昨日は食堂で疋田を除いてみんなで食事をしてから、帰ってすぐに寝た。

 

色々と考えるのもありだろうと思ったが、それはまだ先でいいだろうと思ったのでぐっすりと爆眠。

まぁ、それでも5時半には目が覚めて日課をやることにはなるんだが。

 

 

今日は蔵人たちに置いていかれることもなく、冬芽のリクエストで裏庭の花壇へやってきた。途中りっちゃんの三回目の朝ごはんを買うためにコンビニへ寄ったが、それは忘れよう。

 

 

 

「おはようございます、白衣さん。」

 

 

冬芽がそれはもう嬉しそうに挨拶する。

 

 

「・・・・お、おはようございます。冬芽ちゃん、皆さん。」

 

 

今日も薔薇の世話する白衣。だいぶ俺たちに慣れてくれたのか、言葉のたどたどしさが緩和されている。

 

 

「おはよう・・・・。」

 

「おはような、白衣。」

 

「おはよう・・・・・しかし、毎朝やってるのか。大変だな。」

 

「好きで、やっていますから・・・繊細なお花ですし。ひと夏越せるかどうかの瀬戸際だそうですから・・・頑張ってお世話しないと・・・。」

 

 

ええ子や・・・。

 

 

「なるほど、そういえば夏には咲かないんだったな。」

 

 

夏空と薔薇のコントラストが見事なせいか、薔薇が夏に咲いても違和感がない。

 

 

「はい・・・夏には咲かないからこそ、この子達には頑張って欲しい・・・です。」

 

 

「こぉらああああああ〜〜〜〜っ!」

 

 

む、来やがった・・・・懲りぬヤツよ。

信綱のように掴むのもありだが・・・アレと一緒にされたくないので、捌いて流す。

 

 

ふむ・・・段々速くなっているということは、一応初対面の相手には手加減しているつもりらしい。つもり、っていうのはどの道、痛い思いをすることには変わりがないからだ。

 

 

「避けるなっ!」

 

「悔しければ、当ててみせろ。・・・・それまでは、俺にスカートの中を恥ずかしげもなく晒すだけだがな。」

 

「な・・・・っ!」

 

 

急速沸騰のように、真っ赤な黒衣。一応、見られたら恥ずかしいんだな・・・・。

 

 

「白衣を想いやってやるのもいいが・・・・少しは恥じらいも持てよ?」

 

「ほ、ほほ、放っといてよっ!!」

 

 

更に顔を紅くすると、くるりと踵を返して走り去ってしまった・・・・あわただしいヤツだ。

 

 

「・・・もう、黒衣ちゃんったら・・・ごめんなさい、麒麟さん・・・。」

 

「白衣が謝ることでもないだろうが・・・・良い、良い・・慣れた。スキンシップとして楽しませてもらっている。」

 

「・・・・・・。」

 

「ところで麒麟さん・・・黒衣ちゃんのパンツ何色だった?」

 

「水色と白のストライプ。」

 

「あははっ〜、やっぱり見てた〜。」

 

 

何が嬉しいんだ、りっちゃん・・・・・謎だな。女の子同士でもパンツを見たら嬉しいものなのかね?

 

 

「・・・・見ないで捌くこともできるんだが、下手をすると捌いた先に冬芽や蔵人がいるかもしれないからな・・・これでも、考えてやってる。」

 

「・・・ふふっ、麒麟さん、男の子ですね。」

 

 

冬芽、その認識はひどいぞ。

 

 

「・・・確かに、あの凄ぇ速さの蹴りを見ないで避けるなんて到底無理な気がする・・・っていうか、捌いてるだけでも十分だろう。」

 

「・・・言い方は変だが、パンツを見ずにはすまない運命なんだな。」

 

「そうですか・・・では黒衣さんも、ズボンを穿いて学校へいらっしゃったら、思う存分蹴り技を繰り出すことができるでしょうね。ふふっ・・。」

 

「駄目だ・・・冬芽には適わん。」

 

「ふ、冬芽ちゃん・・・・そういう問題でも、ないと思うんだけど・・・・・。」

 

 

これこそ、悟りの境地というヤツだ・・・白衣、これには何も通用せんぜよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おっす、蔵人。りっちゃんも。」

 

「俺の名前は呼ばんのか・・・・。」

 

 

どうやら昨日しばいたことをまだ根に持っているらしい。粘着質なヤツめ。

 

 

「おはよう、三人とも。」

 

「おお、おはよう、圭・・・・お前がオアシスに見えるな・・・。」

 

「?・・・・言っている意味が解らないんだけど・・・。」

 

「解らなくて良い。言ってる俺もよく解ってない。」

 

「お早うございます。」

 

 

圭は俺の無責任な言葉に呆れながら、りっちゃんへ笑顔を振りまく。スマイル0円でも、そこまで振りまかなくてもよかろうに。

 

 

「・・・いよいよ今晩だな。」

 

 

信綱は俺の嫌味もあっさり聞き流して、如何にも嬉しそうにしている。どうやら、根に持っているというわけではなく、他のことを考える余裕がなくなっているだけらしい。

 

 

「やれやれ、何でそんな風に笑っていられるのやら・・・殺し合いがそんなに楽しいかね。」

 

「そう言うお前だって、嫌な顔一つしてねえじゃねーかよ。それに『殺し合い』じゃねえよ。『真剣勝負』だ。」

 

「人、それを言葉遊びもしくは、詭弁と呼ぶ。」

 

 

圭が俺の言葉にコクコク頷いている。

 

 

「なるほどな・・・・けど、信綱とは当たりたくないな。正直勝てる気がしない。」

 

 

蔵人の基準がどの辺にあるのか、不明だが。確かに、信綱はその実力の片鱗を見せないどころか意識的に全容をぼかしている。だが、それでも蔵人の認識は正しい。

 

 

「そうか?俺はお前と遣り合いたくてお百度を踏みたいぐらいだ。」

 

 

人工島に社なんぞあるわけねーだろうが。

 

 

「爺臭いよ、信綱。やれやれ・・・どうにも朝早くから獰猛な会話でいけないね。ねえ、六花ちゃん。」

 

「あは、そうですね・・・でも、私にはちょっと羨ましいです。」

 

「おや、六花ちゃんもあんな格闘莫迦丸出しの会話に仲間入りしたいんだ。」

 

「だって圭さん、そういう会話をしようとしまいと、今晩には闘わなきゃならないんですから。」

 

「ふふっ・・・お莫迦さんね、六花は。」

 

 

こ、この声は・・・・・小夜音か。振り返ってもいいんだが、今日も今日とてあの豪奢な御姿を拝見することになると、朝からめっきり疲れそうなんだよな。

 

 

「小夜音さん・・・・。」

 

「目的や考え方は人それぞれなんですもの。六花は六花で、あなたのやり方で筋を通せばいいのよ。なんでも真面目に考えて、真剣になれるのは・・・六花の欠点でもあるけれど、それ以上に美点なのですからね。」

 

「あは、やめてくださいよ・・・・照れちゃうじゃないですか〜。」

 

「なぁ・・・圭。」

 

「何?」

 

「小夜音の台詞が、六花を口説いているように聞こえるのは・・・・俺だけか?」

 

「ふふっ・・・・黙秘、させてもらいますよ。」

 

 

それはずるいな。目線でそのことを送るが、にんまり笑って流された。

 

 

「ふふっ・・・・おはようございます皆さん・・・・そうそう信綱さん、蔵人さんを狙っているのは貴男だけではありませんから。もし籤に外れても恨みっこなしですからね。」

 

「さすが、できる女は解っていらっしゃる。」

 

「蔵人・・・・モテモテだな。バイオレンスでバイセクシャルな展開・・・・どうやら、みんなお前を切り刻みたくて仕方ないらしい。」

 

「・・・バイオレンスが解るけどよ、バイセクシャルってなんだよ?」

 

「男にも女にも狙われているからじゃないの?いや、守備範囲が広いね、蔵人は、さ。」

 

「・・・別に、俺は狙ってくださいって頼んだわけじゃねーんだけどな。」

 

「じゃあ、あれだな。きっとそういう系統のフェロモンを振りまいてんだよ。」

 

 

どういう系統、と聞かれたら解らないが。そこはフィーリングだ。君よ、俺で解れってやつだな。

 

 

「・・・そんなモテ方はマジで遠慮したい・・・心の底から。」

 

「その気持ちは解らんでもないが、今は諦めろ。」

 

 

言われた蔵人はがっくりと肩を落とし、小夜音と蔵人が舌なめずり−しているような気がする−してそんな蔵人を見ていた。

 

 

憐れな子羊蔵人に、神の恩寵を。・・・・キリシタンじゃないけど、取り敢えず、な?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数学は、担当講師が数学の講師らしく本当に時間きっちりに終わらせた。

律儀というか勤勉というか・・・ジョークのネタではないが、己はカントかと思ってしまうほどだ。

 

 

「さて・・・・小夜音、何故そこの二人を起こさん。」

 

 

割と席の近い転入グループだが、俺とりっちゃん、小夜音に蔵人は席が固まっている。

俺の隣は小夜音で、その後ろの列で並んでいるのがりっちゃんと蔵人。まあ、それは余談で、この二人は仲良く並んで四時間目を睡眠時間として、有意義に浪費した。

 

 

「・・・・こ、こういう場合、どのように起こしたら良いのか見当がつかないものですから・・・・。」

 

「・・・小夜音が以前通っていた学校が、お嬢様学校というのは解ったとして・・・・・では、手本をご覧に入れよう。」

 

 

暴力的手段に訴えるのは本意ではないので・・・穏便な手段を。

りっちゃんの髪の毛をちょっと掻きあげて・・意外に癖毛だという感想はさておいて、耳元で囁く。

 

 

「早く起きないと、身体計測の刑にするぞ、りっちゃん。」

 

「・・・・・・・・・・・・・・・。」

 

「・・・・・・・・・・・・・・・。」

 

 

 

「いやああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!それだけはいやあああぁぁぁぁぁぁぁっ!!ごめんなさいぃぃぃぃぃっ!!もうしませんからそれだけはお許しをおおおおぉぉぉぉぉぉっ!!!」

 

 

 

 

「・・・・効果覿面だな。」

 

「・・・・は、はぁっ・・・・・?」

 

 

なんと言うか、小夜音はできれば参考にしたくなさそうだ。

 

 

「うぉっ!?・・・・・なんだ、なにがあったんだっ!?」

 

 

りっちゃんの言語絶する雄叫びというか、悲鳴によって今度は蔵人が飛び起きた。

 

 

「・・・・・って、乙女に向かって何てことを言うんですかっ!!」

 

「・・・・乙女はノートに涎の水溜りを作らないと思うんだが・・・・。」

 

「えっ・・・?」

 

 

・・・・・表面張力と吸水性のせいか、りっちゃんが寝たときに垂らした・・・・少なくない量の涎は見事に水溜りを作っている・・・・いや、本当に。

 

 

「あはははっ・・・・・・。」

 

 

誤魔化しながら、ノートを隠すなよ。

 

 

「なんだ・・・・りっちゃんの叫び声だったのかよ・・・・。」

 

「な、何だとはなんですかっ!私にとっては一大事だったんですからねっ!?」

 

「・・で、その一大事とやらは何だったんだ?」

 

「・・・・・・・・・・・・・・。」

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・。」

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・。」

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・。」

 

 

何だ・・・何でこんないやーな沈黙が降りるんだ。

 

 

「・・・・・・ところで、二人とも寝ていたがテストは本当に大丈夫なのか?」

 

「うわぁ・・・・あからさまに話を逸らしましたよ、この人。」

 

 

弩喧しい・・・・・誰のためだと思ってる。

 

 

「数学って良く寝られるものだから・・・・・・つい・・・・。」

 

「・・・・・・だよな。」

 

 

蔵人も深く頷いて同意している。

 

 

「もう、お二人とも・・・答えが一意的に決まる数学ならば、要は解法さえ解かれば満点なのですから。貴方がたに必要なのは、授業中に眠らないだけの根気です。」

 

「まあ、理屈じゃそうなんだが。分からんものを延々と聞かされるのはなあ・・・・寝るだろう。」

 

「観影さんの仰るとおり、人の役割は分担されているものなのでしょうけれど。それでも蔵人さんにはそれなりの教養を身に付けていただきたいですわ。」

 

「あははっ、小夜音さんは厳しいなあ・・・愛のスパルタ教育ですねっ!いやあぁん☆」

 

「い、いえっ。そういう意味では・・・・・ただ、私は貴方がたの将来の案じてですね・・・・っ!」

 

「『それでも“蔵人さんには”それなりの教養を身に付けていただきたいですわね』」

 

 

少し声の高さが足りないものの、小夜音の声音を模写してリピート。

 

 

「あっ・あ・・・・あ・・・そ、それは・・その・・言葉のあ、綾でして・・・ですからっ・・・!?」

 

「あー・・・・・できれば、落ち着いてくれ、小夜音・・・・・俺の方が恥ずかしいから、な?」

 

 

りんごのように真っ赤な小夜音がテンパってる。

つーか、そこで恥ずかしがるほうが逆効果なんだろうが・・・・今は面白いので放置の方向だな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ひと段落ついて、

 

 

「まあ、小夜音の言うことは最もだな。忠告に感謝する。」

 

「あの・・・・分かっていただけましたか、蔵人さん。」

 

「ま、分かったからと言って努力するとは限らないワケなんだがな・・・・。」

 

「あははははっ、やっぱり蔵人さんはダメダメだぁー☆」

 

 

・・・嬉しそうなのは、何でなんだりっちゃん。

 

 

「蔵人さん・・・・・。」

 

 

がっくりと脱力する小夜音がちょっと憐れだ。

まぁ、これで二人がくっついて子供ができたならちょうど良い塩梅になりそうではあるが。

 

 

「そうだな・・・・最低でも、小夜音に絶望されないレベルはキープできるように努力することにする。」

 

「そんなこと言っちゃって・・・・小夜音さんが『学年トップの方じゃないと私とは釣り合いませんわっ!』とか言い出したらどうするんですか?」

 

「どうって・・・・たじろいで逃げるんじゃないか、やっぱ。」

 

「敵前逃亡は士道不覚悟だな。」

 

「・・・・切腹かよ。」

 

「わ、私もそこまでとは申しませんわ・・・っ!!」

 

「はいはい。小夜音さんも昂奮しないの・・・ねっ☆」

 

「ん、もう、知りません・・・・。」

 

 

遊ばれていることに気付いていないくせに、小夜音は拗ねてしまった。

 

 

「くくっ・・・・拗ねても可愛いな、小夜音は。」

 

「〜〜〜〜っ!!」

 

「おっ・・・これは三角関係の匂いが・・・・。」

 

「そんな匂いしないっての・・・・・。」

 

 

で・・・・一体何の話をしてたんだ、俺らは?

 

 

 

 

 

 

 

 

「はーお腹空いた。」

 

「食べ盛り、育ち盛りだな。」

 

 

昼休みになったので食堂へ行くことにしたんだが・・・・りっちゃんは学校へ来る前にコンビニで買い込んだ食糧をちょこちょことつまんでいた・・・というか、今もつまんでいる。

その上で昼飯も食うというのだから、蔵人の言っていた『りっちゃの胃ブラックホール説』もあながち冗談に聞こえない。

 

 

「・・・・理解を得られたのに、とっても嬉しくないのはどうしてなんででしよー。」

 

 

知らんって、そんなことまで。

 

 

「・・・・そうだ、ご飯の前に試験日程を見ておきましょうよ。」

 

「ああ・・・そうだな。取り立てて見たいもんでもないが・・・・。」

 

「うわ、自信満々ですね蔵人さん!秀才だから範囲なんか見なくても楽勝ってことですね!?」

 

 

有り得ない、有り得ない。

 

 

「いや、見る前から諦めているだけだが、何か問題が?」

 

「えっと・・・・そもそも問題外です。」

 

「・・・そんなこと言ってると、来年は冬芽や白衣たちと机を並べることになるぞ?」

 

「・・・・そいつはマジで勘弁だな・・・・。」

 

「だったら、大人しくそこの掲示を見ることだな。」

 

 

何人かの人だかりを親指で指す。

ん?あれは・・・・黒衣と白衣か。

 

 

「おやおや黒衣さん、試験範囲はもう見たんじゃなかったのかな・・・・?」

 

「く、蔵人っ・・・・べ、別に何度見に来たって私の勝手でしょう!?」

 

 

昨日の晩飯のとき、黒衣は試験に関して余裕を見せ付けていたはずなんだが・・・・この様子だと、見栄を張っただけで慌てて来たってところだろうか。

 

 

「ああ、お前の勝手だよな。勝手なのに何焦ってるんだ?」

 

「あ、ああ焦ってなんか、い、いないわよ・・・っ!?」

 

 

すぐにボロが出る虚勢を張るあたり、そこまで捻くれているわけでもない、か。見てて微笑ましくなるぐらいだな。

 

 

「そっちのアンタも何ニヤニヤ笑ってんのよ、薄気味悪いわね・・・っ!」

 

 

言いながら、死角っぽい位置から黒衣は脛を蹴り上げようとしてくる。

 

 

「甘い。」

 

「へっ・・!?」

 

 

蹴り上げた足を黒衣の身体の内向きへ蹴られそうになった足で捌く。捌かれたことで黒衣の軸線は大きく傾き、重心を取られた身体は独楽のようにくるりと回って倒れていく。

 

 

「黒衣ちゃんっ!」

 

「っと・・・。」

 

 

流石にこのまま倒してしまうのは拙いので、背中を支えてしっかりと立たせてやる。

 

 

「皮肉ったのは蔵人であって、俺じゃないだろう・・・・。」

 

「うっ、うっさいわねっ!・・・・・行こう、お姉ちゃん!」

 

「あ、あの・・・・麒麟さん、ご、ごめんなさい・・・・・。」

 

「もうっ、そんな莫迦に謝らなくてもいいんだよっ、はやくっ!」

 

「あっ、待って・・・・あ、あの・・・それじゃ・・・・。」

 

 

見ていただけの俺を置いて、黒衣はすたすたと歩いていってしまった。

 

 

「・・・・理不尽だ・・・・蔵人、謝れ。」

 

「なんで、俺が・・・・・それこそ理不尽だろう。」

 

 

そうなんだが、とばっちりを受けた身としては腹の虫が収まらんのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「むぐむぐ・・・それにしても、本当に黒衣ちゃんは元気だよね・・・・。」

 

「いや。はっきり言って無駄な元気だろう・・・・あの調子で白衣に近づく男を尽く追い払ってきたと見る。」

 

 

その光景が目に浮かぶな・・・さぞや男どもは苦労したことだろう。

 

 

「というか、白衣があんな風に“ごめんなさいマニア”になったのは、黒衣が悪いんじゃねえかよ・・・?」

 

「ご、ごめんなさいマニアって・・・・まあ、でもそうなのかも知れないですね・・・・。」

 

「・・・・今はいいだろうが、何時か・・・・どちらかがどちらかを殺すことにならなければいいが・・・。」

 

「こ、殺すって・・・・・物騒だぜ、麒麟。」

 

 

蔵人の箸が止まる・・・・りっちゃんの咀嚼は止まらないが。

 

 

「そうか?俺もそうならないことを祈るが・・・・・な。」

 

 

有り得ない話ではない。あの二人は強く依存しあっているが、逆にそれだけだ。背中合わせに立っているのではなく、凭れ合っている。つまるところ、その凭れ合っているバランスが崩れたら・・・・。

 

ちょっと暗い話に向かいかけたな。

 

 

「飲み物でも買ってくる・・・りっちゃんもゆっくり食べてな。」

 

「はーいっ!」

 

「・・・ってか、まだ食べるのかよ。」

 

 

それは言うな、蔵人。俺はもう諦めの境地だ。

 

 

概して自販機の類は出入り口付近にある。便利と言えば便利なんだがな。

 

ん?あそこにいるのは・・・・疋田か?

カフェテリアの入り口、そこに立ってぼんやり人の流れを見ている。確かにあれは疋田だ。

 

小夜音にしろ、蔵人にしろ、中条姉妹にしたところで、大体の察しはついた。信綱はのらりくらり避わしているのでよく解らんが。

接する機会のない彼女の情報はまだ少ない。一つ探りを入れてみるのもありか。

 

 

「・・・・・・・・。」

 

 

向こうもこちらに気付いたか。

 

 

「・・・・よう、伊織ちゃん。」

 

「・・・・一応、学年は上だ。」

 

「それを言うのなら、一応年齢は俺の方が上だ。」

 

 

遠まわしに“ちゃん”付けを止めろと言いたいらしい。

俺も隣に立って壁に凭れ掛かると、近くで見る疋田の頬が少し紅い・・・・照れてるのかよ。

 

 

「・・・・靜峯麒麟。敵情視察ってところか?」

 

「有体に言えば・・・・有体に言わなければ、ただの興味本位だ。で、伊織は何をしている?」

 

「出入りしている人を眺めている。」

 

 

名前を呼び捨てにするのはいいのか。やはり、照れただけか。

 

 

「人間観察?」

 

「ああ。」

 

 

それっきり、伊織は視線をついと前を通る人ごみへ戻すと、言葉を発しなくなった。

 

カフェテリアの入り口はかなり間口が広い。当然中の面積は広いし、店内にはコンビニまで併設されているのだからそれは推して知るべしだろう。

 

全学年の生徒が最短ルートで出入りできるように、という配慮なのか、階段を下りてすぐの場所が入り口に直結している形になっている。

これはこの建物全体に言えることで、レトロな外見に相違して全体を通して機能をよく考えて造られている。

 

 

「賭けよう・・・カフェテリアの中、一人で右脇の椅子に座っている女子生徒が居る。」

 

 

突然、伊織が言い出した。てっきり俺への興味が失せたものとばかり思っていたので多少面食らう。

 

伊織の視線を追うと、窓際の明るい席で大多数の生徒が食事を取る中、反対の通路側に腰を下ろして昼食を採っているらしい女子生徒の姿がある。

 

 

「・・・それで?」

 

「あの子はそろそろ食べ終わり、カフェテリアを出る・・・・どっちへ行くと思う?」

 

 

抑揚のない声でそれだけ言うと、また黙って視線を戻してしまう。

 

どっち、と言うのは常識的に考えれば階段を上がるか、廊下を行くかの二択を指すのだろう。

 

 

「ふむ・・・・・。」

 

 

単純な話、確率論だけを求めるならば階段を選ぶべきだ。

三年生の教室は一階だから廊下を行くし、二年生は二階、一年生は三階だからこっちは階段を上がることになる。階段の可能性は高い、と言える。

 

しかし、それでは“賭け”の意味がない。

宝くじや三競のような賭け事と本来の賭博は意味が異なる。

後者は人対人であるため、賭けを成立させる何らかのルールが存在する。

 

サイコロで丁半を賭ける賭博も、そもそもただの確率論なら胴元はいらない。あれは、最初から胴元が儲ける仕組みになっている上で、客へスリルとそこそこの儲けや損をさせることで成り立っている。

 

つまるところ、場を支配するための何らかの要因がある。

サイコロ賭博ならば最初からサイコロの目をコントロールする親の手腕であったりする。

 

 

この賭けでも同じだ。

 

三年生も特別教室や図書室に行くのなら階段を使う。

下級生でも昼休みはまだあるのだから庭へ出ようとするのなら廊下を使う。

さて、どちらを選ぶか。

 

真面目な話をするのなら、実はこの賭けそのものに意味はなかったりする。命の遣り取りがかかっているわけではないのだ。要するに、伊織が賭けを持ちかけた意図を俺が引き受けるのか、利用するか、という点が遥かに重要だ。

 

ならば、俺にとって伊織の意図はどうでも良くなってしまう。探られて痛くなるような腕はしていない。

ここは純粋に賭けをするほうが、粋というものだ。

 

 

「・・・さて。」

 

 

さっきのルールのように、賭け成立の要因―――女子生徒の未来を予測する情報を探さなくてはならない。

 

制服は学年で違わない。これは着こなしが違うだけで、皆同じことから解かる。

女子生徒の食事の脇にある本が図書館のものであれば階段を使う可能性もある。

 

 

色々考えている内に、女子生徒は食事を済ませて席を立つ。

 

 

「・・・・決まったか?」

 

 

タイムリミットか。

 

 

「そちらからどうぞ・・・・。」

 

「では、私は廊下だ・・・・。」

 

 

あらら・・・・こいつは困った。

こうもあっさり決めるとは思わなかったっていうのもありだが・・・・・。

 

 

「賭けの商品は?」

 

「・・・・放棄するのか?」

 

 

伊織は些か意外そうな声を出す。

 

 

「いや、俺も廊下だからな・・・・賭けは不成立だ。こういう場合は、賭けを持ちかけた側。つまり、伊織の総取りというのが、暗黙の了解だ。」

 

「・・・・120円。喉が渇いていた。」

 

 

何となく、納得がいかないくせに貰う物を貰うとするあたり、面白いヤツだ。

 

 

「はいな。」

 

 

そんなやり取りをしている間に、女子生徒はトレイをカウンターへ返し、廊下を歩いて行ってしまった。

 

 

「・・・ご馳走様・・・どうして解かった?」

 

「・・・・何、俺は人の心が多少読めるっていう特技があるからな。」

 

 

冗談めかして言うと、伊織ほんの少しだけ笑ったように見えたが、そのまま学食内のコンビニへ行ってしまった。

 

しかし、あの若さで動線を読む力に長けるとは侮れんな。

 

 

無口なくせにどこ可愛らしい背中を見送ってから、蔵人達と合流して教室へ戻ることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、今日の授業はここまでだな。号令を頼む。」

 

「起立、礼。」

 

「それから、私のプロジェクトに参加している生徒は放課後、私の研究室に集合してくれ・・・時間6時だ、以上。」

 

 

観影さんはそれだけ簡潔に伝えると、教室を出で行く・・・と思ったが途中で引き返した。

 

 

「ああ、それと・・・靜峯。」

 

「ん?」

 

「話がある。仕度ができ次第、私の研究室へ来るように。」

 

「・・・・・・・・・・。」

 

「そんなに嫌そうな顔をするな・・・・別に取って食べたりはしない。」

 

 

普通、教師に呼び出しくらって喜ぶやつはいないと思うんだが。

は!?・・・・まさか・・・・。

 

 

「俺の検査結果で・・・・癌が見つかったとか?」

 

「あのな・・・・何時お前に癌を発見できるような検査をしたんだ?」

 

「いや、冗談だから。」

 

 

教室全体が、思いっきりズッコケた。某新喜劇みたいに。観影さんも例に漏れていないあたり、付き合いいいよな、意外に。

 

とりあえず、早く来いとだけ言い残して観影さんは足早に行ってしまった。

研究主任なんていう大役さえなければ、あれはあれで可愛い人なんだろうな。

 

 

「やれやれ・・・・では、昨日の信綱に引き続いて今日は俺が若いエキスと吸い取られてくる・・・。」

 

「いや・・・誰も若いエキスを吸い取ったなんて言ってねえんだが・・・・。」

 

「皆まで言うな・・・・お前の気持ちはよーく解かってる。」

 

「二人とも・・・会話がまるで噛み合ってないようだけど?」

 

 

分かってる。意図的にやってるからな。

 

 

「俺が観影さんと乳繰り合うか抜き差しするのかは置いておくとして・・・・ま、今日から本番だからな。できれば信綱と当たらないように祈っとく。」

 

「へっ・・・良く言うぜ・・俺なんか眼中にないって顔してるくせによ。」

 

「そいつは買いかぶりだな・・・未知数という意味では蔵人も怖いが、わざとらしく実力をはぐらかしてこっちを誘うような奴が一番信用ならないな」。」

 

 

信綱はニヤリと笑ったが、俺は笑わなかった。その代わりに目を細めると、向こうは意外そうな顔をしてから更に不敵な笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で・・・・わざわざの呼び出しはどのようなご用件で?」

 

 

どうせ持成してもらえそうになかったので、持参の缶コーヒーを口にする。

観影さんの様子を見る限り、その推測は外れではなかったらしい。

 

 

「単刀直入に聞くが・・・・君は何者だ?」

 

「・・・・これはまた芸のない質問だ・・・プロフィールは“内閣府”から届いていると思うが?」

 

「ああ・・・・何の問題もない、綺麗な経歴だな。多少、波乱のある人生を送っているが、今時珍しくもない・・・・だが、それだけではないはずだ。」

 

「それで・・・?」

 

「・・・・この経歴からは君が内閣府からの特別推薦を受ける理由がない・・・私も八方手を尽くしたが、君の正体については解らないままだ。」

 

「そう言われてもな・・・・。」

 

 

俺が隠しているわけではなく、俺を送り込んだ連中の思惑だ。俺に言われても困る。

 

 

「では、最初の質問へ戻るが、君は何者だ?」

 

「・・・落ち着けよ。俺が素性を隠すとして、それを素直に話すわけがないだろう?

 

「そうだな・・・・話を変えよう・・・。」

 

 

やけにあっさりと引き下がるが、俺への疑惑の目は変わっていない。

居心地悪いな・・・・早く帰りたいぞ。

 

 

「・・・・・昨日、私も動揺して気付かなかったが・・・君は一体何時、『デミウルゴス』システムにアクセスした。」

 

「あっ?」

 

 

そうか・・・そうだよな。

あれは俺にとっても、観影さんたちにとってもイレギュラーだったよーな気がする。

 

 

「まぁ・・・なんと言うか・・・・むしろ、それは俺の方が聞きたいわけで・・・・。」

 

「?・・・・何を・・・・言っている。」

 

「疑う気持ちも解かるんだが・・・俺自身何が起きたか解からない。観影さんは『統治者』が入力デバイスと言ったが、俺は『偏倚立方体』の支柱から仮想世界へ引きずり込まれた・・・それが真相だ。」

 

「ば、莫迦なっ!」

 

「・・・・・余計なことだが、それは俺の台詞であって、貴女が言っては駄目だろう。」

 

「っ!?」

 

 

観影さんの張り詰めたものとは種類の違う、憎しみにも似た鋭い視線が叩きつけてくる。

 

 

「事の仕組みが俺に解かるはずがない・・・餅は餅屋とは誰が言ったか忘れたが、それはそっちで考えてくれ。」

 

 

それが最低限の役割分担だ。

俺らは命を張って殺し合いの場に立つのだから、全身全霊を傾けてバックアップしてもらわなければ困る。

 

 

「分かった・・・このことについては、我々で解決する・・・しかし、ならば君が昨日口にした疋田博士とマーシュ博士が悪趣味というのはどういう意味だ?」

 

「言葉の通りだ。観影さんは科学者だが、霊識学・・・人智学とか、神智学、神秘主義とか、その手の学識については、どの程度知ってる?」

 

「・・・・私は科学者だ。自らの領分については絶対的な自負はあるが、それ以外についてはさっぱりだ。」

 

「・・・・正直な答えをありがとう。そう難しい話をするつもりはない・・・・というか、結論から言うと『デミウルゴス』システムは“欠陥品”だ。」

 

「な・・・・っ!?」

 

 

観影さんは目に見えて気色ばむ。それも仕方ないだろう。

基礎理論の構築と初期段階を両博士が担当していたとは言え、今の管理責任者は観影さんなのだ。自分の成果であるシステムを“欠陥品”呼ばわりされて良い気はしないだろう。

 

 

「『デミウルゴス』システムに使用されている隠微学はどの程度理解を?」

 

「一通りは・・・小鳥遊から補足説明を受けたが。」

 

「圭がどこまで説明したかは知らないが・・・・『デミウルゴス』システムは六つの要素に後二つの要素を加えて完成するようになっている。」

 

「ああ、そこまでは小鳥遊からも聞いた。残り二つの要素が欠けたままで・・・・事故の被害者である研究員―――ソフィアーは必然だった・・・・と。」

 

 

何故か、観影さんは視線をさ迷わせる。まるで、俺に内心を悟られないように隠そうとしている。

研究員と言えば、同僚として親しかった可能性もある。

 

 

「『ソフィアー』というのは霊識学(グノシスティック)においては非常に重要な要素だ・・・量子力学におきかえるのならば、彼女は絶対的観測者だ。」

 

「・・・・・絶対的観測者・・・・つまり、彼女そのものが『デミウルゴス』における『固定』の作用者なのかっ!」

 

「そう。俺たちが得物を自在に喚べるのは、『ソフィアー』がシステムを操作できるからではなく、彼女がシステムそのものだからだ・・・・・喚べば来るが、俺達の『意思』という入力がなければ『喚ばれた』という出力がなされない。」

 

「それでは・・・なんだ・・ねえさ・・・いや、彼女は小鳥遊の言うようにそうなることが運命だった、と?」

 

「それは正確じゃない・・・・俺が悪趣味だと言っているのは、そもそも一番最初にアクセスする昂揚能力者は自動的に『ソフィアー』にならなくてはならない。要するに、疋田博士とマーシュ博士によって最初から仕組まれた人為的な行為の産物なんだ、『ソフィアー』は。」

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・。」

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・。」

 

 

絶句している観影さんの顔面は蝋のように真っ青になっている。

 

その内心は推し量れない。いや、元々推し量るつもりもない。

事情を知らない人間が無闇に推し量っていいものでもない。

 

 

「・・・・・・『ソフィアー』の事故が必然で・・・・それが残りの要素の一つだと、言うんだな・・・?」

 

「ああ。」

 

「・・・・なら、お前にはもう一つの要素が・・・・・解っているのか?」

 

「・・・・さぁ・・・答えは答えでも、それは正解じゃない・・・・だから、無意味なのかもしれない・・。」

 

 

俺は、疋田やマーシュと同じ真似をしたくない。

だがそれは先延ばしでしかない。それ以外に解決策があるにしても、俺は今、確実に助かる道を捨てようとしているのかもしれない。

 

 

「・・・・・・・・・・そうか・・・・・・・・・。」

 

 

観影さんは、小さく、弱々しく同意してくれただけで・・・・それっきり何も語らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、夜。いよいよ最初の実験が開始されようとしていた。

 

 

「・・・では、これから最初のセッションを開始する。配置は昨日登録した通りだ。」

 

 

昼間の動揺から、観影さんは多少立ち直っている。

それでも大人というヤツは自分の心を押し殺す術に長けるもので、内心はまだ落ち着いていないのだろう。

 

軽く目配せすると、辛そうに逸らされた。

 

 

「じゃ、逢えたら中でな。」

 

「逢えたら・・・なっ。」

 

「はいっ・・・。」

 

「ああ・・・・。」

 

 

それぞれの決意を込めて信綱の呼びかけに応える。

 

このやり方も間違いではない・・・・そう思い込もうとする自分が滑稽で、けれども真剣勝負を前にした高揚感も同時にある。

 

 

蔵人たちは所定の鏡の上に横たわり、俺は昨日と同じく支柱へ身を預ける。

 

 

「では皆、心を落ち着かせろ。全員の状態安定を確認後、仮想世界への回路を開く。」

 

 

そう言い残して、観影さんは地下の管制室へ降りていく。

強さと脆さが危ういバランスで交じり合う背中は、見ている方が辛くなる。

 

 

「何て言うか・・・ここで寝転がっている時間が長ければ長いほど、死刑台への階段の段数が増えていくような気がするな。」

 

「ちょっ、ちょっと・・・・縁起でもないこと言わないでよ・・・。」

 

「というかな・・・・段数が増えればそれだけ遠のいているってことじゃないのか?」

 

『・・・・・・・・・・・・・・・。』

 

 

何となく、蔵人へ向けての痛い沈黙が落ちる。

 

心配なのは誰もが変わらないが、蔵人のこれは緊張を解そうとしたわけではなくただの天然だろうな。

結果的に緊張の幾許かが解されたのならば怪我の功名だ・・・・喜べ、蔵人。

 

 

「待たせたな・・・接続を開始する。」

 

 

声の導きに呼応して、昨日も感じた地下からの鳴動が徐々に高まる。

引き摺られるような感覚が高まっていくがわかる。

 

 

「覚えておいて欲しい。その世界に於ける力は君達自身の地力を以って他に無く、君達が封ずる力は君達の持つ一振りの刃を以って他に無い。」

 

 

魂魄の模写と意識の離散が始まると・・・・知覚が割れて、半ば異次元へ同化していく。

 

 

「忘れるな―――君たちの力が世界を変えるのだ。死を畏れず、また闘いを恐れるな・・・勝ち取るのは未来、そして希望!」

 

 

その力強い言葉は昨日と同じ。

 

 

「・・・没入!」

 

 

俺は暗くなる意識の中で、思うのだ。

観影さん・・・貴女は今、自分の口にする言葉を昨日ほど信じていますか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天には全ての時間帯の空が同時に存在し、地には広大で絢爛たる薔薇の絨毯が敷き詰められ、石柱が立ち並ぶ。

 

一言で言うのならば、雑然。

 

 

俺と伊織、白衣と黒衣はそんな仮想世界へ放り出されていた。

 

 

「さて・・・・この組み合わせは想像しなかったな・・・・。」

 

「な、なんで四人もいるのよっ!?」

 

「それはこっちが聞きたいんだが・・・・・まぁ、この場の誰に聞いたところでどうせ解らん。諦めろ、黒衣。」

 

 

七人――黒衣と白衣は一人で数える――いるから単純に一人溢れるかと思ったが・・・どうやらこうなるらしい。

 

 

「どうする・・?」

 

「・・・・三つ巴の乱戦もありだが・・・・。」

 

「ええっ・・・!?」

 

 

あからさまに嫌そうな顔をするな。

つーか、伊織に中条姉妹って・・・・まとまるもんもまとまりそうにない面子が揃ったもんだ。

 

 

「ここは・・・公平にじゃんけん・・・・はやっぱ止め。」

 

「っ!・・・・なーんでよっ!じゃんけんでいいじゃないっ!」

 

「・・・・私たちの動体視力だと、決着がつきそうにもないな。」

 

「そういうこと・・・・・・・でも、どうすんのよ?」

 

「お前も・・少しは考えろや・・・・・。」

 

「・・・・あ、あの・・・・籖で・・・決め・・ましょう。」

 

 

さっきから発言していなかった白衣は、手にポケットティッシュで作ったらしい即席の籖を握っている。

 

 

「・・・・俺達の中で一番賢かったのは、白衣ということか・・・・。」

 

「あったりまえでしょうっ!私のお姉ちゃんなんだからっ!」

 

 

だから、何でお前が威張るんだ黒衣。

 

 

「・・・籖の作成者である白衣を最後として・・最初は私が引かせてもらう・・・。」

 

「は・・はい・・・・赤い印がついたのが・・・当り・・です。」

 

「当り・・・というのは、遣り合うヤツってことだよな・・・・・。」

 

 

それは当りというのか・・・・信綱なら文句なく当りだと言い切るだろうが、俺としては半々だな。

そんなことを考えながら、伊織に引き続いて籖を引いた。

 

 

「・・・白だ。」

 

伊織が引いた籖を見せる。

 

「・・・・ってことは、俺が赤だから・・・・。」

 

「私たちと、アンタで勝負ってことね・・・・。」

 

 

黒衣が不敵に笑ってくれる。

 

蹴りを散々避けたから、それを根に持ってやがるのか?

これまでの恨みをこの場で晴らそうとするつもりかよ・・・別に、俺は悪いことをしたつもりはないんだが。

 

 

「ま・・・やらなければならんのなら、やるがね。」

 

「・・・私はじっくり観させてもらうさ。」

 

 

伊織は石柱に凭れ掛かると、昼にやっていたのとを同じように観察を始める。実戦の動きを見られるのは少し痛いが・・・それで攻略されるほど、俺も甘くないつもりだ。

 

 

伊織から少し距離をとって、二人と対峙する。

 

 

「・・・本当に二人なんだな。」

 

「なに、今更怖気づいた?」

 

「く、黒衣ちゃん・・・っ!」

 

「いや・・・・俺は、多対一にも慣れてるからな。そっちの小細工がどこまで通じるか、試すと良い。」

 

「ふん・・・っ!すぐにギタギタにしてやるわよっ!」

 

「ふん、ほざけ・・・・小娘。」

 

 

『ソフィアー!俺に太刀を!』

 

『ソフィアー!我等に太刀を!』

 

 

 

半信半疑だったが、小夜音のときと同じように俺の太刀は構えた手に現れる。ご丁寧に鞘に納まった状態で、紐帯までついている。

 

 

「小太刀か・・・・。」

 

「そっちこそ、野太刀なんて・・・莫迦力みたいね・・・・。」

 

 

俺達の得物は見事に対照的だ。

 

俺の太刀は3尺3寸の、いわゆる野太刀に分類されるもの。

対する黒衣と白衣は刃長1尺5寸ちょっとの小太刀。小柄な二人が持つとそうでもないが、対比される俺の野太刀が大きい分どうしても小さく見えてしまう。

 

 

「・・・・・・・・・・・。」

 

「・・・・・・・・・・・。」

 

 

一面の薔薇の真紅。抜刀で生じた僅かな風で、薔薇の香気が薫ってくる。染み入るような真紅と香気が少しずつ、俺の脳髄を血色に染めていくような気がする。

 

 

「・・・・・くくっ!」

 

 

喉の奥で湧き上がる昂奮を押し殺すのが大変だ。

薔薇の美しさに反して、獣性が高まるのが嫌でも分かる。

 

 

「富田流、中条白衣。」

 

「同じく、中条黒衣・・・・。」

 

「では・・・“巌流”、靜峯麒麟・・・お相手致そう・・・いざっ!」

 

 

俺の流派を聞いた瞬間、白衣も黒衣も、伊織さえも一瞬驚いた顔をする。

 

 

だが、それも一瞬。闘いは始まったのだ。

 

 

黒衣がついと小太刀を上段に構える動作を見せた瞬間、白衣の姿が掻き消えた。

 

 

「・・・・その業、どこまで俺に通用するか・・・手品ならば、死ぬぞ?」

 

 

虚虚実実・・・・剣術に限らず、闘争とはそういうものだ。

 

小太刀を上段に構えようとする黒衣の動作が俺の注意を引いた隙なんだろうが、これは見事だ。

 

 

「・・・私たちの動きは、常軌を逸するわよ?」

 

「それは、楽しみだ・・・・。」

 

 

初手から走りこんでくる・・・富田流小太刀は、本来の小太刀術の基本・・つまり、必殺の突きを旨とする流派。槍よりもなお鋭く、迅雷の如く相手を貫くとされる。

 

 

「はぁっ・・・!!」

 

 

予想に違わぬ突き・・・・。

 

 

「っ・・・!?」

 

「・・・躱したっ・・・!!」

 

 

体捌きで避けた直後、影から抜け出たような死角から小手狙いの斬撃が来やがった。

巧い・・・黒衣がただ注意を引くだけではなく、必殺の突きを見事に活用している。

 

 

「まだよ・・・っ!」

 

 

小柄で俊敏性に優れる黒衣は、俺が白衣の斬撃で体勢を崩してから立ち直るより先に、初太刀で俺の野太刀の峰を捉え・・・そのまま滑るように斬り込んで来る。

 

 

「悪くない・・・・が、足らんっ!」

 

 

滑らせながら外へ流そうとする黒衣の力をそのままに、右の腿を強かに蹴り飛ばす。

 

 

「ぐうっ・・・!」

 

 

白衣の追撃を受けないように蹴り足と黒衣の力を殺さず、逆にそこを軸にして体の位置を左へ変える。

 

蹴られた腿が瞬間的に麻痺して、黒衣の勢足が殺される。

自由になった太刀を手首の動きで戻して黒衣へ袈裟懸けに振り下ろすが、その長さが仇となり剣先を白衣の小太刀に止められる。

 

この間隙に黒衣は、舌打ちを交えて飛び退き、着地した軸足で再度攻めかかってきやがる。

 

黒衣が注意を惹きつけて、白衣が死角を攻める。

黒衣に狙いを絞っても白衣が防御援護に回る。黒衣はその隙に必殺の体勢を整える。

 

そうやって、徐々に相手を後手に回して虚実で混乱を来たしたところを仕留める。

もっとも・・・・並の剣士では最初の攻撃で白衣にしとめられるのがオチだろうが。

 

 

白衣の姿は案の定、もうそこにはない。

 

しかし、攻略法は幾つか見つけた・・・それをどう克服しているのか、見せてもらおうじゃないか。

 

 

黒衣の突貫は速い。力がなくとも、速さと機会さえ得れば女子供でも相手を突き殺すことができる。

 

 

「ふっ・・・!」

 

「なっ・・・!」

 

 

だが・・・俺の斬撃は、なお速い!

 

さあ、どうする黒衣。

間合いは絶対的に俺の方が広い。

 

今の黒衣の動きでは唐竹を左右どちらかに避けるしかない・・・さもなければ、何時でも切り替えられる袈裟か逆袈裟の斬撃で断ち切られるだけだ。

だが、左右どちらかに避けたとしても、そこには奇襲になりえない白衣が無防備にさらけ出されるだけだ。

 

 

相手の死角をつこうとする余り、自分の視界を制限する。

それが白衣の役回りが負う欠点。

 

 

「・・っ!」

 

 

左・・・裏に跳んだか、賢明だ。

だがな・・・その程度では俺の掌中から逃れられん!

 

流石に、連携を主たるものにするだけあり、白衣は黒衣の虚実に合わせて俺の死角にあり続ける。

 

 

「惜しい・・・・。」

 

 

我知らず呟きが漏れた。

 

この動き・・・・どれほどの修練を積んだものか想像もつかない。

二人とも小太刀術を使いこなす天稟も備わっている・・・・けれども、決定的に言えることがある。

 

 

あまりに戦い・・・闘争に向いていない。

 

 

 

右足をふんばり、体を捩じり戻す反作用で左足を前へ出し、逆胴の横薙ぎで黒衣へ追従する。

左へ回り込もうとしていた黒衣は面くらい、反射的に更に左へ跳び退る。

 

だが、それでは今度こそ無防備な白衣が俺の眼前に晒される。

 

もう一つの欠点。黒衣がアクションを起こし、次のアクションへ入れば白衣も自動的に必殺の動きへ入る。つまり、その時の白衣は攻撃へ入るための僅かな隙を否応なく曝け出さざるを得なくなる。

 

 

 

バシィィッン!

 

 

「ぐっ・・・っ・・・。」

 

 

そこへよもや来るまいと思っていた黒衣が、割って入る。先のやり取りで俺の斬撃の重さを見て取ったのか、身体ごと留めの構えで飛び込むようにして俺の太刀を止める。

 

 

「良い・・判断だ。」

 

 

そうでもなければ、黒衣は吹き飛び、白衣の首が宙を舞ったことだろう。

 

 

 

「・・・っ!」

 

 

白衣が動き出すが、判断が遅い。

 

これも欠点だ。連携に固執するが故に、単独での動きが甘くなりがち。

俺と黒衣の膂力の差は歴然。白衣が俺を動かすまでに鍔迫り合いで潰される。

 

 

「・・・それでは、面白くない。」

 

「え・・・っ!」

 

 

少し押してから、俺は黒衣の小太刀を流して距離を置いた。

位置関係は最初に戻り、お互い一足一刀の間合いの外となる。

 

 

「はぁ・・っ、はぁ・・・っ・・・・なんのつもり?」

 

「・・言ったろう、それでは面白くない、と。」

 

 

構えを変える。

肩の高さで刃を上向きにして鋩を相手へ向ける、変則的な構え。

 

 

「・・・・今から、“巌流”の奥義を見せてやる。見事破るが良い。」

 

「・・・・良い度胸じゃない・・・受けてあげるわっ!」

 

「・・・黒衣ちゃんっ!」

 

「行こう、お姉ちゃんっ!」

 

「うんっ!」

 

 

速い・・・おそらく、此度の闘い最速。

その上で必勝パターンの如く黒衣の陰に白衣が潜む。

 

 

俺は、動く必要がない。

 

 

虚虚実実。ならば、俺の刀に虚と実を同時に生じせしめれば良い。

 

 

「・・・そこだっ!」

 

「な・・っ!!?」

 

 

複数の要素が交錯した刹那、俺の太刀は弧偃を描く。

 

 

表からの突きへ移行する黒衣は声こそ上げたが反応できない・・できるはずがない。

それでもなお、鋩を小太刀で逸らしたのは天性のものだ。

 

黒衣の左肩がざっくりと斬れ、鮮血が散る。

 

 

「黒衣ちゃんっ!」

 

 

白衣が呼び終わらぬ前に、俺の鋩を玄妙な動きに変じさせる。

 

 

「ぁ・・かっ・・・・!」

 

 

袈裟が刹那よりなお短き虚空の間に薙ぎと化すと、寸毫の遅れの後に黒衣の頭と胴体が離れた。

 

 

宙を舞う黒衣の生首と目が合う。

その目に苦痛の色はなく、刎ねられた自覚すらない。

 

 

まだ、白衣がいる。黒衣が刎ねられたことを知覚していながら身体はそのまま向かってくる。

 

 

「あ・・・・・・・・っ!」

 

 

鋩が玄妙な動きに変じ、表切上げから俊敏な鳥が飛び立つかのように裂いた。

 

 

 

「・・・・“巌流”、燕返し。」

 

 

鮮血が生温い感触と共に降り注ぎ・・・・それは、不思議なことに花びらと化して数多舞い上がっていく。

 

それは、ついさっきまで白衣と黒衣としてそこに存在していたもの。

 

 

「これが・・・実戦経験を積んだ、俺とお前達の如何ともし難い差だ・・・許せ。」

 

 

舞い上がる花びらが体表を撫でていく。

 

 

「伊織・・・・・俺の剣は・・・・・曇っているか?」

 

「・・・・・私には・・・・・良く、分からない・・・・・。」

 

「そうか・・・・すまないな・・・変なことを聞いた・・・。」

 

「何故。何故謝る・・・・?」

 

「それは・・・俺にも、解らん。」

 

 

ただ、尋ねたときのお前は何とも言えない悲しそうな顔をしたから・・・・・。

 

 

 

そして、世界は毀れる――――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「システム内にて仮想世界の崩壊を確認。『偏倚立方体』内部での演算素子の活動開始を確認。」

 

「遂に来たか・・・システムが発動する前にもう一度『匣』の密閉を確認しろ。」

 

 

管制室の緊張は、これまでマニュアルと演習だけであった実験に本番というスパイスが加えられて各人の心音を高める。

 

 

「回路より『偏倚立方体』に向けてのエネルギーフィードバックを確認。重力波発生容量限界までおよそ57秒。」

 

「『ニトクリスの鏡』の遮蔽シールド内収容と密封の最終確認。医療班は被験者収容と緊急時措置の準備をして待機。」

 

 

観影は、一つだけ嘘をついた。

 

事故発生確率約2%。

それは、不確かなデータを基に作成した気休めに過ぎない。

 

 

「容量限界まであと24秒。」

 

「『シュレーディンガーの匣』は最終チェックを完了。『ニトクリスの鏡』遮蔽シールド内への収容完了も確認。医療班の配備は後2分ほどで完了します。」

 

「了解した・・・システムの観測を開始してくれ。」

 

「システムの観測記録を開始。臨界までカウントダウン。10・・9・・8・・7・・・。」

 

 

管制室に居る全員の表情に緊張が漲る。オペレータ以外は、皆システムからの中継画像を固唾を呑んで見守っている。

 

 

「・・3・・2・・1・・容量臨界を突破します。」

 

 

『偏倚立方体』より発生、収束したエネルギーは容量限界を超えて空に向かって放射される。

 

一瞬、まるで夜を昼と塗り替えんばかりの光芒が世界を錯覚させると、もう次の瞬間には何事もなかったかのように夜の静寂を取り戻していた。

 

 

「重力波放射を確認。観測業務を『冬寂』に移行します・・・主任。」

 

「ああ、ご苦労だった・・・救護班は?」

 

「問題のあった被験者は全て収容し、医科棟に移送を完了しています・・・今のところ、心因性の表皮内出血以外、全員異常は見受けられないようです。」

 

「そうか・・・取り敢えずは事なきを得たな。」

 

「そうですね・・・これで観測結果が良い方向へ出てくれれば、それに越したことはないのですが。」

 

「・・・私たちは、今はただ神の賽子遊びの結果を待つ・・・場に細工はできても、賽には細工できないからな。」

 

「・・・はい。」

 

 

神の賽子遊びは、未だ始まったばかり――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・終わったか・・・。」

 

 

立ったまま、意識を別の場所へシフトさせている俺にとって、戻ってくるのは奇妙な感じがする。

まだ俺はあの世界の延長線上にいるのではないか、とそう思ってしまう。

 

それこそ、胡蝶の夢、か。

 

外へ意識を向けると、医療班らしき人間達に蔵人は担架へ乗せられて移送されていくところだった。

胸部は上下している。死んだわけではなく、一時的なショックで意識が戻らないだけらしい。

 

 

「・・・・蔵人は負けたか・・・・。」

 

 

荒削りだが、蔵人は良い資質を持っている。

破ったのは、小夜音か信綱か・・・・まさか、りっちゃんというのも有り得る。

 

 

他に注意を向ければ、小夜音と信綱はやはりと言うべきか、もう起き上がっている。

小夜音は思うところがあるように呆然と虚空を見詰めている。

信綱は、対戦者だったのだろう、りっちゃんを起こしてやっている。

 

俺は、それを見ているわけには・・・・いかない。

 

 

「・・・白衣、黒衣・・・・どうだった?」

 

 

無意識なのだろう。二人はそれぞれ、俺に斬られた首と胸元を撫でている。

 

 

「・・・・・・・・・。」

 

「・・・わ・・解ら・・ないん、です・・・・私・・何時、斬られた・・・のか。」

 

「そう・・・・か。」

 

 

無言の黒衣と、たどたどしく恐れを語る白衣を、両膝をついてそっと抱きしめてやる。

二人は・・・どんな感情からか、嗚咽を始めていたから。

 

 

「っく・・・ぇっ・・・・っく・・・ぅっ・・・・。」

 

「っひ・・・うぅ・・・・っぅ・・・・くっ・・・・。」

 

 

斬った本人である俺がどんな言葉を掛けるのか・・・・適当な言葉が見当たらない。

 

 

「良くやった・・・二人とも。俺に、“燕返し”を使わせたんだ・・・誇って良い・・・。」

 

 

拙いな・・・こういう時、気の利いた一言が言えれば良いんだが・・・・。

 

何故か・・・伊織は俺のことを、世界が毀れる前と同じように悲しげな瞳で見てから、黙ってその場を去っていく。第三者として、俺達の闘いを見た彼女は、どのような感慨を抱いたのか・・・・知る術はない。

 

 

コツコツと足音が近づいてくる。

 

 

「観影センセ・・・蔵人の姿が見えないが・・・アイツはどうした?」

 

「一時的なショック症状だ。今は医科棟で休ませているが、問題はない。」

 

 

二人の話を聞きながら、そっと白衣と黒衣を離してからハンカチで泣き顔を拭いてやる。綺麗になったのを確認してから頷くと、白衣と黒衣は恥ずかしそうに頷いた。

 

その頷きがどんな意味なのか、複雑過ぎて言葉にできない。ただ、不快ではない。

 

 

「そうか・・・・じゃ、一足先に帰るとするか。りっちゃん、歩けるか?」

 

「うん・・・・。」

 

「六花さん・・・。」

 

 

自分も少しきついだろうに、白衣は心配そうにりっちゃんへ駆け寄り、信綱と反対側を支えてやる。

これには黒衣もなにも言えず、また自分の首筋をなぞる。

 

 

「白衣ちゃん、ありがと・・・・・。」

 

「・・・月瀬は?」

 

 

呆けていたように佇む小夜音は、声を掛けられてこちらへ戻ってくる。

 

 

「私はもう少しここに残りますわ・・・・申し訳ありませんが、六花のことをお願いします。」

 

「わかった・・・・・・・。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――無言

 

部屋へ帰る途上、そこには誰の声もなかった。

 

小夜音、蔵人、伊織を欠いた五人は楽しげに談笑する気分じゃない。

 

 

「・・・・イセコちゃん。」

 

 

信綱に背負われているりっちゃんが、呟く。

 

 

「・・・なんだ?」

 

「イセコちゃんは、強いね。」

 

「・・・・・・・・・そうか。」

 

 

長い間をおいて、信綱は否定も肯定もせず受け入れた。

俺には、その間が信綱にとっての否定のような気がした。

 

信綱は余計なことは言わない。

六花の心情を良く理解できているから。なにを言っても慰めにならないから。

陳腐な言い回しだが、勝者が敗者にかけるべき言葉は本来ない。

 

なぜならば、真剣勝負とは勝者と敗者に別たれた時点で敗者は死者として言葉の届かない存在となるから。

 

 

「わたし、頑張ったよ・・・死にたくないって思ったから、自分に出来ること、精一杯やったつもりだった・・実際、今までで一番身体も良く動いたんだ。まるで自分じゃないみたいだった。」

 

「・・・・・・ああ。」

 

 

信綱は解っている、という風に肯いた。

 

 

「それなのに・・・なんで・・・どうして、わたしはイセコちゃんに敵わないの・・・・・!」

 

 

死の恐怖だけじゃない。

りっちゃんは、一人の剣客として純粋に届かぬ相手に悔しさを感じている。

 

そんなりっちゃんを、白衣と黒衣の二人も俺の後ろを着いて来ながら見詰めている。

 

二人とも、胸に去来するのはりっちゃんと同じ気持ちなのかも知れない。俺には推量するだけで、確たることは言えないが、外れているとも思えない。

俺は、二人の連携を殺した上で、トドメを加えたのだから。

 

 

「りっちゃん・・・今はそれで良い。悔しいだろうが・・・それで良いんだ。いつか、きっと解かる時が来る。」

 

「うっ・・・く・・・ぅ・・ぅぅ・・・・。」

 

 

再び背で泣き始めたりっちゃんを、信綱は殊更に慰めようとはしない。代わりに独り言のように呟き始める。

 

 

「そうやって、昔の戦士達は戦場で散っていった・・・・その悔しさを噛み締めながら。でもりっちゃんと違うところは・・・彼らには二度目がなかったってことさ。」

 

「・・・・・・・・・!」

 

「良いかりっちゃん・・・・人の運命ってヤツは流れだ。死の危険に直面した時に助かるかどうかは、本人の器量だけが決めるもんじゃない・・・だが、逆に言えば、本人の器量すら幾分かは流れの中に含まれている。解かるか?」

 

「・・・・人間は、その幾らかの可能性のために・・・強くならなくちゃいけない。」

 

「そうだ・・・・そして自分の力が流れを変えられるほどの力を持ったとき、運命ってのは変化するのさ。」

 

「運命・・・・。」

 

「そう、運命だ・・・人に運命はあっても宿命なんてものは存在しない。りっちゃんも切り開くんだ・・・なにしろ、一度死んだからな。怖いものなんてないはずだぜ。」

 

「・・・・イセコちゃん。」

 

 

自称5000歳。

 

そう名乗る信綱は、その加齢に相応しい言葉をりっちゃんへ送った。

慰めでも、励ましでもないかもしれない。

 

むしろ、それは人生の教訓と言えるだろう。

 

 

「そう言えば・・・お前らはどうだったんだ、中条。」

 

「・・・・その話は、したくない。」

 

 

信綱の問いに、黒衣は拗ねたような口調で返す。

 

顔が赤いのは、さっき泣いたことを恥ずかしがっている感じがする。白衣も同じような状態で、こっちはもっと顔が赤い。

 

ええい、何だか俺が性犯罪者みたいな気分だろうが。

 

 

「あっそ・・・で、麒麟はどうだったんだ?」

 

「俺か・・・・?」

 

 

さて、どうしたもんか。素直に話せば黒衣に飛び蹴りくらいかねん。

だがまぁ、これだけ前振りがあれば・・・・・・。

 

 

「なる、ほど、ね・・・・・こいつは、麒麟とやるのも楽しみなってきたじゃねーか。」

 

「・・・やめれ・・・お前とやったら莫迦みたいに疲れるに決まってる。」

 

「そう言うなって・・・・・。」

 

 

屈託のない、まるで童のような笑い方をする信綱。これがさっきまでりっちゃんに語りかけていた奴と同一人物とは思えんな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

起きてから日課を済ませると、ようやく昨日別便で宅配しておいたパソコンが届いたので早速使ってみた。

あーだこーだと説明を受けたが、要は使える機能が使い易ければ良い。

 

朝飯を食べながら、溜まっていたメールを処理しつつ、実家の雑事を処理してからメールで返信する。

 

 

―――コンッコン

 

 

控えめなノックの音がしたので、簡単に片付けてから出る。

 

 

「あのっ、麒麟さん・・・起きてらっしゃいますか?」

 

「待つが良い。」

 

 

ふと、やけに尊大な言葉が出たのが自分で可笑しく、笑いながら部屋のドアを開いた。

 

 

「おはよう、冬芽。」

 

「おはようございます、麒麟さん。」

 

 

にこやかに微笑む冬芽・・・・昨日の殺伐とした雰囲気と180度違うため、何だか癒されてしまう。

 

 

「・・・・・で、どうしたんだ。自分で言うと悲しくなるが、冬芽が共の者(蔵人かりっちゃん)を連れずに俺の部屋に来るのは初めてだと思うが。」

 

 

いや、ホント自分で言うのも何だな。

 

 

「・・・え・・あの、それはその・・・・・。」

 

「まあ・・いいや。それで、蔵人とりっちゃんは?」

 

「それが・・・・お呼びしても返事がなくて・・・・・。」

 

「そろそろ出ないと、走る破目になるが・・・・・・。」

 

 

時計を見ると、これから朝飯を買うりっちゃんを考えると、厳しくなってくる時間だ。

 

 

「・・・・仕方ない、起こすか。」

 

「・・・・え・・・よ、宜しいのでしょうか?」

 

「あんまり宜しくないんだろうが・・・・放置して俺達だけで学校行くっていうのも・・・なぁ?」

 

「あ、あの・・・まだ怨んでらっしゃるのでしょうか・・・。」

 

「いんや・・・・そういうわけでもないが、やられたら辛いのは確かだってことさ。」

 

 

必要な準備をしてから、部屋を出る。

 

冬芽はまだこの前のことを気にしているらしいが、あれはもう終わったことだ。

きっちりとりっちゃんと蔵人には制裁も加えたことだし。

 

 

「一応、聞いておくけど、部屋には居るんだよな?」

 

「あ、はい。」

 

 

魂魄で観ている冬芽がそう言うのなら、間違いないだろう。

ノックは冬芽がやっただろうから後回しにするとして・・・・どうするか。

 

 

「鍵を開けて中に入るか・・・・強めにドアを叩くか・・・・・。」

 

「どちらも物騒な気がするのですけれど・・・・・。」

 

「・・・・背に腹は変えられん・・・・というわけで・・・・穏便に済ますために、冬芽。」

 

「はい・・?」

 

「もう一度、ノックをしてから呼びかけてくれ。」

 

「・・・はぁっ・・解りました・・・・・。」

 

 

冬芽は俺の会話の流れに微妙についてこれていない。

 

勿論、それでも起きなければ不法侵入するつもりだということは内緒だ。

 

 

「あの、蔵人さん・・・・起きていらっしゃいますか?」

 

「・・・・・・・・・待ってくれ、今開ける。」

 

 

返事があった?

 

 

「・・・起きてる、というか起きたみたいだが・・・?」

 

「そ・・・そうですね?」

 

 

さてはて、どういうわけか。まあ、起きたのならそれで問題ないからいいんだろうな、多分。

 

 

「・・・・おはよう・・・ユメ。」

 

 

寝起きは良いらしく、蔵人は割りとしっかりした様子で出てきた。

 

 

「おはようございます、蔵人さん。」

 

「・・・・だから、何故俺には挨拶せんのだ。」

 

「・・・・さぁ?」

 

「・・・・一遍しばくぞ、ワレ。」

 

「・・・昨日の今日だ・・・そいつは、勘弁してもらいてえな・・・。」

 

 

そうか、こいつは昨日負けたんだったか。

良く見れば、首筋には頚動脈を断ち切ったような表皮内出血の痕が一筋走っている。

 

 

「あれ?りっちゃんは?」

 

「それが・・・お呼びしても返事がないんです。」

 

「単純に寝入っているだけだろうが・・・・な。」

 

「りっちゃんが・・・?」

 

 

あれで結構、不明な点の多いシステムだ。副作用が後から来るという可能性もあるだろう、と含ませる。

まあ、確率としては昨日の敗北が気になって中々寝付けなかったというのもあるだろうが。

 

蔵人もそのことには信綱あたりにでも聞いたのだろう。察したような顔つきになる。

 

 

「まあいいや、着替えてくるから待っててくれ。」

 

「はい。」

 

 

 

 

 

蔵人が着替えてくるのを待って、りっちゃんの部屋の前まで来ると時間が来た。

 

 

「どう声を掛けたモンかな・・・・・。」

 

「阿呆・・・・下手に気を使うな。それに、お前みたいな不器用なヤツが器用なヤツの真似をしたところで、どうせボロが出て余計に傷を深くするだけだろうが。」

 

「・・・・・・・・忠告、ありがとよ。」

 

「ふふっ・・・・麒麟さんは、親切なんですね・・・・。」

 

「・・・・・冬芽・・・それだと俺の立場がなくなるだろう。」

 

 

少しきつめに言ったのは自覚している。

りっちゃんは蔵人ほど単純一途でもなければ、小夜音ほど賢くもない。

言わば中途半端だ。だったら、トコトン悩ませてやるしかない。

 

それに、器用な真似は既に信綱が果たしている。

 

 

「・・・おーい、りっちゃ・・・・。」

 

 

取り敢えず、出てきてもらわなければ話にならんと代表して蔵人が呼びかけたが・・・・・あ、なんか気配が・・・・・。

 

 

―――バタンッ!

 

 

「ぶは・・・っ!?」

 

 

蔵人がノックしようとした瞬間、当のドアが思いっきり開いて顔面に叩きつけられた。

なんつーか・・・・痛そうだな。

 

 

「く、蔵人さんっ!?」

 

「あわわわわ遅刻ッ、遅刻しちゃうよ〜〜〜〜っ!!」

 

「・・・・・・・・ぐおっ・・・あ・・・・・。」

 

 

簡単に説明するなら部屋から慌て顔で飛び出てきたりっちゃん・・・・・憐れ蔵人。

 

 

「だ、大丈夫ですか!?」

 

「・・・大丈夫と聞くのもなんだな・・・・鼻骨と前歯は無事か?」

 

 

返事がない。ただの屍のようだ・・・というわけでもなく、一応痙攣しているので生きているだろう。

 

 

「あ、あれ?蔵人さん・・・・何してるの?」

 

「なに・・・・・・じゃねえよ・・・・。」

 

 

「落ち込んでないだけ、良しとするべきなのか、これは?」

 

「さ、さぁ・・・・・?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あははっ、ごめん蔵人さん・・ほんっとごめん!あはっ、あははははっ・・・・。」

 

 

りっちゃんは一生懸命謝っている・・・・つもりなんだろうが、所々吹き出しているので全然謝っているように思えん。

 

まあ、あれほど見事にどこぞのコントのようなことをやられたら無理もないだろうが。

 

 

「でも、蔵人さんの顔って丈夫だねっ!こういうのを鉄面皮って言うんだよね!」

 

「言わねえよ!ってか意味全然ちげーよ!」

 

 

蔵人も良い相方ぶりを発揮している。

 

真相は簡単で、りっちゃんは単純に寝坊しただけらしい。

何でも携帯のアラームを掛け忘れたとか。

 

 

「で、りっちゃんは朝飯抜きで学校へ行くのか?」

 

「もちろん買ってくよ〜!蔵人さんも朝ご飯、食べてないんでしょ?」

 

「ああ。何しろユメに起こされたときには、もう時間だったからな。」

 

「えと、申し訳ありません・・・・もう少し早くお二人を起こしていれば・・・。」

 

「・・・冬芽。それはわざわざ二度も起こしに言った冬芽の台詞じゃない。そもそも、一人暮らしなら自分で起きるのが当たり前だろう。」

 

「うわっ・・・正論ですよ、この人。」

 

「・・・・あのな、りっちゃん。俺は毎朝5時半に起きてるんだが?」

 

『ええぇっ!?』

 

 

何故そこで三人同時に驚きの声を上げるんだよ。

 

 

「ご、5時半って、どこのお爺ちゃんですかっ!?」

 

「・・・・信じられねえ・・・寝てる時間はほとんど同じなのによ・・・・。」

 

「習慣だ。それに早朝も鍛錬してるからな。」

 

 

鍛錬、という言葉にりっちゃんも蔵人も胡乱な目付きで俺を見る。なんだ、何か拙いことでも言ったか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コンビニでの買い物に付き合ってから、中庭のベンチで食べる三人を待つ。

 

時間は・・・・まあ、良いか。

 

りっちゃんはアグレッシヴなチャレンジ精神を発揮して新商品に挑戦している。

鰻サンドは俺と蔵人で阻止に成功したから良いが・・・・多分、一人だったらチャレンジしたろうな。

 

 

「あの、麒麟さんっ!」

 

「ん?どうした?」

 

「えとえと、あのあのっ・・・こ、このおにぎりの食べ方を教えていただけませんか!」

 

 

冬芽はさっきコンビニで買ったおにぎりを期待全開で力一杯握り締めている。

おいおい・・・そんなに握ったら潰れてしまうぞ。

 

 

「・・・そうか、おにぎり初挑戦か・・・・。」

 

 

刀伎直の本家は外界から隔絶されたような山奥にあると聞いたことがあるが・・・・それならおにぎり初挑戦も頷ける。

 

 

「そうなんですよ・・・テレビドラマなどで良く登場するのですが、食べたことが無くて。」

 

 

冬芽の顔は嬉しさ溢れている。

 

 

「音だけ聞いていると、まったくおにぎりという感じでは無いのですが・・・・・他の方に聞くと『ああ、それはおにぎりを食べている音だ』と言われまして。ずっと食べてみたかったのです。」

 

 

なるほど、というか・・・・。

 

 

「そうか・・・・ならば教えてしんぜよう。まず外装を剥がすんだ。」

 

「は、はいっ!」

 

 

取り敢えず剥がし口から、と思ったのだが案の定そこから苦戦している。

魂魄は解ってもそういう細かい部分は学習して補完しなければならない。

 

 

「ほら・・・ここだ。」

 

「あっ・・・・。」

 

 

冬芽の背へ回り込んで、その小さな手を掴んでから剥がし口を摘ませる。

 

そこから外装を半分ずつに切り離し、二つになった外装の両端を押さえて、海苔を破かないように引っ張るところまで、どうしても躓くところは手伝いながら進む。

 

 

「わあっ・・・ちゃんとおにぎりになってます。しかもお海苔がパリパリです!」

 

「そいつは良かったな・・・・。」

 

 

俺らにとっては何でもないことでも、冬芽にとっては感動らしい。

あまりの喜びにこっちまで気持ちが良くなる。

 

 

 

「あ、みなさん・・・お早う、ございます。」

 

「ああ、おはよう白衣・・・薔薇の世話はもう終わったのか?」

 

 

冬芽が目を輝かせながらおにぎりへ齧り付くのと時を同じくして、裏庭から白衣と黒衣がやって来た。

 

二人とも昨日の俺との戦いについて、表面的には何でもないようだ。

これで引き摺られたらやりにくいところだったが、取り敢えずは一安心か。

 

 

「はい。そろそろ・・・ホームルームですから。」

 

「・・ってかユメ、なんで今頃こんなところでご飯食べてるの。」

 

「あ、はい!黒衣さん、おはようございます!実は初体験なんですよ〜!」

 

 

冬芽、それは色々言葉が足りてない。

 

 

「えっ・・な、なに・・・なにが?」

 

 

普段とは違う冬芽のハイテンションぶりに、黒衣は面食らっている。

つーか、何で顔を赤らめる?

 

 

「冬芽は、コンビニの海苔がパリパリしたおにぎりを初めて食べるんだとさ。」

 

「へぇ・・そうなんだ。で、どう?ご感想は。」

 

「はいっ、とっても美味しいですっ!家で法子さんが握ってくださたものも美味しかったですけれど、このお海苔がパリパリしたのももっと美味しいですっ!」

 

「そりゃ、良かったわね・・・って、いいけどそろそろホームルームが始まるわよ。」

 

「・・・安心しろ、ホームルームに遅刻しても一時間目に間に合えば良い。」

 

「いや、それはどうかと思うが・・・・・。」

 

「あんたは良くても冬芽は駄目に決まってるでしょうっ?」

 

 

否定はせんが、確かに冬芽の意思は尊重してやるべきだろう。

 

 

「あっ・・・い、今食べ終わりますからっ、あむっ・・・んっんぐぐ・・・・。」

 

「あああ、い、良いのよそんなに慌てなくたって・・・・。」

 

「ほら、ペットボトルで悪いが、お茶だ・・・・気をつけて飲むんだぞ。」

 

 

黒衣に背中をさすってもらっている冬芽へ渡すと、ごくごくと喉を鳴らして詰まったご飯を流し込んでいく。

 

 

「ふぁ・・・ありがとうございます・・・黒衣さん、麒麟さん・・・・。」

 

「まったくもう・・・・・・。」

 

「ふふっ・・・じゃあ冬芽ちゃん、そろそろ行こ?」

 

「はいっ!蔵人さん、麒麟さん、六花さん、行ってきます!」

 

「おう。」

 

「行ってらっしゃーい!」

 

「うむ、気をつけてな・・・・二人も冬芽のことを助けてやってくれ。」

 

 

仲良く三人で校舎へ歩いてく姿を見ていると、りっちゃんが不意に笑い出す。

 

 

「やっぱり、仲良しになれましたね。」

 

「ん?ああ、そうだな。」

 

「良いことだ・・・・・。」

 

 

黒衣も俺に対するときのようなツンケンした態度はなく、白衣にするような面倒見の良さを発揮してくれている。あれで根は良く育っているから問題ないだろうが、一番苦労しそうでもあるな。

 

 

「で・・・・お前らは何時になったら食べ終わるんだ?」

 

『あっ!!』

 

 

やれやれ・・・・・・こっちは俺が一番苦労するのかよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺の一声で教室へ急がせる。三人とも足は速いので、あっという間についてしまった。途中走りながら食べようとするりっちゃんを行儀が悪いとしばいたのはここだけの話。

 

 

「おはよーっす。」

 

「おはようございまーす!」

 

「・・・・・おはようさん。」

 

 

二人のテンションに何故かついていけなかった。

 

 

「おはよう、三人とも。」

 

「おはようさん・・・・お前ら良く眠れたか?」

 

「あははは・・・寝すぎて遅刻しそうでした。」

 

「・・・・右に同じく。」

 

「で、俺はそのとばっちりを食った。」

 

「ご愁傷様、麒麟。」

 

 

殺すなっての。

 

 

「へぇ・・・結構余裕あるんだな、二人とも。」

 

「余裕というか、油断というか、そういうお前はどうなんだよ?」

 

「俺か?俺はだな・・・・。」

 

「ああ、やっぱいらん。」

 

「な、何でだよ・・?」

 

「ロクな答えが期待できん。どうぜ一晩中起きてたとか、女の部屋にいたのかのどっちかだろうしな。」

 

「ぐっ・・・・・。」

 

「ふふっ・・・どうやら、信綱の負けみたいだね。」

 

 

図星か・・・さもありなん。

 

 

「・・・・お早うございます。蔵人さん、麒麟さん、六花。」

 

「小夜音・・・・・・。」

 

 

控えめに教室へ入ってきた小夜音、少し翳りのある様子で挨拶をする。蔵人も名前だけを呼んで挨拶を忘れているのが不自然だ。

 

小夜音は蔵人の顔を見ると憑物が落ちたかのように、照れていながら清々しい顔つきになる。

 

 

「・・・次は負けないからな。」

 

「・・・ふふっ、期待しておきますわ。」

 

 

蔵人の挑戦的な言葉に、少し目を丸くしたが小夜音はすぐに余裕の笑みを返した。

 

 

「おーやー?なに二人の世界を作ってるんですかね、この人達は。」

 

「なっ、別に世界なんか作ってねーよ・・・。」

 

「無理に否定するところが怪しい・・・つーか、その血腥いラブラブ空間はどこか別の場所でやれ。」

 

「だーかーらー・・・・・っ!!」

 

「またまた、照れない照れない・・・ふふっ。」

 

 

完全に俺と圭の術中に嵌る蔵人のお莫迦さん・・・・精々遊ばれてくれよ。

 

 

「えっ、何々・・・二人ってデキてんのっ!?」

 

「すげー・・マジで?なんか丸目が尻に敷かれそうじゃねえ?」

 

「何言ってるのよ、月瀬さんは誰もいないところで丸目君に甘えまくりなのに決まってるじゃない。」

 

 

クラスメイトもわらわらと集まり、銘々好き勝手なことを言ってる。

何故か、その発言が言いえて妙なのは謎だが。

 

 

「ちょ、ちょっと待てお前ら・・・・。」

 

「あら、そんな、困りましたわね・・・・。」

 

「そこで朱くなるなっ!否定しろよっ!」

 

 

否定・・・・する要素がないだろう。むしろ、どこを否定すればいいんだ?

 

 

「わたしは昨夜あんなに大変だったのに、見てないところで二人は一体なにをしていたのやら・・・・。」

 

「莫迦、だから違うって・・・・・。」

 

「そうそう・・・どうせあの後、中庭まで待つ小夜音と逢引したんだ。何と聞くだけ野暮だろう。」

 

 

逢引発言に、クラスがどよめく。

 

 

「そうか、蔵人がなあ・・・・何時の間にやら大人になって。お父さんは嬉しいぞ。」

 

「わけわかんねーよ!ってか、何で知ってんだよ麒麟ッ!」

 

「あん?何だ、図星か・・・当て推量で言っただけなんだが・・・・。」

 

「なぁっ!?」

 

「莫迦だねえ・・・蔵人、自分から墓穴を掘るなんて・・・。」

 

 

いやまったくだ。これだから弄り甲斐があるんだがな。

くくっ・・・さて、どうしてやろうか・・・。

 

 

「・・・・随分賑やかだな。ホームルーム始めるぞ、席に着け。」

 

「あーん、惜しい。」

 

「もう少しだったのになぁ・・・・・。」

 

 

良いところで観影さんが来てしまった・・・・実に惜しい。

クラスメイトはぞろぞろと自分の席へ着いていき、包囲網が解かれる。

 

 

「ったく、なんて酷いクラスだ・・・・。」

 

「チームワークの良さと言って欲しいな、蔵人くん。」

 

「そんなチームワークはお断りだ・・・・・。」

 

 

まぁ、チームワーク以前に半ば小夜音と蔵人の見事な自爆プレイだった気もするが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はあ〜〜〜〜〜〜。」

 

 

4時限目が終わると、蔵人は盛大にため息を吐いた。

蔵人の体格で朝飯がおにぎり三つじゃ、ちと足りなかったのだろう。腹の虫が聞こえていた。

 

 

「ほれ、飯にするぞ。」

 

「ああ・・・あれ?信綱たちは?」

 

「信綱と圭はそれぞれ呼び出しらしい。」

 

「ふーん・・・・そうか。」

 

「蔵人さん、お昼に参りませんか?」

 

「おう、じゃあ行くか。」

 

 

りっちゃんと小夜音も加えた四人でカフェテリアまで行くことにした。

 

 

 

 

 

「それで・・昨夜は二人が闘ったんですか?」

 

「ええ。」

 

「完膚無きまでに打ちのめされたな。」

 

「えっ、蔵人さんが負けたの?」

 

 

りっちゃんは、蔵人が負けたことがショックらしく、予想以上の驚き方をしている。

 

 

「完膚無きまでだなんて・・・ほんの僅差ですわ。」

 

「けど、負けは負けだ。あれは痛かったね、喉に穴が開いたし。」

 

 

蔵人が衿を下げると、そこには朝方俺の見たのと同じ痣がある。

 

 

「ああ、痣ができるのって私だけじゃないんですね・・・・。」

 

「強かっただろう・・・信綱は。」

 

「うん、強かった・・・わたしは袈裟懸けに痣が出来てますから。」

 

 

りっちゃんは悔しそうに言う。

二人に出来た痣は、正しく敗者の烙印。見れば悔しさが募るのも必定。

 

 

「そっか・・・でもまあ、俺達は運が良いよな。」

 

「えっ・・・な、なんで・・・?」

 

「この『悔しさ』を味わって、五体満足で生きていられるってことが・・・さ。」

 

「・・・・そうですね。それはイセコちゃんにも言われました。」

 

「全力を出しても敵わない相手にぶつかって、敵わないことが悔しくて・・・・けど、それを知った時には勝負は終わっている。命もない。」

 

「・・・・きっと・・・昔の人はそうやって・・・命懸けで闘っていたんだね。」

 

「ああ。死なずに済むためには、どんな手を使ってでも勝つ・・・・そこにはきっと、どんな卑怯も、どんな卑劣もなかっただろうな。」

 

 

かつて剣戟響く時代に生きた先人達にとって、「強くなること」は「生きること」と同義だった。だが、そのための「強さ」を手に入れることが如何に難しいか。

手に入れてなかったと気付くのは死ぬときなのだから。一度「死んだ」二人にはそれが良く分かるだろう。

 

 

「案外、負けた方が強くなれるかもしれませんね・・・・。」

 

 

小夜音が、二人の会話からポツリとそんな感想を漏らした。

 

 

「だからってあんな目に遭うのは・・・出来れば、二度と御免だな。」

 

「くくっ・・・・だったら、精進することだな。」

 

「そう言えば、麒麟さんはどうったんですか?残ったのは白衣ちゃんと黒衣ちゃんか、疋田センパイだけですけど?」

 

「ああ・・・・色々あってな、俺は白衣達とやった。」

 

「・・・・それで、結果はどうでしたの?」

 

 

さて、どう答えたものかと思ったが殊更隠すことでもない。二人の戦術や剣技について触れなければいいだろう。

 

 

「俺には痣一つない・・・つまり、勝ったてことだな。」

 

「うーん・・・そうあっさり言われると・・・・・。」

 

「勿体つけても仕方ないだろう。」

 

「まあ、そうなんだけどな・・・・俺とりっちゃんが負けて、麒麟だけが勝ってるのが・・・・な?」

 

「うん・・・ちょっと複雑かも・・・・。」

 

「少しは人の勝利を祝福しやがれ、そこの無礼者めが。」

 

「ふふっ・・・・ですが、私は麒麟さんの剣にも興味がありますわ。」

 

 

あのな・・・勝利を祝えとまで言わんが、お前までジャンキーな目で俺を見るなよ、小夜音。

 

 

 

「あっ、麒麟さん!」

 

「よっ、冬芽・・・昼飯か?」

 

 

階段を下りたところで丁度、上から冬芽と中条姉妹が下りてきていた。

 

 

「ふふっ・・・・冬芽ちゃん、お昼休みをとても楽しみにしてたんですよ。」

 

「ユメがか?がっついてるな。お母さんはあなたをそんな子に育てた覚えはありませんよ?」

 

 

またそんなベタなネタを・・・・・。

 

 

「えとっ・・・く、蔵人さんはお母さんじゃないです。」

 

「ぷっ・・・・・。」

 

 

駄目だ、りっちゃん・・・ここで吹き出したら俺達の負けだ・・・くくっ・・・・。

 

 

「しまった・・・ユメには冗談が通じないのか。」

 

「ってか、そんな不気味な母親はユメにしたって遠慮したいんじゃないの〜?」

 

「あは、あはは・・・蔵人さんが女装してるところ想像しちゃったっ!あはっ、やだっ・・・あはっ、あははははっ・・・・!」

 

「りっちゃん勝手にウケてるし・・・まあ、冗談がウケるのは良いことだよな・・・・。」

 

「いや、それあんたの冗談がウケてるのと違うと思うだんけど。」

 

「・・・一々突っ込まんでくれ。それは重々承知している。」

 

 

苦肉の策で誤魔化したわけか・・・・。アホだな、蔵人。

 

 

「ふふふっ・・・・・・。」

 

「あ、あの・・・・冬芽、何かいけないことをしてしまったでしょうか?」

 

「いや、冬芽は正しいことを言った。悪いのは、くだらん信綱の真似をしたアホ蔵人だ。」

 

「そうそう、冴えないギャグを言って、一人で勝手に景気良く滑っただけの話だから。」

 

「・・・・・はあ。」

 

「・・・無茶苦茶言いやがって・・・くそっ。」

 

 

自業自得で、冬芽にぶつけるわけにもいかない憤りで自分の中で消化しようとする蔵人はやっぱり滑稽でみんなの笑いを誘った。

 

 

 

「あのっ・・・冬芽はお昼ご飯を買いにコンビニに行くのですが、ご一緒にいかがですか?」

 

「ん?そうだな・・・・・。」

 

 

昨日まで別段コンビニに執着していなかった冬芽がこう言い出すということは・・・さては、おにぎりに嵌ったな。今朝のあの様子じゃ、仕方ないと言えば仕方ないか。

 

 

「俺は良いが、三人はどうする?」

 

「俺は良いけど。」

 

「わたしは全然構いませんよ。コンビニ大好きですし。」

 

「構いません。学食だけでは飽きも早いでしょうし。」

 

「そうか、なら問題なし。行こうか。」

 

 

 

そんなわけで、コンビニへやってきた。

 

 

 

「で、冬芽はどのおにぎりを買うんだ?」

 

「えっ・・・麒麟さん、な、なんでお解かりになるのですか?」

 

 

・・・・・ちょっと、目眩が。冬芽が天然っていうのは分かってことだが。

 

 

「解かり易すぎだって・・・・。」

 

「そうですか?えと、あの・・・はい。」

 

「そうか・・・なら、おにぎりを気に入った冬芽にプレゼントをしよう。」

 

 

あらかじめ入り口で確保していた買い物籠を出すと、他の生徒が手を出すのを邪魔しないように端から端まであるおにぎりを全種類一つずつ籠へ入れていく。

 

 

「ちょっ、麒麟ってば何やってんのよっ。」

 

「ん?どれが美味しいのか人の味覚によるからな、無くなる前に取り敢えず全種類買ってから冬芽に選ばせようと思ったんだが・・・ああ、安心しろ。俺の奢りだ。」

 

「そ、そんなっ!そこまでしていただくわけにはいきませんっ!」

 

「食べきれないのなら、俺か万年空腹少女りっちゃんへ渡してくれれば良いからな。」

 

「いや、だからそういう問題じゃなくて・・・ああ、もう、蔵人も何か言いなさいよっ!」

 

「お、俺かよ・・・あー・・・何だ、あんまり反対する理由がないっつーか・・・・。」

 

「うーん・・・わたしもむしろ羨ましいぐらいで・・・・・それに、何だか余ったら貰えるみたいだし☆」

 

「過保護すぎるのを戒めて差し上げたほうがよろしいのでしょうか・・・・。」

 

「あんた達・・・・絶望的に役に立たないわね・・・・・。」

 

 

妙に盛り上がってるのを横目に、白衣から飲み物を受け取ってレジで会計を済ませる。

 

 

「全部で3820円になります。」

 

「じゃあ、5000円から。」

 

財布から5千円札を出してお釣りを受け取る。

 

「って!お金払っちゃってるじゃないっ!!お姉ちゃんも何で一緒にやってるのよっ!」

 

「えとっ・・・・な、何となく・・・勢いに・・負けちゃって・・・。」

 

「ああっ!ど、どど、どうしましょうっ!」

 

「議論は後々・・・ほら、早くカフェテリアへ行くぞ。」

 

 

周りの視線が面白いが、あんまりお前らを晒し者にしておくのも気が引けるからな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はむっ、んくっ・・・ふぁ、黒衣さんっ、これはとても美味しいですねっ!」

 

「お、美味しいのは解かったから、そんなに大声を上げてなくても良いのよ、ユメ・・・・。」

 

 

カフェテリアで席を確保した俺達は、銘々食べ始めた。

 

遠慮し続けた冬芽におにぎりの詰まった袋を押し付けると、散々礼を言ってから冬芽は黒衣お勧めのツナマヨおにぎりを一口食べて、その美味しさに大はしゃぎしている。

 

 

「マヨネーズがおにぎりに合うなんて、これを考えた方はすごいアイディアの持ち主さんですね。」

 

「え、そうかな・・・漁師さんとかの間では、昔からお刺身をマヨネーズで食べるっていうのは定番なんだけど。」

 

「えと・・・そうなんですか。そのお話は始めて伺いました。」

 

「それ、聞いたことある。確か遠洋漁業に出てる漁師さんが、食事中に船が揺れて、間違えてサラダの中に刺身を落としちゃって、それを食べたら美味しかった・・・って話だよね。」

 

「なるほど・・・ではこれは、偶然の発見で出来た食べ物なのですね。」

 

「ま、刺身のマヨネーズからツナマヨまで良いとして、それをおにぎりの中に突っ込むのは確かになかなか突き抜けたアイディアよね。」

 

 

話がどんどん斜め方向へ行っているが・・・・まあ、楽しそうだからあえてツッコム必要もないだろう。

 

 

「まあ・・・ご飯の上に具無しでマヨネーズだけ掛けて食べる方もいらっしゃるという話ですから、その辺りを複合して出来たアイディアなのかも知れませんわね。」

 

「うぐっ・・・ま、マヨネーズだけってのはちょっと・・・遠慮したいわね・・・。」

 

「小夜音はマヨネーズだけで飯が食えるのか・・・男前だな。」

 

「あは・・・・・。」

 

「わ、私が食べたわけではありませんよ・・・・テレビで見たのですわっ!」

 

「あははっ、そんなに全力で否定しなくても、小夜音さんがそういうことしなさそうなのは見れば解かるから。」

 

「六花・・・・・。」

 

 

無防備そのもので巧い具合に乗せられ始めてるな。

でも、小夜音がこっそりとそういう、小夜音的「いけないこと」を背徳感たっぷりの様子でやっているのも、可愛らしいんだが。

 

 

「いや、でも全力で否定しようとするところが微妙に怪しいわよね・・・・。」

 

「そ、そんなことはありませんっ!」

 

「はいはい・・・まあそう昂奮しないの。解かったから。」

 

「・・・如何にも信じていなさそうな、黒衣さんのその薄い笑い方が気になりますわ。」

 

「くっくっくっ・・・・・ま、いずれにしても真相は闇の中だな。」

 

「もう、蔵人さんまで・・・。」

 

 

自分の無罪――というのも変だが―――を証明できない小夜音がやきもする姿は、可笑しくて可愛いものだ。

 

 

「まあ、味噌汁にバターを落としたり、紅茶にラードを入れたりする時世だ。マヨネーズライスを食べる小夜音は無罪で良いだろう。」

 

「ですから、私は・・・・。」

 

「み、味噌汁にバターって・・・・。」

 

「つーか、紅茶にラードはもう紅茶じゃねーだろ・・・・。」

 

「だな・・・だが、味噌汁バターはそこそこいける。」

 

「げっ・・・あんた食べたことあるの・・・?」

 

「まあな。バターライスとかも食べてな・・・それを弟がせがむから食わせたら、胸焼けしやがって・・何故か俺が怒られた。」

 

「・・・そりゃ・・・胸焼けもするだろう・・・。」

 

 

あれはあれで美味いんだが、如何せんカロリーが高いし栄養バランスが悪い。まだ子供だった弟には少しきつい食べたものだったと、今の俺なら思い至る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

冬芽と俺達は放課後にお台場まで買い物へ行くことを約束して、分かれた。

食べてからの授業はそれまた面倒で、案の定りっちゃんと蔵人は居眠りしていた・・・。

 

 

「んんーーっ、終わった〜!」

 

 

六時限目が終わり、教師が出て行くと開放感溢れる伸びをするりっちゃん。

 

 

「それにしても、イセコちゃん戻って来なかったね。」

 

「ああ、そう言えば・・・・。」

 

「・・・忘れてたのか。」

 

「女子生徒捕まえて、どこか無人の教室にでも時化込んでたりなんかしてね。」

 

「信綱らしく、合意なしでか・・・。」

 

「やぁん、ワイルドぉ〜!きゃっ☆」

 

 

何ともまあ、りっちゃんの生き生きしてること。

 

 

「り、六花ったら・・・・。」

 

 

だから、そこで妙に恥らうな、小夜音。りっちゃんとのギャップがでかすぎる。

 

信綱は結局昼休みの呼び出しから戻ってきていない。

 

 

「なんだ、六限目終わっちまったのか・・・折角戻ってきてやったのに・・・。」

 

「噂をすれば、影・・・だな。」

 

 

それにしても、あからさまに匂いがするのはどーかと思うが。

せめてシャワーなりで洗い流して来い、たわけ。

 

 

「あ、イセコちゃん・・・・どこ行ってたの?」

 

「俺?女のトコ・・・。」

 

「うは、さらっとそうゆうこと言いやがりますか、この女ったらしめがっ!」

 

だからどうしてそんなに生き生き・・・(以下略)

 

 

「まあね〜イセコちゃんじゃねえ〜。」

 

「しょうがないわよね〜。」

 

「据え膳と鰒汁を食わぬは男の内ではない、ってな。言うだろう?」

 

「ふん・・・据え膳よりも、俺は手ずから拵える方が好みでね。」

 

「おおっと、こいつは剛毅な意見だな・・・恐れ入るぜ、麒麟大先生。な、蔵人もそう思うだろ?」

 

「・・・・弩喧しいわ。」

 

「お、俺に振るな・・・話がややこしくなる。」

 

 

微妙に逃げ腰な蔵人に俺と信綱の失笑が漏れる。

 

 

「六花・・・・あなたももう少し恥じらいというものをですね、その・・・・。」

 

「え〜、この場合諌めるべき相手は、やっぱりイセコちゃんなんじゃないかな〜と、六花は愚考する次第なんですけどね?」

 

「・・・こ、こう言ったことでは、殿方に何を申し上げても無駄でしょう。ね、蔵人さん。」

 

「・・・なんだ。何で俺にお鉢が回ってくるんだ!?ってか、俺を信綱と同類にするな」

 

 

意外や意外、蔵人と信綱は小夜音の脳内で同類扱いなのか・・・・傑作。

というか、この二人は誰も仕組んでいないのに進んで墓穴を掘るのは天然なのか?

 

 

「なに、蔵人と小夜音さんってもうそんな関係なワケ?」

 

「んなわけねえだろう・・・・・。」

 

「いやいや。運命の恋ってのはね、出逢ってからの総時間数では計れないものなんだよ、蔵人。」

 

「圭さん、素晴らしいお言葉ですわ・・・・。」

 

「感心するのはいいが、小夜音。その同意とこれまでの流れを踏まえると・・・・確実にお前は地雷を踏んだぞ?」

 

「えっ?・・・あの、それは一体どういう意味で・・・・。」

 

 

キョトンとした表情になる小夜音は、みなまで言うことはできなかった。

 

 

「ってことで・・・・・小夜音さんはもう蔵人にやられちゃったわけワケ?」

 

「やられっ・・・・・。」

 

 

水銀体温計が急上昇するかのように小夜音の顔が見る見るうちに朱く染まっていく。

 

 

「えっ、なに小夜音さんのその反応っ!もしかして、ホントに・・・・・。」

 

「まあ、朝も言ったように逢引していたわけで、なおかつ朝方まで起きていたとの蔵人の証言もある・・・・事実は闇の中だが・・・な。」

 

 

俺がわざとらしく含みを持たせると、クラスの女子から黄色い悲鳴が上がる。お祭り好きなクラスに相応しく、さりげない態度で耳をそばたてていたらしい。

 

げに恐ろしきは女性の諜報網か。

 

 

「まあ、その・・・ですね。ある意味やられてしまったと言っても過言ではないかと・・・・。」

 

「うそっ!」

 

 

さっきを上回る悲鳴が一斉に上がる。

りっちゃんは顔が劇画調になり、圭はオーバーな驚き、信綱に至っては下卑た笑みを満面にたたえている。

 

 

「まさか・・・・本当にそんなことになっていようとは・・・・。」

 

「へえ、蔵人がねえ・・・お父さんは嬉しいぞ。」

 

「蔵人さんのえっち・・・・。」

 

「ない!絶対にないぞっ!」

 

「・・・・如何な、蔵人。男なら、責任を持って対処するんだ・・・このままだと小夜音は傷物ということになってしまうじゃないか。」

 

「・・・・だから、何でそんな話になるんだ・・・・・。」

 

 

蔵人は力尽きて、がっくりと肩を落とした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・疲れた。」

 

 

精神的に憔悴した蔵人はどことなく足取りがふらついている。

 

 

「あはは、まあまあ・・・小夜音さんも別に悪気があったわけじゃないんだし。」

 

「天然は余計に悪いわっ!」

 

 

あらぬ誤解を受ける立場としてはそれも頷けるが。

 

 

「でも、あれだね、小夜音さんってやっぱり蔵人さんのこと好きなんだ・・・・ユメちゃ〜ん!」

 

 

下級生の視線をただでさえ集めていた俺らは、さらに視線を集めるが気にしてはいられない。

りっちゃんは中で待っていた冬芽に手を振ると、向こうからトコトコと歩いてくる。

 

 

「ごめんね、待った?」

 

「いいえ、丁度ホームルームが終わったところですから。」

 

「そっか、じゃ行こう。」

 

「はいっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふふっ、そんなことがあったのですか。」

 

 

駅に向かう途中、りっちゃんはさっきまでの話を肴にして楽しそうに喋っている。

当の蔵人と言えば、諦めの境地に達したらしく好きにしてくれと投げやりな態度になっている。

 

 

「小夜音さんて、割と可愛い感じ?照れちゃってぇ、顔が真っ赤になっちゃって。」

 

「えと、つかぬ事をお伺いするのですが・・・『やった』とか『やらなかった』とかは・・・・何を指している言葉なのでしょうか?」

 

『・・・・・えっ!?』

 

 

四人の足取りは図ったかのようにピタリと止まった。

 

 

「いや、何を指すって・・・って、そのナニ・・・・。」

 

「とりゃ!」

 

「たわけ!」

 

「ぐはっ!」

 

 

俺とりっちゃんのダブルツッコミが炸裂。

 

 

「蔵人さん、下品な表現禁止だよ!」

 

「・・・・悪かった。」

 

 

キャベツ畑やコウノトリというわけでもないが、この手の話に疎い冬芽にその直裁な表現は駄目だろう。

 

 

「ええと、その・・・・だから、あの・・・い、いたしたとか、いたしてない・・・と、言うか、その・・・・。」

 

「・・・・・・・いたす?」

 

「いや、えっと、だからね!・・・・・。」

 

『・・・・・・・・・。』

 

 

俺達は懸命に婉曲な説明を試みようとするりっちゃんを凝視する。

 

 

「・・・・・・・・・。」

 

 

何の含みも、衒いもなく説明をじっと待つ冬芽。

俺がやられてもこれは辛いものがある・・・況やりっちゃんなら・・・・。

 

 

「・・・・・・えっと、だ、だから〜あは、あははは・・・・あは〜・・・・・。」

 

「・・・・・・・・・・・?」

 

「あはははっ!いや〜〜ん!やっぱり説明できないっ!こんな沈黙耐えられない〜〜〜!」

 

 

唐突にりっちゃんが笑い出した。

ワケもわからず追い詰められて、ちょっと錯乱してる。ちょっとという所に優しさを含んでおく。

 

 

「えと・・・・あの・・・?」

 

「あー・・・気にするな、冬芽が悪くなく、りっちゃんの自爆だ。」

 

「・・・・?」

 

「ん〜、一応りっちゃんにも女の子の恥じらいがあるのは良く解かった。」

 

 

納得だ。普段あれだけオヤジは入っていても、根はこれなのか。

 

 

「ふえ〜ん、蔵人さん代わって〜!」

 

あ、俺じゃないんだ。そりゃ良かった。

 

「まあそうだな・・・・男女の仲になったかどうか、ってことだな。」

 

「・・・・・・なるほど。小夜音さんはそれを『好きになった』ということと勘違いしていらっしゃった、ということなのですね。」

 

「ああっ、なんか綺麗にまとめられた!」

 

「ぷっ・・・・・りっちゃん、一体どういう説明をしようとしてたんだ?」

 

「えっ!?い、いえその・・・あは、あはは・・・・ま、まあ良いじゃない、ちゃんと説明出来たわけだしっ!」

 

 

何故か、このとき俺と蔵人の間で一瞬にして共通認識が浮かんだ。

・・・・耳年増だな、りっちゃん。

 

 

「わ、ちょっとっ!余計な注釈出すのやめてよっ!」

 

「・・・パンピーに理解できんツッコミはやめれ、りっちゃん。」

 

「な、なにに怒ってるんだ、りっちゃん。」

 

「社会システムについでですよっ!」

 

「別に、社会はいらんだろう・・・・この場合。」

 

「いいんです!仕様なんですからっ!」

 

 

左様か。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新東雲研究所のあるこの第19号埋立地とお台場を結ぶのは一本の海底トンネルと、俺達が使う臨海線の支線だけ。トンネルには車道しかないので、徒歩の人間は臨海線を使うほかない。

 

朝夕の通勤ラッシュは7分、それ以外には15分毎に、電車がこの中央防波堤駅と台場の東京テレポート駅を結んでいる。

 

 

何を考えてこんなアホな作りにしたのかは知らないが、大方ここの予算を取るためにゼネコンと結託している族議員の調整のためなんだろうが。

 

 

 

「えと、この大きいのは・・・お店なのですか?」

 

 

電車に揺られてちょっとばかりで着いたお台場のショッピングモールに、田舎者達は呆然としつつ口を開けている。なんというか、実に素敵な山出しっぷりだな。

 

冬芽にこのショッピングモールがどう見えているのか、気になるところだがそれはまた後日聞くことにしよう。

 

 

「そうだよ。中に色々なお店がたくあるの。」

 

「ふえぇ・・・すごいですね。迷子になってしまいそうです。」

 

「安心しろ・・・俺もだ。」

 

「いえ、えとえと・・・・二人揃って迷子になってしまうと、全然安心ではないような気がしてしまうのですが・・・・。」

 

「そこは、ずばり安心できないとだけ言ってやれ、冬芽。」

 

「・・・・・・・・・・。」

 

「蔵人さん・・・脳味噌湧いてる?」

 

「失礼なことを言うな。せいぜい腐ってる程度だ。」

 

「・・・・・駄目じゃん。」

 

「むしろ、腐ってる方が悪いよな。」

 

「えと・・・・その・・・・きっと、蔵人さんなら大丈夫だと思うのですが・・・・・。」

 

 

冬芽、その気持ちはよーく解かるが、全然フォローになってない。

 

 

「なに。二人が揃って迷子になったら、迷子の呼び出しで呼びつけてやるからな。」

 

「げっ・・・・・。」

 

「あはははっ、それってナイスアイディアです、麒麟さん。」

 

「冬芽・・・・・迷子にならないようにしような。」

 

「・・・・はぁ?」

 

 

冬芽はやっぱり解かっていないようだ。冬芽は冬芽で、それでいいんだろう。どうせ蔵人の恥じらいは分かるまいからな。

 

「ん?」

 

「・・・どうしたの、麒麟さん?」

 

 

モールの中に入ろうしたそのとき、ポケットの携帯が震えだした。

普段からマナーにしているが、これは多分メールだな。

 

 

「・・・・・・麒麟?」

 

「ああ・・・・悪いな、電話らしい。先に行っててくれ。」

 

「ですが、場所が・・・・。」

 

「冬芽。ありがとうな・・・解からなくなったら、携帯に連絡する。安心しろ。」

 

 

ポンポン、と冬芽の頭を軽く叩く。

 

蔵人は何か察したわけではないが、事情があると考えて考えたらしい。

二人を促してから、振り返る。

 

 

「早く来いよ。」

 

「・・・・置いて帰るなよ。」

 

「・・・・了解。」

 

 

前科があるだけに笑えない冗談になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「随分青春を謳歌しているようだね、ご当主殿。」

 

 

ショッピングモール側の広場。そこの噴水前にあるベンチで待ち人に会うと、第一声がそれだった。

 

 

「・・・悪いが、一々そんな嫌味を聞いてやる義理はない。」

 

「こいつは・・・手厳しいね・・・・君は昔からそうだったが。」

 

「早く本題に入れ、伊部・・・・それとも、そっちはそんなに暇なのか?」

 

「はいはい・・・・。」

 

 

伊部はわざとらしく肩を竦めて見せると、タバコを取り出して火をつける。

一つの行動全部が演技くさくて、勘に触る。

 

 

「・・・新東雲での実験だけど、神岡の方でも観測したそうだ。藤波や千家の奥院は泡食ってたみたいでね、事前にある程度知らされていたらしい刀伎直を吊るし上げんばかりに怒ってるよ。」

 

「知っていたのは刀伎直だけ・・・・科学者の悪い癖だな。一概に責めるわけにはいかんが、連中が本気になるとやりにくいな。」

 

「・・・それもなんだけどね・・・。」

 

「まだあるのか?」

 

「これはオフレコの会話だから大きな問題にはなってないけど、どうも昨日の実験・・・・横須賀でも観測されちゃったみたいなんだよね。」

 

「・・・・・・はぁ?」

 

 

理屈は分かる。話によれば重力波の放射の瞬間には膨大な光が同時に放射されるらしい。当然、東京湾の各所で見えるわけだから、横須賀でも観測可能だろう。

 

だが、それについてある程度の事前通達がなされているはずだ。

 

 

「・・・・それがどうも、上級機関への報告は曖昧なものが多かったらしくてね。文部科学省自体が全容どころか、計画の要綱も掴んでないっていう現状。まあ、だからこそ君を内閣府参事官ルートで捻じ込めたわけでもあるんだけど。」

 

 

ちっ・・・今回の一件、本家だけかと思ったら伊部も一枚噛んでやがったのか。

 

 

「で、まさか諸外国には内緒で進めていたのがバレたと。」

 

「みたいだね・・・・アメリカのLIGO、フランスとイタリアのVIRGO、ドイツのGEO600のような観測所でもバッチリだから、LISAUなんて場所まで特定してる始末だよ。」

 

「・・・些事はいらん・・・・・状況は悪化するに決まっているとして、どの程度になる。」

 

「噂のシステム・・・ええっと・・・・。」

 

「『デミウルゴス』のことか。」

 

「そうそう、その『デミウルゴス』の情報開示・・・というのが表向き。『S∴T∴』や『S..』なんか、米軍や『大隊』を動かしかねない勢いなんだよ?もうこっちは・・・。」

 

「ああ鬱陶しいっ!貴様は俺に愚痴りに来たのか、報告に来たのかどっちだっ!!」

 

 

良い年した大人がメソメソと泣き言を言いやがって・・・・言われるこっちは付き合ってやる義理なんぞないのだ。

 

報告されるのを待つより、こっちから聞いたほうが早いな。

 

 

「『S∴T∴』や『S..』はそっちで抑えられるんだろう?なら一々俺に言うな。」

 

「・・・・あんまり当てにしないで。八京門は協力してくれないから、夜刀浦の協力まで仰いでやっとなんだから。」

 

「・・・どの道、長くは続けられん実験だ。」

 

「?・・・・・『将軍』もそう言っていたが、どういう意味だい?」

 

「解からんならいい・・・その内、諸外国の科学者が騒ぐ。」

 

「まあ、僕は連絡役に過ぎないからとやかく言うつもりないんだけど・・・・・で、そっちの要望は?2週間が限度らしいけど・・・・。」

 

「・・・・半月以上1月以内だ。」

 

「根拠をちょうだいな・・・・こっちも遊びでやってるわけじゃないんだし。」

 

「・・・・あれは本物だ。どうやって持ち込んだかは知らんが・・・例の交喙機関にしても、経緯は不明のはずだ・・・・ウムル・アト=タウィルの案内と『銀の鍵』という最後のキーが不足しているところが気になるがな。」

 

 

伊部は苦りきった顰め面になる。

内心は大方読めるが、一々同調せずともこっちだってそう思ってる。

 

 

「んな・・・・益々難題じゃないか・・・・国連まで動かされたら打つ手なしだよ?」

 

「構わん・・それに英国の拒否権を使わせれば国連は機能せん。米国も海軍はこっちに好意的だ。」

 

「ふぅっ・・・そりゃ『財団』も手を貸してくれるだろうけど・・・・。」

 

「だったら、働け、努力しろ、成果を挙げるんだ。こっちは俺が処理する。」

 

「了解・・・・まったく、散花蝕でかき回されたと思ったら、これだもんな・・・。」

 

「・・・・・・。」

 

 

面倒なことになってきたと溜息をつきやがる伊部に、そろそろ我慢の限界がきそうだ。

 

 

「・・・・おい。」

 

「えっ!?」

 

 

他からはそうと見えないように襟首を締め上げる。

 

 

「俺は散々貴様らに人生をかき回されて生きてきた・・・今更それを愚痴るつもりはないし、過去を振り返る主義でもない・・・・だがな、貴様らの怠惰で姉上のような被害をもう一度出してみろ?・・・・俺は貴様らを・・・・潰すぞ。」

 

 

短い付き合いでもない伊部は、俺が本気だと解かり、出せない声に代わって懸命に頭を上下させて肯く。

 

襟首を離すと、咳き込みながら恨みがましい目付きをしやがる。絞め殺さないだけでもありがたく思えと言いたいのを我慢して、目線だけで疾く去ね、と示せば慌ててその場から立ち去った。

 

 

「・・・・・くだらん・・・・阿漕な真似だ・・・・実にくだらん。」

 

 

早く冬芽やりっちゃん、蔵人の顔でも見て、この気分を消し去りたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結局、三人と合流した頃には用事が済んでしまっていた。

俺自身、大した用事もなかったのでそれは後日に回して、冬芽が楽しみにしている洋菓子を早く食べるために新東雲へ戻ることにした。

 

 

「はあ・・・楽しみです。洋菓子屋さんって、とっても甘くて良い匂いがするんですねえ。」

 

 

帰りのホーム、冬芽は昂奮冷め遣らぬ様子でケーキの箱を抱えて夢心地。

バターとクリームの香り・・・つまるところ洋菓子初体験である冬芽は、その匂いの虜にされて舞い上がってしまっているようだ。

 

この子を見ていると、実家の兄弟姉妹を思い出させてくれる。

 

 

「良いお店が見つかって良かった。お値段も割りとリーズナブルだし、ケーキ職人さんの腕も良さそうだし・・・・そうだ、帰ったら小夜音さんにお願いして紅茶を淹れて貰おうよ。」

 

「お紅茶・・・小夜音さんはお上手なのですか?」

 

「うん。小夜音さんは自分でお菓子も焼けるすごい人なんだ・・・・きっと、このケーキを貢物にすれば美味しい紅茶を淹れてくれると思うんだぁ。」

 

 

貢物って・・・・どうしてこの子の語彙はこんなに変なのか。

まあ、冬芽と同じくりっちゃんも昂奮気味のようだし、あえて口出しするのは野暮だろう。

 

 

「くっくっくっ・・・・しっかしりっちゃん、自分で紅茶を淹れようとかさ、そう言う考えには辿り着かないものか?

 

「うぐっ、い、良いんですよ・・・だってお煎茶ではユメちゃんに敵わないし、お紅茶だと小夜音さんの淹れてくれるお茶の方が美味しいし・・・・・。」

 

「あははは・・・・。」

 

「なに、それぞれ人の得意な分野がある・・・・差し詰めりっちゃん、飲み食いが得意分野と言ったところか。」

 

「あっ!酷いですよっ、麒麟さん!」

 

「褒めたつもりなんだが?」

 

「全然褒めてませんっ!」

 

 

うーむ、難しいもんだな。高エンゲル係数っ子は。

 

 

「だからってな・・・・・。」

 

「だって、折角美味しそうなケーキを買ったのに!美味しい紅茶を淹れられる人が近くにいてっ!それを同時に楽しみたいと思うのは菓子の道・・・・いええ、人の道ってもんじゃありませんかっ!」

 

 

お菓子というか、食べ物が絡むとりっちゃんはテンションが一気に上がるな。

妥協を許さない姿勢はいいんだが・・・・無駄にエネルギーを浪費してる気が。

 

 

「そうですよね!冬芽もぜひ小夜音さんのお紅茶を戴いてみたいですっ!」

 

「なんだかな・・・だな。」

 

「まあ、女の子は甘いものに弱いっていう見本みたいな状況だ。」

 

 

俺と蔵人は互いに苦笑する。

味覚に関する男女差というよりも、単純に好き嫌いと見栄の問題と気付いたからだ。

 

 

 

 

 

「きゃーーーっ!!」

 

 

「・・・・!?なんだ?」

 

「悲鳴・・・声色からして切迫した危機ではなく、本能的に異物を発見した際に発せられる恐懼の悲鳴だ。」

 

「・・・ひ、悲鳴からそこまで解かるのですか?」

 

「訓練だ。冬芽も注意すればすぐに解かるようになる。」

 

 

俺たちがこうして話している間にも、悲鳴の響いた場内は騒然となる。

 

 

「!・・・・これは何の気配でしょう?」

 

「どうした・・・ユメ?」

 

「わかりません、人の姿をしているようなのですが、人ではない何かが居るのです・・・これは、冬芽が何とかしませんと。」

 

「ちっ・・・・・。」

 

 

人の姿をしていながら、人ではない何か――――謎々の答えだ。

 

 

「・・・・・影だ。」

 

「えっ・・・・?」

 

「人の姿をしていながら、人ではない何か・・・子供の謎々の答え・・・つまり、『影』だ。」

 

 

りっちゃんと蔵人は俺の言葉遊びに近い言葉に、首を傾げる。

 

 

「でしたら、尚更・・・・普通の人では対処できないことが起こっています。これを収めることが出来るのは、冬芽のような特殊な人間だけです。」

 

 

冬芽の表情は硬い。確信があるのは解かる。そのための刀伎直でもある。

だが・・・・この子はまだ・・・・・。

 

 

「わかった、俺も一緒に行く・・・・りっちゃん、すまないけどケーキを死守しててくれないか。」

 

「わたしも一緒に行くよ。なにか出来ることがあるかも知れないし・・・・もちろんケーキも護っちゃう☆」

 

 

りっちゃんの声が軽いが、そこに疑義を差し挟む余地はない。

危険に対する姿勢に迷いがないのは、真実死線を潜ったからだろう。

 

 

「そうだな・・・その代わり、ケーキを落っことしたら罰ゲームだかんな。」

 

「取り敢えず、スリーサイズ測定の刑で許そう・・・・・。」

 

「うっ・・・・こ、この私がこと食べ物に於いて失敗するなんて思わないことです、二人ともっ!」

 

 

緊張感ないな、俺達。

 

 

「では、参ります。」

 

「おうっ!」

 

 

冬芽・・・・気負いすぎなければいいが・・・。

 

 

 

「あれは・・・何だ?」

 

 

人の形をした黒い影。それが三体ほどホームの真ん中に居る。

最初の悲鳴でパニックを起こした乗客は、有難いことにみんな居なくなっている。残っているのは、職務上の意識から持ち場を離れなかった駅員三人だけ。

 

 

「・・・・・『影』だって言っただろう。」

 

「なんだ、君達、危ないぞ!」

 

「それはお互い様だ・・・・生身の人間が処理できる相手じゃない・・・やりたければ軍隊でも呼ぶしかないが。」

 

「それはそうだが・・・それは君達だって・・・。」

 

 

何事か言い募ろうとする駅員を無視することにした。どうせ、状況を動かすほど能動的にはなれないやつらだ。俺達を無理に追い出すこともできやしないなら、放置するほうが無難だ。

 

 

「・・・これは、基本的に人の想念ですが、それだけではありません。歪められた魄の姿です。」

 

「歪み・・・・それで、何とかなりそうなのか?」

 

「・・・・やってみます。もし、冬芽の手に負えないときは・・・・蔵人さん、あの刀を使ってやって下さい。」

 

「太刀・・・俺の兼光が、あいつらに効き目があるってのか?」

 

「はい・・・蔵人さんの刀には高次の霊力が宿っています。それが助けになるかも知れません・・・・。」

 

 

冬芽は、それだけを言い終えるとそこから先の質問を遮るように制してから、祝詞を唱え始める。

 

 

「『臨・兵・闘・者・皆・陳・列・在・前・行』」

 

「『高天原に神留まり坐す皇が親神漏岐 神漏美の命を以て天つ祝詞の太祝詞事を宣れ』」

 

 

・・・・駄目だ。それじゃ、駄目だ。

 

今まで動きを見せていなかった『影』が、ここに来て初めて動きを見せた。冬芽から発する力を感知していることは明らかだ。

 

 

「―――――――――――」

 

 

無音で、『影』らしく身体を揺らめかせながら冬芽へ向かって蠢きだす。

 

 

「『此く宣らば罪という罪 咎という咎は在らじ物をと祓い賜い清め賜うと白す事の由を諸々神の神等に左男鹿の八つ耳を振りたてて聞こし食せと白す』」

 

 

祝詞が朗々と唱えられるが、歪みがびくともしないことに冬芽は愕然とする。

 

 

「これは・・・冬芽の力だけでは。この歪みは、魄の歪みではなくて・・・・。」

 

 

「・・・!」

 

 

冬芽に近づいた『影』がその腕を叩きつけようと腕を振り上げたところを、冬芽の襟を掴んで出来るだけ優しく引き寄せた。

 

 

「麒麟さん・・・・。」

 

「泣くな冬芽・・・ここで泣くことは俺が許さん。」

 

 

自然と厳しい声が出た。冬芽はびっくりしてから、涙を堪えて頷いた。

 

 

「どうすれば良い・・・?俺達にできることは。」

 

 

距離をとって、蔵人が駆けつける。

 

 

「・・・蔵人さんの刀を使って下さい。あの歪みは魄を引き摺った現界そのもの・・・捉えられた魄自体を解放するには、歪みを断つ他ありません。」

 

「解かった、二人は冬芽を頼む。」

 

「うんっ!」

 

「・・・・いや、俺も行こう。」

 

「麒麟?」

 

「気にするな、気まぐれだ。」

 

 

我ながら、意味不明の理屈をこねた。

 

 

『ソフィアー!俺に太刀を!』

 

『ソフィアー・・・俺に太刀を。』

 

 

 

抜刀すると、冬芽を狙っていた三体全てがこちらへ注意を向ける。敵意をそこまで明瞭に分けられるのなら、当に被害が及んでいる。つまり、俺達の太刀へ反応したわけか。

 

 

「斬っちまって構わないんだな?」

 

 

蔵人が間合いを計りながら、迂回しようとするので俺はその場の牽制として残る。

 

 

「はい・・・今はそれしか・・・・。」

 

 

冬芽の声には辛そうなニュアンスが混じっているが、泣き声になっていない。

冬芽が処理することと、俺達の太刀で斬ることの違いを分かった上で、その責を自分に向けている。

 

莫迦が。誰も負えない責など、誰も負う必要はない。

 

 

蔵人は特徴的な八双の構え―――タイ捨流の天の構えから、走り込み一体を綺麗な袈裟懸けで斬り捨てる。

 

 

「霞んだ空気みたいに見えるが、確かにコイツは『人間』だ・・・・。」

 

 

「余計なことを考えるな、蔵人。」

 

 

僅かに気を逸らした蔵人へ殺到する二体を、表切上げで一体斬り、∞の字に刀を回して即座に裏切上げから斬り飛ばした。

 

 

「・・・・・!?」

 

 

蔵人はやや呆然として、今の俺の技を見ていた。

こいつの技量なら放っておいても大丈夫だったかもしれないが、つい手が出た。

 

 

「さっすが蔵人さんに、麒麟さん!」

 

「・・・・おだてるな。どうせ小夜音には勝てないんだから。」

 

「えー、それを言うなら、私だってイセコちゃんに勝てないもん。」

 

「論点が違うだろうが・・・・・。」

 

 

余裕がないよりも、軽口を叩けるほうが良いか・・・・・。

感触こそ似ているが、人を斬るのはとはやはり違うからか・・・・・。

 

 

「・・・瓊矛鏡、笑賜。」

 

 

その最中、冬芽は立ち上がり、ゆっくり歩き出した。

 

 

「祓い賜え、清め賜え・・・・。」

 

 

『影』のいた場所に、ゆっくり手を差し伸べてゆく。

 

 

「瓊矛鏡、笑賜、祓い賜え、清め賜え・・・・。」

 

「ユメ・・・・・。」

 

「ちっ・・・莫迦が・・・。」

 

「瓊矛鏡・・・笑・・賜・・・――――。」

 

 

祝詞を唱えながら、冬芽は何時の間にか涙を零している。

 

 

「ごめん・・・なさい・・・ごめん・・・・・。」

 

「・・・・泣くな、と言ったはずだ・・・誰にも負えない責は誰も負う必要はない・・・。」

 

「ですが・・・ですが、これは冬芽の力不足のせいですっ!」

 

「冬芽・・・ならば、お前は全ての因に責を帰すのか?」

 

「・・・・っ!?」

 

「それは、あまりに辛いことだ。人は今以上の自分にはなれない・・・それを思い違うことを傲慢と呼ぶ。そして、今以上の自分になれないことは悪ではない。」

 

 

俺の言葉が切っ掛けとなって・・・・冬芽はまたボロボロと涙を零し始める。それは押し留めることのできない流れで、俺ももう泣くなとは言えなくなっていた。

 

 

「帰ろうぜ、ユメ・・・・。」

 

「蔵人さん・・・・。」

 

「うん、帰ろう・・・ユメちゃん。」

 

「六花・・さん・・・っ・・・く・・・。」

 

 

りっちゃんに優しく肩を抱かれると、冬芽はそっと寄り添って眼を閉じた・・・・。

 

 

「駅員は俺の方で誤魔化すから、先に帰れよ。」

 

「ああ・・・解かった。」

 

 

みんな言葉が少なくなっていた。気まずいわけでもないのに。

俺自身、怒りや憤り、苛立ちに悲しみといった感情が綯い交ぜになっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はっ・・・・・。」

 

 

夕食の後、自分の頭の中をまとめたくなって気分転換に宿舎の屋上へ出た。

都心の明るさと夏の大気によって星は良く見えないが、海風は悪くない。

 

駅員についてはコネを使って誤魔化した。伊部とはもう顔をあわせたくなかったので、別ルートを使った。

 

 

振ろうと思って持ってきた木刀も、何となく邪魔になっている。

冬芽のことが気に掛からないと言えば嘘になる。蔵人やりっちゃんなら巧くフォローするだろうし、冬芽は良い子だからちょっとの手助けで立ち直るだろう。

 

ただ、それを人任せにしていることが情けなくもある。あれだけ偉そうなことを言っておいて。

 

 

――――キィッ

 

 

金属の扉が軋む音。どうやらここへ来たいと思ったのは俺だけじゃないらしい。

 

 

「よっ、蔵人。」

 

「っ!・・・なんだ、麒麟かよ・・・脅かすなっての・・・・。」

 

 

現れたのは莫迦長い木刀を持った蔵人だった。

 

 

「ははっ・・・まあ許せ。そんなことじゃ不意を突かれる、と言いたいところだがな。」

 

「・・・・何時の時代だよ、それ・・・・今時そこまでするヤツがいるわけねえと思うぜ。」

 

「ま、そう思いたければ思えば良い・・・・。」

 

 

蔵人のなら獣じみた反射神経でやり過ごしそうだが。

 

 

「・・・・その様子だと、打倒小夜音のため・・・・ってところか。」

 

「・・・ご名答・・・そっちこそ、木刀持ってるんなら俺と同じじゃないのかよ?」

 

「ん?・・・ああ、これか。軽く振っておこうと思ったが、気乗りしなくてな。」

 

「ははっ・・・ここまで来ておいてとんだ気分屋だな。」

 

「違いない・・・・・どうだ、一人で振るよりも相手がいるほうが、経験になると思うが?」

 

 

俺の太刀と同じ、3尺3寸の野太刀を模した木刀を軽く振るい、誘う。

蔵人はしばし思案していたが、腹が決まったらしい。

 

 

「そうだな・・・・白衣と黒衣の二人を破ったっていう、お前の剣にも興味があるしな。」

 

「そいつは結構。だったら、決まりだな。」

 

 

互いに、示し合わせることなく距離をとる。

 

真剣ではないとは言え、俺達のレベルであれば木刀で容易に殺傷できる。

この闘いは、真剣と同じとお互いに感じ取っている。僅かな隙が即死に繋がる。

 

 

「俺のも、長い長いと思ってきたが・・・そいつには負けるな。」

 

 

蔵人の木刀は、目測で4尺6寸。

莫迦デカイ、俺の木刀を更に1尺3寸も上回る、大太刀の部類に入るものだ。

 

 

「・・・俺の流儀なもんなんでね・・・・まあ、互いの得物がこれなら、大して威嚇の効果もないだろうが・・・・。」

 

「物は使いようだ・・・・まあ、それを手足のように扱えるのなら脅威になるが・・・そういうわけでもないだろう・・・・。」

 

「ああ・・・だから、小夜音に負けた・・・とは思いたくねえが。」

 

 

本当に小夜音と闘って負けたことが悔しいのだろう・・・そして、楽しいのだろう。

蔵人の目には、ありありと獣性が勝利を渇望するサマが映えている。

 

良い眼だ・・・こいつは、まだまだ強くなれる。

 

 

「?摩利支曳娑婆訶・・・天清浄、地清浄、人清浄、六根清浄。」

 

 

摩利支天真言か・・・・面白い。

ホームで『影』を斬ったときの構えから分かっていたが、蔵人は天の構えを取る。

 

 

「タイ捨流が剣士、丸目蔵人・・・一手ご教授願おうっ!」

 

「良かろう・・では、“駒川改心流”剣士、靜峯麒麟・・・一手指南致そう。」

 

 

 

 

 

 

 

 

天の構えの蔵人に対して、麒麟は変哲のない正眼に構えを取る。

 

古流剣術独特の摺足に近い歩法で蔵人は間合いを詰めていく。気付かぬ麒麟ではないし、気付かれないと思う蔵人でもない。

 

本音を言えば、麒麟は蔵人に負けるとは微塵も思っていない。本気で指南するつもりでいる。だから、蔵人の初太刀を“待っている”。

蔵人はそこまで麒麟の思惑を読んでいるわけではないが、初太刀を打ち込むことを麒麟が待っていることぐらい察している。

 

二人の思考が噛み合い、場が動いた。

 

 

「ツェァアアア・・・・ッ!」

 

 

1尺3寸の得物の長さから、間合いを得た蔵人から神速の初太刀が放たれ、麒麟を目掛ける。

 

 

「フッ・・ァッ・・!」

 

 

麒麟は斬り込みに対して、定石である動きを捨てて1尺3寸分の間合いを潰すべく踏み込んだ。

 

 

――――ゴンッ!

 

重たく密な材質の木刀同士が衝突し、くぐもった翳った音が伝わる。

 

 

「なに・・・・っ・・くっ!」

 

 

コンクリートを粉砕しかねない蔵人の太刀筋を、あろうことか麒麟は真正面から苦もなく受けただけに留まらず、鍔迫り合いになろうとした瞬間に蔵人の木刀を軽々と跳ね上げてしまった。

 

必然として、蔵人の胴はがら空きになる。

 

猫科の猛獣が潜伏しながら獲物を仕留めに掛かるかのような、躍動的な動きで胴薙ぎ――所謂抜き胴を掛けた。

 

 

麒麟が獣じみた瞬発を発揮するのならば、蔵人もまた辛うじてではあるが直感と鍛え抜かれた反射神経で左後ろへ躱す・・・並の太刀とは違い、野太刀である麒麟の木刀を躱すにはこうするしかない。

 

 

「セイヤッ・・・ッ!」

 

 

次は自分の番。そう言わんばかりに、蔵人は躱した体勢から溜めを作り、初太刀を上回る速度の袈裟懸けで斬り込む。

 

 

「フッ・・・ッ!」

 

「なっ・・・・またっ!?」

 

―――ゴンッ!

 

受けられるはずがない、と蔵人の思っていた斬り込みは初太刀と全く同じように真正面から受けられてしまっていた。

 

また跳ね上げられるわけにはいかない・・・蔵人は体を引いて自分から鍔迫りを避ける。

脳裏では、それで簡単に逃がしてくれる麒麟ではないと掠めている。

 

それは正解であり、麒麟は甘くなかった。

 

 

引いた体に釣られるように、半歩身を進めると鍔元ギリギリを握っていた柄の部分で蔵人の柄を払い、いとも簡単に立て直そうとしていた構えを崩した。

そのまま、払った反動を遣い、表から袈裟狙いと見せかけた小手が迫る。

 

 

「ちぃっ・・・っ!」

 

 

持てる身体能力を総動員して、蔵人は後方へ跳躍。小手打ちを外すことに成功する。

 

 

「・・・・信じられねえぜ・・・・俺の袈裟懸けを正面から受けるなんてどういう握力してやがるんだ・・?」

 

「別に、今の受け方に握力は必要ない・・・・それが解からないようじゃ、ただ修練したところで小夜音には勝てても、信綱には到底及ばんぞ。」

 

 

大太刀を神速で振るう蔵人の太刀筋を正面で受けることは常識で考えて不可能である。

 

蔵人の遣う『タイ捨流』とは、そもそも素肌者ではなく甲冑武者を叩き伏せる剣術。そこにあるのは大太刀を鈍器のように振るいながら、巧妙な剣理を持たせる実に豪快で力に満ちた業である。

受けに回る相手は、受け諸共潰されてしまうような剣なのだ。

 

麒麟はそれを正面から受けた。幼い頃よりタイ捨流の豪快な術理に親しんできた蔵人にとって、信じ難いことだった。

 

 

「信綱か・・・なら、お前に勝てたらあの二人にも勝てる、と思って良いんだな?」

 

「さあな。保証はせんさ・・・・だが、俺に勝てずしてあの二人に勝とうというのは、些か虫が良すぎる話でもある。」

 

「・・・そいつは、納得だ・・・なら、通過点として通らせてもらうぜ。」

 

「御代は高いぞ?」

 

「・・・踏み倒すまでだ・・・・・っ!」

 

 

またしても先に動いたのは蔵人だった。それも、古流剣術独特の間合いを殺していく歩法ではなく一足で間合いを潰す大胆な動き。

 

二度、剣戟を交えたことで蔵人も朧気であるが何故自分の太刀筋が易々と止められるのかに気付き始めている。

 

大太刀であるが故に、支点は通常の太刀とは異なる。

麒麟は神速の太刀筋からその支点を見極め、剣勢が最高に達する前に受けている。

 

そこまでは蔵人にも解かった。しかし、それだけでは説明できない感触が握り手にはある。

それが解からないからと言って、ウダウダと考えるのは蔵人の性に合わない。

 

 

ならば見極められぬ疾さで振るうのみ。これは小夜音に対抗するためと同じ理屈だった。

 

 

 

「エェィァアアア――ッ!」

 

 

「ハッ・・・・・!」

 

気合一喝。総身から威を発する蔵人と呼吸法のためだけに声を出す麒麟は対照的。

 

―――ゴォオンッ!

 

 

神速の太刀筋を、三度受けるはず。蔵人の予想は大きく裏切られ、麒麟もまた神速の打ち払いで蔵人の木刀を外へ弾き飛ばした。そのあまりの威力に剣勢のついた蔵人の体まで外へ流され、表が無防備になる。

 

しかし、蔵人はそれすらも反射で繰り出す『足蹴』の勢いに乗せて、同じように裏の開いた麒麟の首を刈りに掛かる。

 

 

――ガッ!

 

 

「グゥッ・・・!」

 

 

次の六徳、首をへし折るはずの足蹴は硬い肘で受けられると同時に脛から持ち上げられ、完全に体勢を崩したところへ軸になっている左足が逆に刈られる。

 

蔵人の全身を嫌悪感に溢れる浮遊感が満たす。天地逆転、頭部が屋上のコンクリートへ激突する間際に受身を取る。

 

 

その間にじっとしているはずもなく、身体を反転させながら麒麟は逆切り上げからかろうじて反応した蔵人の木刀をその豪腕で弾き飛ばすと、地面に倒れている蔵人へ逆手に持ち替えた木刀を突き落とす。

 

 

「いけません・・・・っ!!」

 

 

逼迫した制止の声に、麒麟の突き落としが止まる。その剣先は、蔵人の心臓の真上、服に触れた状態でかすかに震えて微動だにしなくなった。

 

 

「・・・・勝負、アリ・・・・だな。」

 

「・・・・・・・・ああ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・ま、マジで死に掛けた・・・・。」

 

「・・・・大袈裟な、ちゃんと寸止めしただろう。」

 

「・・・・普通、服に触れるのは寸止めとは言わねえ・・・・。」

 

 

確かに。何の用事か知らないが、屋上に来ていた冬芽の制止の声がなかったら心臓を突いていたかもしれない。我ながら少し熱くなりすぎたようだ。

 

 

「く、蔵人さん、大丈夫ッ!?」

 

「お怪我はありませんかっ!?」

 

「あ・・・ああ、一応無傷だ。」

 

 

打ち合った数はそう多くないが、蔵人は汗を拭いている。りっちゃんと冬芽は気付いていないが、おそらく背中は冷や汗でびっしょり濡れている。

 

 

「麒麟さんっ!」

 

「おわっ!」

 

 

弾き飛ばした蔵人の木刀を拾ってやっていると、何時もは大人しいはずの冬芽が物凄い剣幕――でも、ちょっと微笑ましく可愛らしい――でやって来る。

 

 

「お稽古はとは言え、今のはあまりに危険過ぎますっ!」

 

「いや、それは仕方ない・・・・・。」

 

「いいえっ!言い訳は聞きませんっ!私は蔵人さんが死んでしまうのではないかと思ってしまいましたっ!」

 

「だからな・・・・・。」

 

 

駄目だ・・・・冬芽が昂奮しきっていて、聞く耳を持ってくれない。

助けを求めて蔵人とりっちゃんへ視線を向けるが、露骨に逸らしやがった・・・・こ、こいつら・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・やれやれ、酷い目にあった。」

 

「ふふふっ、麒麟さんもユメちゃんに掛かったら形無しだねっ。」

 

「えと・・・その・・・・ああっ・・・・。」

 

 

りっちゃんがニシシと妙な笑い方をすると、冬芽は恥ずかしそうに顔を朱くしておたおたする。

 

夕食の後に小夜音のところで紅茶を淹れてもらってケーキを食べるという話を忘れていた俺と蔵人を迎えに来た二人だったのだが、展開は妙な方向へ向かってしまっている。

 

さっきの試合が一段落すると、昂奮が収まった冬芽は別の意味で顔を朱くし、慌てて俺に謝った。

お互いに全力を出し合う試合なのだから、それを責めるのは筋違いだと気付いてもらえたのはありがたいが、謝り倒されるのもそれはそれで困る。

 

 

「まあ、冬芽の言ったこともあながち間違いじゃないからな・・・・木刀の試合で不具の身になることはままあったことだ・・・・冬芽が叫ばなかったら今頃、蔵人は病院へ担ぎ込まれていたかもしれん。」

 

「・・・そういう怖いことを言うなっての・・・。」

 

「それにしても、二人とも凄かったよね・・・・あんな大きな太刀を物凄い速さで振ってさ、蹴ったり転ばせたりできるんだから・・・。」

 

「・・・・褒められているのか?」

 

「た、多分な・・・・・。」

 

「えっ、わたし、褒めてるように聞こえませんでした?」

 

 

俺達と同じような槍術の遣い手であるりっちゃんにそういう褒められ方しても、微妙だ。

 

 

「丸目、勸興寺、靜峯。」

 

「え、ああ、観影さん・・・今夕食ですか。」

 

 

レストランの前を差し掛かると、丁度観影さんが出てきたところだった。

 

 

「ああ。君達が『残滓』についての報告を入れてくれたからな・・・取り敢えず大まかな対策を立てていたんだだが、一段落付けたら少し遅くなってしまったよ。」

 

「ご、ご苦労様です。」

 

「ふふっ、別に勸興寺が済まなそうにすることはない・・・・そもそもの発生原因は自分自身の研究なのだから。」

 

「じゃあ・・・やっぱり。」

 

「そう言うことだ。システムの重力波発生の機構には若干欠陥があるようだな。」

 

 

若干・・・・ね。まだその程度の認識か。

まあ、蔵人やりっちゃんに無用な心配を与えない方便かもしれないが。

 

 

「あの・・・宜しければ、そのお話を詳しく聞かせて頂けませんか。」

 

「刀伎直か・・・まあ、別段構わないが。」

 

「ああ、じゃあ丁度良いから観影先生も一緒に行きましょうよ。」

 

「行くとは・・・何処へだ?」

 

 

誘うのは良いんだが・・・・・人数多くないか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・で、こんな大人数なんですの?」

 

 

小夜音は大人数の突然の訪問に流石に呆れていたが、ケーキという賄賂に目が眩んだのか、愚痴を零しつつお茶の用意をしてくれている。

 

何故だ・・・・部屋の造りは同じはずなのにこれだけの人数が居ても狭く感じない。

これぞ小夜音のお姫様マジックだろうか・・・・複雑怪奇なり。

 

 

「済まないな・・・まさか、人の部屋へ行くところだとは思わなくてね。」

 

 

付いてきた観影さんも呆れているが、小夜音は仕方ないと言う風に、微笑っている。

 

 

「構いませんよ・・・そのお話、私も興味ありますから。」

 

 

アンティークなケーキ皿に載せて、人数分のケーキが姿を見せる。

げっ・・・・皿はウースターでカップはアルバートかよ・・・。

 

 

 

 

それぞれケーキを選び、口に運び、冬芽の天にも昇りかねない喜びようや、りっちゃんの苺にかける情熱など、会話が弾む。が、ケーキはケーキ。量は少ないので、食べ終わるのは早かった。

 

 

「ありがとう、美味しいケーキだった。たまには甘い菓子も良いものだな・・・月瀬の紅茶の腕も大したものだな。」

 

「あは、お粗末様でした。」

 

「冬芽も、こんなに美味しいお紅茶を戴いたのは初めてです。」

 

「あら、嬉しいですわ。ありがとうございます。」

 

「観影先生も忙しそうですからね・・・たまには息抜きもしないとね。」

 

「あら、息抜きはしているわ。でなければやっていられないわ。ただ甘いものには走ってないってだけよ。」

 

「美味しいものを食べる・・・とか?」

 

「りっちゃん・・・・・・。」

 

 

それは思考が偏りすぎ・・・・・というか、食べてしまえばストレス解消とは・・・・。

 

 

「勸興寺は本当に食い意地が張っているな・・・そっちにしか嗜好のアンテナが向かないんじゃあるまいな。」

 

「いや・・・まあ否定はできないかもしれないけど・・・じゃあ、他にはなにが?」

 

「・・・オ・ト・コ、とか。」

 

 

実に分かり易い。女の子が集まるとこういう話になるのは、真理だな。

 

 

「うわ、観影先生・・・大人だぁ・・・・。」

 

「・・・・・・・・・・・・・・。」

 

「く、蔵人さん・・・・その・・・・。」

 

「だから、こう言う時に人の名前を呼んで、しかもどもるなよ・・・小夜音・・。」

 

「も、申し訳ありません・・・・。」

 

「なんだ、二人はそういう仲なのか?何と言うか意外だな。」

 

「ち、違いますって・・・・・・。」

 

 

お前もどもってるって、蔵人。

 

 

「良いのか、小夜音?」

 

「えっ・・・何がでしょうか?」

 

「あまりそうあっさりと引き下がっていると、蔵人を観影さんにツマミ食いされるかもしれないぞ?」

 

「えっ!?・・・・そ、そ、そ、そ・・・それは困りますわっ!」

 

「ま、待てっ、月瀬・・・いくら私でも選ぶ権利はあるだろう・・・・。」

 

 

顔を真っ赤にしながら、それは許しませんとばかりに威嚇を込めた目で観影さんを見ると、観影さんも慌てて弁解をする・・・・が、何で言葉が拙いんですか。

 

 

「・・・・えと・・・あの・・・。」

 

 

いや、お前にはフォローは無理だって、冬芽。

 

 

「きゃーっ☆ツマミ食いだってよ、蔵人さん!」

 

「・・・・・あー・・・俺はどう反応したらいいんだ?」

 

「でもな、観影さんに誘われて、お前断れるか?」

 

「うっ・・・・・断ると思うぞ・・・多分。」

 

「うわー、何だかとっても自信なさげですよこの人。」

 

「く、蔵人さん!殿方だからと言って、あまり節操がないのも・・・あまり好ましいとは・・その、言えないのではありませんか?」

 

「ま、待て!そんな信綱と同類のような目で見るなっ・・・こら、麒麟!お前も知らん顔するなっ!」

 

「・・・ほら、否定しきれん自分の煩悩を怨め。それにな、身体検査のときのこともあるし。」

 

 

あの時のあれやこれやを考えると、事情を知らない冬芽を除くと皆、言葉が出ない。

観影さんもあの時のことは失敗だったか、と困った顔をしている。

 

 

「あの・・・一体何のお話なのか、ユメには段々解からなくなくなってきたのですが・・・・。」

 

 

再び喧々諤々になり始めた場の中で、冬芽が俺にこっそりと話しかける。

 

 

「・・・原因を作っておいて、何だが・・・俺もだ。」

 

 

それだけ各人が内心に色々な思いを抱いている、ということなんだろうが。

 

 

 

 

議論百出というわけでもないが、各々が疲れきったところで乗り出す。

 

 

「蔵人が観影さんに摘み摘ままれるかはさておいて・・・・・・肝心の話に入ろうか。」

 

「・・・・・そうだな。」

 

 

正直、皆どうでもいいやと言う感じで肯く。

 

 

「どこから話そうか・・・そうだな。結論から行こうか。」

 

「お茶、もう一杯いかがですか?」

 

「戴こう、出来ればブランデーを一滴入れてくれると、もっと良いんだが。」

 

「ほう、なら俺もお代わりを戴こう。ブランデーを多めに。」

 

「・・・・わかりました。」

 

 

カップを持って小夜音はキッチンへ下がった。話せるな。

 

 

「さて・・結論から言うと、あれは実験の結果としてシステムが産み出したものだ。いや、産み出すと言う言葉には語弊があるな・・・何と言ったら良いか、あれはシステムの演算がもたらすエラーのようなものだ。」

 

「エラーって言うと、間違いってことですか?」

 

「本来的な意味ではないが・・・・計算機的にはエラーと考えて良いのかな。例えば除算・・・割り算で説明しようか。」

 

 

そう言うと、観影さんはポケットから手帳を取り出して、何かを書き始める。

 

 

「どうぞ、ブランデー入りですわ。」

 

「ありがとう、小夜音。」

 

「ありがとう、月瀬・・・さて、数字もしくは算術というものには、有機体が発明した故に機械的に処理できない部分がある。」

 

 

カップを静かに持ち上げて薫を楽しむと・・・おや、こいつはカルヴァドスか。

 

 

「・・・・例えば人間が発明したせいでコンピュータが扱えない問題がある。それが0除算という問題だ・・・この計算式を見てくれ。」

 

 

観影さんは書き付けたページを破ると、テーブルの上に置いた。

 

『x=0×y

x÷0=y(x≠0)』

 

 

「ああ、なるほど。」

 

「靜峯は解かったか・・・・義務教育でやっている筈だから、覚えている者もいるとは思うが、割り算には0を使うことができない・・・それは『割り算』というルールを人間が定めたが故に発生する問題だ。

ある数を4で割るとする・・そこで出た解には4を掛ければ、当然その解は元の割れられる前の数に戻る・・・これは割り算と掛け算のルールが正反対になっているのだから、当然だ。」

 

「だが、それは人間が決めた除算のルールでは『0』という数字に通じることができない。」

 

「そうだ。この二行は今説明したルールからすれば互いが互いの式の証明になっているはずだ・・・割り算の答えに割った数を掛ければ当然元の数に戻るはずだ・・・ところが、肝心の割った数が『0』だとなるおと、0に何を掛けても0になる。

上の行0×yの答えは必ず0になる・・・それなのに一方、下の行については。最初にx≠0と定義しているから、この式は成り立たない。つまり0になる割り算の答えyは存在しない・・・ということになる。」

 

 

一旦区切ってから、観影さんは続ける。

 

 

「だがこれは当然なんだ。『0』というのは数ではない。人間が『何もない』ことを示す為に作り上げた哲学的な記号・・それが『0』なんだ。」

 

『・・・・・・?』

 

「『0』というのは古代インドで発達した概念だ。自然数は1〜9までの十進法が基本になっているが、そこに数字が存在しないことを示すための記号なんだ。」

 

「数字が存在しなくても、桁が揃っていないと人間は10以上の数が数えられない。記号がなければ数式上で何もない場所に数を足すこともできない・・・・つまり『0』という数字は自然界には存在しないが、人間の観念のために必要な記号・・・と言うことになる。『0』は他の数字とは違う理念で産み出されたと言うことだ。」

 

「ホントだ・・・わたし、今まで『0』はただの『0』だって思ってたけど・・・・そう言われると『0』っていうのは数字じゃないんだ・・・。」

 

「そう言うことだ・・・・例えば『4の中に0は幾つあるだろう』と考えるとしよう・・・人間ならば『0』が『何もない』を意味する記号であることを知っている。従って目に見える『4』の中に無形の『0』は『幾つでも構わない』もしくは『無限に存在している』・・ということになる。これを解の発散というんだ。」

 

「そうですね。それ以上考えることは無意味ですから・・・・。」

 

「そうだ。ところがコンピュータ的にはこういう考え方はできない。なぜならコンピュータにとって『0』は規則に沿って『2』や『5』と言った自然数同様の『存在している数』として扱われるからだ。

結果、コンピュータは真面目に『4』の中に存在するはずのない『0』の数を必死に数えようとして誤作動を起こす・・・無い物を数えようとするんだから当然だな。まあ、そんな理由でコンピュータは『0』を除算できないんだ。そこまでは解かるな?」

 

 

一同に確認を取る観影さん。本人もこれで解からなければ説明のしようがないという顔をしている。

 

 

「まあ一応は・・・要は『数じゃない数字』で物を数えることはできないってことだよな。」

 

「その通りだ。さて、ここから『デミウルゴス』の産み出すエラーの話だ。つまり、柔軟な思考を持っている有機体によって規則を与えられ、運用されている融通の利かない機械・・そう言う条件は『デミウルゴス』にも存在する。」

 

 

そう言って、観影さんは更にメモへ式を書き足した。

 

 

「これもまあ、子供でも解かる簡単な計算だ・・・まさか、解からないって人間はこの中にいないだろう・・・。」

 

「あは、えと・・・読めません。」

 

「え?ああ、済まない・・・・そうだったな。三分の一を三つ足したら1になるってことを紙に書いたんだ、解かるな?」

 

「あ、はい。それなら解かります。」

 

「さて、分数と言えば除算的で、さっきの話と似ているが・・・・算術的には分数は扱えない。つまり、実際の数字を扱わなくてはならない機械にとって、数学を数学的に扱えないことから起こる矛盾・・・それが今回の騒動の原因と思われる。」

 

「・・・・・1になれない誤差・・・で、良いのか?」

 

「・・・・理解が早くて助かる・・・が、丸目や勸興寺はさっぱりのようだな。」

 

「・・・ちょっと一足飛びで、原因がよく解からないんだが。」

 

 

テーブルの上のメモを凝視しながら、蔵人は何故それが原因になるのか解からないという顔をしている。厳密にはその分数が原因でもないから当然なんだが。

 

 

「もう少し説明するよ・・・さて、コンピュータは1/3をそのまま計算できない。分数は存在できない数だからだ・・・そこでこれを現実に存在する少数に置き換えようとする。1÷3は幾つだ?」

 

「循環小数の0.333・・・ですわ。割り切れませんもの。」

 

「そうよね・・・つまり、0.333を三つ掛けても1には戻らない。0.999ということになる。何桁追っていっても、近似値として限りなく近づいてゆくけれど絶対に1には到達しない。」

 

「あ・・・それ、わたし昔計算機でやったことあります。」

 

「ふふっ・・・私もあるわよ・・・つまり、『偏倚立方体』が1/3を三つ足しても1に戻らない分の誤差・・・それが『残滓』の正体。」

 

「『残滓』・・・あの人の形をした、悲しいものの正体・・・ですか。」

 

「そう・・・前に説明したけれど、重力波発生の演算についてはシステムの上部で回転する、あの黒い『偏倚立方体』によって行われているの・・・・人間にとっては複雑過ぎて理解もできないような演算処理をね。」

 

「その、複雑な処理の結果として・・・・誤差が発生すると。」

 

「『自然界』からは『数式』として正しい入力が行われるけれど、機械側では明確な答えを『数値』として出さなければシステムが駆動しない。となれば、演算の過程で『数式』を『数値』に変換しなければならない。

変換した時点で、例えばそれが無限小数になってしまったら完全計算することができなくなるわよね。だから答えを出すために人間ならば『小数点第何位以下切り捨て』とか・・・・つまりそう言った不正確な数値になる処理がどこかに入っているのでしょうね。」

 

「あ・・・それが、『1にならない0.999』ってことなんだ・・・。」

 

「そう言うこと・・・結果、現実世界とは些かずれた・・・そう、歪んだ答えを産み出した。」

 

「歪んだ・・・答え・・・・。」

 

「・・・あんまり聞きたくないが、誤差の大きさは?」

 

 

事は宇宙規模の話だ・・・小数点以下の数字も積もれば莫大なものになる。

 

 

「観察した結果から言えば・・・『デミウルゴス』が固定する未来の不確定量子・・・その全体量と実際に到達する未来の誤差が10の48乗のズレ・・・・それが時空間に歪みを産み出すのよ。」

 

「10の48乗って・・・・って、その誤差は大きすぎやしませんか?」

 

「全体量は150億光年の広さを誇る宇宙だからな・・・全体量からすれば微々たるものなんだろう。」

 

「重力波発生前と後では、そのズレの関係で量子バランスがおかしい・・・・正確に言えば足りない部分が出来るわ。そこに時空間の裂け目のような物を形成してしまう・・・特に発生地点の近くではそれが顕著になる。」

 

「発生地点って・・そりゃ、学園の中庭ってことじゃないですか・・・。」

 

「だからこそ、俺達が遭遇した・・・ということか。」

 

「そういうことになるわね・・・ただ、科学者らしからぬ意見だし、勘なのだけれど、作為的なものを感じる。」

 

 

『偏倚立方体』そのものが恣意的に行使しているのか・・・・それとも・・・・。

 

 

「作為的・・・?」

 

「自然界には『天敵』という考え方がある・・・『残滓』というのは、『デミウルゴス』にとっての『それ』ではないかって、そんな気がするの。」

 

「世界が産み出した、システムに対する『天敵』・・・でもそいつは考え過ぎじゃありませんか?」

 

「私もそう楽観的に考えたいが・・・・確か、お前達は『武器を喚び出したら狙われ始めた』と言っていた。間違いないな?」

 

「あ・・・そ、そういえば・・・。」

 

「お前達の武器は喚び出すときに『デミウルゴス』の力を利用している・・つまり『残滓』は、その時空間を操る力に反応したんじゃないか、違うか?」

 

「・・・・・・・・・。」

 

 

返す言葉もない、というように相対した俺達は沈黙する。

一理あるが・・・・アレだな。科学的ではなく、剣禅や呪術的理の中にある俺らにとっては別の方がしっくりくる。いつぞやも話に出た因果応報―――。

 

 

「・・・・逆凪、なのかも知れませんね。」

 

 

沈黙の中、ポツリと一言冬芽が発言した。

 

 

「ユメちゃん・・・その、サカナギって・・・。」

 

「・・・こういう字を書く・・・。」

 

 

観影さんからペンを借りると、メモに『逆凪』と書き足す。

 

 

「中庭に据えられているあの機械が、何か巫術・・・いえ、西洋風の言い方をすれば魔術ですが・・・魔術絡みの動きをするものだということは、冬芽にも理解できました。一応、これでも巫覡の端くれですから。

蔵人さんや六花さんの魂魄に触れていれば解かります。あの機械の行う業は世界の行く末だけではなく、人の魂魄にも揺らぎをもたらすもの・・・となれば、当然揺り戻しが起こるはずです。」

 

「揺り戻し・・その話、詳しく聞かせてくれないか?」

 

「観念の話ですので、解りやすく説明すると少々俗っぽくなりますが・・・皆さんは『人は呪わば穴二つ』という諺をご存知ですか?」

 

「ああ、多分知ってる・・・と思う。」

 

「諺というのはそういうものだ・・・・・意味は時代によって変化したり転じたりするからな。だから、本来はある程度の理解でいい。」

 

「麒麟さんの言う通りです・・・・どのような意味にもとることはできますが、それは人の精神を操ることの危険性を伝えているのです。」

 

「操ることの危険性・・・・。」

 

 

早くもりっちゃんは脳の限界に来ている。早い、早いよりっちゃん。

 

 

「はい・・・巫術、魔術と言ったものは、神という姿を借りて、自らの精神を以って他人の精神に影響を与える術なのだ・・・・と冬芽は教えられました。精神が届く範囲を自分の身体の外まで伸ばして、術を為したい相手まで届かせる・・当然、伸ばした後には自らの精神を再び納めなくてはなりません・・・それが糸であれば切れてしまいますし、布であれば裂けてしまうのですから。」

 

「それで・・・揺り戻しというのは、その『元の状態に納める』という行為を指すのかな?」

 

「そうです・・精神というものは、自分の身体という『殻』の中にある分には安全なのです。無菌状態と言えばいいのでしょうか・・・自分に害を為すものは『殻』の中には通常ありません。けれど、自分の『殻』を抜けてその先に精神を曝してゆくこと・・・・そこには色々な危険が待っています。身体と同じです。家から出たら黴菌を吸い込んで風邪を引いてしまうかも知れません、転んで怪我をするかも知れません。」

 

「ああ、なるほどね・・・・。」

 

 

懇切丁寧に説明する冬芽に、周りも理解できているようだ。

 

 

「良い喩えではないのですが・・・相手を呪う、ということを『相手を突き飛ばす』と考えると解かりやすいのです。」

 

 

そういう話が好きではないらしい冬芽は、少し悲しそうな表情をする。

 

 

「相手が倒れるほどの力で思い切り突き飛ばす・・・ということは、当然自分もその場で踏ん張って居なければ、突き飛ばした反対方向へ倒れそうになりますよね?」

 

「そうだね・・・あ、ひょっとして『人を呪わば』って・・・・・。」

 

「はい。その状態を指しています・・・突き飛ばしたとき、当然自分にも応分の力が掛かるのです。これを巫術の言葉で『逆凪』と言います。」

 

「逆凪・・・か。」

 

「巫術に於いて、逆凪を如何に防ぐかというのは基本であり、また生涯に於ける課題でもあります・・・何しろ強力な術を打てば打つほど、返ってくる逆凪も相応に大きいのですから。」

 

「で・・・それはどうやって、防げば良い。」

 

 

『残滓』への対応策・・・それは、観影さんたちにとって急務だ。科学者という立場上、逆凪の対応策をそのまま用いるわけにはいかないが、ヒントにはなるだろう。

 

 

「簡単に言えば、さきほどの『突き飛ばす』という話に戻ります・・・自分にその力が返ってくることを理解して、足を踏ん張るのです。」

 

「なるほど・・・それが理屈に適っているな。」

 

 

適っているが・・・観影さんの望む答えではない。

 

 

「身体の動きの場合『突き飛ばす』と『踏ん張る』は同時に一つの流れですから、それほど難しくありませんが・・・・巫術の場合は術が成って精神の緊張が切れた上で、弱っているところに逆凪が訪れるので、こちらは簡単ではありません。」

 

「・・・・なるほど。確かに話を聞いていると、『演算の誤差』というよりも『逆凪』の方がしっくり来るな。今解かっている限りで良い。巫術家としての刀伎直の意見が聞きたい。」

 

「えと、西洋の術に関しては専門ではないので・・・・ですが、あの装置は恐らく始めから『逆凪』を考慮に入れて作られているのではないか・・・と冬芽は拝察します。」

 

「それは・・・どういう意味だ・・・では、考慮しているのなら何故『逆凪』が発生する?」

 

「・・・・・『演算の誤差』は『誤差』ではなく、故意に『逆凪』を発生させるためのもの、か?」

 

「はい。」

 

「な・・・・・・・・・!?」

 

 

観影さんは驚きの余り、テーブルクロスを強く握り締めた。危うくカップが落ちそうになる。

観影さん以外に聞いていた者も一様に眼を丸くしている。

 

 

「機械は人間のように加減できません・・・・おそらく、全力で力を放ってしまうと『突き飛ばすのと同時に倒れて』しまう・・・・一度使用した時点で戻ってきた『逆凪』に耐えられないのではないかと思うのです。」

 

「そうですわね・・・・曲りなりにもこの世界全体を変えようとする途方もないエネルギー・・・逆凪が起こるというのであれば、確かに通常の機械では耐えられないと言う可能性が十分にありますわね。」

 

「人に喩えるなら、それを防ぐためには機械の持っている力を全力では解放せずに、自らを護る程度の力を保持している必要性があります。そしてまた、機械に掛かる負荷そのものも、何らかの方法で逃がしてやる必要があるのではないでしょうか・・・・。」

 

「なるほど・・・それは確かにそうかもしれない。安全装置としての『逆凪』・・・そして時空間のズレを補正しようとする『揺り戻し』か。」

 

 

直接の解決策ではないが、それでも観影さんには得るところがあったらしい。カップの中を見詰めながら考え事をしている。

 

 

「つまり、あの『残滓』ってやつは、誤差によって発生した時空の歪みで、しかも『逆凪』ってことか?」

 

「実際のところは、それが正しいかどうか判りませんが・・・・それが『誤差』であって、世界の歪みを補正しようとして現れることは間違いないと思います。『残滓』が消えた後、世界の歪みは確かに矯正されていましたから。ただ・・・・」

 

「ただ・・・・・?」

 

 

冬芽は思考の為に一度言葉を止めると、自分の考えをまとめるようにゆっくりと話を続ける。

 

 

「世界の歪みが、何故『残滓』として形を成す為に、発生した場所に眠っている魄を使うのか・・・そこが解からないのです。」

 

「ね、ユメちゃん・・・・・。」

 

「はい?」

 

 

その時、横で難しい顔をしていたりっちゃんが、ユメに声を掛ける。

 

 

「ものすごーく基本的なことっぽいんで聞くの恥ずかしいんだけど・・・『残滓』ってどうして人の形をしてたの?」

 

「あ、はい・・・えと、ですね。『残滓』というものは基本的に穴・・・みたいなものだと思うんです。」

 

「穴?穴って、落とし穴とか竪穴式住居とかの・・・あの、穴?」

 

「はい・・・と言うかですね、壁に開いている穴とか、トンネル・・・と考えると解かり易いんじゃないんでしょうか?」

 

「トンネル・・・・。」

 

「どなたかの小説でありましたよね、えと・・・『トンネルを抜けると、そこは―――』」

 

「雪国だった?」

 

「はい、それです・・・えと、本来の『残滓』は世界の歪みとして現れた穴・・・なのだと思います。人の形をしたものしか見ていませんから、確証はありませんが・・・・。」

 

「え、つまり、あれに体当たりなんかしちゃうと・・・・。」

 

「はい。恐らく『残滓』の向こう・・・・世界の歪みの向こうは、ここではない違う世界に繋がっているのだと思います。」

 

「ひょぇぇぇ、ミステリー・ゾーンだあ・・・・。」

 

 

ミステリー・ゾーンって・・・・それで済むほど甘くもないだろうが・・・。

 

 

「だけど、人と同じ形で・・・しかも手応えがあったぞ?それでも『穴』なのか。」

 

「それは、『残滓』がそこに眠っている地霊の魄を吸収して、その姿と性質を手に入れたからだと思います・・・・ただ、そうする必然がどこにあるのか・・・それが解からないんです。」

 

 

解からないか・・・解からないならそのほうが良いこともあるな。

 

 

「・・・『穴』の姿のままでは物理的に攻撃することができないから・・・とか言うんじゃないのか?」

 

「確かにその可能性はあります。ありますが・・・・・『世界の歪み』自体にそういった『意志』があるのかと言われると・・・・なにがそうさせているのか、それが解からないのです。」

 

「何かがそうさせている・・・か。なんだろうな、この世界を見守る神様でもいるのかね?」

 

「・・・・それ、どんなファンタジー小説ですか?」

 

「と言ってもな・・・・わからん!俺みたいな脳足りんじゃ、んなことは考えても無駄だな。」

 

「そうですね・・・結局はどんな考えも推論の域を出ないと思いますから。ただ、一つだけ解かっていることがあるのです・・・。」

 

「えっ・・・・なになに?」

 

「・・・『残滓』として取り込まれた魄は、世界の歪みの消滅と共に・・・この世界から消えてしまうのです。」

 

 

冬芽は悲しげに眼を伏せる。

 

 

「・・・そうか。それであの時『救えなくてごめんなさい』って・・・言ったのか。」

 

「『残滓』は魄の容れ物として、本来あるべき人体の代わりに、世界の歪みそのものを身体として、魄が僅かに記憶している『生前の姿』を取って現れます。そしてその『仮の身体』が滅ぶとき、中に取り込まれていた魄は・・・歪みが共生されるのと同時に歪みの向こう側の世界へと消えてしまうのです。」

 

「消える・・・それって・・消えちゃうと、どうなるの?」

 

「本来魄というものは、地に根付き、世界の安定を支えるもの・・・時に転生を繰り返す魂と結びつき、新たな生命となって芽吹くものでもあります。それがもし歪みの向こう側に失われてしまえば、その魄は二度と転生することはありません。永遠に・・・永遠に失われてしまうのです。」

 

「・・・・・・・・・そっか、それで・・・『ごめんなさい』だったんだね。」

 

「・・・・もしかしたら、この世界は『デミウルゴス』によって起こされる『世界の変成』に対する代価を・・・あの魄によって支払わせているのかもしれません。」

 

「・・・・ユメ。」

 

「・・・・・・。」

 

「・・・・ユメちゃん。」

 

 

誰かの犠牲の基に自分達の行いがなされているということを聞いて、一様に暗くなる。

やれやれ・・・・こういう展開は嫌いなんだが、仕方ない。

 

 

「じゃあ、止めようか。」

 

『えっ?』

 

「・・・支払わせている代価が誰かの未来であり、それが嫌なら、止めてしまえ。」

 

「でもそれじゃ、世界は救われないんだよっ!?」

 

「そうだな。」

 

「そうだな・・・って、麒麟、お前何言ってんだよ・・・・。」

 

「冬芽は、救えない自分が嫌で、無力な自分に憤り、永遠に失われる魄を悲しんでいる。現状、魄を救う手立てはないのなら、最初から歪みとして生じないように実験を止めて、散花蝕に蹂躙されるがままにすれば良い。」

 

「麒麟さんっ・・・それは、あまりなお言葉ですっ!」

 

 

小夜音が俺に憤りを隠さず抗議する陰で、冬芽は惚けたように涙ぐんで俺を見ている。可哀想に、こうやって人から正面きって言われることもなかっただろうに。

 

 

「俺は、誰にも負えない責任は誰も負う必要がない、と冬芽に伝えた。もし、『残滓』にある魄への責任を負うのならば今すぐに『デミウルゴス』を動かせる俺達を、殺せ・・・・どうだ、できるか?・・・できまい。だから負えない責任だ。それを負ったような気分になって自己憐憫に浸るのは、忌むべきことだ。」

 

 

負えぬ責任は、自分という器から溢れる。溢れれば周りを濡らす。

 

 

「人間一人一人なんて・・・何時だって無力だ。」

 

「・・・・観影さん。」

 

「世界が・・・世界こそが、もしかしたら我々が滅ぶことを望んでいるのかもしれないな。」

 

「こいつは・・・科学者とは思えない感傷的なご意見だ。」

 

 

冷めて色のくすんだ琥珀色の液体の少し口をつける観影さんは、自嘲の篭った微笑みを口元に貼り付ける。

 

 

「人間とはどう創られたものか・・・どうにも不器用で、不細工な存在だ。奇蹟と言っても足りないほどの偶然を重ねてこの世界に生を受けたはずなのに、それに感謝する気もない。利己的で、破滅的で・・・どうにもならないくらい愚かだ。例えば地球が一個の生命体とするのなら、私達はさしづめ癌細胞だ。おそらくこの星を壊してしまうまで・・・変わることはないのかもしれない。」

 

「観影先生・・・・。」

 

「なあ、冬芽。お前が助けてやれないと嘆いている今も、この世界のどこかでは人が人を殺し、騙している・・・・散花蝕により故郷を失った人々の中には、今日のパンを得るために明日を捨てねばならない者もいる。」

 

「・・・そして、私達は靜峯が言うような者達を助けてやることなどできない。自分が無力であるか知りなさい・・・そして、自分な無力であることを知った上で・・自分がどうしたいのか。それを考えなさい。」

 

「だから、先生や麒麟さんは・・・世界全体を助けるために、一部のものが犠牲になっても良いと?」

 

「・・・刀伎直は怒るかもしれないが、その通りだ。それはおそらく、靜峯も同じだろう。」

 

 

縋るような冬芽の視線が僅かに胸を締め付けるが、俺は肯いた。観影さんの言葉を肯定するために。

 

 

「観影さんのしている研究は、一部を犠牲にして全体を救う可能性を探ることだけだ・・・そして、俺も実験に協力することでその片棒を担いでいる。まあ、言い逃れだけをさせてもらえれば、俺もまたその犠牲になるリスクをきっちり背負っている。」

 

「麒麟さん・・・・。」

 

 

少し諧謔を交えてみたが、今はそれを解してはもらえないらしい。

 

 

「私達は生かされているだけだ。人間は生物の中で唯一ものを考えられるようになったから、つい何か偽善的なことや偉そうなリーダーシップ的なことを言い出すが、現実的には物質循環の環の中から抜け出ることのない、一生命体に過ぎないのさ・・・それが万物の霊長を気取ったところで、所詮地球上から見れば豆粒以下だ。何程のこともない。」

 

 

観影さんの眼には、苛立ちと冷たさが同居しながら僅かながらの羨望らしきものが混交していた。

 

 

「見殺しにしろとは言わない。だが助けられなかったことを後悔するのなら、初めから助けようとするな。」

 

「・・・・・・・・・・。」

 

「そういう考え方は嫌いか?だが足し算の答えがマイナスになるような後ろ向きな選択は・・・利巧な方法ではないと、私は思うがな。」

 

 

そう言って、観影さんは立ち上がる。

 

 

「それに私は嫌いなんだ・・・誰かのために命を投げ出すような、そんな選択はね・・・・・お茶とケーキ、ご馳走様。」

 

 

言い残して、部屋を出て行ってしまった。後には、背中を見送ったユメが、ただ玄関のドアを見詰めている。

 

 

「・・・麒麟さん・・も・・・・同じですか・・・?」

 

「どうだろうな・・・・・観影さんのやり方は大人の処世術だ。所詮、大人と子供の差なんてものは現実その辺にしかない。だが、それだけに一面の真理もある。人には耐えられる悲しみや苦しみに限度がある。個人差はあれども・・な。冬芽のように、全てに手を差し伸べていては、何時か引きずりこまれる。俺はそうやって破滅してきたヤツを何人か知っている・・・。」

 

「・・・・・・・・・・。」

 

「さっきも言ったように、俺達は選らばなくてはらない。人は、普段何気なく犠牲の下に成り立っている生活には疑義を差し挟むことさえしない。あえて知ろうとせず、無視することもある。ただ俺達の目の前にはそれが目に見える形で現れているだけでな。

何かの痛みを解かってやれる冬芽の感受性は素晴らしいが、だからそれを理由に選択をしないのは生物としての義務の放棄だ。きつい言葉で言えば、生きる価値はない。選択しないのならば、最初から手を差し伸べない観影さんも、手を差し伸べておいて救えない冬芽も、等価だ。」

 

「私と・・・・先生が・・・同じ。」

 

「そうだ。冬芽は俺や観影さんのような考え方は嫌いだろう。それで良い・・それで良いが、それで終わるな。俺達を非難するだけで自分が選択しないのは、ただの逃げだ。」

 

 

そこまで言って、立ち上がる。

ブランデーで火照っていた体はもう熱が引いてしまっていた。

 

部屋を出て行こうとする俺を、誰も引きとめようとはしない。

 

 

「それと・・・一つ訂正をしておくとだ、俺は何も全体のために一部を切り捨てているわけでもない。」

 

「え・・っ?」

 

「全体なんて、どうでも良い。ただ、俺の切り捨てたくないものだけが全体に含まれているから、他の一部を切り捨てることになっているだけだ・・・・だから、逆説的に言えば、誰かが俺の切り捨てたくないものを切り捨てようとするのなら、俺はそれを全力で阻止するさ・・・小夜音、お茶をありがとう・・・・。」

 

 

できるだけ優しく微笑みかけてから、部屋を出た。

後のフォローを勝手に押し付けるのは気が咎めるが・・・・許せよ、冬芽。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やれやれ・・・・こんな早朝から誰だよ。」

 

 

部屋に帰ってから早めに寝たが、電話で叩き起こされた。時計を見ると、まだ日も出ていない午前4時過ぎ。電話をしてくるには非常識な時間帯。しかも。ディスプレイには非通知と出ている。

 

 

「・・・もしもし。」

 

「・・・・私だ。」

 

「・・・ヘルヴォール?ヘルヴォール=リヒテナウアー?」

 

「そうだ。」

 

「驚いた・・・・生きていたことよりも、また俺に連絡してくるとはな・・・・。」

 

 

自己の中に確固とした信義を持ち貫き通そうとする人間特有の力強い女の声は、古い馴染みの声だった。もう二度と聞くことはないだろうと思っていただけに驚きは大きい。

 

 

「・・・・色々あって今はそこそこ大きく動くことのできる地位にいる。今は“君達”側の人間だ。」

 

「そいつは嬉しいね。できれば・・・敵に回しくたないヤツの五指に入るからな。」

 

「それは、お互い様だ。」

 

 

そこで、揃って軽く吹き出す。

 

 

「それで、久闊を叙すためだけに電話したわけじゃ・・・・・ないんだろう?」

 

「ああ・・・GDから、君との連絡役として起用された。」

 

「・・・・マジかよ・・っていうか、そっちとGDは不倶戴天じゃなかったの?」

 

「元を糾せば同じ系統だ。トゥーレの一件で揉めはしたが、今回のような場合では例外だ・・・。」

 

 

大人の事情というヤツではあるが、この時期に無駄な反目で手駒を減らされるよりは良いか。

 

 

「本題に入ろう・・・・LISAUがインバネスで現地時間の早朝、重力波異常を探知した。政府は即座にインバネス及び、周囲20kmの避難命令を出して軍も出動・・・・つい2時間前に散花蝕が発生した。」

 

「・・・・・・やられたな。」

 

「『ディオゲネス』は上へ下への大騒ぎだ。ここ四半世紀、互いにロビー活動競争に終始していただけに、今回の大攻勢に参っているようだが・・・・君らの方にも何れ圧力が来るはずだ。」

 

「・・・まあ、仕方ないだろう。こちらでも飯綱が協力してくれているが、厳しい。どうにも今回は『財団』の動きが鈍いらしくてな。」

 

「それはこちらにも届いている・・・・噂に聞く君らのシステムが各国の利害が相当絡む代物らしいからな・・・私たちも圧力を掛けているが、欲に眼の眩んだ連中が蠢いている。」

 

 

『デミウルゴス』のことか・・・・。

四半世紀の平和ボケが祟ったな。『財団』も機動性を失っては・・・話にならん。

 

 

「時間だ・・・詳しいことはメールで送る。」

 

「了解。ああ、それと・・・・・。」

 

「なんだ?」

 

「また声が聞こえて嬉しかった。」

 

「・・・・・莫迦者。」

 

 

怒った声を最後に、通話は切れた。

さて、これから忙しくなる・・・・一時限目に間に合うかね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ・・・くそっ!伊部の阿呆がっ!」

 

 

リヒテナウアーからの電話の後、メールの処理をして学校へ行こうとしたそのときに、あの阿呆からの電話で邪魔された。お台場の乱闘ぐらい、ニュースで見たというのに。

 

おかげで遅刻しそうだろうが。

 

 

「とりゃっ!」

 

「うぉっ!靜峯、お前どっから入ってきてんだっ!?」

 

「ん?見て判るだろう・・・・窓からだ。」

 

「・・・・ここって、二階じゃなかったか?」

 

「細かいことを気にするな、優作。」

 

 

一々校舎を回って玄関から入るよりも、雨樋を掴んで登ってくるほうが早い。早すぎて、始業時間前に着いたのは愛嬌だ。

 

窓の外を覗いて、戻ってきた優作はまだ考えてる。

無駄だ、無駄。物理的に登れるだけで、何の種も仕掛けもない。

 

 

そうこうしている間に、ドアが開いて蔵人達は来た。

 

 

「お、蔵人おはよう。」

 

「おはよう、優作。」

 

「おお・・・・・!」

 

「なんだ、どうした?」

 

「いや、初めて、名前欄に名前が出たな・・・と思って、思わずトリップしていたところだ。」

 

「そ、そうか。」

 

 

・・・・・・物凄い憐憫を覚えるのは俺だけじゃないはずだ。

 

 

「おはよ、ろーちゃん、やっち!」

 

「おはよ、六花。」

 

「おはよ〜。今日も仲良く兄妹でご登校ね。」

 

 

その側ではりっちゃんが、クラスメイトの真尋と八千代に挨拶・・・向こうは別に感動してないから、勇作が変なだけか。

 

 

「こんな燃費の悪い妹はいらない。」

 

「うわ、蔵人さんひど!大体、人間相手に燃費って使いますか普通!」

 

「う〜ん、でも六花に燃費って言葉使いたくなるのはよく解かるわ。」

 

「ううっ、やっちまでそんなこと言うのね・・・・ところでみんな集まって何の話してたの?」

 

 

俺が来るまで、優作たちは集まって何事かを話していたな、そう言えば。

 

 

「ああそうそう!大変だったんだってばよ、昨夜・・・ニュース見たか?」

 

「え、イギリスかどっかでまた散花蝕が・・・ってヤツか・」

 

「ううん、それじゃなくって・・・・なんか昨夜お台場で乱闘事件があったらしくて。」

 

「乱闘?」

 

「ていうか、お巡りさんが職質かけたら、いきなり殴られて〜。応援呼んだんだけど、なんか10人以上病院送りになったんだって。」

 

「なんだ、それ・・・・人間業じゃないぞ。」

 

 

警察官と言えば武道の有段者・・・というわけでも必ずしもないが、逮捕術の講習を徹底されている一応のプロが10人以上となると、話は別だ。

 

 

「俺ゆりかもめで来てるからさ・・・・朝、上から現場見てたんだけどさ・・あれ変だぜ?だってパトカー引っくり返ってたもんよ。」

 

「なにそれ・・・違う現場見たんじゃないの?」

 

「んなことねーよ。テレビで見てから電車乗ってたんだぜ?間違えるわけないって。」

 

「だって、それパトカーを一人で引っくり返したってこと?」

 

「いや、フロント凹んでたからな・・あれ。何かにぶつかって転倒したんだと思う。」

 

「えー、それやっぱり違う現場なんじゃないの・・・?」

 

「なんだ、随分賑やかじゃねーか。」

 

「よう、おはよう伊勢。」

 

「おう。」

 

 

相変わらず、個性的な格好をした信綱がやたらと清々しく入ってくる。

 

 

「なあ信綱、警官10人をぶっ倒すって、どれくらいの腕っ節だと思う?」

 

「なんだ藪から棒に・・・そうだな、普通の人間にはまあ無理なんじゃねえかな」

 

「そうだよな・・・一人じゃなぁ・・・・・。」

 

 

どうだろう。信綱になら出来そうな気がしないでもないが。

 

 

「ま、俺なら不可能じゃないがな。」

 

「あ、莫迦。」

 

『お前が犯人かぁっ!』

 

 

遅かったか・・・。

 

 

「な、なんだ・・・何の話だ・・・?」

 

「まあ、確かに信綱は素行不良だからな・・・。」

 

「そうよね、伊勢っちならやりかねないわ・・・・。」

 

「俺、伊勢ってヤツは格好以外はまともなヤツだと思ってたんだがなぁ・・・・・裏切られたぜ。」

 

「ちょ、ちょっと待て優作、今どさくさに紛れて酷いこと言わなかったか?」

 

「そっかー、これでイセコちゃんもブタ箱行きかぁ。」

 

「ううっ、面会には行ってあげるからね・・・わたしたち、友達だったよね・・・。」

 

「勝手に決めるなよ、しかも過去形になってるし・・・。」

 

「安心しろ・・・信綱・・・・・。」

 

「麒麟、お前は・・・・。

 

「今ならロハで良い知り合いの弁護士を紹介してやるからな・・・なに、4年で出てこれるようにはしてくれるさ。」

 

「弁護士・・・・・って、俺裁判に掛けられるのか!?しかも妙にリアルなその数字はどっから来たんだよっ!」

 

 

公務執行妨害に傷害罪・・・・併合罪でそれだけなら軽いもんだ、というところだ。

 

 

「なんだ上泉、お縄にでもなるのか?校門の所にパトカーが来ているが・・・・。

 

 

教室に入ってきて早々に、観影さんが呆れたような、可笑しそうな声でそう言う。

 

 

「うあ、観影センセまで・・・・って、なんか俺、ひょっとして真面目に捕まるのか?」

 

「・・・さて、冗談はこの辺にしてだな。みんな席に着いてくれて。」

 

『はーい!』

 

「なっ、お、お前ら・・・・後で覚えとけよっ!」

 

「チームプレイの良さと言ってくれ、信綱君。」

 

「・・・・・因果応報なのかよ・・・。」

 

 

がっくりと項垂れる信綱。

まあ、強く生きろや。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日は一つ伝達事項がある。本日午後二時より月曜の午前六時まで、学園は建物の緊急点検作業が行われるため、生徒は出入り禁止となる。もし忘れ物をしても学園の敷地内には入れない。時期的に試験勉強で教科書等を忘れる生徒もいると思うが、取りに入ることはできなくなるから注意するように。」

 

 

それはまた厳しい・・・・でも、緊急点検作業って・・・・バイオハザードの危険もであるのか?

 

 

「あとこれは、私のプロジェクトメンバーに連絡だ。放課後、医科棟へ集合してくれ・・・以上だ。」

 

 

簡単に連絡事項を伝えると、観影さんは教室を出て行った。

 

 

「なんでしょうねぇ・・・・緊急点検作業って・・・・アスベストでも使ってたとか?」

 

「・・・ここ、建ったばっかだろ。そんなモン使ってるわけないっての。」

 

「むしろ、りっちゃんがアスベストネタを知ってる方が驚きなんだが。」

 

 

俺が生まれてすぐぐらいの話のはずだぞ、アスベストがこの国で全面禁止になったのって。

 

 

「案外、俺達絡みだったりしてな。」

 

「ふーん・・・・お前が警察と捕り物やるためにか。」

 

「ちげーよ!ってか、良い加減その話から離れろっての・・・・。」

 

 

だって、お前のリアクションいいからな。

 

 

「で、俺達絡みってのは・・・マジなのか?」

 

「いや、ただそう言う予感がするってだけだがな。」

 

「予感・・・って学園を封鎖してなにするつもりなんです?」

 

「だから予感だっての・・・そこまではわからん。だが封鎖しなきゃならんようなことをやらかす・・・と考えると、あまり良い事じゃない気がするな。」

 

 

学園を封鎖する告知と、俺達を呼び出すこと。タイミングとしては関係ないというほうが不自然だな。

で、プロジェクトの中身と『残滓』騒ぎを考えると・・・嫌な予感が高まるな。

 

 

「こりゃ、何かあるってのは覚悟しといた方が良いかも知れないな。」

 

 

朝のムードから一転、緊張が高まってくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「注―目。四時限目の勝俣先生の授業は自習だってー。」

 

 

教科書を出していると、真尋が微妙どころか思いっきり嬉しそうにそう言って教室へ入ってきた。

 

 

「自習か・・・なんか自習多くないか、AAクラス。」

 

「まあ・・・・研究員が先生代わりやってるからな・・・・研究に穴が空きそうになると自習が増えるのさ。」

 

「・・・ここ、一応国立の学校のはずだが・・・・それで良いのか、文部科学省。」

 

「まあ、来年の教育が出来るかの瀬戸際だからな・・・俺達の犠牲も止む無しってところなんじゃねえの。」

 

「福沢諭吉は戊辰戦争の最中も慶応義塾で授業をやってたのにな・・・・・。」

 

 

一万円札にしたんなら、見習おうぜ日本人。

 

 

自習は自習でいいが・・・正直、かったるい。

どうしたもんかね・・・・・・・・。

 

 

まあ・・・・なんだ。

さっきはノリで会話できたが、正直言うと昨夜のことがあるから蔵人やりっちゃんと居辛い。

 

そういうわけで、教室を出ることにした・・・・・・我ながら、チキンだな。

 

 

しかし、暑い。温暖化で年々気温上昇しているが、人間耐えられる暑さには限界がある。

 

傷を隠すために上下長袖長ズボンに、左手に手袋まで嵌めてチョーカーを巻いてると尚更だ。しかも、色は全部黒ときている。これで暑くないわけがない。

 

ちっ、家の者に用意させたのが間違いか。

 

 

裏庭の花壇にある木陰なら、海風と日陰で涼しかろうと思い校舎を出る。

 

 

「あ、麒麟さん・・・・・。」

 

 

丁度鉢合わせした白衣は、重たそうな袋を担いでいる。

 

 

「よう・・・・なんだ、その袋は。」

 

「薔薇の肥料・・・です。」

 

「ああ・・・・・。」

 

 

花壇にまで運ぶ必要があるわけか。白衣の体格だと身体が隠れるから、袋が歩いているように見える。

 

 

「手伝おう・・・・白衣には重いだろう。」

 

「あ・・・・っ・・・・・。」

 

 

有無を言わさず背負っていた袋を取り上げて担ぐ。

むっ、10kg・・・いや、これは15kgぐらいあるな。

 

 

「4時限目は自習でな・・・暇を持て余してところだ。気にするな。」

 

 

勝手に居辛い気分になった、とは言えないな。

 

 

「あ、あの・・・ありがと・・・ございます・・・・。」

 

「どういたしまして。」

 

「あ、こらっ!あんた何してんのよっ・・・・・!」

 

 

背後から声がするので振り返ると、同じ大きさの袋を担いで黒衣がふらふらしながら走ってくる。

 

 

「ぜぇ、はぁ、ぜぇ、はぁ・・・・・。」

 

 

黒衣は息切れが激しいくせにそれでも頑張って口を動かして俺を罵ろうとするが・・・・基本スペックは白衣と変わらないのだから、そんな元気は残っていなかったか。

 

 

「取り敢えずは調息することだな、ほら。」

 

 

苦笑してから、黒衣の担いでいる分も取り上げて担ぐ。

都合30kmだが、1俵よりも軽いからな。持てない重さでもない。

 

 

「ちょっ、ちょっと・・・何すんのよっ!」

 

「・・・自分に都合の良い他人の善意は黙って受け取っておけ。」

 

「ぐっ・・・勝手なことを。」

 

「ははっ・・・・ま、そういきり立つな。」

 

 

黒衣の頭を撫でてやる。されるがままになりかけた黒衣は、何をされているのか解かり我に返って俺の手を振り払う。

 

 

「き、気安く触らないでよっ・・・・!」

 

「そいつは悪いことをした・・・が、蹴るのは勘弁してくれよ。」

 

「うっ・・・・・。」

 

 

袋を担いでいる俺を見て、流石にそれをするほど黒衣の性格は曲がっていない。

俺も、それをやられたら前回のように加減できないかもしれない。

 

 

裏庭まではすぐの距離しかない。

 

 

「・・・どこに置けば良い?」

 

「え・・・・あ・・そこに・・お願い・・します。」

 

「さ、もう一つ取りに行こう。」

 

「なんだ、まだあったのか。」

 

「これだけだだっ広い花壇じゃ仕様がないんじゃないの。」

 

「確かに・・・・・・・。」

 

 

ざっと見ただけで小学校の校庭か、それよりちょっと小さい程度の広さだからな。

 

 

「場所を教えてくれ。俺が行ってくるから、二人は世話を始めたほうがいいだろう。」

 

 

お互い、放課後は観影さんに拘束されることになるだろうから、早めに済ませた方が無難だ。

 

 

「えっ・・・あの・・・・。」

 

「医科棟の向こうの温室よ。入り口の前にあと二袋置いてある。」

 

「そうか。じゃあ取ってくるな。」

 

「あ、あの、私も・・・・・。」

 

「白衣、気持ちは嬉しいが・・・お前にはちょっと重いだろう?二袋なら俺一人でも十分だ。」

 

 

ポンポンと、軽く白衣の頭を撫でてから黒衣に蹴られない内に踵を返した。

 

が、裏庭を出てくると、何故か一緒に二人がついてきた。

 

 

「どうした?」

 

「い・・・・一緒に・・・行き、ます。」

 

「・・・・来るのは構わんが・・・・。」

 

 

どういうわけか、黒衣を見る。

 

 

「だって、お姉ちゃんが一緒に行くって言うから・・・・あんたと二人っきりなんかに出来ないでしょ。」

 

 

そう言って、二人は並んで歩き出す。

結局、着いてくる理由についてはよく解からないまま。

 

 

「・・・・白衣、何かまだ用事があったのか?」

 

「いえ・・・あの・・・この前・・・・。」

 

「ん?」

 

「この前の・・・闘い・・・・どう、でしたか?」

 

「え・・・・・・・。」

 

 

まさかこの話題を白衣から振ってくるとは思わなかったので、面食らう。それ以上にどう返事をしたものか・・・・本来、勝者が敗者にかける言葉はないからな・・・・。

 

 

「二人がその領域まで自分を高めた修練は推し量れず、その強さは本物だ・・・・・だが、それ以上に俺の方が強かった・・・・としか言えないな。」

 

「随分・・はっきり言ってくれるじゃない・・・。」

 

「性分だ。悪いが、そうとしか言えんな・・・・・。」

 

「あっ・・・ご、ごめんなさい・・・・・。」

 

 

俺を困らせたことを悪いと思ったのか、急に白衣が謝り始めた。

これじゃ、蔵人の言う“ごめんなさいマニア”も笑い飛ばせないな。

 

 

「謝ることでもない・・・白衣、俺はその程度でどうこうするような人間じゃ、ない。」

 

「・・・・・・は、はい・・・。」

 

「・・・・でも・・・何か、悔しい・・・・。」

 

 

何が、と聞くほど野暮じゃない。

 

 

「あの変態男が言ってたように、後悔できて・・・次がある分には、私達は幸運なのかも知れないけど・・・・やっぱり悔しいものは悔しいのよ・・・・。」

 

「・・・そうか・・・悔しいか・・・・。」

 

「・・・・はい。」

 

「・・・でもな、今更かもしれないが・・・力を得ようと思えば代価が必要だ。特に現代みたいに剣術なんてモンが必要のない時代は・・・な。」

 

 

二人は覚えがあるのか、あからさまに表情を翳らせる。そこにはどこか、憎しみに似たものさえ感じ取れる。

まったく、俺も不器用だ。もっと言葉を選べば良いものを・・・。

 

 

そんなことを思っていると、丁度良いところで温室が見えてきた。

 

 

「この二つで良いんだな。」

 

「あ・・はい。」

 

 

軽い掛け声と共に、袋二つを肩に担ぐ。

 

 

「・・・さっきもだけど、あんたよく二つも軽々と担げるわよね。」

 

「・・・・そうか?」

 

「そりゃ、あんたは男だからだろうけど・・・蔵人や変態男じゃ、無理なんじゃない?」

 

「ま、これぐらいできる足腰してないと、あの野太刀は振れないからな。」

 

「・・・・・・麒麟、さん・・・あの・・・が、巌流って、本当・・なん、ですか?」

 

「ん?ああ・・・・一応な・・・。」

 

「・・・っていうか、実在したんだ。」

 

「俺が使ってみせたからには、実在する。」

 

 

―――『巌流』

 

 

剣豪の代名詞である宮本武蔵が果し合いをした一人で、巌流島の決闘に登場する佐々木小次郎を知らない人間の方が少ないだろう。その佐々木小次郎が自称した流派が、『巌流』

 

だが、この佐々木小次郎は実在すら疑われている。

 

その原因が、流派の祖師である武蔵の功績を後世に伝えるためにかなりの脚色がなされているためである。そもそも、佐々木小次郎という名前は勝手につけられた名前で、号を巌流という人物がいただけ。そして、宮本武蔵が晩年に書き残した五輪書には一切登場しない。

 

このことから一説には架空の人物とされている。

現在の定説では、巌流という人物がいたらしく、宮本武蔵と決闘したのではないかという曖昧な状態に置かれたままである。

 

 

 

「“燕返し”・・・・かぁ・・最後に私たちを斬ったあれが、そうなわけ?」

 

「あえて言うのならな。ただ、本来の巌流における“燕返し”というのは、その太刀筋全部に現れる。」

 

「・・・太刀筋・・・全部・・・?」

 

「・・・・よく、解かんないんだけど・・・・。」

 

「蔵人とやれば解かり易いんだろうが・・・・そうだな、刀の振り方そのものが“燕返し”と言えば解かるか?」

 

「・・・・あの野太刀を振るための・・・ってこと?」

 

「そういうこと。それを突き詰めたのが、業としての“燕返し”だ。」

 

『・・・・・・・・・・・・・。』

 

 

俺との闘いで見た太刀筋を思い返しているのか、二人とも黙りこくってしまった。

 

 

「・・・・良い、んですか・・・?」

 

「何がだ?」

 

「私たちに・・・教えたら、麒麟さん・・・・。」

 

「その心配はない。解かっているから破れるような、つまらん業でもない・・・それに、俺の引き出しはそれだけとは限らないだろう?」

 

「・・・そう・・なんですか・・・・。」

 

「と言っても、これ以上は勘弁な・・・このままだと、俺の業を丸裸にされかねん。」

 

「どうだか・・・ホントはただのブラフじゃないの?」

 

「ははっ・・・そうかもな・・・っと、肥料運びはお終いだな。」

 

 

担いできた袋を下ろすと、当然だが身体が軽くなる。

力仕事はこれで終わりだが、まだ時間はある。手伝うのもいいだろう。

 

 

「それで、俺は何を手伝えば良い?」

 

「えっ・・・で、でも・・・・・。」

 

「気にするな。時間があると言っただろう・・・それに、お互い観影さんの呼び出しがあるからな。放課後までやるわけにはいかないだろう。」

 

「・・・・・それじゃ、黒衣ちゃんは、霧吹きで葉っぱにお水をあげて・・・・。

 

「ん・・・わかった・・・・ここんとこ暑いもんね・・・ってか、あんた暑くないの?」

 

「・・・暑い。」

 

 

見てて暑くなるだろうが、我慢しろ。俺はもっと暑い。

 

 

「麒麟さんは、土に肥料を・・・撒いてください。ただ。」

 

「ただ?」

 

「根の周囲、30cmくらいの範囲は・・・・避けてください。これ、強すぎるので・・・。」

 

「・・・化学肥料だからか。育ちすぎも良くない・・と。」

 

「はい・・・育ちすぎて、根が太くなりすぎちゃうと、綺麗なお花が・・・逆に咲かなく、なっちゃうので・・・。」

 

「それはまた・・・人間と同じで肥り過ぎは駄目ってことか。」

 

 

植物ながら観賞用植物の悲しいところだな。

 

 

「水、葉っぱだけでいいんだよね。」

 

「うん、葉っぱが乾かないように・・・。」

 

「早くやって、終わらせるかね。」

 

 

言葉にするのは簡単だが、薔薇の根っこ部分はこれで結構密生している。おかげで、根の周りを避けろと言われても難しいものがある。稲の収穫の方がラクかも。

 

剣術のために鍛えた足腰をここで使うのも・・・・まあ、悪くないか。

 

 

「あはっ、麒麟ってばへっぴり腰〜♪」

 

「・・・乙女の口にする言葉じゃないが・・・・背が高いからこうなるんだよ。」

 

「・・・・背が高い、って・・・良いなぁ・・・・。」

 

「そう?あたしは背の低いお姉ちゃん、可愛くて良いと思うけどなぁ・・・。」

 

「・・・・こうなると自画自賛のような気もするが・・・黒衣、本気で白衣を褒めるシスコン丸出しは控えた方が良いと思うぞ。」

 

「うっさいわね、だってそう思うんだから仕方ないでしょ。」

 

「左様ですか・・・。」

 

 

筋金どころか鉄筋入ってるな、これ。

無言でキラキラした眼をして見るよりは・・・良いだろうが、これもな。

 

 

「しかし・・・・良く晴れてる。」

 

 

くどいようだが、こんな格好していても暑いものは暑い。

特に黒で熱や光を吸収するから、焼ける焼ける。これで海風がなかったら汗まみれだったかもしれない。

 

 

「あ〜ら、別に無理に手伝って欲しいなんて、あたしは言ってないわよ?」

 

「小姑か、お前は・・・・・ところで、本日は恒例の飛び蹴りがないようだが・・・?」

 

 

別に掛かって来いと言うつもりはないが、ないならないで不気味だ。

パンツを見られるのが恥ずかしくなった・・・とも思えんし、単純に肥料袋担いでたからとも言い切れん。

 

 

「・・・・られたのよ。」

 

「?」

 

「お姉ちゃんに怒られたのっ!今度やったらご飯抜きって言われたからしようがなく我慢してやってんのよ!」

 

「・・・・・・・・・・。」

 

 

怒られた?

黒衣が白衣に?

しかも今度やったらご飯抜き?

 

なんつーか、突っ込み所満載だな。

つまり、わざと怒らせて黒衣をご飯抜きにするというのも手ではあるな。

 

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・。」

 

「・・な、なによ・・その眼は・・・。」

 

「いや、ご飯抜きに屈した黒衣が可愛くてな・・・・・。」

 

 

同じことを弟妹にもやっていただけに、俺も懐かしい。自然と口元が綻ぶ。

 

 

「!!」

 

 

が、それがいけなかった。

 

 

「ぬあーーーっ!!笑うなーーーっ!」

 

 

頭に血の上りやすい黒衣が飛び蹴りをしてくる。

距離的に助走の段階からバレバレなのだが・・・・まあ、わざと受けておくか。

 

 

―――ゴッ!

 

 

「ぐっ!」

 

「あれっ?」

 

 

意外に効いた・・・・打点の選択と接触する瞬間の力みが足りないから致命傷にならんが・・・痛い。

 

 

「・・・・・蹴られた俺が言うのも・・・何だが、飯抜きになるって言ったばかりだろう・・・・。」

 

「う、うっさいわね・・・身体が勝手に反応すんだから仕方ないじゃない・・・それに、あんたなら避けると思ったのに・・・。」

 

 

蹴る相手がそんな勝手な期待をするなよ・・・・。

 

 

「・・・・・黒衣ちゃん。」

 

「はっ!・・・・・お姉ちゃん、ひょっとして・・・・怒って・・る?」

 

「・・・・・・・・・・。」

 

「あわ・・・あわわ・・・・。」

 

 

・・・・白衣の背後から表現できないような無言の圧力が・・・・恐るべし白衣。

 

 

「ほらほら、白衣ストップだ。避けなかった俺も悪いし・・・・ご飯抜きにしたら、同じ部屋の二人が気まずくなるだろうが・・・。」

 

 

「麒麟、さん・・・・・。」

 

「折角、仲の良い姉妹なんだ、つまらんことで諍いを起こすこともない。」

 

「麒麟・・・・・・・・。」

 

「仲が良いか、悪いか、のどちらかなら良い方がいいに決まってる・・・・ところで、二人は食堂に行かないで、白衣が作ってるのか?」

 

「そうよっ、お姉ちゃんの料理は天下一品なんだから!」

 

「黒衣ちゃん・・・・あ、あの・・そんなこと・・ない・・・から・・・。」

 

「・・・・黒衣は話半分に聞かないとシスコン補正が入ってるしな・・・・・だが、白衣も控えめ補正が入るから話倍に聞かないとな・・・・・ということは・・・・美味いわけだ。」

 

「・・・・そういう微妙な評価の仕方やめてくれる?お姉ちゃんの料理は本当に美味しいんだからっ!」

 

「だから、美味いわけだ、と評価しただろうが・・・・・だが、確かに羨ましい限りだ。」

 

 

姉妹で仲良く食卓を囲む姿は、微笑ましい。

 

 

「羨ましがっても、食べさせてなんかあげないわよ。」

 

「ははっ、良いよ別に。」

 

「・・・な、なんかあっさり諦められると、それはそれで腹が立つわね。」

 

「難儀なヤツだ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そろそろ・・・・時間だな。」

 

 

4時限目の終わり3分前。

 

 

「・・・お疲れ・・さま、です・・・。」

 

「白衣もな。」

 

「けど、全部終わらなかったわね・・・。」

 

「ま、時間が少なかったら仕方ないだろう。」

 

 

かなりのハイペースでやったつもりだが、結局終わったのは半分ぐらいだ。

また今度手伝うのもいいだろう。

 

 

「ところで、呼び出しって・・・一体何なわけ?」

 

「ああ・・・・多分、『残滓』絡みだろうな・・・・。」

 

「・・・れむ・・な・・んと・・・?」

 

「・・・なにそ・・・わっ!?」

 

「きゃっ・・・・!?」

 

 

その時突然、思わず眼を閉じるほどに強い風が海の方から吹いた。

 

 

「・・・・・嫌な風だな。」

 

「・・・びっくり・・・・しました・・・。」

 

「あっ・・・・麒麟、あんた今どさくさに紛れてスカートの中覗かなかったでしょうね?」

 

「?・・・・お前、見て欲しかったのか?」

 

「そんなわけないでしょうがっ!」

 

 

こいつら・・・・気付いてないのか。

 

 

「とまぁ・・・・・そういう軽口のまま、校舎に戻りたいが・・・どうも無理っぽいな。」

 

 

おちゃらけた言葉を止めた俺の視線の先には、まるで陽炎のように揺らめく、黒い影のようなものが蠢いている。

 

 

「えっ・・・な、なに、あれ・・・。」

 

「二人とも・・・こっちに来い。」

 

 

潜在的な危険を感じたのか、異論なく二人はこちらへ来る。

 

携帯を取り出して、観影さんへの直通へ掛ける。

 

 

「観影さん?」

 

「誰だ?」

 

「靜峯だ・・・・今、中条姉妹と裏庭の花壇にいるんだが、『残滓』が出た。」

 

「なっ・・・・!せ、センサーには・・・すまない、異常をたった今観測した。」

 

「20ちょっとだが・・・まだ増えてる。」

 

「応援を呼ぶ。それまで待ってくれ。」

 

「いや、それよりももうすぐ4時限目が終わる。一般生徒や研究員の目につくとまずいから、何とかこの一帯を立ち入り禁止にするか、生徒を教室から出さないようにしてくれ。

 

「それは解かったが・・・数から言って三人では不足だろう?」

 

「可能なら応援は欲しいが・・・・乱戦で下手に加勢されても邪魔になる。」

 

「・・・了解した。処理は君らに一任する。」

 

「ああ、そういうことで、封鎖は頼んだ。」

 

 

そこで通話を切ってポケットへ放り込む。

 

 

「・・・・あんた、アレが何か知ってるの?」

 

「細かい話をするわけにはいかないが・・・俺たちの実験の副産物だ。で、簡単に言えば、その後始末のために俺らはあれを斬る必要がある。」

 

「・・・・害は・・・あるんです・・か?」

 

「ある―――昨夜のお台場の乱闘事件・・・あれが犯人だ。」

 

「ちょ、ちょっと・・・洒落にならないじゃないのよ!」

 

「逃げる、っていうのもありだからな。闘いたくなければ、二人は避難してもいいぞ。」

 

「それで、あんたはどうすんのよ。」

 

「ま、これもまた俺の役目の一つだからな。30ちょっとなら俺一人で十分だから、無理強いもできんよ。」

 

「・・・・で、でも・・・あの、それじゃ・・麒麟さんが・・・。」

 

「気持ちはありがたいが、仮想世界と違ってこっちは現実だ。仕損じれば怪我もするし、下手打てば命も危うい・・・・そして、二度目はない。」

 

 

と、そんなことを話している間に『残滓』はわらわらと動き始めている。

統制の取れた行動はないおかげで、退路を断たれる心配はなさそうなのがありがたい。

 

 

「と、取り敢えず、自分達の身は自分で護るわ・・・。」

 

「そいつは重畳・・・ただ、本当に闘うつもりがないなら俺から離れておけよ。」

 

「え・・・・・?」

 

「あいつらは『デミウルゴス』に組み込まれた俺たちの得物に反応して襲ってくるからな。喚んでからだと、否応なく、巻き込まれるぞ。」

 

「・・・・・つまり、逃げないなら闘え、ってことなわけ。」

 

「そうだな。」

 

 

 

『ソフィアー、太刀を俺に!』

 

『ソフィアー、太刀を私に。』

 

 

 

二人とも、闘うことを選択したらしい。連携に慣れている二人なら、乱戦でも誤って斬られることもない、と思いたいな。

 

 

「――――!――――?――――!!」

 

 

俺たちが得物を喚び出すと、案の定『残滓』の動きが変化した。茫洋と彷徨っていたものが、引力に引き寄せられるかのように移動を始める。

やがて、身を引き摺るような歩き方からほとんど走るのと同じような速さで殺到してくる。

 

 

「人型だから・・・・なんかやりにくい感じがするわね・・・。」

 

「く、黒衣ちゃん・・・・。」

 

「そう言うな・・・・現状斬り捨てるしかないからな。」

 

 

冬芽の泣き顔が脳裏を過ぎる。この二人が何も言わないところを見ると、蔵人たちのフォローは成功したのだろう。

 

 

一歩進んでから、最初の一体が伸ばした腕を斬り落とし、返す刀で逆胴から両断する。

 

 

「数が多い。背後を取られないように連携することと、地形を利用することを忘れるな。」

 

「・・・・って、簡単に言ってくれるわねっ!」

 

 

そうでもない。花壇はこれで結構背丈が高いから、『残滓』も必然的に三本の通り道しか通れない。よほど無茶をしなければ背後を取られる心配はないと考えて良い。

 

 

「・・・・ふむ。」

 

 

六体目を袈裟懸けにしたところで、昨日の感触が実感に変わる。

『残滓』には真っ当な知能はなく、パワーこそあるもののそこに技術はない。

 

だが、それでも数の脅威は健在だ。何体やられても怯むことなく、愚直に向かってくる。何より・・・・こいつらはまだ増えることができる。

 

 

「これは・・・・ちょっとペースを上げる必要があるか。」

 

 

様子見を兼ねていたが・・・・そうもいかんな。

 

 

「白衣、黒衣ッ!」

 

「なによっ!この忙しいときにっ!」

 

「ペースを保てっ!敵はまだ増えるぞっ!」

 

「ああっ、もうっ!!」

 

 

悪態をつけるだけ、まだ大丈夫か。

 

それにあの二人の動きは、やはり大したものだ。

一見無謀とも思える突撃を仕掛ける黒衣。攻撃から黒衣を護る白衣。その速さは疾風で、時には役割を交代しながら次々に屠っていく。

 

死角を互いに埋めあう。簡単に言うが・・・・互いの斬撃が死角から来るのだから絶対と信じる心と技術を必要とする。

複雑な歩法と視線、そして姿勢の組み合わせから出来ている。傍目からは次に何処へどちらが移動するのか見極められないように工夫が凝らされているようだ。

 

あの様子なら心配ないか・・・。

 

 

我ながら、よく倒したものだ。

 

 

俺は対照的に、激しい動きは必要ない。腕の長さと太刀の長さでは俺の太刀のほうが圧倒的に長い。

その間合いを駆使すれば、『残滓』ていどの動きを制することは容易い。

 

弧偃の軌跡を描く斬撃結界――――その間合いこそが、“燕返し”の表。

 

 

中身の詰まった水袋のような、人を斬るときとは似て非なる感触を碌に感じる暇もなく、“燕返し”の餌食にしていく。

 

 

あらかた片付いたところで顔を上げた瞬間、俺の正面に影を捉えた・・・・。

 

 

「ちっ・・・・。」

 

 

その影は黒衣と白衣の僅かに残された死角。そして白衣にとっての裏・・・・左側からの襲撃の瞬間。

それは、仮想世界で俺が衝いた決定的な隙。

 

 

「白衣・・・っ!」

 

 

叫びながら、二人へ向かって飛び出す。

 

 

「・・・・・っ!?」

 

「お姉ちゃん・・・っ!」

 

 

 

―――斬ッ

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・!!

 

 

 

「はぁっ・・・はぁっ・・・・。」

 

「ふっ・・・ふっー・・・・・。」

 

「・・・・あ、ああ・・・・・。」

 

 

次の瞬間、白衣の頬を掠めるような位置から放った黒衣の小太刀が、敵の胸落から肩先に向かって斬り裂いていた。

 

そして、尻を衝いた白衣の頭部を狙っていた敵の腕を斬り飛ばした俺の剣先は、そのまま襲い掛かってくる最後の二体を、あらゆる角度から初太刀と二の太刀を繋げる“燕返し”の裏でほぼ同時に斬り倒した。

 

 

「・・・・・・・・・未熟。」

 

 

納刀を共に放った俺の一言に・・・・白衣は打ちひしがれて肩を落とし、黒衣はキッと音がしそうなほど俺を睨みつける。

 

 

「あんたに何が・・・っ!」

 

「俺が腕を斬らなければ、白衣の頭は爆ぜてぐしゃぐしゃになっていたぞ・・・・。」

 

「あ、ああ・・・あ・・・・。」

 

「判断ミスを殊更には責めん・・・・・だが、お前達の信は、均衡があまりに取れていない・・・・。」

 

「お姉ちゃん・・・・ごめん。」

 

「そんな・・・・私、が・・・。」

 

「・・・・あたしが、護れなかったから。」

 

「黒衣・・・ちゃん・・・・。」

 

 

その認識こそが・・・二人の連携に齟齬を生み、僅かでありながら致命的な隙を作る。

 

 

「だが・・・・・無事で良かった。」

 

 

俺の言葉にショックを受けて肩を震わせている白衣を、黒衣が辛そうな表情で抱き締めている前で肩膝をついて屈む。

 

 

「お前達二人が、無事で本当に良かった・・・・。」

 

「麒麟、さん・・・・。」

 

「麒麟・・・・・・・。」

 

「・・・俺は自分の身を守り、敵を滅する業だけを磨いてきた・・・・だが、人を助ける術だけは・・ついぞ学ばなかった。だから・・・いつも、最後に戦友を失ってきた・・・。」

 

 

昔のことを思い出すのは年寄りの証拠だと言うが・・・・次々に去来するのは死んでいった戦友達。

 

 

「・・・俺が責めるのは、お前たちに生き残ってほしいからだ。二人の仲の良さは、眩しい・・・だから、俺の勝手な願いだが、元気で生きてくれ・・・・。」

 

 

何を・・・・言ってるんだろうな・・・・俺は。

こんなのだから、俺はここにいるって言うのにな・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「全員集まってくれたようだな。本当は私の研究室が良かったのだが、人数が多すぎてあそこでは収まりきれないのでな。」

 

 

医務室。『残滓』を殲滅した足でそのまま来た俺達と、他のメンバー、そして圭と冬芽の姿があった。

昨日の説明から、冬芽も具体的な話が気になるのだろう。それは良いことなのか、悪いことなのかは俺の判断は分かれる。

 

 

「では本題に入ろう。」

 

 

みんな臨時に置かれたパイプ椅子に座っているが、スペースの都合上、俺は立ち見をしている。

説明役の観影さんは診察用の椅子に座り、足を斜めに投げ出している。

 

 

「メンバーの中で遭遇したと思うが、システムの稼働が原因の怪現象が発生した・・・これを見て貰いたい。」

 

 

診察机の上にある、普段はレントゲンフィルムの投影台になっているディスプレイが一つ起動して、画像を映し出す。

 

 

「これは昨夜、台場で発生した時に撮影されたものだ・・・名がないので、ここでは仮に『残滓』と命名した。」

 

「昨夜・・・こいつ、昨夜も出たの?」

 

「挙動不審者が警官相手に暴れた・・・と言うニュースを見た者もいると思うが、実際には警官と戦闘になったのはこの『残滓』だ。人心を動揺させるのはまずいと言うことで、現在は報道管制が敷かれている。」

 

「けど観影さん・・・・警官が10人近く病院送りって聞いたんですけど、その辺は?」

 

「それは真実だ。正確には11人の警察官が関与し、全員が入院加療が必要な傷害を負った。」

 

 

死ななかっただけでも、まだマシか。

 

 

「・・・・俺が遣り合ったヤツは、そんなに強いとは思えなかったけどな。」

 

「・・・私達も、斬ったら普通に消えたけど・・・・。」

 

「どうも、日本の警察では分が悪かったらしい・・・・まず、警防では効き目がなかった。打撃に関してある程度の耐性があるらしい。」

 

「数人の警官が同様の攻撃を繰り返して負傷し、発砲の許可が出たが・・・銃弾も効果が出なかった。」

 

「・・・・マジですか?」

 

「・・・内臓もなければ、血も出ない。ついでに感情もない。銃弾じゃ、止まらんだろう。」

 

「そうだな。人の形をしているが有機体ではないからな。銃弾クラスの小さな穴が空いた程度では駄目らしい。」

 

 

蔵人の顔が僅かに引き攣る。剣がなかったら、今頃病院送りだったろうからな。

 

 

「最終的に警察官の一人がパトカーをぶつけて、相討ちで轢断に成功したらしい・・・もっともパトカーも大破したし、乗っていた警官も負傷したがな。」

 

「ひえぇぇぇ・・・・・。」

 

「丸目たちの報告で、鋭利な刃物の斬撃であれば比較的容易に消滅させられるというのは判ったのだが、問題は日本の警察には刀剣を使用した部隊など無い・・と言うことだ。」

 

「むしろ、今時刀剣を装備、使用している警察なんていないと思うが・・・。」

 

「でも、自衛隊にお願いするとかって駄目なんですか?銃剣とかあるんですよね、確か。」

 

「自衛隊は出動に関して法制上の問題がある。動かしただけでも国際問題になるようでは論外だ。」

 

「・・・・その前に、自衛隊銃剣格闘はその基本に斬撃はほとんどない。あるにあるが、むしろ対人戦闘においては槍術、棒術に近い使い方をするし、刺突で内臓を傷つけて失血死させるほうが効果的だからだ。ま、それでも役に立つかどうかで聞かれれば居ないよりはマシだ。」

 

「まさか・・・・ひょっとしてですけど、わたしたちにそいつらを退治しろ・・・なんて言う話じゃないですよね?」

 

 

りっちゃんは・・・というよりも、その場の大半はできれば否定しろという目で観影さんを見る。

 

 

「・・・・他に方法はあるのか?」

 

「うそっ!?ホントにやんの・・・っ!?」

 

「ああ。どうしても、と言う場合は辞退してくれても構わないが、出来れば力を貸してくれると助かる。」

 

「意外と時化てるのね、国の研究施設って言うのも。」

 

「く、黒衣ちゃん・・・・。」

 

 

黒衣の毒舌ぶりというか、本音をかくさないところは相変わらずだな。

 

 

「・・・・本当に世界を救える実験であれば、対外的な事情など無視して軍隊も駆り出せるのかも知れないが、そういう保証もない以上は現状でそう強くも打って出られないでな。」

 

 

諸外国に内緒で勧めた挙句に、散々叩かれている今なら尚更というところか。

これで駆り出せたとしても地球規模の安全保障問題ということで、国連軍の名を借りた先進国が日本へ進駐してくるだけだ。

 

 

「それで・・・具体的にはどうなさるおつもりです?まさか救急車のように目撃情報の度に緊急出動・・・などと言うわけにも行かないでしょうし。」

 

「・・・それはそれで、面白そうだけどな。」

 

「・・・信綱は別の要件で運ばれそうだけど。脳の病気とか。」

 

「うわっ・・・酷えなー。」

 

「んんっ!」

 

 

観影さんが咳払いをして、黙らせる。

 

 

「まあ、そこは後にしよう。取り敢えずは『残滓』の発生に関してと、それが何故システムに起因するのか、という説明から済ませよう。」

 

 

スイッチを操作すると、画面にいつぞやの説明会で使われた『偏倚立方体』の画像が出る。

 

 

「以前説明したと思うが、重力波発生の演算についてはシステムの上部で回転する、黒い『偏倚立方体』によって行われている。人間や、人間産み出したコンピュータでは複雑すぎる上に規模が大きすぎて処理出来ないような、マクロな超高度演算を行っている。おそらくその答えは人間の数値では表現できない答えを持っているだろう。」

 

「その複雑な処理の結果として、『残滓』が発生すると・・・・?随分と粗の大きな精密処理だ。」

 

 

伊織の適確かつ、容赦のない一言に、観影さんは気負うことなく苦笑いで返す。

ある意味で事前予測できたことを出来なかった技術屋である観影さんたちのミスだからか。

 

 

「私もそう思っていたのだが・・・・検証してみた結果、どうもこれは演算上の故意なのではないかと言う結論に達した。」

 

「・・・・システムが故意に怪物を産み出す、というの?」

 

「観察した結果から言えることは・・・『デミウルゴス』が固定する未来の不確定量子・・・・その全体量と、実際に到達した未来に於ける全体量にはある程度の誤差がある・・・それが時空間に歪みを産み出すのよ。」

 

「発生した時空間の歪みは、そこにある生物の残留思念を『殻』として取り込み、『歪み』であることの流動性を捨てて安定しようとする。」

 

 

圭が顧問としての立場から捕捉する。それが、西洋魔術の魔術師としての見解か。

 

 

「世界そのものか、あるいは自然界に働く調整力とでも言おうか・・・・それには時空を安定させようとする力がある・・・つまり、『デミウルゴス』は『時空の調和を乱す存在』として世界にその存在を問われているということだ。」

 

「人類が滅びようがどうしようが関係ない。ただ、本来の時間の流れが損なわれる行為を矯正しようとする・・・・そういうことですか?」

 

「その通りです。その為に『歪み』は残留思念を吸収し、物質界に干渉できるような『身体』を手に入れて『残滓』となった。」

 

「そして彼らは、自分の母胎となった産みの親である『デミウルゴス』をこの世界から排除しようとする。『時空の乱れ』を防ぐために・・・・。」

 

「そうだ・・・。」

 

 

観影さんと圭が淡々と説明を続けると、一同口を噤んだ。

 

 

「・・・・解からないんだけれど。」

 

 

伊織が、さっきよりも真剣な口調で口を開いた。

 

 

「さっきは『デミウルゴス』自身がその化け物を産み出した・・・と言った。だが、今度はその化け物が『世界』の秩序を護る存在だと言う・・・・矛盾していない?」

 

「矛盾というわけではないわ・・・ただ、同時に二つの役割を背負っているだけ。」

 

 

観影さんがそう言うと、今度は『デミウルゴス』が重力波を発生させているときの映像に切り替わる。

 

 

「この重力波を、池に投げ込んだ石だと思ってもらえば分かり易いだろう・・・池の真ん中に石を投げ込むとそこから丸く波紋が広がっていく・・・これが重力波の波だとしよう。」

 

 

そう言って、画面の中央に伸びているビームの周りにくるっとペンで丸を書く。

 

 

「実際に池に石を投げ込んだことのある者なら解かると思うが、この拡がっていった波紋は池の縁にぶつかって拡がった時の何分の一かの力で、石を投げ込んだ場所に返ってくる。これと似たようなことが『デミウルゴス』でも起こる・・・しかも戻ってくるのは、世界を変えてしまうほどの力だ。いくら減衰して戻ってくるとは言え、普通に喰らったら耐えられない可能性が大きい。」

 

 

大きく丸を描いたペンを、その画面の中心に戻してコツコツと叩いた。

 

 

「それを防ぐために、どうやら『偏倚立方体』は全力では重力波を全力で撃たないように演算している。余力を残すんだ・・・そして帰ってきた衝撃波に、残しておいたパワーをぶつける・・・これで、システムの崩壊を防ぐんだ。」

 

 

勢い良くスライドさせた右手に左手をぶつけて、そこでパン、と拡散したような動きをしてみせる。

 

 

「安全装置、というわけですね・・・・。」

 

 

何だ・・・昨日も思ったが、この説明にはどうも不備を感じる。

単純に波と聞いたから、波に波をぶつけても消滅しないからだけかもしれないが・・・・それだけじゃないぞ。

 

 

「そうだ・・・だが、ここで異なる問題が発生する。衝撃波を迎え撃つ地点は『デミウルゴス』に近ければ近い方が良い・・・ということだ。そうすることによって、返ってくる衝撃波も最大限減衰する。そして相殺するために必要なエネルギーも、可能な限り低く抑えることが出来る・・のだが。」

 

「・・・・だが?」

 

「・・・・発生源に近い場所はどこだ?」

 

「そうか、だから学校周辺に出没するわけか・・・・。」

 

「ちょ、ちょっと待ってよ・・・それはおかしいんじゃないの?」

 

 

なにか気になるところがあるのか、黒衣が突然発言する。

 

 

「いくら衝撃波が相殺できても、その『残滓』とやらが湧いて出て、システムを壊しちゃったら何の意味もないじゃないのよ!?」

 

「・・・そういえば、確かに・・・そうかも。」

 

「そうね。それについては私も同感ね。」

 

 

意外なことに躊躇することなく観影さんは同意した。

 

 

「これは推論でしか無いのだけれど、恐らくこれを・・・『偏倚立方体』を開発した存在は、システム力を借りず自力で『残滓』を処理する能力を持っていたのではないかしら?」

 

「なるほど・・・・それは確かに推量でしかない。だけど、そう考えないと至近で衝撃波を相殺する理由が解からない・・・か。」

 

「いや・・・案外そうでもないかもな。」

 

「・・・なにか、思いついたのか?」

 

「俺のも推論だが・・・・そもそも、『残滓』を発生させない方法があったんじゃないのか?元々、『偏倚立方体』と『デミウルゴス』は借り物で、その周囲のシステム整備は人間の科学力とやらで無理矢理拵えた紛い物だ。もしかしたら、本来の『偏倚立方体』は『残滓』を発生させないシステムが組み込まれていて、だからこそ至近で相殺することもできた・・・とは考えられないか?」

 

 

また、もしくはそれが出来たにもかかわらず、あえてそうしなかった可能性もあるが、な。

 

 

「・・・靜峯の意見も一理あるが、どちらにしろ今の我々にはこの災厄を自らの手で払い除けなくてはならないの。」

 

「私たち向けに開発された存在ではないから、機械の想定したルールに則らなくては、正しく運用できない・・・ですか。」

 

「・・・今の人間の技術力ではな。」

 

 

観影さんは口を引き結ぶと、少し悔しそうな表情で答えた。

それは説明会のときに僅かばかり覗かせた感情に似ている。

 

ワケの解からんものに頼ったツケと言えばそこまでだが・・・やれやれだ。

 

 

「ま、つまりそう言うことだな・・・プロジェクトを続行するためには、障害は自分達の手でぶっ潰さなけりゃならん・・・と。」

 

「そうだな・・・しかも、他人の手は借りられない。」

 

「そういうことだ。だから、君達の力を貸して欲しい。」

 

「別に俺は構わないんだが・・・・時間外手当とか、危険手当・・・・出る?」

 

「別に出しても良いが・・・欲しいのか?ちなみに保険は既に掛かってるぞ。実験時の事故に備えているからな。」

 

「・・・・保険はありがたいが・・・事故が起きたら、多分俺達に直接利益のない還元をされるからな・・・。」

 

 

貰うなら現世で使える手当のほうが嬉しい。地獄の沙汰も金次第というが、現世で使ってナンボのもんだろう。

 

 

「あ、そう言うサービスがあるんだ・・・そうだな、俺は取り敢えず・・週明けの期末試験を免除して欲しいな。」

 

「えっ!それってアリなの!?だったらわたしやっちゃうかも・・・・。」

 

 

蔵人は冗談で言ったんだろうが・・・・りっちゃん、食いつきが良すぎ。そこまで勉強が嫌いか・・・。」

 

 

「り、六花?もう少しちゃんと考えた方が良いんじゃないかしら・・・命の危険もあるかもしれないのよ?」

 

「・・・・試験、免除。」

 

「ちょっと、良い・・かも・・・。」

 

「・・・お前らもかよ。」

 

 

黒衣に白衣までとは・・・・お手軽と言えばそうなんだが。

 

 

「おいおい、誰も免除するとは一言も・・・・。」

 

「まあまあ、良いじゃないのセンセ・・・・世界の未来が懸かってるんだから、試験の一つや二つ。」

 

「いや、私は構わんのだが・・何だか急に、救われた後の未来が気に掛かってな・・・。」

 

「ははっ・・・世界を救った後に、みんなの成績も救うことになるかもな。」

 

「・・・あまり冗談に聞こえないから、止めてくれ、靜峯。」

 

 

確かに、冗談じゃない気がする。

 

 

「出来れば危険手当も出してくれると・・エンゲル係数を下げるのに役立つかも。」

 

「収入が増えても、りっちゃんの場合はエンゲル係数がでかくなるだけだと思うが。」

 

「そ、そんなことないですよっ!・・・・多分。」

 

「物凄い・・・自信なさげだな。」

 

 

実際に家計簿をつけてエンゲル係数を弾き出していたら、卒倒しかねないんじゃないか?

どう考えても、俺の三倍は食費出してるだろうし。

 

 

「・・・・というかお前達、試験を免除したくらいで本当にやってくれるのか?」

 

「そうですねえ・・・独りだったら考えちゃいますけど、みんなが一緒だっというのなら・・・。」

 

「あたしは・・・別に構わないわ。」

 

 

黒衣・・・お前、少し試験免除に心動かされたな。

 

 

「―――このプロジェクトが存在する限り、私に否やはない。」

 

「・・・個人的には試験を免除して頂く必要を感じませんが、参加に関しては吝かではありませんわ。」

 

 

伊織と小夜音は大体の予想通りか。

小夜音は試験範囲のズレなど問題ないという自信つきだし。

 

 

「・・・・あの。」

 

「ん?どうした・・・。」

 

 

俺の前に座っていた白衣が、ついと袖を引いた。

 

 

「その・・・蔵人さんも、参加・・・するんですか。」

 

「・・・・・さて、どうしたものか、と選択したいところなんだが・・・俺に拒否権はないからな。参加するつもりだ。」

 

 

内閣府からは、どうも半ば雑用扱いも兼ねて派遣されているらしい。

試験免除や危険手当も魅力だが・・・・今回の役回りから言って、拒否はできない。

 

 

「・・・じゃあ、私も。」

 

「はっ・・・・?」

 

「えっ、お姉ちゃんも!?でもあたし、お姉ちゃんに危険なことは・・・・。」

 

「がんばる・・から・・ね?」

 

「うぐっ・・・わ、わかったよ・・・・。」

 

「・・・・そことはかとなく、俺の責任のような気が・・・参ったな。」

 

 

黒衣は白衣に弱すぎる。呆気ないがほどに丸め込まれやがった・・・ちょっとは期待した俺が間違いか。

 

 

「・・・これで全員か?どうする観影センセ。」

 

「ま、仕方がない・・・希望者は今期の期末試験を免除する。あとは危険手当か?」

 

「ぃやったーっ!」

 

「・・・・今、猛烈にりっちゃんが不憫に見えたのは俺だけか?」

 

「・・・麒麟さん・・それは、口に出さない方がよろしいかと思いますわ。」

 

「・・・・そうだな。」

 

「それで、現実的にはどうするつもりなんです?さっき月瀬が言っていたが、確かに出現の度に緊急出動・・・なんて言うわけにはいかないぜ。」

 

 

信綱は悪魔的にも見える微笑を貼り付けて、観影さんに尋ねる。言葉とは裏腹にそれでも構わないという色が見え隠れしているのは、ヤツ一流の諧謔か。

 

 

「それは考えた・・・『残滓』を誘き寄せる。システムそのものを囮にしてね。」

 

「なるほど・・・それで今日と明日、学園を閉鎖するのですね。」

 

「その通りだ。これを見てくれ・・・・・。」

 

 

ディスプレイには地図らしきものが表示される。

 

 

「これはこの学園を含む新東雲人工島の全体図だ。赤で円が描かれている場所は散花蝕の発生を予防するために、特殊磁波放射装置が稼働している。」

 

「そんな装置が存在するのですか?だったらそれを全世界へ展開すれば・・・・。」

 

「あくまで理論上の産物だろう・・・検証、つまり実際に散花蝕を予防することができたと証明できなければ無駄だからな。」

 

「・・・・なるほど、実際に散花蝕を予防したとしても、予防である以上散花蝕を事前に止めたという検証ができない、と?」

 

「そういうことだ。その上、装置を動かすためには膨大な電力を必要とするんだ・・・とてもじゃないが、現実的とは言えない。」

 

 

小夜音は納得したのか席に戻り、気を取り直して観影さんは説明の言葉を続ける。

 

 

「ま、今回の場合はこの磁力波が『残滓』の出現抑止に効力があるかどうか、ということなんだが・・・これは効果があると考えている。それは今までの出現地点が『デミウルゴス』の至近ではなく、台場などの周辺地域であったことだ・・・本来ならば、もっと近い場所に出現してもおかしくないはずだ。

さて、この装置が『残滓』に有効であるとするならば、島内に於ける磁力波発生装置の特定箇所を停止すれば、そこから『残滓』が発生する確率は格段に上昇すると考えられる。」

 

「『デミウルゴス』周辺の防護装置をわざと停止して、その場所に『残滓』がわざと発生するように仕向ける・・・・ということですのね?」

 

「その通りだ。実施時間は、今晩の8時から明朝の2時まで・・・それで完全に解消できなければ、日曜の同じ時間帯にもう一度実行する。」

 

「完全に解消・・・って、一体どうやってそれを知るんですか?」

 

「『偏倚立方体』からシステムを介して常時受け取れる信号の中に走査信号がある。『偏倚立方体』自らが持つ感覚器官を代用して、周囲の状況を監視し、その情報を常時発信している・・・という代物だ。

これの記録に拠れば、7月14日の夜・・・第一次実験以降に、空間の異常振幅を観測信号の中に見出すことができる・・・・その上、発生した『残滓』が消滅することによって、それ以前に記録していた平常値へ向かって減衰することも確認できた。」

 

「なるほど、その数値が実験前までの数値に戻れば・・・・。」

 

「時空間の歪みは完全に解消された・・・と、一応は考えることができる。」

 

 

一応・・・・ね。

 

 

「些か頼りないような気もするが・・・現状ではどうやらその信号でチェックするしか無さそうだな。」

 

「ま、そう言うことだ・・・全員異論、並び疑問がなければこれでブリーフィングは終わりだ。」

 

 

誰も異論がないらしく、手を挙げない。

余裕というか、暢気というか・・・俺は聞きたいことがあるので手を挙げることにした。

 

 

「靜峯、何かあるのか?」

 

「・・・昨日は地下鉄で3体、さっきは40体ほど斬った。問題は、その上で宇宙規模の時空間の歪みが生じている。それがどれくらいの『残滓』に還元されるのか、目星はついてるのか、という点が疑問だ・・・・下手をすると1万なんて洒落にならん数もありえるし、そうなれば俺達八人なんて一飲みだ。」

 

『・・・・・・・・・・・・・。』

 

 

全員の顔が一気に蒼褪める。

 

どれほど卓越した剣士でも、万軍の前には蟻同然。数の論理で揉み潰される。

 

 

「・・・・それについて、信号の減衰率からある程度割り出すことができている。」

 

 

顔色を蒼褪めさせることのなかった観影さんだったが、その調子はやはり良くない。

 

 

「・・・その様子だと・・・あんまり色好い返答は、期待できそうにないな。」

 

「概算になるが、200〜280という計算結果が出た・・・・。」

 

「その、誤差の大きさはどういうことなんだ?」

 

「・・・・『残滓』一体が倒された時の減衰率は必ずしも一定ではないからだ。最小の値から導いた200と最大の値から導いた280の間・・・・ということになる。」

 

「つまり・・・凡その所、250前後あたりか・・・・。」

 

「一人頭、30体か・・・・やれやれ・・・・。」

 

「ま、倒せない数じゃ・・・ないよな。」

 

「・・・そうだけどさ・・・・ちょっと、きついんじゃないの・・・?」

 

 

黒衣の言うとおり、不可能ではないが厳しい。仮想世界のようにやり直しも利かない。

 

 

「おや〜・・・・・今頃怖気づいたのかな、豆粒娘さんはよ・・・。」

 

「な、な、なっ、なんですってぇーっ!・・・・誰がそんなことを言ったのよっ!」

 

「・・・・信綱、事態を悪化させるな・・・・黒衣も一々そんな安い挑発に乗るんじゃない。」

 

「へいへい・・・・・。」

 

「・・わ、解かったわよっ。」

 

「あはははっ、麒麟さんも何だかお父さんみたいですよっ!」

 

「・・・・黒衣はともかく、こんな色物な息子は要らん。」

 

「・・・黒衣なら良いのかよ・・・。」

 

「なら、蔵人。お前なら黒衣と麒麟を選ぶとして、どっちが良い?」

 

「・・・・・・・・・・俺が悪かった。」

 

「なんか俺って、扱い酷くないか?」

 

「・・・酷いのか?」

 

「酷いんだろうな、多分。」

 

 

そこで何故俺に聞くんだ、伊織。

 

 

「・・・・靜峯以外の疑問はないな?」

 

 

観影さんは俺達の軽さと落差の激しさにやや疲れた顔をしながら、そう言った。

 

 

「良し。午前七時半にこの場所に再集合とする・・・六時間作戦を継続する予定だから、食事と睡眠は集合までに各自とっておいてくれ・・・・解散。」





次は残滓退治か。
美姫 「麒麟、強いわね」
うんうん。かなり面白いですよ。
美姫 「次はどんな展開が」
ワクワクしつつ……。
美姫 「次回はすぐ!」



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