「その前に、一つ確かめさせてくれ」
「……何をですか?」
 祐一の口調が親しい同輩に対するものに変ったのを受けて、わたしも僅かに緊張を和らげる。しかし、次に彼の口から出た言葉を聞いた瞬間、わたしは一瞬にして硬直してしまった。
「舞歌さん。あなたは、俺なのか?」
 単刀直入、とは、正にこのことだ。しかし、一体、どのような経緯を経て、わたしにそんな質問をしてきたのだろう。
「言っていることの意味がよく分からないんですけど」
 とりあえず、相手の出方を見るためにとぼけてみる。これで祐一が素直に喋ってくれればよし、冷静さを欠いた反応を返されたとしても、そこから情報を得ることは出来るので、こちらはそれに合わせた対処法を選択すれば良い。
「まあ、そうだよな。普通、あんたは俺か、なんて聞かれたら、こっちがどうかしてると思うのが普通だろう。オーケイ、順を追って説明しましょう」
 そう言って祐一は、自分がここに来るまでの経緯を話し出した。
 まず、彼は昨日わたしに言われた通り、あゆの入院している病院へと行ったのだという。その病院では、七年間ずっと昏睡状態だった患者が、意識を取り戻したとかで、ちょっとした騒ぎになっていた。
 祐一はすぐにその患者があゆのことだと気づいて、彼女の病室へと向かった。そこで対面したあゆは、すべてを思い出していて、やっと、本当にまた会えたねと、屈託のない笑顔で彼を迎えてくれたという。
 それに最初は、何と答えれば良いか分からなかった祐一だったが、話しているうちに、いつの間にかいつもの調子に戻って、あゆをからかっていた。そして、気づいたのだ。
 改めて昔話に花を咲かせる自分たち。しかし、その中に、わたしの存在は一片たりとも出てこなかった。出会った最初の日、わたしは以前から祐一のことを知っていたと言ったにも関わらず、彼は取り戻した記憶の中にその姿を思い出すことは出来なかったのだ。
「不審に思った俺は、あなたと幼馴染だっていう香里を問い詰めた。そしたら、話してくれたよ。あなたが平行世界って言うのか、そこの俺で、そこで起きた悲劇を回避させるために、この町に来たことをな!」
「そうですか……」
「否定しないってことは、本当なんだな」
 祐一の目に剣呑な光が宿る。それは隠していたことへの怒りか。それとも、こそこそと動き回られたことに対して腹を立てているのだろうか。
「余計なお世話でしたか?」
「いや。ただ、どうせなら、ちゃんと教えて欲しかった。知っていれば、俺だって……」
「何とか出来たとでも言うつもりですか?」
 祐一の言葉を遮って、わたしは彼に冷たい視線を浴びせる。わたしの苦労も知らないでとか、そういうことを言うつもりはないけれど、あまり身の程を弁えない発現をされるのも不快だったので、つい語調が強くなってしまった。
「昨日も言いましたよね。覚悟のない人には知らないほうが幸せなこともあると。わたしには、あなたに他人の人生を左右する程のことをする覚悟があるようには見えなかった。だから、話さなかった。それだけのことです」
「名雪や秋子さんは家族だし、あゆや真琴のことは俺にも責任があったはずだ。それを、あなたは……」
「そうやって自分の気持ちをごまかしているうちは、あなたに他人の想いを背負う資格はありません」
「ごまかしてなんか」
「なら、正直に言ったらどうです。自分の大切な人たちを失うのが嫌で、そうなるかも知れなかった時に、自分は何も知らず、何も出来なかった。それが悔しくて堪らないんでしょう」
 わたしの指摘に、祐一は思わず言葉に詰まる。同じ自分だからこそ、相手の心情が手に取るように分かってしまうのだ。
「お話はそれだけですか? なら、わたしはもう行きます。まだやらなければならないことが残っていますので」
 そう言って、祐一の横を通り抜けようとしたわたしに、彼がポツリと言った。
「……変っちまったんだな」
「七年も経っていますからね」
「俺も、変っちまったのかな」
 俯いて表情を隠す祐一に、わたしは何も答えない。
 そう、きっと何もかもが変らずにはいられない。時の流れの中で、人は沢山のものを失いながら生きているのだろう。
 だけど、それでも、変らないものがあるとすれば、それは、きっと……。
   * * * * *
  Maika Kanonical〜奇跡の翼〜
  第21章 夢の終わりに……
   * * * * *
 舞が、まいちゃんと話をしている。四階突き当たりの教室の扉を潜った先にあるそこは、彼女が十年前に祐一と出会った麦畑だ。
 既に失われたその光景を、まいちゃんが再会の場面に演出したのは、舞にここから歩き出して欲しいという、彼女の願いの現われなのだろう。
 そして、舞もそんな自分の半身の思いをしっかりと受け止めたようだった。
「こちらは無事に終わったみたいですね」
 まいちゃんが舞の中に溶け、同時に麦畑の幻影も薄れていくのを見て、わたしはポツリとそう言った。
「舞歌様、彼はどうしたのですか?」
「香里が、わたしのことを話してしまったみたいで、そのことで、ちょっと」
「そうですか」
 言葉を濁すわたしに、たまもはそれ以上聞いてはこなかった。自分が口を挟むべきではないと思ったのだろう。実際、これはわたしと祐一の問題だ。
 まあ、口出しされたところで、あなたには関係ないから黙っていろだなどと言うつもりは、毛の先程もないのだけれど、今は少し感情を整理する時間が欲しかったので、たまもの配慮は素直にありがたかった。
 ――閑話休題……。
 舞の件に決着が着き、わたしたちが廊下に出ると、そこに祐一の姿はもうなかった。代わりに、彼の持っていた剣が床に突き立てられていて、そこからものすごい瘴気が噴き出している。
 一瞬、あれを間近で浴びて、蒸発してしまったのかとも思ったけれど、それならそれで死の残滓くらいは残っているはずだ。それがないということは、とりあえず彼は無事なのだろう。
 或いは、わたしへの当て付けとして、わざわざあんなものを残して行ったのだろうか。だとしたら、帰ったらおしおきしてやらないといけませんね。
「舞歌、何か怖い……」
 耳に届いたこちらの舞の呟きと、わたしの中の舞の思念がきれいに重なる。
「あの、舞歌様、彼は昔のご自分なわけですし、少々のことは大目に見ては……」
「ええ、ですから、羞恥プレイ一週間くらいで許してあげるつもりですよ」
「…………」
 わたしの返事に、たまもは言葉を失った。というか、彼女的には、これが祐一の意思返しだというのは決定事項なのだろうか。
 まあ、いずれにしても、あんなものを放置しておくわけにもいきませんし、この空間の何処かにいる霊樹の核を破壊するついでに葬ってあげるとしましょうか。
 祐一に対する疑惑を一先ず脇に置いて、わたしはもう一度剣を構える。瘴気を放出し終えた刀は、床から僅かに離れた状態で静止していた。
 そして、刀の傍らに凝縮した瘴気は、一人の少女の姿となって、わたしたちと対峙する。その姿は酷く見慣れたもので……。
「名、雪……」
 擦れた声でその名を呼んだわたしに、少女――名雪は、にぃっ、と唇の端を歪めて哂った。
「ようやく会えたね、祐一。ううん、今は舞歌って名乗ってるんだっけ。まあ、わたしにはどっちでも良いんだけど」
「おまえ、あの名雪なのか!?」
 ハッと我に返ってそう尋ねるわたしに、名雪はからかうようにくすくすと哂う。何、この禍々しい気配。これが本当に、名雪なの。
「ダメだよ、女の子がおまえなんて言っちゃ。でも、そうだね。わたしはあなたの言うところの“あの名雪”だと思うよ。こっちにもわたしはいるし」
「なら、何故あなたがそんなものから出てくるんですか。いえ、それは瘴気を蓄える妖刀です。危ないですから、すぐにそれから離れてください」
「言っていることが支離滅裂だよ。わたしがこれから出てきたってことは、これがわたしの本体なのは分かるでしょ。なのに、それから離れろだなんて」
 可笑しそうに笑う名雪。そんな普段通りの仕草が、逆に恐ろしく感じるのは、彼女の身体が凝縮された瘴気で出来ているからだ。
「舞歌様、あれは、死霊術の一種で、怨念に取り付かれた死霊が、妖刀の力で現世に括られているのです。ですから、攻撃するなら刀のほうを」
「それじゃあ、あの名雪は……」
「そうだよ。わたしはもう死んじゃってる。でも、後悔はしてないんだよ。だって、おかげで、こうしてまたあなたに会えたんだもの」
 狂った笑みを浮かべてそう言う名雪に、わたしは逆に自分の中で彼女に対する感情が冷めていくのを感じた。
「俺は、こんな形で再会したくはなかったけどな……」
 軽く目を閉じ、完全にかつての口調に戻ってそう呟くと、わたしは剣を握る手に“力”を込める。青白く輝きを帯び始めた刀身を見て、名雪の顔から笑みが消えた。
「そう、戦うっていうんだね。そうやって、またわたしを拒絶するんだ。もう、嫌だよ。そんな酷い祐一なんて、死んじゃえ!」
 叫んで傍らの妖刀へと手を伸ばすと、名雪はその切っ先をわたしへと向ける。そこから放たれた瘴気の波動を、たまもの霊気が相殺し、その隙にわたしは一気に彼女の懐へと踏み込んだ。
 攻撃を放った直後の硬直を狙って、下から名雪の刀を跳ね上げる。怨念だろうが妖刀だろうが、それを扱う者がド素人では戦いにすらならない。
 衝撃に耐えられず、すぐに武器を手放したおかげで、名雪本人が受けたダメージは少なかった。寧ろ、わたしにいきなり本気で攻撃されたことによる、精神的なショックのほうが大きいようだ。
「どうして……」
「“俺”がいなくなった後、あなたに何があったのかは知らない。けれど、そんな存在に成り果て、あまつさえ殺気を向けられて、黙っている程、今の“わたし”は甘くはありませんよ」
「全部祐一が悪いんじゃない。祐一が、わたしを拒絶するからっ!」
 再び刀を振るいながらそう叫ぶ名雪。その悲痛な叫びに呼応するかのように、勢いを増した衝撃波がわたしの身体を吹き飛ばす。
「大丈夫ですか?」
「ありがとう。でも、これじゃ、うかつに近づけませんね……」
 飛ばされてきたわたしを受け止めてくれたたまもに、お礼を言って立ち上がると、わたしは改めて名雪を見た。彼女の周囲にはまるで暴風のように吹き荒れる濃密な瘴気。霊的な視界を開くまでもなく、それが彼女の怨念によるものであるのは明らかだ。
 あれを滅するには、神咲一灯流の奥義クラスの技が必要だろうけれど、未だ霊樹の核が健在である以上、今それを使ってしまうわけにはいかない。たまもの最大出力の攻撃も同じ理由で却下。
 そこそこの威力の技で、波状攻撃を繰り返すにしても、時間が掛かり過ぎてしまえば、こちらが息切れしてしまう。もし、相手がこちらの攻撃に耐え切った上で、反撃してきたなら、わたしたちにそれを迎え撃つことは出来ないだろう。
「あまりやりたくはなかったんですけど、こうなったら奥の手を出すしかありませんね。たまも、舞、二人ともよく聞いてください」
 瘴気を解放し続ける名雪を視界に捉えたまま、わたしは二人にそう声を掛ける。これからわたしがやろうとしていることは、ある意味反則だ。それだけに、リスクも大きく、今この場にいる二人にはきちんと話しておかなければならないと思った。
「これから、わたしの中にいる舞を実体化させますから、舞は彼女と二人でしばらく名雪の相手をしていてください」
「時間稼ぎが必要な大技で、一気に決着を着けるおつもりですか? しかし、それでは……」
「ええ、ですから、それも含めて、決着を着けるんです。そのために、たまもにはわたしに憑依してもらいます」
 わたしのその言葉に、たまもは思わず息を呑んだ。
 二人で一つの霊核を共有しているわたしたちだけど、たまもにはちゃんと自分の霊体があるので、彼女がわたしに対して行うのは、本当の憑依ということになる。
 霊核を融合しているので、たまも的には離脱した幽体が肉体に戻るような感覚になるのだろうけれど、こちらからも同調するので、憑依されてもわたしが身体の主導権を奪われることはない。
「わたしとたまもで大技を使って、敵を倒しますから、舞たちには技が完成するまでの時間稼ぎをしてほしいんです」
「……分かった」
 憑依云々の話は、舞には今一つ理解出来ないようだったけれど、わたしがそう言うと、頷いて名雪に向き直った。その隣に寸分違わない姿の舞がもう一人現われる。
 これには名雪も驚いたようで、二人の舞を交互に見比べて、目を白黒させている。
 というか、こちらの舞も驚いている。事情は一通り話していたけれど、やはり実際に目にすると衝撃的なのだろう。しかし、今は戦闘中だ。
 わたしの舞が剣を構えたのを見て、こちらの舞もそれに習って構えを取り直す。そして、呆然としている名雪に向かって、二人の舞が同時に剣を振り下ろした。
「「我流川澄流退魔・斬気閃!」」
 二人の声がきれいに重なり、振り下ろされた剣の軌道に沿って衝撃波が放たれる。名雪はとっさに瘴気を前面に集束させて、それを防ごうとしたけれど、身体が宙に浮いていたのが禍して受けきれず、廊下の突き当たりまで吹き飛ばされた。
「っ、やってくれたね……」
「まだ、我流川澄流退魔、隼気斬!」
「舞歌はやらせない。我流川澄流退魔、三日月!」
 わたしの舞が素早い動きで二度剣を振るって衝撃波を飛ばし、こちらの舞がそれに重なるように三日月型の光刃を打ち出す。しかし、今度は距離があったため、名雪も体勢を立て直すと、すぐさま大出力の衝撃波を放ってこれを相殺してみせた。
「それでおしまいなんだ。じゃあ、今度はこっちから行くよ!」
 そう言って、球状に圧縮した瘴気を乱射する名雪に、舞たちもそれぞれ衝撃波を撃ち返す。しかし、名雪のほうが圧倒的に手数で勝っており、こちらの舞が撃ち漏らした瘴気球を食らって床に転がる。
「っ!?」
「余所見してる場合じゃないと思うけど」
「あ、うっ……」
 転倒したこちらの舞に気を取られている隙に、わたしの舞も連続して三発の直撃を受けて膝を着いた。
「こんなものなの。魔物を討つものと言っても、所詮は人間ってことかな。大したことないじゃない」
 纏わり付く瘴気を刀を軽く振って払いながら、名雪は二人の舞を嘲笑する。その何と醜いことか。本当に、名雪に何があったというのだろう。
「……人間を甘く見ないほうが良い」
 壁に手を着きながら、こちらの舞が立ち上がる。
「あなたも知っているはず。災厄を呼ぶのも人の意思なら、奇跡を起こすのもまた人の意思だということを」
 床に膝を着いたまま、わたしの舞が握った剣に力を込める。二人とも満身創痍になりながらも、その身体から放たれる闘志は少しも衰えてはいなかった。
「だから何だって言うんだよ。わたしの思いは少しも届かなかったんだよ。こんなに苦しいなら、悲しいのなら、……心なんて、いらない!」
 瞬間、名雪の纏っていた瘴気が爆発した。
 壁が、天井が、爆圧に負けて吹き飛び、瓦礫となってわたしたちに降り注ぐ。反射的に飛び出したわたしの舞が、こちらの舞を床へと押し倒し、彼女を降り注ぐ瓦礫から庇おうとしたのが見えた。
 たまもとの同調を終えたばかりのわたしに出来たのは、致命傷になりそうな大きな瓦礫を霊圧で吹き飛ばすくらいのものだった。
   * * *
 暗闇の中を名雪が一人で歩いている。
 ――体は魂で出来ている。
   My body is made from souls.
 その瞳に生気は無く、足取りも何処か覚束ない。
 ――血潮は霊気で、心は鏡。
   As for the blood, as for the mystic atmosphere, the heart, it is a mirror.
 彷徨い歩く彼女がその旨に抱く想いを窺い知ることは、何人たりとも叶わないのだろう。
 ――幾千の時を越えて、一人待つ。
   It is over several thousand time, and one waits.
 何故、こんなことになってしまったのか。名雪自身にもきっと分からないに違いない。
 ――ただ一度の成功も無く、ただ一度の後悔も無い。
   But, without one success, there is not only one regret, too.
 誰が悪かったというわけでもなく、強いて言うのなら、彼女は運が悪かったのだ。
 ――担い手はここに立ち、自らの手で道を切り開く。
   The leading figure stands here and opens up a course by own hand.
   故に、我が生涯に奇跡は不要ず。
   Thus, my life does not need the miracle.
 名雪が足を止めた。
 ――この体は、きっと無限の魂で出来ていた。
   This body was surely made from infinite souls.
 光と闇、夜と朝の境界線を挟んで、わたしは名雪と対峙する。
 名雪は泣いていた。
 すべてが終わってしまった世界の中で、涸れ果てた涙の痕を頬に残しながら、声も無く彼女は泣き続けている。
 虚ろな瞳から読み取れるのは、ただ、どうしてという疑問。それを立ち向かうことをしなかった代償と、切り捨ててしまうことも出来た。
 相手を思いやることもせず、一方的に自分の想いを押し付けようとして、拒絶された。そんな、自業自得の結果に、逆恨みしておいて、今更何がいけなかったのかと振り返ってみたところで、もう遅過ぎる。
 名雪が幼い恋心を抱いた相沢祐一は、もう何処にもいないのだ。
 そして、名雪ももう消える。依り代となっていた妖刀が失われた今、矛盾を嫌う世界の意志は、異なる時間線に属する彼女の存在を、長く許しはしないだろう。
 ただ、気づいてやれなかったわたしも悪いと思うから。
 だから、チャンスをあげます。わたしが世界からもらったように、もう一度道を選ぶチャンスをあなたにも。
 もし、もう一度立ち向かう勇気があるのなら、あなたも辿り着けるでしょう。ここではない、何処かへ……。
   * * *
 世界が変る……。
 闇から光へ。
 夜から朝へ。
 繰り返し続けた悪夢に、
 想いの届かぬ絶望に、
 今、終止符を打とう。
   * * * つづく * * *





いやいや、急展開。まさかの展開ですな。
美姫 「あっちの名雪まで登場するなんてね」
うんうん。驚きでしたよ。
美姫 「そして、物語はいよいよ……」
どうなるのかな。次回も待ってます。
美姫 「待ってますね〜」
ではでは。



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