第10話 勉強会
蓉子が勉強道具一式を持って草薙家にやってきたのはその日の午前中のことだった。
一緒に夏休みの課題をやろうということらしい。
優斗は昨日の刀夜とのことを話そうかどうか迷ったが、結局何も言わなかった。
リビングのテーブルの上にノートと問題集を広げ、早速始める。
勉強が不得意な優斗とは違い、蓉子は頭がよく学園での成績も悪くない。そんな彼女がわざわざ優斗のところに来るのは昔からの習慣のようなものだった。二人は小学校に上がる前からの付き合いで、その頃からよく一緒に遊んでいた。どちらかというと、世話好きの彼女のほうが優斗の面倒を見ていたようなものだったが。
優斗はその頃のことをあまり覚えていない。それなりに大切な思い出だったはずなのに。
何か、覚えていたくないようなことでもあったのか。それすらわからない。
開いた問題集をぼんやりと眺めつつ、いつしか優斗の思いは遠い過去へと向いていた。
「こら!」
少しうとうとしていたところにいきなり額を軽く小突かれた。
ぼーっとしたまま顔を上げるとすぐ目の前に蓉子の顔があった。
「うわっ!?」
慌てて飛び退く優斗。
「今何かいやらしいこと考えてたでしょ」
「だ、誰が!」
「あんたよ、あんた。ったく、いつからそんな軟派になっちゃったわけ?」
「言いがかりはよしてくれ。俺は別に何も……」
言いかけたところで優斗の表情が固まった。
向かいのソファから身を乗り出す格好になっている為、彼には蓉子の胸が丸見えだったのだ。
「ちょっと、どこ見てんのよ」
「あ、ごめん……」
慌てて視線を逸らす優斗。蓉子もそっと身を引いた。
「……ま、いいんだけどね」
「ん?」
「何でもない。それより優斗。あんた、この問題わかる?」
どこかごまかすような素振りを見せつつ、蓉子は問題集の一点を指し示した。
それは数学の問題らしく、何やらややこしい数式が長々と書き記されていた。
「おまえにわからないものが俺にわかると思うか?」
「だよねえ……」
蓉子は聞いたあたしが間違ってたとでも言わんばかりに頷いた。
それが何となく悔しくて、優斗は自分も問題集の同じ場所を開いた。
改めて眺めてみると、その難解さがよくわかる。
蓉子も参考書を片手に難しい顔になっていた。
二人で悩んでいると、そこへ優奈がお盆に二人分のコーヒーカップを載せてやってきた。
「お勉強、捗ってます?」
「うーん、あんまり」
苦笑を浮かべて答える蓉子。その目は相変わらず一つの数式を睨み付けていた。
「この問題が解けないんですか?」
優奈が例の数式を指差して聞いた。
「そ。一応、ここに解き方は載ってるんだけどね。どうにもわかり辛くて」
「見せていただいてもいいですか?」
「いいけど」
怪訝な顔をしつつ、蓉子は優奈に参考書を差し出した。
軽く一礼してそれを受け取る優奈。
しばし紙面と問題とを見比べた後、彼女は徐に参考書を置いた。
代わりに側に転がっていたシャーペンを取って、それを広告の裏に走らせる。
「これでどうですか?」
「どうですか、って……合ってるわ」
優奈の示した回答を見て蓉子は呆然と呟いた。
優斗もぽかんとしている。
思わず二人して問題集の後ろの正解リストを何度も見直してしまったほどだ。
「わたしはそこに書いてあった通りにしただけですから」
優奈は少し照れたように頬を染めながらそう言った。
余計な先入観がないぶん、柔軟に対応出来るのかもしれない。
優斗は蓉子と顔を見合わせて苦笑した。
―――――――
その後はすぐに休憩となった。
優奈の入れたコーヒーを飲みながらしばし雑談に花を咲かせる。
その優奈と美里も加わって、リビングはたちまち賑やかになった。
優斗の携帯電話が鳴ったのは彼がコーヒーのおかわりを優奈に頼んだときだった。
優奈は空のカップを持ってキッチンへ行き、優斗も電話を受けるために席を立つ。
「もしもし」
『草薙君? わたし、かおり』
「佐藤さん?」
『だから、かおりでいいって』
「俺、携帯の番号教えてたっけ?」
『学園の緊急連絡網を使ったのよ。別に緊急じゃないんだけどね』
「俺に何か用事?」
『これから出てこられるかしら。駅前通りの喫茶店、そこで待ってるから』
「え?」
それだけ言うと電話は一方的に切れた。
「お出かけですか?」
玄関へと向かおうとした優斗に優奈が声を掛けた。
手にはコーヒーの入ったカップを持っている。
優斗はそれを受け取ると一気に咽の奥に流し込んだ。
「ちょっと駅前まで行ってくる」
「蓉子さん、放っておいていいんですか?」
「その蓉子に行ってこいって言われたんだ」
優斗は苦笑しながらそう答えた。
彼女に電話のことを話すと、問答無用で行ってこいと言われた。
曰く、女の子からの呼び出しには無条件で応じるのが常識なのだそうだ。
「そういうわけだから、ちょっと行ってくるな」
「なるべく早く帰ってきてくださいね」
「ああ、わかってるよ」
優斗はそう言うと軽く手を挙げて玄関を出た。
―――――――
「まったく、あのバカはどこまで奥手なんだか……」
蓉子は呆れ果てた様子でそう言った。
「きっと、わたしたちに気を使ってくれているんだと思います」
「出掛けるのが面倒だっただけでしょ。あいつ、出不精だから」
「優斗は優しいよ。あたしたちのこと、すごく大事にしてくれるんだから」
美里が少しムキになってそう言った。
「ああいうのは親バカって言うの」
「おやバカ?」
「そ。あいつはあんたたちのこと、女とは見てくれてないでしょ?」
「そんなことはありません」
今度は優奈がきっぱりと言い切った。
「優斗さんはわたしたちのことをちゃんと女として見てくれています」
「本当に?」
「ええ。昨夜だってとても優しくしてくれました。だから、わたし……」
優奈はハッとして手で口を押さえた。その頬がみるみる赤くなっていく。
「だから、何?」
「え、と……」
真っ赤になって俯く優奈。
「お姉ちゃんすごく敏感なの。だから、優斗にされるといっぱい感じちゃうんだよね」
「へえ」
蓉子はにやにやといやらしい笑みを浮かべて優奈を見る。
「だって、気持ちいいんだもの……」
消え入りそうな声で呟く優奈。
「まあ、あんまりハメを外しすぎないようにね」
苦笑しつつクッキーの皿に手を伸ばす蓉子に、美里が不思議そうな顔を向ける。
「あんまり驚かないんだね。もしかして、知ってたの?」
「……ん、まあね。それであいつに相談とかされてたし」
「そ、そうなんですか!?」
衝撃の告白に、優奈の顔がまたみるみる赤くなる。
「あんたたちもその体質じゃしょうがないかも知れないけど、あんまり無理させちゃダメだよ」
そう言って締め括ると、蓉子は飲みかけだったコーヒーのカップに口をつけた。
……ほんと、野生の血ってのは厄介な代物なんだから。
―――あとがき。
龍一「……はぁ、はぁ、よ、よし、これで連続5話投稿完了」
優奈「はい。よく出来ました」
龍一「な、何かひっかかる言い方だが、まあいいか。ところで、その手に持っているものは何かな」
優奈「ハンマーですよ。もしくはトンカチ、または金槌とも言います」
龍一「い、いや、俺が聞きたいのはどうして君がそんなものを持ち上げているのかってこと。しかも、そんな楽しそうな笑顔で」
優奈「ご自分の胸に手を当ててよーく考えてみてください」
龍一「……………いや、まったく分からないんだが」
優奈「残念です。では」
龍一「ちょっと、まっ、うわぁぁぁっ!」
ガンガンガンガン。
優奈「人にあんな恥ずかしいこと言わせておいて、ただで済むと思っているんですか?世の中そんなに甘くありません」
ガンガンガンガン。
龍一「う、うわっ、か、体が、体が消えていくぅぅぅぅぅぅ!」
ガンガンガンガーン!
優奈「ふぅ。お見苦しいところをお見せしてしまいました。こんなダメダメな作者ですが、今後ともよろしくお願いします。それでは、次回、握られた秘密でお会いしましょう」
五話連続投票、お疲れ様でした。
美姫 「そして、ありがとうございます〜」
さて、呼び出された優斗、果たしてその用件とは。
美姫 「次回も楽しみに待ってます〜」
お待ちしております。
美姫 「じゃ〜ね〜」