『聖りりかる』




第25章 〜敵情、分析と考察〜





 いくら広めの造りとは言え、それはあくまでも一般家庭に於いての親子二人、多くとも三人で入った時の話だ。
 その親子にしても、目的は幼年期の子供に対して親が正しい身体の洗い方や風呂の入り方……いわゆる風呂での作法をレクチャーする為に限ったものである事は言うまでもなく、ある程度成熟した身体であれば、その狭さは筆舌に尽くしがたい。

 まあ、要するに何が言いたいのかと問われれば、大人のナルカナに小さい身体であっても、望、なのは、レーメの三人で合計四人が同時に入浴をしているとなれば、その狭苦しさも理解できようと言うものである。

「どうしてこうなったのだ…」

 わしゃわしゃと望に頭を洗ってもらいながら、レーメが誰ともなしにそう呟いた。強く目を瞑った方が、むしろ泡が目に入りやすいのだと最近気が付いた彼女は、自然な目の閉じ方をしながらも憮然と腕を組んでいる。

「まあ、たまにはこんなのも良いんじゃないか? 賑やかで俺は好きだけどなぁ……よしっと、泡流すぞー」

「ひゃ」

 まだ少しばかり冷たかったようだ。レーメが可愛らしい悲鳴を上げて背筋をぶるりと震わせる。しかしそれも最初の数瞬のみで、後は落ち着いて望に身を委ねた。

「うむうむ、気持ち良かったぞ。褒めて遣わすのだ!」

「そりゃ何より。身体冷やすなよ」

 泡を完璧に落として貰うと、その流れるような金糸の髪をタオルで大雑把に結い上げ、静かに湯船へと身体を滑り込ませる。

「流石にちょっと手狭かぁ……うし、次は私が上がるわね。のぞむー! 洗いっこしよーよー!」

 元から入っていたナルカナとなのはに加え、レーメも入ると湯の大半は流れ落ちる。それを懸念したナルカナが立ち上がり、シャワーで頭を濡らしている望にそう持ち掛けた。どうやら本音では望の髪を洗いたかったらしく、その手には既に泡立てられた洗髪剤が引き伸ばされている。

「ぅゆう………」

 なのはが悔しそうに呻いているが、鍛錬で散々に酷使した自分の腕では洗えない自覚があるのだろう、言葉に出す事はない。

「そぉーれ、わしゃわしゃー♪」

 軽くリズムに乗せながら、望の頭をナルカナが洗う。体格に差が付き、幼い望をあやす様に接する事が嬉しいらしい、自然と鼻歌が漏れていた。

「………………」

 さらりと、不自然窮まりない自然さでなのはが望へと顔を寄せる。半身を湯船から乗り出させ、あくまでも本人は何気ないつもりでいるらしい仕草で、望の足元に頭を移動させる。 ジト目になっているレーメは、止めるつもりが無いらしい。

「そろーりそろーり…」

 大方のオチが読めたのだろう、レーメが徐に湯船から立ち上がり、大雑把に身体の水滴を払い落としている。当の望本人は目を閉じていて、気配は察せているものの実害は無さそうだと放置していたし、ナルカナは望に夢中であった。
 そんな周りの反応など眼中に無く、なのははじっくりとした動きで望の前にその頭を運んでいる。やがて目的地へと至り、なのはは何かを振り切るかのように一気にその視線を上へと上げた。

「ちらっ」



ドパァン!!!



 それが鼻血を噴いた音であると、一体誰が信じようと言うのか。




〜〜〜〜〜




「吾は存分に堪能したのでな、汝らはゆるりと楽しむが良い」

「ぴーぽーぴーぽー♪」

 イルカナと二人掛かりでなのはが乗っている担架を担ぎ、レーメがその場を後にする。何故かナース服をバッチリと着こなし、頭にサイレンを括りつけていたイルカナについては後で小一時間ほど問い詰めるとして。

「ふぅ」

 騒ぎが落ち着いた事に溜息をつき、ちゃぷりと湯船に改めて身を沈める。

「こぉーら、なに縮こまってるのよ」

 既に風呂で大きく身を伸ばしているナルカナの邪魔にならないようにと、隅に入ろうとしたのが気に食わなかったらしい。無理矢理に彼女の身体の上に、追い込まれるように運ばれてしまった。
 後ろからナルカナに抱きすくめられる形で、二人一緒に湯に浸かる。望の頭が丁度ナルカナの豊満すぎる胸に挟まれてしまっているのは、指摘するだけ無駄というものだろう。

「望のえっち」

「仕掛けて来たのはナルカナじゃないか!?」

「うふふー♪」

 望の頬をふにふにとつねりながら、少し可笑しそうにナルカナがじゃれる。そうして暫くの間を挟むと、ナルカナが静かに切り出した。

「ね、望…」

「…んー?」

「……ジルオル、どうしてる?」

「相変わらずかな…外の世界より面白いのが見つかったってさ」

「ずっと『生誕の起火』に?」

「それだけじゃないよ。最近じゃ『向こうの世界』もちょくちょく覗いてるらしい」

 元々が力の塊同士、引き合うのかもなと苦笑し、ナルカナの上から身を起こす。

「そろそろ上がるよ。いい加減に逆上せそうだ」

 そうナルカナに告げて、扉に手を掛けた。



「今でも、さ」



「?」

「たまに…ね。望の事で、どうしようもなく圧し潰されそうになる時があるの」

 天井の結露が重力に負け、ピチョンと小さな音を鳴らす。洗面器に広がる波紋は、ナルカナの心境を代弁している様に思えた。

「そりゃあ、私が居なきゃジルオルとの和解なんか成立しなかったかも知れないし、ましてやエト・カ・リファから出て行くなんて、絶対に考えられない事だった」

「そうだな。新しい世界に辿り着いた時は見聞を広げようと躍起になった。新しい法則や概念を見つけた時なんか、年甲斐もなくハシャいだよな」

 人目も憚らずに飛び跳ねたり、いきなり叫び声を上げた時の恥ずかしさを、苦笑と共に反芻する。だが、ナルカナの懸念は其処にあるらしく、表情を曇らせるだけだった。

「その対価に望は……今は望だけでも、いつかは沙月だって…ナルに侵食されて消滅するか分かったものじゃない。ううん、消滅ならまだいい………最悪ナル世界に囚われて、フォルロワにデタントの為の生贄にされるかも知れない! そんな危険を孕んで、心も存在も削ってまで私と契や「ストップだ」

 揺らぐ瞳で思いを告げるナルカナに、強引に言葉を被せて人差し指で唇を塞ぐ。

「ローガスの所為にするつもりは毛頭無いけどさ、俺達の出逢いはやっぱり必然だったんだと俺は思ってるよ」

「…………」



「少なくとも俺は、胸を張ってナルカナと契約したって言える。俺は『叢雲のノゾム』だって、誇りを持って名乗る事ができる」



 そう言って、ナルカナの額に優しく触れる。

「……あ…」

 触れた掌から伝わる、望の想い。

 何気ない日々、終わらない旅、本気の喧嘩、後悔と涙、交わす情愛、触れ合う心……。

「優柔不断って怒られそうだけど、意志薄弱って笑われそうだけど……レーメも、沙月も、ナルカナも、俺は皆を愛してる」

 照れくさそうに、頬を掻く。それでも、告げる言葉には確かな意志と力が込められていた。

「胸を張って、俺と歩いてくれ。俺が惚れ込んだのは、他でもないナルカナなんだから」

「………うんっ!」

 そう締め括って、望は風呂場を後にする。あれだけ狭く感じた風呂場も、今やナルカナ一人だけとなってしまった。しかし、今の彼女にとっては好都合な事この上なく、本人もそれを心の片隅でありがたく感じていた。



「…………のぞむぅぅ………♪」



 彼女がその緩みきった頬を元に戻すまで、もう少し時間が掛かりそうだ。




〜〜〜〜〜




 風呂上がり。ゆったりと廊下を歩いていると唐突に現れたユーノから、これまた突然に頭を下げられる。聞けば、要らぬ疑念を一方的に抱いてそれをイルカナに窘められたとの事。

「……まあ、傍から見て怪しい事は俺達が一番思ってた事だしなー…」

「なんで改善しないのさ?」

「昔ソレで手酷い痛手喰らったからな。怪しまれてマークされてる方がまだ気楽なんだよ」

「マジで何してたんだよ…」

 とはいえ、最早こんな疑念も今さらである。面と向かって謝罪したという事は、少なくともユーノは望と真に友誼を結びたいのであろう。その実直さを尊く感じながら、望は優しくユーノの頭を撫でる。

「…まあ、そりゃそうと」

「管理局だよね? こっちも感じたよ。僕がこの世界に来てちょっと経つまでは、レイジングハートから救難信号を送ってたから……まあ、魔力もあるしほぼ捕捉されてると思う」

「そこなんだよなぁ」

「なのはにはもう口止めをお願いしてる。ちょっと脅し文句に近かったけど、彼女は間違いなく望達の事を喋らないよ」

 口を滑らせれば、望達がいなくなるかもしれない。

あながち間違いでもないだけに、その言葉の効果は覿面であった。これで、なのはから情報が漏れる事は無いだろう。

「口が滑らなくてもそっちの技術に心を読む術があれば…」

「読心術の類はタブーってのもあるけど、何より魔力波長とバイオリズムからなるほぼオンリーワンに近い生命波動パターンを細胞単位で解析してから、思考アルゴリズムのサンプリングが必須な上に、それらを一単位の生体電気信号ごとにパターン化させて、思考マッピングを完成させないと確立できない。そこから待ってるのは、その思考マップから送られる信号のリアルタイム演算と解析パターンの検索作業さ。スパコンが必須の作業な上に、必ずしも狙った考えが読める訳じゃない……どころか、電気信号解析の為に肌に電極を繋がないといけないからね。コスパと初対面故の信用問題を考えれば、こればっかりは絶対に無いと言い切れるよ」

「お、おう。大丈夫ならそれでいい」

 急に饒舌になったユーノに戸惑いながら、一応の安全を確認する。そこから他愛ない話を二、三ほど交わし、ユーノは寝床へと引き上げていった。




〜〜〜〜〜




 望達が高町家にて間借りしている一室。その中で、ささやかながらも重要な会合が行われていた。

「……なるほど、それは確かに看過できそうもないな…」

 望が相手取るのは、家主でもある高町夫妻。但し、今回は交渉の類ではない。内容としては、数時間前に望達の前に現れた時空管理局なる存在についての報告である。

「君の話を総合するに、それはユーノ君達のような魔導士と呼ばれる存在を統括、ないしは管理する立場にある。その話から類推するに、それは様々な次元世界とやらに並々ならぬ権限を有している……」

 額に皺を寄せ、気難しそうに腕を組む。そんな士郎の横では、情報を整理しているらしい桃子が、ひっきりなしにペンを動かし続けていた。
 望達の事情や、確定要素の少ない事象から明かす訳にはいかない情報が多い中、出くわした状況の報告と、ほんの僅かな見せ札から核心に近い部分を割り出すその推理力に、内心舌を巻く。

「そしてこの話の『胆』は……君達を取り締まろうとした者が、君と同年代の少年だったという事だ」

 その言葉を口にした瞬間、士郎は疎か桃子までもがその瞳に抜き身の剣を纏わせる。事は己の愛娘に関わる事だけに、その決意に妥協は無い。

「君に対して、彼は確かに『執務官』と名乗ったんだね?」

「はい、少なくとも十歳程度でしたから、肩書きを持つ以上は正式な職員として勤めている公算が高いかと」

「ユーノ君の話では、なのはの才能は即戦力として起用されてもおかしくないレベルらしい……か」

 愛しの娘を護るにしろ、相手の実態が今一つ掴めない。望というアドバンテージがあるにせよ、自らの手で守れずに何が親か。

「…望君、あなたから見た管理局の直感的な感想はどうなのかしら?」

 状況の打開を謀るべく、それまで書記に専念していた桃子から一石が投じられる。軽い瞑目と共に考えを纏め、その考えを言葉に乗せた


「愚直、でしょうか。他の世界に手を広げる貪欲さがありながら、彼からは強い正義感が見て取れた。上層部は分かりませんが、末端であれば交渉のテーブルに着く余地は十分にあります」

「成程、彼等はある程度までならば信ずるに値すると?」

「絶対ではありませんが」

「いや、万全を期せない以上は重要なファクター足り得るよ。なのはには明日の夜にでも話すとしよう」

 時間が時間だし、この話は決して手短では済まない。

「彼等の目下の標的は俺達でしょうが、なのはちゃんはあちら側謹製のデバイスを所持しています。コンタクトを取られる可能性はかなり高いでしょう」

 考えられる事態を提示し注意を促す。口に出す事で、気構えは随分と違ってくるのだ。

「願わくば、彼等が紳士的な態度を示してくれることを……ですかね」

「…有史以来、隣人同士ですら争いを絶やさなかった人間が、複数の世界などという巨大な集合体を統治出来る道理が無いだろう……」

 そうは言いつつ、心のどこかで僅かな期待を寄せる自分を否定できない。複雑な心境を抱きながら、彼等の夜は更けていく。




〜〜〜〜〜




 翌日、聖祥附属小学校の昼休み。



「高町 なのはさんですね? 時空管理局アースラ所属、ゲイル・シリカです。お話を伺う為にご同行を」



 望達の淡い希望は、最悪の形で裏切られる。



とうとう管理局が動き出したか。
美姫 「にしても、いきなりユーノとかじゃなくなのはの前に登場とはね」
これがどういう意味を持っているのか、だな。
美姫 「なのはもどう対処するつもりかしら」
非常に気になる所で次回とは。
美姫 「とっても続きが気になるわ」
次回も楽しみにしてます。
美姫 「待ってますね」
ではでは。



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