それは最大の油断だった。
クローズドヘルム内で喀血しながら、恭也は自分の見通しの甘さを呪った。
胸郭の中心をごっそりと撃ち抜かれた。心臓は半分吹き飛んだ。暗転、回転、そして地面へと倒れ込む。冬の冷気によって氷のように冷たくなっている屋上のコンクリートに体温を奪われて行く。
(“メイトヒース”………っ!)
恭也の索敵範囲外から、回避不能の精密狙撃を可能とする魔導士を恭也は二人しか知らない。
自分を撃ち殺すとすれば。犯人は“メイトヒース”でしか有り得ない。
視認不能の超長距離精密狙撃魔法―――【ホワイトフェザー】。
「恭也ッ!!」
「恭ッ!!」
恭也以外で我に帰るのが早かったのはシグナムとヴィータだった。
駆けつけたなのはとフェイト、クロノとクロノに捕縛された仮面の魔導士―――リーゼアリアとリーゼロッテも驚愕したまま動けないでいた。
そして、恭也に庇われる形で背後に居たはやては飛び散った恭也の肉片と血飛沫を浴びて、身体の半分以上を朱色に染めながら、事態の推移を呑み込めないでいた。
「……ぬか……っ………た………」
「莫迦野郎ッ!」
「喋るなっ!」
治癒の魔法を使えるシャマルは少しでも何かをしなければと、臓を吹き飛ばされていると知っていても、止血しようと胸を圧迫する。治癒魔法では追いつかない。
「くそっ!くそっ!くそっ!くそっ!」
(駄目だ―――これでは!)
ヴィータはここに存在しない何かを罵り、シグナムは致命傷に絶望する。
心臓が半分無くなっている。即死していないだけでも奇跡だ。幾らシャマルの治癒が卓越していても、魔法は失った器官を再生させることはできない。即死ではなかったが、恭也はこのまま死ぬしかない。
「んなこと認められるわけねぇだろうがっ!!お前はここで死んじゃ駄目なんだよっ!!」
幼い容貌に涙を浮かべるヴィータは懸命に死ぬなと呼びかける。しかし、手から感じる恭也の身体はどんどん命が流れ出して行く。命を感じられなくなる。
「…おれ………の…こと……は……いい…………は…やて………を」
恭也はもう指一本も動かせない。とっくに眼は見えなくなっている。
感覚は麻痺している。【幻月】のアバターが蓄積してきた経験が、死ぬ予兆であることを知らせる。絶対に助かることのない状態だと。死ぬのであれば、死ぬ前に最も優先すべきことをやり遂げて死ぬ。
敵の目論見は、撃たれた瞬間に理解した。恐ろしいほどの精確さで敵は事態を把握していた。グレアムがリーゼアリアとリーゼロッテを使役することも計算に入れ、事前に動かす余地さえ与えていた。
早く、それを伝えなければ取り返しがつかなくなる。しかし、胸を撃ち抜かれたダメージが大き過ぎた。喋ることも、目線でアイコンタクトすることも、指先で文字を書くことさえできない。
(誰でもいい………早く、はやてを―――)
「その人――――恭兄ぃなん?」
乾いた問い掛けが投げられる。
シグナムとヴィータの動きが凍りつく。驚愕のまま硬直していたなのはとフェイトが弾かれるようにして、硬直を解いた。誰もが恭也が撃たれたことに気を取られて、はやてのことを失念していた。
たった一人だけ、アストラはこれ以上見せないようにはやてを抱き締めている。けれども、はやての目には焼き付いている。
肉片と血飛沫に塗れて普段の朗らかさはすっかり消えていた。血に濡れて垂れ落ちた前髪で見えにくい眼は、光を失い、ゆらゆらと伸ばされた手が倒れた恭也に触れる。
「なぁ……ヴィータ……シグナム………この人、恭兄ぃなん?」
「あ、主―――」
「はやて―――」
手遅れだった。恭也が自分ではなく、はやてと言った理由に気付かされる。
守護騎士プロラグラムを介して、“闇の書”の正式な起動を感じられる。はやてから発せられるはずのない魔力が高まっていくことに、二人は愕然とする。“
「答えてや………そんなわけないって……だって、恭兄ぃは下のベッドで今も寝てるはずやんなぁ?」
悪性の脳腫瘍に冒されている恭也がここに居るはずがない。病院に運び込まれた時には意識不明の重体だった。起き上がれるはずがない。主治医の矢沢先生は、助かる見込みは無いと苦しげに吐き出した。
ほんの少しだけ、長く生かすことはできると。その間に、恭也との“お別れ”に備えるように言われた。
それなのに、これは何だ?
妙な格好をしたヘルメット姿の男が恭也だとシグナムとヴィータは言う。そんなわけがないのに、どうして二人ともこんなに焦っているのか。はやてには理解できなかった。けれども、それが仮に恭也ではないとしても目の前で人が死んでいる場合の反応として、異常なものであると。
心の均衡が壊れていた。解かっていても、解かりたくない。シグナムとヴィータが冗談や悪戯で目の前の死体になりそうな人物が恭也だと言っているわけではない。
だから、はやての手がクローズドヘルムに伸ばされたのは当然のことだった。
なのははその仮面の下が八神恭也であることを既に知っているため、ようやく制止の声を発しようとする。
フェイトはかつてのガルムの死に様がフラッシュバックして、何もできずに呆然と佇立している。
シグナムはようやく、はやての伸ばした手を掴もうとして―――間に合わなかった。物理的には間に合った。手を掴むことには成功した。しかし、これが恭也であればはやてを胸に掻き抱いて何も見ないように封じ込めた。
シグナムのはやてを思う気持ちが劣っていたわけではない。ただ、不慣れな状況において選択を単純に誤った結果。
はやては、装着者の絶命という因果関係によって解除されたバリアジャケットとクローズドヘルムに隠されていた素顔を見てしまった。
「恭兄ぃ―――――」
カチリ、と全てが嵌まった。はやての放った言葉が絶望の幕を開ける。
声が震え、喉がカラカラになる。シグナムの手を掴む力が抜け、火傷の痕が醜い顔へ触れる。血色の悪い顔は冷たく、マネキンを触っているようだった。これが死んだ人間の感触。
「恭兄ぃ―――――」
嗚呼、神様。もし居るなら、ウチの願いを聞き届けて下さい。
ウチの足なんか一生治らなくても良いから、自由な生活なんか要らないから。
どうかこの悪夢を一秒でも早く終わらせて下さい。
シグナム達、ヴォルケンリッターが約束を破っていたことも。
なのはやフェイト達が関わっていたことも。
恭也も魔導士だったことも。
全部、どうでもいいから。
ウチから恭兄ぃを奪わないで下さい。
今日までウチが希望を持って生きて来られたのは恭兄ぃが居たから。
ウチの両足が動かなくなって、お父さんと、お母さんが死んでしまったあの事故の日から、ずっとずっとウチの側に居て、優しくて、厳しくて、意地悪で、誰よりもウチへ愛情を注いでくれた“大事な人”を。もうこれ以上、ウチから家族を取り上げないで。
ウチの家族を、返して下さい。
ウチがウチでいられるのは、恭兄ぃが居てくれるからなんや。
だから、だから、だから、恭兄ぃが居ない世界なんてあっちゃ駄目なんや。
もし、恭兄ぃが戻ってこないなら。
もし、恭兄ぃを返してもらえないなら。
もし、恭兄ぃが居ないなら。
ウチは、要らない。
世界も、ウチも、恭兄ぃと一緒に消えてなくなってしまえばいいっ!!
《OSを再起動します》
《ドライバチェック中………OK》
《アプリケーションの動作チェック》
・
・
・
・
《防衛プログラムの動作チェック》
《マスターデータオールグリーン》
《起動可能な魔法は書庫内のレベル4までを制限解除》
《守護騎士プログラムの動作チェック………》
(フォルダアイン………動作不良―――エラーに対する管理者権限発動)
(フォルダアイン………アークマスター権限によりプログラムリライトを中止―――正常動作)
(フォルダツヴァイ………動作不良―――要リプログラム)
(フォルダドライ………一部動作不良―――エラーに対する管理者権限発動)
(フォルダドライ………管理者権限によりプログラムリライト―――正常動作)
(フォルダフォア………動作不良―――要リプロラグム)
(フォルダフュンフ………一部動作不良―――エラーに対する管理者権限発動)
(フォルダフュンフ………管理者権限によりプログラムリライト―――正常動作)
(フォルダゼクス………一部動作不良―――エラーに対する管理者権限発動)
(フォルダゼクス………管理者権限によりプログラムリライト―――正常動作)
(フォルダジーベン………一部動作不良―――エラーに対する管理者権限発動)
(フォルダジーベン………管理者権限によりプログラムリライト―――正常動作)
《守護騎士プログラム………再起動》
《マスター権限による起動命令を確認》
《マスター保有のリンカーコアを使用》
《666ページへの到達を確認》
《“夜天の魔導書”――――起動開始》
「まさか、それが狙いだったなんてっ!!」
シモーヌは悔しげにうめく。海鳴の沿海に停泊させているクルーザー。その船上を隠れ家として待機するようにスレインから指示を受けていた。別件で手が離せないスレインは、動きがあっても手出しはしないようにと言い含められていたことが仇と成った。
はやてと恭也が入院している病院の屋上から、見紛うことなき“夜天の魔導書”の魔力光が全方位へ放出されている。技巧を用いない、ただの魔力の無作為放出だが、魔力量の桁が大き過ぎる。屋上にあったもの全て薙ぎ払い、吹き飛ばした。
「やってくれる………」
エリザにすら予想外の手法。魔導書の主をわざと暴走させるなど、思いつかなかった。
いや、それだけならば予想できたことだ。そのためにわざわざ自分達はここに待機していた。その方法が、まずもって打倒など考えるはずのないガルム―――恭也を目の前で殺すことによって、絶望させることをトリガーにするなど、思いもよらなかった。
「お母さん、エリザさん、動揺よりも先に私たちは動かないと」
「ミシェール………」
自分の動揺を押し込めるミシェールは、腰に佩いている愛刀[FUGA]の柄にしっかりと手をかけていた。
歴戦の二人は、その姿に平静を取り戻す。まさかの不意打ちによる、八神恭也の死がらくしもない動揺を招いていた。しかし、やるべきことはこれからなのだと気を張り直す。
エリザはまさか自分がこうした立場になるとは思わなかった。生きて来た長さは二人の方が上とは言え、この年になってまでと。
「私は狙撃犯を追う―――おそらく[メイトヒース]だろうが、これ以上介入させるわけにはいかない」
エリザも恭也と同じ結論に達していた。シモでない限り、[メイトヒース]でしか有り得ないと。
デバイスを握り、反作用のない軽い動作で飛び上がると視認することのできなかった狙撃の軌跡を、ガルムが弾いた角度から逆算する。
残る形になったシモーヌは杖型デバイスの[X−TRAIL]を構えると、魔力を循環させ始める。
おそらく、記憶しているのはこの海鳴において片手の指で足りるほどしかいない。“闇の書”―――“夜天の魔導書”の所有者が引き起こす災害がどれほどのものなのか。シモーヌはスレインによって見せられている。そして、余剰魔力の簡易的な一時放出だけで病院の屋上を薙ぎ払った。あれは、人間で言えば呼吸でしかない。
「封鎖結界を展開します。ミシェールはその間の私の護衛を」
「はい」
ベルカが滅びてから500年。“夜天の魔導書”が本来の用途に供されていた時代を知る者はほとんどいない。管理局などはまだたかがロストロギアと侮っている。ジュエルシードとは格が違う。
シモーヌは魔力の循環に集中を高めながら、海鳴を囲うように設置した基部へとアクセスする。シモーヌはスレインのように媒介無しに広範囲に封鎖領域を発生させるほどの力はない。正確に言えば、“夜天の魔導書”が全力となった場合でも維持できる封鎖領域を発生させることができない。
集中の片隅。阻害されるほどもない余禄の思考。
シモーヌは、全力で尽力する恭也の無常を嘆いた。本人があの日語ったように「届かぬ、及ばぬ、間に合わない」ことばかりだ。不幸という言葉では語り尽くせぬ、呪いだ。
封鎖領域の展開準備が整う。せめてもの救いに、自分の夫が間に合ってくれることを祈るしか、今のシモーヌにはできなかった。
「――――展開」
「何が……起こったの?」
病院の駐車場まで退避したフェイトは、なのはに顔を向ける。なのはも状況を呑み込めておらず、ツインテールを大きく揺らして解からないと告げる。
「でも、ガルムさんが……ガルムさんが………」
「フェイトちゃん、あれは違うよ!」
熱を失っていく身体。朱に染める出血。物言わぬ骸へと変じた。
大切なモノ全てから別れを告げられた時の庭園の再来。八神恭也の死体はもう目の前にないのに、フェイトは今もそれを幻視したままでいる。恐怖の熱が網膜へ強烈に焼き付け、それしか見えない。
時の庭園での、死の間際の息遣い。心が砕けそうなほどの痛み。次々と蘇る中で、なのはの言葉だけがかろうじて聞こえる。
「あれは違うよ!」
何が違うのか、なのはにも解らない。フェイトにとってあの光景は“ガルムが死んだ姿”そのままだ。
「私、解かってたのに!解かってたのに!―――管理局に居ればこうなるかもしれないって!!」
顔を覆ったフェイトはそのまま崩れる。砂漠の戦いでガルムが出現したと聞いた時に、心臓が止まるかと思った。管理局に取り込まれる道を選んでからフェイトの意識の片隅に居座り続けた、その事実はガルムの敵に回ることになる悩み。
ずっと先送りにしていた。現実にガルムが敵に回る状況となってもなお、見ないふりをした。そして、今の状況こそがその代償。ガルムは、八神恭也は死んだ。寸分違わずフェイトのトラウマのトリガーが引かれ、爆発した。
「フェイトちゃん………」
かけるべき言葉をなのはは持たない。悲しいほどに人生経験が不足しているためだ。
ガルムの死はフェイトに責任はない。しかし、それは問題ではない。フェイトにとって目の前でガルムが死んだこと自体がトリガーなのだ。誰がは求められない。
なのはも自分自身が平静ではない。今回のガルムは高町恭也ではない。理由は解からないが、はやてにとっての大事な兄である八神恭也。またしても、兄は死んだのだ。フェイトと同じように時の庭園での死に様が甦る。
それでもなのはが取り乱さないのは、オリジナルである高町恭也はヨーロッパで生きていることを知っているからだ。けれども、なのははフェイトの取り乱しようが少し羨ましく感じ、慌てて打ち消す。
フェイトはここで潰させない。管理局へ取り込まれる時の考えを聞いたのだから、本当は大丈夫なはずだ。
「思い出して、フェイトちゃん」
膝をついて、崩れたフェイトと同じ高さになる。
「フェイトちゃん、私に言ったよね?―――管理局に入れば、お兄………ガルムさんと対立しちゃうかもしれないって。本当は解かっていたんだよね?」
全身をビクリと震わせて怯えるフェイトに、心の中で何度も謝りながらなのはは言葉を繰る。
ガルムと戦う可能性。この先、管理局に居れば同じように【幻月】のアバターと遭遇することになる。クロノを管理局の走狗であるが故に嫌うほど、ガルムは管理局を嫌悪している。今後もこういう形にならないにしても、ガルムの影は在り続ける。
多少でも厳しいことを言ってでも、フェイトにはそのことをはっきりと決着しておいて欲しかった。このままにしておけば、フェイト自身を不幸にしてしまうと思う。
「私ね、お兄ちゃんに聞いたんだ。フェイトちゃんのお母さん―――プレシアさんを助けるお兄ちゃん達の計画が失敗したのは、家から出なくちゃいけなくなったのは、私のせいなの?って」
フェイトがガルムとの対立を悩んだように、なのはにもトラウマはある。自分の選択が、発言が、行動が恭也を側から去らせてしまうことになる。かつて心ない言葉で恭也を傷つけ、恭也は失踪してしまった。因果関係は無かったかどうか、今でも解らない。それでも、恭也が去ったのは自分のせいだと信じ込んだ。
「お兄ちゃんは違うって、誰も悪くないって言ってくれたんだ………でもね、私はそれがどうしても信じられなかったよ。だって、お兄ちゃんは生きてるけど、家からまた居なくなっちゃった。ずっと一緒に居て欲しかったのに!」
感情がフェイトに釣られるように昂る。自制を聞かせることができない。気付けば、なのはも涙を流していた。
IFの話をするのであれば簡単だ。過ぎてしまった過去の何を変えることもできないが、思わずに居られない。もし、自分が魔法に関わることがなければ、ユーノの声に気付くことがなければ、もっと未来は違ったかもしれない。
恭也とカーマインのシナリオ通りに事は進み、フェイトはプレシアとの和解を果たして共にアルハザードへ行き、恭也もまた穏やかな日常をこの海鳴で過ごすことができた。可能性と言うにはあまりに惜しい、誰も不幸にならない結末。砂漠の戦いの後でガルムの登場に惑うフェイトへ言ってしまいたかった。自分が関わったせいだと。それでも、臆病だから言い出せなかった。
「なのは………」
「私もね、ずっと苦しいの。莫迦みたいかもしれない。私は、全部自分で壊しちゃったのに」
泣き濡れた瞳が見つめ合う。誰も悪くなく、悪意もなかったはずなのに結末は不幸になった。それを受け入れることは早熟な二人にもまだ難し過ぎた。
「違うよ、違うよ、なのは………なのはは悪くないよっ!」
怯えと恐れでぐしゃぐしゃの頭で考えて、でも理屈ではないんだと叫びたい。
なのはもフェイトも解っている。半年前の事件は誰も悪くなかった。結果だけを抽出してIFを語るのは簡単だが、各々がIF通りに動くことは無い。皮肉なことにそれぞれが最善と思い、努力を惜しまなかった結果があの結末。
だから、恭也は誰も悪くないと言った。二人の預かり知らないところで辛酸を舐め尽した恭也は、そういうこともあるのだと承知している。ガルムもそれで良いと満足して犠牲になった。
「解ってるよ………フェイトちゃんも、解ってるんだよ。私たちは一緒なんだよ?」
「うん、解ってる。解ってるけど、辛いよ………苦しいよ」
どちからともなく、二人は抱き合う。傷を舐め合っているのではなく、二人で居れば傷に耐えられるように。誰も悪くないという、まだ受け入れられないことを少しでも受け入れられるように。
なのはもフェイトも、それぞれ恭也とガルムへ誓った。
なのはは恭也が喜んでくれたなのはだけの信念を曲げないこと。フェイトはガルムを始めとした人達が捧げくれた献身の末に生きている自分が幸福を掴むのだと。
そして、二人は友達になった。結果的に同じように苦しみを味わったからではないけれども、大事な者を失くしてしまったから。
相手の苦しみは自分の苦しみ。
相手の喜びは自分の喜び。
雨が降っていて濡れるなら一緒に濡れよう。
傘があるなら一緒に入って雨を避けよう。
抱き合っていた二人は同じタイミングで離れる。涙はまだ零れるけれど、これ以上溢れることはない。
辛くても、苦しくても、繋いだ手があれば、抱き留めてくれる人が居れば、耐えられる。
「フェイトちゃん………まだ、解らないことは一杯あるけれど、私達は私達のできることをしよう?」
「そうだね………“夜天の魔導書”を止めないと」
ガルムの目的は解らない。それでも、はやてを護るために戦っていた。
事情はリーゼアリアとリーゼロッテに聞くしかないが、なのはとフェイトにとってガルム(=恭也)が護ると決めていることだけで、理由は十分だった。それに、はやては知らない仲ではない。
そして、口には出さないが、はやてもまた目前で兄を失ったことに共感を覚えていた。もしも、同じような状況に置かれれば、同じように願ってしまったかもしれないから。
「でも、それだけじゃ駄目だから」
「うん、私達はそれを知ってるから………」
大事な人の願いの先に立って生きることを。
男は、正義の味方になりたかった。
男の生まれた国は男がまだ幼い頃に起きた世界規模の戦争で被害を受けたが、幸いにして戦争そのものには勝利した。戦っていた悪の独裁者は死に、戦争に従事した兵士達は家族の待つ家へと戻った。
男もまた少年時代には、父親や赤ら顔でジョッキ片手の近所のおじさん達から如何に勇敢に戦ったのか、話を聞かされたものだ。酔っ払い、延々と同じ話を繰り返しても少年にとっては楽しい英雄物語だった。
悪の帝国を倒した正義の国と、正義の戦士達。そんな国に生まれた自分もきっとそうなれると単純に信じていた。
長じて軍人となった男は祖国から遠い地に出征した。
下等な三等国の野蛮人が国の経済を扼する手段に及んだ。反乱を起こしただけは飽き足らない行動に世論は沸騰し、軍隊が派遣された。たかが三等国の莫迦な野蛮人。次々に撃破されていく敵兵に、これこそ父親たちが戦った正義の戦いそのものだと喜んだ。
だが、それが傲慢な主義に染まった誤った考えだとは誰も指摘してはくれなかった。
指摘は無い。しかし、糾弾はあった。
そもそも、その戦っていた国は男の祖国が何度も騙し討ちにした挙句に支配した国だった。そして、彼らは父祖の代から受け継いだものをただ取り返そうと戦っていた。だが、それでは困る祖国が更に騙し討ちをかけていた。
つまるところ、外堀を埋めて侵略戦争を仕掛けたのは―――悪の帝国は男の祖国だった。
世界中が挙って祖国を非難した。卑劣な侵略者。それが、その尖兵たる兵士だった男とその仲間達に与えられたレッテル。
男はそんな莫迦な、とその話を受け入れなかった。そして、上官から撤退を告げられて事実であると知った。
何故だ、と。撤退まで毎日のように男は考え続けた。
祖国が続けた騙し討ち。
野蛮人どもの反乱。
様々なことがぐるぐると頭を回り続けたが、根底にあるのはたった一つ。
―――俺は、正義の味方じゃなかったのか?
クロノは本局の廊下を速足で歩いていた。もう何度も通ったことのある慣れた廊下だが、感慨を抱く余裕すらなくずんずんと進む。後ろには無言でいつものふざけた態度もすっかり潜めたリーゼ姉妹が歩調を合わせてついてくる。
言葉を交わすことは苦痛。クロノは何を聞いていいのか解らないし、聞いた時に冷静でいられる自信がなかった。リーゼ姉妹は答えることはできるが、できれば聞いて欲しくないと思っていた。
闇の書が起動し、排他的な結界の内側に籠ったことで現状手出しができなくなっていた。対策を検討するための時間が必要であり、その一つとしてクロノは共に重傷を負ったままのロッテとアリアを連れていた。
向かう先で決定的な話をしなくてはならないとしても、できる限りそれを先延ばしにしたいと。
ギルバート=グレアム提督の執務室。その扉の前には、クロノの見知った顔が待ち構えていた。
「ユーノ?」
「やぁ、クロノ。待ってたよ」
調査のためにアースラから離れていたはずのユーノがそこには居た。
格好は別れた時からそう変わっていないが、表情は憔悴しきっていた。例えるならば、締切まで時間がないせいで連日徹夜一睡もしていないのに残り3時間以内では到底完成させることができない漫画家のようだ。
けれども、どこか穏やかさを感じさせる。第三者視点から見れば憔悴しきっているユーノよりも、クロノの方が余裕はない。実際のところ、クロノもザフィーラの一撃を応急処置で済ませて駆け付けている。鳩尾付近からの鈍痛で今にも嘔吐しそうだったし、骨折も痛みを訴えている。
「待っていただと?」
「僕も、グレアム提督には聞きたいことがあってさ………クロノもこっちに向かっているって聞いたから一緒にと思ったんだ」
「そうか………だが、こちらの話を優先させてもらうぞ」
「いいよ、それで」
ユーノは事情も聞かずやけにあっさりと引き下がった。
本人が思っている以上に頭へ血の昇っているクロノは、インターホンの呼びだしボタンを押しながら、中の人が応じないようであればぶち破るつもりで[S2U]を起動させる。
《私は逃げも隠れもせんよ。入りたまえ》
モニター越しにクロノの姿を見ているグレアムは苦笑いを浮かべながら、ロックを解除して招き入れた。
執務室は以前来た時と何も変わらず、グレアムも椅子に腰かけたまま。本人が言うように逃げるような素振りは全くない。
「ロッテとアリアが一緒に居るということは、大方は発覚したようだな」
グレアムは失態を申し訳なさそうにするロッテとアリアに、気に病むことはないと頭を振る。
「―――何時からですか?」
主語を省いて、クロノは切り込んだ。最初の一言を何から切り出すか迷った挙句に決めたのがこれだった。
「“何時”から………そう問われると答え辛いな。半年前とも、十年前とも、五十年前とも言える。そんな顔をしないでくれ。私も事ここに至って君らをはぐらかすつもりなどないよ。だがね、私にとっての始まりが“何時”からと問われるとどうしてもこうなってしまう」
グレアムの言うようにはぐらかすような言葉に、途端に表情へ怒りと一匙の悲しみを浮かべるクロノ。
「聞き方を、変えます。提督の目的は、“闇の書”の封印………それで間違いありませんか?」
「ああ、間違いない。私は、それを目的に密かに動いていた」
「………これから僕が言うことは、状況証拠を積み上げた推理です。違う点があれば指摘して下さい」
グレアムは頷くことで承諾した。
クロノは緊張で乾いた唇を一舐めし、呼吸を一拍。
「十一年前―――正確には、休戦条約締結の予定日以降も続いたことを考えれば十年前のヨートゥン戦争が全ての発端だった。父さ………父さんの乗ったエスティアには回収された“闇の書”があった。ここから、提督が母さんに話してくれたように、“闇の書”の暴走によって艦隊のシステムがハッキングされ、虐殺が起こり、これを制圧するために………提督は、エスティア諸共に“闇の書物”を破壊した。しかし、“闇の書”は破壊されていなかった」
「その通りだ」
「提督は、“闇の書”が今後も災厄を引き起こす可能性に思い至った。僕が言うのもおかしいが、親友である父さんが命を賭して犠牲を最小限に収めたはずが、同様の事態が発生することを提督は許せなかった」
「その通りだ」
「そこから提督がどのような調査を行ったのかは、僕には解りません。これも僕の推測だが、“闇の書”にはマスターの選別能力があり、所有者が死亡すると自動的に選別された新たな所有者へ移るのではないかと思っています」
「鋭いね、クロノ。それ正解だよ」
三度目の応答は、グレアムではなく、ユーノから発せられた。
「大分苦労させられたけれど、“闇の書”―――正確には“夜天の魔導書”に関する資料が幾つか見つかってね。大破壊以前の記録だったから解読も骨が折れたよ。それでも収穫は十分だったけどね」
驚きに眼を見開くクロノだけではなく、アリアとロッテ、当のグレアムも驚いていた。
無限書庫から本当に必要な資料を引き当てたのかと。偶然でできる芸当ではない。
「この際だから“闇の書”で通すね。“闇の書”は自己保存のために、転生と呼ばれる特殊な能力が付加されていて、クロノが言うように自動的にマスターを検索し、所有者の死亡と判断した場合は最適と判断されたマスターへと転移するようになっているみたいなんだよ」
「自己保存?」
「そう、自己保存。そもそも、“闇の書”は僕らが思っているようなただのユニゾンデバイスじゃないんだ。ユニゾンデバイスは本質というよりも、自己保存に適していることと本来の目的に合致していることから採用されているだけで、本質はまた別のところにある」
「ユニゾンはオプション………そういうことか」
随分と無駄に豪勢なオプションだ。最大の問題点である適合者をデバイス自身が選別する機能があるとは言え、オプションにするのは壮大な無駄にしか感じられない。
「“闇の書”の本来の目的は、使い手が死ぬことで貴重な魔法が失われないように魔法とその理論を保存することにあったんだ」
「なん、だと?」
魔法を保存する。それは現代に生まれているクロノには理解し難いことだった。
魔法とは技術であり、レアスキルに頼ったものを除けば原則誰でも使用可能なものだ。それを保存するためだけにあれだけのものを作ったというのは、割に合わないだろうと思ってしまう。だが、ユーノの話を補強したのは、他ならないグレアムだった。
「彼の言っていることは本当だよ。大破壊から500年が経過し、管理局も次元世界を股に掛ける組織として安定した秩序を形成するに至っているが、その間にも失われた魔法や技術は数多くある。現に、古代魔法文明のロストロギアに、我々の技術はとてもではないが追い着けていない」
古代文明の魔法科学のレベルは現代とは比較にならない。ここ最近痛いほど痛感させられてきた。
「だったら、守護騎士達は保存された魔導書を護るために存在したのか?」
「そういうことだね」
「だが、それでは理屈に合わないだろう。ただそれだけの機能であれば、リンカーコアを介して魔力を強奪してくる必要性はないはずだ」
「そうだね………それが、多分、提督が今回の件に関わった理由。そうですよね、提督?」
回答権を投げられたグレアムは、ユーノは答えを知っていて自分に言わせようと察した。そこに意味を見出せなかったが、どの道話すつもりだった。
「私も全てを知っているわけではないが………本来“闇の書”の初期起動には膨大な魔力が必要になる。必ずしも適合者の資質に魔力保有量は含まれていなかったせいで、初期起動に必要とされる魔力を外部から確保しておく必要に迫られていたのではないかと推測している」
グレアムが知る限り、過去の所有者と目される人物達は一様にそれなりに実力のある魔導士だった。
クロノはそこまでの内容に納得し、話が少し逸れ始めていることに気付いた。この場が決して気持ちの良いものではないと百も承知で、そしてリンディには自分一人で行くのだと言い切った。ただ、情報を共有されているため、映像と会話はアースラから皆見ている。
この場でやるべきことは、グレアムがリーゼ姉妹を使って何をやろうとしていたのか、何故そんなことをしなければならなかったのかを暴くこと。
グレアムもクロノの目的は先刻承知。第三者であるユーノの眼から見れば、むしろそれを待っているようですらある。
「さて………本題には入った。ハラオウン執務官は核心部分へどう切り込むのかな?」
「貴方は、八神はやてが“闇の書”のマスターであることを最初から知っていたんですね」
搦め手も話術も使わない大鉈。自分達を騙していたことに対しての憤怒を瞳に宿しながらも、グレアムがこの状況で空惚けて言い逃れをするような人間ではないと信じ切っている。これから海千山千の上層部と渡り合っていくには実直過ぎるが、父親に良く似てくれたことを喜んでもいた。
「ああ、そうだ。私は最初から―――君らの考えているよりも遥か以前から彼女が“闇の書”のマスターであることを知っていたよ」
「遥か以前?それはいつからですか?」
「正確な年数でカウントすれば、5年前。まだ彼女が幼子だった頃からだ。エスティアを沈めてまで破壊しようとした“闇の書”は、しかし転生することで存在を保っていた。正直、転生の機能について知った時は愕然として、年甲斐も無くその場で嘔吐したものだよ。親友を殺してまで破壊しようとした存在の、そのおぞましさに」
執務机の上で組まれていたグレアムの両手に力を込められて震える。
「私は死に物狂いで転生先を探したよ。クライドのこともあってこれ以上前線に立つ気力もなくなっていたし、周囲もそれを容認してくれたことは幸いだった。今のように実質名誉職についたことで自由な時間も増えた。破壊した日から約1年後に管理外世界も含めた判明している限りの次元世界で出生した子供を片端から調べ上げたりもしたよ」
それでも見つからなかったが、と当時を思い返して徒労に苦笑いを浮かべる。クロノのみならず、ユーノでもぞっとする話だ。一体どれだけの数の子供を調査したのか。そして、それを短い期間でやり遂げたグレアムの執念の凄まじさ。
「だが、それでも見つからなかった。データ上に存在しない子供も対象に含めようとした時だよ、偶然にも“闇の書”の魔力反応をキャッチすることに成功した。それが5年前のことだ」
「5年前には既に“闇の書”は起動していた、と?」
「正確には違ったようだ。マスターを護るためのやむを得ない処置として、緊急の防御が働いただけだ。その時に何が起こったのかの詳しい話は、後になって知った。彼女は家族でレジャーを楽しんだ帰りに交通事故に遭い、両親を失い、自分も重傷を負ったと」
本当ならばはやても両親と同じように死亡していた。しかし、マスターを死なせるわけにはいかない“闇の書”の緊急防御によって九死に一生を得た。
「彼女には悪いが、私にとってはまさしく天祐だったよ。残りの人生を全て賭けてでも探し出そうしていた“闇の書”が思いの外簡単に見つかってくれたんだ。小躍りこそしなかったが、心底喜んだよ」
喜びを語りながらグレアムの表情には自嘲がありありと浮かんでいた。
小さな子供が重傷を負い、最愛の両親を失ったことを天祐と語る。下衆の所業だと自覚していた。だが、その気持ちは偽ることができない。リーゼ姉妹は当時、喜びのあまり落涙するグレアムを見ている。
「だが、そこで彼女をすぐに殺してしまっては意味を成さない」
転生機能で新たな所有者へ移るだけ。それでは徒労に終わる。次もこんな幸運に恵まれることなどまず考えられない。慎重に慎重を期すべきだ。
「まず、単純に殺す以外の対処方法を研究した。そして研究のために時間を稼ぐことと、監視下に置くことの一石二鳥を叶えるため、私は彼女の後見人になることにした。彼女の次元世界は私の故郷でもある。どんな国でも、小さな子供をそうそう簡単に引き取ってくれる奇特な人間が居ないことは承知していた。私が後見人となり、生活費を陰ながら工面することで容易に監視下に置くことができた」
伯父に当たる人物が居たことは誤算だったが、幸いにも問題とはならかった。
「結論から言えば、研究の成果は芳しいものでは無かったよ」
「“闇の書”を破壊する方法は見つからなかった………」
「君の言う通り、そう都合の良い方にはならなかった。まず、ユニゾンデバイスを破壊する方法が無いということが問題だった。適合者の死後、剥離したユニゾンデバイスを破壊することは可能だが、自動的に転生してしまう“闇の書”にはそれができない。転生機能自体を止めるためのプログラムへの干渉は古代文明のプログラム解読から始めなければならず、これも到底不可能。他にも方法を考えたが、どれも不可能だった。流石は、ドクターユニバーサル作のデバイス。憎たらしいほどに隙がなかった」
ドクターユニバーサル―――フォルテ=クリストフォリ。古代文明最高の魔法科学者。古今無双という言葉がこれほど合致する人物もいないが、その名前がこの時ばかりは憎くてならない。今思い返しても腸が煮えくりかえりそうだ。
「破壊できない場合、ロストロギアは封印するのが規則ですよね?」
遺跡発掘に携わるユーノもよく知ること。ただ、多くの場合は破壊できないか、破壊した際の危険性が未知数のためロストロギアは封印されることになる。
「その通りだ。私は、破壊できないのであれば封印するための研究にシフトした」
「莫迦な!剥離できないユニゾンデバイスのロストロギアなら、マスター諸共封印するしかないはず!?」
「だが、それで“闇の書”という多くの犠牲を齎した悪しきロストロギアの脅威は去る」
グレアムの非道に激したクロノに、グレアムは切り捨てるように現実を突きつけた。
「クロノ、“闇の書”がどれだけの人を死に追いやってきたのか、知っているのか?“闇の書”に限らず、ロストロギアがどれほどの災厄を撒き散らしたのか、真実把握しているか?―――私は長い間、管理局に勤め、そんな人々を正直言って腐るほど見て来たよ」
だからこそ、管理局は断固としてロストロギアを管理するべく戦ってきた。時には嫌われ、時には襲撃されながらも、それが結果的に多くの人々の安寧を築き上げるのだと信じて。
その理屈にクロノは口を噤むしかない。グレアムに言われるまでもなく、それを信念として懸命に努力を重ねて今日まで働いてきたのは他ならないクロノだ。
「痛くも無い腹を探られるのは本意ではないから、これも先に言うが私は“闇の書”が憎い。“闇の書”に汚染されながらも最後まで抗い、自分ごと葬るように進言した時のクライドを、私は片時も忘れたことがないっ!クライドの友であったこと、共に轡を並べて戦っていたことを、誇りに思った―――っ!」
グレアムは我知らず目頭が熱くなった。ボロボロになりながら、死力を尽くしたクライドの最後の姿を思い返すことはずっと避けていた。こうなることが解っていたから。
「だが、クライドはあそこで死ぬべき男ではなかったはずだ!君やリンディの元へ帰るべきだった!」
“闇の書”の暴走さえなければ、きっと無事に帰還できたはずだ。
そう語るグレアムに、クロノも、ユーノも、リーゼ姉妹も当てられてしまう。親友をその手に掛けてまで、任務を果たしたグレアムの心中を察することなど誰にもできない。十年間ずっと抱えて生きて来た罪悪感との戦いが言葉となって、迫る。
「私とクライドの戦いはまだ終わっていないんだよ、クロノ。アルカンシェルでエスティアを葬った時からずっと続いている。そして、私はようやく終わらせられるところまで来た」
「封印するためには、一度“闇の書”に正式起動をしてもらう必要がある」
ユーノの指摘をグレアムは肯定する。正式起動することで“闇の書”ははやてに根付く。そこを永久凍結させることで、はやて自身を限りなく死に近い状態へ追い込み、転生させない。それがグレアムの研究成果だった。そのためにリーゼ姉妹を使い、一刻も早く“闇の書”が正式起動できるように蒐集の手助けをしてきた。
「そんな終わりを納得できるか!―――“闇の書”に偶然選ばれただけの八神はやてに何の罪がある!?」
「罪は、無い。百も承知だ」
「それは違法だ!貴方のやっていることは、起きてもいない犯罪に対して容疑者を無理矢理仕立て上げることが許されるものか!!」
「何で解らないんだよ、クロスケ!そんなことを言っているから、クライドは死ぬしかなくなったんじゃないか!!お前の言う法を遵守していたら、第二、第三のクライドが出てくるんだぞ!?」
「クロノ、私達もお父様も自分達の行いをちゃんと理解してるつもりだよ。それとも、クロノはもしも自分がお父様の立場になっても平気なの?リンディや私達、エイミィを殺さなきゃ法を遵守できなくなるまで追い込まれてもいいの?」
“闇の書”とは元来そういう存在なのだと。法を護っていては、救われるべき人達が救われなくなってしまう。その事実の前に、グレアム達は法を捨てることを選んだ。後世に大悪人と謗られようとも、クライドの死に報いることだけではなく、管理局において長年貫いてきた使命を果たすため。
「それが貴方の正義なんですか、提督ッ!」
法の執行者であることを優先し続け、そのためには母ですら見捨てる選択もすると言い切ってしまったクロノにはどうしても受け入れられない。同時に、自分の方が非人間的だと認めている自分がどこかに居る。
法と人。法は人を護るためにあるはずなのに、その法が機能を果たさない時、それでも法を遵守しなくてはならないのか。クロノには判断を下せなかった。だから、正義であるのかを問うことしかできなかった。
「そうだ………これが、私の選んだ正義だ」
50年前に味わった正義の挫折。そこからずっと悩み続け、今も悩み続けて選んだ正義。
「両親を失い、兄を失い、新しい家族すら計算の内に弄ばれた9歳の少女を、永遠の孤独に封じ込めることがですか!?」
善悪の前に、最早感情論でしかない。クロノらしからぬ問い掛けは、少年のどうしても納得できない想いの表れなのだ。
何故、八神はやてだけがこんなにも割を食うのか。不幸に負けないよう、強く生きて行こうとしていた少女を犠牲にすることを正義などと呼んでいいはずがない。
「答えて下さい、提督!―――僕らが護るべきは、彼女のような存在のはずだ!」
「私も、彼女が悪くないことなど解っている……解っているのだよ」
その返答はあまりにか弱かった。抽斗から出された写真と手紙。“あしながおじさん”であるグレアム宛の、はやてからの手紙。グレアムへの感謝と、新しい家族が出来た喜びに満ちた文面。守護騎士達と一緒に映った幸せそのもののはやて。
「それでも………それでも………私は、やらねばならない。この先、地獄が本当にあるのであれば、私は喜んで堕ちよう。だが、これだけは果たさねばならんのだ」
八神はやてという少女の真摯さに心打たれないほど、腐ってはいない。罪悪感も、人間味も失っていない。だからこそ、永久凍結に踏み切ってしまうのは皮肉としか言いようがない。
手紙を読んだ彼が思い留まらないような人間であれば、クライドもリンディも親交を持たなかった。優しさと強さを持った紳士であり、クロノが父と同じように憧れた人だ。
「何故ですか、提督ッ!」
説得なのかクロノにも曖昧だが、問い掛けを止められない。
やり場のない感情が溢れだしそうだ。けれども、それが不思議と涙という形では出てくれない。奥歯を砕けそうなほど食い縛るしかない。
いよいよ夜天の書が覚醒するか。
美姫 「現場は置いて、とりあえずはクロノによるグレアムへの追求ね」
こちらの決着は気になる所だが、同時に現場も気になってしまうな。
美姫 「エリザたちの動きもあるしね」
入り混じった状況で、どんな流れになるのか。
美姫 「次回も楽しみに待っていますね」
待ってます!