トライアングルハート〜天使の羽根の物語〜第1章 始まりの夏

  10 さざなみ大宴会

   * * * * *

 ――6月6日17:05。

 桜台・さざなみ寮――。

「おい、マジかよ」

 編集者との打ち合わせを終えて戻ってきた真雪は思わずぽかんとした表情でそう言った。

 美味そうな匂いに誘われてリビングへと顔を出してみれば、そこは既に宴会場と化していた。

 何かと人の集まることの多いさざなみ寮で、それは別段珍しいことではない。

 今日はイギリスのCSSへ行っているゆうひが帰ってくる日だ。

 そのゆうひも既に席に着いて、何人かの知った顔と談笑しながら料理へと箸を伸ばしている。

 問題なのはその顔触れで、真雪にはまったく同じ顔の少女が二人いるように見えたのだ。

「びっくりした。この子、ティナの妹さんなんだって」

 キッチンから料理を運んできた知佳が呆然と立ち尽くしている姉を見てそう説明した。

「妹って、そっか。見つかったんだな」

「はい。その節はお世話になりました」

 まるで自分のことのように表情を綻ばせる真雪に、ティナは席を立って深々と頭を下げた。

「気にすんなって。それよりもちゃんと紹介しろよな」

「はい。……アリス、こっちへ」

 そう言うとティナはテーブルの隅で黙々と料理を食べている妹を手招きして自分の傍らまでこさせる。

「こちら、仁村真雪さん。ここの住人で知佳のお姉さんよ」

「……はじめまして、アリシアクリスフィードです」

 姉に紹介され、アリスはそう言って小さく頭を下げるとすぐに自分の席へと戻ってしまった。

「ごめんなさい。あの子、ちょっと人見知りするものだから」

「あたしは別に気にしちゃいないよ。知佳も昔はあんなだったしな」

 ティナの後ろに隠れるように立っていた少女を見て、真雪は小さく苦笑しながらそう言った。

「ちょっと、お姉ちゃん。勝手に人の過去を暴露しないでよ」

「いいじゃねえか別に。それよりもおまえ、そんなとこでぼさっとしてていいのか?」

「あ、そうだった」

 ごまかされていると分かりつつも、急いで持ってきたものをテーブルの上に並べていく知佳。

 そんな妹の様子を眺めつつ、真雪は改めてテーブルの上を見渡した。

「それにしても、こりゃまたえらく豪勢な晩飯だな。ゆうひのリクエストか?」

「ちゃうちゃう。これはフィアッセのリクやで」

「フィアッセ?ああ、あの恭也たちの幼馴染のイギリス人な」

「そうだよ」

 思い出したようにぽんっ、と手を叩く真雪の後ろからエプロン姿のフィアッセが顔を出す。

「ハーイ、真雪。久しぶり」

「お、あたしのこと覚えててくれたか。確か、直に会ったのは2,3回くらいだったのによ」

「あはは、真雪は一度会ったら忘れられないよ」

「ほほう、言ってくれるじゃねえか。よしっ、今日はもっと忘れられないようにしてやる」

 微妙に渇いた笑みを浮かべてそう言うフィアッセに、真雪はニヤリと口元に笑みを浮かべる。

 その頃、キッチンでは耕介、真一郎、小鳥の3人が一心不乱に料理を作っていた。

 今宵は寮生全員に、真一郎たち風ヶ丘メンバーと高町家一同が加わっての大宴会である。

 さすがにこれだけの大所帯ともなれば、必要な料理の量も半端なものではない。

 更に耕介がリクエストを取ったところ、全員が違うものを注文したために今のような状況になっている。

 幸い、食材のほうは豊富にあるので足りなくなるということはないだろう。

「フィアッセちゃん、これ向こうに持ってってくれるかな」

「あ、はーい。えっと、これですね」

 ちょうどキッチンに戻ってきたフィアッセへと耕介が新しい料理の載った皿を差し出す。

 フィアッセはそれを受け取ると、リビングのほうへと持っていった。

「小鳥、こっちはそろそろいいみたいだから仕上げ頼むな」

「うん。任せて」

 中華鍋を軽く揺すって火の通り具合を確かめると、真一郎は素早くその場所を小鳥へと譲る。

 小鳥は先に合わせておいたあんを手に鍋の前に立つと、それを具に絡ませて火を止めた。

「はい。チンジャオロース完成、っと」

 出来上がったものを皿へと移し、小鳥はエプロンの袖で額の汗を拭う。

「お疲れ様。後はわたしがやるから小鳥は少し休んで」

「あ、咲耶。ありがと。でも、大丈夫。わたし、お料理好きだから」

 エプロンを着けながらそう言う咲耶に、小鳥は笑顔で軽く首を横に振った。

「わたしも料理は好きだよ。っていうか、家では毎日作ってたから」

「そうなんだ」

「うん。これでも結構自信あるんだよ。さすがに耕介さんには叶わないけど」

 そう言って笑う咲耶は既に俎板の一角を占領して料理を作り始めていた。

 ここに来る前、飛び入りで緑屋のフロアに出ていたことなど億尾にも出さない。

「それじゃ、お手並み拝見といこうかな」

「オッケー」

 半ば押し切られる形ではあったが、小鳥はそう言うと咲耶にその場所を譲ることにした。

 確かにここにきてからずっと料理しっぱなしで疲れていた。

 それに、この新しい友達のまだ知らない一面を見られるというのも良いと思った。

 ――だが、のんびりと眺めていられたのも束の間。

 自信があるというだけに彼女の包丁捌きは見事なもので、小鳥は思わず身を乗り出した。

 並んで料理していた耕介や真一郎も横から覗き込んで感嘆の息を漏らしている。

「へぇ、咲耶も料理出来るんだ」

 そこへ先に出来たものを並べにいっていた知佳が戻ってきて、感心したような声を上げる。

「出来ないって言った覚えはないけど?」

「だって、全然そんな素振り見せなかったじゃない」

「耕介さんが作ってくれるから、必要ないって思っただけだよ。知佳もよく手伝ってるし」

 意味ありげな笑みを浮かべてそう言いながらも咲耶の手は止まらない。

 あっという間に肉と野菜を切り終えると、それらを予め沸かしておいた鍋へと投じていく。

 作っているのはコンソメベースのスープらしく、すぐに独特の良い香りが漂い出す。

 何度か網杓子で灰汁を取り、それが落ち着くのを待って弱火に切り替える。

 そうしてじっくりと煮込んでいる間に食器を用意し、最後の仕上げのための下拵えを整える。

 具が煮えたところでそれを加えて一煮炊きして火を止めると完成である。

「はい。スープ出来ました」

 ――そしてまた一品、食卓の上の皿が増える。

 6時を回る頃には閉店作業を終えた桃子達も到着し、ようやく全員そろっての晩餐となった。

「それでは、我らが椎名のニューアルバムリリースとクリスフィード姉妹の再会を祝して」

「乾杯!」

 皆の声が唱和し、グラスの触れ合う音があたりに響く。

 最初はあまり積極的に輪に加わろうとしなかったアリシアも、ゆうひやフィアッセに背中を押されて少しずつ皆と打ち解けていった。

「おい、せっかくの宴会なんだ。誰か何かやれよ」

「はいはーい。椎名ゆうひ、歌いまーす!」

 真雪の上げたその声に、ゆうひが元気よく手を挙げて席を立つ。

 毎度お馴染みの知佳のカラオケセットから曲をセレクトし、歌い出すゆうひ。

 今日の主役の歌だけに、それまでおしゃべりをしていた他の面々も会話を止めて聴き入っている。

「きれいな声……」

「さすがゆうひ、天使のソプラノだね」

「えっ、何々?」

 皆が感嘆の息を漏らす中、フィアッセの漏らしたその一言に隣にいた知佳が反応する。

「スクールでのゆうひの通り名。天使みたいにきれいな歌声だからって皆そう呼んでるの」

「そんな大げさなもんとちゃうで。うちはまだまだ未熟者やさかい」

 説明するフィアッセに、歌い終わったゆうひが少し照れたような表情でそう言った。

「じゃあ、本物の天使とどっちがきれいか聴き比べてみようか」

「えっ」

 何気なくそう言った知佳の言葉に、ゆうひとフィアッセの顔に驚きが走る。

 その様子を見たティナとアリシアはお互いの顔を見合わせると、一つ小さく頷いた。

「どうやらお互いに正体を知られているみたいね。でも、残念だけどわたしは歌はダメだから」

「えーっ、お姉ちゃん。上手なのに」

「人に聴かせるほどのものじゃないってこと。それに、歌ならあなたのほうが上でしょ?」

「そんなこと……」

 ないと言おうとしたアリシアをフィアッセが遮った。

「アリスの歌は上手だよ。ママがスクールで勉強してみないかってスカウトするくらい」

「ああ、あんときはほんまにびっくりしたで。校長もマジになっとったし」

 フィアッセの言葉にゆうひもうんうんと頷き、それを聞いた皆の視線が一気にアリシアへと集まる。

 それに若干気圧されつつ、アリシアは服の裾を掴んで姉の顔を見上げた。

「聞かせてあげたら。あなたの歌」

「で、でも……」

「大丈夫。わたしが伴奏するから」

 ティナはそう言ってどこからともなくミニキーボードを取り出すと、それを膝の上に乗せて軽く指を添えた。

「じゃあ、一曲だけ……」

 姉の行動を見て覚悟を決めたのか、アリスはそう言うとすっと席を立った。

 皆の注目を集める中、即席のステージとなっている場所へと立ち、軽く一礼する。

 そして、ティナの優しい指使いで演奏が始まると、その美しさに皆は思わず息を呑んだ。

 メロディーに乗せて紡がれる詩はせつなく、聴衆の心にそっと静香に染み渡る。

 短い演奏はやがて終わり、最後の音がゆっくりと世界に溶けて消えていく。

 その余韻の中で再び一礼する少女に、皆は感嘆の息を漏らすばかりだった。

   * * * * *

 ――その昔、この地上に一人の天使が舞い降りました。

 そこは教会で、天使は傷ついた羽根を休めるためにその地へと降り立ったのです。

 その姿を見た教会の神父はひどく心を痛め、天使のために何かしようと考えました。

 しかし、神父はまだ未熟。

 その身に神の光を降ろし、目の前の傷ついた天子を癒すことなど叶うはずもありません。

 せめて、心安らかに。そう願った神父は思いのすべてを込めて天使に一つの歌を贈りました。

 その歌の名前は……。




   * * * * *

  あとがき

龍一「ということで、今回は宴会のお話」

知佳「その割にはあんまり盛り上がっているように見えないけど?」

龍一「そのへんは作者の力不足ってことで」

知佳「分かってるんなら何とかしようよ」

龍一「うっ、これでも努力はしてるんだよ」

知佳「足りない努力に意味はあるんでしょうか?」

龍一「グサッ。っていうか、それキャラが違うだろ?」

知佳「ダメージを受けててもちゃんと突っ込めるんだ?」

龍一「そんなことより次回予告だ」

知佳「次回、まだまだ続くさざなみの大宴会」

龍一「そして、フィアッセの口から告げられる重大な発表とは」

知佳「次回、トライアングルハート〜天使の羽根の物語〜」

龍一「第1章 11 決意と覚悟」

知佳「大切だから、辛いこともあるよね……」

 




今回は宴会の序盤のお話〜。
美姫 「次回はどんな展開が待っているのかしら」
次回も楽しみだよ〜。
美姫 「そうね。それじゃあ、次回も待ってますね」
ではでは。



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