トライアングルハート〜天使の羽根の物語〜

  第2章 summer night memories

  3 A・R・I・S・E

   *

 知佳たちがリビングで談笑している頃、アリスはゆうひの部屋で歌の練習をしていた。

 部屋の主は現在不在だが、彼女がCSSに戻る際に使用許可はもらっているので問題はない。

 以前電話で話した際、ティオレが冗談めかして言ったアリスの歌手デビュー。

 それが今、現実のものになろうとしていた。

 コンサート終了後のことだった。

 楽屋で休憩を取っていたアリスの元に佐伯レコードのプロデューサーが訪ねてきたのである。

 実はこの時既にティオレからプロデューサーへと話が行っており、彼は今回のステージを通してアリスを採用するか否かを審査するつもりだったのだという。

 ――結果は見事合格。

 後は本人次第ですぐにでもプロシンガーとして活動出来る状態だった。

 話を聞いてもすぐには信じられなかった。いや、今でもそれは変わらない。

 知り合いの頼みだからと半ば流されるように引き受けた代役だった。

 無論、自信なんて欠片もない。

 経験といえば、震災の被災地で避難生活をしていた子供たちのために歌ったくらいである。

 もちろん即答出来るような話ではなく、アリスは一先ず動揺する心を抑えるのに必死だった。

 夢見る一人の少女として、華やかな舞台で歌うシンガーに憧れたことは彼女にもある。

 彼女のいた世界は開拓の終焉を迎え、人々は慢性的な不安を抱えて日々を過ごしていた。

 そんな中で皆に希望を与え、心を支えてくれる歌歌いは一際輝いているように見えた。

 自分もあんなふうに輝けたら。そんな思いから密かに歌の練習をしていたこともあった。

 事故によって飛ばされた違う世界で今、彼女はその夢が叶うかもしれない機会を得たのだ。

 不安は、ある。

 特殊な存在故に疎外された過去を持つアリスは何処か臆病になってしまっていた。

 そんな彼女へとデビューを勧めたのは意外にも姉であるティナだった。

 同じフェザーリードの力を持つ妹にはなるべくそれを使わないで済む道に進んでほしかった。

 それに、アリスの歌は人の心に届くから。

 避難生活を続ける人々が彼女の歌にどれほど心を救われたかを知らないティナではなかった。

 あなたなら大丈夫という姉の言葉に背中を押され、アリスは歌手としてデビューすることを決意した。

 一方、ティナもまたこの世界での生活の基盤を固めるべく行動を起こしていた。

 HGS能力の一端として高い情報処理技能を持つ彼女はそれを生かして在宅プログラマーの仕事を始めたのである。

 耕介や愛は気にしないで良いと言ったが、いつまでもただで泊めてもらう訳にもいかない。

 それにあまり考えたくないことではあるが、このまま戻れないという可能性だってあるのだ。

 手段を模索するにしても、それなりに資金は必要となる。

 幸いプログラマーという仕事は儲かるので、姉妹が生活費に困ることはなさそうだった。

 まずは一緒に飛ばされてきた自分のPCをこちらの世界の規格に合わせて調整した。

 細かな違いを補完するのに数日掛かったが、その甲斐あって今は快適に作業が出来ている。

 とはいえ、複雑な処理を行なうプログラムの組み立てにはさすがに時間が掛かった。

 今も1本のソフトを組むために、ティナは自室に篭もってディスプレイに向かっている。

 性分なのか、締め切りまでにはまだ余裕があるというのにその目は真剣そのものだった。

 彼女が一心不乱にキーボードを叩いていると、不意にドアがノックされた。

「ティナちゃん。コーヒー淹れたんだけど一緒にどうだい」

 聞こえてきたのは耕介の声である。

「あ、はい。いただきます」

 そう返事をすると、ティナは作成中のプログラムを保存してPCを閉じた。

「お仕事、邪魔しちゃったかな」

 ドアを開けて出てきたティナへと耕介が少し申し訳なさそうにそう聞いた。

「いえ、ちょうど一区切りついたところでしたから」

 ティナはそんな耕介へと笑って答え、二人は並んで階段を降りる。

 用意するという耕介に言われて先にリビングに入ると、それに気づいたアリスが顔を上げた。

「お仕事お疲れ様、お姉ちゃん」

「ありがとう。アリスも歌の練習、頑張ってるみたいね」

 お互いを労い、ティナは空いているアリスの隣へと腰を下ろす。

「仕事って、在宅で何かやってるの?」

「ティナはプログラマーなんだよ」

「へぇ」

 知佳の説明に、牡丹は感心したようにそう声を漏らす。

「ティナクリスフィードよ。アリスとは双子の姉妹でわたしのほうが姉になります」

「わたしは牡丹。知佳や理恵と同じ聖祥女子の3年で二人とはまあ、友達かしら」

 お互いに自己紹介をしたところで、耕介がお盆に二人分のコーヒーを載せて入ってきた。

「お茶請け何かあります?」

「翠屋のシュークリームがあるけど、そっちの3人は既に食べちゃってるみたいだね」

「ごちそうさまでした〜」

 指先に着いたクリームを舐め取りながらそう言う牡丹に耕介は思わず苦笑した。

「わたし、取ってくるよ。紅茶のお代わりも淹れたいし」

 そう言って席を立つと、知佳は空になったカップを回収してキッチンへと向かった。

「それにしても、本当にお二人はよく似てらっしゃいますのね」

 並んで座る姉妹を見て理恵がそう言った。

「でも、雰囲気は大分違うみたい。アリスはなんていうか、ぽわんとしてる感じよね」

「まあ、確かにアリスはどこか抜けてるところがあるものね」

「うっ、否定出来ないのが辛いところかな」

「でも、そこがまた可愛いところでもあるんだけど」

 そう言って妹を抱きしめるティナに、アリスは苦笑を浮かべてされるがままになっている。

「仲が良いのね」

「まあ、これくらいは茶飯事だよ」

 微妙な調子でそう言う牡丹に、紅茶を淹れて戻ってきた知佳が苦笑する。

「羨ましいですわ。私も知佳ちゃんと……」

「こらこら、理恵ちゃんはすぐそういうことしないの」

 どさくさに紛れて胸を触ろうとしてくる理恵の手を掴んで止める知佳。

「これはこれで日常よね」

 何杯目かの紅茶を傾けつつ、そんな2人の様子を眺める牡丹だった。

「ほ、ほら、わたし、そろそろ練習に戻るから」

 一向に放そうとしない姉に、困ったアリスはそう言ってティナの腕から抜け出そうとする。

 それを見てティナは残念そうにしながらも頷いて腕を解いた。

「そうだわ。せっかくだから、ここで1曲披露していけば」

「え、でも、わたしまだ自信ないよ」

「人に聞いてもらって意見をもらうのも大事なことよ。何よりわたしが聞きたいし」

「もう、1曲だけだからね」

 ちゃっかり本音を漏らす姉に困ったような顔をみせつつもアリスはそう言って立ち上がった。

「まだ秘密なんだけど、アリスは歌手になるの」

 姉妹のやり取りに不思議そうな顔をする牡丹へと、知佳がそう言って説明する。

「まだ上手く歌えるか自信ないけど、よかったら聞いてください」

 そう言って一礼すると、アリスはあの歌を歌い出した。

 途中からティナのミニキーボードによる伴奏も加わり、リビングに静かな旋律が広がる。

 3人だけだった聴衆は一人、また一人と増え、歌い終わる頃には大方の住人が集まっていた。

「ご静聴、ありがとうございました」

 盛大な拍手に一礼して答えると、アリスははにかんだような笑みを浮かべてそう言った。

   *

「CD、必ず買うから」

 興奮冷めやらぬ様子で何度もそう言うと、牡丹は理恵と一緒に佐伯家の車で帰っていった。

 結局、あの後アンコールを受けてCDに収録予定の曲をすべて披露してしまったのだった。

「プロデューサーに怒られちゃうかな」

「大丈夫でしょ。聞いてたのはほとんどうちの人たちばかりだし」

「それはそうなんだけど……」

 釈然としない様子のアリスの背中を押して、ティナはリビングへと戻る。

 リビングでは遊び疲れて眠ってしまったなのはを愛が抱いてソファに座っていた。

 彼女の持つ独特の柔らかな雰囲気が安心出来るのだろう。

 恭也を通して知り合って以来、桃子はよくさざなみへとなのはを預けるようになっていた。

 美由希も美緒たちと遊んだり薫たちに鍛錬を着けてもらったりでさざなみにいることが多い。

 そして、そんな妹たちの様子を眺めつつ、縁側でお茶を啜っている少年が一人。

「こら、若い男の子がそんなんじゃ早くに年を取っちゃうわよ」

 湯飲みを片手に寛いでいた恭也の頭を咲耶がそう言って軽くはたいた。

「はぁ、そうは言われましてもこれが性分なものでして」

 困ったようにそう返す恭也に咲耶ははぁ、と溜息を漏らした。

「なぁ、神咲。あいつら何か良い雰囲気だよな」

「そうでしょうか」

 縁側に並んで座る二人を見て言う真雪に、薫は関心なさそうにそう答える。

「何だ妬いてんのか?」

「別にうちは……」

「まぁ、良いけどな」

 気まずそうに視線を逸らす薫に軽く肩を竦めると、真雪は携帯灰皿を手に出ていった。

 さすがに小さな子供のいるところで吸うつもりはないようだ。

 ――時刻は既に夕方の5時を回っていた。

 キッチンでは耕介が夕食の用意を始めており、知佳もそれを手伝っている。

「こっちはこっちで居辛い雰囲気ですよね」

「雪さんは良いですよ。相川君とラブラブなんだから」

「あ、あはは……」

 場の空気を変えようと口を開いた雪だったが、うっかり地雷を踏んでしまったようである。

 そうかと思えば、全く空気を無視して通り過ぎるものもいる。

「お水もらいますね」

 アリスは最近新しく買ったマイグラスに水道から水を注ぐと一気にそれを呷った。

 あれだけずっと歌っていれば喉も渇くというもの。

 しかし、この空気の中で平然としているのは天然なのだろうか。

 アリスは空になったグラスを流しに置くと、リビングのほうへと戻っていった。

「みゆきち、行くのだ!」

「あぅ!」

 庭では美緒と美由希がバスケットボールに興じている。

 美由希は普段のドジっ娘属性を発揮して何もないところで転んだりしているが。

 ティナは少し前に部屋へと戻り、中断していたプログラミングの続きをやっていた。

 フリーターには夏休みなどないのだが、だからと言って皆が自分を放っておくとも思えない。

 特に騒ぐのが好きなさざなみの面々を考えると、巻き込まれるのは必至だ。

 仕事はなるべく早く片付けておくにこしたことはない。

 恭也たちがしている御神流の本格的な鍛錬にも付き合ってみたいし。

 その頃、リスティは散歩がてらウインディを連れて八塚神社まで来ていた。

 日陰を見つけて腰を下ろすと、持ってきた水筒を開けて水を飲む。

「ふぅ、やっぱり夏は暑いね」

 熱の篭もった息を吐き出しつつ肩に乗せた桜文鳥へとそう話しかける。

 彼女の言う通り、夕方になって多少涼しくなったとはいえ、夏の陽射しはまだまだ厳しい。

 肌荒れを嫌ってこっそりUVカットのバリアを張っているあたり、リスティも女の子である。

「このほうが涼しいんだよ。力を適度に放出するのにも良いしね」

 モノローグに対して言い訳をするリスティは傍から見ればかなり変な人だった。

「さて、そろそろ帰ろうか。もうすぐ耕介が晩御飯作り終わる頃だろうし」

 ウインディへとそう声を掛けて立ち上がると、軽くズボンをはたいて土を払う。

 そうして寮のほうへと歩き出そうとしたリスティの目にそれは飛び込んできた。

「へぇ、珍しいね。近くに川でもあるのかな」

 夕暮れのオレンジの中で小さく明滅を繰り返しているのは一匹の蛍だった。

 蛍はまるで誘うようにリスティの周りを飛んでいたかと思うと茂みの中へと消えていった。

 リスティはしばしその茂みを見つめていたが、やがてどこかぼーっとした気分で寮へと戻る。

 それが新たな怪異の始まりであるとも知らずに……。



   *

  あとがき

龍一「中々全員を出すのって難しいです」

知佳「さざなみだけでも寮生全員と高町ファミリーでしょ」

龍一「しかも、未だ十六夜さんと御架月が出てない」

知佳「まずは咲耶たちとの顔見せからだね」

龍一「それじゃ、今回はこのあたりで」

知佳「また次回もよろしくお願いします」

二人「ではでは」

   *

 



ほのぼのとした日常。
美姫 「たくさんのキャラを同時に動かすのは難しいのよね」
うんうん。さて、リスティに何かが起こるのか!?
美姫 「一体、何が起こるのかしら」
次回も楽しみに待っています。
美姫 「待ってますね〜」



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