かにいるのだ。
中でも人界に害を成すものを差して、関係者はそれを邪妖と呼ぶ。
邪妖は糧を求めてしばしば人里近くに出没するが、これは人間の退魔師か人と共存する道を選んだ妖怪によって駆逐されるため、一般人がその存在を知ることはまれだ。
優斗は特定の組織に属するものではないが、そういった集団から依頼を受けてこれらの邪妖を退ける仕事をしている謂わばフリーの退治屋だった。
ともすれば合理主義に凝り固まる集団等、あてには出来ないという考えから彼は事故防衛のための力を持つことを選んだのだ。
今は家族もいる。
日々の積み重ねが彼女たちを護る力になると思えば、怠る気になどなれようはずもなかった。
優斗がその日の鍛錬メニューを消化して帰宅すると、キッチンのほうからいい匂いが漂ってきた。
身体を動かした後はやはり空腹を覚えるもので、彼は誘われるままにそちらへと足を向ける。
以前は毎日自炊しなければならなかった優斗だが、最近はその事情も少しずつ変わってきていた。
春先に出来た彼の新しい家族、その姉妹の姉のほうが料理に興味を持ったのだ。
元が猫だっただけに、最初は火を怖がったりもしたが、暫くすると好奇心が勝ったらしく、彼女は優斗に教えを請うようになった。
自分から何かを覚えようとするその姿勢を好ましく思った優斗は、請われるままに彼女に料理を教えた。
彼自身、これといって趣味もなく、余暇を持て余していたということもある。
一応、後で蓉子にも相談したところ、二つ返事で賛成してくれた。
――それから一ヶ月。飲み込みの良い優奈は瞬く間に基礎をマスターし、簡単な朝食くらいなら一人で作れるようになっていた。
おかげで優斗はぎりぎりまで朝の鍛錬に時間を使える上、こうして帰宅してすぐに朝食にありつけるようになったのだった。
「おかえりなさい。朝ご飯、もう少し掛かりますから先に汗を流してきてください」
「ああ、そうさせてもらうよ」
キッチンへと顔を出した優斗に、振り返ってそう言うと優奈はお玉で軽く鍋を掻き混ぜる。
優斗はそれに頷くと、着替えとタオルを持ってバスルームへと向かった。
「で、どうしておまえは当然のようにうちで朝飯食ってるんだ」
軽くシャワーを浴びて戻ってきた優斗は、ダイニングテーブルの一角に見慣れた幼馴染の姿を見つけてそう言った。
「どうしてって、いつものことじゃない。優奈、お代わりちょうだい」
「あ、はい」
何を今更とでも言いたげにそう言うと彼女、城島蓉子は全く無遠慮に空になった茶碗を差し出す。
「少しは遠慮してくれ。うちだって、そんなに余裕があるわけじゃないんだからな」
「分かってるって。あ、お味噌汁ももう一杯もらえる?」
自分も席に着きながら呆れたような調子でそう言う優斗に、蓉子は形ばかりの頷きを返す。
これもいつものことだ。
何せこの娘は、毎月月末になると決まって草薙家にご飯を食べにやってくる。
市内で一人暮らしをしている彼女の実情は優斗も理解しているが、もう少しせめて、形だけでも遠慮してはもらえないものかと考えてしまう。
蓉子も16歳の少女だ。
草薙家の食生活を脅かすとかそういうことも無くはないが、それ以前にこう食い気ばかりを見せられるというのはいろいろと不安になるのだった。
「まあまあ、良いじゃありませんか。蓉子さんだって、うちの家族の一員みたいなものなんですから」
「そうだよ優斗。それに、ご飯は大勢で食べたほうが楽しいじゃない」
お玉で味噌汁を掬いながらそう言う優奈に、美里も鮭の切り身を解しながら頷いて同意する。
ちなみに、本日のメニューは鮭の塩焼きと味噌汁、ひじきの煮物に胡瓜の梅肉和えだ。
「まあ、二人がそう言うんなら別に良いんだけどな」
食い気全開でご飯をがっついている蓉子の姿を見て、優斗はそう言って何とも言えない表情で溜息を漏らす。
「何よ、人の顔見て溜息吐いたりして」
「別に」
「ふーん、さては見惚れてたわね」
素気無く答える優斗に、蓉子はそう言ってニヤリと笑みを浮かべる。
「バカ言うな。その食い気に満ちた表情の何処に見惚れるような要素があるって言うんだ」
「何ですって」
さらりと返された毒舌に、蓉子の目が吊り上がる。
「はいはい。お二人ともそれくらいにしてください。早く食べないと学校に遅れてしまいますよ」
口喧嘩とも言えない幼馴染同士の戯れ合いを軽く制して、優奈は壁の時計を見るよう二人を促す。
「って、まだ大丈夫な時間じゃないか」
促されて時計を見た優斗は、その針が示す時刻に軽く肩を竦めた。
「ちょっと、あの時計動いてないわよ!」
「何」
蓉子に指摘され、優斗は慌てて自分の腕に装着したほうの時計を確認する。
「おお、もうこんな時間じゃないか」
「落ち着いてる場合じゃないでしょ。走るわよ!」
「ああ、そうだな。っと、その前に」
「何よ。時間がないんだから早くしなさいよ」
まるで急ごうとしない優斗に苛立ちながらそう言うと、蓉子は足元に置いてあった鞄を手に立ち上がる。
「優奈、食後のコーヒーをもらえるかな」
「はい、ただいま」
「こらこらこら!」
そう言って席に座り直す優斗の首根っこを蓉子が掴んで立たせる。
「何だ。コーヒーくらい良いじゃないか」
「寝言は寝てから言いなさい。優奈も請われるままに用意しないの」
「蓉子さんはいらないんですか?」
「せっかくだけど、また今度にするわ。ほら、行くわよ!」
そう言うと、蓉子は優斗の首を掴んだまま部屋を飛び出した。
*
あとがき
龍一「蓉子編第1話は、タイトル通り朝の風景でした」
蓉子「あたしは貧乏学生か」
龍一「いや、単に無駄遣いが多いだけじゃないのか。主に悪戯方面に」
蓉子「だって、楽しいんだもん」
龍一「そのせいで優斗は苦労が絶えないけどな」
蓉子「さ、さて、次回はどんなお話になるのかしらね」
龍一「次回は早朝マラソンだ」
蓉子「げっ、やっぱりそうなるのね」
龍一「迫る始業時間、走る二人。だが、後一歩のところで無常にも閉ざされる校門」
蓉子「遅刻だーーー!」
龍一「追い詰められた蓉子は強硬手段に出る。果たして二人は遅刻を免れることが出来るのか!?」
蓉子「次回、愛憎のファミリア〜城島蓉子編〜第2話 もう一つの通学路」
龍一「君は、人外の神秘を目撃するっ!!」
蓉子「って、普通の日常話の予告に何目一杯気合入れてるのよ」
*
朝の風景。
美姫 「ほのぼのかと思いきや」
いやー、時計が止まっていて気付かないなんてな。
美姫 「次回は遅刻するかどうかってとこね」
うーん、どんな次回になるんだろう。
美姫 「次回も待ってますね」
ではでは。