――結界都市新東京上空……。
 今、ここに一つの戦いの幕が下ろされようとしている。
 舞台に立つのは、共に十代半ばに見える少年少女。互いに満身創痍の身体を引きずりながら一歩も退かない構えを見せている。
「まさか、君がここまでやれるとは思わなかったよ。ついこの間まで何も知らない小娘だったくせに、本当によくやる」
 闇の波動を槍状に集束させて放ちながら、少年が忌々しげに吐き捨てる。
「わたしにも譲れないものがあるの。悪いけれど、このまま勝たせてもらうわ」
 飛来した闇の槍を光の波動で相殺し、腕を伝う血でぬかるんだ手に無理やり剣を握ると、わたしはボロボロになった翼をはためかせて宙を翔けた。
 ――創世神の遺産、世界の破壊と再生の理を司る神器……。
 世界への反逆の足掛かりとして、一人の魔族がその力を欲したのがそもそもの発端だった。
 世界は存在の意志力によって絶えず干渉を受けている。
 人間の強い意志が時に奇跡を起こすことがあるのがその良い例だろう。
 だが、そのすべてを許容していたのでは、いずれ世界のほうが歪められてしまう。
 だから、世界は思念を魔物という形で実体化させ、それを排除させることで均衡を保ってきた。
 でも、それでは魔物たちはどうなるのか。
 世界の都合で生み出され、殺されていくだけの彼らはやがて自らの在り方に疑問を抱き、その理不尽さに憤怒する。
 そもそも、世界に影響を与える程の意志力を持てるものなら、己自身のうちに生まれたそれときちんと向き合うべきではないだろうか。
 ――天地創造より数十億……。
 もうそろそろ目を背け続けた付けを払う時ではないだろうか。わたしもいい加減、そんなシステムの管理者なんて辞めて、普通の女の子に戻りたかった。
 そんな時だった。覚醒を始めたばかりのわたしに都合良く彼がちょっかいを出してきたのは。
 わたしは表向き被害者を装いながら彼がわたしから神器のうちの半分、破壊を担当する力を抜き取るのを待った。
 神器を完全破壊するには、全く同じ破壊と再生の力を正面からぶつけ合わせて相殺するしかない。わたしにとって、これはそのための戦いだった。
「君の思惑なんてどうでも良いのさ。僕らはただ、覚えていてもらうために、僕ら自身を世界に刻み込む。破壊の闇よ、すべてを混沌に還す力と成れ!」
 少年が闇を握り込んだ拳で自身の心臓を貫く。その瞬間、圧倒的な破壊の本流が彼を中心に波紋を広げた。
「……を待ってたんだ」
 わたしは誰にも聞こえないようにそう呟くと、自分の内側に残っていた再生の力をすべて解放する。
 ――鬩ぎ合う光と闇……。
 世界の理さえ歪めかねない力と力の激突はやがて局地的な次元の裂け目、フラクチャーを引き起こし、直下にいたわたしは結末を見届けることなくその中へと落ちていった。
 ――ああ、ついにわたしは世界から弾き出されてしまったんだ……。
 もう生まれ変わることもない。この魂は永遠に次元の狭間を彷徨い続けるだろう。
 これが天地創造以来の定理に逆らい続けた報いなのだろうか。
 ――こんなことなら、もう少し大人しくしておけばよかった。そうすれば、例え仮初の平穏であっても、家族と一緒にいられたかもしれないのに……。
 楽しかった思い出を走馬灯に見ながら、最後に取り止めもないことを思考し、わたしの意識は永遠に途絶えた。
 その、はずだったのだけど……。

 気がつくと、わたしは何処とも知れない森の中に倒れていた。
 大気に満ちる濃厚なマナ。
 木々の間からこちらを伺う動物たちに混じって、幾つもの魔の物の気配を感じる。
 それらは決して強くないものの、世界の命運を賭けた戦いの果てに消耗し尽くした今のわたしでは退けることも出来ないだろう。
 そこまで思考したところで、わたしはようやく違和感に気づいた。
 感覚が、リアル過ぎるのだ。
 次元の狭間は生命の存在を許さない。
 ただ虚ろに満たされたそこで、わたしの肉体は朽ち果て、魂だけの存在と成り果てた後に眠りに就いているはずだった。
 だというのに、この生々しさは何だ。
 背中に感じる土の固さ。
 霞んだ視界に映る空は何処までも青く、高く、降り注ぐ陽光の眩しさに、わたしは思わず目を細めた。
 痛みに麻痺しかけた神経は、それでもわたしに肉体の存在を伝えてくる。
 留血と共に下がっていく体温の具合からして、傷は処置が早ければ助かる程度だろう。
 しかし、一度突き放してから掬い上げるというのは、相手を従属させる常套手段だと知っていたけれど、まさか、自分がそれをされるとは思わなかった。
 感覚が、意識が遠退いていく。
 程無く落下するような浮遊感が加わって、終焉の闇へと引きずり込もうとする。
 わたしは別段それに逆らうでもなく、ぼんやりと思考を巡らせていた。
 わたしは死ぬのだろう。
 こんな森の中だ。
 例え、奇跡のような偶然から誰かが通り掛ったとしても、必要な処置を施すことの出来る施設までは遠いはず。
 だが、構わない。
 例え肉体が滅びても、魂は永劫不滅。
 閻魔の庁にて裁定を下され、束の間の霊界ライフを経て、新たな肉体に転生するだけなのだから。
 そう、人間であれば初期化される前世の記憶も、わたしたちには魂のそれとして来世へと持ち越される。
 だから、わたしにとって肉体の死は意味を持たなかった。
 心残りがあるとすれば、今回も巻き込んでしまった家族や友人たちの安否を確認出来なかったこと。
 後はそれなりに気に入っていた現世の身体を野晒しにしてしまうことくらいだろうか。
 ――魔物のエサとかになるのは、嫌なんだけどな……。
 そんな益体も無い思考を最後に、わたしの意識は再び闇へと溶けた。

  堕天使ユリエルの異世界奮闘記
  第1章 気がつけばそこは異世界

 不意に意識が浮上する感覚に、わたしは自分がまだ生きていたことに驚いた。
 まさか、奇跡が起きたとでもいうのだろうか。
 処置が早ければ助かる程度の損傷だったとはいえ、あんな森の中を人が通るとは思えない。
 出欠もあったので、血の臭いに誘われて集まってきた肉食獣か、モンスターにでも食べられて終わりだろうと考えていたくらいだ。
 しかし、肉を食いちぎられる激痛で覚醒したにしては、この目覚めはあまりに穏やか過ぎた。
 目覚めて最初に目に入ったのは、知らない天上だった。
 お約束として、口に出してみようかとも思ったけれど、状況が分からない以上、迂闊に声を出すわけにもいかないだろう。
 意識は今一つはっきりとしないけれど、どうやらその程度の冷静さは保てているらしかった。
 背中に感じるそこそこに柔らかな感触と、身体に掛けられた毛布の暖かさ。
 嗅覚が女性の生活臭を嗅ぎ取るに至って、わたしはようやくここが誰かの家の中なのだと理解した。
 どうやら、本当に奇跡が起きた。
 あの場所を誰かが通り掛って、傷ついたわたしを介抱してくれたということなのだろう。
 その結果として、わたしはまだこの身体を失わずに済んでいる。
 そのことに安堵すると共に、これからのことを思うと、助けてくれた人に対する申し訳なさで胸が一杯になる。
 特に善意からの救済であったなら、わたしは確実に恩を仇で返すことになってしまうだろう。
 かといって、今すぐここからいなくなれる程、回復しているわけでもなかった。
 傷自体は既に塞がっているものの、血を流し過ぎたらしく、体力がほとんど底を尽いている状態だ。
 魔力による瞬間回復のスキルも、体力の枯渇までは面倒を見てはくれない。
 仕方なくそのまま大人しくしていると、不意にドアが開く音がして、誰かが室内に入ってきた。
 わたしはとっさに身構えようとして、すぐにそれが意味のないことだと悟った。
 身体が動かせないのだ。
 本当に、幾ら力を入れようとしても、指先一つ満足に動かせない。
 しかも、相手はそれでわたしが起きていることに気づいたらしく、ホッとしたような気配を零すと、こちらに近づいてきた。
 程無くして、わたしの視界にその人物の姿が入ってくる。
 少女だった。
 年はわたしよりも一つか二つ、下といったところだろうか。
 肩口で切り揃えられた髪と、こちらを覗き込んでくる瞳は共に日本人にはない色彩を帯びている。
 まあ、わたしの銀髪碧眼も大概日本人離れしているので、あまり他人のことは言えないのだけれど。
 それよりも気になるのは、少女の恰好だった。
 ショートパンツにノースリーブのシャツはまだ良い。
 その上に羽織っている革製らしいジャケットもファッションと実用性を兼ね備えた感じで中々センスが良い。
 問題は、彼女の腰に下げられた二振りの短剣だった。
 銀製と思われるそれらは、明らかに何らかの魔法的処置の施された品だ。
 世界が魔の侵食を受けてから二十年が経過した現代の日本では、自衛のための武器の携帯が許可されていたけれど、魔法処理をされたものとなると、それなりに高価な上、軍や警察に優先して回されるため、一般人が手に入れるのは相当難しいはずなのだ。
 わたしの視線に気づいたのか、少女はナイフを二本とも外してサイドテーブルの上に置くと、丸腰であることをアピールするかのように、両手をひらひらと振って見せた。
「まあ、警戒するなってほうが無理だよね」
「当然……。武器を持っているということは、それが自衛のためでも他を傷つける覚悟があると見るのが普通でしょ」
「違いないね」
 わたしの言葉に、少女はそう言って軽く肩を竦めた。
 別段気分を害した様子も無い。
 この年頃の少女なら、警戒されたことに傷つくか、恩着せがましく怒るかのどちらかだと思うのだけど、どうやら彼女は武器を取ることの意味を理解しているようだった。
「さて、お互い聞きたいことはあるだろうけど、まずは自己紹介といこうか」
 椅子を引いて腰を下ろしながらそう言う少女に、しかし、わたしはそれを拒否した。
「その必要は無いわ」
「どうして?」
「わたしの素性を知ることで、あなたの身が危険に曝される可能性があるから。恩人にこちらの事情で迷惑を掛けたくはないもの」
 そう言って口を閉ざすわたしに、少女はやれやれといったふうに溜息を漏らす。
「厄介事に巻き込まれるのが嫌なら、最初から死にかけの行き倒れなんて、拾ったりしないって」
「それでもよ。助けてもらったことには感謝するけれど、でも、いいえ、だからこそ、これ以上わたしに関わろうとしないで」
 呆れたようにそう言う少女に、わたしは少し強い口調で拒絶の意を示す。
 失礼だとは思ったけれど、こればかりはしょうがない。
 今のわたしと関わるということは、国際指名手配犯と関わるようなものなのだ。
 命の恩人である彼女がわたしの名前を知っていたことで、共犯者扱いされたのでは堪らない。
 いや、残留魔力による捜索が出来る以上、既に手遅れなのかもしれないけれど、それでも、なるべく少女が不利になるような情報は残さないようにしなければならないだろう。
 そのあたりのことを説明すると、少女は少し首を傾げた後、ジャケットの胸ポケットから何かを取り出して操作し出した。
「はぁ、訳有りなのは最初から分かってたけど、どうせ吐くならもう少しマシな嘘にしなよ」
「なっ、わたしは本当に……」
「はい、これ。冒険者協会が発行してる最新のブラックリストだよ。あなたを手当てした後に一応一通り調べたけど、犯罪者とその被害者の両方に該当なし。森で倒れてたあなたを連れてきてからもう三日経つけど、未だに何の情報も入って来ないよ」
 そう言って、見せられた電子手帳のようなもののディスプレイには、犯罪者だという人物の顔写真と共にわたしの知らない文字らしきものの羅列が表示されていた。
「まあ、名乗りたくないって言うんなら、今はそれでも良いよ。今時ただの善意で赤の他人を助ける人ってのも中々いないだろうし、信じられない気持ちも分かるから」
 少し寂しそうにそう言って笑う少女に、わたしは咄嗟に手を伸ばそうとする。
 こんな、まだ十代半ばにも達していなさそうな少女が人を信じられないと言う。
 ここはそんな世界なのか。
「……ユリエルよ」
「えっ?」
「わたしの名前。助けてもらったし、これからまだもうしばらくお世話になりそうだから。そんな相手に名乗らないってのは、あり得ないでしょ」
 ここが何処で、何故わたしの知らない文字が使われているのか。
 そんなことは回復した後で調べれば良い。
 今はただ、わたしを助けてくれた少女に笑顔でいて欲しかった。
「ユリエルか。きれいな名前だね。あたしは、ミリィ。よろしくね、ユリエル!」
 戸惑いから一転、屈託のない笑顔を浮かべてそう言う少女、ミリィに、わたしもなるべく優しい笑顔を作って、こちらこそ、と返す。
「この服、それに、怪我の手当てはミリィがしてくれたのよね。改めて、お礼を言わせてもらうわね。ありがとう」
「そんな、良いって。全部あたしが勝手にやったことだし。その、倒れてるのを見つけて、ほっとけなかったから」
「あら、今時ただの善意で赤の他人を助ける人なんて、中々いないんじゃなかったの?」
 顔を赤くしてあたふたするミリィに、わたしは少し意地悪な笑みを浮かべてそう聞いてやる。
 泣き顔なんて見たくはないけれど、基本的に可愛い女の子をからかって遊ぶのは好きなのだ。
「もう、ユリエルって実は結構意地悪なんだね」
「知らなかった?」
「そりゃ、こうして話すのもこれが初めてなんだし。でも、そうだね。疑われるのも癪だから、何か考えとくよ」
 ニヤリと似合わない悪党笑いを浮かべてそう言う彼女に、わたしは思わず噴き出してしまった。
「可笑しな子ね。普通、そういうのは前提としてあるもので、後から考えるものじゃないわよ」
「かもね。でも、良いんだ。ユリエルにあたしのことを信じてもらえるならね。だって、悲しいじゃない。せっかくこうして会えたのに、信じ合えないなんてさ」
「そうね」
 そう言って笑うミリィに、わたしは思わず見惚れてしまいそうになるのをごまかすように短く頷くと、そっと彼女から視線を逸らした。
 きっと、たくさん傷ついたのだろう。
 そして、それでもまだ彼女は信じようとしている。
 そんな、とても綺麗で、尊い微笑……。
「ねぇ、ミリィ。さっき、いろいろ聞きたいことがあるって言ったわよね」
 気づけば、わたしはそう口を開いていた。
「うん。どうしてあんなとこで倒れてたのかとか、差し支えない範囲で良いから聞かせてもらえると助かるかな」
 信じたいと、信じてほしいと言った少女の、その想いに、わたしも答えたいと思ったから。
「なら、わたしの話を聞いてくれる?」
  とても、とても長い話。
 さあ、語ろう。
 そして、わたしはまたここから続きを始めるのだ。
 ――そう、それは、ただの少女に憧れた天使が魂の解放を求めて足掻き続けた物語……。

   * * * 続く * * *



 というわけで、リメイク版第1章をお届けしました。
 作者です。
 いろいろな方の作品を読んでいるうちに、自分でもまたファンタジー物を書きたくなり、以前からリメイクを試みていた本作を公開させていただくことにしました。
 改訂前の作品でいただいたご指摘を元に、パワーバランスとストーリー構成に気をつけながら、出来るだけ丁寧に描写していけるよう心がけたいと思います。
 相変わらず突っ込みどころの多い作品になるかとは思いますが、少しでも楽しんでいただければ幸いです。



リメイク版を頂きました。
美姫 「冒頭が大きく変化しているわね」
だな。異世界から来たという所がはっきりと新東京とされているし。
能力に関して少し触れていたりとか。
ここからどうなっていくのかな。
美姫 「次回も待っていますね」
待ってます。



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