『聖りりかる』
第壱章 〜騒乱の間劇〜
如何に望達の周りで厄介事が渦巻いているとはいえ、毎日が騒ぎに直結している訳ではない。
彼らの日々にも確かに『隙間』は存在するのだ。
《……だからよ、俺が言いたい事を要約したらな?》
「愛娘が可愛いんだろ。…今、お前の出した話題が合計七。その中から要約した話題で同じ結論に達した話は実に五だ。これに対して何かコメントは?」
場所は高町家に用意された望達の部屋。宙に浮かぶ四角い画面から際限無しに掛けられる声に、いい加減ウンザリだと言わんばかりの望が声を張り上げた。
《俺の事をよく分かってる証じゃないかノゾム。俺の中で株が少しだけ上がったぞ? まだまだユーフィーを嫁にやる事は出来ないがな!》
「ありがとよ。俺の中じゃもうお前の株の上場は廃止されてるけどな」
《ストップ安すら突破かい。なんかユーフィーがミューギィの奴に入れ込んでからこっち、お前どんどんドライになってないか?》
望の冷めた眼差しを飄々と受け流し、画面内の青年が肩を竦める。不意に、不機嫌そうに机を指で叩いていた望が真剣な顔つきで画面に向かって尋ね事をした。
「で、ユウト。わざわざこんな回りくどい六次元干渉型の遠距離通信なんか使って俺に連絡を取ったんだ……用事、そんだけじゃないんだろ?」
《いや、ただ単にユーフィーがなかなか帰って来ない事に対する愚痴だ》
ぶちん
〜〜〜〜〜
「……ったく…」
静寂を取り戻した部屋の中、望は呆れながら通信用に調整されたパーマネントウィルを懐にしまう。
パーマネントウィルには神剣使いの能力を高める他に、単体としての事象を引き出す力がある。望が今しがた使用していた通信はその応用であり、ナルカナが独自に開発したツールだった。
「…未だによく理解できないな……どうやって稼動してるんだ?」
ふと、懐にしまった先程まで通信ツールとして運用していた物を取り出す。複雑な意匠の金属の台座に、複数の宝石や結晶らしき物体………パーマネントウィルが埋め込まれたソレを掌で転がしながら、何となしに呟いた。
「だーかーらー、『高みの眼鏡』で対象を捕捉して『遠方の光伝』を通信機能に応用させるのよ。その時に『内なる光輪』で画面出すと如何にも会話って感じするでしょ? …んで『二元を分かつ門』を使ってリアルタイム通信を実現すると同時に機密性も保持するワケ。おーらい?」
「……その前になんで鍵かけた部屋に入れたのか教えてくんないかな」
先の通信でツッコミの気力を根こそぎに持って行かれた望は、肩を落としながら無駄に終わるであろう質問を横から凭れかかって来るナルカナに繰り出す。
「愛の力は偉大らしいわね」
「……」
何の説明にもなっていない事にガックリと肩を落とし、大きな溜息を零す。
「ほらほら、望もそんな顔しない! 溜息は幸せが逃げちゃうんだから」
ふて腐れた望の頬をつつきながら、ナルカナが苦笑気味に望へ話し掛ける。それでも望の機嫌は戻らない。
流石に困ったナルカナが、仕方ないとばかりに望の右頬に手を添えて、
「ナルカナ様の元気の源だよー♪」
そう言ってナルカナが先程までつついていた望の左頬に唇を近付け、
「やらせないの」
いつの間にか反対側に鎮座していたなのはが差し出した掌へと、軽く口づけをした。
「むぅ……邪魔しちゃダメじゃないの」
この部屋のセキュリティに対して真剣に疑問を持ち始めた望を尻目に、ナルカナが可愛いらしく頬を膨らませる。対したなのはは何処吹く風と言わんばかりにごろごろと喉を鳴らしながら望の胸元に顔を埋めた。
「うみゅー……♪」
幸せそうに鳴くなのはに対抗すべく、ナルカナも望を後ろからぎゅっと抱き込んで髪の毛に顔を埋めた。
「…ちっちゃい望の匂いだぁ……♪」
その言葉を最後に、部屋の中に静寂が流れる。もうどうにでもなれと望は思考を放棄し、二人にその身を預けた。
ヴンッ
《言い忘れてた。ノゾ…
ぶちんっ
〜〜〜〜〜
カチャリと、カップをソーサーに置く音が微かに響く。
「……なるほど、つまり霊脈の整理と澱みの浄化を同時に行う。と?」
僅かな沈黙を破り、月村 忍は相対したイルカナに確認を取る。イルカナが月村の屋敷に訪れたのは、ほんの小一時間ほど前。挨拶もそこそこに彼女が切り出したのは、この地に滞留した氣を正常化させる為の作業の許可を得ると言ったものだった。
「そうなります。幸いにしてこの地には大きな歪みなども無く、すぐにでも取り掛かれるでしょう」
穏やかにイルカナは返し、逆に忍は眼を細めた。海鳴の地を治める身としては、如何にして譲歩と対価を突き付ける事が出来るのか、これからが本番だ。
「……そちらの言い分を見る限りだと、私達のメリットばかりが目立ち過ぎるわ。月村としてはもう少し詳しい所を聞かせて頂きたいのだけど?」
その言葉を受けたイルカナは笑みを一旦引っ込め、あくまでも事務的に告げた。
「ジュエルシードの発動の抑制と、悪性の霊的現象、及び存在に対する長期の予防策」
「それがメリットね。デメリットは?」
「土地の安定化に伴う発展性の難化。文化、経済停滞の可能性」
「詳細」
「運営方針の転換に際しての障害。特に大転換の際には破綻の可能性も此処に示唆しておきます」
「対策」
「浄化の際に純粋なエネルギー結晶を構築。その一部を託しますので土地に利用すれば問題無いかと」
「危険性」
「貴女達次第です」
「見返り」
「他言無用。機密保持で」
そこまで言って、初めて忍は相好を崩した。肩から力を抜き、改めてイルカナに右手を差し出す。
「成立ね。早速でも構わないわよ」
「ありがとうございます」
イルカナもそれに応じ、その笑みを深める。握手を終え、イルカナはティーカップに手を伸ばした。
「……にしたって、貴女みたいなコが此処まで交渉できるとはねー…」
感心した様に呟く忍に少し子供っぽく笑いかけ、イルカナは言った。
「デキるオンナって憧れなんですよ。それに…」
「?」
「仕事しないと左遷されちゃうので」
そうやってぺろっと舌を出し、悪戯が成功したような小悪魔的な表情を浮かべた。
「ふーん……?」
カチャリ
〜〜〜〜〜
忍達が交渉に勤しむ屋敷の下の階では、張り出したテラスから庭で戯れる猫を眺めるアリサとすずかの姿があった。
「ねえ、すずか」
マナーとしては少し悪いが、テーブルに肘をついたアリサが庭に視線を固定したまま向かいの少女に問い掛ける。応じた少女も庭から視線を動かさずに答えた。
「何?」
「アタシ達………空気じゃない?」
「言っちゃダメだよ」
にゃーにゃー
〜〜〜〜〜
薄暗い空間が無限を思わせる広がりを見せる。所々に神秘的な立方体が浮き、淡い燐光が降り注ぐ樹の根は脈打つ様に青白い光を胎動させていた。
そんな静謐さを湛えた空間に、女性の声が木霊する。
「ああもうっ! ココも混線してるじゃないのよ、面倒ね!………ケイロン!!」
「御意!」
「完・全・分・解! はああぁぁッ!!」
赤みがかった長髪の少女……沙月の掛け声と共に放たれた“ディスインテグレート”が情報の澱みを分解し、続くケイロンが放つ“マーシレススパイク”が途切れた情報網を正しく繋ぎ直す。
「っし! …少し休憩しましょうか、パーマネントウィルも随分と疲労してきたし」
「そうですね。では」
沙月が提案し、樹の幹らしき物に腰を下ろすのを確認したケイロンは、その身から鈍く輝く宝石を取り出し、すぐ傍にあったマナの涌き水の中にそれを浸ける。すると宝石が淡く輝き、内部の澱みが浮きだして来た。その澱みは涌き水の流れに押され、涌き水溜まりから押し出される。ぼんやりとその様を眺めていた沙月が、ぽつりと呟いた。
「……ココに来てからどのくらい経ったのかしら?」
「私の主観では二十四時間を一日と換算し、約三十日前後かと」
ケイロンが沙月の疑問に律儀に応え、何処から取り出したのか湯気の昇るコーヒーカップを沙月に渡す。
「ん、あんがと」
ケイロンから受け取ったコーヒーを一口飲み、落ち着きを取り戻したのか先程までの弱々しさは鳴りを潜め、段々とその眉が釣り上がって来た。
「…一ヶ月よ、一ヶ月。ココに来てから一ヶ月……私は望くんと会ってないの。軽いスキンシップ的な接触も、ちょっとした嬉し恥ずかしハプニングも無ければしっぽりイベントも一切無いの。会ってないんだからそんなの当然でしょとか言われたらそこまでなんだけど私が不満を感じるのは当たり前の事象であって今私がココで愚痴っても望くんが来てくれる訳でもなくましてや作業が終わらないうちにこっちから会いに行こうものなら約束破りの女だって思われるだろうしナルカナに笑われるのだけは断固として許す訳には行かず望くーん!!!!!!」
「沙月、落ち着いて下さい。」
途中から息継ぎ無しでまくし立て、最後に沙月がシャウトしたタイミングを見計らい、間髪入れずにお茶請けのクッキーを出すケイロン。沙月がぜえぜえと息を荒げながら差し出されたクッキーを掴むとバリボリと咀嚼する。
「まあ、外側の構造を変えるだけで随分と中身も改善されてるみたいだし…結構早くに終わりそうね」
「ナルカナ殿の観測機も問題なく動いていますし、外側も後三割を切っています」
ケイロンの言葉を受け、沙月が軽く屈伸を始める。光輝を軽く振りながら、ケイロンの方へ向き直った。
「さってと! パーマネントウィルは……もう暫く掛かるか。ケイロン、『マルツの松脂』を!」
「御意!!」
キィン!!
〜〜〜〜〜
「ノゾムよ、かれこれ此処に厄介になって随分と経つが……」
「まぁ、自分でも馴染み過ぎだとは思ってるけどさ」
レーメの言葉に苦笑しながら床に布団を敷いていく。そんな望の返事にレーメは軽く首を振り、そうではないと訂正した。
「あの時から少し……ノゾムは根を詰めすぎなのだ。今日とてユウトが連絡してきただろう」
「…………まあ、な…」
少しバツが悪そうに頬を掻き、レーメから視線を外す。どれだけの時を経ても、やはり少しだけ残る子供っぽい一面に、レーメは優しい笑みを零した。
「汝は既に忘れてるやも知れぬが、吾らの本来の目的は休憩だったのだ。少しぐらい、こんな日があっても良かろう」
そう言って、優しく望の頭を撫でる。以前はそのサイズ差から、満足に行えなかった事だ。そんな今までにされなかった行為に若干の新鮮さと嬉しさ、そして僅かな気恥ずかしさを感じながら、望は蛍光灯から下がった紐に手をかける。
「あぁ……とにかく、今日はオヤスミだ。先輩と合流したら、本格的にのんびりしようぜ」
「うむ! また明日だな、ノゾム!」
「レーメも、おやすみ」
パチパチっ
如何に望達の周りで厄介事が渦巻いているとはいえ、毎日が騒ぎに直結している訳ではない。
彼らの日々にも確かに『隙間』は存在するのだ。
暗い室内に、少女の悲鳴が響き渡る。同時に聞こえる、鋭い打撃音。さらにその不協和音に上乗せされるのは、妙齢の女性の苛立った声だった。
「……全く………貴女は! この! 私の! 娘、なのよ!!」
一音を区切る毎に鋭い音が重なっていく。いつしか少女の悲鳴は聞こえなくなっていた。しかし、依然として打撃音は止む気配が無い。
「こんな! 不様が! 許される! 訳が! ないでしょう!!…………あら…」
言葉を区切った所で漸く、女性はフェイトが失神している事に気が付いた。
「………………」
バヂィンッ!!!!
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」
気絶したフェイトに女性が先程まで使用していた鞭を巻き付け、魔力の電撃を流し込み覚醒を促す。容赦の無い電撃にフェイトは堪らず覚醒し絶叫するも、電撃は止むことなく断続的に続いていた。
ビクンッ! ビグッビクビクッッ!!
気絶と覚醒を際限なく繰り返し、それでも電撃は止まらず、やがて生体電流が狂い始めたのかフェイトが泡を吹きながら白目になる。心音が不整に脈打ち、ショック症状を引き起こすかといった頃に、やっと電撃は止まった。フェイトの足元を見れば、そこに盛大な失禁の跡が見て取れるも、そのような瑣事などこの女性の眼中には一片たりとも映っていない。
バインドによって空中に磔にされ、ぐったりとしたフェイトの頬を叩き、その顎を掴んでフェイトの顔を正面に向かせる。
「フェイト? 貴女はこのプレシア・テスタロッサの実の娘なの………失敗は、許されないのよ!」
「…………はい……母さ…ん………」
呂律の回らない口でやっとそれだけを搾り出すと、プレシアは満足したのかフェイトを拘束していた陣を消す。 次の瞬間にはフェイトは糸の切れた人形の様に自らが広げた汚物の水溜まりに倒れ伏した。
〜〜〜〜〜
「ごめん…ごめんよ……フェイト……フェイトぉ……………」
プレシアがフェイトを折檻していた部屋の外で、アルフが涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら必死に謝っていた。
去来するのはあの夜、自分を散々に痛めつけたあの少年。
―――話を、してくれないか?―――
何故、あの手を払いのけた。
決まっているだろう。 敵に情けはかけられたくなかったからだ。
何故、話をしなかった。
決まっているだろう。 それは紛れも無い屈辱だからだ。
そのプライドは、果たして主の命よりも大切だったのか。
―――――ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!―――――
「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
最後に去来した問いかけに覆い被さるように聞こえた悲鳴に耳を塞ぎ、未だに止まらない涙を流す瞳を閉じる。
「ごめん…ごめん…ごめん…ごめん……ごめん………ごめん…………」
もはや何に対する謝罪なのかも分からずに、ただその言葉だけを繰り返す。
滑稽なまでに、憐れな程に。
〜〜〜〜〜
「…………っ……はっ!?」
プレシア・テスタロッサが自室に戻った瞬間、その頭を抱え込む。
「私…は…何を………?」
思い出せない、自分が何をしていたのか。
「…そう言えば、今日はフェイトが帰って来る日だったわね」
ふとサイドテーブルに視線を遣ると、フェイトがお土産にと買ってきてくれたのであろう、小さなケーキボックスが鎮座していた。
「……そうか、疲れたから寝るって言ってたんだっけ」
フェイトが持ってきてくれたお土産を一緒に食べながら、色々な話をしたかったが……本人が疲れてるなら仕方ないと、それを諦める。
「……次はいつになるのかしら」
ふとそんな事を思いながら、ちゃんと娘と話せる機会を窺いながら、プレシアは箱の中に入っていたシュークリームを一口かじった。上品な甘味が口に広がるのを感じながら、それでも一抹の物淋しさは拭い切れない。
「一緒に……食べたかったわね…」
そう寂しげに呟くプレシアの胸元には、淡い燐光を放つ青白い紋様が刻まれていた。
そうして、親娘は擦れ違う。
のんびりとした日常を送る望たちとは違い、他の人たちは大変そうだな。
美姫 「沙月は一人で頑張っているわね」
まあ、少しぐらい叫んでも良いじゃないかとは思うな。
美姫 「で、何より気になるのが」
だな。プレシアの豹変というか、態度の違いだな。
美姫 「これが一体、何を意味するのか、よね」
ああ。続きが気になる所。
美姫 「次回も待っていますね」
待ってます。