――5月30日17:13。

 桜台国守山山中――。

 嵐の近づく中、立ち込める暗雲とざわめく木々を背に対峙する二つの影があった。

 一つは野犬の姿をした黒いけもの。

 全身から邪悪な気を発するそれは額に第3の目を持つ魔物だった。

 魔物はその外見通りに姿勢を低くし、唸りを上げて目の前の獲物を威嚇している。

 時折轟く雷鳴も相まって、相手に与えるプレッシャーは相当なものになっているはずだった。

 ……閃光が宙を駆ける。

 そして、次の瞬間にはそれとは違う光が地面すれすれの高さを薙いでいた。

 光は極細の矢となって魔物の額を貫き、貫かれた魔物は声もなく地面へと倒れる。

 ――それが現実。

 光を放った者は地に倒れ、黒い塵となって消えていく魔物の様をただ静かに見届けていた。

   * * * * *

  トライアングルハート〜天使の羽根の物語〜第1章 始まりの夏

  4 金色の堕天使、その名は……

   * * * * *

 ――5月30日18:36。

 桜台さざなみ寮――。

「それじゃ、わざわざ静養のために東京から来たの?

 咲耶の髪を丁寧に洗いながら知佳が聞く。

「ええ。本当は自然治癒するものなんですけど、環境のせいかどうにも回復が芳しくなくて」

「大変だよね。わたしも病気持ちで偶に体調崩すからよく分かるよ」

 最後の一房まで洗い終わると、一声掛けてからシャワーでシャンプーを洗い流す。

「はい、お終い。でも、本当にきれいな髪だよね。サラサラでキラキラしてて羨ましいな」

「ありがとう。そうだ、今度はわたしが知佳さんの体洗ってあげますね」

 そう言うと咲耶は近くにあったスポンジとボディソープを手に取った。

「あ、あははっ、くすぐったいよ」

 泡立てたスポンジに背中を擦られて、知佳は小さく身悶える。

「はい。ちゃんと前も」

「あ、そ、そこはダメだって。あはっ、……あぁん……」

 敏感なところに触れられて思わず色っぽい声を上げてしまう知佳。

「うふふ、知佳さんって結構敏感なんですね」

「も、もう、まゆお姉ちゃんみたいなことしないでよぉ」

「ほんのスキンシップですよ。知佳さんだってさっきわたしの体一杯触ってたじゃないですか」

「あ、あう……」

 指摘されて知佳は少し頬を赤くしてしまう。

「だ、だって、気になるじゃない。同年代の女の子としては」

「うふふ、かわいいですよ。知佳さん……」

「だから、さり気なくそんなとこ触らないの」

 腕の中でじたばたする知佳を巧みに押さえつつ、咲耶は彼女の体を隅々まで洗っていった。

   * * * * *

 ――5月30日19:03。

 桜台さざなみ寮リビング――。

 そこには上機嫌な咲耶とややげっそりした知佳という対照的な二人の姿があった。

 先に風呂から上がっていたみなみはそんな二人の様子を不思議そうに見ている。

「知佳坊、ゲームやろうよ!」

 元気のない知佳を心配してか、美緒がそう声を掛ける。

「ごめん、美緒ちゃん。知佳坊は今ちょっとそんな気分じゃないの。また今度にして」

「そっか。仕方ないのだ。みゆきち、一緒にやろ」

「ごめんね……」

 謝りつつ、ソファに深く沈み込む知佳。

「ちょっと悪ふざけがすぎたかな。ごめんなさい、知佳さん」

「うう、いいよ。そういうのには慣れてるから」

 そう言った知佳の脳裏には同じ女子高に通う親友の顔が浮かんでいた。

「え、えっと、とりあえず元気出して知佳ちゃん」

「そ、そうやで。知佳ちゃんにそないな顔は似合わへんよ」

 よく分からないながらもそうフォローを入れるみなみに、楓も便乗して頷く。

「楓。一緒に入るんなら、はようせんね」

「ああ、薫。今行く!ほな、うちはお風呂いただいてきます」

 風呂場のほうからそう呼ぶ薫の声に答えつつ、楓はリビングを後にする。

「薫たち帰ってきてたんだ」

「あ、うん。今さっき」

 入れ替わりにやってきたリスティにみなみがそう答える。

「ところであれ、どうしたの?」

 何だかどんよりしている知佳を指差して、リスティが誰にともなくそう尋ねる。

「あ、えっと、それはですね」

「言わないで。お願いだから」

 加害者である咲耶が説明しようとしたところを知佳が慌てて遮った。

「な、何でもないの。ほら、わたしはこの通りいつも通りだから」

 そう言ってぎこちない笑みを浮かべる知佳に、リスティはあからさまに不審げな目を向ける。

「まあ、いいけどね」

 そう言って追求の手を止めると、リスティは改めて部屋の中を見回した。

「真雪は部屋で寝てたし、相川先輩たちは雪の部屋。あれ、耕介と恭也は?」

「耕介さんなら部屋じゃないかな。たぶん、恭也君も一緒だと思うよ」

「thanks。じゃあ、ちょっと行ってみるかな」

 そう言うとリスティは踵を返してリビングを出ていった。

   * * * * *

 ――5月30日19:11。

 さざなみ寮・耕介の部屋――。

 耕介たちが拾ったのは少女だった。

 華奢な体つきの割りにスタイルの良い、顔立ちも整った美少女だ。

 髪の色は派手さのない天然の金髪で、どことなく咲耶に雰囲気が似ている。

 耕介は家出や迷子の可能性も考慮して所持品から身元を割り出そうとしたのだが……。

「どう思う恭也君」

 目の前に自分で置いた物体を見やりつつ、耕介が恭也にそう尋ねる。

「品物自体はかなり古いもののようですが、よく手入れされていて実戦でも十分使えそうです」

「つまり、本物ってことだよね?」

「はい。それも相当のな物と見て間違いないでしょう」

 そう言うと、恭也は手にしていたものを床へと置いた。

「それにしてもどうしてこんなものをあんな女の子が持っていたのかな」

 耕介は顎に手を当てつつ、改めて問題となっているものを見る。

 それは黒塗りの鞘に納められた小太刀だった。

 それも2本。

 15,6の娘が持つにはあまりに物々しい装備である。

 いや、と耕介は考える。

 現に目の前の少年は小太刀の二刀をはじめとする様々な武器を所持しているではないか。

「彼女も剣をやるのでしょう。それも小太刀を用いた二刀流」

 神妙な面持ちでそう言う恭也に、耕介が何か言おうと口を開きかけたそのときだった。

   * * * * *

「八束神社に落雷、霊障の可能性あり。……分かりました。すぐに向かいます」

 そう言って携帯を切ると、薫は急いで自分の部屋へと戻った。

 仕事着の式服に着替え、霊剣十六夜を手に外へ。

 玄関では既に同じように式服に着替えた楓が緊張した面持ちで待っていた。

「薫、うちも行くで」

「楓!?

「一人より二人や。それに、うちかて神咲楓月流の当代なんや」

 驚く薫に楓はそうきっぱりと言い切った。

   * * * * *

 二人が八束神社へと辿り着いた頃、さざなみでも一つの事件が起きていた。

「耕介さん、耕介さん。大変です。あの子がいなくなっちゃいました」

 慌てて部屋に飛び込んできた愛の言葉に、耕介と恭也は同時に立ち上がる。

「探しましょう。意識を失うほど弱っていたのなら、そう遠くへは行けないはずです」

「そうだな」

「わたし、知佳ちゃんたちにも知らせてきます」

 そう言って愛はリビングへと向かい、恭也と耕介は手分けして寮の中を探し出す。

   * * * * *

「見つけたで。って、何や、こいつ。妖怪とも違うようやし」

 落雷によって生じた炎が爆ぜる中、見つけたそれに楓は戸惑いの声を上げる。

 狐のように見えるその黒い獣には従来の目とは別に額の中央あたりにも一つ目があった。

 まだ経験が浅いこともあるが、楓はそんな生物がいるなどという話は聞いたことがない。

 だが、邪気を放っていることから、それが有害な存在であることは一目瞭然だった。

 楓は神咲の理に従って呪を唱えると、目の前の異形に向けて力を放った。

「――神気発勝……」

 だが、放たれた光は獣の第3の目の一睨みであっさりと掻き消されてしまった。

「なっ、こいつ!」

 焦った楓は次々に技を放つが、結果は最初の一撃と何ら変わらない。

「楓、退いて!」

 薫の叫びを聞き、楓は反射的にそこから飛び退いた。

「神威・楓陣波!」

 刹那、金色の光が獣を襲う。

「やった!?

「気ぃつけ。あいつ、うちの技が何一つ通用せぇへんかったんや。もしかしたら」

 直撃を確信した薫に、楓がそう忠告する。

 案の定、獣はまだ健在だった。

 しかも、必殺の威力を持つ楓陣波の直撃を受けたにも関わらず、傷は致命傷には程遠い。

 それでもまったくの無傷というわけではないのか、獣はその目を怒りに歪めて薫を見ていた。

「追の太刀・疾!」

 薫は攻撃の手を止めることなく、技を放ち続けた。

「神威・楓陣波!」

 そこに楓も加わり、波状攻撃が続けられる。

 どれだけの時間そうしていただろうか。

 やがて、二人の霊力が底を尽きかけた頃、ようやく攻撃の手が止んだ。

「はぁ、はぁ、……こ、これで、どうね」

「……さ、さすがに、これだけやったら生きてへんやろう」

 肩で息をしながら、前方を見据えた二人はそこに信じられないものを見た。

 そこにあったのは先程よりも数倍巨大になった獣の姿だった。

「ま、まさか、うちらの霊力を吸い取ったのか!?

「う、嘘やろ……」

 薫の上げた驚愕の声に、楓が絶望的な表情でそう漏らす。

 獣は巨大になったその目で足元の獲物を品定めするかのようにじっくりと見ている。

 霊力の消耗で体力をも失いつつある今の薫たちに、そこから逃げ出す術はないかに思われた。

 そのとき不意に彼女たちの頭上を影が過ぎった。

「……白い羽根、知佳ちゃんじゃない。誰ね!?

 見上げた先にあるものを見て、薫は思わずそう声に出して叫んでいた。

 そこにあったのはその背に一対の白い翼を広げた金髪の少女の姿。

 薫たちは知らなかったが、彼女こそが耕介たちが助けたあの少女だったのだ。

 少女は何事か呟くと、自分を見上げてくる獣へと向かって右手を突き出した。

 刹那、そこから放たれた強烈な閃光に薫たちは思わず目を閉じる。

 二人が目を開けたとき、閃光は一条の矢となって獣の額、その中心を貫いていた。

 すかさず轟く断末魔に供えて今度は両手で耳を塞ぐ二人。

 だが、予想された騒音が彼女たちの耳を打つことはなく……。

 ただ目の前で黒い塵となって消えていく獣の姿に、薫たちは思わず呆然としていた。




   * * * * *

  あとがき

龍一「天使降臨。その正体は果たして何者なのか」

知佳「HGSじゃないの?」

龍一「さて、どうだろうね」

知佳「えっと、まあ、それはさておき。いきなりシリアスな展開になってきたね」

龍一「国守山近辺に出没する謎の生物。それを倒した少女の正体とは」

知佳「次回、トライアングルハート〜天使の羽根の物語〜」

龍一「第1章 始まりの夏 5 破邪の剣」

知佳「守りたいもの、ありますか?」

 




うおぉぉぉ。気になるぅぅぅ。
美姫 「果たして、謎の少女は一体、何者なのか」
そして、あの生物は…。
美姫 「次回も楽しみに待ってますね」
待ってます!



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