トライアングルハート〜天使の羽根の物語〜
第2章 summer night memories
9 十六夜の月
*
ややあって、ティナたちの前に姿を現したのは金髪に和服姿の女性だった。
盲目なのか、その瞳に光はないが、こちらのことは気配で分かっているようだ。
――敵意は感じられない。けど、この人、普通じゃないみたい。
咲耶が目の前の女性を観察していると、不意にティナが口を開いた。
「あなた、霊剣十六夜の関係者ですか?」
「えっ?」
「この人から同じ波長っていうか、そういうのを感じるの。持ち主以外からって珍しいから」
霊剣十六夜といえば、神咲一灯流の伝承刀だ。
今は当代にして正当伝承者である薫がその所持者であるはずだった。
「関係者と申しますか……」
ティナの言葉に、その女性は少し困ったように右手を頬に当てた。
「十六夜、どうしたとね?」
と、そこへ軽く息を弾ませながら薫が走ってくる。
「あ、薫さん。えっと、こんばんは」
「咲耶ちゃん?それに、ティナも。二人ともこんな時間にどうかしたの」
「えっと、散歩、かな」
少々咎めるような薫の質問に、咲耶は曖昧な笑みを浮かべてそう答えた。
まだ詳しい話をしていない咲耶はさざなみの住人たちには概ね一般人だと思われている。
草薙まゆこと並ぶ売れっ子の漫画家ではあるが、言ってみればそれだけである。
それだけに、こんな時間に出歩いていることに対する言い訳がし難かったのだ。
「と、ところで、薫さん。そっちの女の人とはお知り合いですよね?」
「え、ああ、そうだね」
薫はそうだったとばかりに一つ頷くと、二人に彼女を紹介した。
「これはうちの剣に憑いてる霊みたいなもんなんだ」
「神咲一灯流伝承、霊剣十六夜です」
「ああ、これはご丁寧にどうも」
薫に紹介され、十六夜はそう言って二人に頭を下げた。
それに対し、普通に挨拶を返す咲耶。
「あまり驚かないのね」
「て言うか、ティナはとっくに気づいてたんと違うん?」
「それは普通の刀じゃないってくらいはね」
薫に指摘され、ティナはそう言って苦笑する。
「でも、そう思うんならもっと早くにちゃんと紹介してくれてもよかったのに」
「いや、珍しく中々気づかれないもんだから、ついね」
「忘れてたのね」
渇いた笑いを浮かべてそう言う薫に、ティナは少しだけ湿気の含まれた視線を向ける。
「ま、まあ、そういうわけだから」
「どういうわけかは分からないけど、まあ良いわ。それより薫、気づいてる?」
「それは咲耶ちゃんのこと?それとも……」
「両方。でも、今はこっちが先決かしらね」
「ああ」
そう言ってあたりに視線を巡らせるティナに、薫も頷いて霊剣十六夜を構え直す。
いつの間にか集まり出している小さな光の球。
ゆらりゆらりと宙を揺れるそれらは数十を越える蛍の群れだった。
「十六夜、戻って!」
薫が鋭い声を飛ばし、すぐさま十六夜が霊剣の刀身に吸い込まれて消える。
眩しいほどに数を増した蛍たちは一箇所に集まると、人の形を形成して弾ける。
そのあまりの明るさに、咲耶たちはとっさに腕で目を庇った。
「一体、何が起こったの?」
光が収まったのを感じて、咲耶は恐る恐る目を開ける。
「見て、あそこ!」
そう言ってティナが指差した境内の一角には、数匹の蛍に囲まれて一人の少女が倒れていた。
気を失っているのか、少女はぴくりとも動かない。
「あー、これで三人目ね」
またもや騒動の予感を覚えさせる出来事に、薫は思わず嘆息して天を仰いだ。
「まあまあ、二度あることは三度あるって言うし」
「咲耶。それ、あんまりフォローになってないわよ」
嘆く薫に咲耶が苦笑しながらそう言うが、横からティナに突っ込まれてしまった。
「とりあえず、寮に運んだほうがよかね。夏とはいっても夜は冷えるから」
そう言って薫は少女に近づくと、彼女を背負って歩き出す。
翌朝、予め事情を聞いていた耕介によって寮生全員へと説明が行なわれた。
彼女は旅をしていたのだが、途中で路銀が底を尽いてしまい、行き倒れていたのだという。
どこかで聞いたような話だね、とはリスティの談である。
現在、その少女は耕介の作った料理をものすごい勢いで消化していた。
年の頃は12、3歳といったところだろうか。
整った顔立ちに、長く伸ばした黒髪は静かに佇んでいれば日本人形のように見えなくもない。
しかし、今の彼女はみなみや唯子に迫る勢いで食物を胃の中へと収めていっているのだ。
その顔には空腹を満たせることへの喜びと、美味な料理への賞賛だけが浮かんでいた。
「お代わり、お願い出来ます?」
空になった茶碗を差し出して、無邪気にそう言う少女は実に親しみやすい人種のようだった。
「このご時世に行き倒れとは。それもあんな小さな子が一人で」
見ていて気持ち良い程の健啖ぶりを発揮する少女を横目に、薫がポツリとそう漏らす。
「ま、まあ、恭也君のような例もありますし」
「それにしたって、男の子と女の子とでは全然違うよ。まったく、親は何をやっとるかね」
憤りを覚える薫に咲耶がやんわりとフォローを入れるが、あまり効果はなかったようだ。
「まあ、うちの人間に拾われたのも何かの縁だ。しばらくゆっくりしてきな」
タバコを銜えて立ち上がると、真雪はそう言ってダイニングを出ていった。
連載の締め切りが近いため、彼女はそのまま仕事場でもある自分の部屋へと戻る。
他の住人たちも少女の様子を気にしながらも、それぞれ自分の生活へと戻っていった。
*
「あれ?おっかしいな」
部屋に戻ってパソコンを立ち上げた知佳は、その反応の鈍さに首を傾げていた。
元よりオーバークロックで演算能力を上げているマシンだ。
CPUにエラーが出やすくなっているのは分かっていたが、それにしてもこれはおかしい。
見たこともないエラーにしばし奮闘したものの、結局はどうすることも出来なかった。
OC処理は違法なため、一般のショップやメーカーに修理を頼むことも出来ない。
しばし考えあぐねた末、知佳は自分よりも詳しそうな人物を頼ることにした。
――十数分後。
待っている間の時間を利用して知佳が薬の整理をしていると、軽くドアがノックされた。
「あっ、はーい!」
返事をしてドアを開けるとそこにはティナが立っていた。
「ごめんね。忙しいときに頼んじゃって」
「良いわよ。コンピュータをいじるのはわたしも嫌いじゃないから」
ドアを閉めながら謝る知佳に、ティナは軽い調子でそう答える。
同じHGSであるということもあって、二人は割りと最初の頃から仲良くなっていた。
パソコンのことなど共通の話題も多く、おしゃべりを始めると尽きることがない。
今までそういう話が出来る相手が寮内にはいなかったので、知佳は大いに喜んでいたりする。
「それで、どうしたの?」
「えっと、これなんだけど……」
早速聞いてくるティナへと、知佳はそう言って自分のパソコンのディスプレイを示した。
「これは、……すごいわね。ちょっと触らせてもらうわよ」
そう言ってティナはチェアーに腰を下ろすと、猛然とキーボードを叩き出した。
「どう、治せそう?」
「ちょっと待って」
横から覗き込む知佳にそう返事をしながらキーボードを叩き続けるティナ。
手早く幾つかの操作を行い、エンターキーへとその細くしなやかな指を伸ばす。
すると何重にも表示されていたウインドウが消え、代わりに別の何かが映し出された。
「これって、システムプログラムのソースだよね……」
普通では見ることが出来ないブラックボックスの中身に、知佳は思わず感嘆の声を漏らす。
「待ってて。少し時間が掛かるかもしれないけど、必ず復元してみせるから」
本気の表情でそう言うと、ティナは知佳のパソコンに自分の専用端末を接続した。
仮にもプログラミング技術を売り物にご飯を食べているのだ。負けるわけにはいかない。
一種のオーラのようなものを背負って、一心不乱にキーボードを叩くティナ。
そんな友人の背中に、知佳は思わず冷や汗を浮かべた。
彼女は知らなかったが、現在表示されているのはOSの中核を担うプログラムだった。
それがティナの手によって、ものすごい勢いで書き換えられている。
OSの機能と構造を知り尽くしていなければ不可能な芸当であることは言うまでもない。
独自のプログラミング技術を持つほどその分野に精通した彼女だからこそ出来ることだった。
――2時間後……。
「ふぅ……、何とかなったわね」
額に浮かんだ汗を拭って立ち上がると、ティナは一つ大きく伸びをした。
「知佳、終わったわよ」
そう言ってティナが振り返ると、知佳はベッドに背を預けて舟を漕いでいた。
「……すぅ〜……」
可愛らしく寝息など立てているところを見ると、どうやら本格的に眠っているようだ。
そういえば、昨夜なかなか眠れなかったって言ってたっけ。
思い出すと起こすのが可愛そうになったが、かといってこのままでは風邪を引いてしまう。
「しょうがないわね」
整理の途中だったらしい錠剤の袋を取り上げ、ティナはそっと知佳に毛布を掛けてあげる。
何処か妹にも似たところのあるこの娘のことを、彼女はどうにも放っておくことが出来ない。
実際には自分より年上だし、妹よりもしっかりしているとは思うのだが。
「お休みなさい。良い夢を」
エラーメッセージの消えたパソコンを終了させると、ティナはそっと彼女の部屋を後にした。
*
それからどれくらい時間が過ぎただろうか。
夕日の差し込む部屋の中で、知佳はゆっくりと目を開けた。
「あれ、いつの間にか寝ちゃってたんだ……」
小さくあくびをしながらそう言って立ち上がると、一つ大きく伸びをする。
その拍子に、はらりと身体に掛けられていた毛布が落ちた。
自分で掛けた覚えはないから、気を利かせてティナが掛けてくれたのだろう。
それにしても、どれくらいの間眠っていたのだろうか。
机の上に目を向けると、そこにいつも飲んでいる薬がきちんと整理されて置かれていた。
作業をしていたはずの彼女の姿は既になく、パソコンの電源も落とされているようだ。
――ずいぶんお世話になっちゃったみたいだね。
この埋め合わせは近いうちにしようと思いつつ、知佳は試しにパソコンを立ち上げてみた。
プログラムは問題なく実行され、ほどなくして見慣れた壁紙とアイコンの列が表示される。
同時にメールの着信を告げるアラームが鳴り、知佳は小さく首を傾げた。
彼女は普段携帯電話でメールの送受信を行なっていて、パソコンに直接来るのは珍しいのだ。
不思議に思いつつ、メールソフトを立ち上げて受信トレイを見てみるとティナからだった。
――おはよう。もう目は覚めているかしら?
とりあえず、パソコンの修理は無事に完了しました。
ついでにシステム周りに手を加えておいたので、使ってみて感想を聞かせてください。
後、奇跡的に無事だったデータ記憶領域はそのまま残してあるのですぐに使えると思います。
P.S.寝顔、ごちそうさま。風邪引かないようにね。
「もう、恥ずかしいなぁ」
追伸の一文に時々見せる彼女の悪戯っぽい笑顔を思い出し、知佳は思わず苦笑した。
それにしても、見られたと分かっていてもこうして文字にされると恥ずかしいものがある。
――ありがとう。今度、何かお礼するね。
少し顔を赤くしながらも手早く返信のメールを打つと、知佳はパソコンを閉じて部屋を出た。
そろそろ夕飯の支度をしなければいけない時間だ。
一方、その頃ティナは自分の部屋でベッドの上に伏せていた。
2時間に渡る作業の疲れをシャワーで流し、今は心地よい疲労感に身を委ねている。
アリスはそんなティナの身体にマッサージをしながら、今日一日の出来事を話していた。
CD製作は順調にそのスケジュールを消化し、予定通りの発売が決まったとのことだ。
大変だったけれど、充実していたことを話すとティナは満足そうに笑みを浮かべて頷いた。
*
夏の夕方はまだまだ暑い。
日中元気に遊び回っていた子供たちもさすがにこの時間帯になると疲れて戻ってくるようだ。
「どうしたの?」
打ち水をして戻ってきた愛が縁側に腰掛けている少女へと声を掛けた。
「いえ、ここの子供たちは元気だなって」
少女はチラリと愛を見上げると、室内で騒いでいる小学生たちへと目を向ける。
旅の疲れを癒すつもりが、彼女たちにあちこち連れ回されて逆に疲れてしまった。
とはいえ、別段嫌というわけではなかったのだろう。
その証拠に、迷惑だったと尋ねる愛に少女は少し困ったような顔をして首を横に振っている。
「月が、きれいですね……」
夕闇の中に見え始めた月を見上げて、少女はポツリとそう言った。
今夜は十五夜。……いや、僅かに欠けて見えるから十六夜だろうか。
優しく佇むその光に浮かび上がる横顔は、とても12、3歳の子供のものとは思えなかった。
「ご飯だよ〜!」
しかし、ダイニングから知佳の声が聞こえると、少女は途端に年相応の無邪気な笑顔になる。
そのあまりの豹変ぶりに、見ていた愛は少し呆気に取られてしまったほどだ。
「いただきま〜す!」
「あ、こら、それあたしのなのだ!」
「はいはい。みんな仲良くね」
わいわいと食卓を囲む寮生一同と高町ファミリー。
さざなみは今日も平和なようである。
*
あとがき
龍一「行き倒れ少女登場!」
知佳「何だか恭也君みたいだね」
龍一「いや、それは少し違うぞ」
知佳「そうなの?」
龍一「ああ、別段彼女は枯れているわけじゃないからな」
知佳「苦労してるって点では同じなんじゃ」
龍一「まあ、良いじゃないか」
知佳「ところで、わたしのパソコンって結局どうなってたの?」
龍一「OSの一部が破損していたらしい」
知佳「それって普通個人じゃ直せないと思うんだけど」
龍一「まあ、直ったんだから良いじゃないか」
知佳「詳しい人から突っ込まれてもわたしは知らないからね」
龍一「さて、それでは次回予告」
――8月に入り日増しに暑くなる中、ついにリリースされるaliseのファーストシングル。
当日行なわれたサイン会には大勢のファンが詰め掛け、ちょっとした騒ぎになる程だった。
多くの人の声援を受けて戸惑いながらも笑顔でそれに答えるアリス。
そんな彼女の姿に、同年代の少女たちは自分の将来へと想いを馳せる。
自分の能力を人のために役立てたいと考える知佳。
具体的なビジョンを模索するため、彼女はティナへと相談を持ちかける。
しかし、そのときティナから帰ってきたのは驚くべき提案だった。
――もし、HGSが完全に治療出来るとしたら知佳はどうする?
次回 トライアングルハート〜天使の羽根の物語〜
第2章・10 将来の夢は……
*
行き倒れ少女。
美姫 「彼女は一体、何者?」
名前もまだ出てきてないよ〜。
美姫 「その辺りも気になるものの…」
うん、次回予告で気になることが!
美姫 「HGSの治療ですって!?」
いやいや、次回が気になるところ。
美姫 「次回も待っていますね〜」
ではでは。