プレシア=テスタロッサは実験室の制御室で小さく溜息をつく。

今日の実験は予想以上の成果を挙げた。成功と言えるだろう。

他の研究員―――プレシアは“同僚”とは思っていない―――は実験結果の精査を行い、理論固めのために各自の研究室へ戻っていて、この場には居ない。

このプロジェクトチームに入ってもうすぐ四年。近々実用試験へ入る段階まで進んだ。元々、理論上は可能とされている内容だけあって、研究のペースも早い。じれったくはあるが、あと少しということで気合も入るはずが、どことなく憂鬱だった。

 

「プレシア」

「・・・?」

 

真後ろのコンソールでデータ整理をしていたカーマインに呼びかけられ、プレシアは椅子を半回転させる。

 

「不安か?」

 

カーマインは振り返らず、キータッチも止めずに言った。

 

「うん・・・少し、不安かな。実験の成功も心配だけど、他のことがちょっと・・・」

「分かってるなら、良い・・・」

「カーマインは何でもお見通しね」

 

わざと悪戯っぽく言うと、カーマインから軽い怒気が伝わってくる。

半ば照れ隠しで、半ば本当に怒っているようだ。

 

「これが本当は悪いことだ、いけないことだと分かっているのに。変な話よ」

「・・・関係がない、と割り切れ。悪人は長生きして善人は早死にする。ラルゴ=キールを見ろ。巨神兵一体を追い返すためにサピン世界を犠牲にした。あれで死んだ人間が一億や二億では済まされないにも関わらず、のうのうと生きている」

「・・・・・・」

 

サピン世界が消滅した『スース事件』で取れる手段は限られていて、ラルゴ=キールが苦肉の策を選んだこともカーマインは知っている。けれども、事実だけを見つめればラルゴは何億人という人間を見殺しにしたのだ。

目的のために手段は正当化される。このプロジェクトも表向きはバーテックス系組織の行っている非合法なものだが、実態はどうだ。管理局の統幕総務部が抱える研究機関の一つとして、予算は管理局から下りてきている。魔法文明の管理を謳う管理局が倫理侵害の研究を事実上容認し、スポンサーにまでなっている。

次元世界最大の反管理局組織であるバーテックスと管理局は詰まる所、こうして癒着しているのだ。

世の中とはそういうものだ。表向きの善悪など一歩境界線を踏み越えれば何の意味もない。

だったら、自分の信じるもののため・・・言い換えれば自分の欲望に従った方が良い。

 

「自分の幸せを望むようにしろ。俺はお前の幸せを全力で達成させるから」

「私の幸福は・・・誰も悪くなんてなかったのに。私の弱さが招いたことだから」

「誰かが悪いなんて関係がない。必要なのは失われた事実を取り戻すことだ。悪を問うのはその後でも良い」

 

これはそのための研究なのだとカーマインは続ける。

 

「でも、私はそのためにカーマインへ犠牲を強いてる」

「俺にとってこれは犠牲じゃない」

「嘘よ。このプロジェクトを本当は潰したいはずなのに、我慢してる。本当は自分と同じような子供を生み出すことを嫌がっている・・・そうでしょう?」

 

苛立ちが混じりプレシアの声が上ずる。

その苛立ちが自分へ向けたものであると気付きながら。

 

「・・・俺のことを考えるな。言っただろう、自分の幸福だけを考えろ」

「それじゃあ、貴方の幸せは何処にあるの?」

 

何故だろう。

その言葉を発してから、カーマインの背中が泣いているように見えた。

 

「俺の幸福・・・・・・それは、遠い過去にしかないんだよ」

 

プレシアはその質問を悔やんだ。

カーマインの幸せを奪ったのはただの人間だ。絶大な力を持ちながら、彼は自らを縛るしがらみのために幸福を失うことになったのだから。

 

―――彼は世界を憎んでいる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『アースラ』の応接室。以前、なのは達と接見した際は勘違いをした和室だった部屋は今もそのまま。

ただ、そこに居る人間はリンディだけが同じで後は違う。そして、リンディの雰囲気も提督の称号に相応しい緊張感を放っている。

 

「ハイメロート一等空尉、今回の独断行動についての説明・・・していただけるのでしょうね」

 

和室であるため互いに正座で正対。

彫りが深く、色素が薄めのハイメロートは「それは勿論」と言ってから、

 

「今回の件については“かくかくしかじか”というわけで・・・」

「そうですか。“かくかくしかじか”なんですか―――って、“かくかくしかじか”じゃないでしょう!!」

 

スパカンッ!!

 

小気味良い音ともにリンディのお手製ハリセンがハイメロートの頭頂部へ炸裂。

 

「な、なにっ!?―――この世界の“ジャポン語”はこういう風に言えば万事OKではないのか!?」

「どこの世界の言葉よそれはっ!」

 

スパカンッ!!

 

もう一回炸裂。

 

「まかさ無限書庫から持ち出した資料が間違っているとは・・・」

「どんな資料よ、それは・・・」

「ふむ、これだ」

 

空間モニターに出された資料。

紙媒体を変換したその資料の表紙にはこう書かれていた。

 

――民明書房刊行「第97管理外世界のとある言語マニュアル」作者:リュウセイ=ナカジマ

 

「・・・・・・」

「・・・どうした?」

 

スパカンッ!!

 

三度目の炸裂。

 

「こんな怪しげな本に頼ってどうするの!」

「そうか?・・・装丁は立派だし、表題についても問題はない。中身もしごく真面目に書いてあるぞ」

「そんなはずが・・・」

 

ハイメロートが真面目に言うので、胡散臭そうに画面をスクロールさせる。

 

「・・・本当だったのね」

「これを見て嘘と思う奴は少ないだろうな」

「ぜひ、欲しい人材ね」

「ああ、全くだ」

 

恐るべし、リュウセイ=ナカジマ

 

 

 

―――閑話休題

 

 

 

「んんっ・・・」

 

リンディは咳払い一つ。

妙なペースとネタとノリにやられてしまったが、真面目に話さなければ。

実の所、リンディはハイメロートと知らない仲ではない。本名さえ知っている。

だからと言って公私のケジメはつけなければならない。

 

「もう一度聞くけれど、どういうつもりなのかしら?」

「まぁ、落ち着け。基本的にアライアンスは本局司法部の直属で海軍とは命令系統が別だ・・・独断というわけでもないだろう」

「それでも事前連絡は不文律のはずよ」

 

それが組織というものだとリンディは鋭い視線を送る。

ハイメロートはそれを意に介さず、出されていた緑茶の入った湯のみを一口啜る。

微かに茶の渋みに顔を顰めたが、それはそれで気に入ったらしくもう一口。

それから片目だけを開いてリンディをちらりと見やる。

 

「報告書には、念話の逆探を受けて座標を特定されたせいで次元跳躍攻撃を受けたとあった。こちらとの連絡が事前に漏れるようなことがあってはならない。そのために今回は万全を期した」

 

そちらに問題があるからだと匂わせる。

リンディはすぐに反論が見つからない。ハイメロートの弁は筋が通っている。

 

「秘匿コードの事前連絡については良かったはずよ・・・」

「どの道、我々が来ることそのものは露見するという前提だったからな」

「・・・どういうこと?」

 

気色ばむリンディに、ハイメロートは少し考える素振りを見せる。

それは話していいものかと少し迷っているようだったが、時間を置かずに決めた。

 

「連中―――今回ならばガルムに対しての協力者が身内にいる、ということだ」

「まさか!?」

 

驚いて立ち上がろうとするリンディを片手で制してから、湯呑みが置かれる。

 

「そう慌てるな。このこと事態は大分前から分かっていたことだ」

「分かっていたって・・・だったらどうして―――」

「対策は打ってきたが、管理局とて一枚岩ではない。誰にだって探られたくない腹の一つや二つはある。そうなると上層部は特に消極的でな。いかに我々が特別な組織とは言え、やれることに限界はある」

 

超法規的活動もあくまで外向きのものでしかない。内向きに使えばそれは反乱だ。

リンディは頭が痛くなってきた。

ガルムを重要指名手配犯にしておきながら、協力者が居る。悪い冗談としか思えない。

他の事件でもこんなことをやられれば、解決どころではなくなる。

 

「まったく・・・ガルムって一体何者なの?」

「資料にあっただろう?―――管理局にとっては天敵のような男だ」

「そうだけど、この行動力や背景なんて一介の犯罪者のものじゃないわ」

 

何をどうすれば管理局の、それも上層部の協力が得られるというのだ。

 

「それはこっちが知りたいところだが・・・まぁ、結局のところ今回も連中はこちらの動きを精確に察知していたようだ。増援を要請した上で、待ち構えていたよ。幸い、部下は怪我こそしているが死傷者はゼロ。」

 

マンションが一棟吹っ飛んだ被害も隠蔽はできている。

しかし、ガルムを仕留め損ねたことは響いている。

 

「質問を変えるわ。そこまで血眼になってガルムを追う理由は何?」

「・・・答えてやりたいのは山々だが、機密事項だ。それに知らなくてもいいことがある」

 

言外に身の安全を伝えられるがリンディは納得できそうになかった。

それはハイメロートも気付いている。

 

「・・・今回の任務はあくまでガルムだ。他はこちらの感知することでもないし、その権限もない」

「・・・・・・」

 

ハイメロートは溜息を小さく一つ。

 

「フェイト=テスタロッサ・・・詳しい事情は知らないが、また面倒なことをやろうというのだろう?」

 

この狸めとリンディは罵りたい気持ちを抑え、顔へ出さないようにする。

この男は知っている。自分たちが何を企んでいるのか。

どこまでかは分からない。フェイトを無罪にするという取引まで精確に察しているわけではないだろうが、それに近いことまでは掴んでいる。もしかしたら、彼らは最初からプレシアの存在まで知っていた可能性もある。

何故という理由はこの際なし。聞かれても勘としか答えようがない。

ハイメロートはその上ではこちらに取引を―――譲歩をしてくれている。

余計な詮索をしなければ、フェイトの件については不干渉にするつもりだろう。場合によっては、口裏を合わせるぐらいはしてくれるかもしれない。

 

リンディの頭の中で損得勘定が目まぐるしく行われる。

 

「分かったわ・・・」

「なら、結構だ。これを渡しておこう・・・」

 

言いながら懐から取り出したのは、

 

「・・・鳩?」

「・・・間違った。こっちだ」

 

何故か鳩が出てきて、「くるっぽー」と鳴きながら懐へ戻される。

今度こそはと差し出されのは一枚のディスク。

 

「中身は?」

「フェイト=テスタロッサに対する、私の所見というところだ。何かの足しになるだろう」

 

奥歯がギリッと鳴りそうだった。

この男は最初からこうするつもりだったのだ。

 

「・・・そんな顔をしてくれるな。私にも色々とあるんだ」

「・・・私にはどうして姉さんが貴方と結婚したか理解できないわ」

 

ミヒャエル=ハイメロート―――それが、アライアンス・オヴニルの分隊長の本名。

そして、リンディの父が最後に副官とした部下で、姉であるグレイスの夫。

簡単に言えば義兄になる。

リンディが睨みつけるように見るとハイメロートは苦笑する。

 

「私もシロエが職場に居れば多少は手段も選ぶ・・・それに、司法部に手を回してクロノを護っているそちらには言われたくないな」

「・・・ええ、分かりました。私も貴方と似たもの同士ですよ」

 

きっと父親のせいだと心の中で悪態を吐いておく。

 

「では、話はここまでにして、私は失礼する・・・」

「あ、待って」

「?」

「最後に一つだけ聞かせて・・・十一年前、あの事件の前にヨートゥン世界で起きた秘匿事項は関係してるの?」

「・・・今回の事件には関係していない」

 

この話は続けたくないとばかりに、ハイメロートは立ち上がる。

長時間正座していたはずが、まるで痺れた様子もなく部屋を出て行った。

 

そこで盗み聞きしようとしていたエイミィとクロノを見つけて、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「クロノ君・・・・実はね・・・」

「はぁ?」

「君のパパは私なんだよっ!?」

「・・・・・えぇっ!?」

「いきなりカミグンアウトですかっ!?」

 

 

「子供に何を吹き込んでるのっ!!!」

 

 

スパカンッ!!

 

 

ミヒャエル=ハイメロート。

仕事以外は良き家庭人で、トンデモナイ嘘が好きなナイスガイである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・ここ・・は・・・」

 

霞む眼に映ったのは見たことのない薄暗い部屋。

ベッドに寝ていて、点滴を打たれている。

そこでフェイトは自分が負けたことを思い出して、小さく苦笑いを浮かべる。

何だかいつもこんな風にベッドへ寝かされているな、と。

頭を動かすと、ベッドの側にアルフがいた。意識を取り戻したことにも気付いているが、じっとこっちを見ている。

 

「おはよう・・・アルフ・・・」

 

頓珍漢なことを言っている自覚はある。

でも、それしか言葉が思い浮かばなかった。

それは長い付き合いで初めてのことだったのかもしれない。

―――負けたのだ。

全力を尽くした。最後は魔力なんて欠片も残っていなかった。

それでも勝てなかった。何が悪かったのかも分からない。

反省の意味はないと知っても考えずにはいられないのだ。

【フォトンランサー・ファランクスシフト】まで確実に上回っていた。

才能も、地力も、経験も、全てにおいて勝っていた。

認めなくてはいけないのだろうか。

勝てなかったのは、自分の意志がなのはの意志に劣っていたからだと。

 

―――プレシアを想う自分の気持ちが劣っていたのだと

 

それを認めろと言うのか?

 

「・・・・っ!?」

 

駄目だそれを認めたら崩れてしまう。

何もかもが崩れる。

だって、フェイト=テスタロッサにはそれしかないのだから。

プレシアは見ていた。無様に負けていく姿を。

そうだ。見ていたのだ。だから、【サンダーブラスト】で自分ごと吹き飛ばした。

“想い”で負けた自分を許せなかったから。

―――私を想う気持ちはその程度なの?

あの【サンダーブラスト】はきっとそう言っていた。

きっとアルフも呆れている。あれだけ大口を叩いて負けたのだから。

アルフの心配する気持ちを突っ撥ねて、プレシアとの絆を口にしたくせに。

なんて、無様。涙も出ない。

 

「・・・フェイト」

 

声を掛けられて、ビクリと肩を震わせる。

何を言われるかと怯えたせいでアルフのどう声を掛けていいのかという迷いに気付かない。

ここに、もしガルムが居ればと二人とも思ってしまう。

ガルムが居てくれたらこの場を良い流れへと導いてくれたはずだ。

とにかく気まずかった。

声の掛けた方さえ、分からなくなってしまうほどに。

何がいけなかったのだろう。あれほど通じ合っていて、何でも言い合えたはずなのに。

 

結局、二人の沈黙はブリッジへ呼ばれるまで続いた。

 

 

 

 

フェイトとアルフの二人がブリッジに入る。

そこにはクロノ、リンディ、エイミィ、ユーノ、そしてなのはが居た。

ドアがスライドして閉まり、それっきり音がしなくなる。

何かを言い出すきっかけを持てなかった。

 

(・・・提督)

(・・・うーん、分かってるんだけどね・・・)

 

クロノとリンディは念話で互いをせっつく。

だが、なのはとフェイトの間に出る微妙な空気が邪魔をしてできない。

 

「あの・・・」

 

周囲が見守る中、なのはが声を掛けようとして―――

 

 

《・・・ふふっ、管理局と和解したのかしらフェイト?》

 

 

突如、空間モニターが展開されプレシア=テスタロッサその人が映し出された。

 

「エイミィ!?」

「嘘っ!?―――艦内のシステムが・・・食われてるっ!!」

 

エイミィはぞっとする間もなかった。

何もかもが一瞬。システムの警告音もレッドシグナルも作動する時間がなかった。

時間にして三秒。ブリッジのシステムを占拠され、艦内全てを掌握された。

ハッキングなどという生易しいものではない。

急いでシステムを奪還しようとしてキーを叩き始める。

 

《無駄よ―――L級巡航艦のシステム設計を誰がしたと思っているの?》

「そ、そんな・・・」

《まさか、システムをそのままそっくり利用しているとは思わなかったわ。おかげで手間が省けて助かったから私にとっては楽だったけれども》

 

プレシアは勝ち誇ることもなく、しかし嘲り笑う。

その姿は初めて見る者にとって信じられなかった。

実年齢にして40歳であるはずのプレシアは完全に金髪へ戻った髪を揺らしながら、20代半ばという容色だった。

これはリンディ以上に若々しく、魔力による肉体活性の恩恵を受けているせいと分かっても信じがたい。

 

「初めまして、プレシア=テスタロッサ博士―――それとも、メハシェファとお呼びした方が良いかしら」

 

先手を打たれたことにやや動揺しながら、それを隠してリンディが進み出る。

 

《どちらでも良くってよ、リンディ=ハラオウン提督》

「それでは、テスタロッサ博士。わざわざ艦のシステムを乗っ取ってまで何の御用でしょう?」

 

危機的状況を回避するために慎重に言葉を選ぶ。

今、プレシアがその気になれば艦を沈めることなど容易なのだ。

魔法を使わずともシステムに介入して動力炉を暴走させて、自沈させるだけで良い。

 

《本当は色々とあったのだけれど・・・そうね、今はそこにいる出来損ないに用があるの》

 

言って、プレシアの視線は俯き、カタカタと震えるフェイトへ向けられる。

 

《顔を上げなさいフェイト》

「・・・・・・」

《聞こえなかったのかしら?顔を上げなさい》

「あぁ・・・お、お母さん・・・」

 

やっとのことでそう絞り出して顔を上げる。

その顔には明らかな恐怖が張り付いていた。

喉がカラカラに渇いて震え、表情は強張る。眼は慄き見開かれたまま瞬きもできない。

 

《貴女には、心底失望させられたわ・・・フェイト》

「!?」

 

分かっていたことでも実際に言われると目の前が真っ暗になる。

あの戦いで負けたことで、失望させないわけがないのに。

プレシアは表情こそ変えないが、蔑むような恐ろしい光が瞳に宿っている。

 

《九年も待ったのに・・・とんだ時間の無駄だったわね。貴女は私をどれだけ失望させれば気が済むのかしら》

「ち、ちが・・・・」

 

違うと言いたかった。

だが、恐怖に引き攣った喉から声が出ない。

 

《挙句に、何?ガルムの居場所を密告して、自分は手を抜いた戦いで取引なんて・・・出来損ないと思っていたけど、心まで作り損ねたようね》

「え・・・・・・?」

 

今、プレシアは何と言ったのだろう。

 

(ガルムさんの居場所を密告した?誰が?誰に?取引って何のこと?)

 

前半部分が目まぐるしく脳内を駆け回って、混乱する。

後半部分はほとんど頭に入っていなかった。

その様子を見て、プレシアは苛立ちから頭痛がするというように額を押さえる。

 

《何て白々しい。貴女の潜伏先に用意したマンションは管理局の襲撃を受けて、破壊されたことを知らないとは言わせないわよ?》

「――――――」

 

言葉が出ない。まさか、そんなことをした覚えはまったくない。

それ以前にプレシアの言っていることは本当なのか?

リンディやクロノ、なのはを見るが眼を逸らされ、

 

「ねぇ・・・嘘、だよねアルフ?」

 

縋るようにして最後に見たアルフも、目線を逸らした。

 

「本当だよ・・・管理局の武装隊に襲われて、マンションは壊れたんだ」

「でも、でもっ!私は密告なんて――――」

 

言い掛けて、止まった。

可能性はある。アルフだってガルムを売るようなことをするはずがない。

だったら、残された可能性は自分達の念話から位置を特定された。

以前にガルムが仕掛けたことをそのまま自分たちがやられたのだ。

密告ではないけど、明らかな失態だ。こうなると分かっていたのに、アルフを心配する余り注意を怠った。

 

《見苦しいわね・・・まぁ、いいわ。失望したことは許し難いけれど、もう出来損ないに価値はないもの》

「フェイトちゃんは出来損ないなんかじゃない!」

「・・・なのは」

 

恐れることなくなのはが割って入った。

その瞳には自分の娘を“出来損ない”と呼ぶプレシアへの怒りが満ちている。

フェイトを理解しようしないことが、理解できない。

あれほどまでに頑張る姿を見ていて、失望、出来損ない、そんな言葉を出せるはずがないのに。

フェイトはそんななのはを怯えたままの瞳で見ている。

なのはの睨みつけるような眼光に臆するはずもないプレシアだったが、その腕を見て僅かに顔色を変えた。

 

《そう・・・貴女が・・・》

 

何事か呟いたが、その声は誰にも聞き取れなかった。

 

《何を言いたいのかは分からないけれど、出来損ないは出来損ないよ。結局、ジュエルシードも十二個しか集まらなかったのだから》

「そんな、どうして!?どうして、自分の子供なのにそんなことを言うのっ!!」

 

家族とは、そんなものではない。

怒りよりも、悲しかった。どうしてなんだろう、どうしたらそうなってしまえるのか。

桃子が自分の生まれたときの語ると、決まって嬉しそうにする。士郎だって同じだ。

恭也や美由希だってそれは同じで、それが普通のはずだ。

なのはには、子を愛さない親というものの存在が異常に思える。それが目の前に居る。

当たり前のことが、実は当たり前ではないという、足元を崩されそうな錯覚を覚える。

 

けれども、プレシアの反応はなのはの予想を遥かに超えたものだった。

 

 

《ふふふふふ―――っ!!あはははははははは―――っ!!》

 

 

狂ったような―――狂った笑いが響く。

その場の全員があまりの狂いっぷりに息さえも忘れそうになる。

苦々しく聞いていたリンディも、正気とは思えない狂乱に思考を吹き飛ばされた。

 

《子供ですって?その子が私の娘!?―――ふふふふふっ!可笑しくて笑いが止まらないわっ!!》

「・・・・・・どう・・して・・?」

 

訊ねてはいけない。

訊ねてしまえば、禁断の扉を開いてしまうことになる。

失望されるならまだいい。でも、その扉を開いてしまったら自分は壊れる。

分かっていたのに聞いてしまった。

 

――時は逆しまには返らず

 

 

《私の娘はたった一人―――アリシアだけよ!!そんなアリシアの出来損ないの模造品を娘だなんて呼ばないで!!》

 

 

―――ビシリ

空気に、雰囲気に、言葉に・・・そして、心に亀裂が入る音がした。

 

 

《四年も掛けて“作った”というのに、何もかもアリシアの劣化版で―――記憶まで与えたのにこの体たらく・・・これを出来損ないの失敗作と言わずして、何と言うのかしらね?》

 

ねっとりとした語り口がまるでタールを流し込むように雰囲気を覆っていく。

ドロリ、ドロリと粘着質でいながらゆっくりと呑み込んでいく。もがいても抜けられない。

 

「作った・・・まさか、貴女―――」

 

リンディの脳内でピースが嵌る。

レティから貰った資料には、プレシアにはアリシアという一人娘が居た。

しかし、その子は魔力駆動炉の実験中に死亡している。

それから新しく子供を生んだとばかり思っていたが、違ったのだ。

プレシアはアリシアを元にしたクローンを―――いや、違う、クローンを媒体にした人造生命体としてフェイトを“作った”。

 

「そんなことを許されると思ってるの?倫理侵害で、管理局でも極刑ものの違法行為よ!?」

《だったらどうしたの?》

「なっ!?」

 

あまりな反応にリンディも言葉を失う。

その自然な態度はむしろこちらに否があると錯覚させられる。

 

《管理局だって虐殺の一つや二つをやってるでしょう?なら、私が命の一つや二つを弄んで何が悪いのかしら?それとも、“正義の私たちは虐殺の一つや二つぐらい許される”とでも思ってるのかしらね》

「ふざけるなっ!!」

 

明らかな愚弄と挑発にクロノが激発した。

 

「管理局はそんなことをしない!自分のやり方を正当化するつもりで、ありもしない事実をでっち上げるんじゃない!」

《坊やね・・・まぁいいわ。私が悪かろうが、正しかろうがどうでもいいことよ》

 

クロノの激昂も軽く流して、プレシアは冷ややかな眼でフェイトを見やる。

そこには、力なくペタリと座り込んでしまったフェイトが居た。

顔だけは上げているが、生気が完全に抜け落ちてしまっている。

その脳裏には“娘ではない”“作った”“出来損ない”“失敗作”という言葉だけが意味もなく回っている。

それが、プレシアの勘に障ったのかもしれない。汚らわしいものでも見るように細められる。

 

《わざわざ洗脳まで施したのに無駄だったようね・・・管理局でも、どこでも行けばいいわ。アルハザードへ行けばアリシアも戻ってくる。だから―――》

 

亀裂だらけの心。

かろうじて形を留めていた心。

 

《―――貴女はもう用済み。要らなくなったかのよ》

 

まだやり直せたかもしれない、繋ぎ直せたかもしれない心を粉々に粉砕した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

空間モニターが閉じて、プレシアはくるりと向きを変えた。

普段と変わらないはずの『時の庭園』はしかし、濃密な魔力が漂っている。

その発生源は目前にある。

このためだけに用意された巨大な空間を有する部屋には、余す所なく魔法陣が書き込まれている。

床だけではなく、壁、柱、天井に至るまで全て魔法陣に覆い尽される光景は異常だった。

 

「準備は全て整ったわね」

「ああ・・・迎撃設備も用意してある」

 

もっともオヴニル相手には時間稼ぎにしかならないが、とカーマインは付け加えた。

 

「これでようやく、私の悲願も叶う・・・」

「ああ」

「十四年・・・随分、長かったわね・・・」

「ああ」

「もう、一生分を生きた気がするわ・・・」

「ああ」

「色々ありすぎて、思い出せないわ・・・」

 

「ああ・・・ここまで来たんだ―――」

 

―――だから、もう泣いてもいいんだ

 

「っ・・・ねぇ・・カーマイン・・・幸せって、どうして一度なくすと手に入れるのが難しいの?」

「違う・・・俺達は、間違ったんだ。間違って、間違って、間違い続けてここまできた」

 

一体何をしたかったのだろうか。

泣くぐらいならば、後悔するぐらいならば、もっと他に方法はあったのに。

周りを騙して、自分を騙して、騙し続けた。

しかし、騙し続けたところで世界は騙せないのだ。

けれどもどうしてだろう。

過ちは自分が償う。罰は自分が受ける。

なのに、どうして・・・その償いをする機会も罰を与えられることもないのだろう。

あまつさえ、罰を受けるのは被害者であるはずのフェイトであるのは。

それとも、これが罰なのか。

自分以外の誰かが罰を受け、苦しむ姿を見せられることが。

 

「愛してるって、言ってあげれば良かったの?それとも、アリシアのことを諦めれば良かったの?―――私はどうしたら、間違えずに済んだの?」

 

誰にも分かるはずがないのにプレシアは言わずには居られなかった。

正しい選択など最初からなかったとでも言うのか。

 

「フェイトがアリシアと違うことなんて最初から解っていたのよ!」

 

あの日、クローニングに成功した日から。

いや、それ以前に解かっていた。

プロジェクトを開始した時から、誕生するのはアリシアの姿をした別人だと。

記憶を与えたところで何の意味もないことだと。記憶なんて付随する心がなければ価値がないのだと。

 

「私は完璧過ぎるほどにアリシアと同じ存在を作ったのに!」

 

プレシアは天才過ぎたのだ。

プロジェクトの初のクローニングによる人造生命体でありながら、成功だった。

一片の失敗もない完璧だった。

だが、それとて“アリシアの姿をした別人”として完璧で、アリシアの復活が完璧だったわけではない。

 

「私はただあの幸福だった日々を取り戻したかっただけなのに!」

 

フェイトとはプロジェクトの名前だった。

誕生する子供はアリシアとは違う子供だから、新しい名前をプロジェクトにも冠した。

テスタロッサの苗字に、フェイトという名前をつけることで―――“誕生を司る女神”という意味。

新たな幸福と人生を齎す子供にという希望をつけた名前だった。

願いは叶ったはずだった。

でも、心の闇が囁くのだ。

 

―――「幸福なら、貴女はアリシアである必要はないの?」

―――「貴女にとって、アリシアはその程度の存在だったの?」

―――「アリシアの姿形と声をしていれば何だっていいの?」

 

フェイトを愛すれば愛するほど、それはアリシアへの裏切りとして積み重なっていく。

夜に眠ると、アリシアが生きていた頃の夢を見た。

幸せで、楽しくて、毎日が充実して頃の夢が何時も決まった結末で終わる。

「でも、お母さんは私なんか要らなくなったんだよね?娘であれば私じゃなくても良かったんだよね?」

アリシアがそう言いながら、離れていく。

 

「フェイトのことだって愛してるわよ!あの子と過ごした日々は本当に幸せだったの!」

 

本当はフェイトにアリシアの記憶なんて与えていない。

誕生したばかりのフェイトを抱き上げた記憶も本物。

フェイトが初めてママと呼べたときの記憶だって本物。

ピクニックで花輪を作って頭に乗せてあげたことも本物。

フェイトの記憶に一つも偽りなんてない。全てが本物で、フェイトとプレシアだけの記憶。

 

「二人の手を取ってはいけないというの!?私の手は二つあるのに!―――何がいけなかったの!?」

 

 

「誰か私に教えてよ!!!」

 

 

 

 

「プレシア・・・」

 

カーマインは言えなかった。

答えは分かっているのに。

頬を伝う涙にすら気付かず、狂乱する姿に心が痛む。

アリシアも、プレシアも、フェイトも救えるはずだったのに救えなかったのは自分だったから。

 

かちゃり、と足音がした。

ゲートが開き、現れたのは黒尽くめの魔導士―――高町恭也と同じ顔をしたガルム。

 

「プレシア・・・答えはいつも自分の中にしかないんだ」

 

ガルムは悔しそうに、悲しそうに一度眼を伏せる。

 

「恭也・・・・・・」

 

プレシアはガルムの姿を見止めると、詰め寄って両肩を掴む。

まもなく限界が訪れるはずの身体はしかし、狂乱を乗せて力強かった。

 

「教えてよ・・・罰だって、何だっていいから」

 

理由なんて今更分かったところで何の意味もないのに。

ガルムは狂乱の影に、悲哀と慟哭を潜ませた瞳を真っ直ぐに見た。

悲しみが涙の形をして流れ出る双眸は、業に満ちて、人間らしくて、悲劇の象徴だった。

 

「俺達は・・・皆、弱かったんだ。事実に怯えて、現実から逃げて、覚悟がない故に破滅を招いてフェイトを傷つけた。一つでも向かい合える強ささえあれば違ったのに、俺達はその一つにさえ向かい合えないほど弱かったんだ」

 

もしもの世界があれば。

もしも、フェイトにアリシアのことを教えていたら。

もしも、フェイトに本当のことを教えていたら。

もしも、プレシアのことを置いていかなければ。

もしも、カーマインがフェイトの支えになってやれば。

もしも、ガルムがその正体を明かしていれば。

現実は変わっていたのだ。未来はもっと良くなっていた。

―――フェイトをこんなにも傷つけずに済んだ。

アルフやなのは、リンディへ無責任に任せてしまうような形にならなかった。

極刑に値する罪を無罪にするための方策を立てるという愚かしい、意味のない救いだけにならなかった。

 

「己を欺瞞して、それに不満を述べて、もっともらしいことを並べ立てただけの愚かな俺たちの弱さが招いたんだ―――結局、俺たちはフェイトを信じてやることができていなかったんだ」

 

―――高町なのはのように

もしも、彼女のように信じてやれれば違ったはずなのに。

大人が三人も並んでそれさえもできなかった。

真摯に向き合えば、本当のことも、アリシアのこともきっとフェイトは受け容れてくれただろうに。

 

「嗚呼、俺は俺自身をこれほど殺してやりたいと思ったことはない・・・」

 

ガルムのその言葉に、プレシアは――――

 

 

「嗚呼アァァァァァァァァァァァァァァァァ――――――――――!!!!!!」

 

 

へし折れしまいそうな慟哭を上げて、ただひたすらに泣き続けた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私は・・・私にとってフェイトはフェイトだから。私の半身であるフェイトだけだから。誰の模造品でも関係ないんだ。でも、それでも私はプレシアを許せないから。全部に決着をつけてくるから・・・だから、もしも、できるなら、私が帰ってきたときには出迎えてほしいんだ」

「帰ってきたら、また一緒に暮らそう?管理局でもきっと無罪になるだろうから、どこかで二人だけで魔法にも関わらないでのんびりとさ・・・ね?」

 

アルフはそう言って、部屋を出た。

なのは、クロノ、ユーノと一緒にオヴニルが位置を割り出した逆探で『時の庭園』へ。

一人残されたフェイトは糸の切れた操り人形のように、心臓さえ動いていないかのように動かない。

動く必要がない。動く理由がない。

終わったのだから。

プレシアを信じて、プレシアのために生きて、プレシアに認めてもらうための人生は。

自分が信じて、縋っていたものは全部嘘で偽者だった。

偽者。お母さんと同じ金髪も、白い肌も、楽しかった記憶も、幸せだった記憶も自分のものではない。

お母さんの―――プレシアの本当の娘のもの。

絆も、親子の情も、可能性も最初から偽者。

 

何一つ、フェイト=テスタロッサは無かった。

存在すら偽者なのだから。見捨てるなんて論外だったのに、逆に捨てられた。

辛いことなんて我慢する必要もなかった。

―――「どんなことがあっても大切な人を想って、自分が辛くても戦おうとしているから、私はフェイトちゃんのことを信じられる」

そう言われたけれども、そんな資格なんてない。

―――「お母さんの絆―――それは辛いからと言って、逃げればいいってものじゃない。捨ててしまえばいいってものじゃ、もっとない」

最初からそんなものなんてないから、逃げることも捨てることもできなかっただけ。

 

こんな偽者なんてアルフの半身になんて相応しくない。

出来損ないで、失敗作。要らない存在の自分なんかが居たら、今でさえアルフの邪魔をしている。

このままだったら、きっとアルフの生を駄目にしてしまう。

アルフはとても素敵だから。自分なんかと比べようがないから。

 

(ふふっ・・・出来損ないの私にも、まだアルフの命を繋ぐことができるんだ・・・)

 

“まだ”なのか“もう”なのか。

それだけの価値があるのか。

それだけの価値しかないのか。

 

でも、

 

―――友達になりたいんだ

 

そこまでの価値なんてない。

 

寝返りを打つことさえしない。

その視界の中には一度は砕け、かろうじて原型を留めている[バルディッシュ]が見える。

 

―――私たちのすべてはまだ始まってもいない

 

「違うよ・・・私は最初から終わっていたから、始まることもないの・・・」

 

その言葉から少しの間を置いて、ふぅん、という起動音がした。

 

 

Start completion. I play saved data.

「バル・・・ディッシュ?」

 

何のコマンドもなく起動する[バルディッシュ]が、虚脱していたフェイトを少し引き戻す。

 

《フェイト》

 

どういう仕組みなのか、[バルディッシュ]のコアから立体映像が投影されている。

その投影されている姿は間違いなく、カーマインのものだった。

 

《この映像を[バルディッシュ]が投影しているということは、おそらく真実を知った頃だと思う》

 

カーマインは何とも言えない顔をしている。

 

《今更、俺が何を言ったところで意味がないと思う。事実も覆らない・・・その代わりに、昔話をしようかと思う・・・遠い昔に居た、何も知らなかった少年の話だ》

 

遠くを見るような眼をして、見事にフェイトを真っ直ぐ見て語りを始めた。

 

 

《昔々、一人の少年が居ました。少年は厳しくて優しいお母さんと、甘えん坊で泣き虫の妹の三人家族でした。父親は、両の瞳の色が違う少年と特別な才能を持った妹を気味悪がり、周囲の迫害に耐えかねて出て行きました》

 

少年もそんな父親のことを嫌っていた。

両の瞳の色が違うのは悪魔の証。

その自分だけを嫌うなら良い。

けれども、才能だけで後は普通の、それも実の娘を嫌悪するのは許せない。

化け物を見るような眼を妹に向けるたびに、妹が泣きそうになるのをいつも守った。

 

《少年は本当の子供ではありませんでした。ある日、城の城門前に捨てられている所をその国の宮廷魔導士に拾われ、一つの神託を受けました》

 

―――世界を滅ぼす闇にも

―――世界を救う光にも

そのどちらにも成りえる。

 

《大人はリスクを考えて少年を殺すことを望みましたが、宮廷魔導士だけが反対して言いました》

 

―――この子は私が育てて闇になんかしません

 

《その日から少年は宮廷魔導士の子供になりました。宮廷魔導士である母親は、少年にある制約を課しました。決して町の外に出てはいけない、人を傷つけてはいけないと。そして、本だけの知識を与え、型だけの戦い方や、魔法の理論を与えます。全ては、少年の人生をコントロールするために》

 

少年はそれを不満に思わなかった。

少年にとっての世界の広さはそれだけだったから。

 

《長い年月が経って、少年は17歳になった日に、初めて外の世界へ出ることを許されました。人造妖精というお目付け役と共に。人造妖精の知覚は母親と繋がっていて、常に監視されていることを知らないまま》

 

少年はそれを知っても仕方ないとしか思わなかった。

 

《少年は外の世界に触れて多くのことを学びます》

 

書物で知っているだけの世界を、少年は巡った。

 

《少年は外の世界に触れて多くの人で出会います》

 

―――盲目だが剣の達人で父親のような男

―――家庭の問題で道を失いかけた天才剣士

―――母親の居る天上へ至る夢を追う科学者

―――万能の少年に憧れるドジな少女

―――妹との生活のために危険な仕事を請け負う傭兵

―――その兄を心配する優しき薬師

―――謎の一団に追われる平凡な少年

―――世界最強と謳われる少年王

―――少年王の盟友にして偉大な騎士

―――同じく少年王の片腕である大鎌使い

 

《少年は多くの事件に触れていくうちに、自分が何者で、何故捨てられたのかを知ります》

 

それは長い少年の旅路が語られる途中のこと。

少年の居た世界は、元々人間の居なかった世界だった。

そこに滅びそうな世界から逃れてきた人間が住み着いた。

彼らは人間特有の傲慢さから世界を破壊し、無残にも先住者を駆逐していた。

先住者は人間の傲慢さに耐えかねて、ついに反攻を企てましたが、敗れて封印されていた。

 

《少年の正体は封印を解かれた先住者の生み出したクローン生物兵器でした》

「え?」

 

そこまで漫然と聞いていたフェイトが初めて反応した。

だが、データであるカーマインの語りは止まらない。

 

《しかも、盲目の剣士が探していた男で、傭兵と薬師の父親の肉体をクローン培養して、先住者の化け物じみた細胞を組み込まれた人間でも化け物でもない生物兵器です。少年の才能は、少年のものではありませんでした》

 

盲目の剣士はよく語ってくれた。

自分が探している男がどれほど偉大で、尊敬できる人間だったかを。

お前は似ている気がすると言ったが、当たり前だ。クローンなのだから。

少年が努力すれば報われることは既にオリジナルによって証明されていた。

全てが誰かのもので、自分のものではなかった。

 

《少年が宮廷へ送り込まれたのは成長してから要人を殺すための駒だったから。そう、少年が旅に出なければ母親を殺すことになっていたのです。それに抗うことはできません。造物主の命令は絶対です。逆らうことなど不可能です。事実、少年は造物主にとって邪魔になった少年の妹を殺すように命令されて、危うく殺しそうになります》

 

その前に少年は知っていた。命令が絶対であることを。

 

《実のところ、少年は“一人”でありません。クローンである以上、他にも少年は大勢いました。その中の一人は少年の兄だと言って近づき、妹を殺そうとしていました。彼にも拾ってくれた家族が居たのに。少年は兄と名乗った自分と瓜二つの存在を殺しました。だって、それ以前にも仮面で顔が見えなかったから大勢の自分を殺していたから》

 

先住者の逆襲のための尖兵。

正しく、世界を滅ぼす闇の運命だった。

盲目の剣士の目と片腕を奪ったのも少年本人が命令されてやったことだった。

 

《少年は懊悩しました。いっそのこと、ここで死ねればどれほど楽だろうと思いながら。最後の最後に、少年は自分の存在意義を無理に見出します。自殺しても自分の大切な人を奪われるなら、造物主に逆らい殺そうと》

 

それは世界と引き換え。

少年は誰にも内緒で造物主に出会い、誘われていた。

世界を見て回った少年にどれほど人間が汚い存在かを見ただろうと説得されて。

でも、少年はその誘いを断り挑むことを選んだ。

 

《自分を自分で殺しながら造物主を追い詰めて・・・ついに倒しました。倒したときに造物主は少年が内緒にしていたことを仲間に暴露しながら、塵と消えます》

 

―――生命を共有している私を殺せば貴様も死ぬというのに

 

《少年はその日から・・・少年に限らず、同じ境遇にあった少年王もまた日に日に衰えいきました。成長期でよく食べていた少年は、間食もせず、食事も碌に取れず、少しずつ痩せ細っていきます。食べたくとも食べられない。唯一受け付けていた水さえも駄目になりながら、それでも少年は生きていました》

 

寝たきりの状態から起きることさえできなくっても、少年は戦わなければならなかった。

造物主を倒しても世界は危険なままで、新たな敵を倒さなくてはならなかったから。

―――世界を救って、自分はこのまま磨り潰されるように死んで行くのは英雄的で何て愚かなんだろう。

 

《やがて、新たな敵を倒すための手段に辿り着き、瀕死の身体を引き摺りながら少年は難敵に当たります。自分と同じ境遇にあった少年王は延命を取引に敵と結託していたからです。少年には誰より少年王の気持ちが分かります》

 

死にたくない。死にたくない。死にたくない。

生きたいんだ。生きたいんだ。生きたいんだ。

大事な人が居るんだ。大事な人が居るんだ。大事な人が居るんだ。

一緒に生きたい。夢を叶えたい。だから、まだ死にたくない。

魂の奥底からの叫びを解すことができるのは、同じ境遇の少年だけ。

 

《でも、少年は少年王を倒しました。何故なら、少年は“人間”で居たかったから。人間でも化け物でさえない自分を承知した上で、人間で居たい―――人間になりたかった》

 

敵に媚び、命を貰ってそれに何の価値がある。

生きるための理由は、死にたくない理由は何だった?

命があっても一緒に生きたい大事な人が居ない世界に何の価値がある?

叶えたい夢は命だけがあって達成できることなのか?

 

《少年にも大切な人が居ました。その中でも一生をその人と添い遂げたいと思える人もできました。その人と過ごせる時間はもうあと少しでしたが、その時間のためだけに少年は人間で居たかったんです》

 

その戦いの果てに全ての敵を倒し、世界を救い、少年も延命することができた。

けれども、少年にとってそれはオマケでしかない。

少年にとっての戦いは自分を人間で居させることだから。

 

 

《フェイト、この物語に終わりはない。今も続いているから》

 

話を聞いていたフェイトは身体を起こしていた。

まだ生気は戻っていなかったが、カーマインの立体映像だけはしっかりと見つめている。

 

《気付いているだろうが、これは俺の過去だ。少年は遠い昔の俺のこと》

《俺もクローンだ。それも生物兵器のな・・・だから、フェイトの気持ちが分かるなんてくだらないことは言わない。リシャール―――少年王のように境遇は同じでも、想いも結末も違うから。でも、忘れないでくれ》

 

《自分を認めてやれるのは自分だけだ、フェイト。俺は偽者だが、俺の家族になってくれた母親も妹も本物だ。過ごした人生は本物だ。過去の記憶が植えつけられたものでも、その中にだって自分が歩んできた自分だけの本物の記憶がある》

《俺にとって俺が努力した完成形は既に存在したが、俺の努力は無駄ではない。俺の努力して磨いた才能を褒めてくれた人達は、賞賛してくれた人達は、憧れてくれた人達はオリジナルにはないものだ》

《アリシアは五歳で逝った。今のフェイトは九歳だ。差分の四年間だけは掛け値なしにフェイトだけのものだろう?》

 

《違う、こんなことじゃない・・・フェイト、生きる意味なんて本当はないんだ》

《皆、そんなものがあると信じ込もうとして、探して、見つけたつもりになって、失ってばかりだ》

《人間で居たいと強く願った俺だって、生きる意味をまた無くした》

 

《だから、俺は意味を失う辛さを知っている。死にたくなる。死ぬなとは言わない。言わないが、死んでみて考えて欲しい。そこで死んだのは今までの自分で、これから生きるのは新しい自分なんだと》

 

カーマインは泣いているように見えた。

何故だか分からないが、懸命に泣いているようにフェイトは見えるのだ。

 

《本当に悪いのは俺だから・・・すまない、滅茶苦茶なことばかりを言ってる》

 

これが本当に最後だから、そう言ってカーマインは左目に掛かる瞳をかきあげた。

綺麗な色違いの金銀妖瞳が映る。

 

《俺は、フェイトに生きて欲しいと思う》

「!」

 

そこで、立体映像が途切れた。

フェイトは映像が消えた後も、その場所をじっと見つめたまま。

ただ、手が震えていた。そして、光のなかった瞳からポロポロと涙が零れる。

 

I play saved data.

 

また、[バルディッシュ]が立体映像を浮かび上がらせる。

 

《フェイト》

「ガルム・・・さん?」

 

驚いたことに、今度は別の映像データ。

浮かびあったのは普段着姿のガルムだった。

 

《見つからずに[バルディッシュ]へデータを隠すのは難しいから、手短になるが許してくれ》

 

きっと、これは気絶しているときに入れてくれたのだろう。

カーマインもガルムもやることが似ていて、フェイトは少しおかしかった。

 

《全てを知った後だと思う・・・・・・俺もカーマインも全部を知っていた。そのことはいくら謝罪しても許してもらえないだろう。だからその上で言わせてくれ》

 

いつも表面上は無愛想に見えるガルムが、表面にも真剣な色を湛えていた。

その裏にどれほどの葛藤があっても、微塵も出さないほどの強靭な精神力で。

 

《俺もカーマインも全てを知った上で、フェイト=テスタロッサと一緒に居たいと思った》

 

《俺がほうっておけないと、俺と似ていると思ったのはフェイトだ。俺が救いたいと思ったのはフェイトだ。それはアリシアもプレシアも関係ない。俺がフェイト=テスタロッサへそう思ったんだ》

 

《俺が言ったことを覚えているか?―――俺はフェイトを嫌いになったりはしない。どんなことがあっても、例えフェイト自身が自分のことを嫌いになっても、世界の誰もがフェイトのことを嫌いになっても、俺だけはフェイトのことを嫌わない》

 

《どんな存在にどんな想いを抱くかに、資格なんて要りはしない。後は、それ受け容れるかどうかだ》

 

《できることなら、フェイトには受け容れて欲しいと思っている》

 

《受け容れて、俺はフェイトに生きて欲しいと思っている》

 

「!?」

 

それはカーマインと同じ言葉だった。

―――生きて欲しい。

ただそれだけ。字数にしたらたったの六文字。

でも、それは今のフェイトにとって魔法の言葉。

 

《これからどんな人生かは分からない。でも、フェイトの向かう先には光があるはずだ。俺達のような裏街道を歩む必要もない。手を差し伸べてくれる者だっている》

 

《可能性を可能性のまま終わらせるか、実現するかは、フェイト次第になる》

 

《それでも、俺はフェイトに生きて、光のある可能性を実現して欲しい》

 

最後にガルムはそれとはっきりと分かるように笑んだ。

見ているだけで見も心も溶かされてしまうような、絶世の笑みを。

 

 

 

 

「終わったけれど、始めることもできるのかな・・・ねぇ、[バルディッシュ]」

 

フェイトは破損の酷い[バルディッシュ]に触れる。

【スターライトブレイカー】と【サンダーブラスト】にやられた愛杖はそれでもまだ動いている。

 

《―――》

 

[バルディッシュ]は音声の代わりにコアを一度輝かせた。

その瞬間、凄まじい勢いで自己修復が始まり、驚く間もなく新品同様へ復元される。

それもまたカーマインの仕掛けなのだと何となく理解できた。

 

「私は、まだどうすれば良いのか分からないけれど・・・それでも、行こうか?」

Ok.Boss

 

 

何もないけれど。何もなかったけれど。

終わってしまったけれど。始まってもいなかったけれど。

 

「それでも、私には私に生きて欲しいと言ってくれる人達が居るから」

 

 

 

 


あとがき(?)

 

またもや分量が倍になったよ・・・まさか最後までこのペースなのか?

かなり苦労したので一時よそさまの辞典編纂に協力して気分転換してきました。

しかし、今回の話は暗いなー。暗いよ。暗すぎ。やっぱり、その日に地獄少女の最終回見たせいかな?

今回も色々と情報を出しつつ、伏線を張りましたので。

イェーイ(意味なし

 

>リンディとハイメロート

不倫はしませんから(マテ

ついでにクロノの父親はちゃんとクライドさんだよ。

As編の伏線でもあります。十一年前に何があったのかは。

 

>カーマイン=フォルスマイヤー

別に隠していたわけではありませんし、知ってる方もいるようです。

PSソフト「グローランサー」の主人公です。

この話がシリーズで一番面白かったというの禁句です(笑

リバースにおいては「殺戮の魔王」という渾名でガルム以上に恐れられています。

まぁ、何で今はこんなことをしているかについては謎のままなんですけど。

ロストロギアにひよこは出てきません。

 

 

ああ・・・駄目だ。眠たい。もうすぐ04:00だ。

八時半に起きて、会社の懇親会なのに・・・ふふっ・・・今回はこれでご容赦を。

 

それではおやすみなさい・・・ぐぅ





色々と明かされた過去。
美姫 「これらの話を聞いて、フェイトはどうするのか」
とりあえず、まだ答えは出ていないみたいだけれども、塞ぎ込むことだけはやめたみたいだな。
美姫 「いよいよ時の庭園へと突入するのかしら」
一体、どうなるのか。とっても気になります。
美姫 「次回も楽しみにしてますね」
待っています・



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