三杯目のお茶に口を付けた時だ。
 舌先に微かに感じた鋭い刺激に、わたしは思わず眉を顰めた。
 血とともに失った体力の回復を促すのに良いからと、ミリィが朝食後に淹れてくれた彼女特製ブレンドのハーブティー。
 だけど、滋養強壮、体力回復の効果を持つ成分の多くは古来より優れた媚薬としても重宝されていたのではなかったか。
 森に育まれた新緑の葉が醸し出す深い味わいに、すっかり心身を弛緩させてしまっていたわたしは、身体の内側から沸き起こる熱を持て余しながら、ぼんやりとそんなことを思い出していた。
「どうかした?」
 そんなお茶を振る舞ってくれた当の本人は、同じものが注がれたカップを傾けながら不思議そうに首を傾げている。
 ――確信犯……。
 いや、わたしがしばらくこの家にいることにしたのが嬉しくて、気づいていないだけかもしれないけれど。
「ん?」
 カップを置いて、じっとミリィの目を覗き込む。極上のサファイアを思わせる澄んだ青は、思わず吸い込まれてしまいそうだった。
 そんなわたしを、ミリィは可愛らしく小首を傾げて見返してくる。
 その目元はほんのりと朱に染まり、笑みの形に細められた瞳の奥には微かな情欲の光が見え隠れしていた。
「ねぇ、ミリィ。このお茶なんだけど……」
「美味しいでしょ。冷え込みの厳しい日には身体を内側から暖めてくれるし、疲れた時の体力回復にも効くから重宝してるんだよね」
 そう言ってにこにこと笑う少女の顔に邪気はなく、それを見たわたしは一つ嘆息すると、ゆっくりとカップの中身を飲み干して立ち上がった。
 浄化の魔法を使えば一瞬で平常に戻すことは出来た。だけど、そうするのは何だか負けのような気がして、嫌だったのだ。
 それに、せっかくミリィのほうからアプローチしてきてくれたんだもの。応えなければ失礼というものよね。
「ごちそうさま。さすがにまだ本調子じゃないから、少し寝室のほうで休ませてもらうわね」
「一人で大丈夫?」
「ええ、ありがとう」
 身体を蝕む熱にふらつく足元を気力で立て直しながらそう言うわたしに、同じく椅子から立ち上がったミリィが心配そうに寄ってくる。わたしはそんな彼女から逃げるように一歩後退ろうとして、思わずバランスを崩してしまった。
「危ない!」
 背中から床へと倒れ込むわたしに向かって、ミリィがとっさに手を伸ばす。
 しかし、そこは小柄な少女の細腕。
 例え森の中での生活で鍛えられていたとしても、自分より背丈も体重もある相手を支えて踏み止まるには、あまりに力が足りていなかった。
「あ……」
 結果、逆に引き寄せられた少女の身体は、すっぽりとわたしの腕の中に納まることになった。
「…………」
 布越しに伝わる鼓動。お互いの体温が触れた箇所から混ざり合い、ほんの少しだけわたしと彼女の境界をあいまいなものへと変えていた。
 いけない。何か言わないと雰囲気に流されてしまいそうだ。
 そう思って口を開こうにも、胸元からこちらを見上げてくるミリィと目が合った途端、凍り付いたように喉から言葉が出なくなってしまってはどうしようもなかった。
「ねぇ、ユリエル。あたし、何か変なんだ。ユリエルのこと考えると、身体が熱くなっちゃって……」
「そう。でも、少なくても今熱いのは、わたしのせいじゃないわよね」
「あはは、やっぱりばれちゃってたか」
「いけない娘ね。人が弱ってるところに、エッチなお薬を飲ませて快楽漬けにしようだなんて。そんなにわたしが欲しいの?」
「うん、欲しい」
 即答だった。しかも、まっすぐにこちらの目を見ながらそう言うものだから、思わず薬の効果とは関係なく頬に熱が集まるのを感じてしまった。
「良いわ。あなたには手当てしてもらったし、これからお世話になるにしても代価は必要だもの。でも、その前に……」
 自分の上に乗った少女の背中に両腕を回して抱きしめながら、わたしは彼女の耳元にそっと囁いた。
「ん……」
 小さく首を傾げて、吐息するミリィの唇に吸い寄せられるように、まずは優しいキスから始める。
 驚きに見開かれた少女の瞳に浮かぶのは、歓喜。
 まるで待ち侘びた恋人との逢瀬のように、彼女は積極的にキスを返してこようとする。
「……続きはベッドでしましょうか」
 唇を離してからそう言って立ち上がると、わたしはミリィを抱き上げて彼女の寝室へと向かう。
 立ち上がった拍子に背中から何枚か羽根が抜け落ちたみたいだけど、まあ、後で片付ければ良いだろう。
 今はただ、この腕の中の愛しいお姫様と蜜月の時を……。

  堕天使ユリエルの異世界奮闘記
  第3章 少女遊戯

 ――気がつけばもう夕方だった……。
 窓から差し込む陽光を受けて黄金色に輝く少女の髪を指で梳きながら、わたしは事後の心地良い疲労感に身を委ねる。
 思えばずいぶんと夢中で愛してしまったものだ。
 戦いの中で身に付けたリジェネレイト、動きながら体力を回復するという技術を最大限に活用した結果、先に力尽きてしまったミリィは、今はわたしの腕の中で規則正しく寝息を立てている。
 まったく無防備にあどけない表情を曝すその様子は、わたしの知る限りでは年相応の女の子のものだった。
 ――可愛い……。
 ぴったりと寄り添って眠る少女の愛らしさに、思わずだらしなく頬を緩めてしまう。
 寝顔は誰でも天使だと言うけれど、ミリィのそれはわたしなんかより余程素敵だ。
 ミリィのこんな顔を見られただけでも、少ない体力をやり繰りして頑張った甲斐があったというものである。
「……ん……」
 微かに呻き声を漏らしながら、ミリィが小さく身動ぎする。
 その様子に少女の目覚めが近いことを見て取ったわたしは、彼女を起こさないように身を起こすと、そっと寝室を後にした。
 起きるまで隣にいてあげようかとも思ったけれど、先程までの行為の激しさを鑑みるに、失った体力を回復するには暖かな食事が必要になるだろう。
 わたしは先に述べたようにリジェネレイトしながらだったし、性的な交わりによってミリィから魔力を補充することが出来た分、寧ろ回復している。
 このまま毎日同じことを繰り返せば、案外早く魔力を回復させられるかもしれないわね。
 尤も、そうした場合、ミリィが中毒になりかねないけれど。
 ――閑話休題……。
 まあ、そんなわけで、その日の夕食はわたしが作ることにした。
 魔法で動いているらしい冷蔵庫の中にはわたしの世界にあったような食材もちらほらと見受けられたので、それらを使って手早く仕上げてしまうことにする。
 事後の後始末にも使った水の精霊魔法、リフレシュアミストの清めの光を部分的に発動させて手を洗浄すると、まずは献立を考えながらの食材選別。
 メニューは鶏肉と野菜のスープに、きのこと海草のサラダ。メインディッシュは、川魚のムニエルだ。
 さすがに白米はなかったので、主食は生地の状態で寝かされていたパンを適当に丸めてオーブンで焼くことにした。
 それにしても、厨房にオーブンや冷蔵庫を見つけた時には驚いた。
 しかも、わたしの世界では金属製だった部分が石や木で出来ていたり、機械的な配線の代わりに魔法陣や魔術式が組み込まれているなどの相違点はあるものの、それらの基本的な使用方法についてはほとんど同じだったのだ。
 いや、使用者の魔力を消費して稼動する分、災害等による影響を受けない点でこちらのほうが優れているとさえ言える。
 魔力に反応して組み込まれた陣や術式が作動するので、使用者が魔法使いである必要すらない。
 消費する魔力も、魔法を行使するのに比べれば微々たるものなので、消耗した状態の今のわたしにも楽に使えるのが嬉しかった。
「あれ、何でユリエルがうちの厨房で料理してるの?」
 わたしが上機嫌で料理をしていると、匂いに釣られてか、ミリィが起き出してきた。眠たそうに目を擦りながらこちらを見てくる様子は、子供っぽくて何だか可愛い。
「もう夕飯の時間でしょ。でも、ミリィがあんまり気持ち良さそうに寝てるものだから、起こすのも悪いと思って」
 そう言ってくすくすと笑うわたしに、ミリィは顔を真っ赤にして叫んだ。
「だ、誰のせいだと思ってるんだよ」
「わたしのせいね。だから、このご飯はそのお詫び。分かったら、ほら、いつまでもそんな格好してないで、風邪を引いちゃうわよ」
「あ、う、うん……」
 わたしに言われて自分がまだ裸のままだったことに気づいたミリィは、赤い顔を更に赤くすると、慌てて寝室のほうに戻っていった。

 ――さて、世界が違えば文化も違う。
 だから、わたしの作ったものがミリィの嗜好に合うかは正直、不安だったのだけど、驚きと賞賛を以ってそれらを評する彼女の表情は終始笑顔だった。
 うん、満足だ。
「それにしても、よく作れたね。コンロとか、ユリエルの世界にもあるものだった?」
 食後のお茶、今度は普通のを飲みながら感心したようにそう聞いてくるミリィに、わたしもカップを傾けつつ答える。
「ええ、似たようなものが多くて驚いたわ。おかげで、軽く解析魔法を掛けるだけで普通に使えたし、これなら食事を当番制にしても大丈夫そうね」
「へぇ、そうなんだ。って言うか、料理当番とか、別に気にしなくても良いのに」
「あら、ただで置いてもらうつもりなんて毛頭ないわよ。これでも家では家事全般を任されてたんだから、寧ろ何もしないでなんていられないわ」
 戦争を始める前の生活を懐かしく思いながらそう言うわたしに、ミリィは心底意外そうな顔をする。
「でも、ユリエルって天使の中じゃトップだったんでしょ。そういうのって、侍女とかに任せたりするものじゃないの?」
「仕事が忙しい時だけはね。そもそも、魂が目覚める前は普通の女の子だったんだもの」
「そっか」
「安心した?」
「うん、何だかぐっと距離が近くなった気がするよ」
 そう言ってわたしに摺り寄ってくるミリィは、本当に嬉しそうに笑っている。
「最初から遠慮なんてしてなかったくせに。そもそも、そういうことを気にするくらいなら、初対面の相手を媚薬で手篭めにしようとしたりなんてしないでよ」
「うっ、あ、あれはほら、乙女の嗜みって言うか」
「何処の世界にそんなことを嗜む乙女がいるって言うのよ。冗談じゃ済まないから、他の人にはしちゃダメよ」
 甘えてくるミリィの目を覗き込みながらそう言って窘めるわたしに、彼女は意外にも素直に頷いた。
「あら、意外と素直なのね」
「だ、だって、あんなふうにされたのって、あたし初めてだったんだもん。もう他の子となんて寝られないよ」
「そ、そう……」
 面と向かってそんなことを言われたものだから、わたしもつい思い出してしまった。
 薬の勢いがあったとはいえ、数時間にも及ぶ交わりは、十代半ばの少女が体験するには聊か刺激的過ぎたように思わなくもない。
 というか、やり過ぎだ。
「責任、取ってよね」
 赤い顔でそう言うミリィに、わたしはただただ頷くばかりだった。

 軽くじゃれ合いながらのティータイムも終わり、わたしは食器を片付けるために席を立った。
 ミリィは暗くなる前にと今朝に干した洗濯物を取り込みに掛かっている。
 窓の向こうから無造作に室内へと放り込まれる衣服の中には、わたしがこの世界に落ちた時に着ていたものもあり、洗い物を終えたわたしは、何気なく取り込まれた洗濯物の山の中からそれを発掘して、驚いた。
 激しい戦闘の中で、ほとんど襤褸切れのようになっていた服が、まるで新品のように糸の解れ一つ無くなっていたのだ。
 復元魔法を使ったのだとしても、ここまで来れば完全に神秘の領域だ。
 わたしが自分の服を手に呆然としていると、最後の洗濯物を取り込み終えたらしいミリィが部屋に上がってきて説明してくれた。
 何でもこの世界には、ラナルータと呼ばれる昼と夜を逆転させる魔法があるらしいのだけど、その正体は術者を含む対象を十二時間過去か未来に飛ばす時間移動の魔法なのだとか。
 ミリィはその魔法の応用で、ボロボロになったわたしの服の時間だけをきれいだった頃まで戻したのだという。
 それを聞いたわたしは驚愕に目を見開き、実際に目の前で実演されるに至っては、しばらく開いた口が塞がらなかった。
「あなた、実は高名な大魔法使いだったりする?」
「ううん。あたしはただのしがない盗賊だよ」
 賢者を目指してた時期はあったけどね。
 そう言って手の中に納まっていたカップの時間を中身があった頃まで遡らせると、ミリィはそれを一気に飲み干して洗い終わった直後まで戻して見せた。
 その様子を目の当たりにしても、わたしはまだ彼女のしたことが信じられない思いだった。
 わたしの世界でも魔法による時間移動の理論は完成していたのだけど、それを実証して見せた人物はわたしの知る限り、一人もいなかった。
 まだすべてを見たわけではないし、標準的なレベルがどの程度のものかは分からないけれど、もしかすると、この世界の魔法はわたしの知っているものより遥かに高度なものなのかもしれない。
「ねぇ、ミリィ。その魔法、わたしにも覚えられるかしら」
 気づけばそう尋ねていた。わたしの大魔力を以ってすれば、十二時間と言わず戦争を始める前まで遡ることも不可能ではないだろう。そう思ってのことだったのだけど。
「……やっぱり、帰りたいんだね」
 ハッとした。だけど、わたしに問われたミリィは寂しそうにそう漏らしながらも軽く首を横に振ると、それに答えてくれた。
「多分、覚えること自体は出来ると思うよ。こっちじゃほとんど失伝しちゃってるけど、ユリエルの魔法で解析出来るなら大丈夫じゃないかな。……ただ」
 そこで一度言葉を切ると、ミリィは僅かに躊躇うような素振りを見せながら話を続けた。
「さっきも言ったけど、ラナルータは基本的に時間移動の魔法なんだ。だから、対象を別の場所の過去や未来に送ることは出来ないよ」
「そうよね。さすがに時間移動と空間移動を同時に行えるわけないわよね」
「期待させちゃってごめん」
「いいのよ。わたしこそ、責任取るって言った側から不安にさせるようなこと言って、悪かったわ」
 申し訳なさそうにそう言うミリィに、わたしも謝罪で返す。正直、浅はかだった。
「そうだ。ユリエル、ゲームをしようよ」
「ゲーム?」
「そ。ユリエルはこれから自分の世界に帰るための方法を探すんでしょ。なら、あたしはユリエルがどうするにも絶対あたしから離れられないようにしてあげる」
 自己嫌悪に陥ったわたしを慰めようとしてくれているのだろう。明るい調子のミリィのその言葉に、わたしは思わず俯き加減になっていた顔を上げた。
「タイムリミットはユリエルが帰る方法を見つけるか、諦めるまで。負けたら勝ったほうの言うことを何でも一つだけ利くってことで、どうかな」
「それは、何とも魅力的な話ね」
「でしょ。ね、やろうよ」
 そう言って朗らかに笑って見せる少女の顔はとても眩しくて、わたしは目を細めると黙ってそれに頷いた。
 互いを貪るように求め合った交わりの中で、本当は人恋しかったのだと吐露した彼女。
 だけど、芯には確かなものを持っていて……。
「あたし、負けないからね」
 その後は順番にお風呂に入って、その日は何事もなく就寝となった。
 勢いに乗って早速仕掛けてくるかと思ったけれど、さすがの彼女にもそこまでの余裕はなかったようだ。
 ただ、ミリィの明日は食料の調達に行くからという言葉に、密かに胸を高鳴らせたのはわたしだけの秘密である。

   * * * 続く * * *



  〜〜〜 オリジナル呪文解説 〜〜〜
 ・名称:リフレシュアミスト
 ・消費MP:2
 ・属性:水・光
 ・範囲:指定・小
 ・主な使用者:ユリエル
 ・解説:水と光の属性を持つ治癒系統の精霊魔法。
  本来は毒や病気を浄化する魔法で、術者の指定した範囲内に存在するあらゆるものに対して有効。ユリエルはこの特性を利用してシャワーを浴びられない時等に身体を清めるのに使っている。
  〜〜〜 * * * * * 〜〜〜



 リメイク版第3章、いかがだったでしょうか。
 作者です。
 今回は独自設定の一発目、ラナルータについてです。
 ルーラ、リレミトでの瞬間移動、ザオラル、ザオリクによる死者蘇生も可能なドラクエ世界ですが、さすがに昼夜逆転を個人が行うのは難しいのではないかと考えました。
 昼と夜を逆転させるということは、周囲の時間を巻き戻すか進ませる。または、地球の自転を加速させるということになるわけで、さすがにそんな大魔法を人間が一人で使えるわけないだろうと思ったのです。
 それならまだ限定範囲内の時間だけを操作するほうが無理がないのではないかと、本作のラナルータを範囲指定型の時間移動とした次第です。
 同じ消費MP20のザオリクと比較しても、奇跡の度合い的に同じくらいだと作者は思うのですが、いかがでしょうか。



実は俺もラナルータを使えるんだ。
美姫 「へー、どういう事かしら」
うん。土曜の夜に眠って気が付くと日曜の昼になっているんだ。実に十二時間以上も時間が経っていた!
美姫 「うん、そんな事だろうと思ったわ。さて、今の所はまだのんびりと過ごしているようね」
だな。もうこのまま森で二人で暮らしていくエンドを迎えるというパターンもあるかも。
美姫 「さてさて、どうなるかしらね」
次回も待っています。



▲頂きものの部屋へ

▲SSのトップへ



▲Home          ▲戻る