トライアングルハート〜天使の羽根の物語〜

  第3章 夏のかけら

  1 剣士に一時の休息を……

   *

 ――朝露の光る林の中を、一人の少年が小太刀を手に疾走する。

 平均的な同年代の男子はもちろん、成人であっても追従するのは困難な程の早さ。そこから更に地を蹴って加速しながらも、彼は自らの身体を重く感じていた。

 端正な作りの顔を緊張に引き締め、油断無く前方を見据える。

 その視線の先には、同じく小太刀を抜いた少女が一人。

 ――両者は共に小太刀の二刀流。

 少年、高町恭也が納めるのは、永全不動が八問の一派、御神真刀流小太刀二刀術。

 対する少女、ティナ=クリスフィードが振るう刃は、歴史の裏にさえその名を残さぬ退魔の双剣、破邪真空流双剣術。

 似て非なる二つの流派に共通する点、それはどちらも殺人術でありながら、何かを守る時にこそその真価を発揮するということだった。

 故に、彼らはお互いを高め合う。より多く、確実に護るために。

 恭也の小太刀から必殺の突きが放たれ、ティナへと向かう。

 それをティナは、右手に握った小太刀による下からの切り上げで跳ね上げる。

 一見無造作に振るわれたようにも見えるその一撃の重さに、恭也は思わず顔を顰めた。

 そこへ逆の手に握ったティナの小太刀が胴を狙って薙がれ、恭也は一歩後退してそれをやり過ごす。

 同時に突きを放った小太刀を引き戻し、返す刀で放たれた逆袈裟の切り上げを防ぐと、空いた手をもう一方の小太刀へと伸ばす。

 その手が小太刀の柄を掴むのと、ティナが逆手に持ち替えたもう一方の小太刀を振り下ろすのはほぼ同時。

 牙のように突き立てられる彼女の刃へと、恭也は超高速の抜刀術を当てることで対応する。しかし、威力に勝るはずの彼の一撃が彼女の牙を弾き飛ばすことはなかった。

 見ると彼女の逆手に握られた右の小太刀と交差するように、その後ろに左の小太刀が重ねられていた。

 御神流の奥義の一つ、雷徹に似たその技に、恭也は内心の驚愕を隠し切れない。

 とっさに飛び退いて距離を取りつつ、軽く腕を振って痺れを振り払う。数度の手合わせから、似たような技が多いことは理解していたが、まさかここまでとは。

 だが、ティナのほうにも余裕があるわけではなかった。重い一撃を正面から受け止める形となったことで、彼女の両手は恭也以上に痺れを感じていたのだ。

 手放してしまいそうになる両手の小太刀を強く握り直し、油断無くこちらを見据えてくる少年へと目を向ける。

 異能による強化を行なっているとはいえ、女性の細腕ではどうしても同等の実力を持つ男性には及ばない。何故なら、それらの力もまた彼女自身の内より生じ、消耗されているからだ。

 元より長期戦になれば自分が不利であることは理解していた。

 力を使えば使う程、ティナが全力で戦闘可能な時間は短くなる。

 故に、彼女の戦いは常に速攻。

 再び駆け出した恭也が今度は神速の速さでティナへと迫る。

 両の小太刀を納刀したその状態から放つ技は彼が最も得意としている抜刀からの四連撃、御神流奥義之六・薙旋……。

 だが、普通に薙旋を放ったところで、彼女にはそれを打ち破る術があることを恭也は身に沁みて理解しているはずだった。

 ――破邪真空流奥義之六・芙蓉閃……。

 舞のような足運びによってそのすべてが複雑な軌道を描く抜刀からの六連撃は、明らかに薙旋の上を行く技だった。

 神速の世界でも尚その速度を落とさないティナの一撃は、腕力で勝っているはずの恭也の剣を受け止めてしまう。

 こうなると、勝敗を決めるのは単純な手数の差だ。4の恭也では6のティナには及ばない。

 これを打ち破るにはどうすれば良いか。その答えは単純にして至難だった。

 ――見せてもらいましょうか。あなたの可能性を……。

 胸中でそう呟きつつ、ティナは自身が最も信頼する奥義を放つ。その表情にあるのは、何かを期待しているような笑みだった。

 ――破邪真空流奥義之六・芙蓉閃。

 ――御神流奥義之六・薙旋。

 同時に抜刀された刃が二人の間で交差し、そして……。

 ティナの右の小太刀の内側を沿うように、恭也の放った一撃目が彼女の攻撃をすり抜けた。

 そのまま懐へと踏み込んだ刃を彼女の左の小太刀が受け止めるが、そのとき既に恭也は左の小太刀を抜いている。

 速さはこれまでで最速。

 再び迫る右の小太刀、三撃目となる彼女のそれを左の小太刀で跳ね上げ、一度一歩後退する。

 あえて勢いのままに押し切ろうとせず、最後の一撃を確実なものにするための軌跡を残す判断は上出来。

 掬い上げるような左斜め下からの四撃目に右の三撃目を当てつつ、恭也はもう一度彼女の懐へと踏み込んだ。

 問題はここから。初めて残せた一撃を生かし、それを本命へと繋げることが出来るかどうかが勝負の鍵となる。

 必要なのは速さだ。現状において互角である彼女のその先を取るためには、今以上に早く動かなければならない。

 脳裏を過ぎるのは、かつて父士郎から聞かされた神速の二段掛けだった。

 だが、ようやく神速をものにしたばかりの自分にそれが出来るのか。

 考えたところで分かるものでもない。ならば、今の自分の全力を尽くすまでだ。

 五撃目と六撃目の軌道が交差する点へと最後の四撃目を滑り込ませ、同時に鞘へと戻したもう一方の小太刀を抜刀する。

 すべては一瞬の攻防だった。

 モノクロの視界の中で、恭也が更にその先の領域へと踏み込もうとした瞬間、不意にティナの姿が視界から消えた。

   *

 気がつくと、視界一杯に青空が広がっていた。

 背中に感じる土の感触から、自分が仰向けに倒れているのだということが分かる。

 ――負けたのか、俺は……。

 全身に感じる痛みに顔を顰めつつ、恭也は大きく肺に溜まっていた息を吐き出した。

 あの瞬間、確かに彼は神速の先の領域を見ていた。

 モノクロの視界から完全に色が抜け落ち、同時に身体に掛かる負担が洒落にならないレベルにまで跳ね上がる。

 だが、全身が軋む程の苦痛を代価に得た速度は、その一瞬、確かに彼女のそれを超えたのだ。

 ――勝てる。

 そう確信したのも束の間、ティナは全身に纏わせていた念動力を解放することであっさり彼の速さを超えて見せた。

「……はぁ、今度こそ勝てると思ったんだがな……」

 最近めっきり多くなってしまった溜息に、落胆の色を乗せて吐き出す恭也。

 いつも通り美由希への指導と自分自身の鍛錬をこなし、最後にティナとの全力戦闘を行なった。

 使える技能・能力をすべて出し切っての一本勝負は、今のところティナの連勝。

 念動力者を相手に普通の人間が勝てるわけがないと思われるかもしれないが、恭也は御神の剣士だ。

 その速さを持ってすれば、異能の技が放たれる一瞬の隙を衝くことは可能だった。

 そして、その一瞬を生かせる程度には恭也も強い御神の剣士だ。

 それが分かっているからこそ、ティナもあえて自らの最速を生かせる剣での戦いを選んでいる。

 共に小太刀の二刀流。そして、異能の強化を使用したティナの身体能力は今の恭也とほぼ互角だった。

 恭也が勝てないのは単に実戦経験の差だろう。

 あちらの世界でも強力な異能者である彼女たちを利用しようとするものは多い。ティナはそういった連中からずっと自分と妹を護って戦ってきたのだ。

 とはいえ、さすがに何度も手合わせをしていれば、動きを読めるようにもなってくる。少なくとも、最初のように何も出来ずに一方的にやられるということは無くなった。

 ――あと少し、せめて神速の二段掛けが使えればあるいは……。

「こら」

 先の戦闘を思い返しつつ、恭也がティナへの対抗策を考えていると、不意に頭上から声が降ってきた。

 何処か不機嫌さを含んだその声は、彼のよく知っている少女のものだ。

 考え込んでいたせいで完全に不意を衝かれる形となった恭也は、とっさに声のしたほうへと視線を向けてしまった。

「ダメでしょ。勉強中に関係ないこと考えてちゃ。ちゃんと集中しないといつまで経っても終わらないよ」

 叱られてしまった。

 いや、まったく彼女の言う通りなのでそれも仕方がないのだが。

「ねぇ、恭也君。わたしと一緒に勉強するのって、そんなにつまらないかな?」

「い、いえ、そんなことは……」

 気まずそうに視線を逸らす恭也へと、咲耶はそう言って悲しそうに目を伏せる。

 幾ら勉強嫌いの彼でも、彼女にそんな表情をされては堪らない。

 だから、いつも慌てて否定するのだが、今回ばかりはそれも信じてはもらえなかった。

「嘘。だって、恭也君、わたしのほう見てないじゃない」

「無茶いわないで下さい!」

「無茶って何よ。大体、あなたは……」

 そこまで言って咲耶はふと、恭也の視線がちらちらと自分のほうに向けられているのに気づいた。

 正確には自分の胸元に、である。

 今日の彼女のファッションはノースリーブのタンクトップに、ホットパンツという露出度の高いものだった。

 特に意識してそういうものを選んだ訳ではなかったのだが、少年にはいささか刺激が強すぎたようである。

 理由を理解した途端、咲耶の悪戯心がむくむくと鎌首をもたげてくる。

 赤面して固まっている恭也の背後に移動すると、彼女は背中から彼に抱きついた。

「ちょ、咲耶さん!?な、何を……」

「ああ、この問題ね。わたしもこれ、よく分からなくて聞きにいったんだよね」

 慌てる恭也を他所に、咲耶は彼の手元を覗き込んでそう言うと近くに転がっていたシャーペンへと手を伸ばす。

 模範解答を示すつもりのようだが、恭也はそれどころではなかった。

 背中に感じる彼女の体温と女性特有の柔らかさ。そして、鼻腔を擽る彼女の甘い匂いが彼から理性を奪い取ろうとしていた。それはもう、急激に。

「これでよし、と。この通りにすれば解けるはずだよ。とりあえず、このあたりの問題をやってみてくれる?」

「は、はい」

 そう言って問題集の一角をシャーペンの先で示す咲耶に、恭也は何とか平静を装って答えようとする。

 が、実際に発した声はやや上ずったものになってしまい、それをごまかすために彼は慌てて彼女からシャーペンを受け取った。

「あ、あの……」

「ちゃんと解けるかどうか見ててあげる」

「か、勘弁してください」

 言いながら抱きつく腕に力を込める咲耶に、恭也は半ば悲鳴に近い声を上げた。

「もう、しょうがないな」

 相変わらず初心な反応を示す少年に、咲耶はクスクスと笑いながらそう言って腕の力を緩めた。

「ねぇ、恭也君」

 ホッとしたように息を漏らす恭也の耳元へと、咲耶が唇を寄せてそっと囁く。

「あんまり無理しないで、しんどいときはちゃんと言ってね。頼りないかもしれないけど、わたしで力になれるなら手伝うから」

「……はい」

 気遣うような声音でそう言う彼女に、恭也は素直に頷いた。

 咲耶は気づいていたのだろう。

 神速の二段掛けによる負担は、確実に恭也の身体を蝕んでいる。下手に使い続ければ今度は右膝だけでは済まないかもしれない。

 あるいは完成した身体であれば耐えられるのかもしれないが、成長途上の今の身体には毒以外の何物でもなかった。

 そこまで具体的には分からないまでも、無理をしているということくらいは何となく気配で気づけるものだ。

 恭也は上手く隠していたつもりだったが、身体を密着させた時点で咲耶にはそれが分かっていた。

「本当だよ。一人で勝手に無茶したりしたらダメだからね」

「ええ、分かってます。俺だって、もう二度とあんな思いはしたくありませんから」

 繰り返し念を押す咲耶に、恭也はそう言って自分の右膝へと手を当てた。

 きちんとクールダウンさせたはずのそこは、微かに熱を持って疼痛を発している。

 膝の故障が完治してから久しく忘れていたその痛みに、恭也は思わず顔を顰めた。

「痛むの?」

「……少し」

「ダメじゃない、そういうときはちゃんと言わないと。待ってて、今耕介さんか薫さん呼んでくるから」

「いえ、大丈夫ですから」

 慌てて部屋を出て行こうとする咲耶を、恭也が立ち上がって呼び止めようとする。しかし、立ち上がった途端に右膝に激痛が走り、恭也はその場に蹲ってしまった。

「恭也君!?

「……っ……」

「もう、言った側から無理しないでよ」

 右膝を押さえて呻き声を漏らす恭也の側に駆け寄ると、咲耶はそう言ってそっとその箇所へと手を触れた。

「酷い炎症。でも、これなら……」

 素早く患部の状態を確認してそう言うと、彼女は恭也の知らない言語で何事か呟く。

 するとどうだろう。あれほど酷かった痛みが徐々に引いていき、やがて完全に消えてしまった。

 驚く恭也の横に正座すると、咲耶は自分の膝の上に彼を横たえる。

「とりあえず、今日一日は大人しくしてること。良いわね」

「はい。いえ、それは……」

「良いわね」

「……はい」

 有無を言わせない調子でそう言う彼女に、恭也は渋々頷いた。

「はぁ……、本当に恭也君はすぐに無茶するんだから。そんなにわたしを心配させたいの?」

「済みません」

「謝るなら、最初から無理しないの。でも、まあ、少しくらいは良いかな。こうやって介抱してあげられるし」

 恭也の髪を優しい手付きで撫でながら、咲耶はしょうがないなというふうにそう漏らす。

「あの、子供扱いは」

「子供だよ、恭也君は。少なくても自分が無茶することで、悲しむ人がいるって分からないうちはね」

「…………」

「良いじゃない子供でも。恭也君はまだ中学生なんだし、周りに頼りになる大人もいるんだから」

 沈黙する恭也へと、咲耶は諭すようにそう言葉を掛ける。

「頼りたくない気持ちも、自分で何とかしなくちゃって気持ちも分かるよ。わたしもそうだったもの。ううん、今でもきっとそう」

 でもね、と彼女は言葉を続ける。

「そうやってわたしが頑張るのは、大切な人のためなんだよね」

「咲耶さん」

「恭也君もそうなんでしょ。だったら尚更、無理はダメだよ。自分を犠牲にして護ってもらっても、護られた人は悲しいだけだから」

 そう言って微笑む彼女は何処か綺麗で、恭也は思わず見惚れてしまった。

 咲耶の言ったことは全く正論で、護るものにとっては何よりも大切な忘れてはならないことだ。

 それを蔑ろにしたとき、守護者はただの戦闘者に成り下がる。

 ――大切なことのはずだった。

 なのに、自分はそれを忘れて、ただ強くなることだけに固執してしまっていたのだ。

「難しく考えないで、少しずつ出来るようになっていけば良いよ。それまではわたしが恭也君を止めてあげる。確約は出来ないけど、出来るだけ頑張るから」

「済みません、俺が未熟なばかりに……」

「良いよ。わたしもまだまだだし、一緒に頑張ろう」

 そう言って微笑む咲耶に、恭也ははっきりと頷いた。

 そう、何も自分だけが無理をする必要はないのだ。例え、そうしたところで個人の力で出来ることには限界がある。

 努力を怠る気はないし、何かあれば出来る限りのことはするつもりだ。

 だが、それでも護るのが難しいときは、迷わず誰かの力を借りることにしよう。自分の知り合いには非常識な強さを持つ人が割りと多いのだから。

   *




  あとがき

龍一「というわけで、第3章スタートです」

知佳「たった三人でこの長さ。しかも、とらハキャラは恭也君だけ」

龍一「あれ?」

知佳「あれ、じゃないでしょ。どうしてこんなことになってるのか、きちんと説明してよ」

龍一「いや、予定していた内容ではあるんだが、どういうわけか書いているうちにどんどん長くなっていって」

知佳「気づけばこうなってたと」

龍一「うーん、何でだろう」

知佳「3章はこれまでの伏線を消化しないといけないんでしょ。大丈夫なの?」

龍一「まあ、何とかなるだろう」

知佳「こ、この人は……」

龍一「さて、今年一発目ということで、あけましておめでとうございます」

知佳「本年もよろしくお願いします」

龍一「今年はどんな新作SSを投稿出来るかな〜」

知佳「その前に、今連載してる長編を完結させようよ」

龍一「そ、そうだな。えーっと、って、結構あるな、おい」

知佳「思いつくままに次から次へと新作を投稿するからだよ」

龍一「えーっと、とりあえず大方のラストは決まってるんだよ」

知佳「そこに至るまでの内容が決まってないんじゃダメでしょ」

龍一「あははは(滝汗)」

知佳「はぁ、とりあえず、今年の干支の如く突っ走るそうなので、見捨てないであげてください」

龍一「猪突猛進」

知佳「それって、それは後先考えないってことじゃ」

龍一「はっ、しまった!」

知佳「と、ともあれ、今年もよろしくお願いします」

龍一「お願いします〜」

   *

 

 

 





第3章がスタート!
美姫 「まずは恭也たちのお話ね」
勉強に剣の修行と大忙し。
美姫 「これからどうなっていくのか楽しみね」
今までの伏線が何を意味していたのかも楽しみだな。
美姫 「あー、次回も楽しみにしてますね」
してます!
因みに、猪は無病息災を象徴する干支……で良かったよな。
美姫 「いや、自信ないのなら言わなければ良いのに」
あははは。
美姫 「亥は無病息災よ」
おお、今年こそは無事に過ごせそうな予感。
美姫 「それはアンタ次第ね」
……やっぱりか。



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