――ラダトーム王国西部 港町ガイリア
   冒険者協会ラダトーム支部・ルイーダの店ガイリア支店1F 食堂兼酒場――
  * * * side ミリィ * * *

「あの、ありがとうございました。わたし、男の人って苦手で、特にああいう人たちだとどうして良いか分からなくて」
 ユリエルに連れてこられた女の子は席に着いているあたしたちを見ると、そう言ってぺこりと頭を下げた。育ちの良さを伺わせる、礼儀正しい良い娘だ。
 きっと、酒場なんて場所に来るのも初めてで、心細かったんだろうね。笑うと可愛いだろうその顔も今は恐怖と緊張に強張っちゃってる。
 ロイの奴、女の子にこんな顔させるなんて、今度会ったらとっちめてやるんだから。
「とりあえず、その杖でぶん殴るか、攻撃呪文の一つでもお見舞いしてやれば良いと思うよ」
「えっ、でも、これ理力の杖ですよ。それに、わたしの魔力で放つと下級呪文でも大惨事になりかねませんし……」
「あはは、そりゃ良いや」
 きょとんとした顔で自分の持っていた杖を示す女の子に、あたしはテーブルを叩いて笑い声を上げる。使用者の魔力を打撃力に変換する理力の杖はそこらの重量武器よりもよっぽど強力だ。
 そんなもので殴れば確かに冗談じゃ済まないだろうし、それを武器として選択している彼女も並の術者じゃないはずだ。それこそ下級呪文で大惨事という本人の言葉にも嘘はないんだろう。
 だからこそ、引き起こされるだろうあいつらの惨状を思うと笑えてしまうんだ。
「まあ、さすがに実力行使は最後の手段だろうけどね。基本、荒事は起こした側が罰せられるから、本当に身の危険を感じた時以外はこっちから手を出しちゃダメだよ」
 笑いを納めて少し真剣な顔でそう言ったあたしに、女の子は神妙な表情で頷いた。さすがに協会の支部で荒事は拙いでしょ。
 見た感じじゃ大人しそうな娘だし、追い詰められてパニックにでもならない限り、そんな凶行に及ぶこともないだろうけど。
 さて、彼女も良い感じに落ち着いてきたみたいだし、ユリエルがここからどうするのかお手並み拝見といこうか。
「本当に助かりました。このお礼はいつか必ず」
 そう言って、女の子は足早に立ち去ろうとするけれど、ユリエルはそれに気づかない振りをして言葉を返す。その手はまだしっかりと彼女の腕を握っていた。
「気にしなくて良いのよ。だって、わたしたちもあなたを狙ってたんだもの」
「えっ?」
 妖艶な笑みを浮かべて投下されたユリエルの爆弾に、女の子の表情がぴしりと音を立てて固まった。
「ちょっと、マスター。冗談にしてはタチが悪いわよ」
「あら、わたしは割りと本気よ。だって、こんなに可愛いんだもの。見逃すなんてもったいないじゃない」
「いやいや、恋人を前に堂々と浮気とかダメすぎるから。ほら、ミリィ、あんたも何とか言いなさいよ!」
 さも当然だとばかりに肩を竦めるユリエルに、リータが焦ったようにそう言ってあたしを見た。まあ、確かに浮気はダメだよ。浮気は。
「ユリエルの言う通りだよ。それに、同じ女として、傷心の女の子を優しくベッドの上で慰めてあげるのは何もおかしくないんだから」
「その手段が問題だって言ってるのよ。ほら、あんたも早く行きなさい。でないと、この二人にあんなことやこんなことされちゃうわよ」
「は、はぁ、あんなことやこんなことですか?」
 立ち去ろうとしていたのを見て早く行くように促すリータだけど、それに対する女の子の反応は鈍かった。いきなり逃げろって言われても、どうすれば良いか分からないんだろう。
「そうね。例えば、こんなこととか」
 よく分かっていないのか、きょとんとした様子で首を傾げる彼女の腰に手を回しながら、その耳元に囁くユリエル。擽るような吐息に、女の子の顔がかぁっと赤くなった。
「あ、あのあの、えっと、わ、わたしはそういうのはちょっと……」
「大丈夫。ユリエルは激しいけど、ちゃんと気持ちよくなれるようにしてくれるから」
「ええ。だから、力を抜いて、全部委ねてしまいなさい」
 あわあわと逃げ出そうとする女の子の頤に指を掛けて上向かせ、視線が視線を絡め取る。こうなると、あたしでもユリエルからは逃げられないんだよね。そうして今正に乙女の唇が奪われようとした瞬間だった。
「いい加減にしなさい!」
 リータの怒声と共に、辺りにスパンという渇いた音が響き渡った。
 彼女が手にしているのは、赤く燃え盛るスリッパ。炎属性の魔力で構成されているらしいそれを、リータは自分の主の頭目掛けて勢いよく振り下ろしたのだ。
 そんなもので突っ込みを受けたユリエルは、頭から煙を立ち昇らせながら少々恨みがましい視線をリータへと向けている。
「切れの良い突っ込みをありがとう。でも、出来れば普通に、素手の手刀あたりでやってほしかったわ」
「自業自得よ。幾らその娘の恐怖心を和らげるためとはいえ、乙女の唇を無許可で奪おうとするなんて」
「もしかして、妬いているの?」
 憤慨するリータに、ユリエルがニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる。その表情にはあたしも見覚えがあって、思わず遠い目をしてしまった。
「まさか、あたしにとってのそういう対象はシルフだけよ……って、何言わせるのよ!?」
「そう。そうよね。あなたはシルフちゃん一筋だものね」
 ほら、とっさに反応するからこうなるんだ。リータは純情だから、特にこの手の話題でからかわれるのは分かってるだろうに。
 分霊たちの中じゃノームお姉さんとはまた別の方向でお姉さん的立ち位置のリータだけど、さすがに生みの親には叶わないみたいだ。
 そのあたりも見越して、わざとからかっているように見えるのは、あたしの深読みしすぎかな。
「ああもう、こうなるのが分かってたから飲ませたくなかったのに」
「なに言ってるの。わたしはまだまだ全然酔ってなんかいないわよ。ほら、あなたもそんなところで立ってないで、座りなさい」
「は、はぁ……」
 頭を抱えるリータに構わずそう言うと、ユリエルは呆然と立ち尽くしている女の子を自分の隣に座らせる。少し強引過ぎる気がしないでもないけど、多分今はそれが正解だ。
 その証拠に、女の子の顔からさっきまでの恐怖は消えていた。
 代わりにあるのは困惑。妖しい雰囲気から一転して酒場らしい混沌とした喧騒に戻ったわけだけど、不慣れな様子の彼女はそれについていけずに混乱しているみたいだ。
 怖い思いをしたのなら、とりあえずそのことを意識しないで済むようにすれば良い。混乱させてっていうのは、ちょっと荒っぽい気がしないでもないけど。
 それにしても、ここまでの流れを含めてアイコンタクトだけで通じ合えたのは正直、嬉しかったな。それだけお互いを理解し合えているってことだもん。
 女の子を口説くユリエルの姿が妙に手馴れているように見えるのが少し気になるけど、関係を持つのはあたしが初めてだって言ってくれたし、信じよう。
 ――それに、これくらいのじゃれ合いなら、あたしも何度か経験あるわけだし……。

「それじゃあ、君も試験を受けに来たんだ」
 新しい果実酒の瓶を空けながら、あたしは件の少女にそう尋ねる。エリスと名乗った彼女は、自分のことをダーマ神殿で修行をしている賢者見習いだと言った。
「はい。修行の最終段階として、冒険者資格を取得するようにお師匠様に言われたもので」
「エリスはあたしより一個下なんだよね。すごいな、その年で賢者だなんて」
「いえ、まだ見習いですし、それに、わたしはきっと試験には合格出来ないでしょうから……」
 あたしが感心と羨望の混じった視線を向けながらそう言うと、エリスは小さく頭を振って俯いてしまった。
 あ、あれ、あたし何かまずいこと言っちゃったかな。そう思ってユリエルのほうを見るけれど、彼女も首を横に振るばかりだ。
 そのうちに酔いも手伝ってか、彼女はポツリポツリと話し出す。自分がある名家の出身であること。賢者には家名を継ぐためにならなければならないこと。才能を期待され、それを重荷に感じていること。
 きっと、不安だったんだ。不安で不安で、でも、それを誰かに打ち明けることも出来なくて、こうしてお酒の席で初対面のあたしたちに吐き出している。
 やっと成人したばかりだもんね。社会的な責任は別にしても、何かを背負わされるには未熟すぎるよ。
 決壊したようにポロポロと涙をこぼすエリスをユリエルが抱きしめ、あたしは頭を撫でる。
 同情されたと怒るかもしれないけど、だからって、目の前で泣いている女の子を放っておくなんて出来なかったから。

  * * * side out * * *

  堕天使ユリエルの異世界奮闘記
  第14章 呼び方

 ――翌朝も目覚めは爽快だった。
 リータちゃんに言ったように、寝る前にリフレシュアミストの魔法で体内のアルコールをすべて浄化したからだ。この魔法のおかげでどんな酒豪に付き合わされても翌日二日酔いになる心配は無くなった。
 ただ、今朝は隣にミリィがいないのが少し寂しかった。こちらの世界に来てからほぼ毎日一緒に寝ていたから、いつの間にかそれが当たり前のようになっていたのだろう。
 嘆息。身支度を整えてリビングに行くと、酔い潰れて眠ってしまったらしいミリィとエリスの二人が折り重なるようにソファに寄り掛かっていた。
 女の子の泣き顔を衆目に曝すのも酷だろうということで、昨夜はあの後こちらに場所を移して飲み直すことにしたのだった。
 一度本音を暴露してしまったからか、一頻り泣いた後のエリスは饒舌だった。
 普段何をしているのかから始まって、自分なりに賢者を目指した動機など、まるで親しい友人にでも接するかのように実にいろいろなことを話してくれた。
 わたしはさすがに初飲酒ということで先に休ませてもらったけれど、二人はあの後も随分飲んだのだろう。
 室内に充満する酒気に顔を顰めつつ、まずはそれを追い出すために窓を開ける。新鮮な空気を取り込み、降り注ぐ陽射しに向かって大きく伸びをした。
 早朝の空気は魔法でリフレッシュするのとはまた違う爽やかさを感じられるから好きだ。
 ――さあ、今日も一日頑張ろう。
 窓に背を向けて室内を見渡せば結構な惨状だ。床には空き瓶が何本も転がっているし、テーブルの上もビーフジャーキーや大王裂きイカの袋が無造作に放り出されている。
 住人が酔い潰れた翌朝の風景としてはごくありふれたものではあるのだろうけれど、それを片付けるのが一番大人しくしていた人間というのはどうにも理不尽な気がする。
 まあ、それも昨夜の段階で半ば予想出来たことではあった。
 分霊たちを呼び出して昨夜の宴会の後始末と朝食の支度を手伝ってもらう。
 それに若干一名、風の子が文句を言ってきたけれど、皆彼女がわたしが寝た後にこっそり顕現して飲んでいたのは知っているのだ。
 わたしがそれとなくそのあたりを指摘すると、シルフちゃんは慌てて自分に割り当てられた作業に取り掛かった。
「まったく、ああいうところはいつまで経っても子供なんだから」
「でも、そこがシルフさんの魅力でもありますし、いけないと思ったらあなたがフォローしてあげれば良いじゃありませんか」
「分かってるわよ。ほら、あたしたちもさっさと片付けちゃいましょ」
 呆れたように嘆息するリータちゃんに、ノームお姉さんからのフォローが入る。家族皆のことを一歩下がって見ているお姉さんらしい言葉だ。
 しかし、一向に進展しない二人の関係にやきもきしているのは彼女も同じらしく、いつものにこにことした笑顔の中に少々からかうような色を混ぜている。
 それに気づいたリータちゃんは、こちらも逃げるようにそう言って片づけを始めてしまう。赤面しながらも否定しないあたり、彼女も自覚はあるのだろう。
 ゴミを片付け、食器を下げて、空いたテーブルの上を布巾で拭く。地と風と炎の三人がそれらの作業をしている間に、わたしとディーネちゃんで簡単に食べられるものを作ってしまう。
 そうこうしているうちに、喧騒に気づいたらしいエリスがミリィの下から這い出してきた。
「ふあぁ……。おふぁようごさいますぅ……」
 眠そうに目を擦りながら呂律の回らない挨拶をしてくる彼女に、わたしは思わず笑みをこぼす。
 天界の妹たちの中にも多く見られたそんな姿に、懐かしくも微笑ましいものを感じたのだろう。
 気づけばつい、あの頃のようなお姉さん口調でエリスに挨拶を返してしまっていた。
「おはよう。もうすぐ朝ご飯だから、先に顔を洗ってらっしゃい」
「はい、お姉さま」
「えっ?」
「あ、い、いえ、何となくそうお呼びするのが自然な気がして……」
「そう」
 他意はない。エリスは顔を赤くしながら慌ててそう言うけれど、その時点で既に説得力などあるはずもなかった。
 まあ、わたしはわたしで、それに気のない返事をするのがやっとだったのだけど。お姉さまか。
 そう呼ばれるのはいつ以来だろうか。わたしを姉と慕うシルフちゃんですら、わたしのことはエル姉と呼ぶのだ。
「あの、ダメでしたでしょうか。よろしければ、これからもそうお呼びしたいんですが」
「ダメだよ」
「ミリィ」
 いつの間に起きたのか、不安そうに聞いてくるエリスに対して即答したのはわたしではなくミリィだった。
「ユリエルはあたしのなんだから。妹になりたいんなら、まずはあたしに認めさせないとね」
 そう言って笑うミリィに、エリスはハッとしたように顔を上げた。彼女の言葉を呑み込むにつれて、曇りかけていたその表情にも笑みが浮かぶ。
「はい、わたし頑張ります。お義姉様」
「うなっ、だ、だから、まだ早いってば!?」
「うふふ、ごめんなさい」
 不意の一撃に赤面しながら叫ぶミリィ。エリスはそれに悪戯っぽくぺろりと舌を出して謝ると、洗面台のほうに消えていった。
「ありがとう。助かったわ」
「良いよ。いろいろあるのって、あたしやあの娘も同じなわけだし。でも、いつか話してくれると嬉しいかな」
「ええ、そのうちにね」
「そう言って、いつまでもはぐらかすのは嫌だよ」
「そんなことしないわ。その代わり、ミリィのこともちゃんと聞かせてちょうだいね」
 笑ってそう言うわたしに、ミリィも微笑を添えて頷いてくれた。人に歴史ありじゃないけれど、それなりの事情や過去を抱えるのは生きていれば当たり前のことだ。
 記憶を記録として蓄積しているわたしは言うに及ばず、冒険者なんてものが職業として成り立つ時代に生きるミリィやアルちゃん、エリスにも。
 それを他の誰かに話すも話さないも個人の責任であり、自由だ。
 ただ、愛する人への誠意と信頼の証として求められたのであれば、わたしは出来る限りそれに応えたいと思う。
 ――わたしがわたしとして生きていくためにも、きっとそれは必要なことだから……。
「ところでミリィ、一つ聞きたいんだけど」
「何?」
「どうしてエリスの服はあんなに乱れていたのかしら」
 本人は気づいていなかったようだけど、エリスの着衣はソファに寝ていたという事を差し引いても少々乱れすぎていたのだ。
 特に胸元などは大きく肌蹴ていて、下着に包まれた豊満なバスとが覗けてしまっていた。乱れた着衣に、寝汗に光る肌……。
 そういえば、服を着たままというのはまだしたことがなかったわね。
「ユリエルが何を考えているか大体分かるけど、そういうのはなかったからね」
「本当に? 後ろから抱き付いて手を入れたり、あの大きくて柔らかそうなおっぱいを下着の上から弄んだりしたんじゃないの」
「してません! 大体、おっぱいならユリエルのを触らせてもらえば良いんだし、わざわざエリスに手を出す必要もないでしょ」
 そう言ってわたしの胸へと伸ばしてきたミリィの手に、それもそうかと納得したところで捕まった。そのまま、やわやわと揉みしだかれる。
 ミリィいわく、瑞々しい弾力と程好い柔らかさを兼ね備えたFカップの双丘は、彼女の手から送り込まれる刺激をむず痒いような、もどかしい快感としてわたしに伝えてきて……。
 思わず自分から胸を押し付けそうになったわたしは慌ててその手を振り払うと、逃げるように朝食の支度を再開した。
「自分から聞いてきたくせに。でも、確かに着たまま、ってのはなかったね」
「何を考えてるの?」
「ユリエルとの初着衣エッチの衣装は何が良いかなって。昨日買ったレオタードは外せないとして、他には何かあったかな」
 そう言われて少し想像してみる。まず思い浮かんだのは、背中に翼の生えたレオタードを着たわたしに押し倒されるミリィの姿だった。
 うん、シュールだ。ボンデージ風な黒い悪魔の衣装ならまだしも、背中にあるのが天使の純白の翼では場にそぐわないだろう。
 ならばと逆に、ミリィが件のレオタードを着てわたしに押し倒される図を想像してみるけれど、こちらも何となくイマイチだ。
「ミリィは天使よりも妖精って感じだものね」
「何か言った?」
「いいえ。衣装選びも良いけど、まずはあなたも身支度を整えないと。寝癖立ってるわよ」
「嘘!?」
「本当よ。ほら、直してあげるからこっちにいらっしゃい」
 指摘されて慌てるミリィを座らせ、わたしはリフレシュアミストの魔法を掛けた手櫛で彼女の髪を梳いていく。
 きれいな金髪。しっとりと濡れ光るその金色は手触りも滑らかで、思わず没頭してしまいそうになる程だった。
 髪に触れられるのが気持ち良いのか、ミリィは目を細めて何処かうっとりとした様子で溜息を漏らしている。
 ――特に言葉を交わすわけでもなく、静かに過ぎていく愛しい人との時間……。
 こういうのも悪くないと思った、ある朝の一コマだった。

  * * * 続く * * *



 新キャラに見習い賢者のエリスを加えての第14章でした。
 作者です。
 今回はナンパ騒動のその後。
 お酒が入ると普段は言えないことも吐き出せるってこと、ありますよね。
 そして、お互いに事情を隠しながらも親密になっていく少女たち。作者の技量では雰囲気を上手く描写出来ているか不安ですが(汗)。



人間関係が複雑に、って程でもないか。
美姫 「ともあれ、新しい子が加わったみたいよね」
賢者のエリス。彼女が出てきた事で、どんな変化が出るのか。
美姫 「次回も待っていますね」
ではでは。



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