* * * * *
「それにしても……」
 カップをテーブルの上に戻し、香里はすっと目を細めてわたしを見る。あ、何か嫌な予感。
「随分と女の子らしくなったじゃない。昔は喋り方も何処か男の子みたいだったのに」
「そ、そうかしら」
「ええ。立ち振る舞いや仕草なんかもとっても女の子してるわよ。それこそ同一人物とは思えないくらいに」
「そ、そこまで言いますか」
 ニヤリ、と口元を歪ませる香里に、わたしの頬を冷や汗が流れる。彼女が何を言いたいのか、わたしには良く分からない。
「本当、可愛くなっちゃって。まあ、それはそれで楽しめそうだから良いんだけどね」
「楽しむって何をですか?」
「いろいろよ。うふふ、本当に楽しみね。まあ、せっかくまた会えたんだし、これからも仲良くしましょ。……ねぇ、相沢君」
 そう言って意地悪く笑う香里に、わたしは肩を竦めて溜息を漏らす。香里はこの世界で唯一、わたしが“俺”だったことを知っている人物だ。そして、彼女自身、逆行者でもある。
 七年前に出会った時は、本当に驚いた。異分子故の独特な違和感とでも言うのか、とにかくそういうものが彼女にもあったのだ。
「香里、今のわたしは一ノ瀬舞歌ですよ。それ以上でも、それ以下でもありません」
「みたいね」
 窘めるようなわたしのその言葉に、今度は香里が肩を竦める。だけど、これだけははっきりさせておかないといけない。わたしはわたしで、この世界の相沢祐一は別にいるのだから。
「それで、どう?昔の自分を見て、いろいろ思うところがあるんじゃないかしら」
「そうですね……」
「ちょっと待った」
 頤に人差し指を当てて考え出すわたしに、香里が待ったを掛けた。
「わたしに敬語使うの、止めてくれない。前はため口だったんだし、同じところから来たもの同士、他人行儀なのは嫌なのよ」
「でも、わたしはこれが普通なんですけど」
「栞には、普通にタメで喋ってたじゃない。大体、似合わないわよ」
「ぬっ、そういう香里こそ、今はわたしのほうが年上なんですからね。敬いなさい」
「言ったでしょ。前と同じにしたいのよ。それとも、相沢君……舞歌さんは、わたしと友達じゃ嫌なの?」
 そう言って涙を滲ませながら上目遣いに見上げてくる香里に、わたしは思わず息を詰まらせる。栞のことで相談された時に見て、知ってはいたけれど、普段クールな彼女のこういう表情は実に破壊力抜群だ。
「わ、わかりました。……いえ、分かったわ。これで良いかしら」
「ええ」
 わたしが話し方を直すと、途端に笑顔になる香里。こいつ、図ったな。
「それで。同じ屋根の下で生活してるんでしょ。何か変わったこととかないの」
 そして、すぐさま追求を再会する。香里って、こんなキャラだったかしら。
「そうね……。何度かお風呂上りに遭遇したり、部屋を間違えたりしたくらいかしら」
「うわっ、なんてベタな」
 少し振り返ってみてそう答えるわたしに、香里が何とも言えない表情になる。まあ、漫画やアニメじゃよくあるシーンだとはわたしも思う。
「で、その後はどうなったの?」
「わたしは特にどうも。祐一は過去の自分とは思えない初々しい反応を返してくれたけど」
「へぇ」
「何?」
「別に。それで、他には何かある?」
 意味深な笑みを浮かべてそう言う香里はわたしの追及を軽くかわすと、逆に話を促してきた。むっ、何だか面白くないわ。
「後、今日デートに誘われました」
「……はい?」
「だから、わたしが、祐一に、デートに、誘われたのよ」
 間抜けな声を上げて聞き返す香里に、わたしは一言一句強調しながらもう一度繰り返す。何故だろう。ただそうして事実を口にしただけなのに、顔に熱が集まるのを感じた。
 失敗した。
 驚かせるつもりで言ったのだけど、改めて言葉にすると、何だか無性に恥ずかしくなってしまった。
「……それ、本当なの?」
「ええ……」
 恐る恐る聞き返してくる香里に、わたしは苦笑しながら頷くと、事の顛末を説明した。
「はぁ、何やってるのよ」
「本当、自分でもそう思います。ほんのおふざけのつもりだったんですけど」
「舞歌さん、口調が元に戻ってるわよ」
「あ」
「もう、しょうがないわね。こうなったら、わたしが一肌脱いであげるわ」
 本当に呆れたというふうに溜息を吐くと、香里はお盆を手に立ち上がった。手早くティーセットを片付け、出掛ける用意を整える。
「ほら、舞歌さんも準備して。暗くならないうちに移動したいから」
 私服の上からコートを羽織りながらそう言う香里に、わたしも慌てて自分のコートへと袖を通す。
「移動するって、何処に?」
「あなたの部屋よ」
「わたしの部屋って、まだ引っ越してきて何日も経ってないから来ても何もないわよ」
「だからよ。舞歌さん、あなた、明日のこと何か考えてる?」
 そう言われて首を傾げるわたしに、香里は立ち止まるとまた呆れたように溜息を吐いた。
「そんなことだろうと思ったわ。どうせ、デートなんてしたことないんでしょ」
「わ、悪かったわね」
 何だかバカにされたような気がして、わたしは思わず唇を尖らせながらそう言って、そっぽを向く。いえ、そんなことをしても、前を歩く香里には見えないから、意味は無いのだけれど。
「いいわ。明日のデートで舞歌さんが女として恥ずかしくないように、わたしがきっちりコーディネートしてあげる」
「……はい?」
 いきなりの香里のその提案、いえ、爆弾発現に、わたしは思わず先の彼女以上に素っ頓狂な声を上げて目を見開いた。
   * * * * *
  Maika Kanonical〜奇跡の翼〜
  第11章 もう一人の逆行者
   * * * * *
 と、いうわけで、やってきましたわたしの部屋。前に言ったような理由からそれなりに整理してはいるけれど、こちらに来てからずっとわたしの目的のために動いていたので、持ってきた少しの私物以外には秋子さんが用意してくれた家具があるくらいだ。
「へぇ、意外とちゃんと片付けてるのね」
「まさか、男の部屋みたいに雑なのを想像してたんじゃないでしょうね」
 ざっと部屋の中を見回してそんなことを言う香里に、わたしは白い目を向ける。
「いや、そんなことはないけど、普通に女の子の部屋だったのにはちょっと驚いたわね」
「今の保護者がそういうのに煩くて。それに、ある程度ちゃんとしないと物理的に大変なのよ。ほら、女の子って何かと物がいるじゃない」
「まあね」
 わたしの言葉に軽く頷き、香里はベッドに腰掛ける。床には絨毯も敷いてあるのだけれど、クッションなどは無いのでそこが妥当だろう。
 香里は改めてわたしの部屋を見回すと、隅のクローゼットに目を留めた。そこに入っているのはもちろんわたしの服。コートから下着まで、身に着けるものは一通り揃えてある。
「まずは服からね」
 彼女は立ち上がってクローゼットの前まで行くと、振り返ってわたしを見た。
「開けても良いかしら」
「別に構わないけれど、本当にやるの?」
「舞歌さんが一人でちゃんと出来るって言うんなら止めておくけど」
 また意地悪な笑みを浮かべてそう言う香里に、わたしは少し考えるような素振りを見せると一つ頷いた。
「そうね。それじゃ、お願いしようかしら」
 今までは義母や妹に選んでもらっていたけど、偶には違う人の意見を聞くのも悪くないと思った。香里はセンス良さそうだし、そのあたりの心配もいらないだろう。
 わたしの返事を聞くと、香里は嬉々としてクローゼットの扉を開けた。まるでその奥に未知の宝物でもあるかのように、その目はキラキラと輝いている。
 こんな楽しそうな香里の表情を“俺”は見たことがなかった。きっとあの頃は栞のこともあって、心から何かを楽しむなんて、彼女には出来なかったのだろう。
 本当は少し不器用だけど普通の女の子なのに。それがあんなふうに感情を殺して、大好きな妹を拒絶し続けなければ自分を保つことが出来なくなる程、追い詰められていた。
 それが今はこんなふうに笑えている。そのベクトルがわたしに向いているのは、聊か気になるところではあるけれど、少なくとも作り物の笑顔よりはずっと良いはずだ。
「へぇ、意外とセンス良いじゃない。あ、でも、デザインは大人しいのばっかなのね。舞歌さんなら、可愛い系も似合いそうなのに」
 クローゼットの中を物色しながら早速そんなことを言ってくる香里に、わたしは苦笑するしかない。義母や妹にも同じことを言われ、更にはそういう系統の服を何度か着せられたこともあったので、彼女の意見にも客観的には頷けてしまうのだ。
「さすがにフリルのたくさん付いている服とかは勘弁して。恥ずかしいから」
 着替えるために適当に服を取りながら、わたしはその時のことを思い出して疲れたように溜息を漏らす。香里は似合いそうなのに、と文句を言うけれど、冗談ではない。似合っているように見えるのはあくまで客観的にであって、着せられる当人としては、これほど恥ずかしいものも無いのだ。
「ちょ、何いきなり服脱ぎ出してるのよ!?」
 衣擦れの音に気づいて、振り返った香里が慌ててわたしの手を掴んで止める。
「何って、いつまでも制服のままでいるわけにもいかないでしょ。皺になると大変だし」
「だ、だからって、女の子が無闇に人前で服を脱いだりするもんじゃないわよ」
「香里だって、家に来る前に着替えてたじゃない。わたしの目の前で」
「うっ、それは……」
 赤くなって視線を逸らす香里に、わたしはお返しとばかりに意地の悪い笑みを浮かべると、わざと下着姿になって彼女の前に立った。
「な、ななな、何やってるのよっ!?」
「何を焦ってるのよ。女同士なんだから、これくらい何でもないでしょ。それとも、香里って、もしかして、そっちの気があるの?」
「そ、そんなことあるわけないでしょ。もう、からかわないでよ」
 そう言って軽くわたしを睨む香里に、わたしは形ばかりの謝罪を口にして、着替えを再開する。香里には悪いけど、わたしも人をからかうのは割と好きだから。だって、楽しいんだもの。
「舞歌さん、反省してないでしょ。顔に書いてあるわよ」
「えーっと、そうだ。そろそろ秋子さんが夕飯の支度を始める時間だわ。わたし、手伝ってこないと」
「あ、こら、逃げるな!」
 脱いだ制服をハンガーに掛けると、わたしはそれ以上追求される前に部屋を出る。逃げ込んだキッチンでは既に秋子さんが料理を始めていて、わたしは急いで手を洗ってエプロンを着けると、彼女の隣に立って指示を仰いだ。
「料理、出来ないんじゃなかったの?」
 サラダ用の野菜を切っていると、香里が後ろからそう聞いてくる。声に多少不機嫌そうな色が混じっているのは、まあ、仕方ないだろう。
「いつの話をしてるのよ。あれから七年も経ってるんだから、わたしだって、料理の一つくらい覚えるわ」
 あの頃でも簡単なことくらいは出来たしねと付け加えながら、切った野菜をレタスの載った皿の上に並べていく。そう、“俺”だって簡単な料理くらいは出来たのだ。
 両親が共働きで、帰りが遅い時には自炊もした。こちらに来てからは秋子さんが作ってくれたし、名雪もいたので、自分の未熟な腕を振るう機会は無かったけれど。
 出来ないと言ったのは、まあ、つまらない男の意地みたいなものだ。男が料理するなんて格好悪いだなどという、前時代的な考えに囚われていたわけである。
 ちなみに、今日のメインはカレーライスなので、わたしが手伝うことはあまり多くない。寧ろ秋子さんの手際なら、横にいるだけ却って邪魔になるかもしれないくらいだ。
 まあ、仮にそうだとしても秋子さんはそんなこと言わないし、わたしも役に立てないと分かった時は自分から身を引くことにしているので、これに関してはトラブルらしいトラブルは起きていない。
「ただいま!」
 香里には先に座っててもらって、粗方の準備も終わった頃、祐一と真琴が帰宅した。
 真琴が拾ってきた猫を飼う許可を求め、秋子さんがそれに一秒で了承するのを聞きながらわたしが思うのは名雪のこと。
 香里も同じなのか、許可を出した秋子さんに戸惑ったような表情を浮かべている。そう、名雪は猫アレルギーなのだ。
 まあ、前回は不思議と症状が出なかったし、今回も大丈夫なのかもしれないけれど、そのことを知るはずもない秋子さんが何故許可を出したのかは、永遠の謎である。
 ――閑話休題。
 寒さで弱っていたらしい猫を介抱してやり、調子の悪いという真琴を先に休ませてから、少し遅めの夕食となった。
 香里は今日、泊まっていくという。何でも栞の検査入院、と言っても明日の昼には帰れるそうだが、に付き添って母親も病院に泊まるため、今日は帰っても一人なのだとか。
 泊まっていくように薦めたのは名雪で、許可を求められた秋子さんもやっぱりというか、一秒で了承した。いえ、聡明な人だというのは分かっているのだけれど、この一秒了承を見ると、時々ちゃんと考えているのか不安になる。
 その日の夜、いろいろと、特に明日のデートのこととかが、気になって眠れないでいたわたしの耳にドアをノックする音が聞こえた。
「どうぞ」
 ベッドの上にうつ伏せた状態のまま、廊下にいる誰かへとそう声を投げる。そんな自分に、大分この部屋にも慣れてきたなと思っていると、ドアノブを回して一人の少女が中に入ってきた。
 枕を手に伺うような視線をわたしへと向けてくるのは、パジャマ姿の真琴だ。わたしはちらりと視線を彼女に向けると、布団をめくってそこに入るよう促す。
 わたしという存在のせいか、彼女はわたしが知っている程、積極的に祐一にちょっかいを出してはいなかった。時折こちらに戸惑ったような視線を向けてくることから、彼女自身、どうすれば良いのか分からないのだろう。
 そんな真琴に、わたしは最初の日の夜に言った。
 ――寂しくなったり、訳も分からず悲しくなったりした時にはわたしのところに来なさい。一緒にいてあげるくらいしか出来ないけれど、一人でいるよりは良いはずだから。
 なるべく優しい調子でそう言ったわたしに、真琴はやっぱり不思議そうな顔をしていたけれど、それから何度か今日のように夜になるとわたしの部屋を訪ねてきてくれていた。
 了承を得て、真琴は素早くわたしの隣に潜り込む。枕の下に隠すように彼女が持っていた少女漫画は、わたしも見覚えのあるものだ。
「調子はどう?」
「眠れないの」
「そう、じゃあ、この前の続き、読んであげましょうか」
「うん」
 わたしの言葉に、真琴は嬉しそうに頷いて持ってきた漫画を差し出す。わたしはそれを受け取ると、スタンドの位置を調節してページをめくった。
 こういうとき、わたしは多くを聞かない。真琴も自分の気持ちを上手く言葉に出来ないけれど、その胸に抱えている想いは何となく気配で察することが出来たから。
 だから、わたしはただ、真琴が眠るまで彼女の持ってきた漫画を読んで聞かせるだけ。未来を知っているとはいえ、傷ついた少女の心を癒すのは簡単なことではなかった。
 それでも、出会って間もないわたしに、こうして少しでも心を開こうとしてくれている彼女のことを愛しく思う。助けてあげたいと。
 凍てついてしまった人の心を溶かせるのは、やっぱり人の心の、それ以上の暖かさなのだということを、わたしはさざなみで教えられた。あの暖かな人たちと同じように、わたしにも真琴を癒してあげられれば良いのだけれど……。

   * * * つづく * * *





香里もまた逆行者だったのか。
美姫 「その上で舞歌と出会っていたのね」
香里はどうして逆行したんだろう。
美姫 「その辺りが明かされる事はあるのかしらね」
真琴の方はかなり舞歌と打ち解けたかな。
美姫 「今回は救えると良いわね」
うんうん。次回も楽しみにしてます。
美姫 「待ってますね〜」



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