問題。

1kmって何里でしょう?

 

答え―――分かりません。

 

里というのは距離(長さ)の単位だが、実は時代や場所によって全く異なる。

幸いなことに後漢は始皇帝の統一した度量衡をそのまま使っているので、メートル法に換算して約500mということが分かっている。ありがとう、始皇帝。ついでに儒家を根絶やしにしてくれれば良かったのに。

 

古来から為政者はこの度量衡に悩まされてきた。世の中基準がなければ、物事を決めるのが難しい。

これでは行軍にしても距離が分からない。もっと問題なのは税を課すにしても重さが分からない。

旗揚げしたら安定した政権のためにも度量衡を考えなければならない。

 

何でこんなことを言い出しかというと、斥候の報告や軍議を聞いてもピンと来ないのだ。

勿論、燐火が俺の代わりになってくれるが、俺自身が理解できなければ策も作りにくい。

まぁ、これは追々慣れなければいけない。

 

 

長社を進発して三日目。

燐火の見立てでは明日の昼前にはぶつかるらしい。

これまで割りと急いできたので、今日だけはまだ日の高い内から宿営地を構築して備えている。

駆けてきている五千を静養してから迎え撃つために。

簡易テントのような幕の中で休めている俺たちはいいもので、兵卒のほとんどは木のつっかえ棒に布をかぶせただけの寝床に転がっている。それでもまだ良い方で、負け始めると地面に転がるだけらしい。

 

俺達一行は同じ幕で休んでいる。

玲瓏が入り口の側で休みながら見張り、燐火も俺の反対側で眠っている。

桃はと言うと相変わらず俺と同じ布に包まって寝ている。もう慣れたから良いが。

 

・・・昨日みたいに、夜這いに来た乱菊(程普)と瑞希(韓当)VS玲瓏というのは勘弁して欲しい。

マジで夜這いされるとは思ってなかっただけにな。

惜しいことをしたという気持ちがないこともないが・・・二人とも割りと美人だし。

俺だって男だし、来る者拒まずというのが・・・なぁ?

夜這いはアレだったが、それはそれで良い経験だ。顔がにやけないようにしないと。

 

(今日は一度整理しておくか・・・)

 

明日に備えて早めに寝ようかと思ったが、実戦に備えて自軍の状況を整理しておく。

 

孫堅軍。

総兵力は3300(三千三百)。

 

軽装歩兵が2300(二千三百)。

重装歩兵が500(五百)。

軽弓兵(兼軽装歩兵)が150(百五十)。

弩兵(兼軽装歩兵)が50(五十)。

騎兵が300(三百)。

 

孫堅が連れてきた数はほぼそのままだが、官軍に加わったことで質の良い武具や馬匹、荷駄の提供を受けたことが大きい。特に大将格にしかなかった馬が三百も揃ったことが重要だ。

弓兵が二百と少ないが、これは専門的に弓を扱える技能持ちを集めただけで、撃つだけならもっと増やすことができる。

もう一つ。軽装歩兵は荷駄を使った輜重隊(輸送隊)も含んでいるので、即座に対応できるのは二千弱しかない。明確に分かれているわけではないので、あまり気にする必要はないだろうが。

 

この三千三百―――約三千が俺達の全力になる。

何で約三千かと言うと、戦闘前までに大体一割ないくらいの奴らが逃亡するから。

 

約三千で五千の黄巾賊を倒す。

それも接戦では駄目だ。これから五千との戦いを最低でも四回は繰り返し、敵の進軍を鈍らせなくてはならないからだ。正面からぶつかり、木っ端微塵に蹴散らすぐらいでなければ。

 

できるなら、蹴散らして捕虜にした黄巾賊も取り込みたいところだが、連中の信仰がどれほどか分からないのでこれは保留する。不確定な数はできるだけ排除しておいた方がいい。

いざとなれば、野戦築城も視野に入れている・・・まぁ、そうなったら全滅しない程度に踏ん張るしかないが。

 

色々考えてはみるが、明日次第になる。獲らぬ狸の皮算用にはなりたくない。

 

さて・・・今日はもう寝るか・・・。

 

 

 

・・・しかし、垂涎ものの美女、美少女三人と同じテントに寝ていてこの落ち着きようって、どうよ?

少し、男としての自分を考えてしまう。いや、野獣や及川のようにがっくつのは嫌だが・・・。

俗説では命の危機になるとムラムラっとくるらしいが全然ないし。

俺に緊張感がないのか、それとも実感が不足してるのか。それとも男としての機能に問題があるのか。

 

もしかしたら、これは明日の戦よりも問題かもしれないな・・・。

いや、マジでな・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ジャンギャンジャンジャンギャン―――!!

 

 

 

銅鑼と鉦がけたたましく、鳴らされ、ざわついていた喋りが怒号に上塗りされた。

鼓膜の奥で銅鑼と鉦の音が反響してキーン!となっているが、雄叫びと怒号の混じったひどく猥雑な音の嵐に何も聞こえなくなる。

 

「うるさいな・・・」

 

自分の声が自分で聞こえない。

後詰に位置する俺らがこれでは先鋒はもっと酷い。

三千人分の雄叫びと怒号。駆け足が地響きとなり、濛々と砂煙を上げる。

 

「        」

「ああ!!?」

 

玲瓏が何か言っているがよく聞こえない。

すると、玲瓏は唇に指を当てて動かす。

――――読唇術か。

 

「先鋒がぶつかりました」

「もうか・・・動かなかった甲斐があったな」

 

ゆっくりと話すことで何とか読み取れる。玲瓏はこちらを余裕で読んでる。

どういう人生を送ってきたのか、玲瓏の能力は忍者に近いものがある。

戦略や戦術では俺や燐火に及ばないが、現場の知識や細かな技術は非常に高い。

さっきも姿が見えないと思っていたら、敵の斥候を見つけて三人も始末してきていた。おかげで俺達は悠々と地の利を占めた上に不意を衝いた強襲攻撃ができた。

 

今も猛禽並の視力で先鋒の戦いを見ている。

俺や燐火には豆粒が動いているようにしか見えない。かろうじて桃が同じように見えるぐらいだ。

うーむ・・・・便利だが、何だかな。

 

 

進発から四日目。

日の出前に支度を整えた俺達は、迎撃の用意を整えた。

そこで燐火が提案していた通り、兵を伏せた上での強襲攻撃を選択した。

奇襲ができることならしたいが、元来奇襲攻撃というのは高い練度を要求される。どうせ発見されるなら、発見されることを見越した強襲攻撃する方が良い。

 

作戦と言えないような作戦だが、これはこれで苦労があった。それはあまり関係ないので置くとする。

 

今の俺の周りには燐火と玲瓏、同じ馬に乗っている桃。そして、無理を言って孫堅から借りた二十騎の騎兵が居る。後は三十歩ぐらい先に二百の弓・弩兵が指揮の下に矢を撃ち掛けている。

 

「しかし・・・」

「どうした、主よ」

 

ようやく音が離れて聞こえるようになると、俺の呟きに燐火が反応する。

燐火は戦場でも鎧をつけずにいつもの装い。桃もそれは同じ。玲瓏だけが自前の軽装鎧を纏っている。

 

「率いる人間でこうも凄いものかと思ってな」

「そうだな・・・私も大きな戦は始めてだが、孫文台は凄まじいな」

 

俺の視力でも分かるほど、先鋒の戦いは一方的だった。

騎兵の勢いもあるだろうが、それに続く歩兵も何かが乗り移ったかのように気炎を吐いて猛進している。

瞬く間に敵の先鋒を撃破し、第二波も食い破ろうとしていた。

 

「江東では随一とも聞いたことがございます」

 

指揮官である孫堅は驚いたことに先頭を切って敵陣へ乗り込んでいる。

周囲は精鋭で固めた騎兵でも、簡単にできることじゃない。

っていうか、俺が本当に軍師なら「やるな莫迦!」と叱り付けることは間違いない。

 

「だろうな。比較対象は難しいが、言えることがある」

「なんだ?」

「奴さんが敵じゃなくて本当に良かった」

「ふふふっ・・・確かに。だが、そうもいかんだろう?」

 

軽く笑ってから、燐火は目配せする。

周囲は孫堅の配下なのではっきり言うわけにはいかない。

俺達が旗揚げをすれば、孫堅もライバルの一人だ。一戦交えることもあるだろう。

あんまり考えたくないな。現状、まったく勝てる気がしないし。

 

まぁ、あれだけ強くて、包容力あって、頭も切れて、おまけに美人ならさぞかしモテモテだろう。

旦那の顔が見てみたい。

こういう時はマッチョな男を想像しがちだが、意外と母性本能をくすぐられるような地味な男かもしれんな。もっと穿った方向性なら、実はショタコンだとか。それじゃあ、子供を作れないが。

 

「主よ・・・何を考えているか知らないが、今は戦中だ。慎めよ」

「(コクコク)」

「む・・・俺が何を考えてるのか分からないのにその言い方は感心できないな」

 

ちらりとこちらを見た燐火が不敵に笑う。

 

「なに、また碌でもない戦に関係のないことだろうとな」

 

お前はエスパーか!?

これでも顔色を変えないことには自信があるんだが・・・。

 

「乙女の直感を甘く見てはいか・・・待て、何だその果てしなく胡散臭いものを見るような眼は」

「(サッ)」←思いっきり明後日の方角へ目線を逸らした

「――――――」←最初から関わらないように知らないふりをしている

「ふっ・・・」←全開で莫迦にしたような鼻先笑い

 

一言で言って、

―――「誰が乙女だ、誰が」

 

「なっ!?―――何と無礼な!私が乙女ではないと、そう言うのか!!」

「・・・そうは言わんが・・・」

 

声がデカイって。周りの連中はオロオロしてるし。

 

「ならば言うが良い!私が生粋の乙女だと!!」

「生粋って・・・落ち着け、そして話を聞け」

 

ぶっちゃけ、こんな所で乙女論争なんぞしたくもない。

いや、こんな所でなくてもしたくない。したくないったら、したくない。

 

「そもそも、何故にそこまで乙女にこだわる?」

「分からぬ男だな!」

「分かるか!」

 

あんまり分かりたくないし。

天才と何とかは紙一重なんだ。碌な言葉が返ってくるとも思えん。

 

「私のような天才には褒め称える称号が幾つあっても足りぬから、乙女も貰ってやろうと言っているのだ!」

「・・・お前、莫迦だろう?」

「なっ!?」

 

ドガッシャーン!!

そんな擬音のついた雷に打たれたように、燐火は固まる。

いかん・・・つい、思ったことが素直に口をついて出た。

 

「主よ・・・燐火がプルプルしているが?」

「まぁ、なんだ。人には触れていけないというか、踏み越えてはいけない一線があるんだよな」

 

しみじみ。

 

 

 

 

 

 

 

巧いな。

 

風の速さで後方に消えた敵兵を斬った感触を残しつつ、次の感触を重ねながら考えは軍師としてつけられた男のことを考える。

完全な女性優位の世界において、珍しく有能な男―――朧。

異国の服を纏い、時折理解不能なことを口走る。

だが、その能力は的確に勝利へ結び付けられている。

 

わざわざ楊州から来たのは、一重に資金を稼ぐためと、名を売るためでしかない。

都から見れば僻地である揚州の自分にとって、都や御位につく皇帝のことなど知ったことではない。

それは私に限ったことではないだろう。今の時分にそんな奇特な理由で戦に加わるものなど居るはずがない。

 

きっと、それはあの朧も同じだろう。

もしかすると私よりも、より深いところまで考えているやも知れない。

だが、警戒は要らないだろう。周りの配下は優秀だが、たかが四人ではできることも知れている。

今はあの男を利用し尽して、官軍からの報奨金を稼ぐことに集中するべきだな。

 

 

「瑞希!乱菊!」

「おうさ!」

「あいよー!」

 

騎馬の突進力と共に繰り出される槍と矛により、容易く骨が打ち砕かれ、肉が爆ぜる。

両翼に瑞希と乱菊がいるおかげで脇目を振る必要はない。

二人が先頭を切りながら面倒な敵を見定め、潰す。それに続く者達がその地点の頭を潰され、騎馬の威容に浮足立ったところを刈り取っていく。

 

三千の敵を三百の騎兵で貫く。

それも正面から。定石を考えるならば、機動力を以て側背を衝くべきでありながら。

だが、それも統率のない黄巾賊は正面からしっかりと迎え撃つ準備を整えることができない。しかも強襲攻撃で敵がどちらから来ているのかも把握していない連中までいる。

 

それでも、三千で五千は撃滅するのは被害が大きい。

 

 

「奴か!」

 

思わず舌舐めずり。

矛を振り上げた際についた口元の返り血が口へ入る。

口の中の埃と一緒に軽く唾と混ぜてから、吐き棄てる。

 

着ているものがマチマチな中で、少し身なりが良い。

目の動きが違う。状況を少しでも把握しよう周囲を見る目だ。

そして、混乱を収めようと無駄なのに声を張り上げている。

間違いなく、こいつがこの五千の頭だ。

 

 

「――――!」

 

 

気づいたか!

 

六人。おそらく特に武に優れる連中だけを集めた直卒。

しかも、目が拙い。

相討ち覚悟でこっちを仕留めるつもりの目をしている。

 

良い目だ。

胸糞の悪い面構えだ。

 

「上等だ―――」

 

何を信じてるかは知らないが、己の天命ではなく他人の天命に踊らされるだけの木偶の坊に私の道を阻めると思うな!

 

 

矛を一閃。   背中が踊る。

四つに切断。   臓物が飛び散り、腸が切っ先に絡む。

 

後、一人。

二人は射飛ばされて地面に縫い付けられた。

一人はボロボロの剣が頭半分を抉り飛ばした。

 

ほぼ同時の連射を馬上から撃ったのは瑞希。

斬った直後の敵の剣を奪い、投擲したのは乱菊。

二人ともしっかりと狙いを分かっていたわけか・・・さすが。

 

 

そして、最後の一人は下顎から上が失せている。

そこそこ質量のある物体が化け物じみた力によって高速で飛来し、直撃した。

こんなことをしてくれるのが誰かなど分かり切っている。

 

それはそれ。これはこれ。

障害は消えた。

怯えているのか、反骨精神に燃えているのか。

確認する間もなく、指揮官の首を――――刎ねた。

 

 

「思いの外、脆いな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まぁ・・・脆いだろうなぁ」

 

床几に腰かけ、俺作の簡易地図を前にした作戦会議の場。

俺の発言に視線が集まる。

 

「そのために俺もない知恵をあれやこれや絞ってるからな」

「そう謙遜するな主よ・・・私の主である以上、主は十分に知恵がある」

 

遠まわしに自分を持ち上げる燐火。とりあえず、お前は無視する。

 

「特に難しいことではないのだろう?」

「単純だな」

 

身を乗り出す孫堅の前で地図にこれまでの戦績を書き込んでいく。

初戦から既に四回、黄巾賊の軍勢とぶつかった。総計二万。

全て同じ戦術で倒した。

 

「牽制、騎馬突撃、歩兵による掃討、最精鋭の突撃戦力が指揮官を一掃」

「その後、首を掲げるのを合図に全員で『敵将討ち取った』と叫ぶ」

「単純と言えば、単純よね」

 

孫堅とその部下の二人が流れを解説してくれるが、これだけやればその仕組みにも大分気づいているらしい。

 

要するに戦術レベルの電撃戦だ。

敵の打撃力を弓兵の牽制で緩め、士気の満ちた状態で突撃をかける。

こちらの最大の戦力である騎兵で打通し、守勢に立たせる。

先鋒が混乱したところに歩兵がぶつかり、立て直しと身動きを封じ、騎兵の楔を確かなものとする。

抜けた騎兵が中枢を叩き、各個の戦力を孤立させる。

後は、指揮官と士気を失った雑兵は戦意を失い四分五裂。

 

俺と燐火の二人がかりで考えたこの電撃戦もどきが、唯一の“戦える方法”だった。

玲瓏の忍者じみたスキルのおかげで斥候を先に抑えられ、情報で優位に立てたのも大きい。

 

 

「だが、それもこの辺りが限度だな」

「上出来だろう。これ以上欲張れば、痛い目を見るな」

 

素人ではない孫堅は自軍の状況をはっきりと自覚している。

 

四度にわたる戦闘で、自軍もかなり疲弊している。

三千だった戦力も二千五百を割り、重傷者を除けば戦力となるのは二千強。

虎の子の騎兵も二百を割りつつある。

身軽を信条とするために補給物資も抑えているため、糧抹も目減りしてきた。

 

「後一当たりぐらいの余裕はあるな」

「だからこそ、潮時ね・・・これで長社に迫る賊は約八万。二万が削られたとあれば、外側にも気を配るから籠城戦もしやすくなる」

「左右中郎将には悪いが、俺達にできるのはここまでだ」

 

チョークを机に放る。

孫堅もその意見に依存はないらしい。

退き際を心得てくれているのは結構なことだ。

 

燐火へ目配せしながら黄巾の乱の経過を思い出す。

実の所、史実で俺達と同じ役割を果たすために出撃していた戦力がある。

それこそが左中郎将こと朱儁将軍その人だ。

野戦において波才率いる豫州・潁川黄巾軍の主力と激突し、敗走している。

 

その結果として野戦での継戦能力を失い、籠城戦へ移行することになっている。

しかし、俺の提案に乗る形で初めから籠城の構えを取り、朱儁と皇甫嵩は遊撃を俺達に任せた。

 

 

―――歴史は変わったのだ。

 

 

打撃を受けているはずのこの地の官軍主力はまだ無傷で残っている。

波才軍をいかに打ち破るのかは、もう俺達は干渉できなくなっている。

人事は尽くした。天命を待つしかない。

 

 

・・・しかないはずなんだが、嫌な予感がする。

 

 

俺にはずっと付きまとっている一つの疑問がある。

おそらく、それが俺を不安にさせているんだろうが、現状これをどうすることもできない。

 

 

「それで、これからは予定通りに籠城戦の決着がつくまでは潜伏するのか?」

 

孫堅が問う。燐火が答えるかと思ったが別のことを考えているらしく

 

「そうなるな・・・だが、一ヶ所に留まればいずれ見つかる。定期的に動くことになる」

 

敵も最初に掴んでいた十万――今は八万だが―――以外にも居る可能性がある。

今までのように五千とぶつかるだけでも厳しいのに、もしそれが一万なんて言われたら死ねる。

兎にも角にも、打てる手は打った俺達はこれ以上戦うわけにはいかない。ならば、逃げる。

 

長社での籠城戦の決着によって流れが決まるまで。

歴史がまだ俺の知るとおりになってくれるなら、皇甫嵩の火計に乗じた反撃に、包囲している波才軍は潰走することになるんだが。

 

 

 

 

 

「お帰りなさいませ、主」

 

会議が終わり、自分達の天幕へ戻る。

参加しなかった玲瓏が待っていた。

 

燐火はダルそうに寝床へ座り、桃はぴったり俺に張り付く。

細々とした会議は面倒だ。孫堅は味方であっても仲間ではないからそれなりに気も使う。

 

「長社が心配か?」

 

ズバリと、燐火が言ってくる。

玲瓏も桃も、俺達の会話に耳を傾ける。

 

「心配だ」

 

嘘を言っても仕方ない。不愉快だが、認める。

 

 

「だったら、もう一つぐらい手を考えておくか・・・」

「あるのか?」

燐火は下品に見えないニヤリ笑い。

「豫州刺史・王允だ―――どうした?」

 

燐火は話の途中で怪訝そうに俺を見る。当たり前だろう。

俺の仏頂面が更に酷くなったからだ。

 

まさかその名前が出てくるとは思わなかった。

王佐の才を持つ者としてはこの当時他を圧倒する英才・王允。

後に呂布を囲い込み董卓を殺すことになる人物だ。

 

「奴は典型的な名門士大夫の家柄だぞ?―――江南出身の孫堅や、方士の類の俺らを是とするか?」

「評判は私もそれなりに知っている。だが、彼には太守・王球が無能な路仏という人物を召抱えようとした時に反対して、命を危険に晒した経験がある。少なくとも優秀な人物を無暗に嫌うような暗愚でもなかろう」

「そうだと良いがな・・・・」

 

董卓殺害後の行動を知っている身としては、嫌な感じがする。

というよりも、十常侍から命を狙われるようになってからの王允はそのスペクトルが尋常ではなくなっている。

 

・・・・あ、そうか。

いや、でもなぁ。

 

王允が十常侍の元締めであり、最大の権力を誇る張譲から命を狙われるのは黄巾の乱の黒幕が張譲その人だったからだ。

無論、張角の開いた太平道そのものが張譲の陰謀だったわけではない。

太平道の中で勢力を増していた主戦派。彼らが大義とする有名な「蒼天已死黄天當立歳在甲子天下大吉」(蒼天已に死す黄天當に立つべし歳は甲子に在り天下大吉)を唱えることになる。

 

だが、この大義が困る存在が居た。

中央で宦官と対立する清流派の名門士大夫達だ。

具体的な中身がどうこうではない。儒家の基盤は後漢帝国自体である。帝国が儒家の思想を尊ぶからこそ支配層に就いていられる。

現代を見れば分かる。企業の就職において一般常識は問うが、殊更に道徳論を主要な要素として取り上げるだろうか?

儒家の思想とは国家運営の方針に影響を及ぼすという意味ではそれなりの存在意義はあるが、では国家の実務においてどれほどの実効性があるか。むしろ、悪影響の方が多い。

そんな儒家の思想が罷り通るのは一重に後漢帝国の保護があるからこそだ。

 

もしも太平道が黄巾の乱を成功させればどうなるだろうか?

現在の皇帝を放逐した後に、大義とした黄天を掲げなければならない。おそらく何らかの形で新帝を迎えることになる。そこで太平道を核とする道家の思想が主流となる。

つまり、清流派の士大夫は粛清される。

俺にはこれに関して確信がある。

中国では名門に対して、そうでない家柄を寒門と呼ぶ。寒門の士大夫はどれほど能力があっても出世できず、困窮に喘いでいた。更に、黄巾の乱以前に彼らは改革案を考えていたところを、普段は敵同士であるはずの清流派士大夫と宦官が結託し、罪状をでっち上げて投獄している。所謂、“党錮の禁”だ。

 

寒門出であるはずの張角や彼を支持した側近は何を思っただろう。

困窮に喘ぎながらも、それでも儒家中心の政権を改革しようとしていた自分達を弾圧する宦官と清流派士大夫。弾圧を思考さえせずに容認する暗愚な皇帝。

絶望と、沸々と深奥から湧き上がる憎悪と嫉妬。特にそれは敵対していた宦官よりも、同じ士大夫でありながら徹底して侮蔑を投げつけてきた清流派の名門士大夫へより向けられていたのではないか。この辺は勝手な俺の想像だが、封胥・徐奉という宦官まで傾倒し、内応の約束までしていたことを考えれば宦官側からは割と受け容れられていたのだろう。

 

小難しい話はさておき、先の二人の宦官を更に後ろで操っていたのは張譲だろうと思われる。

何故なら、この時に封胥・徐奉そして張譲が黄巾賊と結託していると告発し、上奏した張均という郎中は張譲の謀略により逆に投獄され、獄死している。上奏で嘘を吐けば死刑である。当然ながら、十分に張譲を犯人にできる証拠を固めていたのだろうし、そうでなければ謀略で殺すまでもない。

そして、トドメは王允の告発である。彼はこの黄巾賊の戦い。俺達の居るこの豫州・潁川戦線の戦いで張譲と黄巾賊が結託している書状を発見していた。完全に言い逃れできない証拠を突きつけられ、張譲は霊帝に土下座して詫びている。

驚くべきことに土下座で許された張譲だが、土下座して詫びたところを見ると事実だったのだろう。もしくは、書状は偽造だったが弁解できないために土下座したのか。張均の件を見る限り、おそらく前者だろう。

 

まぁ、そんなことをすれば張譲が放っておくこともないだろう。

王允は一度讒言により投獄され、その後釈放されても各地を転々として刺客から逃れることになる。

結果として、彼が恨み骨髄の十常侍を倒すために選んだのが人非人である董卓であり、おそらくは彼を洛陽に呼び込んだ主犯格だろう。

 

 

その流れを踏まえると、もしも俺が先に件の書状を発見すれば王允の人生は狂わないのではないかとも思ったのだが・・・どうも王允の人格を信じきれない。

それに、王允が中枢に入るのは董卓政権になってからだ。俺にどれほどのメリットがあるのか疑問符がつく。

 

 

うんうん唸る俺に燐火は待てなくなる。

 

「主が何を考えているのかは分からないが、人脈は作っておくにこしたことはないだろう」

「・・・まぁ、そうだな」

 

妙な話だが、後の反董卓連合の主な連中は大体が昔馴染みであったり、知遇を得ている者同士だ。

そう考えれば、俺もここで顔を売っておくのは悪くない。

 

「だが、具体的に今俺達が行動を起こすわけにはいかないぞ?」

 

こちらは潜伏中の身だ。位置も把握できていない王允の軍勢を探すのはリスクがある。

 

「覚えておくのは損ではないと思うが。それに、朱将軍や皇甫将軍にしても仮にも豫州刺史となった人物が来ていれば共に州の治所がある陽?を奪還するはずだ。その時に面会するのが良いだろう」

「分かった。そうしよう・・・だが、手筈は頼むぞ?」

 

無名の俺よりも、それなりに名の通っている燐火に面会の段取りを取ってもらったほうがいいだろう。

何しろ、形だけとは言え相手は州刺史なのだ。簡単に面会できない。

 

「任せておけ。一人二人ぐらい、繋ぎをとれる人物に心当たりもある」

 

任せおけと自信を見せる燐火が頼もしい。

才能があろうとも、まだ飛躍するには早い。

しかし、燐火は俺が飛躍すると信じている。もっと言うなら、俺を飛躍すると判断した自分の眼力をだ。

 

ならば、俺もそれに応える。

燐火、玲瓏、桃の三人を軽く見回す。

俺は三人に約束したのだ。覇道を進み、必ず俺の望む世を作るのだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

「殿」

「ん?」

 

宿営地を変えるための移動中、玲瓏が話し掛けてきた。

玲瓏はその能力を買われて、自分で選りすぐった者達を率いて偵察部隊を任せられている。

俺より離れた位置で索敵に当たっていたはずだから、動きを掴んだのか?

 

 

「西南西の三十里ほど先に千五百ほどの部隊が居るようです」

「黄巾賊か?」

「旗指物から判断するに官軍かと」

「・・・偽装の可能性は?」

 

近代と違い、国籍や勢力の偽装は日常茶飯事だ。

 

「直接確認したわけではないので、どうとも言えませぬ」

「そうか・・・どう思う、燐火」

「主と同じだろう・・・拙いことになるやも知れんな・・・」

 

ああ、拙い。

大いに拙い。

 

「はっ!」

 

伝令兵を指で合図して呼び寄せる。

 

 

「孫司馬へ伝令だ。三十里先に豫州兵の残党と思しき軍勢を確認。数はおよそ千五百。軍師として合流を提案する、と」

「御意」

 

簡易の礼を取り、伝令兵は馬を駆けさせる。

まばらな行軍の音の中で、その馬蹄の音だけが嫌に大きく聞こえる。

 

 

 

 

 

「「「まさか、本当に生き残りが居たとはな・・・」」」

 

俺の横に居る孫堅、程普、韓当の三人の声が揃う。

 

「・・・その本音は率いてきた者の前では控えてくれよ」

 

ここで余計なイザコザを抱えたくない。

俺が言われたらかなり不愉快で、キレるのを我慢しなきゃならないだろうし。

 

 

「来ました」

 

 

ポツリと兵の一人が言った。

 

 

迎えの兵に囲まれ、指揮官が歩いてくる。

馬がないのか?

 

(違う違う・・・礼の一環だ)

(ああ・・・なるほどね)

 

納得。

同じ指揮官と言えども、位階が違えば謙るのが儒に限らない一般の礼法。

特にその辺にうるさいのがこの時代。

俺もこういう序列に関しては気にしない方だが、組織の秩序維持という観点からは悪くないと思っている。

 

現れた指揮官はやはりと言うか、女だった。

これまでの激戦を思わせるボロボロの姿で、鎧は壊れた部分を別の鎧を無理矢理くっつけているらしくちぐはぐになっている。

俺らも人のことは言えないが、汗や埃、血や何やらの体液諸々に塗れているせいで見た目は汚く、匂いもかなり酷い。

おそらく長かっただろう髪は、邪魔になったから強引に切られ、ボサボサのショートヘア。

整った鼻梁ながら、やや厚めの唇は肉感的だ。ただし、汚れきっているせいでその魅力も半減している。

 

だが、汚れきった中でも眼だけが尋常ではない光を炯々と宿している。

 

 

「お初にお目にかかる。游撃の徐公明と申します」

 

 

疲労も溜まっているはずだが、徐公明―――徐晃はしっかりと名乗りを礼を取る。

 

ふふふっ。

もう驚かんぞ。

例えそれが孫武・司馬穰苴に並び称され、樊城包囲戦で曹仁を救出し、関羽を撃破した名将であってもだ。

 

 

(なぁ、燐火)

(どうした?)

(游撃というのは役職なのか?)

(流石にそっちは馴染みが薄いか・・・そうだ)

 

中央の官職については覚えているところもあるが、地方の細かい役職まではアウトだ。

俺だって全部を覚えているわけじゃないんだからな。

 

(県の管轄する地域に出没する盗賊を取り締まる役職だ)

(ふーん)

 

俺らで言うところの警察署長みたいなものか。

本人には悪いがそれも刑事ドラマに出てきそうなちっこい分署みたいなところの。

 

 

そうこうしているうちに、孫堅も馬を下りて挨拶する。

向こうは地方の分署長。孫堅は臨時とは言え将軍直属の指揮官(別部司馬)。

本来なら馬上からでも問題ないんだが、孫堅はあえて対等の高さまで下りた。

 

精神構造がこういうことをされると感動するようにできているこの時代の人間には効くだろうなぁ。

 

 

「私は楊州呉郡の孫文台。朱左中郎将から別部司馬の役を預かっている・・・よくぞそこまで頑張られた」

 

 

・・・・多分、感動のシーンなんだろう。

孫堅も普通に労われているんだろうし、徐晃の顔を見る限りに不愉快というよりも労いに感謝もしている。

だというのに、これを自分が言われた時のことを想像するとそこはかとなくイラッときた。

 

俺、絶対にサラリーマンになれないタイプだな。

 

 

二人の間で格式ばったやり取りをしているが、ぶっちゃけ実のない話なので軽く聞き流す。

俺が君主になったら、こういうの一切なしにしたい。ぜひとも。できる限り。

 

 

 

 

 

「ぐおぉ〜〜〜〜!」

 

思わず唸り声。

 

 

「駄目だ・・・せめて後三千・・いや、騎兵が五百居れば・・・ぬぉ〜〜〜」

「ないものねだりは・・・と言いたいが、今回ばかりは同感だな・・・ん〜〜〜〜」

 

 

燐火と二人揃ってのび〜〜〜る。

肩や腰がバッキボッキと音を立てた。

行軍以上にこの頭脳労働が堪える。別に苦じゃないんだが、命かかっているストレスが何とも。

 

 

「朧様・・・」

 

モミモミモミモミモミモミモミモミモ―――。

 

「おおぅ〜〜〜〜」

 

テテッと寄ってきた桃が俺の肩を揉んでくれる。

実に極楽浄土。頭の中まで迫ってきていたしこりがなくなっていく。

しかも相手は極上の美少女。及川なら天国に昇天できるだろう。かく言う俺も同列になっていいと思えるぐらい浸っているが。

 

 

「ちっ・・・」

「・・・・・ふっ」

 

怖い舌うちが聞こえてきたが、鼻で笑って流そう。

しかし、桃に対して自分にもやれと言わないあたり、ちゃんと桃のことを一人前の仲間として認めているのだろう。桃は同じ主君に使える同輩であって、雑用係ではないのだ。

 

 

「どうにもならないのですか?」

「無い袖は振れない・・・」

「成しても成らんこともある・・・」

 

桃の問いかけに二人でネガティブ返答。

 

俺らが頭を悩ませる原因。

ボロボロの兵を統率していた指揮官・徐晃のもたらした新たな黄巾賊の情報だった。

 

後方を探る余裕がなかったので分からなかったが、敵は長社から南西にある西華に詰めていた戦力。

他にもこちらの予想以上の予備戦力があったらしい。

 

 

「徐晃殿の部隊が見たという黄巾賊の大軍・・・おそらくは波才とやらの隠し玉だろうな」

「ああ・・・」

 

それだけじゃない。

よく思いだせば、四月には南の汝南郡の太守・趙謙が黄巾賊に敗れて死んでいる。

南陽で蜂起した張曼成率いる南陽黄巾賊との連携がこれでとれるようになった。

 

兵站さえ確保できれば連中には支配権の確立なんてまどろっこしいことは必要ない。

余剰の戦力を振り分け、官軍を一気に叩き潰すだけだ。

 

 

「俺が指揮官なら最低限の兵站人員だけを残して、全軍で長社を潰す」

 

 

桃が息を飲み、玲瓏もやや表情を険しくする。

二人が燐火を見る。黙って頷く燐火。

こいつが否定しないということは、それは確実に起こるということだ。

 

 

攻城戦における攻め方三倍の法則。

だが、長社の三万弱に対して現状の黄巾賊は俺らが止めた二万強を引いても約十五万。

三倍どころではない五倍。

希望はあるが死にフラグがばっちり。

 

 

「まぁ、正直なところそこまでして長社を防衛する意味ってのは無いんだが」

 

 

ぶっちゃけた話、長社が陥落したとしてそのまま洛陽を落とせるかと言われればまだ分からない。

皇甫嵩や朱儁は失脚するだろうが、まだ官軍は健在だ。虎牢関や函谷関の要害もある。戦うには十分だ。

戦いが長引けば兵站が弱く、急速に膨れ上がったなんちゃって黄巾兵は早々に規律を失い、本物の賊徒と化すことで空中分解する。

 

だが、俺と燐火がこれに安心できない理由がある。

腑抜けの腐儒士大夫連中か竿無し宦官は、かなりの確率で皇帝を連れて逃げる。

 

 

「そうだな。最終的に漢が滅びるかどうかは、これからの道行きが不透明になるということでそこまでのデメリットではないからな」

 

 

地盤、看板、鞄のない俺らの良いところは後漢帝国が滅びても共倒れないということ。

これは江南に地盤を持つ孫堅にも当て嵌まる。ヤバいと思えばとんずらしてしまえばいい。

 

 

と、そこまで思考が来て、吐き気がした。

別に体の異状はない。自分の思考の単純さにだ。

 

今の俺の顔は俺が一番嫌いな奴―――緋皇乃宮虎一と同じ顔になってる。

 

 

人の努力を操り、人の誠意を集め、人の心を支配する。

 

実験として糞女である母を妊娠させ、俺を作った。

会ったことなど片手で足りるほどだが、俺の全てを見透かしてやがった。

嫌っていても、麻薬のように離れることのできない相手。

 

 

「主」

「あ?」

 

玲瓏が、気付けば目の前に立っていた。

 

「正気を保たれよ」

「・・・・ああ、そうだな」

「・・・朧様・・・」

 

心配するな、と桃の頭を撫でてやる。

 

 

俺は奴にはならない。

だが・・・・この乱世を生き抜くのに、奴のようになり、奴と同等の能力が要るのならば俺はどうする。

なんてな・・・答えなんて解かり切っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

孫文台―――水蓮は、考えていた。

3千で2万以上の黄巾賊をぶちのめした。

自分一人では難しかっただろう。瑞希と乱菊がいてもだ。

 

中原のことなど江南の自分には関係ないが、人材の層はやはり違う。

 

私兵を中核に官軍を纏め上げようとする至弱の曹孟徳。

外見は阿呆だが人を遣うことに長けた名門士大夫の袁本初。

西方の勇猛果敢な精鋭騎馬隊を有する董仲潁。

目立つ点はほとんどないが漢において最強の将・皇甫義真。

将才に恵まれながら世渡りが下手な将軍・盧子幹。

同郷の出身でありながら既に絶大な支持を得る将・朱公偉

 

 

現時点で、孫文台は彼女らに劣っている。

冷静な目で見てのこと。

何故なら、自分は中央の官職を得ていない。

 

地元の連中や途中の賊を組み込んできたが、実際はこれが限界だ。

軍隊はとにかく金が掛る。地盤を得て、そいつ運営していくにはどんな形でもいいから中央からお墨付き―――官職をもらわなくてはならない。

 

 

「問題はその後でもあるんだが・・・・」

 

 

安酒を呷りながら、考える。

江東で暴れていた頃にはいらなかったが、これからは内政を任せられる人材が要る。

 

そういう人材が今は居ない。

乱菊と瑞希も実務能力はあるが、これからを考えるとやや頼りない程度。

軍師が要る。とっても必要。

 

 

「やっぱりあいつらか」

 

 

朧と燐火。欲しい。すごく欲しい

あの二人が居れば、楽に天下を取れそうな気がする。

 

何とか仲間に引き込む方法はないものか。

燐火はあれで朧を主と思っているから、朧さえ何とかすれば芋蔓式だ。

 

 

 

「水蓮様、また一人で始めてる・・・」

「うわっ、しかもペース速ッ!」

 

呆れる二人を余所に、水蓮は思い切って聞いてみることにした。

 

「あいつを口説くにはどうしたらいい?」

「「え゛!?」」

 

 

水蓮様、それはー!!!!!

という絶叫が陣内に木霊したとかしなかったとか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こんにちは」

「・・・・・・」

 

 

目の前の車椅子(?)に座る女は開口一番挨拶をかましやがった。

青少年というか、健全な男性諸子には目の毒な格好というか肢体。

腿まで丈のあるセーター(?)の上からは白襦袢(?)を羽織っただけ。

 

つまりだ。膝枕をしてもらったら極楽だろう太ももや、生唾を呑みそうな脚線美は露出され、核ミサイルじみた胸が、男を狂わすフェロモンを(以下略)。

 

 

「ともかく、危険だ」

「?」

 

主に理性が。

そして、安堵。よし、俺にもリビドーはちゃんとあることを確認できた。

 

 

「・・・・・・さて、色々惑わされかけたが、率直に本題から話してもらえると助かる」

 

 

正直、ここで目の保養と毒を兼ね備える美女と話している時間も惜しい。

 

 

「黄巾党の追撃から逃げ切る時間を計っていますね」

「・・・・・・さてな」

 

 

色々解りたくもないことが解ってきた。

 

俺が貴重な時間を割いて目の前の女と会っている理由は単純明快。

情報源だから。

 

長社を目指す黄巾党10万の後詰だった10万は、長社への増援とはならなかった。

直接確認したわけではないが、玲瓏の斥候部隊の報告を総合するとそうなる。

だったら何処へ向かうのか?

陳留郡を抜けて、河内郡まで迫る別ルートを通っている。

 

予定が狂った。

 

というよりも、俺も一度は考えてそれはあり得ないと破棄した一手だ。

豫州・潁川の官軍の拠点である長社を落とすためには、ある程度の兵站を無視しての力技はできる。

何故なら、実際に官軍の兵士を賄うための資金や物資が貯蔵されているから、陥落させてそれを奪えば洛陽までの兵站に弾みをつけられる。特に、陥落後に十分な補給を行うことができる。

 

それにも関らず、まだ長社を陥落させずに後詰の10万を別動隊として洛陽へ直進させるのは解せない。

これでは兵站が確保できるとは思えない。何度か戦闘をしてきた黄巾の部隊はどういう装備で、どれだけの物資を携行しているかはチェックしている。あまり補給を受けられるとは言い難い。玲瓏が調べたところ、胃も空っぽだった。

少なくとも、長社を攻撃するための初期の10万は十分な補給を受けていなかった。汝南郡が黄巾党の支配地域になったため、策源地になったとしても兵站の整備が早すぎる。かと言って、以前から兵站の整備を進めていたにしては先の10万への補給がお粗末過ぎる。

 

 

俺と燐火が真っ先に疑ったのは、偽計。要するに偽情報。

玲瓏も全てを自分で確認したわけではないし、部下も素質はあってもまだ経験の浅い者達だ。練達の“草”が相手であればガセネタを掴まされても不思議ではない。

 

 

だが、そこに現れたのが目の前のこの女。

正確にはこの女の使いを名乗る女。

長社を無視する黄巾党10万の別動隊が居ることの情報とソースを持ってきた。

最初は当然のように疑い、検証の結果として納得させられた。

 

事実として、連中は長社を無視した。

 

 

かなりヤバい。孫堅あたりは、何がヤバいか具体的に分かっていないが本能的に察知している。

後詰の10万は確実に長社を陥落させ、兵站を安定させた上でなければ北上して来ないと俺も、燐火も考えていなかった。

いかに信仰が篤かろうとも、飯も食わずには戦えないし、武器だって消耗すれば取り換えなくてはならない。10万もの大軍を率いて、飲まず食わずではやっていけない。絶対に補給しなくてはならなくなる。北上するためにも、長社を兵站の拠点として確保することが前提でなければならない。

 

そうれでなければ、戦闘訓練を施しても烏合の衆に毛の生えた程度である連中が規律を保って進軍できるはずがない。

これが、連中の頭がイカレテいるただの阿呆ならそれも納得できるものの、一連の動きを見る限り、大幹部クラスは頭が切れる。こんな博打に出る要素がない。

 

考えられる可能性は二つ。

 

 

―――兎に角、博打に出なくてはならないほど追い詰められた何らかの理由ができた。

 

 

もう一つ。

これが一番厄介な可能性。

 

 

―――既に、進軍ルートに沿った兵站が確保されている。

 

 

 

「太平道の物資集積地はどこだと考えますか?」

 

 

何気ない、女の問いかけ。

それが異常なまでに俺を苛立たせる。

 

だから、俺はこの場に燐火を連れてこなかった。

こいつの使者を名乗る間者が来た時に、燐火は顔にこそ出さなかったが烈火の如く怒り狂っていた。

護衛役として頑なについて来ようとする桃も、外で玲瓏と待たせている。

 

 

「俺達は、アンタ一人に嵌められたのか・・・・・・」

「勘も一級品のようですね」

 

ちっ!

 

「それは嫌味か?太平道―――黄巾党の頭脳として今回の一斉蜂起を考案しただろうアンタに言われても、嬉しくも何ともないな」

 

 

そうだ。根拠なんか、ない。俺の勘でしかない。

けれども、絶対と言い切れるほどの確信がある。

 

黄巾党の一連の戦略を考案したのはこの女だと。

 

 

「私と貴方では経験に雲泥の差がありますから」

 

 

負けても当然だと言いたいわけか。

 

 

 

「まさか・・・・・・大賢良師である張角まで囮に使うとは思いもよらなかったな」

「ご本人からは許可を得ていますよ」

 

にっこりと余裕が返ってくる。

 

「どこまでが計算なのか、俺にも読めない・・・俺達をここまで翻弄したということは初期の、冀州や荊州・南陽、そしてこの豫州・潁川の合計30万は陽動だったわけか」

「それは違います。馬元義による中常侍の内応を予定していたのは事実ですから、貴方の言う30万こそが本命でした。ただ、内応策が潰えた時点で洛陽を陥落させることが我々の勝利条件に変わり、それに伴って戦略の変更も迫られたに過ぎません」

 

 

とんだタヌキだな。

だが、俺も燐火もこの時点で黄巾党の勝利条件が変化したことに気づかなくてはいけなかった。

黄巾党の目標は後漢帝国の転覆であり、その政治システムを一旦破壊することにある。

 

そうであれば、一斉蜂起とそれに伴う洛陽の内応による首都制圧で事足りた。

 

光武帝による極端な中央集権によって、首都にある行政府が強力な政治権力を持つ反面、腐敗や崩壊を起こせば連鎖的に帝国の統治システムも崩壊し、滅亡に直結する。

内応による首都の制圧。そして総数40万以上の一斉蜂起により地方の軍事力を制圧する。抵抗勢力は遠く辺境の地に残るだけであり、散発的な抵抗も各個撃破を招くだけになる。

 

だが、それは僅かな綻びから失敗してしまった。

 

内応策が潰えた。けれども、手元にはまだ40万の兵力が残っている。

俺なら40万の大兵力を使い、洛陽の陥落を目指す。

俺でなくとも多少知恵の回る奴なら誰でも思いつく。思いつくが故に、俺達は惑わされた。

 

 

 

「官軍の軍事行動が具体化するまでの1ヶ月以上、黄巾党は内応策の発覚で計画が前倒しになったがために事前の準備が万全ではなく、その後の準備期間に充てた。俺はそう考えていたし、大部分の連中もそう考えていたはずだ」

 

 

いや、官軍側でそれ以外の認識を持っている奴など一人も居なかっただろう。

 

 

「物資の備蓄のためにその期間は有効活用させてもらいました。場所は事前に目星をつけていましたから」

「だから、それは表向きというよりもう一つのフェイクだろうが」

 

 

やたらと朗らかに言われる。

ぶっちめるぞ、この女。

 

 

「官軍始動までの期間は、準備期間であると同時に官軍を洛陽から引き離すための工作だったんだろう?」

「はい、正解です」

「正解なのは解ったから、その○の書いてある札はおろしてくれ。木端微塵に粉砕したくなる」

 

 

頼むからもってくれ、俺の忍耐―――っていうか、額の血管。

 

 

「函谷関、虎牢関の堅牢な防衛線は大軍の進攻でも容易には陥落させることができない。その指揮を今の将帥達が執るとなれば尚更だ。だが、こいつらが勝手に外へ出てくれるならこれ以上簡単なことはない。賊が出れば討伐するのが基本であるならば、必ず官軍は兵力を分散させて討伐の任に当たるだろうことも読み切っていたアンタは、わざとそれまで待った」

 

 

無茶苦茶単純極まりない。

俺も、燐火も敵の戦略目標が洛陽の陥落であると気づいていながら、更にその裏をかかれた。裏というよりも、心理的な盲点だ。まさかとか、そんなことがとか、思考を停止させていた部分をものの見事につかれてしまった。

 

南陽の黄巾党は完全な囮だ。荊州やその周辺の諸侯を抑え込むための頸木でしかない。

冀州の黄巾党は最大の餌として撒かれている。黄巾党の根幹を成す太平道の教祖・張角と張梁、張宝の三人が本拠地を置いている。

豫州・潁川は最初から激戦地として想定されていた。だから、後詰の10万が配置されていてもいた。

だが、この激戦地は思わぬ事態により激戦地ではなくなった。

 

そう、俺と燐火の献策により官軍主力は一度も野戦で戦うことなく、長社へ籠城してしまった。

 

嬉しい誤算。天祐とはこのこと。

官軍主力を抑え込むための余計な労力は要らなくなり、籠城させておけば良い。

その間に兵站を確保している10万の後詰は洛陽へ悠々と進軍できる。

 

 

朱儁と皇甫嵩は籠城により迂闊な動きができない。

冀州の盧植は順調に黄巾党を撃破したせいで、冀州の中部まで達している。距離が遠すぎる上にあらかじめこうなることを想定している黄巾党に後ろを見せて後退すれば、徹底的につけこまれる。

その他にも戦線を支える独立部隊はあるが、10万を抑え込めるほどの戦力を持っている部隊はない。

 

俺と燐火は情けないほどに、黄巾党の基本プランの手助けをしたことになる。

2万を撃破したことなど、何の意味もない。先鋒の10万は元より捨石だったのだから。

 

 

 

「・・・実質、官軍側の俺らを戦略で上回ったアンタは、俺を笑うためにでも呼んだのか?」

「まさか。そこまで私も悪趣味ではありません。それに3千で2万以上の兵力を撃破した貴方の智略は高く評価しています」

「皮肉か嫌味の類にしか聞こえんな」

 

 

女はクスリと笑う。

得な容姿だ。怒りが半減する。

 

 

「それで、お賢いアンタが俺をこうして呼びつけたのは何の理由だ?」

「戯志才です」

「は?」

「私の名前です。姓は戯志、名は才、字を英甘と」

 

女―――戯志才は座ったまま拱手する。

 

 

何だ、それは。

おかしい。何故、戯志才を名乗る人物が黄巾党に策を授ける?

 

 

「私は、貴方がどこまでできるのか見たいだけですよ」

「・・・・・・娯楽のために後漢帝国の転覆を図っているわけか?」

「少し違います。それはあくまで手段に過ぎませんし、転覆はあまり望ましくありませんから」

 

 

今度はコロコロと笑う。

俺なんかの思考はお見通しだと言わんばかりに。

 

 

「詳しくは今お話するわけにはいきません。時期が来れば必ず」

「その時期とやらが来れば良いがな。俺に」

 

 

10万の後詰の進軍ルート上に居る俺達の3千は大絶賛後退中だ。

包囲網が完成しつつある長社へ戻ることもできず、かちあわないように逃げるのが精一杯。

もし戦ったら?多勢に無勢―――ぼろ負けするのが目に見えている。

 

 

「貴方はもう解っているはずです・・・10万の軍勢を止める方法を」

「それは知ってる。できるかどうかを除けばな。だが、それで戯志才にどれほどの利がある?」

「それは私だけが知っていれば良いことではありません?」

「人を掌の上で操る者の言にしては、些か趣に欠けるな」

「何ぶん、西域暮らしが長かったものですから」

 

 

あ?西域だと?

 

 

「アンタは、本当に戯志才か?」

「それは妙な問ですね」

「知ってる」

 

 

俺は戯志才という人物のことを詳しく知っているわけではない。

そもそも、正史や演義にすらほとんど出てこない。ある意味謎の人物。

 

その事績は一つだけ。初期の曹操が覇道を歩むために登用した軍師。

残念と言っていいのか微妙だが、反董卓連合が終わった後に戯志才は病死している。奇妙な縁というべきか、その時に後任の軍師として曹操に推挙されたのが燐火―――郭嘉だ。

 

まぁ、郭嘉との縁は別問題だな。

問題なのは、この戯志才という人物は早い時期に死んだせいかこれ以外の記述が全く存在しない。

驚くことにその他の書物でも一切出てこないのだ。出身地がどこかも、一族についても不明。

 

だったら西域に居ても不思議ではない気もするが、この当時の西域の荒れ具合を考えると自殺行為も良いところだ。後漢初期に西域都護の班超が周辺の異民族やオアシス国家を支配していたころならいざ知らず、現在では異民族によって荒らされ、反乱や侵略が日常茶飯事となっているはず。

 

そこでの暮らしが長いということは・・・駄目だ。解らない。

これだけ頭の切れる奴が軍師についているなら、絶対にどこかで名前が残るはずなのに該当しそうなものが全く思い浮かばない。

 

 

「私が何者かはこの際、さておきましょう」

「そうだな。話を続けてくれ」

 

 

どのみち、今の俺じゃあ正体を暴けない。

時間の無駄だ。それにさっきから、外の桃がそわそわしているのがここまで伝わってくる。

それに、孫堅の部隊とあまり離れるわけにもいかない。

 

 

「私の思惑はさておき、今の貴方は知名度を上げ、地盤を得なければならない。正直なところ、その珍奇な服装をした貴方がどこから来た何者なのかは興味が尽きません。いかに西域であっても貴方のような服装の人間を見たことも聞いたことありません」

 

 

だろうな。居たら、居たで驚きだが。

・・・そう言えば、俺と一緒に巻き込まれたはずの一刀はどうなったんだ?あいつもこっちに来ている可能性は捨て切れないか。

 

 

「もし、貴方が10万の黄巾党を止めることができたらもう一度ここへ来ていただけますか?」

「・・・莫迦を言うな。こっちは3千だ。しかも、兵権もない。あったとしても、願い下げだ」

「“虎穴に入らずんば虎児を得ず”とも言いますが?」

「俺にとっての虎児がない。例え、10万を止めたとしても末端の俺や孫文台にとっては大した褒賞はもらえん。それにも関らず10万を止めるのでは割が合わない。そう考えるのが普通だろう?」

 

 

俺や孫堅は正式な官職をもらっていない。一時的な肩書では意味がない。

他の有名な群雄のように既に官職を得ているならばそれを評価されるが、俺達にはそれがない。精々頑張ったところで、功績を安く買い叩かれるのがオチだ。今のところはそれも仕方ないが、わざわざ自殺行為の戦闘をするほどでもない。

 

阿呆にはなれない。リスクが高すぎる。

色々と面倒なことが多すぎて渋面にもなる。

戯志才はそれが解らないほどボケてはいない。もしボケていたら、殺す。そんなボケに嵌められたなどという事実を抹消してやる。

 

 

 

「いいえ、貴方は戦うことになります」

「また俺を嵌めようと?」

「いいえ・・・必然―――天命とでも言っておきましょう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふざけるなよ・・・・」

 

 

戯志才の庵の帰り道、薬缶を頭に載せれば湯ができそうなほど怒り心頭。

マジで燐火を連れて来なくて良かった。あいつなら問答の途中で斬り殺しかねなかった。

 

 

「しかし、何者でしょうな。あの御仁は」

 

玲瓏が珍しく、思案顔をする。

桃が釣られて小首を傾げるのは可愛いので許す。

 

「外にかなりの手練を複数忍ばせていました」

「やっぱりか・・・どうだった?」

「・・・強い、です」

 

桃が短く評価する。二人が同じ認識なら相当なものだろうが、この反応から察すると決して勝てないレベルではない。

 

 

「殿は気付かれましたか?」

「一応な・・・奴の正体がさっぱりな以上、あまり意味はないかもしれんが」

 

 

意味はない。所詮、この会見は俺を焚き付けるためのものでしかないからだ。

情けないというか、悔しいというか。俺の脳はいかにすれば後詰の10万を止めることができるかを計算している。

 

何故って、戯志才は俺を嵌めるための謀略を既に張り巡らせている。

どこで俺のことを知り、どういう理由で俺に興味を持っているのかは知らないが事実として俺は戯志才の謀略に組み込まれている。やはり、悔しいというべきなのだろう。

俺は既に組み込まれている謀略を―――おそらくは戯志才のシナリオ通り―――破らなければならなくなっている。黄巾党の戦略を見事に構築して見せたあの女なら、やってのけるだろう。

 

 

対策が要る。

孫堅には悪いが、どこの誰だか知らない糞野郎によって歯車に組み込まれた以上、抜け出すには勝つしかない。

 

 

「桃」

「はい・・・」

 

 

最近、ようやく一人で馬に乗れるようになった桃が俺の顔を直視する。

勘の良過ぎるこの子は俺の次の言葉を察しているのだろうか。

 

 

「お前のその才能を全力で使ってもらうことになるが、覚悟は良いか?」

「・・・・・・」

 

 

返事はない。俺も待つ。

 

あえて才能という言葉を使った。磨けば、もっと別の方向性を発揮できるかもしれない桃の驚異的な身体能力をそうとしか評するしか術がない。けれども、俺のニュアンスをしっかりと解している。

戦闘の―――殺人の才能と。暴力を極端に嫌うこの子の持ってしまった、望まぬ才能。

 

まだ、一度も人殺しをさせていない。その不安要素はあるが、そこに構ってやれるほど余裕もなくなりつつある。

俺の覇道に付き合うにしても、その覚悟を決め切れていない可能性だってある。それならそれで良い。この子には俺の護衛をしつつ、襲撃者を殺さずに制圧するだけの能力が備わっている。

 

 

「・・・私は・・・決めました・・・」

 

 

絞り出して、千切れてしまいそうな声。

 

 

「・・・私は・・・私のためにも・・・・・戦い・・ます・・・・」

「そうか。そうだな。お前は決めたんだな・・・ならば、覚悟を聞くのは無粋か。存分に働いてもらうぞ」

「・・・ぎ、御意・・・」

「ははっ・・・・」

「〜〜〜〜!!」

 

 

桃のぎこちなさが可笑しくて、笑ってしまった。

真赤になった桃が馬を近づけてポカポカと叩いてくる。見ている限りは可愛らしいが、存外に結構痛い。

 

 

「殿、これからは?」

「さてな」

 

玲瓏には肩を竦めて見せるしかない。

 

「まだまだ、今まで以上に忙しくなるということぐらいしか言えない」

「なるほど、それはまた難儀ですな」

「ああ、難儀だ・・・・桃、そろそろマジで痛いからやめてくれな」

「・・・・はい」

 

とか言いつつ、今度は袖をギュッと握りながら無言の抗議。

痣にならないならこっちでもいいが・・・動きづらくて落馬しそうなんだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

沈思黙考。

金色の髪が螺旋を描き二房になっている少女は難しい顔をするでもなく馬上にある。

考えているのは、つい先刻に激戦を制して陥落させた黄巾賊の砦。

 

 

「桂花」

 

唐突な言葉に、耳のような飾りのついたフードを被った少女が進み出る。

 

「どう?」

「賊の建てる砦にしては、やや整然とし過ぎて居ました。要害にありはしましたが、あくまで進攻しなければならない彼らでは考えられない場所にある拠点ということを考えると――――」

「―――兵站の一角を担う補給基地ね」

「はい」

 

フードを被っている少女―――荀ケ文若、真名・桂花は主君である少女と見解が一致していることに喜色を示す。

犬のような忠実さを見せる桂花に、少女は僅かに目を細めて満足げにしつつ思考は止めていない。

 

 

「進攻用の備蓄にしては、砦まで設えるのは手際が良過ぎるわね。それに、現状の賊の動きを考えれば先を考え過ぎているわ。秋蘭、貴女ならどこに備蓄施設を造るかしら?」

 

馬を駆って、少女と桂花まで寄ってくる短い銀髪をした女性はこれも突然の問いかけに、詰まるわけではなく僅かなまとめの時間から、答えを弾き出す。

 

 

「場所は特定できませんが、我々が居る開封近隣ではないことは確かかと」

「条件が理想的な場所としては?」

「今の賊徒がどういう動きをしているか不明なため確かなことは言えませんが、おそらく南。淮水の支流を使い、船便で運べば輸送が素早くできるでしょう」

「そう、ありがとう」

 

策を考えるのが得意な桂花に対して、実際に軍を動かす場合の意見は銀髪の女性――――夏侯淵妙才、真名・秋蘭でも十分に聞くべきところがある。

 

 

(だとしたら、敵の狙いはこの兵站線を駆使する策ということになるけど・・・)

 

 

思考のパズルが少しずつ組み立てられていく。

少女はこの手の思考が好きだ。大好きと言っても良い。可愛らしい子を手篭にするのと同じか、それ以上に。

 

 

「桂花・・・賊が東方から関中を落とすために必要な軍勢は試算できる?」

「少しお待ちください・・・・・・・・・7万です。これに万全を期し、兵站線の安定まで図るのでしたら、およそ10万人が必要になると思われます」

 

 

桂花は、確実に少女の思考に寄り添い、真意を解した上で答える。

その淀みなさは少女へ自分の思考の正しさへ裏付けを与えていく。

普段の二人の歪な関係を知る者には、意外に移る場面。少女はぞんざいな扱いを桂花自身が望んでいると知っているからこそ与える。その上で己のもう一つの頭脳として駆使する。

 

 

「だとすると、猶予はあまりないわね・・・秋蘭、一旦ここから離れて野営するわよ」

「良いのですか?暫くはここを根城に、周辺の賊徒を狩る予定だったはずですが」

「良いのよ・・・それに、そんなことしてたら私達も全滅してしまうわね」

 

 

謎かけのような言葉に翻弄されながら、秋蘭は疑いを差し挟まない。

絶大な信頼というよりも、予言を聞く感じに近い。

彼女が主君と仰ぐこの少女の言は、およそ全てが現実のものとなってきたのだから。

 

 

「桂花」

「春蘭や芙蓉、楓を呼び戻します」

「そうしてちょうだい。食糧は確保。他の戦利品は邪魔だから、兵卒に配ってあげなさい」

「はい」

 

 

少女は下した指示を、反芻することもなく馬頭を返す。

 

 

「これからは時間の勝負になるわ・・・斥候を倍にしなさい。本陣を手薄にしてもいいから、使えそうな官軍を探して合流するわよ」

 

 

少女――――曹操孟徳こと、真名・華琳は凄絶に笑う。

7千を篩にかけて残った5千。それを以てしても、負ける。

1万5千は欲しい。そのためには他の官軍、それも今回の黄巾党の動きを理解できるレベルの指揮官の居る官軍と合流しなければならない。

 

 

できなければ、全滅。

もしくは、座して帝国の転覆を待つことになる。

 

 

何より、自分をも騙し通した黄巾側の策士に興味が湧いた。

 

 

 

「絶対に、罠を食い破って私の前にはいつくばらせてやるわ・・・絶対にね」

 

 

華琳は、舌なめずりをした。

 

秋蘭はやれやれと肩を竦め、桂花は陶酔しきっていた。

 

 

 

 


あとがき?

 

 

未来を知るが故に朧はそれなりに苦労します。

正確には、ある人物にふりかかるであろう未来を知っているために付き合うと身の破滅を招くから。

王允なんかはその筆頭です。作中にあるように、張譲から逆襲を受けた彼の精神のベクトルは明らかに病んでいるとしか思えなくなっていきます。

今の彼は未来の知識がむしろマイナスに繋がっているパターンです。

 

巷では真・恋姫無双が発売されるとか。けれども、愛姫無双はそっちのけで話が進んでいきます。

いやね、張角とか百八十度違うキャラなので。かなりシリアスなキャラになってしまってます。

え?劉備?一刀?―――なんちゃって黄巾党と北方でチマチマ闘ってるんじゃないっすかね?(投槍

彼ら、彼女らの出番は警察署長になったけれども本庁のお偉いさんが気に食わないんで、半殺しにして出奔した後なので(実話です)

 

 

次回からは、掲示板でも予告していたように10万の黄巾党の精鋭を相手に少数で戦わなくてはならなくなります。

朧達に有利な点は、自分達の頭脳が敵将を遥かに上回り必殺の切り札を持っていることです。

華琳こと曹操・孫堅に朧を加えたトリオの1万がいかにして10万に勝つか、今後の展開にご期待を。




まさか、まさかだな。
美姫 「本当に、まさか手の内で踊っていただけとはね」
さてさて、十万を相手にどうするのかな。
美姫 「立ち向かう事になるのかしらね」
あそこまで断言していたんだ。きっと何かあるんだろう。
美姫 「うーん、次回が楽しみね」
ああ。次回も待っています。
美姫 「待ってますね〜」



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