トライアングルハート〜天使の羽根の物語〜第1章 始まりの夏

  11 決意と覚悟

   * * * * *

 ――6月6日20:02。

 桜台・さざなみ寮リビング――。

 ――パチパチパチ……。

 何曲目かのゆうひの歌が終わり、皆から盛大な拍手が巻き起こる。

「いや〜、やっぱこういう場での歌はええな〜。好きな歌、思いっきり歌えて気分ええわ〜」

 上機嫌で席に座るゆうひに変わって、今度はいずみとななかが舞台に立った。

 知佳の何気ない一言から行なわれた天使のソプラノと本物の天使のボーカル対決はそのままカラオケ大会へと発展し、場を大いに盛り上げていた。

「皆楽しそうだね」

「ああ、そうだな。……ところで、フィアッセは今回どうして日本へ?」

 軽い振り付けを交えつつ、テンポ良く歌っていく二人に会場もまた盛り上がりを見せている。

 そんな皆の様子を見ながらそう言ったフィアッセの横顔はどこか寂しげで、恭也は頷きつつふと気になったことを聞いてみた。

「士郎のお墓参りをしようと思って……」

「そうか。もう大丈夫なんだな」

 フィアッセの口から出た亡き父の名に、恭也は思わず彼女へと向き直り、そして悟った。

「……いっぱい泣いて、皆に心配かけちゃったけど、この通りフィアッセは元気になりました」

 頷いて、満面の笑顔で抱きついてくるフィアッセ。

「フィアッセ……、皆が見てる」

 抱きつかれた恭也は困った顔でそう言いながらもどこか安心したようだった。

 その後、なかなか離れてくれないフィアッセに顔を赤くしているところを真雪とリスティに見つかってしまい、二人にさんざんからかわれたのは言うまでもないだろう。

 ――数十分後。

 ようやく解放された恭也は少しの料理と飲み物を手に、安息を求めて縁側へと出てきていた。

 しかし、普段美由希としている鍛錬の後よりも疲れている気がするのは何故だろう。

 げんなりした表情のまま溜息を漏らすと、恭也は縁側へと腰を下ろした。

 と、どうやら先客がいたらしく、そんな彼へと少し可笑しそうな女性の声が掛けられる。

「災難だったね」

「……薫さん。見ていたんなら助けてくれてもよかったじゃないですか」

 声の主を認めて恭也は彼にしては珍しく、少し責めるような口調で彼女、薫に言う。

「ごめん。けど、いくらうちでもあの状態の仁村さんを止めるのは無理よ」

「いえ、分かってますから」

 そう言ってまた一つ溜息を漏らす恭也。

「でも、本当のところ恭也君は彼女のことどう思ってるん?」

 そんな恭也の横へと腰を下ろし、薫は少し真剣な表情で尋ねた。

「フィアッセは幼馴染で、俺にとって大切な、護りたい人の一人です」

「そう……」

 予想通りの答えに苦笑しつつ、薫はふと空へと目を向ける。

 今宵は満月、月の魔力が最も強く働く夜だ。

 そのせいか、夜の一族であるさくらや猫又の美緒は少し落ち着かない様子でそわそわしている。

 室内では今は雪が舞台に上がって、あの5月の宴会の時にも歌ったリフレインを歌っていた。

 そのメロディーを背中に聴きながら、薫はそっとあの日の出来事に想いを馳せてみる。

 ――復活しかけた大妖とそれを封印し、同じ時間を見守り続けていた雪女の少女……。

 あの日、家族や友人の暮らす暖かな場所を護って戦った日から今日でちょうど一ヶ月。

 何の因果か少女はその任から解放され、ここさざなみの住人の一人となっていた。

「……あれから、もう一月か。月日が経つのは早かね」

「ええ、本当に」

 独り言のつもりで薫が漏らしたその呟きはどうやら隣人にも聞こえたらしい。

恭也はそれに頷くと自分も空を見上げた。

「きれいな月ですね」

 自然と言葉が漏れる。それほど見事な、蒼い月だった。

 薫はそんな彼に頷きつつ、ちらりとその横顔を盗み見た。

 落ち着いた雰囲気が端正な顔立ちと相まって、実際の年齢よりもずっと大人びて見える。

 自然と高鳴る鼓動を自覚して、赤くなった顔を隠すように俯く薫。

 その気持ちが何なのか、これが二度目の彼女にははっきりと理解出来ていた。

 いっそ打ち明けてしまおうか。そうすればきっと楽になれる。

 ところがいざ告白となると、途端に金縛りにでもあったかのように動けなくなる。

 振り絞ったはずの勇気は全然足りなくて、幾ら必死になって掻き集めても霧散してしまう。

 そうこうしているうちに手遅れになって、結局彼女の初恋は実らなかった。

 以来、薫はどこか恋愛に対して臆病になってしまっていた。

 そんな自分がまた人を好きになったのだ。

 今度こそはと決意を固め、顔を上げた薫はしかしまったく別のことを口走っていた。

「恭也君。彼女のこと、ちゃんと真剣に考えてあげんといかんよ」

「はい?」

「はい、じゃなか。大体、恭也君は戦闘では滅法強いくせに、そういうことに鈍感過ぎるんよ」

「鈍感ってそんな、薫さんまで……」

 自分の戦闘時の反応を知っているはずの薫にまでそう言われて、恭也は少々凹んでしまった。

 そんな恭也を見て、美由希が物珍しそうにしながら寄ってくる。

「恭ちゃん、どうしたの?」

「……美由希よ、兄はそんなに鈍感か?」

 真顔で聞いてくる恭也に、美由希はただ、渇いた笑みを浮かべるばかりだった。

 それを肯定と受け取った恭也はまた一つ溜息を漏らすと、ちらりと薫のほうを見た。

 薫は言いたいことを言ってすっきりしたのか、側にあったグラスへと手を伸ばしていた。

 その中身に嫌な気配を感じた恭也だったが、先の疲労のせいか一瞬反応が遅れた。

 そして、止めようと口を開きかけた恭也の目の前で、薫は一息にグラスを呷った。

 途端に顔を赤くして後ろに倒れる彼女を見て、恭也は慌ててその体を支えた。

 そこへ知佳がやってきて、徐に薫の手からグラスを取るとその匂いを嗅いで顔を顰めた。

「まゆお姉ちゃん、リスティ〜!」

「おわっ、とと、何だよ知佳。そんな怖い顔して」

「そうだよ。あんまかりかりしてると早く年を取るんだからね」

「いいから、二人ともちょっとこっちに来なさい」

 眉を吊り上げてそう言うと、知佳は他の人から死角になる場所まで二人を引っ張っていった。

「あのね、薫さんここのところずっとお仕事で疲れてるんだから悪戯しちゃダメってあれほど言ったじゃない。それなのに、ああ、またこんな強いお酒を飲ませたりして」

「別に悪戯のつもりで飲ませたんじゃねえよ。なぁ、坊主」

「そうそう。単に美味しいワインだったから、薫にも飲ませてあげようとしただけさ」

「にやけた顔でそんなこと言っても説得力ないよ〜」

 しゃあしゃあと言ってのける二人に、知佳は痛くなってきた頭を抑えてそれに耐えていた。

   * * * * *

「相変わらず下は賑やかみたいね」

 階下へと目を向けつつ、そう言ってティナはワイングラスを傾ける。

「みんな、楽しそう……」

「あなたはあっちにいてもよかったのよ」

 同じように階下の喧騒を見ながら呟いた妹に、ティナは優しい表情でそう言った。

「そんなこと言って、本当はわたしがいないと寂しいんでしょ」

「そうね、……寂しかったわ。これ以上ないくらいにね」

 にんまりと笑みを浮かべて見上げてくるアリスに、ティナも小さく笑ってそう返す。

 絶望寸前の喪失感に囚われていたのが嘘のように、今はこんなにも心が温かい。

 その温もりがあまりに心地よくて、気づけばティナはそっと妹の体を抱き寄せていた。

「お、お姉ちゃん……」

「やっぱりアリスは抱き心地がいいわね。このまま眠ったらとってもいい夢が見られそうだわ」

「わたし、抱きまくらじゃないよ」

「いいから、少しそのままでいなさい」

 そう言って困ったような顔をして小さく身動ぎするアリスの体を抱きすくめると、ティナは彼女の肩口に顔を埋めた。

「不安なのよ……。こうしていないと、またあなたがどこかへ行ってしまうんじゃないかって」

「お姉ちゃん……」

 少し強めの酒を飲んでいるせいか、彼女は妹の前だというのにまるで弱さを隠そうとしない。

 もしかしたらこれが初めてではないかというそんな姉の姿に、アリスは大いに困惑していた。

 彼女は幼い頃から仕事で家を空けがちだった両親に代わって、自分の面倒を見てくれていた。

 美人で、頭がよくて、運動だってそこらの男の子には負けない。

 それでも自分よりすごい人は幾らでもいるからと笑って、陰で努力を重ねている。

 人とは違う生まれ持った力を正しく導くことができる、本当に強くて、優しい人……。

 泣いたり、不安になったりしたときはいつも優しく抱きしめて支えてくれた。

 時には厳しく叱って、それでも最後には笑いながら手を取って立ち上がらせてくれた。

 アリスにとってティナは姉であると同時に、導いてくれる母でもあったのだ。

 その彼女が今、縋るように自分を抱きしめて震えている。

 これまでとはまったく逆の立場に、アリスは戸惑いながらもそっとティナの体を抱き返した。

「大丈夫だよ。わたしはもうお姉ちゃんを一人にしたりしないから」

 抱き返しながら、ただ、心のままにそう言葉を掛ける。とても自然な、優しい声音だった。

 そして、彼女の腕の中でそれに頷いたティナもまた年相応の少女の顔になっていた。

「ありがとう。ごめんなさい。寂しかったのはあなたも同じはずなのにね」

「ううん。寧ろ、お姉ちゃんも普通の女の子なんだって分かって嬉しいくらいだよ」

「それ、どういう意味よ?」

「お姉ちゃんはわたしがいないとダメなんだってこと」

「バカ……、本当に寂しかったんだから……」

 茶化すようにそう言ったアリスのおでこを軽く小突いてティナはぷいとそっぽを向いた。

「うん。わたしも寂しかった……。だから、こうして一緒にいられる今はすごく幸せだよ」

 アリスは満面の笑顔でそう言うと、今度は自分からティナへと抱きついた。

 それをしっかりと受け止めつつ、ティナは再び胸中で誓うのだった。

   * * * * *

 ――翌朝。

 咲耶が朝食を摂りに二階から降りてくると、そこは何やら騒然とした空気に包まれていた。

 テーブルを囲むように、耕介、恭也、真雪、リスティの4人が顔を突き合わせている。

 その表情は真剣で、傍目にも怒っていることが分かる。

 早朝の鍛錬に行っていたらしい薫やティナも厳しい表情で決断が下されるのを待っている。

「やっぱり警察に届けるべきでしょうね」

 耕介が重い口を開いてそう言った。

 それに対して、恭也が否定的とも取れる意見を述べる。

「世界的有名人である椎名さんのコンサートです。当然、SPによる護衛はつくでしょう」

「確かに。相手はそれを承知で攻めてくるってことか」

「おそらくはそうでしょう。でなければこんなものを送ってきたりしないでしょうし」

 真雪の漏らしたその一言に、恭也は頷くと忌々しげに目の前に置かれた手紙を見た。

 それは今朝方さざなみ寮のポストに投函されていた。

 差出人は不明、内容は6月末に行なわれる椎名のコンサートを襲撃するというものだった。

 手の込んだ悪戯と取れなくもないが、本当だった場合どれだけの被害者が出るか分からない。

「何かあってからでは遅いです。ここはやはりコンサートを中止するべきでしょう」

 恭也が残念そうにそう言った途端、それまで黙って俯いていたゆうひが勢いよく顔を上げた。

「アホなこと言わんといてくれるか、恭也君」

「し、椎名さん」

「このコンサートのために大勢のスタッフが頑張ってくれとるんや。今更中止になんて出来ん」

「正気ですか!?武装したテロリストが攻めてくるかもしれないんですよ」

「そんなもん、SPでも何でも雇うて撃退してもらえばええ。第一、こんなはったりかどうかも分からへんもんのためにうちの歌を楽しみにしてくれてる人たちのことを裏切るなんてうちには出来へんのや!」

 いつになく強い口調で捲くし立てるゆうひに若干気圧されつつ、それでも恭也は食い下がる。

「あなたに何かあったらさざなみのみなさんが悲しみます。それに、俺や美由希も」

「ありがとな。けど、安心し。椎名さんはそんなテロリストなんかに負けたりせぇへんから」

「……分かりました」

 何を言っても無駄と悟ったのか、恭也は重々しくそれに頷いた。

 それを見て数人が驚きの声を上げる。

「恭也君!?

「父さんの知り合いだった人には優秀なSPが多いですから、その人たちに頼んでみます」

「ゆうひ、おまえ自分が何言ってるのか分かってんのか!?

 恭也の言葉に内心ホッとするゆうひを見て、真雪がものすごい形相で掴みかかろうとする。

 それを知佳が慌てて抑え、リスティが恭也へとその真意を尋ねる。

「恭也。それはいいとして、君はどうするんだい?」

 性格からして知り合いが危険な目に遭うかもしれないときにじっとしているわけがない。

 ザカラのときもそうだったのだ。

 リスティの質問は今回も彼にその意思があるのかを確認するものだった。

「俺も微力ながら協力させてもらいます。身辺の警護くらいは出来ると思いますから」

 そして、恭也はあっさりとそれを肯定した。

 何人かがそれに抗議の声を上げようとするのを視線で制し、リスティはゆうひのほうを見た。

「ゆうひ。当然、僕らはそのコンサートに招待してもらえるんだよね」

「もちろんや。寮生全員に、相川君たちの分までばっちり手配してあるで」

 任せておけとばかりにウインクするゆうひ。

 それに満足そうに頷くと、リスティは再び恭也へと向き直った。

「そういうわけだから、僕らのこともしっかり護ってくれよ」

「はぁ、分かりました……」

 リスティの言わんとするところを察して、恭也は疲れたようにそう言うと溜息を漏らした。

 悲しいことに、彼は既に止めるだけ無駄ということを骨身に沁みて理解させられている。

 仮に力ずくで止めようとしても、自分より強い人がいるのでは返り討ちに合うのが関の山だ。

 恭也はもう一度他の人に見えないように溜息を漏らすと、そっと天を仰ぐのだった。




   * * * * *

  あとがき

龍一「いよいよ第1章も大詰めです」

知佳「ゆうひちゃんのコンサートを狙う敵って一体……」

龍一「ろくでもない奴ってことは確かだ」

知佳「みんなコンサートを聴きに行くのに大丈夫なの?」

龍一「俺は寧ろこんな人外だらけの場所を襲撃場所に選んだ相手に同情するぞ(汗)」

知佳「まあ、わたしやリスティも含めてHGSが5人だもんね」

龍一「フィアッセは戦えないがな」

知佳「恭也君や薫さんもいるし、戦力は充実してるよね」

龍一「まあ、それでも苦戦は免れないだろうけど(ぼそり)」

知佳「えっ?」

龍一「いや、何でもない。さて、それではまた次回でお会いしましょう」

知佳「ねえ、ちょっと待ってよ〜」

 




何やら不遜な動きが…。
美姫 「果たして、コンサートを狙っているのは一体何者なの!?」
次回も非常に楽しみなのだ〜。
美姫 「確かに、続きが気になるわね。襲撃者は一体何者で、どんな力を持っているのかしら」
そして、無事にコンサートを成功させる事が出来るのか!?
美姫 「次回を楽しみに待ってますね〜」
ではでは。



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