幻想退魔録 第2章

  魔天回廊

   *

 本格的に振り出した雨の音を遠くに聞きながら、楓は思考を巡らせる。

 悲鳴を聞いて飛び込んだいずみの部屋で、彼女が見たもの。それは、助けを求めるように伸ばされた一本の腕だった。

 床一面に広がる禍々しい気を放つ波紋の中心から、女性のものと思われる白くほっそりとした腕が生えている。

 それがいずみのものだと気づいた楓が手を伸ばすよりも早く、その腕は波紋の中心に吸い込まれて消えてしまった。

 すべては一瞬のことだった。

 忽然と姿を消してしまった宿泊客に、従業員はもちろん、他の宿泊客も総出で彼女を探したが、幾ら探しても誰も立川いずみを見つけることは出来なかった。

 時期が時期だけに、神隠しなどと口にして徒に周囲の不安を煽るものもいたが、楓は消失の現場を見ているだけに、強ち間違いでもないかもしれないと思ってしまう。

「楓さん……」

「大丈夫だよ。今時神隠しなんて古い物、流行らないから」

 不安げに見上げてくるほたるの頭を撫でてやりながら、楓は改めて事件の現場となったその部屋を見渡した。

 自分が近くにいながら危険を察知出来ず、このような事態になってしまったことは残念ではあるが、だからといって悔やんでばかりもいられない。

 こうしている間にも、いずみの身にどんな危険が迫っているか分からないのだ。

 焦りや苛立ちといった感情を理性の下に押し込め、僅かな術式の残滓も見逃すまいと眼を凝らす。だが、相手も相当な使い手のようで、転移系霊術と思われるその光の陣は一切の痕跡を残すことなく消え去っていた。

 無論、それくらいのことで諦める楓ではない。術式の特性を見抜くことに長けた彼女は、あの一瞬でそれの大体の特徴を見抜いていたのだ。

 一度自分の部屋へと戻って荷物の中からガイドマップを取り出すと、それを卓袱台の上に広げて何やら書き込みだす。

 転移系霊術で移動させられる距離はその術式の規模に比例する。更に、相手が自らの犯行を隠蔽しようとしていることから、人目に付く可能性のある場所は避けるだろう。

 それらのことを踏まえた上で、楓が絞り込んだ転移先の候補は三つ。その中でも最も可能性の高い地点を地図で確認したとき、彼女はあるだけの装備を手に立ち上がっていた。

 霊術師が人を攫う理由など、どうせろくなものではない。奇妙な術の実験台にでもされたらと思うと、のんびり構えてなどいられなかったのだ。

 だが、間の悪いことに、部屋を飛び出した楓はそこでほたるに捕まってしまった。

「楓さん。何処に行くんですか?」

「えっと、ちょっとお手洗いに」

「そっちはロビーですよ。お手洗いなら、そこの角を右に曲がって突き当たりです。って、昨日説明したじゃありませんか」

「あ、ああ、そうだったね。じゃあ、ちょっと行ってくる」

 バツが悪そうに頬を掻きつつ、指で示されたほうへと歩いていく楓。

 どうも様子が可笑しい。いずみの部屋を見ていたときも妙に落ち着いていたし、ひょっとして何か心当たりでもあるんじゃないだろうか。

 そう思ってこっそり後をつけたほたるだったが、楓は普通に手洗いを済ませて戻ってきた。

 何もなかったことに安堵しつつ、疑ってしまった自分が少し嫌になる。彼女もまた、本気で心配していずみのことを探してくれていたというのに。

 自分の部屋へと戻る楓の背中に、軽く手を合わせて謝意を示すほたる。だが、彼女はもっと疑うべきだったのだ。

 ほたるの目をごまかすために一度部屋へと戻った楓は、レインコートを着込むと今度は部屋の窓から外へと出ようとした。

「あの、晩御飯なんですけど、いずみさん探してたから少し遅くなる……って、何やってるんですか?」

 だが、厨房からの伝言を持ってきたほたるにまたしても見つかってしまい、慌てて窓枠に掛けていた足を下ろす。

「ああ、ちょっとピアスを落としちゃって。大事なものだから、分からなくなる前に拾おうとしてたんだ」

 困ったようなふうを装いつつ、平然と嘘を吐く楓。さすがにいずみの居場所に見当が着いたから探しに行くとは言えない。

「楓さん、ピアスなんてするんですか?」

「ううん。何ていえば良いのかな」

「彼氏からのプレゼントとか?」

 沈んだ気持ちを少しでも晴らそうとしているのだろう。無理に明るい声を出して茶化すようなことを言うほたるに、楓は思わず苦笑した。

「そんなとこかな。まあ、それも昔の話で、今は誰とも付き合ってないんだけどね」

「そうなんだ……」

「安心した?」

「な、何でそうなるんですか」

 調子を合わせてお返しとばかりにからかってみたのだが、聞かれたほたるは顔を真っ赤にしてそれを否定した。

「ほたるちゃん、昨日からやたらと熱い視線を向けてくるもんだから、てっきりわたしに気でもあるんじゃないかと」

「ありませんよ、そんなの。確かに時々見てましたけど、それは綺麗な人だなって……」

「はいはい。そういうことにしておいてあげるよ」

「ああ、信じてませんね。大体、あたしたち女の子同士じゃないですか。楓さん、そっちの趣味でもあるんですか?」

 頬を膨らませてなかなか失礼なことを言ってくれる少女に、楓は何故か否定も肯定もせずただ笑っているだけだった。

「ちょっと、楓さん。何、笑ってるんですか。違いますよね?ねぇ、違うって言ってくださいよ」

「さて、わたしは落としたピアスを探さないといけないから。ほたるちゃんも伝言、他のお客さんにも伝えないといけないでしょ」

「それなら多分、もう他の従業員の人が伝えてます。それより答えてくださいよ。ねぇ、冗談ですよね」

 終いには必死に自分の肩を掴んで揺さぶり出すほたるに、楓は思わず噴き出してしまった。

「もう、笑い事じゃないですよ。あたし、危うく一緒にお風呂に入っちゃうところだったんですからね」

 山菜の天麩羅を口へと運びながら文句を言うほたるに、楓は何ともいえない顔をする。

「ほたるちゃんの中では、わたしはレズディアン決定なの」

「楓さんが否定しないからです。それと、あたしはノーマルですからね」

 自分も同類だと思われては堪らないとばかりにそう主張するほたる。だが、年頃の少女の想像力というのは逞しいもので、しっかりとそのシーンを思い浮かべてしまっていたりする。

 自然と頬に熱が集まるが、ここで取り乱してしまえばまたからかわれることになるのは明白だ。

 さすがにそれは面白くないので、ほたるは意識して平静を保とうとする。

 だが、そんな姿ですら楓には微笑ましく見えてしまうのか、彼女の顔から笑みが消えることはなかった。

 あの後何故か旅館の大広間ではなく、天宮家の食卓へと引っ張っていかれた楓は、そこでほたると二人で遅めの夕食を摂っていた。

「だって、一人で食べても美味しくないじゃないですか」

 理由を尋ねた楓にほたるは笑いながらそう答えたが、本当は寂しかったのだろう。

 聞けばいずみとは家族同然の付き合いで、食事もほぼ毎食一緒に摂っていたのだという。そんな人が突然いなくなってしまって、寂しくないわけがない。

 寂しくて、不安で堪らない。

 それでも周囲に心配させまいと、その気持ちを口に出すことだけは耐えている。そんな健気な女の子を放っておけるほど、楓は情に薄い人間ではなかった。

 分かっている。本当に彼女を安心させてやりたいのなら、一刻も早くいずみを探し出すべきなのだ。

 それに今回の依頼内容は護衛ではないが、対象がいずみである以上、それを果たすためにも楓は彼女を救出しなければならない。

 だが、それも今すぐには無理だった。

 勢いで立ち上がったものの、楓はこのあたりの細かな地理についてまったく知らなかったからだ。

 初めて訪れた土地で視界の悪い雨の中を一人で行動して、果たして無事に目的地に辿り着けるものだろうか。

 日中であればまだ地元の人間を捕まえて聞くことも出来ただろうが、あいにく今はもう夜だ。奇襲を掛けるには適していても、そこまでの移動が出来なければ意味がなかった。

 結局、楓は翌日の朝早くに従業員の目を盗んで宿を抜け出すことになる。だが、苦労してそこへと辿り着いた彼女が見たのは、未だ振り続ける雨の中、ひっそりと佇む無人の社だった。

 放置されてからどれだけの時間が経っているのだろうか。

 時折稲光の中に浮かび上がる社は、長く手入れされていないことを示すかのように半分朽ち掛けていた。石畳を割って伸びた雑草は大人の膝丈ほどもあり、何が潜んでいるかも分からない有様だ。

 見事なまでの廃墟だった。無論、境内に人の姿などあるはずもない。

 隠蔽の術式を使われているような気配もなく、楓は仕方なく旅館へと戻ったのだった。

 雨に濡れたせいですっかり冷えてしまった身体を温泉で温めながら、再び思考を巡らせる。

 一応、他の候補地へも行ってみたが、実際に見たそれらの場所は霊脈の乱れが酷く、とても霊術を使うのに適しているとは言えなかった。

 それ以外で条件を満たしている場所となると、地図上では確認することが出来ない。そもそもその条件自体、状況から推測したものでしかないのだ。

 とはいえ、少ない情報で導き出せるものには限度がある。ならば、不足を補うためにはどうすれば良いか。

 落ち着いて、もう一度最初から整理してみよう。どんな些細なことでも良い。見落としているものがないか、徹底的に洗い直すのだ。

 鍵となるのはやはりあの転移系霊術。おそらくは対象となるものを術者の手元に呼び寄せる引き寄せと呼ばれるものだろう。

 だが、それを行使するためには術者が対象の位置をある程度正確に把握していなければならない。

 事件の前後、楓の知覚が及ぶ範囲に霊術師の気配やそれに類するものは感じられなかった。

 だからこそ気づくのが遅れたのだが、よくよく考えてみれば、感知出来ないからといってそこにいないとは限らない。

 現に、楓はあの術式の痕跡を全く捉えることが出来なかった。

 仮に犯人が何らかの方法でいずみのすぐ近くに潜んでいて、彼女が一人になる瞬間を狙って犯行に及んだのだとしたら。

 床一面に展開される程の大掛かりな陣が一瞬で消え去ったのも、それが本命の術式を隠すためのフェイクだったとすれば頷ける。

 しかし、その後に術式の痕跡を完全に消し去ったのは何故だ。

 霊術などそれを知っているか、実際に扱うものでもなければ、気づくことなどまずない。なのにそれを隠すということは……。

「相手はこちらの存在に気づいている……」

 自然と至ったその考えに、楓が思わず息を呑んだときだった。

 ……こん、こん……。

「楓さん。今、少し良いですか?」

   *

「それで、わたしに何の用かな?」

 薦めた座布団にほたるが座るのを待って、楓はいつも通りの口調でそう聞いた。たった今まで事件に関する考察をしていたことなど億尾にも出さない。

「用って程のことでもないんですけど、お母さんが警察呼んだからそのこと楓さんにも伝えておこうと思って」

「ああ。まあ、普通は呼ぶよね」

「事情聴取っていうのかな。いろいろ聞かれると思いますけど、楓さんもちゃんと知っていることを答えてくださいね」

「分かったよ。まあ、わたしが知ってることなんて、多分そんなに大したことじゃないとは思うけど」

 核心を突いたような物言いをするほたるに、楓は内心、首を傾げたい思いに駆られながらそう答える。怪しまれるような素振りは極力見せていないつもりだったが、何かボロが出ていたのだろうか。

「用件はそれだけかな」

「あともう一つ。事件が解決するまではあまり出歩かないほうが良いですよ。楓さん、今朝早く出掛けてたでしょ」

 ダメですよ、と咎めるようにそう言うほたる。だが、それも純粋に楓のことを心配してのことだ。

「何のことかな?」

「うちの従業員の一人が言ってたんです。こんな雨の中、一体何処に行ってたんですか?」

 バレていたことに驚きつつ何故という顔をする楓に、本当だったんだと少し呆れたように溜息を漏らすと、ほたるは悪戯をした悪童を叱る年上幼馴染のような顔を作ってそう追求してきた。

 普段の楓であれば、そんな彼女の態度を受け流す余裕もあったのだろうが、失敗を犯したことで気が立っていた今の彼女にはそれが酷く気に障った。

「別に何処だって良いだろう。君には関係ないよ」

 苛立っていたせいか、口調がやや乱暴になってしまったことに、楓は内心、舌打ちする。自分は何をやっているのだ。彼女に当たったところで何も解決しないというのに。

 だが、それに対して返された言葉は楓にとって意外なものだった。

「関係無くなんてありませんよ。だって、あたしたち友達じゃないですか。嫌ですよ。あたし、楓さんが疑われたりするの」

「友達?」

「友達ですよ」

「たった一日一緒に遊んだだけなのに?」

「十分じゃないですか。それとも楓さんはあたしが友達じゃ嫌ですか?」

 途端に泣きそうな顔になるほたるに、楓は慌ててそれを否定した。

「なら、あんまり心配させないでくださいね。ただでさえ、いずみさんが突然いなくなっちゃって不安で堪らないんですから」

 そう言って笑うほたるに、楓は何と言って良いのか分からなかった。顧客との交渉ならともかく、プライベートでの彼女は全く不器用な人間なのだ。

 だというのにこんな、泣き笑いのような表情を見せられてしまっては、本当にどうすれば良いのか分からなくなる。

 そんなときだった。不意に目の前の少女がかつての自分と被って見えたのは。

 それはもう懐かしく思える程に遠い昔のことだったが、助けてくれた人がいたことは今でもはっきりと覚えている。

 あの人と同じようにすれば、この子もまたあの太陽のような笑顔を取り戻してくれるだろうか。

「かえ、でさん……」

 突然のことに戸惑った声を上げるほたるに、構わず楓は抱き締める腕に力を込めた。

「無理しないで、しんどいときは頼ってくれて良いんだよ。これでもわたし、ほたるちゃんより年上なんだから」

「じゃあ、ちょっとだけ……」

 耳元に囁くようにそう言われて、ほたるは強張っていた身体から少しだけ力を抜いた。

 そっと寄り掛かるようにその身を楓へと預ける。

 楓は片手でほたるを抱き直すと、空いたほうの手で優しく彼女の髪を撫でた。

「こうしてると、何だか恋人同士みたいですね」

「わたしたち、女同士だよ?」

「良いですよ。あたし、楓さんなら」

「大人をからかうんじゃないの」

「ええ、結構本気だったのに」

 冗談っぽく交わされる言葉に、どちらからともなく笑みが零れる。未だほたるの顔から影が消えることはなかったが、そこにもうあの無理をしたような笑顔はなかった。

 だが、そんな二人を嘲笑うかのように、自体は新たな局面へと移り変わる。

 僅かながら元気を取り戻したほたるに、楓が安堵して彼女から離れようとしたときだった。

 ぞわり……。

 不意に背筋を這い上がった悪寒に、楓の表情が凍りつく。瞬時に塗り替えられた室内の空気に、気づいたほたるが思わず息を呑んだ。

 だが、気づいた時にはもう遅かった。

 奇怪な紋様が床から壁、天井へと広がり、そこから溢れた光が二人を呑み込んで消える。そして、光が消えたとき、そこに彼女たちの姿はなかった。

   *

 ひんやりとした空気の感触に、楓が目を覚ますとそこはまったく見たことのない場所だった。

 天井から突き出すように生えているのは鍾乳石だろうか。

 びっしりと壁を覆うヒカリゴケのおかげで視界は十分に確保出来たものの、ここから見渡せる範囲に太陽の光が差し込んでいるような様子は見られない。

 楓は焦っていた。

 ここが何処だか分からないということもあるが、何より抱きしめていたはずのほたるの感触が今は自分の腕の中にない。

 自分だけが飛ばされたのならまだ良いが、抱き合っていたあの状況でそんなことはないだろう。となると、二人は別々の場所に飛ばされたと考えるのが自然だ。

 退魔師の自分とは違い、一般人であるはずのほたるには魔に対する術が何もない。加えてこのような状況に耐性があるとも思えないから、混乱もしているだろう。

 そんなところを襲われでもしたら、ひとたまりも無い。

 あの太陽のような笑顔が邪悪なものによって引き裂かれる様を想像すると居ても立ってもいられなくなり、気づけば楓はその場から走り出していた。

 薄暗い鍾乳洞の中、微かに感じる人の気配を目指して走る。所々鍾乳石の飛び出た洞窟の床は走りにくいことこの上なかったが、職業柄鍛えている彼女にとっては苦にもならない。

 だが、幾らも行かないうちに楓は強力な魔の気配を感じて足を止めた。

 とっさに相手の数や力量を測ろうとして、それが叶わないことに気づく。霊脈が近いせいか、気配が霞んでしまっていて上手く読み取ることが出来なかったのだ。

 それでも何かあれば対応出来るようにと楓が手持ちの装備を確かめていると、前方から少女の悲鳴が聞こえてきた。

「きゃぁぁぁっ!?

 ほたるちゃん!

 嫌な予想が当たったかと小さく舌打ちしつつ、楓は悲鳴の聞こえたほうへと向かって再び洞窟の中を駆ける。

 そこは今までの場所とは明らかに異なる知性あるものの手によって整えられたと思われる空間だった。

 床と天井を繋ぐのは、人工大理石と思われる四つの円柱。それらの表面には何らかの術式を示す刻印がびっしりと彫り込まれており、それが準起動状態であることを示すように淡く光っている。

 そして、それらの柱から均等に離れた空間の中心に異形の怪物に襲われているほたるの姿があった。

 振り上げられた怪物の腕を楓の放った鋼鉄の糸が捉える。呪縛式を編み込まれたそれは女性の細腕に握られているにも関わらず、怪物の巨腕に一切の挙動を許さない。

 その隙にほたるの側まで走ると、楓は倒れていた彼女を抱き上げた。

「ちょっ、楓さん!?

 困惑した声を上げるほたるを片手で抱き抱えて、大きく後ろに跳び退る。そのすぐ後を鋼糸を振り解いた怪物の腕が追ってくるが、それは楓が着地と同時に放った別の鋼糸に阻まれて彼女たちには届かない。

 楓は更に数本の小刀を放って怪物の足を止めさせると、その場から一気に離脱した。

 どれくらい走り続けただろうか。気配からあの怪物が追ってきていないことを確かめると楓はようやく足を止めた。

「あ、あの、もう大丈夫なんですか?」

 ホッと安堵の息を漏らす楓に、ほたるがおずおずとそう尋ねる。

「ああ、とりあえずはね。でも、ここを出るまでは何があるか分からないから、絶対にわたしの側を離れちゃダメだよ」

 抱えていたほたるを下ろしながらそう言う楓に、彼女は黙ってこくりと頷いた。

 薄暗い鍾乳洞の中を、二人は出口を探して歩き続ける。途中、ほたるが何度か転びそうになったが、その度に楓が彼女を支えたので転倒することはなかった。

 だが、終わりの見えない緊張は確実に二人の精神をすり減らしていく。特に先程襲われたほたるは未だその恐怖から立ち直れずにいるようで、楓の服の袖を掴んで放さなかった。

 そして、二人が歩き始めてから一時間ほどが過ぎた頃。ついに彼女の体力に限界がきた。

 休憩を取るために腰を下ろしていた岩から立ち上がろうとして、失敗する。

 ごまかすように苦笑いを浮かべてもう一度立ち上がったものの、その足取りは酷く覚束ないものだった。

 よろよろとした足取りでそれでも先へ進もうとするほたるを見て、楓は意を決すると彼女の前に背中を向けてしゃがみ込んだ。

「その足じゃこれ以上は辛いでしょ。出口まできっともう少しだから」

「そんな、楓さんだって疲れてるんじゃ」

「良いから良いから。それともさっきみたいにお姫様抱っこのほうが良いかな」

 悪戯っぽく笑みを浮かべてそう言う楓に、ほたるは顔を真っ赤にして抗議する。

「あ、あれは、楓さんが勝手に……」

「あれ、嫌だったかな?」

「嫌じゃないですけど……。もう、楓さんのバカ」

 薄明かりの中でも分かるほど顔を赤くしてそう言うと、ほたるはプイとそっぽを向いた。

 そんな仕草もかわいいと楓は思ったりするのだが、あまりからかい過ぎてへそを曲げられても困るので黙っておくことにする。

「それで、どうするの?やっぱり、お姫様抱っこが良いかな」

「普通に負ぶってください」

 何だかんだで結局はからかうように声を掛けてしまう楓に、ほたるは少し大きな声でそう答えると彼女の背中に負ぶさった。

 そんな彼女を落とさないように両手を回してしっかりと支えると、楓は立ち上がって再び歩き出す。

 前方から空気が流れ込んできている。

 地上はもうすぐそこだった。


   * * *  次回予告  * * *

 風の流れから地上が近いと感じ、その足を速める楓。

 次第に見え始める光は太陽のそれで、楓に負ぶってもらっていたほたるの顔にも安堵の色が広がる。

 だが、光へと踏み込んだ二人が見たものは、まったく想像もしていなかった光景だった。

 次回、幻想退魔録 終章

 風と太陽の祭壇

「これは幻。それとも……」

   *

 

 





いずみの行方は未だに分からないまま。
美姫 「その上、ほたるまで危険な目に遭いそうになってたわね」
さてさて、次回は終章みたいだけれどどうなるのかな。
美姫 「無事に事件が解決しますよ〜に」
とっても気になる次回を、他人には見えない霊とおしゃべりしながら待て!
美姫 「って、ただの変な人じゃない!」
ぶべらっ!



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