『聖りりかる』
第4章 〜会合、高町家〜
「しかし…運命とはどう転ぶか分かった物ではないな」
通されたリビングのソファーの上でクッションを抱えながらレーメがポツリと漏らした。その呟きに、望は軽く頷いて応じる。
リビングまで案内してくれた美由希が座る様に二人に促したが、望の方はは丁重に断っていた。
なのはを背負っていた望はソファーが汚れる事を善しとせず、その結果として所在なげに立ったままとなったのだ。
あの後、家に入ろうとした段階で望はなのはを降ろし、結果としてなのはの失禁が桃子達に露見してしまう。その事実を受け、士郎と恭也が修羅から鬼神へとクラスチェンジを遂げるが、桃子(ゴーゴン)の眼光により二人は石像と化し、弁明もそこそこに桃子に連行されて行った。
なのはは桃子に言われて風呂へと向かい、望とレーメは高町家長女である美由希に家の中へと案内され、現在へと至る。レーメは出された紅茶を飲みつつ美由希に軽く経緯などの説明をし、望は腕を軽く組みながら待っていると、程なくして桃子がリビングへと入って来た。
「あ、お母さん」
美由希が思わず反応を示す。立ち上がろうとするレーメを手で制し、桃子は二人に微笑みかけた。
「ごめんなさいね、待たせてしまって」
「いえ、お構いなく」
謝罪の常套句であるやり取りもそこそこに、桃子は小脇に抱えた衣服を望へと差し出して来た。
「…これは?」
「なのはをおんぶしてたのでしょう? 今、貴方が立っていたのだってウチのソファーが汚れる事に遠慮してたから…違うかしら?」
桃子は的確に望の考えを見抜く。
「だからその服、洗濯しておきたいの。着替えて貰えるかしら?」
決して強すぎる押しではなく、かと言って弱すぎる意思表示ではないありふれた自然な笑顔。元々、望自身も濡れ湿った服を着ていて気分の良い物ではなく、素直に好意に甘えて衣服を受け取った。サイズがだいたい合っている事から、大方あの長男のお古だろうとアタリをつける。
すると桃子はレーメへと向き直り、
「ついでに貴女のも洗っちゃいましょう。着替えならちゃんと有るから」
そう言って望と同様に、美由希のお下がりであろう服を差し出す。
レーメもこれに素直に応じ、二人して着替える事となった。
二人が着替え終わると同時に、リビングに士郎と恭也が姿を見せる。二人は望を見遣ると、今日何度目かの謝罪をしてきた。
「先程は失礼したなごめんなさい」
「つい熱くなりすぎた。許してほしいごめんなさい」
「……謝罪については別に何とも思ってませんが……どうしたんですか?」
訝る望がつい二人に問い掛ける。
「「何でも無いさごめんなさい」」
そのあっけらかんとし過ぎた応対に、望は追求を諦めた。恐らくアレは開けてはならないタイプの箱だ。長年かけて培った望の危機防衛本能がこれでもかと悲鳴を上げている。
「……分かりました。では」
望は佇まいを改める。
「自己紹介をさせて頂きます。俺の名前は世刻 望……こちらは俺のパートナーである」
「レーメだ。よろしく頼むぞ」
言葉の先をレーメが引き継ぐ。一方の士郎たちもその紹介を受けて己を改め、
「高町家の亭主、高町 士郎だ。よろしく頼むごめんなさい」
「長男の高町 恭也だ。先の無礼、重ねて謝罪させて貰いたいごめんなさい」
「高町 士郎の妻、桃子です。娘を連れて帰って頂きありがとうございました…こちらも改めて感謝させて下さい」
「改めまして長女の高町 美由希です。よろしくお願いします」
美由希は若干苦笑い気味に自己紹介する。
望もつられそうになりながら何とか口元を引き締めて、桃子の出方を伺った。
徐に桃子が口を開く。
「少し、質問したい事があります。よろしいかしら?」
その一言に、空気がピリッと張り詰める。望はそれを肌で感じながら頷く事で先を促した。
「娘を助けて頂いたそうですが……あれだけの恐怖を刻みこむような直接的脅威は、この海鳴にはそうそう無い筈………主人の元々の仕事柄、そういった事に我々はある程度精通しているという自負があります」
桃子のその言葉に他の三人も剣呑な目つきになる。それを見ながら望は、やはりこの人達は荒事に馴れているんだなと、少し場違いな感想を抱いていた。
桃子は一息置いて、
「この街の情報網をかい潜り、子供に危害を加えかねない脅威が近付いた。もしその脅威の正体をご存知でしたら、是非とも教えて頂きたい………まずは、それが一つ目の質問になります」
探るような桃子の目に、望は言葉を選ぶ。
「その質問ですが、此方も確信が持てない為に明確な回答を提示することが出来ない。と答えさせて頂きます」
「それは何故だね?」
その望の回答に、僅かに殺気を込めながら士郎が問いを重ねる。
「今回、そちらのお嬢さんを襲った脅威。その正体を俺達は知っています。しかし、それが人を襲う事はまず有り得ない」
含めるような望の言い方に士郎は眉を潜める。言葉を選ぼうと唇を濡らした矢先、恭也が激昂した。
「ふざけるな! 現実問題としてこっちは家族が襲われてるんだぞ!!」
話し手の一挙動がすべてを握ると言っても過言ではない直接交渉の場において、この対応では失格も良い所である。だが、恭也の言い分が最もであることも否めない………大切な家族、しかもこれからが肝要な時期である末娘が襲われ、トラウマになってもおかしくない恐怖を刻まれているのだ。
そんな危険な存在の正体を知りながら、その札を晒さずにただ伏せる。被害を被った家族としては到底許容できる物では無かった。
望は恭也の激昂を冷静に見ながら、これからの対応を考える。ある程度話の骨子が組み上がった所でふとレーメを見た。視線に気づいたレーメは、何も言わずに首を縦に振る。元々の尊大にも受け取られかねない口調も相まって、レーメの交渉術は場合を選びすぎるのだ。
全て汝に任せる、と目で語ったレーメは何も言わずに静かに眼を閉じた。
さて、此処からが本番だと望は自らに気合いを入れ直す。どこまで手札を晒し、どれだけ相手に組み上げさせて信憑性を持たせるか………そこが今回の鍵となる。
………永きに渡る旅の中、最初から全ての手札を晒す事の愚かしさを望は知り尽くしていた。
「…それを皆さんに話すには、まず“ある事象”を認めて頂かなければなりません」
真剣な望の様子に、激昂していた恭也も冷静さを取り戻す。
「……聞いてから判断しましょう」
桃子が答える。
その回答に望は頷き、そして口を開く。
「―――皆さんは“魔法”の存在を信じますか?」
「………“魔法”?」
「ええ、よくお伽話やファンタジーなんかで語られる『不思議な力』といったイメージを抱くあの魔法です」
「……ふむ、続けてくれないか?」
士郎が思案顔になりながらも先を促す。
「今回、お嬢さんにその魔法の力が襲い掛かったのです」
若干の戸惑いがありながらも、高町家の面々は一応の理解を示した。
「…なるほど? で、先程の“人を襲う筈が無い”というのは?」
恭也の問いに対して、望はレーメへと視線を送る。
「レーメ」
「うむ」
服から外した小さなポーチの中から、先程拾いあげた宝石の様な結晶を取り出す。
「それは?」
士郎の問いに望は簡潔に答える。
「まあ、端的に言ってしまえば魔法の電池みたいな物です」
レーメが取り出した結晶を受け取り、しげしげとそれを眺める士郎。不意に結晶を机に置くと、独白する様に呟いた。
「そうか……で、話の筋から察するに…この魔法の電池とやらが、娘に牙を剥いた訳だ」
ヒュカッ!
唐突な風切音。桃子が慌てて士郎の方を向く。
そこには、何時の間にか取り出した脇差を机に突き立てた士郎と、これまた何時の間にか士郎から結晶を取り上げた望が睨み合っていた。
「……『電池』とは語弊がありましたね。ガソリンのような、危険を伴うエネルギー源なんですよ」
「…失礼したね。私も中々に血が上っていたようだ」
そう言いながら脇差を仕舞う。剣呑な目つきを更に細めて、士郎は望を試す様に尋ねた。
「ふむ…私からこの流れのまま、ひとつ尋ねる事としよう。今の動き、私ですら捉え切れなかった。先の玄関での動きもそうだ。軸線のぶれない歩方、己の肉体を知り尽くした上での格闘術、我々の闘気を理解しながら行動の直前まで外見相応の受け流しを完璧に行う演技力……大凡君のような少年がそれだけの行いを見せる事など、まず有り得ない事を私は知っている…………君は一体何者かな?」
「……それは…」
答えに詰まる。この場面において逡巡とは最もしてはならない悪手だった。だが、この事態そのものが望にとっては今までに未経験である。
望が答えあぐねていると、横からレーメの思わぬフォローが入った。
「それは汝等がまだ知らぬ領域に吾らがいる。それだけの話だ」
士郎の表情に疑念が灯る。
「私もそれなりに『裏』に通じている。先程に家内が述べた通りにね」
その士郎の言葉にレーメは薄い笑みを浮かべる。
「汝の言う『裏』に魔法の様な力があったか?」
その返しに、士郎は言葉を失う。
「汝の言う『裏』と、吾らの“裏”はその方向性が全く違うのだ。少なくとも、吾らは吾らの“裏”で生きてきた」
そう言いながら、レーメは冷めた紅茶を口にした。紅茶以上に冷めたレーメの瞳から察するに、彼らの“裏”も相当な重さを持っているのだろう。その幼き姿に到底似合う事の無い、極寒を超えた虚無の瞳。その眼差しに桃子は、士郎が一度だけ見せた事のある絶望の表情を垣間見ていた。その絶望を以って尚、口元に浮かべる微かな笑み…………そんなレーメを、桃子はもう見ていられなかった。
「……貴女達は…」
桃子が何かに耐える様に俯きながら口を開く。
「…貴女達は、その生き方で…いいの? そんな生き方で…構わないの?」
「“いい”と言う尋ね方がそもそもにおいて間違っておるな。 吾もノゾムも、元より望んだ上でこの道を歩んでおる。他の誰でも無い、ノゾムが選んだ道だからこそ、吾も胸を張ってこの道を誇る事が出来ておるのだ」
その言葉に、桃子は縋る様に望を見遣る。
だが、悟る。
望の瞳を見た瞬間…悟って、しまう。
疲弊し、傷付いて尚、己の目標へと至らんと足掻き続ける強い意志。
全てを受け入れ、総てに見放され、それでも尚、直向きに前へ進まんともがき続ける愚かしい覚悟。
きっと何度も裏切りにあっただろう。
幾度も傷付いて倒れた事だろう。
それだけの、それ以上の体験をしてきた事を、その濁り切った目が何より雄弁に語っていた。
それでも、己が決めた道ならば。
ならば、桃子には最早出来る事など有りはしない……いや、そんな事は無い筈だ。この傷ついた渡り鳥の為に……まだ、何かできる事が有る筈だ。必死に打つべき策を模索しながら、まずはこの者達を歓待しなければと言葉を紡いだ。
「……貴女達の事情は一応は把握しました。今日はウチに泊まっていきなさい」
僅かに震える声で、桃子が提案する。
「いえ、そこまでお世話には……」
「いや、私からも頼もう。是非とも我々に今宵の寝床を供させて欲しい。今の話を聞く限り、行く宛ては無いのだろう? 愛しい娘の恩人をそのまま見送るのは忍びないのでね」
士郎も桃子に賛同してきた。
望は困りながらレーメを見る。
「別に良いのではないか? 相手のためになるのであれば断る理由は無いし、そもそもサツキ達から連絡が無ければ情報収集以外に吾らがする事など有りはしないぞ」
レーメにも言い含められ、断れないと悟った望は大人しく首を縦に振った。
嬉しそうに桃子が手を合わせる。
「決定ね。丁度なのはもお風呂から上がったみたいだし、準備してくるわ」
桃子の言葉によって張り詰めた空気は霧散し、和やかな雰囲気が高町家を包む。
その後、なのははその日の疲れや恐怖、恥ずかしさなどから親の小言もそこそこに寝床へと直行してしまい、末っ子を欠いた一家の団欒に望達も混じって、その日は床へと就く事となった。
「……………僕の扱いがあんまりだ……」
「……あなた」
「分かってるよ。今夜は徹夜だな」
望から僅かながらも話を聞いた士郎たちって所か。
美姫 「流石に望たちの詳しい事までは話していないけれどね」
まあ、流石にそれはおいそれと言えるようなことでもないしな。
美姫 「そうよね。で、一晩お世話になる事になったみたいだけれど」
何事もなく朝になるんだろうか。
美姫 「気になる次回は……」
この後すぐ!