Maika Kanonical〜奇跡の翼〜

  第4章 魂、その在り処

   * * * * *

 わたしが気絶させてしまったあゆの生死を確かめていると、たい焼き屋のロゴが入ったエプロンを着けたおじさんがこちらに走り寄ってきたので、そのまま身柄を引き渡そうとしたら、何故か困った顔をされてしまった。

 いや、状況を説明してほしいということなのだろうけれど、面倒だし、あゆだし、食い逃げの現行犯だし、うん、これで良いわよね。

 内心で自分でもよく分からない三段論法を活用して、その処遇の正しさを確認する。そうして再びたい焼き屋のおじさんにあゆを引き渡そうとしたわたしの腕の中で、意識を失っていた彼女が目を覚ました。

「うぐぅ……。はっ、そうだ、たい焼き!」

 例の奇妙な呻き声を漏らしながらそう言って盗品の安否を確かめると、あゆはすぐさま逃走を再開しようとした。けれど、わたしに襟首を掴まれて宙吊り状態になったあゆは、足をばたつかせるばかりで逃げることが出来ない。

「うぐぅ〜、放してぇ!」

 じたばたと暴れるあゆに呆れたように溜息を吐くと、わたしは改めて彼女をたい焼き屋のおじさんへと突き出した。それでそこにたい焼き屋さんがいることに気づいたのか、あゆも観念したように大人しくなる。

「ほら、諦めて盗んだものを返しなさい。ちゃんと返して謝れば、おじさんも許してくれるから。そうですよね」

「あ、いや、そういうわけには……」

「そうですよね」

 言いよどむおじさんへとわたしは再度笑顔で確認する。すると、おじさんは何故か顔を蒼くしてコクコクと頷いてくれた。うん、やっぱり見た目通り、話の分かる人だったみたいね。

 そんなわたしたちのやり取りを傍で見ていたあゆの顔も何故か蒼かったけれど、それはきっと、自分のしたことに罪悪感を覚えて反省していたからに違いない。

 うん、窃盗は罪だけど、それを悔いる心があれば、あゆは大丈夫。後は彼女が改めるために頑張れるよう、その背中を押してあげるだけで良い。

「さあ、それを返しておじさんに謝るのよ。そうすれば、あなたはまだ人の道に戻れるから」

「う、うん……。ごめんなさい」

 蒼い顔のままそう言っておじさんに包みを返すあゆ。だけど、わたしは見てしまった。隠すように後ろへと回されたその手に、一匹のたい焼きが握られているのを。

 わたしは無言で掴んでいた襟から手を放すと、あゆの手からたい焼きを奪い取っておじさんの前に示した。

「あ」

 三人の間に気まずい沈黙が流れる。

 結局、手をつけたということで、せっかく返させた分諸共弁償させられることになってしまった。勿論、食い逃げをするような愚者に持ち合わせがあるはずもなく、その分の代金はわたしが立て替えてあげました。

「言っておきますけど、立て替えただけですからね。それと、二度とこんなことはしないように。今度見つけたら、問答無用で警察に突き出します。良いですね」

 申し訳なさそうにしながらもたい焼きを食べられることに対する喜びを隠し切れない様子のあゆに、わたしは少しきつい調子でそう言ってしっかりと釘を刺しておく。ただでさえ、この手の罪は常習化しやすいのだ。知り合いから犯罪者が出たなんてことにはなりたくない。

「ありがとう。えっと」

「舞歌。一ノ瀬舞歌です」

「僕は月宮あゆ。ごめんなさい、舞歌さん。今日のお金は近いうちに必ず返すから」

 そう言って頭を下げるあゆに、わたしはある提案をした。

「なら、明日も同じ時間、同じたい焼き屋さんの屋台の前で待っていてください。わたしも行きますから」

 それはわたしの目的を果たすための軌跡。こうやって屋台の前にあゆを拘束しておけば、祐一が食い逃げに巻き込まれて彼女と再会するためのフラグを潰すことが出来るかもしれないから。

 何だか意中の男性に他の女を近づかせないようにしているみたいで嫌だな。

 そんなバカな考えを漠然と意識の表層あたりに流しながら、わたしは横目でちらりとあゆを見やる。幸せそうにたい焼きを頬張るその姿からはまるで反省した様子が見られない。

 まあ、あゆだものね。この調子だと、明日にはわたしが刺した釘からするりと抜け出して、同じ過ちを繰り返しているかもしれない。

 祐一の時にはいつの間にか共犯にされていたせいで、あまりきついことは言えなかったけれど、今回はまだ間に合うわけだし、ここはもう少しきちんとお説教しておくべきではないかしら。

 そう思って彼女のほうへと向き直ったわたしは、全く同じタイミングで眼前に突きつけられたたい焼きに、思わず固まってしまった。

「はい、これ」

「……わたしを共犯にするつもりですか?」

「ちゃんとお金を払ったんだから、大丈夫だよ」

「払ったのはわたしですけどね」

「うぐぅ、舞歌さん、意地悪だよ」

 またあの呻き声を漏らしながらそう言うあゆに、わたしは口元を手で覆ってくすくすと笑う。

「それじゃ、わたしは買い物があるのでもう行きますね。それと、そのたい焼き、やっぱりもらいます」

 そう言ってあゆの手からたい焼きを受け取ると、その頭へと齧り付く。皮のサクサクした触感と、上品な餡の甘さが口の中に広がって、わたしは思わず表情を綻ばせた。

「あ、美味しいわ」

「でしょでしょ。良かったらもう一匹食べる?」

「そうね。あなたのおかげでお昼食べ損ねてしまったわけだし」

「うぐぅ、そんなこと言う人にはあげないもんね」

「事実です。そういうわけで、いただきます」

 言うが早いか、わたしはあゆが手にしていた包みから二匹目のたい焼きを掴み取る。一匹目は既にお腹の中だ。

「うぐぅ、舞歌さんって、意外に食い意地張ってるんだね」

「あなたに言われたくはありません」

「うぐぅ」

 結局、六匹あったたい焼きをあゆと仲良く半分ずつ消化したわたしは、程よく膨れたお腹を摩りながら立ち上がると、彼女に別れを告げて歩き出した。向かう先は先ほど入ろうとしていたスーパーだ。

 それにしても、わたしが一緒しなかったらあゆはあのたい焼きを全部一人で平らげるつもりだったのかしら。前に五匹食べてお腹を壊していたから、きっとそうだったんでしょうね。そして、情けない腹痛に泣くことになると。

 違う形で違う人として出会っても、やっぱりあゆはあゆなんだなと思うと何か嬉しくて可笑しかった。

 あゆと別れたわたしはスーパーで買い物を済ませ、その後はまっすぐに水瀬家へと戻った。とりあえず、今日のところはこれ以上出来ることもない。

 それにしてもあゆと会えたことは僥倖だった。少なくともこれで、明日の再会イベントは阻止出来そうだ。しかし、同時に浮上した新たな問題もある。それもやっぱりあゆのことだった。

 自分の部屋へと戻り、届いていた荷物の整理をしながらわたしは思考を巡らせる。記憶を取り戻したばかりの頃は混乱しているだけだと思っていたけれど、時間が経って段々落ち着いてくるにつれて、わたしは彼女の存在の不自然さに気づいてしまった。

 この七年、何もしていないわけじゃなかった。記憶喪失という設定を最大限に利用して、あの事故のこともこの町のことも調べられるだけ調べたつもりだ。

 当然、あゆの入院した病院も突き止めたし、家族にばれないようにこっそり電話して様態を確かめもした。結果はとても芳しいものではなかったけれど。

 そして今日、午前中に行った病院で聞いた話だと、彼女はあれからずっと眠ったままだという。でも、それが本当なら、今日わたしが出会ったあゆは何なのだろう。

 他人の空似なんてレベルじゃない。包みを抱えて幸せそうにたい焼きを頬張るその姿は、わたしの、相沢祐一だった頃の記憶の中の月宮あゆそのものだった。

 あまり考えたくはないけれど、もしかしたらあゆはもう長くないのかもしれない。死期が迫った人間が生霊となってその未練を断ち切ろうとするのは、実はそう珍しいことではなかった。

 わたしも友人の退魔師を手伝って何度かそういう生霊を祓ったことがある。もし、あのあゆがそういう類の存在だったとすれば、あの奇妙な気配にも説明が付かないこともないのだけれど……。

 思考に囚われたまま夜を過ごし、いつの間にか眠ってしまったわたしは、不意に傍らに人の温もりを感じて目を覚ました。

 目の前には見覚えのありすぎる男の顔。ふむ、どうやら夜中に一度トイレに行った際、戻る部屋を間違えたようね。

 以前は祐一として二ヶ月近くも暮らしていた水瀬家だけに、無意識のうちにかつての自分の部屋へと足が向いたとしても何ら不思議ではない。それにしても……。

 気持ち良さそうに眠る祐一の頬を、軽く右手の人差し指で突付いてみる。この頃のわたしって、こんな顔して寝てたんだ。

 記憶の夢のせいで、あまり熟睡出来なかった気がするのだけど、目の前の彼はとてもそうは見えない。もしかして、わたしが側にいるからかしら。

 ぐっすりと眠る祐一は、わたしの身体をしっかりと両手で抱きしめて離さない。女の子としては悲鳴の一つも上げないといけない状況なんだろうけれど、祐一はわたしの半身、弟のようなものだ。だから、こんなふうにされていても別に嫌ではなかった。

 寧ろ、こうして温もりを感じることで、どちらもちゃんと存在していると分かって、ホッとした。

 祐一を起こさないように気をつけながら、わたしも彼の身体へと腕を回す。こんなことをしているところを名雪にでも見つかろうものなら、それはもう愉快な、もとい大変なことになるでしょうね。

 祐一も驚くに違いない。でも、まあ、良いわよね。言い訳ならいくらでも出来るし、今はもう少しこのまま安堵感に浸っていたい。

 わたしの中の舞が珍しく慌てた様子で何かいろいろ言ってきているけれど、わたしはあえてそれらを全部無視すると、もう一度眠るために目を閉じた。

 程無く訪れた柔らかな眠りの中で、わたしはぼんやりと思考を巡らせる。

 同じ寮に住んでいる友人の退魔師の話では、わたしの魂は普通の人の半分もないのだという。おかげで一つの身体に二つの魂と三つの心が同居していられるのだけど、専門家にしてみればそれは本来あり得ない事態だということで、わたしに相談された彼女はしばらくの間、一族全部を巻き込んで大騒ぎすることになってしまった。

 おそらくはわたしという特異な存在を世界が許容しきれなかったのだろう。それで、今のこの形を保つために、過剰な分が削られた。そんなSFチックな仮説も、既にわたし自身がこの有様では決して笑い飛ばせるものではなかった。

 余談だけど、朝になって目を覚ました祐一はほぼわたしの予想通りの展開を引き起こしてくれた。いや、かつての自分ながら、期待を裏切らない良いキャラクターだ。

 閑話休題。

 歴史は繰り返す。いえ、何のことかというと、それは今の現状に対するわたしの感想である。

 やっちまった的な状況に祐一が驚いて悲鳴を上げたことで、いつもならクロックアラームの大合唱を受けても起きない名雪が飛び起きてきて、これで初日から早朝マラソンをせずに済むと安堵したのも束の間、今度は誤解した彼女を宥めるのに時間を取られてしまい、結局走ることになっている。

 ああ、世の中というのは、何と不条理なのかしら。

 ……まあ、半分以上はわたしのせいでもあるのだけど。

 とにかくそんなわけで、わたしたち三人は朝から学校に向かって走っていた。最初は三人ともほぼ並走していたのだけれど、気がつけば何故か先頭からわたし、名雪、祐一の順になっている。

 名雪は祐一に合わせているようだけど、それでも徐々に遅れ始めている祐一は男としてかなり情けなく見える。ちなみに、わたしは出掛けに名雪が言った100メートルを7秒で走れば間に合うという言葉を信じて実践中だ。

 春先に出会った少年剣士と一緒にロードワークをやっていたおかげで、今のわたしはこの年齢の女性としては規格外の体力を有している。例え世界記録保持者だろうとこのわたしの足には及ばないわ。

「いや、それ、あり得ないだろ」

 余裕の表情を浮かべるわたしに、息を切らせながらも律儀に突っ込んでくれる祐一。

「だって、こうしないと間に合わないって名雪さんが言ったでしょ。初日から遅刻したくはありませんからね」

「いや、冗談だったんだけど……」

 わたしの言葉に名雪がそう言って冷や汗を浮かべる。まあ、陸上部の部長としては、こんな非常識な速さを目の前で見せ付けられるといろいろ思うところもあるんでしょうね。

「何が冗談だったの?」

 わたしたちが主に祐一が息を整えるのを待っていると、名雪の言葉に一人の女子生徒が反応を示した。

「あ、香里。おはよう」

「おはよう名雪。今日は意外と早いのね」

 声を掛けられた名雪はそう言って挨拶し、香里もそれに軽く答える。美坂香里。名雪のクラスメイトで親友。そして、美坂栞の姉でもある、クールで理知的な印象を受ける少女。

「じゃあ、わたしは先に職員室に行ってますから」

 名雪の注意が逸れた隙にそう言って皆に背を向けると、わたしは早口にそう言って昇降口へと向かった。あまり追求されても面倒だし、香里は鋭いから何か気づかれるかもしれない。

「あの人は?うちの制服じゃないから転校生かしら」

「うん、似たようなものだよ」

 そんな会話を背後に聞きながら、昇降口で靴を履き替えて校舎内へと入る。後になって気づいたのだけど、初めて来たはずのわたしが職員室の場所を知っているのって可笑しくないかしら。

 既に目の前に来た職員室のドアをノックしながらそんなことを思ってみたところで、後の祭りだということは分かっている。わたしって時々抜けているって言われるけれど、こういうことがあるから否定し切れないのよね。

「……失礼します」

 内心で溜息を吐きつつ、ドアを開けて中へと入る。数人の教師に挨拶し、それからわたしは編入先のクラスの担任に連れられてその教室へと向かった。

 さて、どんな自己紹介をしようかしら。

 先に教室へと入っていった担任教師の背中を見送りながら、わたしは頤に右手の人差し指を当てて考える。祐一の時は香里に後で普通の自己紹介だったとつまらなそうに言われたので、今回は何か奇抜なことを言ってみようか。

 ……止めておこう。

 聖祥付属に転入した際にはそれでえらい目に遇ったことだし、ただでさえ片付けなければならない事が多くなりそうなこれからを鑑みるに、一時の道楽のために面倒を増やすのは得策ではない。

 担任の先生に呼ばれたわたしは、そう決めて教室へと入ったのだけど……。

「今日から二月末まで姉妹校との交換生徒として皆と一緒に勉強することになった一ノ瀬舞歌さんだ。皆、仲良くするように」

 そう言って受け持ちの生徒たちにわたしを紹介するのは、このクラスの担任である早坂幸恵先生だ。

 剣道部の顧問も務めるという彼女は全体的に凛とした雰囲気の持ち主で、その立ち振る舞いから中々の実力者であることが伺える。

 年齢は二十代半ばくらいに見えるのだけど、秋子さんのような例もあるので本当のところは分からなかった。

 早坂先生に促されて簡単に自己紹介を済ませたわたしは、予め用意されていた席へと向かった。そこは窓際の前から二番目の席で、わたしが席に着くと早速隣の席の女子生徒が声を掛けてくる。

 この時期に転校生……とは、少し違うかしら。まあ、受け入れる側にとっては似たようなものでしょうね。何にしても、珍しいことに変りはない。

 彼女もそんな珍しいわたしに好奇心を覚えて話し掛けてきたのでしょう。後は隣の席になったからこれからよろしくといったところかしら。

 わたしにとって高校生活はこれが二度目になるのだけれど、だからといって疎かにするつもりはない。もちろん、目的を優先しはするけれど、可能な限り楽しむつもりでもいた。

 これはそんな生活のための第一歩。隣同士なら、いろいろ話をすることも多くなるでしょうし、仲良くしておくにこしたことはないわ。

 そう思って彼女へと向き直ったわたしはその顔を見て、思わず小さく声を漏らしてしまった。

   * * * つづく * * *





あゆと祐一の再会を無くすみたいだな。
美姫 「みたいね。上手くいくかしら」
うーん、クラスは何処なのか。
また、声を漏らした理由とは。
美姫 「気になる所よね」
ああ。どうなるのか、楽しみだ。
美姫 「次回も楽しみにしてますね」
待っています。



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