第9話 それぞれの生き方

「それじゃ、全員の自己紹介も終わったことだし、質問タイムと行きましょうか」

 一瞬沈みかけた空気を打ち破ったのは蓉子自身の声だった。

 つまらないことでくよくよするなんて自分らしくない。

 それに李沙はこちらの事情を知らないのだから、その言葉に他意はないはずだ。

 そう考えると蓉子の立ち直りは早い。

 それからしばらくの間、互いの趣味や生活について幾つかの質問が交された。

 李沙の森での暮らしは昔の優奈や美里に通じるものがある。

 狩りをしながらのその日暮しというのは野に生きるものにとっては当然の日常だ。

 さすがにそれを人間の彼女がしていると聞いて、蓉子や美里はしばし呆然としていたが。

 雪那の趣味は将棋だった。他にも琴や三味線、日舞などを嗜んでいる。

「何かイメージにぴったりって感じ。ご飯も洋食より和食のほうが好きだったりします?」

「はい。味噌、醤油はわたくしの食卓には欠かせません」

 そう言って味噌汁を啜る雪那の姿はそれだけでとても絵になっている。

「雪那、そういう年寄りくさいのは止めたほうがいいって。耽るよ」

「そういうあなたは目上の者に対する礼儀というものがなっていないではありませんか」

「雪那が説教ばかりするからでしょ。その台詞、もう聞き飽きたよ」

「誰のせいですか誰の」

「まあまあ、食事中なんだし二人ともそのくらいで」

 視線で火花を散らす二人を、優奈がやんわりと制す。

「何か、親子みたいだね」

「そうですわね。わたくしは李沙が幼少の頃からずっとお世話をさせていただいていますから」

「口煩い母親だよ。おかげであたしは気が休まらないんだから」

「李沙」

「わわっ、冗談だって。そんな怖い目で睨まないでよ」

 慌てて手を振る李沙に、雪那ははぁ、と溜息を漏らす。

 そんな二人のやり取りを、他の四人は微笑ましげに眺めているのだった。

 ――そして、夕食後の草薙家。

 キッチンでは優奈と雪那が並んで洗い物をしていた。

「すみません。お客様なのに手伝わせちゃって」

「気になさらないで。こちらこそ、突然押し掛けてしまって。ご迷惑ではありませんでしたか?」

「食事は大勢のほうが楽しいですし、美味しく食べていただけたのならわたしは嬉しいですよ」

 そう言って笑う優奈に、雪那はほっと安堵の息を漏らす。

「予想外の出来事って結構あるものですよ。それが初めての旅行ともなれば尚更です」

「本当に……」

 励ますつもりでそう言った優奈だったが、雪那は逆に深々と溜息を漏らした。

 それは確かに行く先々で保護対象に暴走されては溜息も出るだろう。

 食事の席でも少し話題に上ったが、その破壊劇とも言える惨状は正直笑い話にもならない。

 そんな旅の失敗談もいつか笑って話せるようになる日がくると雪那は思いたい。

「何にしても、気にしないでください。困ったときはお互い様ですから」

「お世話になります」

 重い空気を払うように明るい調子でそう言った優奈に、雪那は改めて深々と頭を下げる。

 リビングでは優斗と蓉子が並んでソファに腰掛けてテレビを見ていた。

 美里は絵を見たいとせがまれて李沙と二人で自分の部屋へと行っている。

 番組はありきたりなサスペンスドラマで、正直あまり面白くないというのが二人の感想だ。

 別にちゃんと見ているわけでもない。

 食後の満足感も手伝って、何となくだらだらと過ごしたい心情なのだ。

「なぁ、蓉子。さっきのことなんだが」

「んー、何?」

 不意にそう話し掛けた優斗にも蓉子は寛いだ様子で答える。

「李沙の言ったこと、あんまり気にしないようにな」

「人とは違うってこと?」

「前にも言ったけど、俺はそういうこと気にしないから。優奈や美里もそうだと思う」

「うん。……ちゃんと、分かってるよ〜。あたしは大丈夫。だから、そんな気にしないで」

 気遣うように言葉を掛ける優斗に、蓉子はどこか間延びした口調でそう返す。

「本当に気にすることないんだからな。狐モードのおまえも可愛いんだから」

「こら。そんなことばっか言ってると彼女に嫉妬されるぞ」

 真顔で口説き文句のようなことを言った優斗の額を蓉子が軽く小突く。

「でも、……ありがと。あんたのそういうとこ、好きだよ。あたしは……」

 そう言って上目遣いに見上げてくる蓉子の頬はほんのりと上気していて、少し色っぽい。

 何か様子がおかしい。

 そのとき優斗は彼女の手にあるコップの中身が妙に鮮やかな琥珀色なのに気づいた。

 慌てて蓉子の手からそれを引ったくる。

 匂いを嗅いでみると案の定、それはブランデーだった。

 つんと鼻をつくアルコール臭に顔を顰めつつ蓉子を見る。

 彼女はやや不服そうにこちらを見ていたが、不意にその口元を緩めてにんまりと笑う。

 嫌な笑みだ。まるで悪戯を思いついた子供のような、そんな表情……。

 蓉子は電光石火の早業で優斗のコップを奪うと、その中身を一気に飲み干した。

 優斗には五十音の最初の一文字を発する暇もなかった。

「はぁ、美味しい麦茶だよね〜、これ。どこのメーカーの奴?」

「バカ、それはブランデーだぞ」

「え〜、麦茶じゃないの?」

「どこの世界にアルコール度数30の麦茶がある。って言うか、気づけよ」

「あははっ、そっか。麦茶じゃないのか。でも、美味しいし、何だか気持ちが良いからいいや」

 蓉子はそう言ってけらけらと笑った。

 完全に出来上がってしまっている。

 優斗はふらふらと立ち上がりかけた蓉子をソファに座らせると、キッチンに向かって叫んだ。

「優奈、水だ水。急いで持ってきてくれ」

「はーい。今行きます」

 そう返事をした優奈はどこか楽しそうだ。

「……確信犯だな、あれは」

「どうかなさいました?」

 水の入ったグラスを持った優奈に続いて、何事かと雪那がリビングに顔を出す。

「あ、雪那さん。その、ちょっと蓉子が酒に酔ったみたいなんです」

「まあ、それは大変です。急いで病院をお連れしないと」

「雪那さん、もしかして混乱してます?」

 某混血家の使用人みたいなことを言っている雪那に、優奈が真顔でそう尋ねる。

「優奈、どうして食後のお茶がブランデーなんだ?それもこんな度数の高い奴をストレートで」

「あら、わたしは優斗さんが飲み物は任せるとおっしゃったので、それをお出ししたんですよ」

 手元に残ったコップを持ち上げて言う優斗に、優奈は不思議そうにそう答える。

「それはまあ、そうなんだが。とにかくそれを蓉子に飲ませてやってくれ」

「分かりました。蓉子さん。はい、お水ですよ」

 そう言って優奈は酔ってぼーっとしている蓉子の口元へとグラスを近づける。

 蓉子は焦点が合っていないのか、手探りでグラスを受け取るとまたそれをぐいっと呷った。

「だから、そういう飲み方は体によくないって、聞いちゃいないか」

 幾分顔色の落ち着いた彼女をソファに横たえ、それから優斗は改めて優奈を見た。

「ストレス発散になるかと思って。でも、蓉子さんにはきつかったみたいですね」

 善意が裏目に出たことに、優奈はややがっかりした様子で肩を落とす。

「今度からは紅茶に少し混ぜるくらいにしといたほうがいいな。こいつ、この通り弱いから」

 そんな彼女に優斗は優しくそう言葉を掛ける。

「あの、洗い物、終わりましたけれど、わたくしはこれからどうすれば良いですか?」

「あ、もう自由にしていただいて結構ですよ。後はわたし一人で大丈夫ですから」

「では、そうさせていただきます」

「後でお部屋、案内しますね」

 一礼して空いているソファに腰を下ろす雪那にそう声を掛け、優奈はとりあえず空になったグラスを下げにキッチンへと行く。

「わたくしも何かいただけますか?」

「いいですよ。何にします?」

 新しいグラスを取り出しつつ、冷蔵庫を物色する優奈に優斗が釘を刺す。

「酒もいいけど、アサルトフレアとボーガンショットだけは止めとけよ。洒落にならないから」

「うふふ、あれはさすがにわたしもびっくりしましたものね」

「いや、幾ら何でもアルコール度数98は飲めないだろ。ほとんど純正だぞ」

「体がこう、かぁっと熱くなって、燃えました……」

 何やら怖い会話が交されているのを聞き流しつつ、雪那の目は一本の酒瓶を捉えていた。

「ほう、月下美人ですか。これは中々良いものをお持ちのようですわね」

「分かります?」

 感心したようにそう漏らす雪那に、優奈が嬉しそうに尋ねる。

「これ、中々手に入らないんですよね。でも、嬉しいので雪那さんのために空けちゃいます」

「よろしいんですか?」

「わたしも飲みたかったんですよ。けど、中々決心がつかなくて」

 そう言いつつ、優奈は食器棚の上のほうにあるそれへと手を伸ばす。

「先に風呂に入ってからにしたほうがいいんじゃないか?酔いが回ると入れなくなるから」

「それもそうですね。では、雪那さん。後ほどゆっくりと」

「はい。楽しみにさせていただきますね」

 そう言って笑みを向け合う二人に気づかれないよう、優斗はそっと溜息を漏らすのだった。

   * * * *

 夜の10時を過ぎた頃になってようやく蓉子は目を覚ました。

「……うう、何か頭がくらくらする……」

「二日酔いって奴だな。ほれ、薬だ」

 そう言って側にいた優斗が蓉子に粉薬の袋と水の入ったグラスを手渡す。

「サンキュ」

 軽く礼を言ってそれを受け取ると、蓉子は薬の封を切って水に溶かした。

「うーん、やっぱあれの一気は無謀だったかな……」

 グラスの水をぼんやりと指で掻き混ぜながら、そう言った蓉子の顔には覇気がない。

「分かっててやったのかおまえは」

「あたしは狐だよ?酔ってるときならともかく、素面でアルコール臭を逃したりしないって」

 呆れたように突っ込む優斗に、蓉子はそう言って小さく苦笑する。

「ったく、飲めもしないのに無茶するな。急性アルコール中毒にでもなったら洒落にならんぞ」

「あははっ、それもそうだね」

 真顔でそう指摘されて、どこか乾いた笑い声を上げる蓉子。

「でもね」

 と、不意に笑いを収めて蓉子は言う。

「酔いたいときもあるんだよ。いろいろあるからね、邪気払いなんてやってると」

「同感だな」

「優斗は優奈に取られちゃったし。あたしは酒に慰めてもらうしかないのさ」

「バカ言ってないで、さっさとそれ飲んで寝ろ。今日は泊まってっていいから」

 大げさに肩を落としてみせる蓉子の額を今度は優斗が軽く小突いてそう言った。

「……バカなことじゃないよ」

「蓉子?」

「寂しかったんだからね。あんたが離れてくような気がして、すごく不安だったんだから」

 そう本心を吐露する蓉子はいつになく儚げで、美しく見えた。

 心に引きずられるように変化も解けてしまったのか。

 そこにいるのは頭に狐の耳を生やし、髪を銀色に染めた妖狐の蓉子だった。

 明りの消えたリビング。今、ここにいるのは二人だけだ。

 優奈は雪那と二人、彼女の部屋で酒を酌み交わしている。

 しばらく前にお休みを言いにきた美里と李沙はもう眠っただろうか。

 ……静寂。

 地を打つ雨音は既になく、途切れた雲の隙間から月光が差し込んできている。

 そんな薄い月明かりの中に、今にも消えそうな脆い姿を曝している一人の少女。

「なぁ、蓉子。俺はおまえのこと、今でも大事な幼馴染だと、家族だと思ってる」

 抱きしめたくなる衝動を抑えつつ、優斗はゆっくりとそう言葉を掛ける。

 ――裏切りは、許されない。

 けれど、孤独に苛まれる目の前の幼馴染を救ってやりたいという気持ちも優斗にはあるのだ。

「だから、しんどくなったら我慢するな。俺でよければ愚痴くらいいつでも聞いてやるからさ」

「優斗はずるいよ。そんなふうに優しくされたら、諦めきれなくなっちゃうじゃない」

 そう言ってそっぽを向いた蓉子の目には薄っすらと涙が浮かんでいた。

 * * * *




 あとがき。

龍一「酔った勢いで本心を吐露してしまった蓉子。このままここでは書けないようなことになってしまうのか!?

李沙「修羅場の予感」

龍一「どうしてそっちに行くかな。しかも、そんな楽しそうに」

李沙「他に何があるっていうの?」

龍一「うっ、そ、それは、ほら、いろいろとあるだろう」

李沙「不埒なこと考えてるんなら、止めたほうがいいよ」

龍一「ぬわっ、な、何か背筋に寒いものが」

蓉子「この外道がぁぁぁぁっ!」

――どがげしどご!

龍一「ぬぬぬぬぬ、妄想は個人の自由だぁぁぁぁぁっ!」

李沙「さて、外道も駆逐されたことだし。今回はこのあたりで」

蓉子「まったね〜」

 




本当に修羅場になるのか。
美姫 「修羅場の前に濡れ……」
一応、控えめな表現でお願いします。
美姫 「ちぇ」
さてさて、一体、どうなるのか!?
美姫 「蓉子ちゃん、ファイト〜」
お前も、無意味に煽るな!
美姫 「兎も角、次回が色々な意味で楽しみね」
うんうん。次回もお待ちしてます〜。
美姫 「それじゃ〜ね〜」



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