疲れた。
それはもう疲れた。
白瀬さんとの約束通りの任務をこなしてきて帰ったのが昨日の夜明け前。
――「事前情報なんて当てにならないときがあるんですよ♪」
とか、普段聞けたらそれだけで許せるような甘ったるい声で言われても、事前情報の3倍の戦力やトラップをどうしろって言うんだろう。どうにかしたけど。
往復の時間も含める上に、目立たないように大技を使わないなんていう細かい条件をこなしながら、タイムリミットに帰ってきた。多分、誰も気づいてない。今日の監視がヒビキさんとアリーナさんっていうのも死ぬほどついてない。
そこは昔ジョーカーに見せてもらったスニーキングミッションの話を手本に、段ボールを駆使してようやく宿舎に戻れた。
それで済めば良かったのに、その任務成功のおかげで予定が変更になって日の出と同時に起こされた。
ほとんど寝てない。ノンストップで半日は丸々眠れそうな疲労を抱えたままの体でゾンビ状態。
白瀬さんは埋め合わせをするみたいなことを言っていたが、それよりも睡眠時間をプリーズ。
腑抜けたままのところをレイチェルさんに怒られたが、あまりの眠たさに足が縺れて押し倒してしまったのは拙かった。事故とは分かっていても相手が悪かった。猛烈往復ビンタを受けた挙句に、ギッタンギッタンにされ、いつも以上に厳しく働かされた。
それでも腹が立たないのはその外見が小さく、年上なのに妹みたいな人だからだろう。
いや、だからってきっついものはきつい。
それで午前中の役割分担を休みたい一心で終わらせたと思ったら、アリエスにリベンジを挑まれ、逃走。
今の状態でやりあったらひどい目にあうのが分かってる。傍目からでも分かるだろうにちょうど居合わせたのが、たまおとルゥでは何のフォローも期待できない。途中で助けに入れそうだった人が、マキさん、リンリン、カタリーナさんじゃ意味がない。
結局、コニーがアリエスに買収されて売り渡し、アリエスと貴重な休憩時間にトコトン模擬戦闘をやらされた。僕の価値はランチのデザート一回分らしい。
心身ともにヤバくて、ランチでも食べて今度こそと思ったら珍しくマルグリットさんがドジをして、頭の上から水を被り、ついでにせっかくのランチもパーにされる。
どうやら、今日は何か憑いていると遅まきながらに気付く。きっとそれは不幸の神だろう。
普段の行いは絶対に良いはずなのに。少なくともジョーカーのしょうもない悪だくみに付き合わされる以外は。
マルグリットさんはとにかく平謝りで微塵も悪気がないのも分かっているから許さないわけにはいかなくて、食べるのが最後だったからランチの残りもないのでお昼抜き。ルゥから貰ったお菓子が胃に沁みた。
午後からはクララさんに半ば拉致され、ミリエッタさんと二人がかりでデバイスの調整を受けさせられた。
僕だって、調整を怠れば命の危険だってあるのは分かってる。でも、だからってよりによって今やらなくたってと思っても、無駄だった。
ミリエッタさんも、終わってから体調を心配してくれるなら最初からしなくてもいいとか思えばいいのに。
踏んだり蹴ったりの一日。
じりじりと照る太陽が沈みかける落日の時間。
もう指一本も動かしたくない。
疲労を通り越して、痛い。
そう思って、駐屯地から少し離れた人気のない木陰でうつ伏せに倒れる。
目を瞑り、草の匂いに鼻腔を預ける。
ここにはまだ血と腐った匂いは届かない。
戦争が始まってから二年。クロウディアさんは言わないが、白瀬さんによるとこの戦争ももうすぐ終わるらしい。どちらが勝つかはっきりしたからじゃないけど。
結局、最初から仕組まれた出来レース。
戦争が長引き、両者が疲弊する。
反統合派は戦力で劣るため劣勢に追い込まれる。
統合派も管理局の協力があって、今を維持できている。
管理局も力づくで両者を従わせるのは困難がつきまとう。
だから、戦争を起こさせ一方を支援することで両者を疲弊させ管理局単独でも力づくま抑え込めるように追い込んだ。
僕にとってはもう、どっちでも関係がない。
戦争の終わりがそうして現実味を帯びてしまうことのほうが困る。
戦争が終われば、軍人じゃない僕はみんなと一緒にいられなくなる。僕らは公式には存在しないことになってるから。
でも、戦争がずっと続けば良いと願うことが最近は少なくなった。
きっと、それはクロウディアさんが嫌うことだから。
戦場で僕が敵を殺すことをよく思ってない。重要な戦力として貴重である僕を、軍は高く評価しているからクロウディアさんも逆らえないけれど。
レイチェルさんは厳しいけれど、ちゃんと優しいところもある。
マキさんだってちゃらんぽらんに見えても、年長者らしく振舞ってくれる。
他のみんなだって同じだ。個性的な人達が接して、楽しく生きてる。
ジョーカーも黒帯も居る。僕にとって、ここは掛け替えのない楽園
失わずに済む方法はないのかな―――――
「ユアン君・・・」
いつの間にか寝ていたらしい僕に、陶磁器を弾いたときのような澄んだ声が届く。
頭を包む柔らかい感触が、膝枕と分かるまでしばらく時間がかかった。
もう誰か分かっているから、このまま目を開かないでいよう。
「・・・ごめんなさい」
「・・・どうして、謝るんですか?」
「―――ッ!?」
息を飲む音がした。
「起きて、いたのね」
「つい、さっきですけど・・・・どうして、謝ったりするんですか?」
何にしても、クロウディアさんが僕に謝ることなん一つもないのに。
「僕が戦うのは誰のせいでもないんですよ?」
「・・・違うの・・・だからなの」
「よく、分らない・・・」
薄ら、目を開く。
アップにされた藍白色の髪と紺碧の瞳が紅色の夕日に照らされて、慈愛を注ぐ女神の神秘さを湛える美貌をより儚く、美しく引き立てる。
けれども、クロウディアさんは体の内側を抉られているみたいに悲痛な面持ちで、僕が好きな優しい微笑はどこにもない。
「貴方が、一緒に居てくれる人を望んでいると知っていて・・・私はそれを利用したわ・・・」
「知ってますよ」
―――だから、罪悪感を覚えないで
その想いも、やっぱり通じないと分かっていても伝えたい。
「僕は、みんなやクロウディアさんに会ってなかったら・・・きっと、もっと酷かったと思います。僕のほうこそ、クロウディアさんを自分の歯止めにしてる、嫌な人間ですよ」
「貴方の利用した責任は歯止めで果たせてる?」
「違いますよ・・・・」
できる限りの、微笑みをジレンマで泣きそうになっているクロウディアさんへ向ける。
誰かの感情なんて気にも留めなかった僕が、貴女の泣き顔を見たくない、涙を流させたくないと思えるようになった。
「僕の望みは、ただそれだけなんです」
貴女と、みんなと一緒にずっと居たい。
「起きたか」
「うん・・・・」
思いの外、すっきりと目覚めたユアンは声をかけた主が誰かもすぐに分かる。
懐かしい夢は儚く消え、再び胸の奥へと仕舞われる。睡眠の儀式の終わり。
そこは不思議な空間。
球体の内部のような空間。周囲は360°全方位がスクリーンとなっていて全てに蒼天が映し出されている。その中心に、ユアンは大きなリクライニングになっている椅子に仰向けに寝ていた。
起き上がると給仕が近づき寝起き用のハーブティーをそっとテーブルに置く。そして、給仕から差し出されたハンカチを受け取り、見ていた夢のせいで零れた涙を拭う。
「どこまで来たの?」
反対側に座り、寝起きに声をかけた騎士―――ディアルムドに尋ねる。
「もう間もなくだ・・・・が、管理局も出てくるようだな」
「管理局が?―――そうなんだ」
気のない返事をしながら、出されたハーブティーを飲む。
「グラーバクじゃないなら、さっさと片付けよう」
「そうだな」
ユアンは空間モニターを呼び出し、二つに分けた三つ編と大きなレンズの伊達眼鏡が特徴的な女性―――クララ=ゲーレンと通信を繋ぐ。
「あ、ユアン君、起きたの?」
「うん―――寝ている間の艦の面倒、ありがとうございます」
にっこり、と笑みを浮かべてユアンはクララを労う。
艦―――ユアンとディアルムドが居るこの場所は、次元航行艦の艦内。その中枢。
次元世界最大の犯罪結社『バーテックス』の特務隊『117』が保有する『ラグドメゼギス』。
「いいよ、私の役目なんだし」
照れながらクララはユアンに通信の理由を尋ねる。
「近くの座標に管理局の船がありますか?」
「近くってほどでもないけれど、1隻あるよ・・・・・やるんだね」
言葉の意図を読み取り、クララの表情も固くなる。
その固さのどこかには決意と仄暗い憎しみが垣間見える。
「うん・・・僕らの復讐の狼煙は終わり。管理局に僕らの存在を知らしめるのも終わり」
あの日の絶望から這い上がり、戦力を集め、情報を分析し、計画を練り上げるまで11年。
もう加齢の道から外れたユアンにとって短く思えるが、あまりに長過ぎた。
長過ぎる日々は、最初から狂っていたユアンの心を容易く捻じ曲げた。
「始めよう。狼煙で示した僕らの復讐―――その業火で管理局を、焼き尽くすんだ」
―――デバイス
魔法文明において使用される、魔法補助具。
それなしに魔法を使用できないわけではないが、有ると無しでは大きく違う存在。
もはや、これなしに魔法文明は成り立たないのではと思われるほど重要な存在。
一見すると、単純極まりないように見えるが非常に高度な構造を内包している。
特にデバイスマイスターと呼ばれる個人でデバイスを作成する専門の職人が製作したデバイスはその性能に見合った高価な品となる。
フェイトの[バルディッシュ]は当然ながらデバイスマイスターの逸品。
不遇ながら現代最高のデバイスマイスターとされるユークライン=テスタロッサが愛娘のために精魂込めて製作したデバイス[トルィーズブ]。更にその[トルィーズブ]を基にリニスとプレシア、古代文明の知識を持つカーマインが製作しているのが、[バルディッシュ]。
そして、なのはの[レイジングハート]。
本人も渡したユーノも知らなかったことだが、これもマイスターの逸品らしい。
詳しい解析をされていないためにはっきりとしたことは分からないが、インテリジェントであることを除いてもかなり高度な技術が用いられていることは間違いない。
だが、その二つは現在、マスターであるフェイトとなのはの手元にはない。
[バルディッシュ]はシグナムの斬撃により柄から両断され、損傷激しく修理に回された。
[レイジングハート]も同じく、無茶なスターライトブレイカーの発射により損壊し、修理に回されている。
デバイスがなければ肝心の戦力たりえず、二人が欠ければアースラの保有戦力では今回の相手は厳しい。
そのため、しばらくは事件の捜査を武装5課とグラーバクへ預け、諸々の準備を行うこととなった。
その準備とは、
「奥さーん!このテーブルはどこに置けばいいですかー!」
「あ、そっちの端です。はい、そこそこ」
「まいどー!よみうれ新聞でーす!」
「間に合ってる・・・」
「そんなこと言わないでー、今ならタオルと石鹸、お芝居のタダ券もつけて一か月無料にしますから〜」
「必要ないから、帰ってくれ」
「あー、とりあえず君じゃ話にならないから親御さん呼んでくれる?」
「鬱陶しいって言わなきゃわかんないかー!!」
「ひぃ〜〜〜〜!!」
「きゃーー!このカップ可愛い!」
「そうでしょそうでしょ」
「エイミィが選んだの?」
「そうなんだよ」
「今度、お店教えてね」
「買出し組戻ったよー」
「た、ただい・・・ま・・・」
「あ、お帰りアルフ・・・とユーノ君、大丈夫?」
「いや、ダメかも・・・荷物、重すぎ・・・がくっ」
「あわわ、ユーノくーん!」
「情けないなー」
「ペシペシ」
「何をしているのですか、セーラ」
「・・・畳」
「畳?」
「気持ち良い・・・・(ゴロゴロゴロゴロゴロ←転がる音)」
色々とカオスと化している中、着々と(?)引っ越し作業が進められる。
『PT事件』と異なり、敵の目的が不明確でありどうすれば接触できるかも分らないことから拠点をアースラ以外の場所に移すこととなった。
そこでリンディが選んだ司令部は、なのはが住む海鳴市であり、彼女の家の近くにあるマンションだった。
敵と最初に接触した場所という理由づけはされているが、本当の理由がフェイトにとって一番良い環境を与えることであるのは間違いない。
新築の分譲マンションであるため中々値の張る物件ではあったが、今後のこの世界における活動拠点として継続使用するという名目で、払いはバッチリ管理局持ち。レティが青筋立ててOKしたので、リンディはちょっと彼女の逆襲が怖かったりするが、今はとにかく気にしないことにしている。
子供達は賑やかに作業を進めリンディもそれに加わっているかのように見えるが、流石は艦長。業者への対応は迅速。電気水道ガスなどの事業者への申請から生活必需品、食料の手配なども遺漏なく整えていく。
目の回る忙しさではあるが、十分に報われる結果となっている。
買い物から戻ったアルフとなのはの二人と一緒に、自分の部屋のレイアウトをああでもない、こうでもないと考えているフェイト。
本人はまだ内緒だが、来週からはなのはと同じ聖祥に通うことになっている。
(フェイトさんには、幸せになる権利があるから)
そのためにできる手助けはしたつもりだ。
嘱託魔導士であるフェイトは、任務がない限りは日常生活を送ることができる。
このマンションを自宅としてなのはと同じ世界で生きていける。
ただ、そのためには今の事件を解決しなければならない。
管理局の職員として彼女たちを戦力と見なす自分と、一人の大人として幸せになってほしいと思う自分に矛盾を感じてしまっていた。
引っ越しがひと段落ついた頃、話を聞いていたアリサと鈴鹿が遊びにきた。
ビデオメールを通して知り合っていても、初顔合わせはぎこちなかった。
それでも、なのはの友達だけありすぐに打ち解け、リンディの配慮で四人は簡単な片付けだけをして外へ遊びに出た。
残された面々で片付けを進め、とりあえず生活できるまで進めたところで夕食となった。
なのはも両親の許可をもらい、こちらで夕飯をごちそうになっている。
夕食が終わり、フェイトとなのはは引き続き協力することになったセーラと、何故か一緒に来ている御雫祇によってリビングに集められた。
セーラはぶかぶかのセーターとミニスカート。ストッキングをガーターで吊るというアダルティな私服。
御雫祇はこの世界ですぐに買い込んだ美麗な和装姿。
色々な意味で二人居る少年にとっては目に毒な姿である。ただ、その少年たちも含め、リンディ達は御雫祇に頼まれ、席を外している。今この場にいるのはフェイト、なのは、アルフ、セーラ、御雫祇の五人。
「フェイトさん、なのはさん」
ピシッと背筋を伸ばしながらも自然体で座る御雫祇が口火を切る。
「は、はい」
改めて見るとやはり綺麗な人で、なのはは緊張してしまう。
ビデオメールでフェイトから聞いていたが、なるほどどこか士郎や恭也達に顔立ちが似ている気がする。
「そんなに固くならないでください。真面目な話になりますけれど、それだと話を理解できないかもしれませんから」
「はい」
返事はしたものの、緊張せずにいるのは無理だ。
「私がここへ来たのは、貴女達のためです」
「私達の・・・?」
意外な言葉だった。
以前、御雫祇本人が話してくれたことによれば絢雪家は基本的に管理局の職務には直接関わらない。
自分の役職も肩書だけのもので、権限など無いに等しいと。
御雫祇はフェイトの疑問を敏感に感じ取る。
「・・・前回の戦闘は私も拝見しました。結論から言いますと、今の貴女達では勝てません。これは私とセーラさんの一致した意見です」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
それは二人とも痛いほどに分かっている。
魔法の能力以前に、戦闘者としての格が違う。
「敵わないのでしたら、敵う相手を宛がうのが道理です。現に管理局は今回の事件を本腰で解決するべくに武装五課とアライアンス・グラーバクを投入しています」
一旦区切ってから、
「但し、彼らは貴女達とは考えていることが根本的に異なります」
「え?」
「それは、どういう意味なんですか?」
「最初から・・・敵を殺すつもり・・・」
「そういことです」
「「!!!」」
“殺す”という単語に心臓が一際高鳴る。
「こ、殺すって・・・どうしてですか!」
「貴女達で歯が立たないということは・・・全員がSランクかそれを・・・上回るという、こと」
「管理局としては、逮捕が非常に困難なため、という建前で実行に移すことになります」
「っ・・・・」
「ぅ・・・・」
“実行に移す”という機械的な表現が、返って二人におぞましさを与えた。
あまりに簡単な人の命を奪うという選択に吐き気さえ覚える。
「リンディさんやクロノさんはこのことを貴女達に伝えないでしょうから、席を外していただきました」
アルフが小さく「汚い」と呟く。
「全て、というわけではありませんが管理局はこれまで高位魔導士の犯罪者に対してはそうした措置を取り続けてきました」
それは管理局に限ったことではない。
世界の警察組織も可能限り逮捕を優先するが、警察官や一般市民への安全のために犯罪者を殺傷する。
中には、止むを得ず殺害という手段を選び、その命令を受けただけの警察官を殺人罪で糾弾する者もいるが。
「何とかして止める方法は・・・ないんですか?」
なのはが縋るように言うが、
「・・・グラーバクが来たということは・・・・相手を必殺するためだから・・・」
セーラが首を横にして希望を払う。
「ですが、一つ、止める方法があります」
「それは・・・?」
容易くないことだと分かっていて、フェイトは訊ねる。
「貴女達が敵を倒し、逮捕することです」
御雫祇と向かい合う三人にやはりという空気が流れる。
「勿論、今の貴女達では勝てないと伝えたことは翻りません」
「・・・勝てるまで強くなる、っていうことですか?」
「そう」
セーラはさも簡単なことのように頷く。
シグナムやヴィータとの力の差は、簡単に埋められるような小さなものではない。
努力を怠るつもりはないが、事件が終わるまでに埋められるとも思えない。
それを言おうとした矢先に、不意に御雫祇が優しく笑った。
(((殺される!?)))
三人は本能的に感じ、咄嗟に逃げようとして凍りついた。
理屈よりも体が早く動いたが、その体が動くことさえ許さない。
「私の敬愛する人は―――“できないからやらない”のではなく“やれるためにできるようになる”人です・・・貴女達は、敵である彼女達が殺されないために行動を起こす機会を得ながら、そのための力を得る努力を始める前から諦めるのですか?」
「あ・・・それは・・・」
「・・・・っ!」
「御雫祇・・・・」
でも、という言葉をそろって呑み込む。
今、自分達は叱られたのだ。始める前から諦めるのか、と力の差のある一度の敗北に心を挫かれる惰弱さを。
―――私には、力があるから。守られるだけじゃない、誰かを守ることのできる力が。
つい先日、口にしたばかりの“戦う理由”。
「結果のために強くなるのが目的ではないでしょう?」
「・・・・はい」
再び、御雫祇が笑う。よくできました、と褒める先生のように。
「でも・・・どうやったら勝てる?」
アルフが大事な点を忘れずに指摘する。
武装隊やグラーバクが事件を解決するまでそんなに時間があるとも思えない。
そんな短い期間で、実力と経験の差を埋める方法はあるのか。
「それは、心配、ない」
「ええ、心配ありません」
セーラと御雫祇は示し合わせたようにそろって言う。
「私達は―――」
「―――そのために来たのですから」
「「「え゛・・・・」」」
これを手にしたとき、驚くほど手に馴染んだことを覚えている。
自分の[グラーフアイゼン]とそっくりな形がそう感じさせたのだと、思う。
今ではじっちゃんやばっちゃん達からの借り物ではなく、はやてや恭にお願いして買ってもらった愛用のスティックを使っている。
そのスティックをリラックスして、肩の力を抜きながら振る。
打点、振り子、多少の誤差を含みながらそれも想定の範囲内。
カツン、と硬い木材とプラスチックボールがぶつかり、ボールは打ち出される。
10と書かれたボールは勢いよく転がり、地面に突き立てられたコの字型の金具を潜った。
そして、杭のような金具に衝突し、鈍い金属音を立てる。
途端、
「おおおおおーーー!!」
「っしゃぁぁぁぁーーー!!!
歓声が上がり、ヴィータも雄叫びを上げる。
拳で天を衝く。
そんなヴィータに歓声を上げた同じチームの老人達が駆け寄る。
「さすがはヴィータちゃん!」
「ようやったのー!」
「ヴィータちゃんは勝利の女神だねぇ」
「よし、みんなでヴィータちゃんを胴上げじゃ!」
「え、ちょ、みんな危ねぇって!」
高齢化のこの国にあって珍しくもなくなった70代〜80代の老男女は、子供で更に小柄なヴィータを四人がかりで抱えると、
「ワッショイ!ワッショイ!」
重くもないが、老人にはちょっと厳しいはずなのに胴上げを始めた。
「いや、だから!危ねぇって、じっちゃん!ばーちゃん!」
驚くほどに軽々と持ち上げられるヴィータは、言葉遣いは汚いがその表情は老人達を真剣に心配していた。
健康ではあるが、若くはない。胴上げの拍子に怪我でもされたらどうしようかと不安になっている。
だが、老人達は聞き耳を持たず、嬉しさをその手に籠めてヴィータを高々と空に上げる。
「あだぁっ!」
最後の一投げをして、ヴィータを下ろした直後に一人の老爺が軋んだ呻きを上げた。
「じ、じーちゃん!」
「あだだだっ―――」
老爺は腰を押さえて蹲っている。
「ほら言わんこっちゃねぇ!大丈夫か!?」
悪態をつきながら、老爺に近づいて様子を見ようとするヴィータ。
その内心は老人のことが心配でならない。老爺の痛がりようはただならぬようで、酷いぎっくり腰かもしれない。
「―――なんちゃって♪」
吐息が感じられるほどの近さで、世界的に有名な物理学者の写真のように舌を出している老爺。
もう、その表情はとっておきの悪戯に成功した子供そのもの。
かつてはかなりの腕白坊主として鳴らしただろう、子供時代に戻っていることは間違いない。
「じーーーーーちゃーーーーーん!!!!」
ヴィータ、吼える。
―――パチン
天童産の駒が盤を打つ。
中丘町のゲートボールもできる大きな公園。
恭也はトタン屋根のついたベンチで、禿頭に美髯の老爺と差向いに座り将棋を打っていた。
「小五郎さんは、本日も騒がしいね」
「・・・乗せられているのはヴィータですよ」
ホッホッホッ、と好々爺そのものの笑い声の美髯老爺。
恭也は一家の末っ子を中心に起こる騒動に、苦笑するしかない。
ゲートボールに勝って浮かれても、負けたチームも巻き込んで楽しんでいる。勝ち負けよりも、みんなヴィータが可愛くて仕方ないというようにしている。
「あの子が来てからみんな元気になっておる・・・何かといえば上がるのはあの子の話題だよ」
「ありがとうございます。ウーさん」
「いや、儂は何もしていないよ」
ウーと呼ばれた老爺は、ツルリとした頭部にある大きな傷跡を撫でる。
無意識の仕草であるそれは癖らしい。
「みんなあの子が可愛くて仕方ないんだよ。あの子が良い子だからね。それは、私達が何をするでもなく、人を惹きつけるあの子の資質だと、儂は思う」
「それでも、最初に声をかけてくれたのはウーさんです。もし、声をかけていただかなければあの子は自分からやりたいとは言い出さなかったと思います」
図書館からの帰りに通りがかったこの公園でヴィータが立ち止まったことがあった。
ヴィータが立ち止まったのは、自分のデバイス[グラーフアイゼン]とそっくりな形をしたゲートボールのスティック。
当時はまだこの世界に疎かったヴィータは衝撃のあまりに立ち尽くしていた。ベルカ式の中でも特異な[グラーフアイゼン]と同じ形状。しかもそれを老人達が使っている。この世界に魔法はないはずなのにこれいかに?と。
その時に声をかけてくれたのが、ウーだった。
あまりに熱心に見入っている子供が気にかかったらしい。
現在では老人の競技人口が多いゲートボールだが、本来は子供の遊びだったことを考えればヴィータを誘ってもおかしくはない。
それ以来、口は悪いが本当は心優しい女の子として町内の老人会、特にゲートボールをする老人達のアイドルとなった。
今では近所の大きなお友達からヴィータを守るべく日々暗闘を繰り広げているらしい。
「ヴィータちゃんは儂らに任せておくといい・・・不埒な連中など近づけさせんよ」
「・・・・程々にお願いします」
昔の血が騒ぐと言いながら、派手な抗争が行われているらしい。
恭也は騒ぐ血がどんな血かは知らないが、どうも聞いてはならない類の話らしい。
だが、恭也の顔を見ても特別な反応を示さないのはそれだけの人生経験を積んできていることが分かる。
「恭兄ぃ!ヴィータ!」
小五郎を駄々っ子パンチでお仕置きし、ヴィータが満足した頃、公園の入り口に車椅子のはやてが来た。
後ろには車椅子を押すシグナムの姿もある。
「あ!はやて・・・って、じーちゃん、今何時!?」
「んー・・・もうすぐ昼飯の時間かのぅ・・・」
本日の相手チームのリーダーである行人老は、少々ぼけた話し方で時間を言う。時計は見ないが。
「やばっ・・・はやてと一緒に病院行くんだったのに!」
「そうなの?今日はヴィータちゃんの分のお昼ご飯も作ってきたんだけど・・・」
「うっ・・・ごめん、ばーちゃん・・・一緒に食べてーけど、はやてと約束してたから・・・」
品のある老夫人である米子が残念そうになると、悪いことをしたと途端にしょんぼりしてしまう。
「いいわ・・・でも、お弁当だから持って帰って食べてくれるかしら?」
「いいの?」
「ええ、折角作ったのだからヴィータちゃんに食べて欲しいわ」
きっと若いころは美人だっただろう老いた容色ながら、米子の微笑みは年季の入った美しさがあった。
ヴィータが少し見惚れている間に米子は弁当を取りに行く。そこにウーとの将棋を切り上げた恭也が来て、頭に手をポンと置く。
「ちゃんと、お礼を言うんだぞ」
「うん、分かってる―――あ、こら、何すんだよ!」
素直に頷くヴィータの頭を、恭也は撫でる。ヴィータは照れ隠しに乱暴な口調で抗議するが、満更でもなさそうにする。
「はい、ヴィータちゃん・・・冬だから大丈夫だと思うけど、早いうちに食べてね?」
「ありがとう、米子ばーちゃん」
「はい、どういたしまして」
かなり高齢ながらまだ背筋がピンと伸びた米子は少し屈んでヴィータにお弁当箱を渡す。
ヴィータの好みに合わせて、デフォルメの呪いウサギがプリントされたお弁当箱だ。
「それでは、お世話になりました。また今度お願いします」
「じーちゃん、ばーちゃん!また今度なー!」
恭也が礼をし、ヴィータも弁当箱の入った巾着を片手に大きく手を振りながら公園を後にした。
「―――ひでーんだよ小五郎じーちゃん」
「それで、小五郎さんをボコボコにするなんて、ヴィータもやるなぁ」
病院のエントランスへ入りながら、今日のゲートボールの話をするヴィータ。
はやて達はそれを時に笑い、時に呆れながらも聞いている。
「でも、お昼に誘われとったんなら行けば良かったやないか」
「いいんだよ。アタシははやてと一緒に行くって決めたんだから」
「そっか・・・まぁ、それならええけどな」
一時期はずっと家族でばかりでいるこに不安を感じてヴィータとのゲートボールも歓迎したが、みんなそれぞれやることが増えて家族の時間が減ったのはそれで寂しかった。
けれども、やっぱり家族を優先しようとするヴィータの気持ちは素直に嬉しい。
「そう言えば、恭兄ぃはどないしたん?」
「どうした?俺が一緒に来ては変か?」
「いや、そういうわけやないんやけど・・・最近はシグナムやシャマルと一緒やったから何や随分久しぶりな気がしたんよ」
「言われてみれば、そうだな・・・・まぁ、たまには良いだろう」
「うん、そうやな」
何だかんだで恭也と一緒にいられる時間が多いのは嬉しい。
思えば家族が増えてから、恭也と何かをすることが少なくなった気がする。
シグナムが受付を済ませて戻ってくる。
長身で体型も同性から見て羨ましい限りのシグナムは病院では名物になりつつある。本人は知らないが。
「主―――は、はやて、前に予約を入れている人が長引きそうなので少し待つことになるそうです」
「分かった・・・けど、シグナムのそれは中々直らんなぁ」
はやてが苦笑すると、シグナムは困ったように謝る。
基本的に闇の書の主従関係があるにしても、家族であるなら名前で呼ぶもの。だが、シグナムは“主”という呼び方を変えることができない。家でならまだ良いが、外ではやてのことを主と呼ぶのはあまりに不審なので度々注意されているのだが、骨の髄まで染みついているかのように直ることはない。
そもそも、根っからの騎士であるシグナムに主を呼び捨てることはできない。
かと言って、“さん”や“様”付けも変だ。シャマルのように“ちゃん”付けをすれば良いのだが、自分は“ちゃん”付けで人を呼ぶキャラではないと頑なに言い張って呼ぼうとしない。
実に難儀な性格だが、それもまたシグナムの個性なので無理に矯正するわけにもいかない。
家族円満な八神家における数少ない課題の一つだった。
病院の待合室はどこも同じような造りになっているが、この病院ではガラス張りの構造なので明るい。
だが、残念なことに曇り空のため日の光が射さず、照明の明かりが必要になっている。
はやて達は呼び出しまで四人で話をしていたが、そこに白衣を着た中肉中背の中年男性が近づいてきた。黒髪より白髪の多い髪をオールバックにしていて、初老に近いかもしれない。白衣を着て身分証をつけていることから医師であることが窺える。
「恭也君」
「これは、矢沢先生」
恭也は立ち上がると折り目正しく礼をする。
「恭兄ぃ、その先生と知り合いなん?」
「ああ、この人は矢沢先生だ・・・はやては覚えていないかもしれないが、俺がここに入院していた頃の主治医だった人だ」
「今より小さかった君とも何回か会ったことがあるんだが・・・覚えていないだろうね」
言われてみれば、そんな気もする。顔も朧げに思い出せるが白髪はもっと少なかった気がする。
二人が言うように覚えていなくても無理はない。
あの頃のはやては酷く精神状態が不安定だった。記憶にあるのは恭也と交わした会話ぐらいで、それ以外のことはお世話になっておいて申し訳ないが、自分の主治医や看護士のこともよく覚えていない。
「これからどうかな・・・君とは色々と話したいことがあるんだが・・・」
「今からですか・・・?」
ちらりとはやてを見る。
「ええよ、シグナムもヴィータもおるし」
「そうか・・・頼めるか、二人とも」
「おう」
「言われるまでもない」
二人からの頼もしい了解を得て、恭也は頷く。
「・・・俺のほうが遅くなったらそのまま先に帰っていいからな」
「んー、いい。待ってるから、ちゃんと戻ってきてな」
「そうか・・・だが、あまり気を使うなよ」
「分かっとるよー」
恭也ははやての意外な言葉に首を軽く捻りながら、矢沢と一緒に通路を歩いていった。
「恭兄ぃ、行ってしもうたなぁー」
ちょっと寂しい。
こんな時、聞き分けが良すぎるのも損だと思う。
「って、二人ともどないしたんや?」
何故か、沈思黙考しているシグナムとヴィータ。
「いや・・・なんか、恭、変じゃなかったか?」
「んー・・・・そうかー・・・?」
思い返せば、そういう気もしないでもないが、むしろあれは―――シグナム達の来る前の恭也のような気がする。
「ですが・・・」
「ですが?」
シグナムはつまらないことだが、それが頭を離れないという風に
「あの恭也が、音沙汰のなかった相手と会った時に“久しぶり”と口にしなかったのが解せないのです」
言った。
「すまないね・・・無理を言って」
「いえ」
矢沢の診察室。
今は昼の休憩ということで、ドアには休診の札がかかっている。
通された恭也にはデカデカと来客用の文字が入った湯呑が出され、中には緑茶が入っていた。
「娘―――義理の娘はココアが好きなのだが、私はどうもコーヒーなどよりもこっちのほうが好みでね」
「分かりますよ・・・」
同意してから、一口飲む。聞けば、中国茶のほうがもっと好きらしいがさすがにそこまで手間をかけるわけにはいかない。それでも、十分に香気と舌を通る味わいはある。
矢沢も湯呑から啜り、診察机の上に置くとまっすぐに恭也を見て話を切り出す。
「・・・そろそろ、覚悟を決めてもらえたかい?」
「・・・いえ、まだです」
言いよどむ恭也。
矢沢はやはりと言うように溜息をつく。
「今なら・・・まだ間に合うと言えればどれだけいいか・・・・だが、それでも今ならはやてちゃんが一人で生きていけるまでの時間が得られる可能性がある」
無力さを厭うように、矢沢は話す。
「・・・・・・」
恭也はそれを承知の上で応えない。
「君の脳腫瘍―――グリオーマはグレードVの退形成性星状細胞腫だ・・・・悪性腫瘍としてはかなり悪い部類に入る・・・」
「―――術後三年の生存期間は60%・・・でしたよね」
「手術による摘出、適切な放射線治療と化学療法を受けた上での話だよ。君のように放置していれば、確実に悪化し、確率はどんどん悪くなる」
これも、何度も繰り返した会話。
恭也は自分で分かっていてやっている。
「あの事故が原因だとは思う・・・これほど進行速度の遅いグレードVの悪性腫瘍も珍しい。世界初かもしれない。だが、この前の造影では、明らかに悪化していた・・・本当は君にだって自覚症状はあるんだろう?」
「・・・・・ええ」
朝起きて感じる頭痛は、この数カ月で酷くなった。起き上がり、蹲るのを堪える。壁に頭を叩きつけたほうがまだマシだと思えるほどの頭痛になっている。
料理中に突然手が痺れて動かなくなる。視野が霞む。突然、目の前で話していた相手の名前を忘れる。その頻度は少しずつ増えている。
先日、シグナムとシャマル、アストラの前で倒れたときには意識障害も起こった。
矢沢の言うように症状の進行は奇跡の上に成り立っていた速度を無為にしつつあり、即時入院を要する。
「はやてちゃんには、あの人たちがいるのだろう一人置いておくのが心配だったというのなら、今は問題ないはずだ・・・何故、そこまで頑なに入院を拒む?」
海外では悪性腫瘍と分かった時点で、無理な完治を目指す治療ではなく延命治療や尊厳死を選ぶ風潮がある。それは、現代医学では脳内の悪性腫瘍というのは脳の特殊な事情もあって極めて治療が困難であるためだ。
脳外科出身である矢沢にはそのことがよく分かっている。彼もまた何人もそうして患者を亡くしてきた。だから、放射線治療や化学療法に限界があると見切り、遺伝子治療の分野へ新たに進んだ。
まだ確実な検証をなされていないが、遺伝子治療にも可能性はある。この数年で劇的に進歩し、おそらく突然変異した遺伝子を治療することで腫瘍の進行を止め、正常な状態を戻すことができるはずだ。
恭也も最新の治療を受ければ完治の見込みはある。完治は無理でも、はやてが大人になるまでの時間を稼ぐことはできる。
人命を救うための医師としては、恭也を無理矢理にでも入院させて治療したい。
だが、同時に人間でもある彼は深い事情があるからと深入りは避けてきた。しかし、それも我慢に限界がある。
恭也は手元で湯呑を弄びながら、穏やかな笑みを浮かべる。
その笑みは、末期の助かる見込みのなくなった患者が浮かべる笑みにどこか似ていた。不吉さに矢沢の表情が強張る。
「・・・俺も、それは考えたんです。けど、ダメなんです。今は」
「理由は聞かせてもらえないのかい?」
真摯な態度からはただ治療するだけではなく、一個の人間として恭也と付き合おうとしていることが分かる。
恭也はそのことを内心感謝しながら、言う。
「これからの十年よりも、はやてには今から一か月のほうが大事な時間なんです・・・俺はその時間をはやてに捧げるつもりです・・・それが、これまではやて暮らした時間のためでもあるから」
「そのために、君は死を早めるのを・・・・承知しているんだね」
「勿論、最後まであがきますよ・・・あがいて、あがいて、それが駄目でも最後まであがきます」
はたから見ればどれほど情けなくても、あがくのだ。
時間が限られているなら、それを少しでも伸ばす。
きっと、知ればはやて達は怒るだろう。それは、仕方ないのだ。自分はきっとそんな役回りだから。
その衝動の源は何か。
矢沢は聞きたかったが、恭也は聞くよりも早く察した。
「家族を護りたい・・・それだけですよ」
見た目、まだ三十歳にも届かない青年の言葉でも、表情でもなかった。
痛々しいほどの献身。自己犠牲ではなく、献身。
真の親ならば我が子を護るために何でもする。恭也は既に、事故を起こし燃え盛る車の中から我が身を省みずにはやてを救いだしている。
「それでも、誰にでもできることじゃ――いや、おそらく君ぐらいにしかできないんじゃないか?」
「俺には・・・それしか、ありませんから」
護ることしか、恭也という存在にはないから。
「―――冬の夜の雪にさきそめたる」
「―――麗しの薔薇は救いの君」
「―――み使いまきびと喜び満ち」
「―――みあれをことほぎ星きらめく―――」
人々はその歌声に足を止めてしまう。
海鳴中央駅の広場。冬の寒さに人々が体を縮ませながら歩くはずが、聞き入ってしまう。
ソプラノの中でも高音であるB6までの音域を歌い上げる技量。聴覚が広がる歌声を受け取り、視覚へ輝きとして見せる。
ラバーパンツとパレオのように巻かれたフリンジ付きの毛織物、二つ巻いたニットマフラー、白染めに偽逆十字の描かれたローブ。闇に溶け込みそうで、それでも異なる妖しい肌の色。
八神はやての守護騎士の一人、アストラは人々の注目を一身に浴びながらアカペラの独唱をする。
「―――とうとき聖子 主をむかえまつらん」
「―――来たりておがめ たたえまつれや」
「―――救いの聖子 主きみ」
歌い終わっても、余韻が空気を震わせる。
―――パチパチ パチパチ
まばらに起こった拍手が波のように広がり、聴衆すべてから大きな拍手となる。
指笛やアンコールも混じる広場、ちょっとしたゲリラライブの様相を呈している。
アストラは恭しく一礼。社交辞令の笑みを浮かべると、今日はここまでとジェスチャーで示す。
名残惜しそうな聴衆達は、アストラのジェスチャーで夢の世界から現実に引き戻されたかのように、冬空の寒さを思い出し、三々五々に散っていく。
「アストラ!」
そんな群衆の中から、赤い靴と同色のコートを着た少女が抜け出てくる。
「お待たせ」
「ホントにお待たせだよ、アリサ・・・あんまり遅いから一曲歌って待った」
「うん、バッチリ聞かせてもらったから」
赤い靴の少女――アリサは、良いもの聞かせてもらったと得した顔をする。
「ちゃっかりしてるね、アリサは」
「あはははは・・・」
「ま、遅刻した罰はおいおい考えるとして・・・行こうか」
「うん!」
どういう仕組みなのか、腰丈だったローブの丈が踝まで伸びる。
「くんくん・・・何か良い匂いが・・・・」
「・・・アストラって、どれだけ鼻が効くのよ、もう」
並んで歩くアリサはコートのポケットから新聞紙に包まれた焼き芋を出す。
買ってから時間がそう経っていないようで、新聞紙ごしに触っても十分に熱い。
「レッスン料?」
「そーよ・・・冷めちゃうから先払いなの」
言いながら、焼き芋を半分に割り片方をアストラに渡す。
「・・・・くい―――」
「食い逃げしたら地の果てまで追いかけるからね」
「・・・うぐぅ」
「それは焼き芋じゃなくて、鯛焼きじゃないとダメなんじゃない?」
「・・・そこは、ほら。優しくスルーしようよ」
笑いながら、アストラは焼き芋にかぶりつき
「あー、幸せだなー」
「幸せよねー」
二人で文字通りホクホクした顔になる。
「さてさて、今日はどこまで上達したのか、確認させてもらおうか」
「まさか、私の歌を聴きながら焼き芋食べないわよね?」
「食べるよ?」
「・・・・できればやめて欲しいんだけど」
一応、先生なんだから真摯に聞いて欲しいと思う。
お願いして歌を教えてもらっている身だが、その辺の線引きは曖昧らしい。
「まま、気にしない気にしない・・・」
「私は思いっきり気にするんだけど・・・」
「それはまだアリサの修行が足りないだけだよ」
チッチッ、人差し指を左右に振る。
口元に焼き芋のカスをつけていては物凄く莫迦にされた気がする。
けれども、言葉はやはり真面目な歌い手だった。
「歌はね、結局は自分のものなんだ・・・誰かに伝える前に、何にも揺るがされない心を歌として紡がないと想いは伝わらないし、伝わっても自分の想いが正確には伝わらなくなる。僕は、アリサの想いや歌う技術を見てあげるだけ。だから、アリサは目の前の僕じゃなくて、本当に想いを伝えたい相手がそこにいるつもりで―――ううん、どこに居てもその人を想う気持ちを歌にしないと」
最後に、人からの受け売りだけどね、とアストラは言った。
あとがき
終わる気配がない(挨拶
悩む作者、綾斗です。
今回はなぜなに掲示板で微妙に聞かれるオリジナル関連について。
オリジナル作品と名前はついていますが、基本的にオムニバス形式の話です。
複数の主人公が存在し、まったく同じ世界観の中で生きていますので各話の中で別の主人公の名前が上がったりします。
アリスマティックの靜峯麒麟、愛姫無双の緋皇乃宮朧、リバースの八岐徹など全員がその登場人物です。
基本的にクトゥルーが実在する世界観の中で、彼ら超人の過ごす長い時間のお話。
昔から構想を練り続け、書いては消してを繰り返している作品なので人様には見せられませんが。
それでは、次回お会いしましょう。
意外な事実が。
美姫 「まさか恭也の脳がそんな事になっているなんてね」
はやて達が知ったら、確かに大問題になるだろうな。
美姫 「恭也は最後まで隠し通すつもりね」
ああ。これからどうなっていくんだろうか。
美姫 「次回も楽しみにしてますね」
待っています。