恋姫†無双戯曲 −導きの刀と漆黒の弓−

 

第二十一話 −決意の別離−

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ? 麗羽から不戦協定の申し入れ?」

 

朝議の最後の議題として突然持ち上がったそれに、白蓮が素っ頓狂な声をあげた。

 

「そんな話は聞いてなかったぞ?」

 

そんな白蓮のもっともな疑問に答えたのは、最近は正式に将として公孫賛軍で働き始めている蘭華だった。

 

「はい。朝議の直前に使者の方がお見えになったようですわ。お通ししようとしたのですが、朝議が終わるまで待つと仰るので今は客間にて寛いで頂いております」

 

「う〜ん……どう思う?」

 

白蓮が意見を求めたのは、自分の傍に座る将達。

とはいっても現在主だった将は蘭華の他には一弦しか居らず、後は一時的に文官として働いている音々音と何故かいつも朝議にいる泉だけなのだが。

 

「私は……一度会ってみてから見極めてみるのが宜しいかと。先入観を持ったままでは相手にも不信感を与えかねませんし、そうなるともし本当に上手くいくかもしれなかった事でも破談しかねませんわ」

 

「ねねも蘭華殿に賛成、と文官の立場からは申し上げたいのですが、心情を言わせていただければこの話、胡散臭いにも程があるのです。反董卓連合の発起人のあやつがまともな神経してるとは思えないですぞ?」

 

「あたしは難しい事は良くわかんないわん。 でも医者の立場から言わせてもらえれば、仲良く出来るならそうするに越した事はないと思うのん。 犠牲は出来るだけ少なくして欲しいし、その為に戦わない勇気ってゆーのは皆持ってて欲しいわん」

 

蘭華、音々音がそれぞれの意見を出し、泉もその場にいる責任感からか医者としての考えをきちんと述べて真剣に議論に参加する。

他の武官、文官達も泉の意見には賛成するものが多く、しかし袁紹が本当に信用に値するのかという所でせめぎ合っている様子。

 

「一弦は? この話どう思う?」

 

一種の膠着状態に陥ったこの場面で白蓮が意見を求めたのは、未だ何も言っていない一弦。

この議題が持ち上がったときからずっと黙って口元を手で覆ってなにやら考え込んでいるような素振りを見せていた一弦だったが、未だ何の意見も出していないので白蓮が気を利かせて振った、といった所だろうか。

話題を振られ、全員が注目する中で一弦はゆっくりと口を開く。

 

「もし使者の方が顔良さんならば、この話はある程度信用が出来ると思います。顔良さんの使いと名乗ったなら……信頼度は落ちますが、まだ可能性はありだと」

 

「む? それはどういうことだ? なんで顔良が出てくる?」

 

好いた男が違う女に信頼を寄せている。

そういう風にも取れてしまう一弦の言動が少々面白くない白蓮は、少し不機嫌そうに頬杖をついて一弦を覗き込んだ。

そんな視線を受けた一弦は意図こそ理解出来ないまでもやはり好いた相手からのそういった態度は堪えるらしく、たじろぎながらも、

 

「い、いえ、その……顔良さんには前に、話したんです。連合に、誘われたときに」

 

「……話した?」

 

「はい……顔良さんが白蓮さんを誘ったのだから、もしそれで白蓮さんが袁紹軍や他の軍に狙われるような事になったら……白蓮さんにもしもの事があったら何に変えても僕が、復讐すると」

 

はっきりと、そう告げた。

その瞳を見た白蓮と泉は、恐らくその話をしていただろう時に盗み見た一弦を思い出す。

静かに、何か意思を固めた男の強く決意の篭った瞳を宿していた一弦の表情と今のその表情が被って見えた二人は、揃って頬を赤らめる。

特に白蓮は、自分に何かあったら何に変えても相手を殺すと言われてしまってはもう押さえが利かない。

つい先日やっと思いを伝え合い、互いに距離の縮まった関係になりつつある相手が実はもっと前から自分を護ろうとしてくれていた。

そんな事を知ってしまっては一人の女として、嬉しくないはずが無い。

しかし今は朝議の場。

 

「ん゛んっ! で、そ、その時顔良と約定を交わした訳か?」

 

どうにかこうにか調子を戻した白蓮に、一弦も現状を思い出して報告を続ける。

 

「とはいっても口約束ですが。 袁紹自身が牙をむこうとした場合は、彼女がそれに対処してくれるはず。最低でも止めようとしてくれていれば、多少の時間は稼げます。ですから……」

 

そこから先は白蓮にも分かった。

ようするに一弦も、まずは情報を得るべきだと思っているという事。

つまり……

 

「皆、今朝の朝議はここまでにしよう。 私はこの後ここにいる主将数名と共に使者と会う。結果は遅くとも明朝には議題とするので、皆そのつもりでよろしく頼む。では、ひとまず解散!」

 

そして数分後、袁紹からの使者が通される。

 

 

 

 

 

『この度は我が主、袁紹様が是非、貴女方と不戦の約を結びたいという事で私沮授が使者の任を仰せつかりました。顔良様の言により、そちら様さえ宜しければそれに向けて一度会談を設けたいと言付かっております。十四日後、場所は我等が領土とそちら様の領土の接触点、界橋の辺りでいかがでしょう?』

 

 

 

 

 

袁紹の使者が伝えた話。

それは聞くと袁紹側が同盟を熱望しており、すぐにでも話を詰めたいとするような風にとれなくも無かった。

しかし……

 

「……罠の可能性、少し高まったな」

 

白蓮は使者を一度客間へと下げさせると、開口一番そうため息と共に吐き出した。

 

「使者の方は何も知らされていないのか一見とても丁寧に見えはしましたが……」

 

「やっぱり袁紹は信用出来ないのです。あの使者、一度も笑顔を引っ込めなかったですぞ?」

 

蘭華と音々音も、使者から感じ取った印象は白蓮と同じだったらしい。

つまり……

 

「無礼に思わせない無礼者だったわねん。あたしあぁいう子は嫌いよん」

 

「袁紹がそういう態度だったのか、彼女自身がそういう子なのかどうかは分かりませんが……“潰さないでおいてやる”といった風に聞こえました」

 

皆泉と一弦と同じような印象を受けたらしい。

終始上からものを言われ続けたような、話の内容を鑑みるにどうにも腑に落ちない妙な気持ちの悪さを。

 

「まぁ、さすが麗羽の部下って言葉だけで片付く問題かも知れないけど……」

 

「それを言ってしまえばあの軍なんて全員そんなものでしょう? 精々、顔良ちゃんがなんであんなに常識人なのかという謎が残るくらいですわ」

 

中央で面識があるのだろう蘭華も、白蓮の言葉に苦笑を零す。

音々音は、

 

「傍迷惑な名門もあったものなのです」

 

と呆れ気味だし泉も、

 

「ホントよねん。実力者の子供なんて皆そんなもんなのかしらん?」

 

と、先の戦いでの経緯を色々聞いている所為か納得顔。

 

「しかしまぁとりあえず、会談には出向いてみよう」

 

「……宜しいのですか?」

 

「正直、信用出来るか出来ないかって聞かれれば出来ないほうの比率は高いんだけど……でもアイツ、腐っても名門だ。それに誇りを持ってるからこそ、連合の時の作戦も“ああ”だったわけで……」

 

「……ふむ。たとえ何か仕組まれているとしても搦め手は使ってこないというわけですな?」

 

「というか使えない、だな。基本、馬鹿だから。でも備えは当然していくさ」

 

「つまり……何があっても良い様に兵を引き連れていく、という事ですのね?」

 

「あぁ。最低限の守備兵を残して全部、伏兵として連れて行く。瑠那にも援軍要請をだしておかないと兵数が足りないけど……」

 

そこで一度疲れたように息を吐いた白蓮は、苦笑しながらまた口を開く。

 

「正直な? こっちから戦仕掛けても乗り込んでいったんじゃ地の利も相手にあるし、数で勝ち目が無い。かといってすっぽかせばあっという間に攻め込んでくるだろうが、同時にその事でおかしな風評が駆け巡る事になるのは目に見えてるから、戦場をこっちに引き込む事は出来ても人心が離れちまう。だからこうやって話をしてはいるけど実際、出向く以外の選択肢はないんだ。出来るだけこっちにとって優位になる状況を作る為にも」

 

本当に不戦の申し入れなのかも知れないしな、と笑った白蓮は皆にはいつもどおりに見えた。

いう事にも納得出来るし、最後の可能性に関してもここに来たのが顔良の部下だったらまだ望みがあると少し楽に構えられるように思えてきていた。

しかしそんな中一弦だけが一人、そんな和に加わらずに不安げな表情を崩さずにいた。

 

「……どうした、一弦? さっきから黙ってるけど」

 

それに最初に気がつくのはやはり白蓮。

二人の間の明らかな変化に微笑ましいが、ここは話の腰を折らないほうがいいと残りの面々が黙って一弦の言葉を待つ。

しかし……

 

「……いえ、なんでもない、です。何か引っかかってる気がしてて、でもそれが何なのか……きっと緊張して、気が立ってるだけだと思います」

 

結局一弦はそう言って、いつもどおりの少し気弱げな笑みを口元に浮かべた。

そして白蓮達は急いで準備に取り掛かる。

その一弦が引っかかっていた事こそが、今回最大の誤算だった事も知らずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「袁紹が白蓮のところに不戦協定の申し出?」

 

会談の日取りまで残り数日となって、一刀の元にそんな一報が舞い込んだ。

 

「はい。どうもそういった話が出てきているようです」

 

一刀にその報告を上げたのは、朱里。

一刀の親友がいる所という事もあってなるべく正確かつ迅速な情報収集をすべく、独自の網を張っていた朱里からのそんな報告に一刀は首を傾げた。

 

「……でも袁紹って……あれだろ?」

 

「……ええ。ですから何か気になって……」

 

二人の脳裏を過ぎるのは、連合を組んだ際の袁紹。

名門である事を鼻にかけ、自分達のような弱小勢力など捨て駒程度にしか考えていなかった割にとても扱いやすかったあの袁紹である。

 

「基本的にあの方は罠を張ったりとかそういった事は出来ない方だとは思うんですが……でもそれなら何故今、という疑問が残ってしまって」

 

「……だな。それに俺達、袁紹本人は見てるし理解してるつもりだけど、正直あの我侭放題だけじゃ国の運営なんて出来ないはずだろ? 誰か頭の回る奴が傍にいたりするかもしれない」

 

「はい。それに……そうであってもなくてもあの軍、基本的にとても危険なんです」

 

「? まぁ数は確かに多いけど……将の質なら俺達だって負けないくらいだろ? 隣が曹操って事も考えるとそんなに大胆な事は出来ないんじゃ……」

 

「いえ、出来ます。出来てしまう事こそが危険である理由なのです」

 

朱里の言い回しにいまいち理解の及ばない一刀が首を傾げると、朱里は真剣な表情で説明を始めた。

 

「袁紹さんご本人の性格は、私達の理解出来た範囲を超える事はありえないと思います。そして将の質に関しましても、御主人様の仰るとおり。ですから……」

 

「っ!? なるほど……我侭を止める人間は、いない」

 

情報を再確認するように一つ一つ挙げていった朱里の言葉で思い至った一刀。

 

「そうなんです。袁紹さんはあのとおり、ご自分で決めた事は絶対に曲げたくない我侭な主です。そして、私達の知る限り袁紹軍の二枚看板である文醜さんと顔良さんは、将としての質は悲観するほどではありませんが、袁紹さんに対しては絶対に逆らわない。だから袁紹さんがどれほど無茶を言ったとしても、それでその結果痛手を被るような事になるのが分かっていても、あの軍は止まりません」

 

朱里の説明に完全に納得のいった一刀が、友人である一弦の身を案じて額を押さえる。

そんな一刀の姿を痛ましげに見守る事しか出来ない朱里。

いくら親友であったとしても、今現在一刀達が軍を動かしてしまえばそれは即ち袁紹軍への宣戦布告となってしまう。

本当に不戦協定を結ぶつもりならばそれをぶち壊しにしてしまうだろうし、それに加えて今現在一刀達は戦の傷を癒している真っ最中。

挙兵などしてみたところで使い物になるのは、元々数が少ない中の七割前後。

 

「分かってる……分かってるさ、そんな事……」

 

その結論がもう出てしまっているからこその、一刀の苦悩。

そして……

 

「……朱里」

 

「は、はいっ」

 

「情報が伝わってくる速度、出来るだけ速くしてくれるかな?」

 

「そ、それは勿論……で、ですが……」

 

「分かってる。今動けないのくらい分かってるよ。でも何もせずにいるのは……知らないふりなんて、出来ないから。 せめて吉報が入る事を祈って、待ってるくらいはさせてくれ」

 

「……御意」

 

こうして二人はその後、この事を二人の間だけで収めておく事を決めて政務へと戻った。

 

「なんだ?……何か忘れてる気がする……」

 

一刀の胸の内に妙な引っ掛かりと、その表情に僅かな暗い影を残して。

自陣内に一刀の事に関して神掛かった感の鋭さを見せる最強の武がいる事も忘れて。

 

「……? 御主人さま……なんか、ヘン」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おーっほっほっほっ。遠路はるばるご苦労様ですわね、伯珪さん」

 

協定交渉当日。

打ち合わせた場所に出向いた白蓮達を出迎えたのは、相手の頭である袁本初のそんな馬鹿笑いだった。

それにかなりの頭痛を覚えつつ、自分は太守として交渉の場に相応しい態度に切り替えなければと思っていた事が馬鹿らしく感じる白蓮。

袁紹の隣に控える、以前使者として現れた沮授の存在を確認し……

 

(……っ! 顔良と文醜がいない!? やはり何かあるな!?)

 

状況は悪いと判断して袁紹に見えないように兵に合図を送った。

白蓮とて馬鹿ではない。

この話がキナ臭いと分かった時点で音々音を伏兵として先発させ、その場からは見えない位置に配置していたのだ。

そして現在そこには蘭華も合流し、準備は万端のはず。

送った合図は“いつでも動けるように”。

そして何食わぬ顔で、

 

「いや。それよりさっさと本題に入ろう。こっちは先の連合軍の残務整理が一段落ついたばかりだ。あまり城を空けてもいられない」

 

そう言って馬から下りた白蓮を面白くなさそうに眺めながら、自分も馬を下りる袁紹。

 

「……?」

 

その表情の小さな変化に最初に気がついたのは、今回白蓮の護衛として傍についていた瑠那だった。

 

(今……笑ったっスか?)

 

一瞬袁紹が笑っていたように見えた瑠那。

しかしそれは本当に一瞬で、見直した時にはもう先ほどまでの偉そうな態度に戻っていた為、彼女はそれを自分の見間違いだと思って口には出さなかった。

しかしその直後、

 

「では、今回の不戦協定ですが……伯珪さんがどうしてもと仰るのなら、攻めないであげますわ?」

 

その場の空気は、一変した。

と、それと同時に聞こえてくる……

 

「……この音は……まさかっ!?」

 

それは、戦場の声だった。

焦って伏兵の二人の部隊を潜ませた方向を振り返った白蓮の様子をみて可笑しそうに笑う袁紹。

 

「お〜っほっほっほっ! 貴女のような田舎太守の考えなどお見通しですわ!」

 

そして進み出てくるのは、沮授。

 

「改めまして、今回我が偉大なる主袁紹様のご希望をかなえるべく抜擢していただきました、沮授と申します。失礼ながら……貴女方の配置した伏兵には現在、文醜将軍率いる我等袁紹軍の精鋭達を含めた兵一万が当たっております。救援は、無意味かと」

 

薄ら笑いを浮かべながらそう言って慇懃無礼に一礼して見せた沮授の言葉に、満足したように頷く袁紹。

そしてすっと手を上げると同時に、後ろに控えていた兵達が一斉に武器を構えた。

 

「くっ!……だがここにはお前の本初以外主だった将はいない! 精鋭がこっちに揃ってる以上、本初をここで…「それも、お見通しですよ」…なんだと?」

 

「ですから……嶋都一弦殿、でしたな? その弓は下ろしていただけるとありがたい。こちらとしても……傷つけるのは不本意ですので」

 

「……傷、つける?」

 

沮授の言動に引っかかりを覚えた一弦が、弓こそ下ろしたものの警戒を怠らずにそう問う。

 

「ええ……あちらを、ご覧下さい」

 

蛇のような笑みを深くして沮授が指し示したその方向には……

 

「っ!? 音々音ちゃんっ!?」

 

「ねねっ!?」

 

「……面目ないです」

 

綱でぐるぐる巻きにされた、音々音の姿があった。

繋がれた綱を引かれ、無理矢理沮授の横まで連れて来られた音々音は、そこで沮授によって地面に引き倒される。

 

「おっと、失礼」

 

悪びれずにそう言って笑う沮授。

 

「汚いぞ本初っ! お前それでも名門袁家なんて名乗れるのかっ!?」

 

激高してなじる白蓮に一瞬たじろいだ袁紹だったが、すぐにいつものように高笑う。

 

「おーっほっほっほっほっ! な〜にを仰ってますの白蓮さん。 敵将を捕らえるなんて戦の常ですわよ? むしろまだ処刑していなかった事に感謝して欲しいですわっ」

 

「くっ! お前の入れ知恵か、沮授」

 

いつにない正論を吐く袁紹に二の句が告げなくなる白蓮。

しかし挑発に乗らない袁紹などありえないと沮授を睨みつけると、本人はそんな事など何処吹く風といった様子で相変わらずの薄ら笑い。

 

「我が主をあまり馬鹿にしないでいただきたいですな、公孫賛殿。確かに寛大な我が主は我が策を取り入れてくださいましたが、こんな矮小な一軍師の言葉如きで踊るようなお人では御座いませんぞ?」

 

そうは言いながらも全面的に自分の策である事は否定しない沮授。

そんな様子に白蓮はさらに苦虫を噛み潰したような表情で二人を睨みつけるが、その隣からずっと黙っていた一弦が、静かに口を開いた。

 

「何が……望みです」

 

「……おや、話が早い御方もいらっしゃいましたな。さすが、天の御遣い殿の守護者殿、といったところですか」

 

「そんな事はどうでもいいですよ。……要求は? こんな所まで態々不戦協定を偽って呼び出して、本来なら処刑されていておかしくない音々音ちゃん……陳宮を殺さずに捕らえているんです。まして、それをこちらに見せびらかすともなれば……貴方が何かを企んでいる事くらい、容易に読み取れる」

 

いつになく雄弁な一弦。

そんな一弦に相変わらずの笑みを浮かべる沮授と、それがすべて自分の功績であるかのごとく踏ん反り返って見下すような表情の袁紹を睨みつけていた白蓮がその違和感に気がつくのには、さほど時間が掛からなかった。

 

(……ん? 瑠那が、いない?)

 

いつからだったかは白蓮にも分からなかった。

しかしそれまで一言も発さずに白蓮の斜め後ろに控えていた一弦が隣に進み出て沮授と口戦を始めてから、いつの間にか同じく後ろに控えていたはずの瑠那の姿がなくなっていたのだ。

 

(……何かあるな)

 

それには必ず理由がある。

一弦に対する絶対的な信頼からそう判断した白蓮。

 

「大体お粗末過ぎるんだよ。そいつ、顔良の副官だって名乗ってたぞ? それなのに顔良本人がここにいない。アイツの性格からして多分、今回のこのやり方に反対したんだろ? 本初も、いい加減目的を言えよ。 二枚看板の片方下げてまでお前、何が望みなんだよ?」

 

一弦のそれは恐らく時間稼ぎ。

その間に瑠那が何かしているのだと判断してそれに加わった白蓮に、一弦は少しだけ視線を向けて一瞬だけ小さく笑みを浮かべた。

自分の判断が間違っていなかった事をそれで確信した白蓮が、どうせならさらに攻勢に出ようとしたその時、

 

「では、申し上げましょう」

 

沮授が先に、口を開いた。

 

「我等の要求は……嶋都一弦殿ですよ、公孫賛殿」

 

「なっ!?」

 

「…………僕、を?」

 

さすがにそれは予想していなかった一弦と白蓮。

驚いて言葉を発する事が出来なくなった隙を突いて、沮授が再びあの嫌らしい笑みを浮かべなおす。

そして、まるで猫が追い詰めた獲物を叩いて遊んでいるかのごとくもう一度、

 

「ええ、はっきりと申し上げましょう。私達は……」

 

その甚振るような視線を白蓮に向けて、

 

「陳宮殿を対価として将の交換が希望でございますよ、公孫殿」

 

心底楽しそうに、言い放った。

 

「貴女様の右腕、御遣いの守護者である……嶋都一弦殿の……ね」

 

絶句。

白蓮も一弦本人も、沮授の放った言葉に二の句が継げない。

一弦本人の表情は、はっきりと“困惑”の二文字が読み取れるほどに、その理由がまったくつかめずにいた。

一弦自身は確かに、天の御遣いたる北郷一刀の元従者であるという話で知名度は上がりつつある。

しかしだからと言ってそれが何だと言ってしまえばそれまでで、一弦自身には特筆するような特殊な能力、図抜けた能力など弓以外には何も持っていないと自身が認識している。

将がほしいのならむしろ現在別働隊として動いている蘭華こと皇甫嵩だろうと思う一弦の頭には今、“何故”の二文字しか浮かんではいなかった。

それに対して隣の白蓮の混乱具合は、一弦の比ではない。

なんと言っても相手が交換条件として出した名前が一弦だった事が、その主な原因だろう。

ようやっと想いを伝えられた男。

自分のそんな想いに応えてくれた大切な人。

その一弦を差し出さなければ、音々音の命の保障はされないだろう。

最悪、目の前で音々音が殺され、そのまま乱戦という流れが容易に想像できてしまう。

大切な想い人と大切な仲間を天秤にかけさせられた白蓮の頭の中には今、この状況を切り抜ける方法を考える余裕すらないほどに混乱していた。

 

「おーっほっほっほっ! さぁ、そろそろ貴女と私の格の違いを理解しなさいっ♪」

 

そんな白蓮を見て上機嫌に笑う袁紹はもうこの場における自分の勝利、即ち一弦が自分の手中に納まる事を疑ってもいないのだろう。

しかしそこに二つの誤算があった。

一つは、その場に袁家の二枚看板が両方ともいない事。

これによって袁紹の守りは、数こそ揃ってはいるが個の武に同じく武で対応できる個がいない事になる。

そして……

 

「ねねちゃんは、返してもらうっスよ」

 

最初に一弦の隣にいたはずの彼女を、完全に失念していた事だった。

 

「瑠那っ!」

 

「瑠那ちゃんっ! そのままこっちに走ってっ! 白蓮さんっ、撤退準備をっ!」

 

「おうっ!」

 

質の高くない兵相手で、しかも一弦が注意を引いていたからこそ出来た、しかし瑠那にしか出来なかった偉業。

音々音の姿を確認した瑠那は隣にいた一弦にだけ告げてその場を離れ、集中力のさほど高くない中央からは離れた場所で駄弁っていた袁紹軍の兵達の中に極自然に入り込んでいって、そのまま中央まで移動してきたのだ。

その身の軽さを動きの俊敏さ、そして長年盗賊として生きてきた瑠那の経験がすべてかみ合ったからこそ起きた、もう二度とないだろう奇跡。

それをここ一番で実行に移して呼び込んだ瑠那は、そのまま後ろを振り返らずに音々音を脇に抱えて走り抜けた。

 

「なっ!? なんですのあの小娘っ! もういいですわっ! こうなったら白蓮さん如き、ここで私の手できっちりと引導を渡してあげましょう! 沮授さんっ!」

 

「くっ!……はっ! 全員戦闘態勢に移りなさいっ! 数はこちらのほうが圧倒的に有利なのですっ! すり潰してしまいなさいっ!!!!」

 

「瑠那っ! そのまま駆け抜けて撤退を先導しろっ! ねねっ! 蘭華に合流して撤退の指揮をとってくれ!」

 

「了解っス!」

 

「承知なのですっ!」

 

焦りの見える袁紹軍と、冷静に対処する公孫賛軍。

これも率いる大将の器の違いと言ってしまえば、まさにそれまでなのだろう。

 

「一弦っ! 弓兵に合図っ!」

 

「はいっ! 皆さんっ、鼻先に弓の雨を降らせてくださいっ! 追撃を防ぐのですっ!」

 

殿で撤退するのは白蓮と、一弦。

大将である白蓮が殿というのは異常と言えば異常なのだが、将が増えたのがつい最近でそれまでほぼすべてを一人でやってきた白蓮にしてみればそれが当然。

このまま逃げ切って体勢を立て直せるかと思えたのだが……

 

「伝令っ! 皇甫嵩殿と陳宮殿はこちらに合流せず、兵達のみ合流しました。皇甫嵩殿は小数を率いて文醜を引き付けつつ戦線を離脱するとの事ですっ!」

 

「分かったっ!」

 

「公孫賛様っ! 敵の数が多すぎて矢での牽制も長くは持ちませんっ!」

 

「進軍速度が異常ですっ! 敵は前線の味方の死など気にも留めずに屍を踏みにじって迫ってきますっ!」

 

袁家の二枚看板がその場にいない事は袁紹軍だけでなく、公孫賛軍にも多大なる影響を及ぼしていた。

簡単な話、袁紹の考えなしの命令に歯止めをかける存在が不在なのだ。

そして一弦には段々と、今回の全貌が見えてきていた。

一弦が感じていた違和感の正体。それは、そもそも袁紹が連合の時のままの性格をしているのならこんな事をせずにある日突然国境に現れるはずだという根本にあったのだ。

そして、この場に顔良がいないという事実。

それはつまり、今回の事に顔良は関わっていない、知らない、反対したので邪魔、の三択の内のどれかに当てはまる。

矢を放ちながら、徐々に距離を詰めてくる袁紹軍を見ながら一弦は、急速に思考を展開する。

 

「退けーっ! 隊列を乱さず、追撃をいなしながら徐々に退くぞっ!」

 

少し離れたところでは、つい先日少しだけ関係が変わった大切な人が必死の形相で兵達を纏め上げている。

その表情に見えるのは、焦り。

恐らく白蓮も気が付いているのだろう。

このままでは追いつかれる。

そうなれば後は、誰かが楯になる以外に逃げ切る道はないと。

 

「御主人様っ! 我等が隊が決死隊となって食い止めますっ! その間に撤退をっ!」

 

「馬鹿な事言うなっ! そんな事したって―――っ! そ、そんな事は許さんっ!」

 

白蓮は、気付いている。

よしんばそれでこの場を逃れたとしても、袁紹軍はその後こちらが立て直す隙も与えずに攻め入ってくると。

戦力は、多く残さないといけない。

 

「でも……このまま逃げれば、間違いなく追いつかれる……か」

 

蘭華と音々音は、文醜相手なのでいなしきれるだろう。

瑠那は撤退の先導をしているから、追いつかれるという事は公孫賛軍の全滅を意味する。

 

「なら、ここをこのまま無傷できり抜ける方法は……」

 

一弦の手が、震える。

そんな事はしたくない。

 

“怖い”

 

“嫌だ”

 

“なんで自分が”

 

気持ちが渦を巻く。

涙が、溢れそうになる。

しかし、

 

「慌てるなっ! 矢が尽きるまで打ち続けろっ! まだまだ距離はあるっ! 落ち着いて、隊列を乱すなよっ!?」

 

白馬に跨り、自分は殿を務めながらも決して恐怖などおくびにも出さずに指揮をとり続ける白蓮を視界に捕らえた時、一弦の心はそんなものよりももっと強い感情で溢れてきた。

 

“この人を、護りたい”

 

そして一弦はついに、決断した。

 

「副長さん……伝言、伝えてもらえますか?」

 

「……は?」

 

「僕の不在に気が付いたら……白蓮さん、貴女の傍にいられて……良かった。そう、伝えてください」

 

「なっ!? あ、貴方は何を……」

 

「あの人達は僕が欲しいのでしょう。なら……僕は、殺せない。だから……いきます」

 

足を、止めた。

 

「お待ち下さいっ! 嶋都殿っ!?」

 

急に止まれない副長が振り返るとそこには、もうすでに袁紹軍に向かって走る一弦の後姿。

呼び止める声も届かずに悔しそうに表情を歪めた副長はしかし、一弦の最後の願いを忠実に聞き入れて一弦に変わって撤退の指揮をとり始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一人、ぽつんと両軍の間に残った一弦。

袁紹軍の兵達も、近づくにつれて一弦の存在に気付くものが増え始め、たった一人で残っているというその状況が混乱を呼び始める。

そしてそんな状況の中一弦は、震える足を殴りつけ、ガチガチと鳴る歯を抑えようと頬を叩き、涙が溜まりそうになる瞳を強く拭って、自分の声が震えないように強く言い放った。

 

「袁紹、沮授に告ぐっ! 嶋都一弦、これより卑劣なる貴様等の首……貰い受けに参るっ! 我が矢に貫かれたくなくばっ! 我が弓刃によって首と泣き別れたくなくばっ! 雑兵は道を……道をあけろっ!!!!」

 

そして一弦は、駆け込んできた袁紹軍を迎え撃った。

最後に少しだけ振り返り、

 

「……瑠那ちゃん、泉さん、蘭華さん、音々音ちゃん……白蓮さん。皆……ごめん」

 

小さく、泣きそうな表情で呟いて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その一刻後、公孫賛軍は無事自軍が治める居城に撤退を完了した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……一弦?」

 

 


あとがき

 

いつになく長くなりました。

そしていつになく纏まりが悪い。

これは一重にこの話を2話に分けるほど長くするとだれてしまったので削ってみたがやっぱりイマイチ巧く纏められなかった自分の力のなさの現われです。

とりあえず、一弦が離脱しました。

戦線離脱というかなんというか……まぁ、あまりベラベラと先の展開書いてしまっても余計に面白みがなくなってしまいますね。

じゃあまぁ一つだけ。

この話は、まだ終わりませんw

元々はここで白蓮と一緒に逃げ切って、最後の篭城戦で……という話だったので、それをいつか書いてみたいとも思ってますが……

いってみれば白蓮単独ルートのような感じで。

しかしまぁ、ここじゃ終わらない構成になってますので、これから暫くアインのオリジナル袁紹VS公孫賛にお付き合い下さい。

あとがきすら纏まりませんでしたが、今回はこの辺で失礼致します。

それでは。




一弦が目的だったか。
美姫 「顔良さえ遠のけて袁紹は何で一弦を確保しようとするのかしらね」
沮授の目的という感じもあったけれどな。
美姫 「どちらにせよ、どうして一弦をって所よね」
やっぱり一刀に対するとかなのか、それ以外の理由なのか。
美姫 「続きが気になるところよね」
だな。次回も楽しみにしてます。
美姫 「待っていますね〜」



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