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一見普通の洋服にしか見えない物も、裏地に霊力を通した糸で刺繍をするだけで、ちょっとした退魔礼装になる。今わたしが着ているものもそんな退魔礼装の一つで、神咲の礼装を参考にわたし自身の力を織り込んで作ったオリジナル礼装だ。
その効果は主に力の増幅と循環効率の改善というもので、これによってわたしは力の消費をかなり抑えることが出来る。
それに加えて洋服の上から雷に討たれて死んだと言われる霊獣の毛皮で仕立てたコートを羽織り、腰には力で編み上げたものではない本物の退魔剣を携えた完全武装。
それら装備のすべてを確認した上で、改めて見据える視線の先にあるのは、明りの消えた花音高校の校舎だ。
わたしがここに通うようになってから今日で五日、ついにこの日が来たのだ。
――舞、待ってなさい。今度こそ、あなたを止めてみせるから。
決意を胸に、わたしは夜の花音高校へと侵入した。
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Maika Kanonical〜奇跡の翼〜
第8章 この世ならざる場所
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――同日午前。
佐由理さんとアドレスを交換していると、わたしの携帯に祐一からメールが届いた。その内容は財布を忘れたので、昼食の代金を立て替えてほしいというもので、わたしは呆れながらも了承の旨を伝えるメールを返信する。
佐由理さんに内容を聞かれたので、無難に友達からお昼のお誘いとだけ答えておいた。さすがに、そのまま伝えるのは情けないと思ったからだ。
それにしても、どうしてわたしなのかしら。名雪もいるのだし、お金の貸借なら彼女のほうが気兼ねせずに済みそうなものを。
まあ、そうした場合、後でいちごサンデーって言われるんでしょうけれど。
「済みません。助かります」
適当なテーブルに向かい合って座りながら、そう言って頭を下げる祐一に、わたしは気にしなくて良いと軽く手を振ってみせる。実際、退魔業で稼いでいるわたしにとって、学食の一食くらいどうということはない。
「良いですよ。それより、名雪さんやクラスの人たちと一緒じゃなくて良かったんですか?」
「いや、まあ、あいつらに知られると後々面倒そうだし、それに……」
「それに?」
「その、偶には舞歌さんと一緒にお昼も良いかなって」
視線を逸らしつつポリポリと人差し指で頬を掻きながらそう言う祐一に、まさかそんなことを言われるとは思ってもみなかったわたしは思わず目を丸くして驚いてしまった。だけど、それも一瞬のこと。
「ありがとう。でも、そう言うのなら、今度はちゃんとエスコートしてくださいね」
「あ、ああ……」
気づけば作り物ではない笑顔を浮かべてそんなことを言っていた。そんなわたしの態度に、祐一は何故か敗北感の漂う溜息を吐いて肩を落とす。
「舞歌さんって何ていうか、時々すごく大人だよな。俺と一つしか年は違わないはずなのに」
「老成しているって言いたいんですか?」
「いや、とんでもない」
無謀にも女性に対して年齢に関する話題を持ち出す祐一に、わたしは軽く目を細めて彼を見る。まあ、言いたい事は分からないでもないけれど、出来れば触れてほしくない話であることに変わりはない。
「まあ、いろいろありましたから。出来れば聞かないでいただけると助かります」
わたしから圧力を受けて冷や汗を浮かべる祐一に、わたしは憂いを含んだ溜息を漏らして見せると、何事も無かったかのように今日の昼食である特盛牛丼へと箸を伸ばす。
「食べないんですか?」
「え、あ、いや」
「わたしの奢りです。遠慮せずにどうぞ」
呆気に取られた様子の祐一にそう言って微笑みかけると、彼は何故か顔を赤くして慌てたように箸を取る。間抜けなところを見られて恥ずかしかったのかしらね。
――朴念仁……。
――まあ、舞歌だしね。
中の二人が何か言っているけど、わたしには何のことだか分からない。まあ、分からないからそんなことを言われるのだろうけれど、これに関しては半ば諦めているので、とりあえず聞き流しておくことにする。
「そういえば、今日学校に栞が来てましたよ」
「栞ちゃんが?」
「ええ、何でも人に会いに来たとかで、俺が行った時にはもう用は済んでたみたいですぐに帰りましたけど」
箸を動かしながら思い出したようにそう言う祐一に、わたしは少し驚いたように箸を止める。もちろん、これは演技だ。
「あの子ったらまた勝手に出歩いて。そんなんじゃ、治るものも治らなくなってしまいます」
「まったくです」
「祐一、あなたもですよ。授業中に抜け出して何処へ行っていたのかと思えば、女の子と会っていただなんて」
「あ、いや、それは……」
「問答無用です。テストもあるんでしょ。あなたは転校してきたばかりなんですから、ちゃんと授業を受けていないと大変なことになりますよ」
慌てて言い訳をしようとする祐一をにっこり笑顔で封殺する。わたしとお昼を一緒したのは名雪あたりにそのことを追求されるのを避けるためでもあったのだろう。
しかし、真面目に勉強しないと冗談では無く本当に成績が大変なことになる。祐一はやれば出来るのだし、わたしの時のように舞や佐由理さんと同じ大学を目指すのなら今からやっておいて損はないはずだ。
まあ、とりあえずはこれを期に、少しは自重してくれるようになると良いのだけれど。
――同日早朝。
こちらに来てからは二度目となるその日の鍛錬で、わたしは予てより試行錯誤を繰り返していた我流式神術の行使に成功していた。
手にするのは、わたしオリジナルの術式が書き込まれた手製の呪符。
神咲神明流の呪符を用いた霊力行使を参考に、式神を構成する霊核を基点として力を練り上げる。
この力、世界に対する意志力の固定化なんて無茶苦茶な代物なだけに燃費も悪く、迂闊に使うとこちらの生命力まで枯渇して死んでしまうという欠陥を抱えている。
これを改善するため、わたしが目を着けたのが陰陽師が用いる式紙で、その術式の特性からこれを核に固定化を行えば、必要な意志力を抑えられるのではないかと考えたのだ。
結果は大成功。核を与えたことで、わたしの力はより安定した形で発現するようになり、燃費もそれまでの三分の一以下に抑えられるようになった。
これにわたし自身の霊力と気の力、外界から取り込んだ気を合わせる合気術を併用すれば、戦闘でもほとんど生命力を消費することなく力を行使することが出来るようになるだろう。
ただ、式神使いとしてのわたしは駆け出しも良いところだし、合気術にしたってやっと扱えるといった程度なので、これらを実戦で使えるようにするには、まだまだ鍛錬を積まなければいけないだろうけれど。
――そして、夜。
わたしはこの世界のまいちゃんに会うために、祐一よりも一足先に学校へと来ていた。
早いといっても既に外は暗く、校内にもほとんど人の気配は無い。残っているのは当直の先生くらいだろうか。
非常灯の明りが照らす廊下に響くわたしの足音は案外高く、硬質な音が一定感覚で夜の澄んだ空気を震わせる。
その空気に不意に混ざるものがあった。それはまるで相容れないもの同志が誤って接触してしまったかのような違和感。
空気が質量を持ったかのようにねっとりと肌に絡みつき、全身から嫌な汗が噴き出す。この感覚には覚えがある。
そして、見定めた視線の先で陽炎のように立ち昇る気配が一つ。それはわたしの姿を捉えると、肉食獣のような俊敏な動きで襲い掛かってきた。
――魔物。
舞がそう呼び、そうあるように概念を与えた彼女自身の力の具現がそこにいた。
姿なんて見えないはずのそれの突進を、わたしは余裕を持って回避し、お返しとばかりに腰の鞘から抜き放った退魔剣を一閃させる。
剣を通して返ってくるのは微かな手ごたえ。与えた傷はおそらく浅いけれど、わたしがそれを倒すには十分だった。
傷を受けてよろめく魔物へと一瞬で近づき、その存在の内側へと剣から離した右手を突き入れる。
――今はまだ、あるべき場所へと還り得ないあなたに、この身を束の間の居場所として提供しましょう。さあ、わたしの声を聞いて……。
目を閉じて深く呼び掛けると、魔物はそれに応えるようにゆっくりと力に戻っていく。それを右手を中心に集束させ、自分の内側へと取り込むと、わたしは大きく一つ息を吐いた。
キャパシティに余裕があるとは言え、さすがにきついわね。
合気術の基本に人体が消耗した気を補うメカニズムを意識的に行うというものがある。今わたしがやったのはその応用で、まず、わたしの中にある力の位置をずらし、そこに出来た空間が再び力を満たそうとする働きを外界に向けることで、先に還元した力を効率良く取り込むことが出来るのだ。
慣れるまでは内側から圧迫されるような感覚を受けるし、自身の許容限界を超えると本当に破裂してしまうので、分からないうちは迂闊に使うことも出来ないのだけれど、まあ、後魔物の4、五匹くらいは大丈夫だろう。
何度か襲ってきた魔物を還元、吸収しながら進んでいたわたしは、不意に聞こえたガラスの砕ける音に足を止めた。場所は二階の廊下、ここからも一番近い階段を上ってすぐのあたりだ。
さて、今すぐに向かっても良いのだけれど、そうすると祐一と鉢合わせてしまう可能性が高い。こちらの舞にもわたしのことを知られるだろうし、そうなると少し動き辛くなるかもしれないわね。
今までに舞が倒した魔物の数がどれだけなのかは分からないけれど、少なくとも舞本体に影響が出るほどではなかったのだろう。その証拠に、前の時は翌日も普通に登校してきていた。
――とりあえず、これ以上生徒会の目が彼女に向かないよう現場の後始末だけしておくことにしましょうか。
必要以上に干渉すると、この先の流れが分からなくなるし、舞本人にこの状態をある程度自覚してもらわないといけない以上、そうなるのは望ましくない。
そう決めると、わたしは薫からもらった隠蔽結界を作る呪符を右の手首に巻いて発動させた。効果は認識阻害、これを受けた相手は例え目の前に誰かがいてもそれに気づくことが難しくなるのだ。
まあ、意志の強い人や耐性のある人にはほとんど聞かないのだけれど、祐一は一般人だし、舞も退魔に関しては剣の腕が達だけの素人なので、ごまかすのはそう難しくないだろう。
階段を上り、祐一へと飛び掛ろうとした魔物の胴を剣の側面で叩いて逸らす。ちらりと見れば、祐一は何が起こったのかまるで理解していない様子だった。
もちろん、わたしの存在にも気づいていない。そのことに安堵しつつ、そのまま二人の横を通り過ぎようとしたわたしに、舞が剣を振り下ろしてきた。
わたしは鞘へと戻しかけていた剣をそのままに、身体を90度回転させて舞の剣を受け止めると、そのままの体勢で彼女と目を合わせた。
舞は自分の攻撃が止められたことに若干の驚きを見せたものの、すぐに剣を引いて次の攻撃を放ってくる。わたしはそれを鞘で受け流すと、右の手のひらを舞いに向けて力を放った。
――神気解放。
唇だけを動かし、自身の内包する霊力を高める呪文を唱える。
そして、起こす神秘は光。目が眩むほどの光を一瞬だけ放ち、舞がそれに驚いている隙に、一気にその場から離脱する。
「……わたしは、魔物を討つものだから」
駆け抜けた一瞬、舞のそんな呟きが聞こえたような気がした。
* * * つづく * * *
舞の登場〜。
美姫 「いよいよね」
ああ。今度こそは。
美姫 「さてさて、どうなるかしら」
次回もお待ちしてます。
美姫 「待ってますね〜」