トライアングルハート〜天使の羽根の物語〜第1章 始まりの夏

  12 翼の歌(前編)

   * * * * *

 ――6月中旬。

 桜台・国守山山中――。

「……はぁっ!」

 ――しゅ!

 気合いとともに恭也の振り下ろした小太刀が宙を切る。

 そこへ右から恭也の腕を狙ってティナが小太刀を振るう。

 恭也は振り下ろした腕を引きつつ、もう一方の小太刀でそれを受け止めようとしたのだが、先の横薙ぎを追うように彼女のもう一本の小太刀が迫っているのをみて慌ててその場から飛び退く。

 ――破邪真空流奥義之八・芙蓉閃――ふようせん――。

 舞うような足運びと体の回転を組み合わせた早くはないがまったく隙のない連撃が恭也へと襲い掛かる。

 恭也は右膝が治ったおかげで長時間使えるようになった神速と薙旋を併用して何とかそれを防ごうとするが、何故か彼の領域でも速度の衰えないティナの動きを完全には裁ききれず、峰打ちで立て続けに3度受けてその場に倒れた。

「距離を開けてじっくりと迎撃しようとした判断は良いわね。でも、まだ少し詰めが甘い」

 彼の喉元へと小太刀を突きつけつつ、ティナは教え子を叱る教師のような口調でそう言った。

 剣術の腕だけを見れば、二人の実力はさほど開いてはいない。

 だが、彼女にはHGSの超能力がある。

 それとて万能の力ではないが、ティナは上手く剣術における自身の欠点を補っていた。

 恭也はこれまで神咲薫や千堂瞳といった手強い相手と戦い、何とかそれに勝利してきた。

 だが、5月の終わりに出会ったこの少女は彼女たちとは明らかに一線を隔す強者だった。

 初めての対戦ではほとんど何も出来ないまま一方的にやられてしまった。

 戦えば勝つ御神があまりにあっさりと負けてしまい、恭也はいっそ清々しいくらいだった。

 ……世の中、上には上がいるってことだ。俺ももっと精進しないとな。

 珍しくすっきりした表情でそんなことを言う恭也だったが、美由希はそれでは済まなかった。

 彼女にとって、尊敬する師でもある兄はある意味絶対の存在だ。

 その兄が剣術で負けるなんて、そんなことがあるはずがない。

 そう思って二人に自分の見ている前での再戦を頼んだのだが、結果は美由希の期待を裏切るものだった。

 美由希は意気消沈して寮の縁側に座り込んでしまった。

 そんな美由希の姿を見て、恭也はどうしたものかと苦笑して肩を竦める。

 と、小太刀を納めたティナが縁側に近づいて、落ち込んでいる美由希の隣へと腰を下ろした。

「そんなに気を落とさないで」

「ティナ、お姉ちゃん……」

「今回は負けてしまったけど、きっと恭也はいつかわたしよりも強くなる。だから、ね」

「本当に……」

「ええ。そうよね、恭也」

 励ますようにそう言うティナに、美由希は顔を上げて不安そうな目で彼女と兄とを見比べた。

「いや、まあ、今よりはもう少し強くなれるだろうな。ティナさんを超えられるかどうかは、分からないけど」

「超えられるわよ。だって、あなたは男の子だもの」

「いや、性別は関係ないかと」

「それにね。恭也といると、わたしももう少しだけ強くなれる気がするの」

 真顔でそんなことを言ってくるティナに、恭也は驚いて思わず彼女の顔を見た。

「足りなかったものが何なのか、見つけるまで暫く一緒に鍛錬させてもらってもいいかしら?」

「ええ、俺なんかでよければ喜んで」

 真剣な彼女の表情はどこか綺麗で、恭也は見惚れそうになりながらも何とかそれに頷いた。

 そんなことがあってからというもの、恭也は毎日のように彼女と手合わせをしていた。

 正直、彼女に2度も負けたことが悔しいという気持ちもある。

 だが、それ以上に同じ理由で刃を振るう人と出会えたことが恭也には嬉しかった。

「もう一度、今度は投げ物もありでやってみる?」

「はい」

 倒れた恭也へと手を差し出しながらそう言うティナに、恭也は頷いてその手を取った。

 ――そして、また始まる激しい戦闘。

 恭也が飛針を3本投げると同時に地を蹴り、ティナの放った不可視の力がそれを迎撃する。

 その隙に懐へと飛び込んだ恭也は、下から救い上げるように右の小太刀で切りつけた。

 ティナは上体を逸らしてそれをかわすと、そのまま倒れるように後ろへ飛んで間合いを取る。

 それを追ってきた恭也の左の小太刀を同じく左で受け止め、二人はそのまま何度か切り合う。

 その様子を、美由希は少し離れた所から真剣な表情で見つめていた。

 他の者が戦う様を見るのも鍛錬のうちだという師の言葉に、片時も目を離すまいとしている。

 ティナの使う流派、破邪真空流は御神流と同じく小太刀二刀術を主体とするものだ。

 それ故に通じる部分も多く、恭也は自分の技の持ち味を生かせずに苦戦しているようだった。

 ……速さも手数の多さも彼女のほうが上。なら、一撃の威力を上げていくしかないか。

 いや、それとてあの強固なHGSの壁の前ではどこまで通用するか分からない。

 持久戦に持ち込んでひたすら粘るというのも手だが、実行するとなるとそれも難しいだろう。

 結局、反撃の合間に隙を見つけて突いていくしかないと結論づけ、恭也は間にフェイントを混ぜながらひたすら攻撃を続けていった。

   * * * * *

「なんやて!」

 コンサートまで残り2週間となったある日の朝。

 スタッフの一人が知らせてきた不測の事態に、ゆうひは思わずそう叫んでしまっていた。

 今回のコンサートに際して、同じCSS出身の歌手を一人ゲストに招くことになっていた。

 その人物はゆうひの友人で、若き天才と呼ばれる世界的な歌手なのだが……。

「アイリーンが風邪で寝込んでもうたって、それほんまなんですか?」

『ええ、今朝方電話が入りまして、それでゲストのほうは無理そうだと』

 ほとほと困り果てたという感じでそう言うスタッフに、ゆうひもがっくりと肩を落とす。

「でも、どないするんです?今更ゲストは無しってことには出来へんし」

『代役を立てるしかないでしょう。それも若き天才に匹敵する歌手を』

「簡単に言うてくれますけど、アイリーン級の歌歌いなんて、それこそCSSの卒業生くらいしかおらんのとちゃいます?」

『それなんですよねぇ。一応、他のCSS出身の方にも連絡してみたんですけど、どなたもお忙しいようで……』

「うーん、どないしたもんかな」

 打つ手なしといったスタッフの言葉に、ゆうひは携帯電話片手に考え込んでしまった。

 そんなとき、ふとゆうひの目の前をパジャマ姿のアリスが通りかかった。

 剣をやっている姉とは違い、朝に弱い彼女は半分寝ぼけた顔で挨拶するとそのまま洗面所のほうへ向かおうとする。

 そんなアリスの後ろ姿に、ゆうひは何となく言葉を投げてみた。

「なぁ、アリス。うちと一緒にステージで歌ってみいへん?」

「……え、ええーーーーっ!?

 ゆうひの言葉を聞いたとき、アリスは最初自分が何を言われたのか理解出来なかった。

 とりあえず、聴覚が拾ったままにぼんやりと頭の中で反芻する。

 そして、その意味を理解したとき、彼女の中に残っていた眠気は完全に吹き飛んでいた。

『どうかしたんですか?』

 アリスの大声が聞こえたらしく、電話の向こうからスタッフが驚いたようにそう聞いてくる。

「あー、何でもなかです。それより代役の件、こっちで何とかなるかもしれませんよ」

『本当ですか!?

「ええ、無名ですけどごっつう上手い歌手が一人、知り合いにおるんです」

『無名って、その方は新人なんですか?』

「まあ、そんなとこです。でも、心配いりません。何しろうちの校長が見込んだほどですから」

『あの世紀の歌姫がですか。それは頼もしい。ぜひともその方にお願いしてみてください』

「ええ。あ、でも、引き受けてもらえるかどうかは、本人に聞いてみんと分からへんですけど」

『期待してますよ。それじゃ』

 勢い込んでそう言うと、スタッフはそのまま電話を切ってしまった。

「という訳なんや。ここは一つ、よろしく頼むで」

 呆然と立ち尽くすアリスの肩へと手を乗せて、軽い口調でゆうひは言う。

「ちょ、ちょっと待ってください。わたし、素人ですよ。そんな人前で歌うなんて出来ません」

「大丈夫やって。アリスの歌は校長センセの折り紙つきなんやから」

「そんなの冗談に決まってます。ティオレさん、わたしのことからかってただけですって」

「ほな、電話して本人に聞いてみよか」

 言うが早いか、ゆうひはイギリスのCSSへと電話を掛けた。

 しばらくして繋がった相手と二言、3言言葉を交わすと、ゆうひは満面の笑みを浮かべつつ受話器をアリスへと渡す。

 それを受け取ったアリスは何だか嫌な予感を覚えつつそっと受話器を耳に当てた。

 結果から言うとその予感は当たっていた。

 電話の相手はティオレクリステラその人で、彼女直々にアリスの歌を評価してきたのである。

 しかもこの際だからデビューしちゃいなさいとまで言われてしまった。

『あなたの歌からはうちの子たちと同じ強い想いを感じるわ。良い結果を期待していますよ』

 どこか嬉しそうにそう言って、世紀の歌姫は電話を切ってしまった。

 その声にからかうような響きは微塵も感じられず、アリスはますます混乱してしまう。

「アリスが引き受けてくれんと、ゆうひさんごっつう困るんよ」

 更にゆうひに本気で泣きつかれてしまい、アリスはとうとう首を縦に振ってしまった。

 ただ、このとき彼女は一つの条件を提示しており、ゆうひはそれにまた頭を悩ませることになる。

 彼女が出した条件とは姉であるティナにコンサートへの出演を許可させるというものだった。

 何しろ今回は大勢の聴衆がいる公の舞台である。この間の宴会とは訳が違う。

 それに、例の予告状の件もある。

 そのことを考えると、妹に対して過保護なあの姉を頷かせるのは難しいだろう。

 だが、話を持ち掛けたゆうひに対して、ティナは意外なほどあっさりと承諾した。

「でも、ほんまにええん?危ないかもしれんのに」

「恭也たちがいるもの。なら、下手に客席にいるよりは一緒に護ってもらえるほうが安心だわ」

 今更のようにそんなことを言うゆうひに、ティナは笑ってそう答える。

「ほなら、ティナも一緒にやらへん?あのピアノの腕ならばっちりやし」

「え、でも、迷惑じゃないかしら」

「全然。てゆーか、よう考えたら今からあの曲練習しても本番に間に合うかわからへんし」

「あ、あの、わたしあれを歌うんですか?」

 うっかりしてたとばかりにぽりぽりと頭を掻くゆうひに、アリスは驚いたようにそう尋ねる。

「もちろんや。それとも、アリスは何か別の歌を考えとったん?」

「い、いえ、でも、あの歌はゆうひさんのコンサートで歌うにはちょっと暗くありません?」

「そうでもないんじゃない?ゆうひの歌にもああいうしっとりした感じのって結構あるし」

 そう言ったのはリスティだった。

 一体いつからそこにいたのか、階段の影からひょっこりと顔を出す。

「やあ、なかなか面白そうな話をしてるじゃないか」

「リスティもそう思うやろ」

「ていうか、演奏のこと考えてなかったゆうひはちょっと間抜けだね」

「あはは、まあ、そう言わんといて」

「まあ、ティナがいるから問題はないけどね」

「万事オーケイ、早速スタッフに連絡や!」

 そう言うと、ゆうひは返事も待たずにどこかへと電話を掛け出す。

「あ、あの、わたしはまだ……って、まあいいか」

 少々暴走気味のゆうひに聊か呆れつつ、ティナは伸ばしかけていた手を引っ込めた。

「一緒だね」

 そう言って微笑む妹の嬉しそうな顔を見ては何も言えなくなってしまう。

 同じステージの上にいたほうがいざというとき護りやすいしね。

 などと、意味もなく心の中で自分を正当化してみたりするティナだった。

   * * * * *

 それからの2週間は早かった。

 プログラムの再編とそれに伴うステージでの練習。

 ゲストとしての出演が決まったアリスとティナものんびりとはしていられない。

「じゃあ、次アリスちゃんの番ね」

「あ、はい。今行きます!」

 スタッフに呼ばれてステージに立つアリス。

 最初こそぎこちなかったものの、練習を重ねるうちにその姿も大分様になってきていた。

 そんな妹を微笑ましく見守りつつ、ティナはあまり触れたことのないグランドピアノの前に座る。

 ――目の前にはコンサートホールを埋め尽くすほどの観客たち。

 さすがは天使のソプラノ、椎名のコンサートである。

 改めて自分たちがすごいところに呼ばれているのだと思い、ティナはそっと息を呑む。

 だが、圧倒されてばかりもいられない。

 マイクを握り、打ち合わせどおりに話し始めたアリスを見てティナも鍵盤に両手を添えた。

 きちんと調律の整えられた鍵盤の上を彼女の細く美しい指が滑るように動き、繊細で自然なメロディーを奏でていく。

 ゆうひのオープニングに続いて現れたこの姉妹に、観客たちの間ではどよめきが起きていた。

 観客の中には若き天才の登場を期待していた者もいただけに、あちこちで落胆の息が漏れる。

 だが、それもアリスの歌が始まるまでだった。

 ――清水のように澄んだ、深く、そして優しい歌声……。

 せつない詩は繊細なメロディーに乗って聴衆の心に深く深く染み渡る。

 いつしか会場は静まり返り、誰もが彼女の歌に耳を傾けていた。

「……見事なものだな」

 舞台袖で聴いていた恭也がぽつりとそう感想を漏らす。

 それにその場にいた何人かも頷きつつ、近づく襲撃予告時刻に緊張を高めていた。

   * * * * *

 




いよいよ幕を開けたコンサート。
美姫 「果たして、襲撃犯は…」
高まる緊張。
前後編に別れた一章の最終話。
美姫 「いよいよ後編で激突ね」
一体、どんな敵が現われるのか。
美姫 「次回も楽しみにしてますね」
ではでは。



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