「ああ、それで・・・ああ、ああ。明日だな。ああ。分かってる」

 

友人のアンリと明日の予定を確認しあってから、通話を切る。

ジョン=アーバスノットはそこで自分の手が緊張の汗で濡れていることに気付き、苦笑する。

悪事を働いているわけでもないのにこの緊張は何なのか。

ズボンで掌を拭っていると、妻のエリーゼが目敏くそのことに気付く。

 

「明日の打ち合わせ?」

「あ、ああ・・・柄にもなく緊張してる・・・」

 

ごまかし笑いも、ぎこちない。

そんなに繊細な性質でもないはずだが。

 

「もう・・・しゃんとしなさい」

「分かってる・・・んだがなぁ」

 

語尾が気弱になってしまい、エリーゼまで苦笑する。

 

「別に国家転覆の悪事を働こうってわけじゃないんだから」

「お、おい・・・あ、いや・・・そうだな」

 

どうせ反戦集会だ。最近では珍しくもない、お祭りのような催し。

集会の許可を貰いに役所へ行ったときには、役人から散々嫌味を言われたが悪いことをしているわけではない。

 

「正しいって、信じてるんでしょう?」

「当たり前だ」

「なら、胸を張っててちょうだい」

 

励ますようにエリーゼの手が肩に置かれる。

夫の力強い肯定に満足したように苦笑いではない笑みが浮かぶ。

 

自分達の住むヨートゥン世界は、管理局と呼ばれる数多の次元世界における魔法文明を束ねる組織への加盟問題でついに戦争が勃発してしまった。元々が複数の国家の連合体であり、完全な統一状態と言い難かったところへの加盟問題。

彼らの指定するロストロギアと呼ばれる古代文明時代の遺物で、現代の魔法技術よりも高度な技術を以って作られた物を全て引き渡すこと。ロストロギアを用いたシステムや物品の管理監督権の引渡し。一切の魔法文明に関わる遺跡の管轄権の譲渡。その上での管理局への半ば強制とも言える加盟要求。

正直言って、無茶苦茶な要求だ。歴史の教科書にも記載されている500年前の文明崩壊。一度は崩壊した文明が、たった500年で急速に元の形へ戻りつつあるのはロストロギアのおかげだ。これを失うことは文明の停滞を意味する。それにシステムや物品の管理監督権を引き渡せば、社会基盤を支えるそれらが失われることと同義だ。これを認めるわけにはいかない。

 

市民の多くがこの要求に反対した。ところが、そこで管理局が見せたのはロストロギアの暴走によって滅びた世界の姿。これは少なからず我々に動揺を与え、要求認容派を形成してしまうことになる。

話は平行線を辿り、愚かしいことに加盟を巡っての戦争勃発を招いてしまった。それも同じ世界の者同士が血で血を洗うという最悪の方向で。

 

自分は要求を呑むべきではないと考えるが、それと戦争は別問題だろうと思う。

ノーと一言で済む問題のはずだ。我々には考える時間が必要だったのだ。

もう一度そのことを問い直し、戦争を停戦へと導くために明日で四度目となる反戦集会を開く。

 

「・・・辛い思いをさせてすまないな」

「今更、今更」

 

謝罪を蹴飛ばすように、エリーゼは軽く言い放つ。

一時期は軍に身を置いて高給取りだったが、軍に嫌気が差して退役した自分を今も支えてくれている妻にはいくら感謝しても足りない。教師の安月給で生活も楽をさせてやれないと分かっていても、軍には居たくないという我儘を聞き入れてくれたのだから。

 

だが、反戦活動というのは今の情勢では白眼視される。

心無い言葉や、行為で害されたこともある。

大人のやる事はすぐに子供も真似する。

 

「子供達も、学校では・・・」

「お黙りっ」

 

ぼかっ、と肩に置いていた手で頭を小突かれる。

いきなりことに呆然と妻を見上げてしまう。

 

「あの子達は辛いなんて言ってないでしょ?」

「そ、それはそうだが・・・・・・」

「だったら、もっと自信を持って、胸を張って、“パパは正しいことをしているんだ”って子供達に見せてあげなさい。謝ったりしたら、間違ってることをしたみたいじゃない?」

 

エリーゼはそっと後ろから抱きしめてくる。

 

「正しいことをしてるんだって、自信があればつまんない苛めになんか負けない。私はパパが間違ったことをしてるからなんて逃げを打つようなことをさせたくないの。パパは正しいことをしてるって大きな声で言い返せる子達に・・・私はなってほしいかな」

「そう・・だな・・・」

 

一々、もっとも正しい言葉に少し自分が情けなくなり、奮い立たせられる。

謝罪よりも、胸を張っている自分を見せることの方が子供達のためになる。そう思えば不思議と緊張が解れる。

 

この戦争で得るものは何もない。ただ人々の間に同胞が互いに血を流し合うという陰惨な歴史を残し、今の子供達に暗い陰を落とすだけだ。

子供達と、その未来のために――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「な、なんということだ・・・」

 

八神家の少し遅めの夕食が終わり、ダイニングテーブルを離れてソファーに座ったシグナムの第一声はそれだった。

語尾に滲む驚愕は多少の物事では動じないシグナムらしからぬもの。

彼女をして、それほどの衝撃を与えた理由は・・・

 

「シャマルの作った品が普通だ・・・」

「おおぅっ!確かに言われてみれば!」

 

アストラが大きく頷いて手を打つ。

 

「そういや、そうだな」

「・・・まぁ・・・なんだ・・・」

 

ヴィータも思い出したように同意し、ザフィーラは言葉を濁す。

大味というか、抜けた味というか、とにかく素直によく出来ましたと言えないシャマルの料理。

はやてと恭也の手解きを受けて少しずつ上達してはいるが、長足の進歩を見られない。

 

「でも、万に一つくらいはさ?」

「そうだが・・・」

「確かになぁ・・・」

「まぁ・・・なんだ・・・」

 

フォローなのか微妙なアストラに、他三名もまた微妙な反応。

だって、シャマルだしのような。

 

「三軒隣の吉田さんのところのパパさんは、シャマルの料理が食えるなら営業のトップ取るって言ってるし」

「それ、ぜんっぜんカンケーねぇだろう」

「いや、ほら、そうやって男を手玉に取るための小道具としての料理なんでしょ?」

「そうなのか?」

「・・・何故、俺に聞くのだシグナム」

 

別に他意はなく、手近なザフィーラに聞いただけである。

 

「恭也はどう思う?」

「・・・シャマルが普段どう思われているか分かる話だな」

 

とりあえず一言で総括。

新聞を読みながら話を聞いていたが、シャマルの料理=大味抜作ということらしい。

その点を恭也も無理に否定できない。だが、それは料理の慣れだ。

料理にテキストに書いてある通りに分量を入れればそこそこの味はできるが、素材によっては適宜変える必要がある。シャマルにはまだそのための経験値が不足している。それは仕方のないことだ。

 

「シャマルは良くやっていると思うが?」

「ふむ・・・どの辺が、と聞いても良いのか?」

「別に。不慣れな点を除けば手際が特に悪いわけでもない。覚えも良いから、一度やった失敗は忘れない。まぁ・・・あえて難を言うならば、天性のドジは何とかしろと」

 

何をどうすればパセリとセロリを間違えるのかは知らないが。

 

「ドジはさておき、素人であることを理解して基礎を積む誠実な姿勢がある。その内ちゃんとしたものが出せるようになる。今日はその成果がようやく形になったんだろう」

 

素人のくせに「こうすればもっと良くなる」という根拠レスな妄想で、オリジナリティを出そうとする、妄想大好きおさげ眼鏡だっている。100%善意で作った料理なのに食べた者全員を意識不明の重体へ追い込めるような、職業的に三途の川へ流しちゃ拙い獣医とか。

比べる方が失礼だろうが、とにかくシャマルは頑張っている。

 

「駄目だよ恭也・・・そこで綺麗にまとめちゃ」

 

アストラが分かってないなーと頭を振る。

 

「ほら・・・」

「む・・・」

 

巧みに見えないように親指で示された先には、はやてと一緒に洗い物をしていたはずのシャマルが聞き耳を立てていた。きっと、その表情はテレテレしているはず。

 

「なんか・・・クネクネしてねーか?」

「・・・俺は、何も見てないぞ」

 

ザフィーラは無視を決め込むことにした。

あれが騎士のなれの果てかと思うと少し悲しい。

 

 

 

 

 

 

シャマルとはやてが二人でお風呂へ入り、居間にはさっきの五人が残される。

アストラは渋るザフィーラを枕代わりにお笑い番組を面白そうに見ている。

ヴィータはソファで船を漕ぎ、シグナムは剣道の非常勤講師のために剣道関係のマニアックな雑誌を読んでいる。

恭也も新聞の続きを読んでいたが、ふとそれを畳む。

 

「さて、はやても風呂に浸かっているころだろう・・・」

「?」

 

眼が合ったシグナムは何事かと思っていると、

 

「シグナム、服を脱げ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・(バサッ)」←雑誌が落ちる音

「・・・・・・・・・・・・・・・・(ドスン)」←ソファから落ちる音

「・・・・・・・・・・・・・・・・(ずさーっ)」←飛びのく音

「・・・・・・・・・・・・・・ぶっ!(ゴン)」←枕がなくなって頭を打った音

 

100人の敵に囲まれても動揺しないであろうヴォルケンズは、最大級の衝撃に見舞われ動揺しまくっていた。天変地異が起きてもこれほど動揺しないだろうというほどに。

 

「ま、待て恭也・・・その・・・なんだ・・・」

 

珍しく、本当に珍しくシグナムは顔を髪の色のように赤くする。

これが他の男なら斬捨て御免にするところだ。ましてや他の状況で言われれば恭也に対しても絶対零度の視線を送るところだが、真剣な表情と雰囲気についつい押し切られてしまった。いや、恭也ならばこういうことは冗談でも口にしないと分かっている以上、こういう反応を取るしかない。

 

歯切れの悪いシグナムがしどろもどろになっていると、ソファから落ちて完全に眼が覚めてしまっていたヴィータが勃然と立ち上がる。

 

「み、み、み、み、み、見損なったぞ恭!」

 

ちっちゃいながらもビシィッと裁判ゲームの異議アリのように人差し指を突きつける。

 

「そんなに大きい胸が良いのか!!」

「アハハハハハ!!それ・・・うぷっ・・くくく・・・絶対に根本から間違ってるから・・・」

 

突っ込みながらアストラは爆笑してる。堪えようがない。

 

「まずは、落ち着け・・・それに、恭也・・・なんだ・・・いくら主はやてが入浴中とはいえだな、そんなに長く入っているわけではないから、そういう時間はないだろう・・・と思うぞ?」

 

自分で言いながら一体何を言っているのかザフィーラは分からなくなってきた。

もっと誠実なタイプかと思っていたが、意外に恭也は直球タイプらしい。野生の本能を残すザフィーラも雄として漢度(?)の高い発言であると思わず感心しそうになってしまうほどだが。だが、はやての手前そういうことはきっちりけじめをつけて、ちゃんと時間の取れるときにすべきだろう。

そんな思考の段階で十分にパニックになっているザフィーラ。

 

 

「?・・・何のことかよく分からんが・・・胸のことはこの際関係ないと思うが?」

「うっ・・・」

 

それはそれで何となく寂しいシグナム。

悔しくはないが無意味に勝ち誇るヴィータが少し憎らしい。

 

「もう・・・でも、見たいなら恭也だったらいつでも私は良いぞ?」

「人の声色を勝手に使うな!」

「えー・・・」

「えー、ではない!」

「でも、ほら、見るだけで満足しない可能性もあるわけで・・・ホレホレ」

「そ、それはだな・・・」

 

親父モード全開のアストラに、シグナムは追い込まれる。

更にその後ろには恭也が迫り来ていた。普段は何ともないはずなのに、今はいやに威圧感があるように感じられるのは・・・きっとシグナムの錯覚だろう。

 

 

 

 

「自分で脱がないのなら、無理にでも脱がすぞ?」

 

 

 

「「な、なんだとぉ〜〜〜!!??」

 

 

 

 

二度目の爆弾に、ヴィータとザフィーラの顎が落ちる。

予想の斜め上どころかソ連の鳥人ばりの棒高跳びで跳び越えられてしまった。

 

(この場合の脱がすということは、単純に脱がすという意味ではなく・・・)

(こう・・・服をびりびりと破り捨てて・・・おいおい、恭・・・・って、なんだそりゃ!?)

 

言われた側のシグナムは真っ白になりそうな自分をあの手この手で宥める。

恭也の目は真剣だ。冗談で言っているのではない。であれば、こちらも真剣に返さなくてはならない。

ならないのだが、何と言うか名状しがたいものが蟠って言い出せない。

 

「ま、待ってくれ・・・せめて、理由を聞かせてくれ・・・」

 

シグナムの理由を求める言葉。

 

アストラは内心で喝采を送る。男女関係で理由を求めるのは失敗だ。

聞けば、後戻りできず、本当に抜き差しならないところまで行ってしまう。

シグナムの性格上、ここでマジな理由を言われてしまえばNOと言えないだろうと見切っている。

傍観者としてはここで展開が急転直下になることを期待しているので、アストラは心でほくそ笑み、表情は神妙そうにしている。

 

そんな男女関係の機微など分かろうはずもないシグナムは、ゴクリと喉を鳴らして返事を待つ。

その時点でみんなパニックになっていた。

シグナムが馬鹿者と一喝すればこんな妙な雰囲気にならなかった。

ヴィータやザフィーラも歯止めになる機会は何度かあった。

アストラは面白くなればそれで良いし、恭也が本気で求めればそれはそれでOKなので事態を止めない。

 

らしからぬことに平常心を喪失した若干一名を除くヴォルケンズは、あれよあれよと事態を悪化させていた。

 

 

「理由は、自分の体と心に聞くことだ」

「!?」

「「「おおっ!!」」」

 

聞こえようによってはトンデモナイ台詞を口にしながら、目前まで迫っていた恭也はシグナムをソファに押し倒した。

 

外野は歓声を上げるが、シグナムは別の動揺を覚える。

いかに動揺し、相手が恭也と言えども、体術にも優れる自分がこうもあっさり押し倒された。

ヴィータ達は受けいれたから抵抗しなかったと思っただろうが、違う。無意識のレベルまで反応を刻まれているシグナムなら考える前に恭也を払い倒す。

その無意識の動作を、これもごく自然に“抜かれた”。偶然にしては恐ろしいほどに自然だった。

 

「・・・きょ、恭也」

「素直じゃない奴だ・・・俺も人のことはあまり言えんが」

「!“#$%&‘()」

 

殺し文句のような言葉に、シグナムは意識が沸騰する。

ヴォルケンリッターの将として今の顔を見せるわけにはいかないとか、そんな考えは地平線の彼方へ。

 

恭也の手がセーターごと下のブラウスの裾を掴む。

 

 

「きょ、恭!―――って、コラ!」

「ぬおっ!?―――アストラ!?」

 

金縛りにあっていたヴィータとザフィーラが流石に止めに入ろうとしたところで、ぬっと現れた小悪魔から逆に動きを封じられる。

上に乗られ、膝で前肢を押さえ込まれたザフィーラ。

ヴィータは羽交い絞めの要領で抱き留められ、手が目隠しをされる。けれども、目隠しは両方とも中指と薬指の間がバッチリ開いて二人の様子が丸見えになっている。

 

「ほ〜ら、恭は心置きなくやってくれたまえ〜」

 

「ブルータス、お前もか!」・・・ではなく、「アストラ、お前もか!」のように横目で睨みつける。

潤んで熱っぽくなっている瞳で睨まれても嗜虐心が煽られて、ゾクゾクするだけだ。

 

両手を頭の上で押さえつけられ、足も体重を掛けて押さえられているシグナムは万事休す。

 

(これは・・・覚悟を決めるべきなのか・・・?)

 

何故か心の中ではやてに謝りながら、シグナムは眼を瞑る。

 

 

 

そして、服の裾がめくり上げられた。

 

 

 

「やっぱりか・・・・」

 

 

恭也の小さな呟き。

 

裾がめくり上げられ、顕わになった無駄な贅肉と無縁で引き締まり美しいくびれのある腹部。

触ればきめの細かさが文字通り手に取るように分かるであろう肌には、打撲による内出血と蚯蚓腫れの後が痛々しく残っている。

 

「シグナム、それは・・・!」

 

ヴィータが「さっきの」と続けようとして、熱っぽさの消えたシグナムの瞳が静かに制する。

淫靡さを含んだ妙な雰囲気は霧散していた。熱病に当てられていたような室内は、シグナムの負傷と同じように痛ましささえある。

 

恭也は押し倒す体勢から体を起こすとキャビネットに入れられている救急箱を持ってくる。

無言で救急箱を開けて中身を取り出す恭也を、四人は何となく怒っているように感じた。

 

「持続的な強い腹痛はないな?」

「・・・ああ。ない」

 

嘘をつかせない強い視線に、シグナムは大人しく答える。

嘘がないと分かってからの動きはゆっくりに見えて適確で手際が良かった。

 

腎臓、脾臓、肝臓の損傷、消化管の破裂の自覚症状である持続性のある激烈な腹痛がない。

めくったときに触った感じでは、腹腔内に出血があり血腫があった。内臓器官に損傷はないが血管は傷ついている。

これでも十分に痛みを伴う。座ったり立ったりだけではなく、じっとしているだけでも。

 

シャカシャカとコールドスプレーを軽く振ってから、患部に吹き付ける。

 

「・・・っ」

 

冷たさに顔を顰めるが、声を出すことはない。

冷気で一時的に痛みが麻痺する。

次に蚯蚓腫れと内出血にちょうど当たるように切られた冷感湿布が当てられ、その上にガーゼが重ねて当てられる。それから患部がガーゼで軽く圧迫されるきつさで包帯が巻かれた。

 

手馴れた治療を終えた恭也は道具を救急箱に収める。

誰も言葉を発しない中で、留め金を留める音だけが大きく響いた。

 

 

「聞かないのか・・・・?」

 

 

負傷に気付いた理由よりも、何故負傷したか。

それさえも聞かず、隠していたことに気付いても責めることもしない。

 

 

「言えないのだろう?」

「っ!」

 

当たり前のことのように言う恭也に、シグナムの端整な顔が歪む。

シグナムだけではない。ザフィーラとヴィータも後ろめたさに視線を下げ、アストラも居心地悪そうにする。

 

「だったら、聞くこともない・・・言えるときが来れば、言ってくれると俺は思っている」

「恭也・・・私は・・・・」

 

言えないのだと言い掛ける。時が来ても言えない。

言えば、はやてを裏切ったことを告白することになる。

イコール、今の『八神家』を壊すことになる。

 

壊れたものはいくら努力しても元に戻らない。似たようなものを作り上げることはできても、それは決して同じものではない。

 

シグナムの内心を知るヴィータも、今更ながらに裏切りの重さを噛み締めていた。

騙すことよりも、何よりも、自分達はこの『信』を裏切っている。

ただのプログラムでしかない自分達を家族と呼び、共に生きていこうと手を差し伸べた二人を。

二人の『信』を裏切ることは、家族の暖かさも、居場所になった八神家も、裏切っていることに等しい。

 

誕生以来、初めてである主への裏切り。

長い歳月で味わう苦さは、一途であるが故にヴィータを獄吏に苛まれる地獄の罪人のような苦しみを与える。

 

ザフィーラは無言で居間を出た。この場から逃げ出すようにする自分の弱さに歯噛みしながら。

それでも頭を冷やしたかった。プログラム以前に、狼としての本能が裏切りへの忌避感を否応なく高める。

不忠は切腹。それがこの国の「武士道」だったろうか。

その気持ちがよく分かる。それが武士にとって道徳であるとか、社会の定めであるとかではない。

問題なのは、不忠における己の始末なのだ。この百万言を尽くそうとも表現できない後ろめたさへの罰は、己で始末をつける切腹以外にはないのだと。

勿論、切腹をするつもりもない。だが、初めて経験する不忠と裏切りは二度とやるまいと固く決意できるほどの重みがあった。他者からの罰よりも、己の罪の意識の方が人を強く縛る。

 

 

 

「恭は、私達がずっと言えなくても、許してくれる?」

 

普段の底抜けをどこかへ無くしたように、それでいて飄々したところは変わらない。

 

「ああ。当たり前だ」

「・・・何故だ?」

 

当たり前という言葉どおり、恭也はきっぱりと断言した。

 

 

「それが、家族だ。間違っても、誤っても、その人の心にとって最後の砦となりえる場所―――俺はそれを家族と呼ぶのだと思っている。言えないことがあるとして、それを言わないから家族ではないと責めるようでは、家族と呼ばない。

そうだな・・・互いを思いやる気持ちを持ち続ける限り、きっとそれは家族だ。感情を持つ以上は、行き違うことや誤解もあるだろうが、乗り越えた先にまだ思いやれるならそれでいいんだろう。

隠していることを言えるか、言えないかの問題ではない」

 

 

恭也は諭すようで、安心させるようでいて・・・・どこか切なそうだった。

 

「俺はこう思っているができれば、はやてを悲しませないでやってくれ・・・・あの子は知れば怒るだろうが、言わないことのほうを悲しむ子だ。」

 

三人は頷き、居間の外で聞いていたザフィーラも心に刻む。

 

「それともう一つ」

 

 

 

「もし、仮にお前達が俺とはやてのことを思いやってないとしても・・・・俺とはやてはずっとお前達のことを思いやっていることを忘れないでくれ」

 

 

一方的に、押し付けがましくて、それで居て暖かく思い遣るのが家族だから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時計が十一時半を回る頃。

人が減り、少し寒さを感じさせる居間にはシャマルと恭也が居た。

風呂上りで熱傷を隠す仮面を外している恭也は、代わりにタオルで見えないように隠している。

はやてとヴィータはもうベッドへ入って休んでいる。おそらくザフィーラはベッドの下で休んでいるだろう。シグナムは自分の部屋かもしれない。

 

保険や税金についての勉強をしているシャマルは、ちょうど風呂上りの恭也を掴まえて説明してもらっているところだ。

一般家庭とはやや異なる八神家ではその方面のことで覚えることが色々ある。

大変ではあるが、この手のことに一番向いてるシャマルは大して苦にならない。

単純に他の仲間が当てにならないだけだが、それを言い出したら負けである。

 

適確に保険や税金についての恭也からの説明をしっかりと覚えながらも、シャマルは恭也のタオルに隠された部分を見る。

恭也は家族にも自分の熱傷の痕を見せようとしない。今でもその痕を見たことがあるのは、一緒に風呂に入ったことのあるはやてだけ。

一度、はやてにどういう状態なのかを聞いたが答えてもらえなかった。

ただ、「あれは恭兄ぃとウチを繋ぐ家族とは別の絆なんよ」とだけ。

 

回復魔法を使えば皮膚の再生は可能だ。

シャマルのように儀式魔法に特化した魔導士であれば、痕を完全に残さず再生させる。

けれども、再生を提案したときに恭也はそれをきっぱりと断った。

八神家の家族になって半年。この世界の一般常識を身につけてきたシャマルにも、その熱傷がどれほどマイナスの要素か分かる。それにも関わらず恭也は断った。

熱傷の状態を聞かれたはやてと同じように答えず、何も付け加えることなく。

何か深い事情を隠した眼差しだけを向けて。

 

恭也と主であるはやての間には、家族の中でも特別な繋がりがある。

少し嫉妬もある。でも、それは自分達よりも長く家族をしてきた二人の間に横たわる不可侵のものだ。

とやかく言う資格は誰にもない。

 

 

「・・・シャマル、ちゃんと聞いているか?」

「ええ、聞いてますよ」

 

 

にっこりと顔は笑みを浮かべながら、内心はひやひや。

恭也先生は厳しいので、聞いていないと仕返しをされる。

実害はないものの、意地悪なので。

 

恭也はそれから深く追及せず、説明に必要なプリントを新しく出そうとクリアファイルを取り出す。

その姿を見ながら、シャマルは聞くつもりのないことがつい口をついて出た。

 

「恭也さんは・・・どうして、私に教えようと思ったんですか?」

 

言ってからシャマルは内心「しまった」と思った。

聞いてはいけないような気がしていたので今まで口にしないようにしていたのに。

夕方の戦闘のことをまだ引きずっているのかもしれないと自己分析をしつつ、どうやって言ってしまったことの収拾をつけるかに頭をめぐらせる。

 

「シャマルしか居なかったから・・・それぐらいは分かっているだろう?」

「え?・・・そ、そうですか」

 

一瞬でもドキッとした自分が限りなく莫迦っぽかった。

ああ、私は何を期待したのか。消去法ではなく、恭也に選ばれたのだと考えてしまう自分の目出度さに乾杯。

そんな自己嫌悪を含みつつ、恭也が質問の意図を勘違いしてくれたことにはちょっと安堵して、

 

 

 

 

「いつか、はやてにとって俺が要らなくなるときのため・・・そんなところだ」

 

 

 

「え?」

 

 

 

恭也がそこまで鈍いはずもないと改めて知る。

言ノ葉の表面をなぞるだけではなく、その裏の意図までを読む恭也が間違えるわけがない。

 

 

「・・・恭也さんは、はやてちゃんを置いて―――」

 

その先を、シャマルは飲み込んだ。

言ってはならない。聞いてはならない。

答えが肯定であるにしろ、否定であるにしろ、それは恐ろしいもになりそうで。

 

恭也は微笑むだけ。

曖昧で、答えがなくて、誤魔化しとすぐに分かる微笑み。

でも、シャマルはそれに少しだけ救われる。

 

 

「・・・足が治るか、治らないか。それはまだ分からない。だが、どちらにしてもはやてはこれからも生きていくことになる。下肢に障害があっても人並みの生活が送れないわけでもない」

 

介護は要るだろうが、実生活そのものに致命的な問題はない。

精神的にはやてはしっかりしていて、社会にも適応できる。

 

「いつか自分の夢を掴んで、その夢に向かって羽ばたく。誰か好きな人ができて、その人を愛しいと想い生涯を共に歩む伴侶となる。そうやって、はやては自分の道を進んでいくことになる」

 

それが万人にとっての幸せとは限らないが、少なくとも幸福と呼ばれるものの大部分を占めている。

 

「俺とはやての絆がそこで途切れるわけではないが、ずっと一緒に居てやるべき相手は伴侶だ。俺がそのときまでこんなことをしてやるのも変な話だろう?」

 

最後は冗談めかしたが、シャマルはそれが逆に痛々しく感じた。

 

「・・・だから、守護騎士としてずっと一緒に居る私たちに・・・ということですか?」

「ああ、今更かもしれないが、はやてのことを頼んだ」

「・・・・・・・」

 

シャマルは返事をしなかった。

拒否の意思はない。拒否の選択など存在しない。

返事をする言葉を出そうとすれば、きっと言ってしまうから。だから後悔していた。

 

“恭也がはやてを置いていく”のではない。

“恭也がはやてに置いていかれる”のだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの一瞬。

数手先まで完全読みきった交錯。

スピード、タイミング、パワー、考え得る不足の事態。

その上で、外すはずのない最後の一太刀。

 

冬の寒風吹き荒ぶ屋外。八神家の2階にある広いテラスにシグナムは部屋着のまま立っていた。

吐息は白く、風に吹かれて靡いて消える。寒さに頬が紅潮するが、寒さに震えていない。

手には[レヴァンティン]。瞳は閉じ、瞑想している。

 

記憶を鮮明に甦らせようとするシグナムの試みを破ったのは、静寂に不似合いな軽い声。

 

 

「おー、よくやるよねぇ」

 

瞬間、脊髄反射の域でシグナムの剣閃が奔る。

剣士の本能が成せる武。

弾かれたような動きからの一閃は、しかし虚しく空を切る。

 

ゴッ、と風が唸り、背を逸らしたシグナムの頬を掠めた。

避けたのは勘に過ぎない。獲物を確認していないが、おそらくは棒。

誰が顔面へ突きを放ったのかを理解する前に、体を沈み込ませながら、右足を体が崩れるギリギリまで伸ばす。その間に身を沈ませたシグナムの残像を掻き混ぜるように棒が払いに転じる。

伸ばした右足に体重をかけながら左足を蹴り出した勢いで、脛への横一閃。

 

見事な後の先。

 

だが、当たらなかった棒の払いが手品のように軌道を変え、[レヴァンティン]のはばきを上から抑えつけた。

大金槌の一打を受けた鉄床が受ける衝撃がありながら、叩きつけられる金属音は微かも鳴らない。

あまりに自然。羽毛が舞い落ちるかのような軽さで居て、載せられるのは万力のごとき強力。

 

 

 

「・・・・参った」

 

 

テラスの床に[レヴァンティン]を縫い付けられたかのようになり、不安定な体勢のシグナム。

その凛々しいはずの顔は、その数ミリのところで文字通り寸止めされた蹴り足を苦みばしった表情で睨んでいた。

 

 

「あ・の・ね〜・・・・[レヴァンティン]でおもいっくそ斬りつけておいて参ったもないでしょーが!」

 

 

蹴り足を下ろし、[レヴァンティン]を抑えていた穂先のない[フォーマラウト]を外すアストラが文句を垂れる。

声をかけただけで、いきなり斬りかかられた身としては堪ったものではない。

 

 

「・・・すまない」

 

全面的に自分の非を認め、シグナムは心底申し訳なさそうにする。

ついやってしまったでは許されない。

反射的に動きは鍛錬の賜物であっても、逆にそれを律することができなければまだ二流。

遠の昔に超えたはずの律することを忘れてしまった自分が情けない。

 

擬音で表すなら“しょんぼり”なシグナムを開けている左目で見つつ、アストラは肩に担いだ[フォーマラウト]を待機状態のリストバンドに戻す。

しょんぼりなシグナムは何と言うか、“いぢめてオーラ”をBC兵器並みのレベルでばら撒いている。

アストラの脳内には18歳以上お断りないぢめが浮かんでは消えるが、今回は抑えておく。

こういうのは焦ら・・・もとい、時間をおいて楽しむべきだとアストラは思う。思うったら思う。

 

「な〜に殺気立ってるって・・・聞かなくても自分で分かってるだろうけどね」

 

テラスについているバーベキュー用の椅子に座る。

座ってからお尻が冷たいことに気付いて、内心で顔を顰める。

 

「何故、最後の一撃が外されたのか・・・」

「あまつさえ、逆に後の先を取られたことが一剣士として屈辱的ってところ?」

「ああ・・・」

 

 

夕刻の戦い。

速度で劣ることを除けばあらゆる面で金髪ツインテールの少女―――フェイトを凌駕していた。

劣っている速度も、経験からくる読みとフェイトの読み易い速度に恃んだ動きによって容易く潰せた。

 

だが、だが、だが、だが、だが、だが、だが――――

 

あの、三度目の高速攻撃。

それまでの二度の高速攻撃で完全に見切っていた。

斬殺するわけではないが、一刀の下に意識を刈り取るはずだった。

 

剣士にとって読み違えというのは死に直結する。

故にあらゆる夢想が排除される。

シグナムほどの剣士になれば、その読み違えは天体の衝突確率に匹敵する。所謂、天文学的確率。

 

何か、シグナムも気付かないほどの変数が理に混じった。

それに気付けなかった。例え、フェイトのデバイス―――[バルディッシュ]の柄を両断せしめても無意味。

損耗率という数値に換算すれば守護騎士の勝利であるし、シャマルによって得た少女―――高町なのはという魔導士のリンカーコアから得られた魔力は予想外の大収穫だった。

けれども、これはシグナムの騎士の誇りの問題なのだ。

 

正反対とも言える性格のアストラはそういうシグナムの実直な性格を好ましくも思う。

面倒と感じることはあってもだ。

騎士の一人でありながら、縛られるではなく、留まることでありたいと思うアストラにとっては。

 

 

「だからって、屈辱の証が恭也にバレちゃ駄目でしょう」

「そ、それは・・・まさか、気付かれると思わなかったのだ・・・」

 

恭也によって脱がされかけたことを思い出して、寒さとは別に頬を紅潮させながらもにょもにょと呟く。

騎士甲冑をも抜いてきたフェイトの最後の一撃による、腹部の傷痕。深刻ではないとは言え、殺傷設定であれば絶命していたかもしれない。自分への戒めとしてシャマルの治療も拒んだことが裏目に出てしまった。

 

「バレていなければいいが・・・」

「恭は妙なところで鋭いからねー・・・」

 

多分、確信はないだろうがバレただろうというのが二人の共通認識。

 

はやてと約束した―――命令も受けた。

決して人を襲わず、“闇の書”を完成させるためにリンカーコアからの魔力蒐集をしないこと。

それを反故にし、不忠に至った理由。

 

はやての下肢の障害。

両親を喪った事故ではやての負った怪我の後遺症。そのはずだった。

だが、そもそもおかしなことがある。

外科的な原因の怪我の後遺症であれば、後遺症の原因も外科的なものでなければならないにも関わらず、はやての体にどこにも異常が見当たらない。

精神的な要素かとも考えられたが、カウンセリングの結果や普段のはやての様子からも原因とは考えにくい。

 

故に原因不明。しかし、八神はやてという少女のことを一つ一つ丹念に思い返せば原因はあった。

彼女だけが有する特有の事情―――“闇の書”の主であること。

“闇の書”が原因であると考えれば辻褄が合うのだ。

五人の守護騎士の存在維持するためには少なからない魔力を要する。

“闇の書”が完成すればその魔力も必要なくなるが、一切の蒐集を行わない現在ではその魔力ははやてからの供給を受けるしかない。

魔力の消耗は身体に影響を与える。

 

守護騎士五人分の供給の消耗。

それが、はやてへ負担を強いていて、じわじわとはやての身体を蝕んでいる。

医学で説明がつかず、原因が分からない以上、最も確率が高く、限りなく正解である原因。

消耗が回復を上回るならば、悪化も説明がつく。

 

原因が分かれば、解決法も自ずと導き出される。

はやてが供給している魔力を、供給しなくて良いようにすればいい。

詰まる所、“闇の書”を完成させること。

その完成のためには、はやてに禁止命令まで受けたリンカーコアからの蒐集を行わなくてはならない。

 

それが、守護騎士暗躍の理由。

 

 

「まさか・・・恭也は、理由にまで気付いているのだろうか?」

「それこそまさかだよ。いくら恭でも知らない理屈のことまで気付くはずがないって」

 

吹き付けた寒風に身を震わせながら、アストラは言う。

どこかそうであることを望むように。

 

「だが、恭也は私達が主はやてとの約束を破っていることを知った上でああ言ったとしたら・・・」

「シグナム、まだそうと決まったわけじゃない。バレたかもっていうだけ」

「・・・・・・」

 

それでも不安を隠せない。

 

「話せないのなら話さなくて良い・・・・それって、私達のやっていることを黙認してるかもって不安は分かるけれど、それはバレたことを前提にしてるんだから」

「悪い方向には考え過ぎるな、と言いたいのか?」

「ま、そういうこと・・・・」

 

立ち上がり、猫背になりながらシグナムの肩をポンポンと叩く。

 

「おおぅ、寒い・・・シグナム、これから少し付き合いなよ」

「何をだ?」

「体の温まる良い水があってだね・・・」

「酒か」

「・・・いや、だから体の温まる美味しい水ダヨ?」

 

視線が斜め四十五度をさまよってから戻ってきた。

 

「まったく・・酒は平常心を損なう。あまり飲みすぎは」

「いや、ほら、だからね。たまにだから良いんだよ?」

「お前はいつも飲んでるだろう?」

「失敬なちゃんと休肝時間はあるぞ?」

「そんなもの休肝とは言わん!」

 

突っ込みを受けながら、最近のシグナムは突っ込みのレベルが上がってきたなぁ、としみじみ。

自分の部屋へ戻ってきたシャマルと、就寝前の見回りに来た恭也が階段を上がってきたのが、二人の居るテラスから見えた。

 

「二人ともちょうど良いところに」

「・・・寒くないの?」

 

屋内のシャマルが外に居る二人を見ただけで寒そうに身を縮込ませる

 

「寒いぞ」

 

微塵も寒そうに見えないシグナムが即答。

これにはアストラも恭也も、聞いたシャマルもびっくりする。

 

「私も寒さは感じる・・・何か変か?」

「いや・・・まぁ、意外と言うか・・・気合で何とかなるんじゃないの?」

「何とかなるわけがない」

 

断言されてしまった。

だったら厚着するなり、テラスに出ないなりすれば良いものを、と思うが誰も口にしない。

 

「それで、アストラのちょうど良いというのは何のことだ?」

 

恭也が逸れてしまった話を戻す。

 

「うん、シグナムも誘ったんだけど、これからみんなで体の温まる美味い水でも――」

「酒か」

「酒ね」

「酒だ」

「えー、二人とも即断!?しかも、私が肯定する前にシグナムが言っちゃうし!」

 

せめてオチぐらいつけさせてくれても良いのに。

アストラは少し拗ねながらも、

 

「そうさ、酒だよ。酒さ。酒だね。酒の何が悪いのさ・・・酒は人生の友さ!ルターだって言ったさ「酒と女を愛さぬ者は生涯愚者だ」と」

「・・・・誰も付き合わないとは言ってないんだが」

「よし来たバッチコイ!逝こうか恭!」

 

階下の部屋でははやて達が寝ているので小声でハイテンションという器用なことをしながら、アストラは恭也の腕に自分の腕を絡ませて部屋へ連れ込んでいく。さりげに自称Dカップを押し付けながら。

 

そして、目線を後ろのシグナムとシャマルに向け

 

 

「・・・(ニヤリ)」

 

「むっ・・・」

「ぅっ・・・」

 

シグナムは訳も無く、シャマルははっきりと理由の分かる怒りが湧き上がる。

 

「誘われたのなら吝かではないからな・・・」

「私も付き合わないとは言ってないから」

 

何だかんだと理由をつけながら、後に続く。

そんな自分にシグナムは少しの照れと、自己嫌悪に悩まされる。何をやっているのだと。

そのせいで隣のシャマルが猛烈にこれからの展開を計算していることには気付かない。

 

テラスでの真面目な話から、一転してしまった。

けれども、シグナムはそれがありがたかった。

考えてしまった最悪の想像を払うことができた。

 

 

 

 

本当は、はやての足を治す方法はリンカーコアの蒐集以外にもう一つある。

それは“闇の書”のプログラムであり、魔力の供給を受けている自分達守護騎士を完全な待機状態に戻すこと。

当然、待機状態になれば魔力の消費はなくなり、はやての魔力の供給は要らなくなる。悪化してしまったものは取り戻せないが、これならはやてとの約束を反故にすることはない。

 

だが、守護騎士はそれを誰も言い出さなかったし、選ばなかった。

 

 

 

―――自分達の今の幸福を惜しむが故に。

 

 

 

待機状態は今のように実体具現化ができず、コミュニケーションも取れない。

はやてとも恭也とも一緒に暮らすことはできなくなる。

この、あまりに幸福な八神家を自ら手放すことになる。

 

 

だから、できなかった。

どうしてもできなかった。

 

 

幸せであるが故に。一度手にした幸福を手放すことができなかった。言い出せなかった。

守護騎士にあるまじきこと。己の幸福のために、主の約束であり、命令である言葉を反故にするなど。

だが、やってしまった。

手放さないために、誰かを犠牲にすることを選んだ。

自分達が消えるにしても、誰かを犠牲にするにしても、はやてが悲しむなら自分達が残る方がいいと勝手な免罪符まで作って。

 

 

 

 

もしも。もしもの話。

恭也に蒐集のことがバレて居たらというifの話。

そして、万に一つもないだろう、自分達の酷く利己的な選択まで見抜かれていたら・・・・。

 

シグナムは、きっと自分は耐えられないだろうと、思う。

蔑まれなくても、ただそうであることが恭也に知られただけで羞恥のあまりに憤死してしまいそう。

 

 

だから、想像を振り払った。

そんなわけがない、とまるで悪夢から逃げるように。

 

 

 

 

だが、悪夢は別の形を伴って現れた。

アストラの部屋へ入ってすぐのこと。腕を絡められていた恭也の体が傾いだ。

そのまま、アストラが支えに動くのも間に合わず冷たい床に恭也は倒れた。

 

「な・・・・」

 

抜けてしまった恭也の腕の感触の残滓が、アストラから思考を奪う。

倒れる姿を幾度も見てきた守護騎士にとって倒れた方一つで、その原因が何かが大体分かる。

 

それは、冗談でもない。ただの気絶でもない。

どこか体に致命的なダメージがあるときの、とても良くない倒れ方。

ある意味で見慣れたはずの倒れ方なのに、三人はまるで初めて見たかのように凍りついてしまった。

 

 

「恭也さん!」

 

シャマルが最初に動き、恭也の側へ寄る。

すぐに呼吸と脈拍を調べる。どちらも早い。平均値を上回っている。

シグナムとアストラも慌てて寄ってくるが、意識のあるらしい恭也の視線が向けられて三人は再び凍りつく。

 

 

その視線は、まるで自分達のことを初めて見る誰か知らない他人を見ているかのように冷たい。

 

 

「・・・しゃまる?」

 

幸いなことに、その心が凍りつきそうな視線は幻とも思えるほど短い時間で消えた。

 

「はい、シャマルですよ。シグナムとアストラも居ます」

 

まるで、忘れないでと想いをこめるように名前を口にする。

まだ不安が拭えない。今の恭也は体調もそうだが、あまりに異常だ。

ただの不調で片付けるわけにはいかない。

 

 

「・・・ダレダ?」

「え?」

恭也と思えない恭也の声。

「・・・オレハダレダ?」

「きょう・・・や・・さん?」

「キョウ・・・ヤ・・きょうや・・・・恭也か・・・」

 

反芻し、忘れてしまった名前を刻むように名前を繰り返す。

そのたびに少しずつ恭也“らしさ”を取り戻していく。

 

 

 

「ああ・・・そうか・・俺は・・・八神の恭也か・・・」

 

 

ようやく、恭也ははっきりと意識を取り戻した。

シャマルは不安を抱えながら呼吸と脈拍を確認すると、何時の間にか正常に戻っている。

 

「すまない・・・少し体調が悪いのかもしれないな」

「本当に・・・大丈夫なんですか?」

 

すっと立ち上がる動きは本当に大丈夫そうに見える。

 

「ああ・・・アストラに寝酒を一杯貰えれば落ち着く」

「恭也―――」

「よしよし、そんな恭也にはアストラさん秘蔵のお酒をご馳走しようか」

 

シグナムの言葉を遮り、明るく言いながらアストラはアイコンタクトを送る。

今は余計なことを聞かないようにしようと。

互いに、後ろ暗いこともあるから。

 

不本意であっても、シグナムはそれに従うことにした。従わねばならない自分が嫌だった。

でも、隠し事をされるという恭也達の気持ちが分かったことが余計に辛い。

 

妙な対抗意識に始まる酒の付き合いだが、シグナムは今なら率先して飲みたかった。

嫌な気分を飲み下し、情けないながら酒の力で現実と嫌な想像から思考を引き離したい。

 

 

 

 

 

その夜、結局のところ寝酒の予定が四人の酒盛りとなってしまったのは四人だけの秘密の話。

 

 

 

 


あとがき

 

UAVは何機落とせばSランクになるんだろう?(挨拶

相変わらずやっているエースコンバット6。年末セールまでソフト購入は我慢なので。

ノスフェラトゥは加速と最高速がラプターに劣るので、囲まれるか、ヘッドオンでミサイルを撃たれると脆いという弱点が。それでもマクロスミサイルが鬼の強さですが。

 

 

今回のアールズ冒頭は平和活動家であるジョン=アーバスノット氏とその奥方。

ちなみにジョンさんは実在の人物から名前をもらいました。この人も“闇の書”に深く関わってしまう人です。彼で、冒頭編の登場人物は終わりになり、これからはこれまでの人達で話が進みます。

なお、次回の冒頭はちょっとお休み。

 

 

はやてが出ないどろこか、一言も台詞がないのは仕様です(ぇー

何故かはやてが出てくると話が斜め30度に向かって暴走し始めるので。

本当は管理局サイドも書きたかったのですが尺の関係上はここまでで。

何故かなぜなに掲示板で人気者になりつつある御雫祇さんは次になります。

 

とある人のリクエストによって人物集を作成してみました。

リバース編終了までの登場人物集と、アールズ開始時点の登場人物集の二つになります。

当然ながら完全なネタバレになりますので本編未読の方にはお勧めしません。

他にもクレヴァニールやゼオンシルトの能力についても書いてありますし。

今のところデバイス集も作っていますが、[レイジングハート][バルディッシュ]なども書いたほうがいいんでしょうか?

 

私生活で相当追い込まれてストレスが溜まりこんでいる状態なので、執筆速度が落ちています。

12月になれば変わるので、それまではペースが上がらないしょうがご了承を。

 

 

それでは次回にまたお会いしましょう。





慌てる騎士たちが良かったな。
美姫 「言葉少ない恭也も悪いわよ」
いやいや、彼は至って真面目ですよ。
美姫 「にしても、楽しいやり取りだったわね」
うんうん。オチが分かっているのに、ドキドキと。
美姫 「前半とは打って変わって、後半はちょっとシリアスね」
だな。特に倒れた恭也。しかも、何か記憶が混在してるというか、無くなっているというか。
何なんだろうか。
美姫 「何かの前触れなのかしら」
うわー、益々気になるな。
美姫 「次回も楽しみに待ってますね」
待っています。



▲頂きものの部屋へ

▲SSのトップへ



▲Home          ▲戻る